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お役人の戦略

 今、郵便局が変わりつつあります。国営堅持と民営化の綱引きは、公社化という曖昧な政治決着というかたちでとりあえず収束しています。そして現場では、2001年郵政事業庁設置、2003年国営の新たな公社設立がどのように訪れるのか、労働環境をどのように変えられてしまうのか、不安視する声が高まっています。
 勿論、かつての親方日の丸的牧歌的職場が蘇るなんて甘い考えはだれ一人持っていませんが、せめて公務員としての地位だけでも保持したいというのが大方の期待のようです。それが、現在の郵政三事業が今後も国営であるべきかどうかということとは全く関係のない、比較的恵まれた労働者の自己保身的な思いであることを否定することは出来ないのですが。
 貯金や保険が今や民間の銀行や保険会社と何ら変わらないものとなっているのは明らかだし、郵便事業も民間の追い上げや情報通信の高度化によってじり貧となっています。そうしたなかでは、何を残し何を切り捨てるのか、冷静な判断が必要です。当然そこにはそれぞれの利害が絡まっているし、どんな未来を目指すのかによっても違った結論に達するでしょう。
 それでもはっきり言えることは、自分たちだけの狭い利害から結論を出すのは間違っているし、郵政一家が一丸となって民間と(民営化論と)闘うというのもまるで談合のようで支持できないということです。ここでは、「国民のための郵政事業を守ろう」という同じ言葉が、郵政官僚や特定局長会、更には全逓官僚や郵政族と呼ばれている政治家など、それぞれにおいてすべて中身が違っているのです。そしてその何れもが、利用者たる当の市民や、そこで働いている労働者の利益とはなんの関係もないものです。
 例えば、郵便局は今「お客様第一」を合い言葉に積極的な営業展開を行なっています。しかしそこに透けて見えるのは「お役人さま第一」という実態です。ヤマトとの競合がもたらしたのは、採算割れした過剰サービスやムダな設備投資であり、新たな天下り先の誕生でした。それは同時に官僚の無能力と、そうした事態に何一つ責任を取らない無責任さ、どんなときにも自らの利益を確保しようという狡猾さも明らかにしました。
 郵便事業の将来を大きく左右するものとして鳴りもの入りで導入された郵便番号の7桁化も、余りに過大な設備投資に比べてその効果は貧弱なものでした。しかも、7桁区分機が価格の水増しによってメーカーの利益と郵政官僚の天下り先確保に利用されていたとあっては、もはやあきれるばかりです。
 つまるところ、郵政官僚は今後郵政三事業がどのように変容しようと、そこにある自らの権益を手放さないだろうし、寄生し続けることを最大の目標とするでしょう。だから彼らが国民のための郵政事業を強調するのは、そこに自らの利益が編み込まれている限りでのことです。だから私たちの前にある課題は、お役人のこの戦略を見抜いて破綻させることです。
 国営であれ民営であれ、彼らの権益を取り除かない限り、利用者も郵政労働者も犠牲を免れることは出来ないでしょう。この構図は全ての国家事業に共通のものであり、2000年から21世紀へと移りゆく過程で何を残し何を捨てるのか鋭く問うものとして、私たちの前に横たわっています。
           (晴)


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出会いを求めて今年もよろしく

 随想を担当してきて、昨年を振り返ってみました。それにしてもテーマが少し片寄っていたかなと思います。子どもを通しての行事のこと、食べ物・からだのことなど環境問題に関することが多かったようです。要するに、私の置かれている立場からの発想と、関心のある分野を示していると言えます。今年は、もっと視野を広げたいと思っています。西宮市では今年やっと、女性センターがオープンの予定です。近々、色鉛筆で紹介するつもりです。
 ところで、小学2年生の男児が校庭で殺された事件、同じく2年生の女児の誘拐事件と痛ましい出来事が続きました。同じ2年生の娘を持つ親として他人事では済まされません。マスコミは、神戸の事件に酷似していると、あれこれ犯人像を分析していますが、なぜこのような事件が発生するのかを考えるべきだと思います。“地域に開かれた学校”という方向が後退しなければよいのですが…。
 こういった事件が起これば、必ず言われるのが怪しい人物=普通の人ではない目立つ人を、地域ぐるみで探そうという呼びかけです。これは、突き詰めていけば精神的・身体的障害者や野宿労働者など社会的弱者に、矢が向けられることになります。社会からも地域からも排除しようという恐いものを感じます。
 社会的弱者といえば子どもも対象になりますが、私の住む団地自治会では昨年の総会で、子ども会は無くすことに決まりました。理由は、役員のなかで子ども会を引き受ける人が無かったからです。役員が高齢化し子どもを持つ人が無く、適任者がいなかったようですが、それはどうもおかしい。
 確かに、子どもを取り巻く環境が大きく変わり、塾・習い事へと通う子どもが増えました。地域で遊ぶ子どもは少なく、家族単位で出かけることも多くなりました。だから、子ども会はもう必要ないのでしょうか。むしろ、だからこそ必要なのではないかと思います。子どもを持つ親だけでなく、地域の大人たちとの関わりで教えられることも多いはずです。
 子どもと高齢者との交流は年2回ほど、学校の主催で行なわれますが、もっともっと色んな人たちとの出会いの場を、実現させてやりたいと思います。そして私も、新しい出会いを求めて行きたいと思います。今年も1年間よろしくお願いします。
          (恵)

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実力行使

 私たちが誰かと何かを争うとき、その手段としては合法的なものと非合法なものがあります。合法領域のものとしてはもっぱら言論によるもの、紙つぶてなどと、第三者機関を利用するもの、裁判に訴える等の手段があります。一方非合法なものとしては、嫌がらせや暴力等あまり感心できない手段が目立ちます。
 新左翼の党派などでは、表の合法的な闘いと裏の非公然の闘いを使い分けているものもありますが、こういう組織形態はもう時代遅れとなってしまったし、必然的に組織に歪みをもたらすのであまり感心できません。いま必要なのは陰謀的な組織ではなく、開かれた形態において支持、共感を得ることができる組織なのですから。
 勿論、合法と言い非合法と言い、その境は流動的なものであり、その中間的な手段も存在します。それは立場や攻守が違えば、一方は正当なものと見なし、他方は不当なものと見なすようなものです。例えば労働争議などは、経営者の立場からは全て生産や営業を妨害するものと見なすでしょう。
 利害が違えば価値観も違う。私たちは労働者としての利益を守るために、資本家の利益を侵害するのは正当な行為だとはっきり主張するし、行動もできるならやります。ここには何の疑問もありません。ところが、同じ労働者なのにまるで経営者のように考え、行動する人が増えているのが実情です。
 これは闘わずして負けてしまっているようなもので、何とも嘆かわしいかぎりです。最も組合が労働者の利益を守ることを忘れ、資本に追随している現状(日産の労働組合のように)では、労働者が自己防衛に走ってしまうこともある程度までは仕方ないことですが。しかし、企業あっての労働者という壁を打ち破れないなら、現状はさらに悲惨な方向へと向かうし、私たちに未来はありません。
 闘いにはいろんな局面があって、ある瞬間には実力行使が最も有効な手段となり、それが大きな支持を得るということがあります。そして、その瞬間にその場に居合わせて、そうした決断をする人が出で来れば、その闘いは勝利へと大きく近づくでしょう。私たちもそうした決断力を、我がものとしたいものです。
 わかりやすい一つの事例として、12月2日未明、12年間放置されたウラン残土を核燃機構人形峠環境技術センター(岡山県)へ持ち込んだ市民の行動をあげることができます。新聞はこれを「『核ごみ戦争始まった』全国の市民団体に波紋」(神戸新聞)と報じています。
 金丸弘毅・技術センター所長は「このような搬入手段に出るとは予想外の事態。あるまじき行為で社会的な常識を疑わざるを得ない」なんて泣きごとを言っています。その言葉はそっくり自らに帰ってくるものであり、予想しなかった実力行使にこの小心な役人がどれだけ打撃を受けたかが、手に取るようにわかります。
 英国では、ミサイル原潜関連施設を破壊した実力行使を、国際法に違反する核兵器の使用につながる巨大な犯罪を未然に防ぐ行為だったとし、完全無罪の判決まで出ています。私たちは、人形峠のウラン残土の撤去を求めて実力行使を行ない、原子力行政との闘いに新たな一歩を記した人々の闘いをはっきりと支持し、彼らの勇気と決断に答えなければならないのではないでしょうか。
       (晴)

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価格調整のためのキャベツ処分

 先日、新聞の一面記事を見て思わず「もったいない」と、つぶやいてしまいました。キャベツや大根が無惨にも、廃棄処分されていたからです。安価な野菜は私たち消費者には、とても有り難いことなのですが…。
 平年ならキャベツの卸値は、1ケース(12 )800円程度らしい。けれど、今年はその半値に近いそうです。出荷するとなると、箱代や運送費、市場手数料など出荷費用にしかならず、大幅な赤字を抱え込んでしまうことになります。それなら、動物園でのエサ・学校の給食など、公的な施設で引き取ってもらうなど出来ないものでしょうか。
 ところで、一体どれくらいの野菜が、処分されたのでしょうか。近畿有数のキャベツ産地、神戸市西区では300トンのキャベツが、トラクターで次々と踏みつぶされたとあります。全国に足並みをそろえた“産地廃棄”は2年ぶりと言うことですが、生産農家の方の胸の内は悔しさでたまらないことでしょう。
 暖冬による豊作に加えて、安い輸入野菜の増加も値崩れの背景にあるようです。神戸市西区では「地元の消費者に、より安全でおいしい野菜を」と独自基準を設けて有機・減農薬化を進めています。安さや見栄えよりも、安全な野菜を選ぶ賢い消費者こそが、生産者を支え自身を守ることになるのです。
 生産する側と消費する側が直接契約を結び、農産物を配送ルートで消費者に届けるシステムがあります。これなら、市場価格に左右される事はありません。豊作になれば処分することなど考えなくても良いのです。その代わり、不作の時は消費する側も我慢しなければなりません。共同購入なら、こんな試みが可能です。
 野菜に限らず加工品にも使用される遺伝子組み換え作物が、市場に進出してきます。ますます、市場は混乱するのではないでしょうか。市場だけでなく、生態系が破壊されることも予測されているのです。野菜の豊作よりも、はるかに重大な社会的な問題として、遺伝子組み換え作物を視野に入れておくべきでしょう。
 世界では、餓死をせざるをえない乳幼児、子どもたちが居ます。一方で利益にならないからといって、廃棄処分されてしまう丸々と育ったキャベツ。矛盾を繰り返しながら現代社会は過ぎていきます。資本主義社会の負の面を見過ごすことなく、未来の社会への教訓としたいものです。 
          (恵)

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お役人的人事異動

 最近、何が驚いたといって、神奈川県警の腐敗堕落ほど驚いたことはありません。もちろん警官も人の子、犯罪を侵すこともあれば地位を利用して甘い汁を吸うこともあるでしょう。問題はそれが発覚したときの処理の仕方であり、神奈川県警は最も悪い処理方法を取りました。この外部に隠すという行動様式は多かれ少なかれ組織にはありがちなものですが、そのために警察が組織的犯罪を侵したとあっては、もう税金泥棒状態です。
 そしてこれはまた、今のお役所にある程度当てはまるものでもあります。自分たちの既得権を守るためには、情報を隠し、嘘をつき、そして犯罪を侵す。さらに、内部の結束を乱したり外部に情報を漏らすと、排除の対象となります。それはまるで、学校でのいじめと同じです。そんなわけで、お役人の行動様式は、まるで判で押したようになってしまうのです。
 くだんの神奈川県警では、最も責任のある当時の県警本部長、渡辺泉朗がその後あろうことか警察大学校の校長になっています。これはもうマンガ以外の何ものでもありません。さらに2月に退職しているので、何のおとがめも無しで終わるのです。もちろん刑事責任
(犯人隠匿とかで在宅起訴のようですが)は問われますが、退職金は懐に入れているし、年金だってあるし、ひょっとしたら天下り先もあったのでしょう。盗人に追い銭です。
 このようにお役所の人事異動は、その役職をたらい回しにすること、その任にある期間前任者にならい無難に過ごすこと、対外的責任はすべてうやむやにすること、等によって成り立っています。そしてこれこそが、私たちにはかりしれない災厄をもたらしています。例えばそれは、薬害エイズといった形で姿を現し、元厚生省生物製剤課長の郡司篤晃氏という人格として対面できます。
 こうした弊害はさらに、裁判所においても繰り広げられています。この間、裁判の長期化が問題となっていますが、その原因の一つに裁判官の頻繁な転勤を上げることが出来ます。判決を書いてからの転勤なら、後任裁判官がそれを読むことになりますが、まだ影響は少ないと言えます。審理は終わっているのに、4月の異動をはさむために結審を引き伸ばされたりしたら最悪です。
 実際こういうことはあるのです。兵庫県食糧費違法支出返還請求訴訟は、来年2月末に最終準備書面提出となります。普通はそれで結審なのですが、4月にもう一回廷入るだろうと言うのです。それは判決を書くことになっている裁判官が異動の予定だからです。こうなると、代りにやってくる裁判官は記録を読むだけで判決を書くことになります。
 この裁判では何人もの県職員が証言台に立ち、食事をすることも飲酒をすることも仕事だと言い張りました。もちろんそれは記録としては残っていますが、法廷でのやりとりをその雰囲気まで再現することは出来ません。何だこれは、と言いたくもなります。まれには質の悪い裁判官が転勤して良かったいうこともありますが、頻繁な裁判官の異動は裁判を受ける権利の侵害であり、当の裁判官にとっても負担を増すだけです。そこで一句、「お役人 たらいを回し 逃げてゆく」
          (晴)

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みんなちがって、みんないい

「 わたしが両手をひろげても、
  お空はちっともとべないが、
  とべる小鳥はわたしのように、
  地面をはやくは走れない。

  わたしがからだをゆすっても、
  きれいな音はでないけど、
  あの鳴るすずはわたしのように
  たくさんなうたは知らないよ。

  すずと、小鳥と、それからわたし、
  みんなちがって、みんないい。 」

 この詩を書いた、かねこみすずさんは26歳の若さで亡くなったそうです。そして今、彼女の詩の深みが評価されているようです。この詩を聞くと、とても心がゆったりとして勇気づけられると、時田直也さんも歌声にして紹介してくれました。
 時田直也さんとは、娘の通う高校で出会える機会がありました。「盲目のバリトン歌手」という案内に魅かれ、迷わず私もふれあいコンサートに参加しました。神戸市で生まれ、生後6ヶ月で未熟児網膜症と診断された時田さんは、ある日お父さんに抱かれ小高い丘に登ります。生まれてから回りのことに反応しなかった時田さんが、そよ風が吹いてきたその瞬間、お父さんの腕の中で手足をバタつかせたそうです。
 コンサートの曲名も、海、風、木陰など自然に関連するものが選ばれています。ピアノを演奏しながら、力強い歌声を響かせる時田さんに、人の持つ可能性の限りないものを感じました。高校1年生の授業の一貫として行なわれたコンサートは、多感な世代に何かを感じさせてくれたと思います。
 久しぶりに、きれいなピアノのメロディーを聞き、充実した時間を過ごせました。音楽療法と言われることが何となく解かる気がしました。懐かしい山口百恵の曲にはしんみりとし、実家の母を思い浮かべました。又、テレビでよく顔を見るスマップの歌詞は、時田さんが歌うと重みを感じ、互いを励まし合う
友情がテーマだったことにも気づきました。
 時田さんが願う、目が見えないことを一つの個性として、オジリナリティを確立したいとすることは、現実の社会では困難なことです。障害を持つことがハンディにならない社会の実現には、どうしても経済体制がネックになってきます。そして、画一的な教育では個性そのものも認めません。みんなちがって、みんないい…自分自身を大切にすることから出発するのではないでしょうか。
  (恵)

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商工ローンを支えたのは銀行?

 「夜逃げ屋本舗」は、ローン返済が困難になり窮地に陥った債務者に、夜逃げを手助けするというストーリーのテレビドラマです。悪徳業者が迫ってくるのを間一発で逃げる場面では、はらはらドキドキしながら、いつのまにか痛快な気持ちになっている自分に気づきます。
 テレビドラマでは、破産宣告をし自己破産が認められ、転地で再出発が出来るという結末ですが、現実は厳しい取り立てに自殺者まで出ています。元社員の恐喝未遂事件で問題になっている商工ローン最大手の「日栄」は、あまりの悪徳に被害者が救済を求め、事実が明らかになりました。何らかの行政処分が出されて当然ですが、警視庁生活経済課は、本社と関連会社の役員を一斉に事情聴取する方針を固めたと報道しています。
 「あんたのだんなは『死んで保険で払います』って言うてたで」と、神戸市中央区の復興住宅に住む女性は、夫を亡くした後、「日栄」の担当者から信じられない話を聞いたと訴えています。「日栄」だけでなく各種商工ローンで総額1億円以上の負債を負い、自己破産した男性は「銀行取り引が中止されたときに『1時間あれば、現金を振り込む』と勧誘を受けた。支払いを逃れ、息子の家に身を寄せていたとき、死のうと思った。私の人生は、商工ローンの利息を支払うためにあった」と、当時の胸の内を明らかにしています。
 出資法によると、年率40%の利息でも違法にならない現行の制度では、利息だけでも返済に追われてしまうことでしょう。しかし、もっと高い年率で利息が特例として認められている場合があります。阪神・淡路大震災以降、年率109・5%の利率が特例で認められている「日掛け」業者ですが、こちらの被害も急増しているのは言うまでもありません。
 こんな苦悩の日々を送ってきた債務者に、心強い味方が出来つつあります。11月8日弁護士・司法書士らが対策会議を開いた他、15日には多重債務者の生活更生を支援するグループが発足する予定。しかし、たとえ 「日栄」が処分を受けて業務停止になっても、金融政策や銀行の貸し渋りが変わらない限り、「第2の日栄」に借りなければならないのです。
 阪神・淡路大震災の被害と密接に絡み合う、県内の商工ローン問題。避けられない天災による被害の負債には、行政が救済措置を取るべきだったのではないでしょうか。銀行が零細企業に融資を断わり、「日栄」のような悪徳業者に多額の融資をするとは、腹立たしい思いです。これなら、わざわざ税金を使ってまでも、銀行に援助する必要はないのではないでしょうか。 
        (恵)

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軽々と飛び越えろ

 今や瀕死の司法の現場から、ようやくにして「日本裁判官ネットワーク」という一つの動きが立ち現れました。彼らの声は「裁判官は訴える!」という本となり、その内容は本紙前号においても紹介されています。彼らが現在司法の最良の部分であることは確かだと思いますが、そのひ弱さにため息が漏れそうです。
 そしてまた、彼らの悲壮な使命感、家族や自分の私生活を犠牲にしてまともな裁判を維持しようとする姿勢が、最高裁を頂点とする現在の悪しき司法制度の一端を支えてしまっていると指摘せざるを得ません。言うまでもなく、権利は主張と行動を通じて獲得するものであり、愚痴をこぼすだけでは何も解決しないのです。
 例えば、事件の現場を自分の時間を犠牲にして私的に自転車で検証する「サイクル検証」はどうだろうか。事件現場を検証することがどうしても必要なら、なぜ正式にやらないのか。過密な裁判をこなせなくなるから駄目だと言うのか。だがしかし、必要な検証を私的にやってしまうことは、必要な検証を抜きで済ませる裁判の現状を許すことにならないか。検証が必要なら断固として実施することこそ、より良い裁判を実現する道ではないでしょうか。
 また、「野鳥の会」や「アムネスティ」への加入を躊躇した裁判官に対しては、なんと言えばいいのかその言葉もありません。あえて言えば、勝手にうじうじしていろという言葉しか浮かびません。彼は裁判官の市民的自由の狭さを嘆く前に、自らが自分の周囲に築いてしまった壁の厚さに気付くべきです。アムネスティの活動に共鳴するなら、その活動に加わればいいのです。それによって上司の覚えが悪くなるのは困るというのであれば、アムネスティのことはすっかり忘れるしかありません。
 彼らは主に40〜50代の中堅裁判官ということですが、それより一世代若い寺西さんがその壁を、いとも軽やかに飛び越えて見せたではありませんか。更に神坂さんは、最高裁が外部との間に築いた司法の砦を、正面突破しようとしています。こうした状況の中では、彼らは遅れてきた人々なのです。
 日本裁判官ネットワークはその規約のなかで「本ネットワークは、政治的または労働組合的性格を有しない」と表明しています。しかし、裁判官のおかれている状況からは、彼らが団結してその要求を最高裁に突きつける活動、まさに労働組合的活動の必要性が浮かび上がってくるのです。最も、彼らが自分は裁判官であって労働者ではないと思っているのであれば、こうした指摘は何の意味もないのですが。
 ともあれ、どんな形にせよ現在司法の内部からこうした動きが現れたことを、率直に歓迎すべきでしょう。厳しい指摘もその歓迎の気持ちの表明であり、彼らが司法という狭いコップのなかに閉じ込もることなく、当たり前の市民的(本当は労働者的と言いたいのですが)意識をもって、そのネットワークの運営に当たることを望まずにはおれません。
     (晴)


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裏マニュアル

 物事には裏と表、つまりは本音と建て前があります。それは、とても素敵なレストランの裏口が信じられないほど汚らしかったりするようなもので、その裏口さえ見なければ快適な食事が楽しめます。今回の東海村の臨界事故は、そうした綻びから漏れ出した原子力発電の真の姿を見せつけました。
 安全で清潔、二酸化炭素を排出しないので温暖化対策にもなる、これが原発の表玄関に掲げられている言葉です。しかし見学者立入禁止の構内では、雑巾やバケツが活躍しているのです。もちろん雑巾やバケツに罪はないし、掃除をするには最適の道具です。しかし、これがウラン加工や放射能の除染作業に使用されているとあっては、なんとも言うべき言葉もありません。
 ところで本音と建て前の使い分けは、限度を超えないものであれば現実的でもあるし、社会生活に柔軟性をもたらすものでもあります。この世の中、建て前だけではあまりに窮屈です。例えば交通取り締まりでも、スピード制限が建て前通りに行なわれれば交通渋滞を引き起こすかも知れないし、路上駐車をすべて取り締まることも不可能でしょう。重要なのは、建て前を知りつつ適切な判断を下すことです。
 しかし現実社会では、本音を隠すためだけに建て前が叫ばれています。とりわけ政治の舞台では空しい建て前が横行し、もはや誰も信じていないのに議論され続けています。そして何かの弾みに本音が漏れたりすると、今回の西村某・防衛政務次官のようにあわてて目隠ししようとするのです。
 ジェー・シー・オーの裏マニュアルは、実際にはどこの企業、どこの職場にもあるような本音と建て前の使い分けに過ぎません。それが行なわれた場が、まかり間違えばむきだしの原子炉を出現させる職場だったことが、社会を驚かせたのです。外に向かっては企業イメージを高めるために出費をおしまず、内にあっては安全のための出費は無駄とばかりに、安全義務を果たさないのが企業のやり口です。死亡労災が後を絶たないのは、必然とさえ言えるでしょう。
 私の職場、郵便局においても交通事故が頻繁に起こっています。当局もこれには頭を痛めているようです。危険予知とか一斉唱和とか、一方通行を逆行するなとか歩道を走るなとか、耳にタコができるほど聞かされています。それでも交通事故は少なくならないようだし、まれに死亡事故の事例を聞かされることもあります。
 交通法規を守れというのは当たり前のことですが、郵便配達という仕事を考えたとき、バイクを使用している限りそれは不可能なことです。自転車配達に切り替えたなら問題はなくなりますが、それでは郵便を配り切ることはできません。一方通行や歩道でバイクを使用する場合は、押し歩行ということになりますが、これも現実的には無理があります。
 郵便を配達するためには、それ以外にも右側走行なども避けることがでず、どうしても交通法規を守れないようになっているのです。それがわかっていながら、当局は守れもしない建て前を繰り返すことで自らの責任を回避しているのです。つまりそういう場面で事故が起こったら、交通法規を守らなかったのだから本人の責任だというわけです。
 裏マニュアルの存在は、自らの安全を守る知識も術もなく危険な労働現場に投げ出されているという、日本の労働者がおかれた悲しい現実を示しています。ところが裏マニュアルなしに原発は稼動することはできないし、裏マニュアルがあれば原発の安全は存在しないことを、マスコミは伝えようとしません。それはマスコミにもまた、裏マニュアルが存在していることを証明しているのです。            (晴)

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知ってますか? 木炭パワー

 木炭、靴下、コルク、かまぼこ板、ゴムひも、小さじ1杯の塩、これだけのもので何が出来ると思いますか? 木炭の良さが実証され、今や、家庭のなかに少しづつ取り入れられています。洗濯といえば、洗剤が必要と思い込んでしまっている現代人ですが、先程の材料で出来てしまうのです。
 そもそも洗濯で洗剤が使われるのは、界面活性剤の力で繊維に付いた汚れを、繊維から分離して水に流す役割があるからです。その同じ役割を木炭がするとすれば、いやそれ以上に効果があるとするなら、魅力的な天然素材に誰もが注目するはずです。
 水は、クラスター(水の分子集団)が小さければ小さいほど繊維の奥に入り込みやすくなり、集合離散が活発になります。すると、分子の隙間にものを挟もうとする性質が発揮されて、汚れが繊維の中から取り出されやすくなります。木炭には、このクラスターを小さくする働きがあるので、繊維の汚れをよく落とします。塩を入れると、さらに効果的で殺菌漂白作用があるという訳なのです。
 歴史的に見ても木炭の力は実証済みです。1972年、中国・湖南省で発掘された馬王堆古墳は、2100年前のものとは信じられないほど新鮮だったと言われています。発掘された馬王堆公夫人の遺体は、死後わずか4日程度の状態を保っていたというから驚きです。木炭の防腐作用、失湿効果は半永久的ということでしょう。
 ところで、我が家も木炭パワーを利用しています。遠赤外線効果とミネラル分が溶けだすのを期待してお風呂に入れたり、冷蔵庫の脱臭のために入れたりと、何度も使えるので経済的です。一方、農地では木酢液にして、作物に栄養を与え、害虫を駆除するという化学肥料を使わない方法として取り入れられています。
 企業とマスコミは合成洗剤、漂白剤、殺虫剤、抗菌グッズ等と清潔感を強調し、その製品を使えば健康を維持できると宣伝してきました。しかし、人体の性ホルモンを狂わせ、農産物に残存農薬を付け、河を汚してきたことをもう隠すことは出来ません。人工的なものでなく自然の天然素材で代わることが出来るなら、選択すべきはどちらか、言うまでもありません。賢い消費者になって、商品を分析する力を養いましょう。本当に必要なものは何か、見極める時ではないでしょうか。
         (恵)

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被爆労働

 9月30日、ついに日本においても臨界事故が起こってしまいました。爆発(単なる爆発ではなく核爆発)が起こらなかったので、さいわいにも大規模な放射能の拡散は避けられました。それにしても、「もんじゅ」のナトリウム火災の時もそうでしたが、関係者は予想もしなかった事故だと口を合わせるばかりです。
 しかし、こうした事故は外国ではすでに起こっており、どんなに口で「起こってはならない事故」と言ってみても、それを防げるものではありません。起こるということを想定して、どう防ぐか、どう対処するかが問われているのです。日本では「ありえない事故」という願望にすがり続けるなら、この次にはスリーマイルやチェルノブイリ級の事故が起こらないと誰が言えるでしょうか。
 今回の事故は、原子力発電からの撤退こそが最善の道であることを、決定的に明らかにしました。「もんじゅ」がスクラップとなり、核燃料サイクル路線が破綻するなかで、だぶつくプルトニウムを既存の原発の燃料に使うことは危険を増大させるだけだし、経済的にも負担を増すだけです。それは、泥沼に足を取られ、もがけばもがくほど抜け出せなくなり、やがては溺れ死にする道です。
 既存の原発は技術も確立されていて安全性も高いと言われますが、今回の事故を見てもその内実はお寒いものだし、老朽化が進み事故の可能性が高くなったり、廃炉にした場合の解体撤去はどうするのかも難問です。原子力産業がどうなろうとかまいませんが、道連れにされたり、税金をこれ以上食い潰されたりするのはまっぴらです。
 原子力発電の罪は、さらに、それが被曝労働を不可避のものとし、それがもっぱら底辺労働者の犠牲の上に成り立っているという点で重大です。今回の事故では、3名の作業員に原爆にさらされたほどの被曝をもたらし、救急隊員や臨界状態を止める作業に携わった労働者にも危険な被曝労働を強制しました。
 チェルノブイリでは、消火にあたった消防隊員の多くが被曝した結果、その後、長く苦しみ死んでいきました。今後さらに重大事故が起こった場合、誰に犠牲になれというのでしょうか。現在、原発は安全だと言って推進している連中、電力会社やメーカーのお歴々、学会のおえら方、官僚や政治家が、そういう作業にあたるべきではないのか。
 安全だと言うなら、そこまで責任を負うのが筋ではないか。しかし実態は、そういう連中は危険なところには全く近づかないだろうし、電力会社やメーカーの社員だってあまり近づきません。そういうところへは、もっぱら下請け・孫請け、さらに寄せ場などから日雇いでかりだされているのです。
 放射能は色も匂いもなく、目にも見えません。今回のように大量に浴びた場合は別ですが、少しづつならその影響も5年10年しなければ現れません。そうしたなかで、二重三重の犠牲の転嫁を強いることによって、原子力発電は日々稼動しているのです。こんなことは、もうまっぴらです。 
         (晴)

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笑いは心の癒し

 10月に入ってから、西宮ではあちこちで工夫された催し物が開かれています。私も2人の娘を連れて“ふくし縁日”に行ってきました。バザールとミニライブ、そして映画までありの盛りだくさんで、久しぶりにゆっくりと過ごしました。 映画は「パッチ・アダムス」で、実話を元にした心温まるものでした。人生の目的を失い、精神病院に自主入院したパッチは、患者と接する中で、医師の仕事に目覚めます。りすやネズミに被害妄想を抱く患者に、その痛みを共有することで、心が癒されていくのを実感したからです。
 39才という年齢で医科大学に通い、目的達成のために意欲を燃やすパッチ。そんな研修生での病院視察の様子は、笑いあり感動の涙ありで私も場面に釘付けとなってしまいました。子どもの患者には、浣腸具を鼻につけてまるでピエロのようになり、笑いを誘います。子ども達の笑顔は、画面を見ている私たちにも、安堵と嬉しさを与えてくれます。
 生きていること、それがベットの上で延命のために為されているのなら、なんて悲しい空しい生き方なのか。パッチはその為に、患者の夢を聞き出し実現してみせます。日頃、私たちが忘れてしまっていること、つまり自分のやりたいこと、目的に向かって生きているのか? そんな問いかけをされている気持ちになりました。
 病気を治すことが医療に携わる医師・看護婦の仕事ですが、心のケアーもまた治療の大切な部分であることを再認識させられました。例えば、痴呆老人の施設でベットに縛り付けてしまうやり方など、とんでもない人格無視ということになるでしょう。それが、看護婦の人手不足だからという理由だとしても、決して許されるものでは無いはずです。
 死を恐れることはない、充実した人生ならば…。笑いこそが心を癒す。映画の終わりのシーンには、パッチ・アダムスの考えに賛同する医者1000人が病院建設に向けて協力していると報告されていました。あれから20年ぐらい、きっと常識破りの病院が出来上がったことでしょう。
 字幕付きの映画なので、8才の娘にはちょっと難しかったかもしれません。しかし、主催が障害者の作業所とあって、車椅子の人たちと映画を見たり、縁日でにぎわったりで、何かを感じとったのではないでしょうか。私は、久しぶりにすばらしい映画を見て満足しました。医療に携わる人には是非、見てほしい作品でした。            (恵)

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疎外について

 生産者が生産手段から切り放されたとき、自らの生産物への支配力も失います。そして、その労働すらも他者に服属したものとなり、疎ましいものとなります。今日の私たちの労働の性格は、残念ながらおおむねこうしたものと言わねばなりません。
 それでも多くの労働者は、自らの労働になにがしかの意味付与をせずにはおれないので、食べるためだけではない何かを労働に見いだそうとし、それを労働生産物に付与しようともがいています。こうした行為はむなしい努力のようですが、生産者が自らの生産物にこだわるのは健全な意識です。
 『買ってはいけない』がベストセラーとなっていますが、この場合、私たちは消費者という立場からこのブックレットに接近しています。そして、賢い消費者となることによって、儲けるためには有害商品の生産や販売も当然とする企業に打撃を与え、そうすることによって我が身を守ることの必要性を痛感します。
 しかしそこからさらに進んで、労働者(直接生産者)としてはどうなのか、という課題も同時に提起されているように思います。もちろん労働者は自己の労働からも、生産物からも疎外されているのだから、商品に責任を持ちたくても持てないのが現実です。だけど、そう言って済ましていてよいのか、よくないというのが私の結論です。
 自分たちが生産している商品がどんなものなのか、それが自然を破壊したり、人体に害を与えるものではないのか、私たちは考えなければならないと思います。卑近な例で言えば、たばこが人体に有害だということを否定するのは、たばこ産業関係者かたばこ中毒の人くらいであり、こんな有害な産業は消滅すべきものです。
 また、農家が自家消費分は商品作物とは別に、ほとんど農薬を使わないで生産しているというのは、よく聞く話です。スーパーや食品関係の職場でも、自分が働いているところの商品は買わない、ということもよく聞きます。これらは全て、自らの労働が有害商品を生み出しているという自覚がそうさせているのではないでしょうか。
 とりわけ商品の研究開発に携わっている技術者になれば、自分がどんな商品を生み出そうとしているかよく分かっているはずです。彼らが『買ってはいけない』現象をどう見ているか、大いに興味のあるところです。名指しで批判された企業の大多数は無視することによってこの場を切り抜けようとしていますが、内部告発をする技術者は一人もいないのかだろうか。
 労働者が企業に従属し、有害商品の生産に唯唯諾諾と従う時代はもう過ぎ去っています。今は量ではなく質の時代であり、私たちは単に消費者としてだけではなく、生産者としても自らの生産物に鋭い目を向けることを問われています。
           (晴)


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宿泊付き豪華版!学童運営委員研修

 西宮市社会福祉協議会の学童育成課は、年に1度、宿泊付きの運営委員研修を行なっています。夏休み明けの9月の初めの平日、貸し切りバスに片道3時間以上揺られ、保護者代表として私も参加してきました。
 運営委員とは、留守家庭児童の育成センターの運営に関わる者で、地域の民生委員や児童委員、PTA代表、学識経験者などで構成されています。しかし日頃、運営に直接携わる指導員は、運営委員の構成メンバーに入っていません。研修に参加する運営委員の年齢は高く、ともすれば老人会の慰安旅行と言っても誰も疑わないでしょう。
 宿泊先は、人里離れた山間に建てられた宿舎で、研修で詰まっている私たちには、自然の恵みを身体で受けることなく、目だけの保養となりました。なぜ、こんな遠いところまで、来る必要があるのだろうか? 私たちの支払っている育成料を無駄遣いしないでほしい! と思わずにいられませんでした。
 研修は実質、その日の午後と翌日の午前中しか時間が取れず、夜は交流会と称してカラオケ大会でした。食事は、旅館で出されるような豪華な食事で、研修という性格には似合わない気がしました。研修という名の運営委員へのご機嫌とりなら、この食事が必要なのでしょう。
 留守家庭児童対策事業の委託を西宮市から受けて、15周年ということですが、この研修が一応、体裁を整えて来たのはここ2〜3年のことのようです。それまでは、慰安旅行だったのでしょう。今回の研修は、講演と分科会そして全体会と移り、学童に日頃接点の無い運営委員も、何らかの情報を得たのではないかと思います。
 講演者の方が障害者で、生まれつきの病気で骨折を繰り返し、幼少から車いすの生活を強いられている30代の男性でした。ギターを弾きながらのユーモアたっぷりの講演は、障害者への暗いイメージを一掃してくれたと思います。何が出来ない、ではなく何が出来るかが大切、残された可能性を探っていく生き方に、共鳴した参加者が多数いたこともつけ加えておきます。
 西宮市の学童の運営が、近隣の他市と違うところは運営方式もありますが、具体的な保育の内容では、育成料の有料制度、4年生以降の障害者を受け入れないことが上げられます。この件については、分科会で問題提起をし、まずは事実を知らせることを課題にしましたが、理解をしてもらうには長い時間がかかりそうです。こんな研修でしたが、初めて参加し、いろんな意味で勉強になりました。
    (恵)

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健康戦線異常あり

 昨年1年間に人間ドックで健康診断を受けた人のうち、「異常なし」という診断を受けた人はたったの16パーセントだと言います。このショッキングな数字を発表したのは日本病院会ですが、「肝機能の異常や高コレステロールなどの生活習慣病予備軍≠フ増加が最大の原因で、食生活の欧米化や長引く不況によるストレス、飲酒量の増加などが背景にあると分析している」(8月25日付「神戸新聞」)ということです。
 私の職場でも毎年定期健康診断が行なわれていますが、結果が悪くて引っかかり、毎年呼び出しを受けているような人もいます。糖尿病だというのにアルコールと縁が切れない人が何人もいるんだから、健康診断で続々と引っかかるのも当然です。かくいう私も数年前には貧血で、昨年は尿検査で糖が引っかかりました。当然すごく気になったのですが、どちらも一時的なものだったようです。
 最近、私の近辺で同年代の男性がガンで続けて亡くなっています。ひとりは自覚症状があって病院に行ったときはもう手遅れ、一週間で死亡という衝撃的なものでした。もうひとりは、入退院を繰り返した末、ガンが全身に転移して死亡という壮絶なものでした。いつの時代も自然死は困難なものと言うべきか、戦争の時代には兵士が、産業の時代には企業戦士が殺されていっています。
 テレビ番組では毎日のように、この食品が健康によいとか、あの食品がガンを防ぐとか盛んに報道しています。最近もバナナが健康食品であるという番組がありましたが、健康食品というのはどうもうさん臭くていけません。どんなに健康によいからといって、そればっかり食べたり、ましてや高価な錠剤で栄養補給なんて、健康食品産業の陰謀です。
 健康は今や時代のキーワードとなっていますが、本来いろんな食品をおいしく楽しく食べて、バランスよく栄養補給をしてこそ値打ちがあります。水俣病は、その健康を保障するはずだった新鮮な魚介類が、チッソによって有機水銀まみれにされていたために起こりました。最近のガン死の多発も、食品や環境が汚染されていることを示すものでしょう。
 爛熟した社会に生活習慣病≠ェ蔓延するのは、一つの罰のようなものです。人々はその爛熟した生活を改めることなく健康食品にすがり、不安をぬぐい去ろうとしています。これに対して企業は、右手で不健康食品を売りつけつつ、左手で怪しげな健康食品を売りつけています。私たちは健康な生活(過度な労働を排し、適度な運動を行なう)と安全な食品(その入手は困難ですが)を、自らの努力によってつかみ取り、人生を楽しみたいものです。そして願わくは、周囲の人々に見守られながら自然死を迎えたいものです。
        (晴)

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国旗・国歌なんていらない

 日米防衛協力の新指針(ガイドライン)関連法が成立し、その後、国旗国歌法までいとも簡単に成立してしまいました。なぜ世論がもっと巻き起こらなかったのか、戦争体験者からの教訓は若い世代に通じなかったのか。賛成派の意見を聞きながら、ちょっと考えてみました。
 「平和・自由を形式的に守ろうとするあまり、狭い考えにとらわれているのではないか。例えば国旗国歌法。心の自由が大事とはいえ、伝統ある日本人の誇れるものを尊重することはいけないことだろうか。教育現場で強制に近いことが起きるのを危ぐするが、もう少し日本を誇る姿勢を養うことが教育には必要だと考える」
 この意見は神戸新聞に寄せられて紹介されたものです。26才男性の公務員からのものですが、なぜ日の丸・君が代が伝統ある日本人の誇れるものとして、認識出来るのか、不思議です。そして日本人の誇る姿勢を養う前に、過去の歴史を振り返り、現在のアジアへの経済侵略をも含めて考えてみるべきです。日本人の手によって、支援という名の人権抑圧・自然破壊が為されている現実に、目を向けるべきです。
 もう1つの意見は50才代の男性です。「日の丸・君が代に反対することは、過去の歴史にふたをすること。日の丸・君が代は 『懺悔(ざんげ)の十字架』として、国がある限り永遠に背負っていくべきもの。消し去ることを戦争の反省の前提条件にすることは間違っている」
 国旗・国歌に反対することは、決して過去の歴史にふたをすることではありません。むしろ、ふたをしたいのは政府の方でしょう。過去を蒸し返すことは当然、戦後補償の問題が浮かび上がって来るからです。正しい歴史認識をすれば、日の丸が国旗などという無責任な考え方は出来なくなってきます。反対することは、国家の抑圧に対抗していくことだと捉えてほしいと思います。
 ロック歌手の忌野清志郎さんが、パンク調にアレンジした「君が代」が発売中止になりました。その理由は「国論を二分している重要事項に関して、一方の立場に立つような印象を与える恐れがある」とポリドールは説明しています。歌詞もメロディーも変えていない、歌い方に工夫がしてあるらしい。国歌となった今、庶民に親しまれる良いきっかけかもしれないのに…と嫌みも言いたくなります。
 気になることですが、賛成でもない、反対でもないという傍観者的な態度をとる人が多いことです。これは、あまりにも無責任です。国家の方向性が一方的に決められてしまうのですから、なんらかの意思表示は必要です。
           (恵)

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屋外で働くということ

 労働には部屋の中での労働と部屋の外での労働、もっぱら頭を使う労働と身体を使う労働とがあります。それぞれの組み合わせによっていろいろな労働がありますが、私の仕事、郵便配達は100パーセント体力勝負の屋外労働です。
 屋外労働の辛いところは、暑さ寒さの影響をもろに受けることです。部屋の中なら暖房もあれば冷房もあります。雨に濡れることもないし、風に吹かれることもありません。さらに、排気ガスに苦しむことも、交通事故の危険にさらされることもありません。
 屋外労働でも雨が降れば休みになるとか、ヘルメットをかぶらなくてもいいとか色々ありますが、郵便配達は余程のことでもない限り休みにはなりません。当地では冬場に雪でも積もれば待機となりますが、そんなことは年に1度あるかないかです。
 辛いのは冬の指が凍える冷たい雨と、梅雨時の雨で合羽を着なければならないとき。真夏なら、もう合羽は着ていられないので、思い切って濡れてしまえば大したことはありません。それより夏場に辛いのは、ヘルメットをかぶらなければならないことです。これは自分の身を守るためだから、どんなに暑くても我慢しなければなりません。
 ようやくこの辛い夏場も盛りを過ぎましたが、最近の昼休みの休憩室はひどく静かです。話し声もあまり聞こえず、畳の上でもソファでも大方ダウンしています。私の昼休みは読書の時間ですが、あんまり読み進むことが出来ません。みんな疲れ果ててしまっているのです。
 ところで郵便局ではあれはダメこれはダメとうるさいのですが、最近、配達中も(局内では以前からダメだと言っていた)タオルを首にかけるなと言い出しました。見苦しいということだろうけど、肉体労働者にとって夏のタオルは必需品です。それは首にかけておくのが最も便利であり、自然でもあるのです。
 これをダメだと言いだした根拠は何か。どうせ利用者から苦情があったからだろう。職員が汗まめれになって働いているんだから、そんな苦情がきても管理者としての適切な判断があるだろうに、何でもかんでもお客様は神様ですというのが連中の姿勢です。利用者に頭を下げた分、部下に威張り散らす。そんなところでしょう。
 だけど、屋外労働にもいいこともあります。もう少し我慢すれば秋になり、ほんの短い期間ですが外の仕事が楽しくなります。汗もかかないし寒くもない、外にいるだけで気持ちが浮きたつのです。この気分はとりわけ冬の寒さが和らぐ頃に、より強く感じます。
 肉体勝負の仕事は、夏をあえぎながらやり過ごし、その疲れは秋の優しさで癒す、そういう仕事だと私は思っています。その秋はもう少し我慢したら、またやってきます。
              (晴)

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