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「有機農産物」の表示制度


 「無農薬」「有機栽培」、最近では「オーガニック」と、店頭に並ぶ食品の表示に戸惑うことがあります。今年、4月から「有機農産物」の表示制度がスタートしたものの、期待したものになるのでしょうか。
 欧米では既に、厳しいチエック体制のもとで定義づけが行なわれています。「オーガニック」の定義は「完全有機の」という意味で、その表示をするには6つの規格が義務づけられます。1、3年以上農薬をいっさい使っていない。2、化学肥料も3年以上不使用。3、いっさい添加物不使用の作物。
 さらに、牛・鶏などの畜産物は、4、一定以上の広さで飼育。5、抗生物質や成長ホルモンなどの不使用。6、保存・輸送のときいっさい薬剤を使用しない、と徹底しています。そして、第三者の「認定機関」が審査して、認定するというシステムです。
 では、日本版「有機農産物」表示制度の中味はどんなものでしょうか。3種類の農産物が規定されています。有機農産物ー原則として化学合成農薬、化学肥料及び化学合成土壌改良資材を使わないで、3年以上を経過し、堆肥による土づくりを行った栽培場において収穫された農作物。これなら安心と思ったのですが…。
 大きな落とし穴がありました。無農薬栽培農産物ー農薬(化学合成もの、天然物由来も含む)または化学肥料を、当期においてのみ使わずに栽培された農産物。有機農産物とは異なり、前作までの農薬などの使用状況は問わない。つまり、その年だけ農薬を使用しなくて可というわけです。
 もっと、消費者を混乱させるものには、減農薬栽培農産物ー化学合成農薬または化学肥料の使用を、同じ地域の同じ時期に慣行的に使われる回数または量の5割以下に減らして生産された農産物。慣行的に使われる回数、量という曖昧なものなら、通常に多く農薬を使っていれば、5割以下でも減農薬になるのか疑問が残ります。
 欧米の「認定機関」に代わる、チェック体制がどれほどの実力を発揮できるのでしょうか。更なる購入する側の厳しい監視が必要となってくるのかなと思います。複合農業(トウモロコシのカスや広葉樹のオガクズを発酵させて、良質な堆肥に変え畑に還元していく)を目指しているベンチャー企業の紹介記事などを見ると、何かほっとするのは私だけではないのではないでしょうか。
    (恵)

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公務員の倫理


 公務員と倫理、これほどそぐわない言葉はありません。とりわけ高級官僚には倫理感が欠如している、というか、倫理観の欠如こそが高級官僚になる条件だと言うほうが、実態に即しているでしょう。ただ、その実態は隠されていて、私たちの目に触れないようにされているので、彼らは君子のような顔をしていられるのです。
 その彼らが、この間の不祥事の相次ぐ発覚で、すっかり浮き足立っています。こういう場合、ある程度の尻尾切りを行なって、その後に収拾をはかるという手が使われます。実際にも何人かの官僚が切られ、綱紀粛正の声が上がり、あとは時間が経てば忘れ去られて、いずれはもとの鞘に収まるという筋書きが実行されつつあります。
 3月31日、人事院が国家公務員の倫理法違反に対する懲戒基準を作成したとの報道がありましたが、これなども、決して本心からではなく、とりあえずそれらしいポーズをしているだけです。そこには、利害関係者から接待を受けたり金品を受け取ったら免職か停職、接待ゴルフを受けたら減給か戒告、飲食第のつけ回しも減給以上の処分、等とあります。これは、こうしたことが日常的に行なわれているということを告白するものであり、これまでばれなければおとがめなしだったということでもあります。
 これは月並みな結論だけど、官僚には自浄能力がないということです。ここに外部監査や、例外なき情報公開の重要性があります。ほっておけば、警察だろうと裁判所だろうと、およそお役人というものは腐敗堕落するのです。権限や利権が大きければ、それだけよけいにひどいものとなるのです。
 そういう法則からすれば、およそ利権とは無縁な私の職場、郵便局でも「4月1日から、国家公務員倫理法等が施行されます。この法律は、公務員不祥事が相次ぐ中で、公務員に対する国民の信頼を確保するために制定されました」という周知がありました。さらに、綱紀の厳正な保持について「職務上利害関係のある業者との接触に当たっては国民の疑惑を招くような行為は慎むようにしてください」とまで言っています。
 しかし、一介の郵便配達員にどのような便宜供与の権限があると言うのでしょうか。職場のみんなは、そんなことはもっと上の連中に言え、実際に利権をむさぼっている連中を何とかしろ、とこの場違いな周知に腹を立てています。最も郵便局においても、貯金や保険での使い込みや郵便での書留の詐取は結構あります。それは職場が病んでいることの証明でもありますが、悪事は必ずばれて報いを受けています。
 それは、切羽詰って魔が差した犯罪、庶民の生活の中ではどこにでもある悲しい風景に過ぎません。現場労働者はその間違いによって全てを失い、確実に失業者となります。それにひきかえ、はるかに組織的に大きな犯罪を犯している官僚がさしたるおとがめもなしにのうのうとしているのは、余りに公平を欠いているのではないでしょうか。
           (晴)

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被害者と加害者


 桜のつぼみも開き初め、コートもいらない季節になりました。暖かさに誘われ思わず外に出たくなってしまいます。幸い、我が家から歩いて10分ぐらいで桜の並木道が、目に入ります。有珠山の爆発で避難されている住民の方には、申し訳ないですが、平穏な生活を送っている自分自身に何か安堵を覚えるこの頃です。
 私自身の生活にはこれといって変化はありませんが、子どもたちの新学期の様子や、新社会人になった長女の出来事に一喜一憂の日々です。例えば、年齢80歳の社長直々の熱の入った研修講和や、ボーナスが年3回支給される給与システムなど、好印象を受けてしまうのですが本当の所はどうだろう? と思ってしまいます。
 そういえば、私の頃はどうだったんだろう。高校を卒業して、親元を離れ寮生活で夜間の短大に通っていた私ですが、楽しかった思い出ばかり残っています。仕事も大学の事務職の書記補という待遇で、民間で働き始業時間ぎりぎりで夜間に通う仲間と比べると、恵まれた環境だったと言えます。その当時、まだまだ労働者という自覚もなかったのですが…
 今更言うことでもありませんが、私たち労働者の家庭では、働くことでしか収入を得ることが出来ません。一方、農業で生活を支えている人たちには、土地が必要不可欠のものです。その土地が奪われてしまうとなったら、当然、死活問題となります。
 沖縄の反基地闘争では、戦後まもなく米軍が住民から巧妙に土地を奪っていく映像が、記録フィルム(※)に残っています。しかし、土地が無ければ生きていけない住民たちは、泣き寝入りせずに土地を取り戻すために命をかけて闘います。伊江島では当初、島全体の63%を占めていた基地が、復帰直前には32%までに縮小させることができたのでした。
 96歳になられる阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)さんは、この伊江島で中心になって反基地闘争に取り組みました。映像から流れる語り口調からは、常に冷静さを保ち相手を説得する姿勢が伺えました。反基地闘争を被害者の立場でなく、加害者の立場から捉えようとする視点に、反戦思想を貫く強さを感じずにいられません。
 教えられなかった戦争と題した記録映画は、まさに、正しい事実を伝えていくことの大切さを物語っていると思います。「国旗・国歌法」の成立も新ガイドラインも、米軍と日本政府が企んでいる、アジアいや全世界への経済進出ということこそ事実なのです。私たちは、加害者という立場であることを認識すべきではないでしょうか。
      (恵)
(※)記録映画「教えられなかった戦争・ 沖縄編」ー阿波根昌鴻・伊江島のたたかい

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国会中継


 先日、献血をしながらひま潰しに国会中継を観ました。参議院の予算委員会で、共産党の笠井亮氏、社民党・護憲連合の照屋寛徳氏、自由党の田村秀昭氏らが質問していました。社共の二人は自衛隊や警察の不祥事ーそれは腐敗堕落した組織の内情が何かの弾みに漏れ出たものに過ぎないのですがーを追及していました。そして、田村氏は「防衛庁を防衛省に」なんて言って小渕首相を喜ばせていましたが、さすがに小沢の党の議員だと感心してしまいました。
 保利国家公安委員長は公安委員会についての質問にすらまともに答えられず、警察庁長官に答えさせていました。これによっても、公安委員会が警察の言いなりになっている様子が見て取れます。保利はその事実を認めないし、小渕はそんな保利を辞めさせようとはしません。彼らには恥という言葉がないのでしょう。
 小渕はさらに、地元の群馬県公安委員から献金を受けていたことを追及され、答弁に詰まって一瞬うろたえていました。なかなかおもしろい映像でしたが、彼は官僚などの取り巻きが供給してくれる文書がなかったらまともにしゃべれない市井の老人に過ぎないようです
 この日、参議院が2千年度国家予算案を可決し、昨年度に続き戦後最速で新年度予算が成立しました。そこではたと気づいたのですが、予算委員会というのは予算案を審議するところではないのか。いかに今問題となっているとはいえ、予算と直接関係のないことを論議しているのか。それとも予算案は審議し尽くしたとか、もう何の問題もないと言うのか。公安委員会や官庁の腐敗堕落については、もっと本格的に審議する場を設けるべきではないのか、等々の疑問が湧いてきたのです。
 同じ日のサンケイ新聞の社説は、「違法射撃ー無視できない自衛隊官僚化」と題してこんなことを主張していました。「自衛隊が一般社会と区別される最大の特徴は、公然と武器を携行していることである」「われわれ国民が自衛隊に求めるものはまず、精強さである。軍隊、自衛隊は国家のアクセサリーではない。存在することに意味があるのではなく、百戦して百勝する精強さがなければ、存在価値が消滅するのが国家の武力集団であるはずだ」「武力集団が官僚化すれば、モラルもモラール(志気)も沈滞し、相対的に精強さが下落していく」
 何度読み返してもすごい内容です。これは右側からの国家機構の腐敗堕落を嘆く声です。武器を粗末に扱ってはいけないという言葉は、それに天皇から賜ったものだという言葉が付け加われば、そこに一挙に旧軍隊が復活するでしょう。自由党の田村が防衛庁の格上げを要求し、自衛隊機の墜落事故で死亡した自衛隊員を賛美するのも、同じ脈絡から出てきています。
 そしてさらに、防衛庁が日本有事などで武器を使用する際の基準となる「交戦規則(ROE)」の策定を開始した、との報道も同じ日にされています。日本の官僚機構は限りなく腐敗堕落を深めつつ、なおさらに自らの権力強化、権限拡大に邁進しているのです。国会論議もまるで茶番と化し、小渕のごとき無能な人間がのうのうとして権力を行使できるのも、多くの人々が無関心となっているからです。
 とりわけ自衛隊や警察機構はこれまで聖域とそれ、監視の目が届かなかった分やりたい放題だったのですが、その壁もようやく崩れかけてきました。例えば、宮城県警の出張旅費の情報開示を求めた裁判で、仙台高裁が一審判決を取り消して原告が逆転勝訴になっています。このように今は無理だとしても、いずれは実現する可能性があります。とりあえず、ひま潰しでもいいから、たまには国会中継も観てください。
             (晴)

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子どもは社会の子


 少子化で小学校の児童数は年々減少しています。それなのに、放課後、学童保育に通う留守家庭の低学年児童は増えつつあります。西宮市でも受け入れ定員オーバーで、4月から新1年生15人が待機の予定になっています。待機することが働く母親にとって、どんなに深刻な問題なのか、市の児童育成課は早急に対応を考えるべきだと思います。
 児童育成課に任せておけないと、自分たちで事前に保育所を回り、新1年生の学童保育希望者数を調べたお母さん達がいます。その結果、希望者数が定員を大幅に超えるとわかり、昨年11月頃には希望者全員を受け入れるよう施設改善、対策を要求する署名や議会に陳情を働きかけたのでした。
 これまで定員60人でその1割増まで可能としてきた条例は、「入所児童が著しく増加した場合、60人を超えて定員を定めることができる」という緊急特例が追加されたのです。今年4月からは、定員60人に新1年生を含めて79人の希望者を、小学校の空き教室を転用して受け入れるという、成果に結びつきました。
 ところで、男女共同参画社会の実現が問われるなか、子育てが母親の役割であり、子どもに問題があれば母親の責任、という社会通念はまだまだ残っているのが現状です。保育所・学童に入所条件があること自体、各家庭での子育てを強いられているということでしょう。母親にとっても子どもにとっても、色んな大人や子どもに出会うことは、刺激になり学ぶべきことが多々あると思います。児童虐待をふせぐためにも育児の社会化の必要性を今更ながら感じます。
 男性が長時間の仕事を強いられている限り、子育てや家事を分担することは時間的にも無理があります。しかし、男性自身も自立することーつまり経済的に自立していても生活していく能力がないーをこれからの人生のために必要だと気づくべきだと思います。
 男女共同参画社会の実現に向けて、男女の意識改革が先なのか、社会のシステムの改革が先なのか、困難な壁が幾つもあるのが現状です。しかし、社会は確実に女性の職種を増やしてきているし、男性を頼らずに経済的自立をしている女性を増やしています。
        (恵)

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ワークシェアリング


 一方に働きすぎて死にかけている労働者がいるのに、他方には仕事がなくて死にかけている失業者がいる、この世はなんて不合理なんでしょうか。これは足して2で割ればちょうど程々の状態になるわけで、そのくらいの判断は小学生でもできるでしょう。しかし現実には、それを許さない多くの障害が立ち塞がっています。
 まず第1に、これは労働現場での問題なので、企業にとってそれが利益になるのかという思惑が先行します。同じ賃金で20人に10時間働かせるのと、25人に8時間働かせるのではどちらが得か、福利厚生とか増員によって増える出費を考えたら、労働者に2時間の残業をさせたほうが安上がりだと判断するでしょう。ここに超えがたい大きな壁があります。
 もう一つの壁は労働者のなかにあります。ある程度の残業をすることによって、ようやく満足できる賃金を得ている労働者にとって、残業分を失業者に供出する、さらには基本賃金を削ってまでそうすることに、多くの労働者は応じられないでしょう。そうしたような事情があって、ワークシェアリングはかけ声ばかりでなかなか進みそうにもありません。
 それじゃ公共機関が率先してというわけで、兵庫県が正職員の超過勤務カット分で属託職員を雇うことにしました。ボーナスはないが賃金は正職員と同程度で、週4日30時間働いて15万5千円程度だそうだ。兵庫県が1年間に支給する超勤手当は44億円にものぼり、属託職員の雇用によって県はこれを半減させようとしています。
 しかしなぜ正職員の増員による超勤の削減でないのか、もちろんそれは属託職員のほうが圧倒的に安上がりだし、1年契約で簡単に切り捨てることもできるからです。それでも今時の求人難を反映して、120名の募集にあっという間に1200名を超える応募があったそうです。兵庫県当局はさぞかし満足していることでしょう。
 ところで自治体労働者は日常的にどの程度の超勤をしているのでしょうか。その数字を明らかにする資料を手元に持っていないのでわかりませんが、一つの例を挙げることができます。ずいぶん極端な例ですが、オンブズマン活動によって明らかにされた公務労働の一面(親方日の丸という奴です)を紹介しましょう。
 神戸市内の各区にあるごみの収集・運搬を管理する市環境事業所で働く総作業長(係長級)に、年間1200〜900時間分の超勤手当が支払われていたのです。これは月額にすると30〜40万円になります。しかし年間1200時間の超勤というのは、月に100時間、休日労働を何日かこなしたとしても毎日何時間かの超勤をしないとそんな時間数にはなりません。
 これは数字だけから見ると激務であり、下手をすると過労死するのではないかと思われますが、案外のらくらした仕事でおいしい超勤だったりするのです。これで年収が1300〜1500万円だというのだから、総作業長になったら笑いがとまらないと言うことのようです。なお、この実態に対する神戸市当局のお言葉は「勤務は実態に即したもので、おかしな点はないが、勤務時間を縮減するよう努めたい」というもので、何とものどかなお役所ではありませんか。
 結論。こんなに極端な例は別としても、労働の分かち合いというのは単に時間の割り振りの問題ではなく、働き方にまで関わるものです。それは、女性や臨時労働者の劣悪な労働条件の上にあぐらをかく正規労働者の既得権に手をつけるものです。言い換えれば、これまで労働組合の埒外に置かれていた労働者の権利拡大によって、労働の分かち合いは実現へと向かうのではないでしょうか。
           (晴)

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法制化で強気の校長


 日の丸・君が代が強行に法制化され、今年の卒業式は例年にも増して、嫌な予感がしていました。先日、娘が持ち帰った学校からの便り(全校生徒に配布)には、卒業式に向けて校長の見解が述べられていました。
 「国会でも審議され、法制化された国旗・国歌の問題は、今年度より本校でも指導要領に記されているとおりに掲揚し、斉唱いたします。21世紀を羽ばたく子どもたちが、自分の国を愛し、他の国を尊敬できるようになってもらいたいと願い、実施いたします。ご理解・ご協力の程よろしくお願いいたします」
 6年生の娘に、君が代のことで担任の先生から説明があったかどうか聞いてみました。「君が代は天皇家がずっと栄えるように歌ったもので、嫌やったら歌わんでいい」ということだったらしい。なぜこんな歌が卒業式に必要なのか? 主人公は一体誰なのか、問わずにいられない。
 自分の国を愛し、他の国を尊敬する? こんな美辞麗句を子どもに言って聞かせても、上辺だけのことに過ぎないのは分かり切ったことです。アジアの人々に対し、心からの謝罪と戦後補償がなされないまま、日本に住む韓国・朝鮮人への差別を温存し、どうして尊敬することができるのでしょう。同時に、 「日本の国を愛する」と言うのなら、まず先の課題を片づけなくてはなりません。
 校長の一方的な日の丸・君が代の押しつけに、腹立たしさをどうぶつけていくか、思案しているところです。要求としては、日の丸・君が代についてどう取り扱うか、親・教師・子ども達に意見交換する場を持ってほしいということ。そして、たとえ法制化されたからといっても、憲法の「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」を武器に、押しつけが不当であることを訴えていくこと。
 外国ではどうでしょうか。学校行事で国旗・国歌を強制している国は、いわゆる先進国では無いようです。それには教育内容は、国家権力や宗教から独立してより科学的・学問的な真理に依拠した自由・中立なものでなければならないという考え方がとられているからです。他方、植民地支配下におかれていたベトナム・タイ・スリランカなどは、独立運動のなかで親しまれた国旗・国歌を学校行事でも扱っているようです。
 入学・卒業毎に、嫌な思いをさせられながらも、子どもの成長を見守ってきました。後、何回か付き合わざるをえませんが、親の立場で何らかの抵抗はやっていきたいと思っています。やがて、中学・高校になり、生徒たちの側から積極的に考え、判断する土壌を築くためにも、ささやかな抵抗は必要かも知れません。
         (恵)


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「環境レポート」から


 高校生の娘は、「環境レポート」やらの課題があるらしく、日頃になくせっせと10枚のレポートに取り掛かっていました。環境をテーマにするとは、なかなか良い課題だなあと、私は出来上がるのを心待ちしていました。娘はゴミレポートを選び、市の回収する資源ゴミを調べ、回収されない生ごみに焦点をあて、生ごみの堆肥化について報告していました。
 かつて、我が家でもべランダにバケツを置いて、堆肥を作ることを試みたものでした。しかし、それは失敗に終わりました。その後、何度か情報を得る機会がありましたが、実行に移っていません。確かに生ゴミが資源になれば、ゴミの減量は大幅に進むに違いありません。
 もう一人、この「環境レポート」に取り組んだ隣の娘さんは、食品添加物をテーマに選びました。彼女の参考資料を探す手助けをしている時、私は天然添加物という用語に出会いはっとさせられました。人間が造り出した人工着色料や甘味料には、注意深くなっていますが、天然という言葉に安心してしまっていた自分に気づかされました。
 さっそく、天然添加物の定義や評価について調べてみました。天然系の添加物はその原料である素材が、長いあいだ食用として、広く利用されてきたという点で、合成系の添加物より問題がすくないと考えられてきました。
 しかし、現在の天然添加物は、化学工業的な手段によって原料素材から成分が抽出されています。たとえば、着色料、香辛料、香料に使用されるウコンはショウガ科のウコンという植物の根茎を乾燥したもので、主成分はクルクミンという物質ですが、現在では、エタノール、油脂または有機溶剤で抽出されています。
 ここまで書けば、もう評価は言うまでもないでしょう。科学物質は抽出、精製、加工する過程で、食品の中に混和、添加される過程でもさまざまな操作が加わります。人工添加物と同様、発ガン性、催奇性、アレルギー性など人体への影響は疑わざるを得ません。
 日本の天然添加物は466品目、それに比べECは55品目(95年調べ)。この数字は、続々と新規な人工食品科学物質の認可を下す厚生省に、責任を問わなければなりません。冷凍・真空パック・くん製などは、保存料を使わずに品質を保つ事が出来るはずです。彼女たちのレポートで、私も一つ物知りになりました。
        (恵)

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時効成立


 「グリコ・森永強迫事件」に関わる全ての事件の時効が成立し、この不可解な事件はついに闇の彼方に葬り去られてしまいました。この事件に限らず、世に不可解な出来事はいくらでもあるし、解決のつかないことも幾らでもあります。何か裏の世界や権力が介在したような事件もあるし、真相の追求を故意にさぼっているとしか思えないものもあります。
 この事件にも私たちの想像しえない大きな力が作用しているのかも知れませんが、差し当たって私たちとは違った世界での利害対立のようで、その時効成立も特に関心を引くものではありません。それより、もう10年以上前だったか喫茶店で会議をしていたとき、突然警察が来てN君に職務質問を始めたのには驚きました。
 何か通報があったとかで、グリコ・森永事件の捜査だと言うのです。全く見当はずれもいいとこですが、さすがにその時は緊張しました。この件はしばらく私たちの間でお笑いねたになりましたが、この16年間にどれほどの人々が同じような経験をしたのかと思うと、笑ってもおれません。冤罪への落とし穴は、どこにでもあるのだから。
 ところで、時効とは何でしょうか。手元の辞書には、「長い間続いた事実状態を尊重し、その状態が法律的に正当な、あるべき状態でなくとも、これを正当な法律的状態と認めること」とあります。何か割り切れないものがありますが、そんなふうにでもケリをつけていかないと、解決すべき事件にこの世界が埋もれてしまうからだと思えば、時効というのも止むを得ないかとも思います。
 しかしその一方で、それでもどうしても割り切れないものが残ります。それは、国家や権力による犯罪もそんなふうに処理してもよいのかということです。それが最も先鋭な形で現れるのが、戦後補償に関わる問題です。戦争犯罪も含め、国家や権力によって押しつけられた不当な状態は、その状態が長く続いた分だけ、より厳しく告発されなければならないはずです。
 例えば、強制連行や強制労働に関わる未払い賃金のような問題においても、時効の成立がその支払い要求に壁となって立ちはだかっています。1996年7月24日の「不二越訴訟」判決では、強制労働に対する未払い賃金の支払いと損害賠償請求や謝罪広告の新聞掲載要求を、「時効」や「除斥期間」を理由にその請求を退けています。
 富山地裁の判決文はこうです。「国際人権法違反に基づく損害賠償請求権も不法行為に基づく請求権であるから、除斥期間の規定の適用がある。除斥期間は被害者の認識いかんを問わず、一定の時の経過により当然に法律関係を確定させるものであるから、事情のいかんを問わず進行する」
 何という貧しい論理の運びでしょう。こんなところに民法上の一片の規定を当てはめて事たれりとは、この裁判官はどのような歴史認識をしているのでしょうか。日本国家が、司法当局が、こうしたかたくなな態度をとり続けようと、戦後補償要求の波を押し止めることは出来ません。とりわけ同じ立場にあるドイツが強制労働補償に踏み切るなかで、いつまでそれが可能か少し考えればわかることです。
 新聞報道によると、オーストラリアやニュージーランドの元捕虜の人たちが、旧財閥系企業などに強制労働に対する損害賠償を求める裁判を準備しており、その参加者は泰緬鉄道建設に徴用された元捕虜たちも加わり、最終的には数千人に及ぶだろうということです。
 このように、戦争犯罪の被害を受けた人たちの思いに時効などあるはずがないし、いずれ決着をつける日は来るのです。その日が遅くなればなるほど、ますます罪は深くなるでしょう。
         (晴))

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貝原氏の野望


 休日の朝、新聞を広げていたら、チラシのなかから兵庫県の広報が出てきました。そこで貝原俊民知事は、この兵庫において「人、モノ、情報が自由に行き交う大交流時代の到来を見据えた社会基盤」が整いつつあると胸を張り言います。そしてその内容はと言えば、「道路網については、高速道路等の共用延長距離が約530キロで全国1位。さらに、昨年には最新鋭の高規格道路となる第2神明自動車道が事業着手され、この5月には播但連絡道路もいよいよ全線開通します」等々。
 なるほど、兵庫県は瀬戸内海から日本海までと広く、私が住んでいる西宮から日本海へ泳ぎに行くには3時間近くもかかります。これは新幹線で東京へ行くのとたいして変わらないのです。だから貝原氏が、6基幹軸を中心に県内1時間高速交通網を整備しようというのも、県北部の人たちにとっては切実な問題なのかも知れません。
 そういう期待もあって但馬空港が1994年に開港し、大阪空港まで35分、東京まで乗り継げは最短約2時間で、日帰りできるようになったということです。しかしこの空港は1日2便しかなく、県財政にとっては全くのお荷物空港で、毎年1億円近い県費を注ぎ込んでいるありさまです。
 その実態を証明するものとして、『週刊ダイヤモンド』の特集「こんな空港いらない!
 全国空港不要度一覧」での指摘を紹介しましょう。「総合点ゼロで『不要度』Aランクになったのは紋別(北海道)、庄内(山形)、三沢(青森)、南紀白浜(和歌山)、但馬 (兵庫)、石見(島根)の6空港。いずれも搭乗率は60パーセントに満たず、路線数も1路線から4路線にすぎない。利用者には不便で、航空会社としては採算がとれない空港だ」(1998・10・17)
 というようなことで、道路網が整備されることは一面では県民の希望でもあるでしょうが、将来に禍根を残すことにもなりそうです。例えば、国と阪神高速道路公団を相手に争われていた尼崎公害訴訟で、1月31日神戸地裁は損害賠償と大気汚染物質の排出も一部差し止める判決を出しました。これなども、当初片側5車線の国道43号線が開通し、さらにその上を高速道路が蓋をするような状態となり、これで健康に影響がないほうがおかしい状態でした。そして震災の時には、上の道路が下の道路に覆い被さったのです。今は43号線は片側3車線に縮小しているけれども、それでも何の問題もないとは言いがたいのです。
 日本が誇る架橋技術によって建設された明石大橋も、期待外れというか予想通りというか、利用車量が伸びず早くもお荷物となりつつあります。春になれば淡路花博(ジャパンフローラ2000)が開催されますが、これも明石大橋の利用促進と淡路島への観光誘致が目的です。会場には6カ国語同時翻訳機能など最新設備を誇る国際会議場が建設され、ホテルもオープンします。こうした施設が後々も有効に利用されるならまだしも、閑古鳥が鳴いてその維持費負担に島民が泣くことになるのではと心配が先走ります。
 貝原県政は相も変わらず開発行政一辺倒で、ビックプロジェクトに野望を燃やしています。彼にとっては建設そのものが目的でもあるのかも知れませんが、それによってもたらされる県財政の赤字拡大、自然環境の破壊はどうしてくれるのでしょうか。陸・海・空の総合交通体系のなかには、2005年度開港予定として神戸空港もしっかり位置づけられています。
 いや、もううんざりだ。いい加減にしてくれ。貝原氏の野望の犠牲なんかになるもんか。便利に惑わされることなく、何が必要で何が不要かは自分たちで考え、開発知事をお払い箱にしよう。
          (晴)

追記――国と公団は自らの道路行政の破綻を糊塗するために控訴を決めました。ひたすら道路を建設することによってもたらされたのは、道路公害の全国への拡散です。今、道路行政に求められているのは車に対する規制、とりわけディーゼル車の走行規正ではないでしょうか。しかしこれは自動車産業の利益に反するがゆえに、今の国には執りえない方針でしょう。だから彼らは、道路公害に苦しむ人々にさらに犠牲になることを要求しているのです。

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地域に開かれた学校を


 今年、三女が中学に入学します。例によって、入学前の説明会を終え、制服・体操服などの寸法合わせというスケジュールをこなさなくてはなりません。幸い、三女の体型は小柄なので、姉のお下がりで間に合いそうです。しかし、体育館シューズは学年色があり、姉との色が違うので購入しなければなりません。
 学年色を使うのは、教師が管理しやすくするものであって、使用する生徒には何かメリットがあるのでしょうか。小学生なら何も制約は無かったのに…。そもそも、制服などが必要なのかどうか押しつけでなく、当事者である子ども・親の声に耳を傾けるべきだと思います。ちなみに、公立中学校に入学するために最低限必要な経費は、約55OOO円という高額です。
 ところで、“地域に開かれた学校作り”というイメージを具体化にするために、小学校では「評議委員会制度」を設ける指導が出ています。来年度から始める様で、地域の民生委員・児童委員・学識経験者などが委員の構成メンバーになるようです。何かしら、色んな立場の人の意見を聞くようなポーズですが、このメンバーなら革新的なことは期待できないでしょう。
 「評議委員会」が出来たら、まず各家庭での子どもの躾を重要視したいと、抱負を述べる校長に違和感を覚えずにいられませんでした。教育現場での混乱は家庭の躾が原因なのか? 社会の変化は、家庭環境をも大きく変えてきました。大家族のなかでは祖父母や兄弟姉妹の関係が、教えてくれる大切なことがありました。しかし、核家族化した今、家族が共に過ごす時間そのものさえ少なくってきているのが現状です。
 子どもが子どもらしさを取り戻すには、大人社会の仕事優先、家庭のことは母親任せという風潮をまず改めることではないでしょうか。1週間の内何日かを、家族と食事を共にすることを追求してみるなど、意識してみてはどうでしょうか。家庭で試みることで何らかの変化はあるかも知れませんが、これは処方箋にすぎないでしょう。
 学校教育が、知識ばかりの詰め込み教育にストップをかけない限り、現場での混乱は避けられないと思います。学力のみを評価し順位を付け、人間そのものもランク付することが、今の社会が要求していることです。あらゆる能力の開発に手助けすることこそが、教育のはずです。学校はその一機関に過ぎない、とぐらいに思っておいた方が良いかも知れません。
       (恵)

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「5秒間ほどの青空」


 私の住居から歩いて10分ぐらいの所に、公民館の一室に設けられた図書分室があります。基本的に週3回で、朝の10時から夕方の4時30分迄しか利用できませんが、意識的に通う様にしています。関心があるのが介護のテーマや環境問題で、どうしても目がそちらに向いてしまいます。
 介護する側される側というサブタイトルに誘われ、その本を開いてみました。頸髄損傷者で全身麻痺という状態の筆者。1987年、38歳の夏に転落事故で首の骨を折ってしまう。その後、入院生活を経て在宅生活を送る中、快適なものにするために工夫されたことを伝えようというのが、本書の目的です。
 多くの頸髓損傷者にとって役立つと共に、健常者にも無縁な内容でないはずだと、確信した言葉に自信が見えます。筆者の障害を前向きにとらえ、底力を感じさせる発言を紹介しましょう。「全身麻痺という極端な個別性の中に、なにかしら普遍的なものを見いだしたという志をいだきながら筆を進めた。いや、レーザー光線を走らせた」。
 「五秒間ほどの青空」(藤川景著)という本題には、寝台車で退院してきたとき自宅に入るまでのほんの五秒間の幸せを表わしています。この五秒間のなかに、これからの生活への覚悟のようなものを感じます。実際、在宅生活の中での家族との関係が、心の葛藤を通して伝わってきます。
 しかし、生きることへの執着は、筆者にあらゆる思考を迫ります。本のページをめくるために様々な工夫を試みる創造力に感心させられます。選挙権を回復するために、郵送の不在者投票を要望するが、公職選挙法の決められた条件に当てはまらないと主張する選管。その選管とのやりとりが自然に、広い意味での障害者・高齢者へのアドバイスとなっています。意志伝達には欠かせないベットの環境制御装置は、全額負担。今更ながら行政への不満がつのって来ざるを得ません。
 ちょうど、この本を読み終えた頃、新聞の1つの記事が気にかかりました。尼崎市の重度の脳性麻痺の方で入院したが、今まで受けてきた無料の介護が受けられなくなったということです。市の主張は「あくまでも在宅での福祉支援事業の一環。病院は完全看護になっている」と原則的なものでしかありません。
 重い言語障害があり、慣れた人でなければ言葉を聞き取りにくいので、自分の意志を十分に伝えられない。隣の人と話すこともできず、孤立感を強めている。病院での生活がこんな状況なら、ケースバイケースで馴染みの人に介護を保障する、という配慮があっても良いと思うのですが。お役人もそろそろ、型にはまった事務処理から自分で考える仕事へ、切り替えるべきではないですか? 
           (恵)

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終われない


 1月13日、大阪高裁で行なわれているチッソ水俣病関西訴訟を傍聴しました。原告を代表して2人の患者さんが証言台に立ち、水銀汚染による健康破壊が今も続いていることが述べられました。1995年の「和解」によって水俣病問題は解決し、97年の仕切網撤去によって水俣湾の水銀汚染も収束したかに見られています。しかし、和解することなく続けられている関西訴訟の存在そのものが、水俣病事件がまだ過去のものではないことを知らせています。
 証言台に立った患者さんからは、提訴から17年の間に原告患者59名中20名がすでに他界し、入退院を繰り返す原告も多いこと。8人兄弟のうち水俣病と認定されたのは2人だけで、4人は和解し、一人は認定の申請すら出来ず、そして自分だけが白黒をはっきりつけるために争っていること。こうして裁判に出てきた後は2〜3日寝込んでしまう、といったことが交々述べられました。
 関西在住の患者さんたちは、就職や子供の結婚差別を恐れて水俣出身だとは言えなかったり、当初は信頼して診察を受けられる病院がなかったりという厳しい環境のなかで、それに負けずに裁判へと踏み切ってきました。その想いが国の責任を曖昧にした「和解」ではなく、裁判によるはっきりした決着に向けて病身に鞭打つような闘いを継続させているように見えます。
 水俣病事件を論じるとき、そこには大きく二つの問題があります。一つは、チッソの工場廃水が原因であることが早くからわかっていたのにそれを止められなかった、特に技術者はその事実を確認していたにもかかわらず責任を果たさなかったということです。もう一つは、魚介類を解して水銀が人体に蓄積されることから、水俣湾の魚介類の摂食を禁止する必要があったのに、それを怠ったという点です。
 これらは、国や自治体がやろうと思えばできたことでした。ちなみに関西訴訟の一審判決では、大阪地裁は国や熊本県の責任を全面的に否定しました。だから弁護団は、一審判決の論理は「環境汚染がどんなに進行しても『原因物質の特定、許容量(人体への有害量の意味であろう)の確定』がなされるまでは、行政は一切手出しが出来ない」ということであり、「人体実験許容の論理」だ、と糾弾しています(「水俣」208号)。
 この構図はあの薬害エイズを上げるまでもなく、この国のありとあらゆる場面でお目にかかるものです。それは、この国を運営している官僚が何を犠牲にして何を守ろうとしているか、明らかにするものです。しかしこの愚かな行為(目先のわずかな利害に走ること)が、後でどんなにひどい結果を招くかは、これまた産廃汚染の豊島の例を上げるまでもなく明らかです。
 水俣病事件においても、汚染があんなにも広がる前に手を打たなかったために、国や県はチッソへの金融支援の泥沼にはまっています。チッソは患者さんたちに補償金を払うために存続しなければならないし、国や県はそんなチッソをつぶさないために一私企業に税金を注ぎ込むということを行なっているわけです。こんなことになっても、個々の官僚にとっては自分さえ良ければ国民がどうなろうと、国家がどんなに損失をこうむろうと痛くも痒くもないのでしょう。
 水俣病患者連合は政府の解決策受け入れ (和解)にあたって、「ここで区切りをつけなければ、高齢となった被害者は全く救済を受けないまま死んでいくことになります」、「私たちは紛争の終結をここに声明しました。次は日本国政府が約束を実行する番です。水俣病の発生・拡大、そうして被害者の放置について、国にどんな責任があったのかを明確にし、被害者に謝罪してください。また、すみやかに本解決策を実行することを求めます」(受諾通知)と述べています。
 しかし、国にはこの悲痛な声は届かなかったし、この声に答える官僚もいません。これが21世紀を目前にしたこの国の現状だということを、私たちは肝に銘じておかねばなりません。
             (晴)

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撤去される仮設 あれから5年


 被災地から仮設が姿を消しつつあります。衣食住という言葉がありますが、寒い時期の住の喪失は深刻でした。阪神大震災で家を失った被災者にとって、仮設住宅は命の綱といってもよかったでしょう。同じ地震に襲われても、住むところを心配しなくて良かったことは、私たち家族にとってすごい幸運でした。
 その仮設住宅もようやく役割を終え、撤去作業が進んでいます。神戸ではピーク時約31000世帯が入居していましたが、昨年末の14日に最後の7世帯に公営住宅の鍵が渡され、仮設入居者場ゼロとなりました。さらに西宮においては4900戸の仮設住宅が建設されましたが、27日に最後の仮設入居者が市営住宅に引っ越しました。
 仮設は公園や野球場、校庭などにも建設されたこともあり、一般市民から早く撤去しろという圧力がかかることもありました。それもあってか、芦屋市などは積極的に仮設解消を目指したこともあり、もっと以前に入居者はゼロになっています。こうした経過をたどって、今や県内の仮設住宅で残っているのは、明石市内の1世帯のみになったということです。
 5年という歳月は過ぎてしまえば短くもありますが、仮設住宅のなかでもしっかりとした人間関係が形成されています。公営住宅が建設されるまでの期間を仮設で待つということであれば、5年というのは余りに長いと思います。まず自助努力が要求されたので、二重債務を背負うことになった被災者も少なくありません。
 そうした資力のない高齢者などが仮設に取り残されたのですが、そこでの濃密な人間関係が生活の支えとなったりしたのです。そして皮肉にも恒久住宅への移転が、ようやく形成された人間関係をもう一度断ち切る結果となっています。仮設での孤独死が大きな問題となった時期を経て、今は復興住宅での被災者の孤立が新たな問題となっています。
 仮設住宅とは何だったんだろうか。災害によって住むところを無くした市民に住宅を提供すること、当然にもそれは行政の責務です。しかしそれは私有の壁に阻まれ、あるいは私有を口実に放棄されてしまいました。土地だって住宅だって幾らでもあったのに、私的な所有権がじゃまをしたために、交通の便の悪いところや校庭にまで仮設住宅を建てる羽目になってしまったのです。
 それはまさに、有り余る食べ物を手も付けないで捨てる贅沢がある一方で、多くの子どもたちが飢えて死ぬ現実があることと、本質において同じです。これは解きがたい矛盾であり、私たちが私有(例えばマイホームとか)にこだわり続ける限り、この実態を乗り越えることは出来ないでしょう。
(晴)

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年賀に振り回された郵政現場


 2000年を迎えて、ガス・電気・水道が無事で、平穏なお正月を過ごされた方が多いと思います。しかし、元旦早々から休まず開店している大手のスーパーには、当然勤務している者が居ます。そして、年賀に追われる私の職場でも、連日10時間にも及ぶ労働を強いられてきました。
 普段は、10時から14時までの4時間勤務が基本の非常勤職員の私達。それが、年末年始の約2週間は、まるで正職員並みの労働時間となります。私達、団地配達の女性はほとんどが家庭の主婦でもあり、家事もこなさなければなりません。あまりの疲労に、風邪を患い休む者が後を絶ちませんでした。
 今年は、2000年記念のスタンプ騒動で余計な仕事が増えたのも、疲労の一因かもしれません。郵政省のお偉方が考え出したサービスは、現場では混乱を招く結果と成りうるのです。ぜひ、現場の声にも耳を傾けることをお薦めします。「Workers」がお手元に着くころには、郵政現場の労働者は年賀から解放されることでしょう。
 ところで、最近気がついたことですが私達の給料明細には、単価という項目があります。普通は、時間給と記されるはずなのですが、なぜか単価なのです。要するに私達は、使い捨ての品物というわけです。郵政の会計報告には、職員は人件費から給料が落とされますが、非常勤は物品費からなので単価というわけです。なんて、腹立たしい表現なのでしょう。
 郵便番号7桁化で、今まで14区で割り振りしていた仕事が、13区になり仕事の内容がきつくなりました。それなのに、年末のボーナスは職員同様、減額という厳しい状況です。元の少ないボーナスなのに…せめて現状維持でしてほしかった。不満ばかりつのります。
 こんな厳しい職場ですが、女性ばかりの団地のママさん配達(誰が付けたのか団地ママさん配達と呼ばれている)は、みんな元気です。子供の結婚、孫の誕生と話題には事欠きません。やっぱり女性のほうが厚かましくて強いなあと、感じるこのごろです。定年が無い職場やからと、60歳を過ぎても現役の同僚には頭が下がります。はたして、60歳になった私はどうしていることでしょう。今年も元気な大先輩達に囲まれて、頑張るしかありません。
           (恵)

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