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子育ては井戸端会議で


 全国学童保育研究集会が、今年は兵庫県で行なわれました。実は、阪神淡路大震災の年に予定されていたのですが、復興するまで延期となっていました。そんな困難な状況を経ての開催とあってか、都道府県数の参加は過去最多となったようです。開催までの準備や当日の任務分担は、阪神間の父母会が主に行ない、私もお手伝いに行ってきました。
 全体会は、尼崎市の総合体育館をほぼ埋め尽くし、熱気で包まれていました。やはり全国規模となると、目的が同じ者同士の連帯という意味もあり、感動する部分があります。少子化が叫ばれながらも、ますます学童保育の必要性がデータとなって表れていることを、身近に感じとったと言えるでしょう。
 東京大学教育学部助教授の汐見稔幸氏を迎えた記念講演では、氏の飾らない人柄とユーモアあるセンスに好感が持てました。講演は途中からの参加となってしまったのですが、今の子どもたちに自分の未来のモデルが無いことの指摘があり、地域社会での子育ての大切さが印象に残っています。
 その後、汐見氏の著作を読み、心理学での研究の深さやその思考を用いた親子の関係の分析、社会が要求する親子像の問題点など、新鮮な考え方に興味を持ちました。例えば、わが子を幼児虐待する親が増えているのは、孤立化が原因は既に言われていますが、意外にも幼児サークルなどの同質集団にも問題があるということです。
 ここで言う同質集団とは、育児の経験が少ない若い母親の仲間集団ですが、小さな差異にこだわり、他者のまなざしや評価を過剰に意識して気遣いを拡大してしまう。このストレスが虐待につながってくるらしい。だからこそ、育児を終えた女性が入ればライバル意識を感じずに、気楽に話せ、集団の緊張感が一挙に緩和するという、汐見氏の見解にうなづいてしまいました。
 異年齢の集団作りは学校でも取り入れられていますが、育児にこそ経験の多いおばあちゃん、おばさんの存在は貴重なのだと思いました。もう、私もあまり公園に足を運ぶことはなくなりましたが、若い母親への声かけを試みたいと思います。有名幼稚園に入ることは、ただ親の見栄であり、子どもには近くで、遊び仲間のいる集団のほうがいいに決まっています。社会が決めた価値観にとらわれず、多様な価値観を見出していきましょう。
         (恵)

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紋次郎登場!


 11月5日、実にポカポカといい天気の昼下がり、公共事業チェック議員の会の一行が武庫川ダム建設予定地にやってきました。 
 「議員の会」の会長をしている中村敦夫氏はサングラスをかけ、颯爽と登場しました。そうすると、結集していた女性陣はたちまちミーハーおばさんに変身し、次々と武庫川を背景に中村氏と写真に納まったのでした。楽しくなければ市民運動じゃない、ということもあるから、武庫川の女性陣はそれを実践しているだけで、なんの問題もありません。
 しかし、男性政治家もみんな同じ恰好というのはいただけません。国会から市町村議会議員まで、同じような背広にネクタイというのは情けない限りです。そんなところにジーパンやノーネクタイで登場したら、議会で制裁にかけられたりするのだから驚きです。日本の議会には自立した個人がいない、ということでしょうか。
 さて、この日の「議員の会」の行動が、ダム建設に向けて突っ走っている県当局にブレーキをかけることが出来るのかはよく分かりません。しかし、「議員の会」は建設省に圧力をかけるということで、利害関係が相対的に薄い立場から止める方向に動きやすいかもしれません。
 そもそも不必要な公共事業を止めるのに、総論的にはどの議員も反対しないと思いますが、自分の選挙区が絡んだら話は違ってきます。だから、亀井氏らを中心に行なわれている自民党の公共事業見直しは、羊頭狗肉を終わってしまうのです。
 一方中村氏は、公共事業のムーディーズをつくり、数値でランク付けをすることによって不必要な事業を自動的に消していこうと言います。官僚や議員の利害の絡まない、より客観的な調査や数値付けが出来るなら、そういうことも可能かもしれません。しかし、官僚や議員のコントロールの下ではそれは不可能だし、外で行なわれた数値付けを彼らが受け入れることはないでしょう。
 武庫川ダムについては、9月県議会において、貝原兵庫県知事が「新河川法に基づいて新たな基本方針を策定し、地元の合意形成の新たな取り組みを実施したい」と答弁しています。これは、学識経験者の意見を聞いたり、地域の住民団体と話し合いを行なうということです。しかしその中身は、御用学者を集め、反対運動をしている団体の分断と懐柔を行なうことでしかありません。
 お役人による話し合い路線なんて、そんなものにしかなりようがないのです。言うまでもなく、話し合いの前提条件はダム建設計画の白紙撤回です。その後に始めて、ダムに寄らない流域全体の総合的な治水は可能なのか、ダムなしでは洪水を止めることが出来ないのか、まともな論争が成り立つのです。
 一方で話し合い路線を示しつつ、他方ではダム建設計画はいつでも進められる状態にあり、インターネットではダムを造らないと阪神間が大洪水になるというイラストを流して市民の不安を掻き立てる。これほど見え透いた嘘はありません。
 中村氏は日本のゆがみについて、「官僚独裁社会だということです。改革に踏み切る政策能力が政治の側にはない。でも官僚機構とは変化に弱い硬直した権力でしょ。官僚も時代に適応できない。それが今のこの国のかたち。異様ですよ。はやく官権から民権へ転換すべきだと思いますね」(9月10日付「東京新聞」)と述べています。500兆円を超える異常な財政赤字の亢進は、官僚だけが際立っているというより、彼らによる国家財政の垂れ流しが政治家や資本家を潤しているという共謀関係があってのことです。
 公共事業チェック議員の会が全国を飛び回るの大いに歓迎しますが、本当にこの国の異常な政治を改めるためには、それぞれの地域の人々の力によって公共事業をチェックし、より多くの人々の意識を変えていくことが重要です。紋次郎の活躍に期待するだけでは、何も変わりはしないのです。
          (晴)


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安全管理 その2


 前号で、郵便局で行なわれている交通事故防止の取り組みのあほらしさの、その一端を披露しました。今回はその続きとして、9月末から始まったもう一つのあほらし施策をご紹介しましょう。と言っても、こちらはすでに町中で目にしているかもしれません。
 処分の脅しで交通事故を無くそうという、局長の評判の悪かった訓辞から、10日ほど過ぎたある朝のことです。いつものミーティングで、「運転担当者名、宣言文の掲出について」の周知がありました。どうも、集配用バイクのボテ(荷台に取り付けられた郵便を入れるる箱)に名前を張り付けろ、ということのようです。
 その目的は「職員の自己の業務に対する責任感を醸成し、『お客さま』に、より一層の満足・安心・信頼をしていただくために実施するものであります。また、個人責任の明確化を図るとともに交通事故の防止の一助とし、『お客さま』が郵便局のサービスに対し、安心感・信頼感・満足感をもっていただけることを目的とします」というものです。
 一見して、言葉の空虚さを感じずにはいられません。安心とか信頼とか満足という言葉の蔭から、当局の思惑が透けてみえます。氏名札の着用が強制になったときも、同じような言葉が踊りましたが、結局は処分を背景とした強制力が、90何パーセントだかの着用率を実現したのでした。ちなみに、今もその氏名札を着用していない私は、毎月の「訓告」と毎年の「定期昇給4分の1カット」という制裁を受けています。
 さて、そんな周知のあった次の日、全てのボテに「私は交通ルールを守ります」と書かれた白いプレートが張り付けられていました。そこには名札を取り付けられるように、磁石が張ってあって、磁石のついた名札をくっつけるようになっています。これを毎日、配達に出るときは取り付け、配達から帰ったとき取り外せというわけです。
 こんなものに何か効果があるとすれば、名前がわかってしまうのでひどい運転をしたら、名指しで局に通報されることくらいでしょう。しかし、すでに制服の胸には氏名札が、ヘルメットにも名前の入ったシールがついているのです。いったいいくつ名前をつけたら、管理者の皆さんは満足するのでしょうか。中学生の子どもが、体操服に名前を入れたゼッケンをつけさせられていますが、そのうちに郵便局もそんなゼッケンをつくるかもしれません。
 ここにあるのは、すべて強制することによって何かを実現しようという発想であり、名札は職員の姿勢を目に見える形でチェックするためのアイテムです。そういう形式のもとでは、交通安全も利用者からの信頼も、もはや労務管理の手段でしかありません。
 この施策は始まったばかりだし、毎朝名札を張り付けなければならないという面倒くささもあって、氏名札のように私を除く全員がつけている、というところまではいっていません。しかしこれも、つけないと問責の対象とするということも含めて、チェックがきつくなればそういうことになってしまうのだろうか…。
        (晴)

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本当に必要? 検査のフルコース


 日頃、医者とはほとんど縁が無い私ですが、ついこの間お世話になってしまいました。というのも、痛みは感じないのですが右目が充血したためでした。以前も同じ様な症状が出たのですが、翌日には自然に治ったのです。
 眼科をまず電話帳で調べ、夜間も診察のある場所を選びました。駅前に近く便利な所とあって、人の出入りは頻繁でした。見た感じ診察待ちの人が2〜3人なので、すぐ診てもらえると思っていました。それは、後になって大きな誤算と分かりました。
 目の充血が心配で来たのに、視力検査から始まり焦点を測ったり、白内障の検査まで、本人の許可も得ず、当たり前のコースとして行なわれることに、大いに疑問が起こり怒りさえ覚えました。検査の前のなんの説明も無いのも患者をバカにしている! 血液検査も強制されそうになりましたが、その目的と結果を聞き、拒否しました。
 一通りの事前の検査が終わった後で、「これから1時間半待ちです」と平気に言い渡す女性スタッフにも呆れてしまった。時刻は既に夜の7時30分。こんなに待つなら他を探したのに、最初に言ってくれればいいのに…。こんな病院、二度と来たくないと正直に思いました。
 やっと診察を受け、院長による眼底検査、瞳孔の検査など行ない、結果は何が原因か分からないまま終わりました。あれだけの検査は何だったのか? 点数を稼ぐためのものだったのか? 病院不信はつのるばかりでした。それにしても、患者に対する配慮の無い女性スタッフ(あえて看護婦と呼びたくない)に、疲れているかもしれないが、それ以上に患者は不安であることを気づいてほしいと願う。
 職場では体調を崩して退職した同僚、入院して休職中の同僚がいて、明るい出来事はありません。私もきっと疲れがでたのでしょう。非常勤の私たちは、仕事でも追い立てられ、必死で働いている状態です。しかも、夫の扶養家族であるために103万円以下の所得に納めるため、四苦八苦の毎日です。
 家に帰れば家事もこなさなければない毎日。そんな多忙な日々でも家族の理解と協力があれば、大いに励まされるはずです。労働者は体が資本、健康を維持するために日頃から無理のない生活を送りましょう。
        (恵)

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国勢調査は何のため


 今年は、5年に1度の国勢調査が行なわれています。私が住む西宮市の市営住宅でも、自治会役員の男性の方が調査員になっています。日頃から自治会の仕事にも献身的な方です。留守の家には何度も足を運ばなければならず、苦労しているようです。
 国勢調査の是非を問うのはもちろんなのですが、調査員を使って行なうことでトラブルが発生しています。今回から密閉するシールは付いたものの、調査員の認識不足などで嫌な思いをしたと、苦情が殺到しているようです。このようなトラブルは、事前に予測できたことでしょう。
 調査員は統計法に基づき、約84万人が臨時の国家公務員として任命されているそうです。全員には「個人情報保護マニュアル」配って対処しているようですが、実際の対応ではプライバシーよりも統計が重視されてしまっているのが現状です。
 既に、市役所では個人のデータは把握できているのに、なぜ国勢調査なのかと言いたくなります。我が家でも抗議の意味を込めて、調査票は白紙で出します。今回、調査員の方が回収後、親切にも「書き忘れていませんか」と再訪。私は確かシールを貼ったのにと不思議に思い、率直に尋ねた所、何度も謝られてこちらが恐縮してしまったのです。
 調査が本当に必要だったら、市の職員が調査に当たればいいと思います。それなら直接、抗議もできるし言いたいことも言えます。近所で日頃お世話になってる方との関係を、うまく利用されてしまっているのです。管理されることに安心する市民を作っていく、そんな思惑があると言われても仕方ないでしょう。
 「夫の失業が近所で噂になっている」、一人暮しの若い女性が調査員に家に上がられ、襲われかけたなど、1日に100件もの苦情が市民団体のホットラインに寄せられています。統計をとることで、私たちの暮らしが改善されたり、公共施設が充実したりするなら意義もあるかもしれません。しかし、調査の狙いが、異質な人を排除する社会を一層助長することにあるとしたら、これほど恐ろしいことはありません。
 もう20年ほど前のことですか、市にコンピュターの設備が導入されることで、市の職員を中心に反対運動を行なった経験があります。確か国勢調査にも反対の声を上げていた時もあったと思います。今では、運動としては取り組めず、もっぱら個人での抵抗になってしまい、残念な気持ちです。
         (恵)

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安全管理


 郵便局では毎年、管理者の異動の時期になると「今度の局長はどんな奴だろうか」ということが関心の的になります。というのも、局長が変わるたびに職場の空気ががらっと変わってしまい、ペケの局長のときは出ていくまでひたすら頭を下げていなければならないからです。まるで、嵐が過ぎ去るのを息をつめて我慢しているように。
 これまでの経験からすると、本省から来る局長は現場のことはわからないのに業務にあれこれ口出しをして、職場を混乱させるタイプが目立ちます。郵政局から来る局長(や課長)は労務管理のために派遣されて来る傾向があり、こういう連中は処分の山を築いて去っていきます。
 さてそれでは、今年の夏に我が職場にやってきた局長はどんな人物でしょうか。私はすでにこの人物から2回ほど(氏名札不着用で)訓告処分をもらっていますが、直接話をしたことはありません。もちろんこれは局長名で行なわれていますが、これを読み上げるのは課長であり、私はそんな文書はその場で捨ててしまいます。
 それでも、時々職場で見かける範囲で判断する限り、新しい局長は極度に口うるさく、中間の職制もずいぶん愚痴をこぼし、扱いに困っているようです。その局長がこのあいだ、仕事中に職場で訓辞を垂れました。「交通事故の防止について」という表題で、今年度に入ってすでに7件の交通事故が発生しているので注意しなさいというものです。
 そんなことを改めて局長から言われるまでもなく、みんな事故を起こさないように注意していいるし、それでも起こってしまうのが交通事故というものです。それなのにこの人物は、「当局では、各職場におけるSKYTの完全実施を始め、安全衛生委員会、交通事故防止対策協議会等で各種施策を実施し取り組んでいるところですが、このような事故が多発することは職員、短時間職員、ゆうめいと職員のみなさんに交通事故の恐ろしさが浸透していない証左と言わざるを得ません」などと言うのです。
 そしてさらに、「なお、交通事故は人身・物損事故を問わずその解決に多くの労力と費用を要し、国損を発生させるため、その発生原因の度合により従来に増して厳しくその責を問い、処分を執行します…」と強調することを忘れません。ここに、何でもかんでも処分をちらつかせることによって押し通そうという、今の郵政のやり方がよく現れています。
 新局長の努力にもかかわらず、この訓辞は職場に反発だけを呼んでいます。暑い最中を汗まみれになって交通事故の危険性と隣り合わせの仕事をしてきたのに、日々の仕事にご苦労さんという言葉もなく、こんな訓辞を垂れる局長の人間性を誰もが疑って当然です。
 しかもこの時期、集配では年賀のアルバイト募集のチラシの全戸配布が指示されていたのです。冷房のきいた室内での会議や、「飛び出し注意よし!」(雨の日は「スリップ注意よし!」で、これをSKYTと称してやらせるのです)といった一斉唱和が事故防止につながるなら、こんな簡単なことはありません。営業だと言ってはノルマを科し、切手帳を書留配達のついでに売ることを強制し、さらに事故を起こしたら処分だと脅しているのですから、交通事故を減らす力になるわけありません。
 どこにでも小さな天皇や裸の王様はいるものです。そんな連中の言うことを気にしていたら、とてもこの厳しい社会を生き抜くことは出来ません。こんな連中は適当にあしらっておけばいいのです。もちろん、必要なら正面から対決することもありますが…
          (晴)


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奉仕活動


 中学生の娘が夏休みの間、1日のスケジュールのなかに奉仕活動が組み込まれ、毎日その日の反省で点検が課せられていました。奉仕活動の意味を本人は、家族を含め地域の人に手助けをするというふうに考えていたようです。今、教育改革でも奉仕活動が叫ばれていますが、子どもたちに有意義なものになるのでしょうか。
 「教育改革国民会議」の中間報告には、奉仕活動についての具体的な内容が展開されています。義務付けには批判があり取り下げたものの、中間報告には何度も義務づけを検討するという言葉が出てきます。当面は、小・中学校では2週間、高校では1ヵ月間、共同生活などによる奉仕活動を行なうとするやり方に、画一的な流れは従来のままという気がします。
 兵庫県では、中学2年生に1週間のトライヤルウィークを実施しています。地域の職場で働き交流をするのが目的ですが、教室での面白くない授業よりも魅力的なのかもしれません。このトライヤルウィークが評判になり、他県でも実施されるようになったそうですが、一番大切なのは、子ども達の声を聞くことではないでしょうか。
 「ボランティアは自分からやろうという気持ちが大切。『これをしなさい』と強制されると逆に嫌という思いになる。他者への思いやりは日常生活で育つものでしょう」これは横浜市内の高校1年女子の発言ですが、森首相はどう返答できるのか、きっと出来ないはずです。
 人間性豊かな日本人を育成するためには、教育の原点は家庭であることの自覚を促し、学校では道徳教育を行なう、そして奉仕活動…と時代錯誤の改革としか言えません。また、一人ひとりの才能を伸ばし、創造性に富む日本人を育成するには、一律主義を改め個性を伸ばす教育システムを導入、小人数教育を推進と、理想を掲げますが、40人学級が今もなお維持されている現状からはあまり期待できそうにありません。
 教育改革と称して国民会議で、私的な思い入れを盛り込む森首相だが、実際の教育現場をじっくり見てほしい。中学校では顧問を引き受けてくれる教師が少なくなり、クラブ活動を維持出来ない状況があることを知ってほしい。教師にクラブ顧問を押しつけることを当たり前と考えず、地域のスポーツ通の人や先輩にあたる高校・大学の部員などの人材を活用できるようなシステムを導入してほしい。学校経営が一律でなくてもよく、自治運営になっていけばもっと工夫したことが出来るのに…。
         (恵)

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関空波高し


 関西空港が、開港6年にして波間に沈もうとしています。前からは累積赤字1570億円という大波が、後ろからは予想以上の地盤沈下という大波が襲い、人工島・関空の未来は限りなく暗いものになろうとしています。
 まず膨れ上がる赤字の原因ですが、就航便数がじり貧となり、着陸料収入などが落ち込んでいるのです。昨年度の1日あたりの国際線便数は、前年度比3パーセント減となっています。これに対する対策としては、来年度から国際線着陸料を一律11パーセント引き下げ、撤退する航空会社をつなぎ留めようというのです。
 地盤沈下のほうは、海底のそのまた下で起こっていることなので、素人にはわからないことですが、陸地から5キロも沖の人工島そのものに無理があったのではないかと素朴に思います。しかし、予想以上の地盤沈下で、大きな高潮が発生したら旅客ターミナルの地下室が損壊する恐れがあるというのだから、ただごとではありません。
 こんなにボロボロなのに、関空は二期工事が進んでいます。しかも、一期工事地区のさらに沖に(陸地側だと建設費が安くなるのに)建設されるのです。一体どういうつもりでしょう。外国の航空会社にしてみれば、関西ではなく、首都圏に乗り入れるほうが魅力的だろうし、たとえ着陸料が安くなっても儲からなければ離れていくのは確実です。
 しかも、2011年完成予定のこの工事には1兆5600億円という途方もない費用がかかるというのです。新滑走路は2007年秋にも供用開始になるようですが、この滑走路を利用する飛行機がどれくらいあるのか、御巫清泰社長になりかわって心配せずにはおれません。
 手元に少し古い資料ですが、「こんな空港いらないーローカル空港『不要度』ランク」(1998年10月17日付「週刊ダイヤモンド」)というのがあります。それによると、国の「一県一空港整備政策」によってこの10年で26カ所もの新空港が開港しています。「新幹線、高速道路、空港の三点セットが 一流県≠フ証でもあるかのような意識が地方自治体に蔓延し、揃っていない県は『格差是正』の観点から空港を要求し、政治の動きのなかで建設が決まっていった。一般道路、港湾の整備が一段落した地方自治体にとって、空港は華やかで県民の注目を引き付ける格好の材料だったのである」(143ページ)
 人工島・ポートアイランドのさらに沖に建設されようとしている神戸空港も、こうした脈絡のなかで何の展望もないままごり押しされようとしています。関空二期といい、神戸空港といい、あまりに無責任に過ぎます。欲しいものと、必要なものとは、必ずしも同じではないということを、誰か彼らに教えてやってください。
        (晴)

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平和の風 コンサート


 9月10日、沖縄基地移設に反対を合い言葉に、コンサートを行ないました。4組もの出演者を迎え、豪華な(経済的には贅沢な)コンサートになりました。ただ残念なのが、参加者が思ったほど集まらなかったことです。
 西宮で市民の有志が集まり映画会、講演会と催し、今回はコンサートという形で感性に訴えることが出来たと思います。心に響いた数々の歌を少し紹介しましょう。
 トップを引き受けてくれた田中透さんは、コンサートにはまだ経験が浅く、緊張感が伝わってきます。新潟在住で普段は会社勤務の一般市民とあって、素朴な歌声に何か頼りなさを覚えつつ聞き入っている自分に気づきました。自作の憲法9条の歌、憲法13条の歌は憲法の条文をそのまま歌詞に使い、考えさせてくれる曲でした。
 「基本的人権の尊重」が13条であったことも知らなかった私ですが、人として生きていくうえで最も基本となる権利に、もっと注目すべきと同感させられました。只今、花嫁募集中の彼に、誰か良い女性を紹介してあげて下さい。
 「ざわわ ざわわ ざわわ あの 広い さとうきび畑は…」で始まる「さとうきび畑」は、沖縄戦で父を亡くした主人公の想いを語った、ジーンと胸に迫る歌でした。ざわわ という表現がとても魅力的で良い歌に巡り会えた感じです。歌ってくれたのはパウワウという尼崎在住のグループでした。家族的な暖かい雰囲気は、私のこころを和やかにしてくれました。
 震災後コンビを組んだおーまきちまき・のむらあきさんは、神戸空港反対のビラ配布をチンドン屋の身なりで行なったそうです。そのユニークな発想は、これまでの運動論を変えていくのかもしれません。そして、今日のコンサートのメーンである、まよなかしんやさんはとても50代とは思えない迫力感でした。
 年間200回ものコンサートをこなすパワーは、彼の小さな体からは想像できないでしょう。今、沖縄の若者たちが頑張っている、 「基地にレッド・カードを!」という運動を、温かい目で見守る彼の生き方に、30年間の彼の活動の凝縮を見た思いでした。
 歌を通して自分の考えをアピールする、これも一つの方法です。それぞれが自分の得意のことで、行動を起こせばいいということ。しかも、自分も楽しく自分も解放されるならば、どんなにすばらしいことか。まだまだ試行錯誤の日々です。 
            (恵)

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渇水


 今年の夏はやっぱりおかしいように思います。武庫川の流れがなくなり、水溜りがあちこちに孤立しているような状態になってしまっています。すでに兵庫県下のいくつものダム湖の水位が下がり、節水と雨頼みの段階に入っています。それにしても、こんな状態の武庫川を見るのは何年振りでしょうか。支流の仁川などは、最近水が流れているのを見たことがありません。ずっと以前はこの川で子どもと水遊びもしたし、水がなくなるのも夏場とかが中心でしたが、今は水が流れているほうが珍しいくらいです。
 梅雨時に雨が降らないで、夏場も夕立もほとんど降らず、ひたすら熱い日が続く今年の夏は、地球全体に広がっている異常気象の一環なのかと思ってしまいます。以前は入道雲がもくもくでてきて、ザーと雨が降ったりして気持ち良かったのに、今年は真っ黒な雲が近づいてきても、雨も降らずにいつのまにかまた日差しがきつくなったりしています。
 そしてもう一つ、今夏の話題といえば、クマが阪神間に出没していることです。もっともこちらのほうは原因ははっきりしていて、おおかた人間がクマのすみかを荒らしてしまったからです。日本熊森協会(本部・西宮市)の瀬戸さんは「クマのような大型動物は生態系の頂点に立つ。クマが生きられるような豊かな森がなければ、やがて都市生活も維持できなくなる。今の私たちは天につばをしているのでは」(8月21日付「神戸新聞」)と警告しています。
 日本熊森協会は広葉樹林の植樹活動をしていますが、これはクマのすみかを守るだけではなく、干上がってしまった川に流れを取り戻し、よい漁場づくりにも役立ちます。兵庫県土木部は武庫川にダムをつくって100年に一度の大雨に備えると言っていますが、川を排水路(雨が降れば増水し、降らなければ干上がってしまう)にしてしまったことを反省すべきでしょう。
 また、兵庫県宍粟郡千種町では、1922年から2002年までの80年間、国が町有地を借りて植林、伐採する契約をした「千草町官行造林地」のスギや広葉樹が伐採されようとしています。千草町農林商工課は森は残してほしいが、「町が買い取るとなると、財政的に難しい」と言い、兵庫森林管理所は 「同造林地の伐採・販売はすでに収入予定になっている。現状では、伐採を理解してもらうしかない」としています。要するに、国も自治体も貧しくて、森を残すことは出来ないということのようです。
 ちなみに、千種町は岡山県や鳥取県と境を接しており、町を流れる千種川は水量も豊だし、水もきれいな川です。今年は行けませんでしたが、昨年まで数年続けて家族で出かけて(夏にちくさ高原マラソン全国大会という催しがあります)、川で泳ぐのを楽しみにしていました。渇水の直接的な原因は自然によるものですが、現在ではより多く人工的なものだと断言できます。
      (晴)

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夫に左右される女性の年金


 専業主婦か、共働きか、離婚して自立するか、女性がどのような生き方を選ぶのか(強いられるのか)で、受け取る年金に大きな差が生まれます。今年40歳の女性4人をモデルに、2030年の年金額を試算するというおもしろい新聞記事を目にしました。参考のために4人の女性を紹介しましょう。
 前提条件として、夫の収入が同じで保険料や物価が変わらない、いずれも20歳の時に5歳年上の男性と結婚したが、夫は亡くなっている、ということになっています。A子さんは結婚後も仕事は辞めず、40年間メーカーの社員として共働きを続けた。在職中の平均収入は月額25万円で、毎月給与から天引きされた保険料は総額1031万4千円。
 A子さんの受け取った年金は月々13万8千円でしたが、夫の死後は夫の遺族年金の一部を受けて14万2500円もらっています。銀行員と結婚したB子さんはずっと専業主婦。自分で負担した保険料の総額は、夫の定年後5年間払った国民年金料79万8千円だけ。
 しかし、年金は夫の遺族年金と自分の国民年金を合わせて月に12万円にもなります。自分で1千万円以上払ったA子さんとの差は月々わずか2万円しかない、という不合理なことが起こってしまいます。夫の職業で年金額が大幅に違ってくるということなのです。
 夫が事務所経営だった専業主婦のC子さん。40年間国民年金を月1万5300円、総額638万4千円支払った。それでも年金受取額は、銀行員と結婚したB子さんの半分の月6万7千円にしかならないのです。
 ラスト4人目の専業主婦D子さんは、銀行員の夫の定年を機に熟年離婚。いまの制度では厚生年金は全額夫が受け取ることになり、D子さんがもらえたのは国民年金の月5万7千円だけ。亡くなった夫の遺族年金は夫の再婚相手に持っていかれてしまった。老後を考えると離婚も慎重にならざるをえない、ということでしょうか。
 30年後といえば、私も70代半ば。高齢者の数が増え、年金には期待できないかもしれません。老後の保障が無いなんて、不安を感じてしまいます。だから、ここ何年間の現象として、敢えて年金に加入せず、個人で保険を積み立てようとする若者も増えているのです。学生やフリーターなどの本人全額負担の国民年金には、わたしも同情さえ覚えてしまいますが…。
 老後、女性が一人でも生きていける社会を築いていくことの必要性を感じます。年金制度の問題点は私自身の課題なのですから。 
      (恵)

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スポーツ界の怪


 夏の高校野球が続き、溌溂たるプレーに一喜一憂が広がります。だがしかし、スポーツ界は今や暴力と金に支配されていると言っても過言ではありません。プロ野球では、審判員に対する暴力が後を絶たず、本来なら傷害事件になるようなものもウヤムヤにされています。もっとも、プロは金のためだから、プレー中に暴力が出るのも当然かも知れませんが。
 アマにしても、その頂点に立つオリンピックが金まみれだし、高校野球のようにアマがプロへと直結しているところでは金によって歪められるのも当然でしょう。いずれにしろ、アマスポーツ界も本来スポーツが持つ明快さとかけ離れて、奇怪な力による支配が貫かれていることは明らかです。
 この事実を露にしたのが、千葉すず選手が日本水泳連盟の決定を不服として行なったCAS(スポーツ仲裁裁判所)への訴えです。残念ながら、日本水連がこれまで明らかにしていなかった基準を持ち出したために、決定は覆りませんでしたが、オリンピック代表選手の決定の不明朗さもさらに浮き彫りとなりました。
 しかし、古橋廣之進という既にカビの生えたオリンピックメダリストが、いつまでも権力を振るっているようでは、選手も浮かばれないだろう。これはサッカーの釜本邦茂氏にも当てはまることですが、名選手が名指導者になるとは限らないのに、過去の名前で現在を縛り、恣意的指導がはびこっているのです。
 ここで少し話題を変えて、Jリーグ・ウィッセル神戸の監督による暴力事件について、二つの主張を紹介します。といっても事実関係で大きな食い違いがあり、一方は暴力行為や解任要求はなかった、監督が選手を小突いたのは事実だが、鉄拳というようなものではなかったと主張しています。
 さらに、オーバーな記事を書いたスポーツ紙の記者が、「いい話≠ネんて書きたくない。ゴタゴタ≠ェ一番面白いんや」と発言したことに腹を立て、「他のスポーツ紙を含め、今回の事件に対する評価は『大したことない』に集約されたようだ。でも、匿名になってはいるが、監督が手を上げた選手ってだれだろう?」(神戸新聞運動部記者・久保田輝)とも述べています。
 だったらウィッセル神戸が7月19日、川勝良一監督の選手への暴力行為について罰金10万円と厳重注意の処分を科した事実はどうなるのでしょう。スポーツ新聞記者が面白おかしく、針小棒大な記事を書くのは事実だし、それをけしからんというのもわかりますが、暴力を指導の一環として容認する姿勢はいただけません。
 こうした体育会的体質に鋭い批判を向けているのが、スポーツジャーナリストの谷口源太郎氏です。谷口氏は「中学・高校・大学はもとよりプロスポーツにいたるまで指導者による暴力行為は、日常茶飯事のことになっている。そして、その暴力は、ほとんどの場合、『愛のムチ』といった言い方で粉飾され、問題にされないままですまされてきた」(「週刊金曜日」325号)と指摘し、その諸悪の根源は大学の体育会であると告発しています。
 そこからさらに、谷口氏は「軍隊方式を取り入れ、ゆがんだ伝統のもとで指導者を生み出してきた体育会を解体し、自主的、民主主義的な大学スポーツを実現しなければ、暴力指導者の跋扈をくい止めるられない」(同前)という結論を導き出しています。しかしもう一つの側面、スポーツで強くなるためには立派な施設やお金がいる、要するにスポンサーが必要だということもスポーツを歪める一因となっていることも忘れてはならないでしょう。
          (晴)

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サマースクール


 先日、何年振りかで、新幹線に乗りました。東京まで3時間弱、禁煙席ということもあって、快適に過ごすことが出来ました。ただ、冷房が少し効きすぎるのと、外部への騒音がどれほどのものなのか、気になりました。私の実家のすぐ裏には新幹線が走っているので、だいたい想像がつきますが…。
 毎年恒例のワーカーズ・サマースクールで、久しぶりにメンバーと顔を合わせました。1泊だけのささやかな交流ですが、気持ちをフレッシュアップさせてくれます。食事付きで1泊大人4000円ちょっとの宿泊費は、魅力的でもあります。しかも東京タワーはすぐそばという便利な所です。
 ところで、今回のサマースクールは、「Workers」連載記事(日本資本主義の90年代の危機は何だったのか?)を活用しました。景気の低迷は、中高年はもちろん若年層をも巻き込み、リストラ攻撃を許してしまっています。日本独特の年功序列=終身雇用制は、もう経済的にも維持出来なくなったということでしょう。代わって出てくるのが、これまでの能率主義に成果主義が加わり、個人の成績・評価が問われる雇用形態です。
 これからは、家族を養うための扶養手当、住居手当など手厚い保障は、期待出来ないかもしれません。しかし、現行の家族丸抱えの生活給としての賃金体系にも問題があったのです。パート労働者が一人前に見なされず補助労働とされるのは、家族の生活給としての賃金と表裏一体ということでしょうか。産業別に統一された職務給制度こそ、パートにも平等な賃金が保障されるのです。
 私が何よりも自慢できるのは、それぞれの自主的な記事の作成で、月2回の「Workers」が発行出来ていることです。インターネットの登場で、新聞なんてもう古いと思っている人もあるかもしれません。しかし、コンピューター操作が苦手、購入資金が無いなど、まだまだ新聞の役割は必要ではないでしょうか。
 今年のサマースクールは、本家ワーカーズの方々と合同で行なえたことは、大きな成果だと思います。どんな未来を築いていくのか、永遠のテーマを課題に話はつきませんでした。来年に向けて、また頑張りましょう。
     (恵)

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無惨な死


 先月の11日、私がジョギングコースとして利用している武庫川の河川敷で白骨化した遺体が見つかったことを、地元紙の報道で知りました。「甲子園署によると、遺体は男性で死後一カ月程度。四〇−六〇歳、身長約一六〇センチ。白色Tシャツに色が判別できないジャージー姿。テント内で仰向けの状態で倒れていたという。外傷がないことなどから病死の可能性が高いとみて、身元の確認を急いでいる」(7月12日付「神戸新聞」)
 小さな記事の、「男性の変死体」という小さな見出しになった、白骨化した遺体の持ち主が泣いているようです。彼が無念の死を遂げ、白骨化の果てに発見されるまでに、私は何度か河川敷を走っています。橋の下などにある仮設小屋は見慣れたもので、いつも気にも止めずに走っています。日曜日ともなれば野球やサッカー、家族連れのバーべーキューでにぎわう河川敷の、同じ空間のなかで彼は次第に白骨化したのです。
 もちろん、束の間の休日を河川敷で楽しむことや、私のようにジョギングコースとして利用することがいけないと言うのではありません。同じ空間のなかで、少なからぬ人々が仮設小屋やテントでの暮らしを余儀なくされ、それを見てはならない、触れてはならないものとしてしまっているのです。だから、何も知らずに、気づくこともなく走っていた自分の姿に、後ろめたいものを感じてしまうのです。
 神戸市内の野宿生活者を支援している「神戸の冬を支える会」によると、神戸市内の野宿者の総数は505人、1年前の調査より6人増えているそうです。この数字は、前回調査以後の生活相談によって(生活保護や年金受給)野宿生活を脱した151人を含めてのもので、野宿者の増加傾向をはっきりと示しています。同会の村田稔代表は、「問題の切実さを痛感する。個人の問題ではなく、野宿を生み出す社会の問題としてとらえてほしい」(7月18日付「神戸新聞」)と語っています。
 リストラの嵐が吹き荒れ、明日は我が身かという雰囲気のなかで、他人のことなどかまっている余裕はない、我が身を守るのが精一杯というところでしょうか。むしろそういう状態だからこそ、増え続ける野宿者はいっそう排斥されているのかも知れません。尼崎市では市民の苦情によって、野宿者の荷物を市が公園から撤去する事態も起こっています。
 最近、我が家の小学生が学校から持って帰ってきた「愛護だより」を見て、がく然としました。校区の地図に公園や危険な箇所の記述があり、「チカン注意」くらいまでは仕方ないと思いますが、「小屋があって浮浪者出没!」とあるのです。以前イノシシが出没するので注意してくださいというのはありましたが、こんなことを書けば偏見を煽るということに気づかないのでしょうか。それとも、浮浪者は警戒の対象でしかないのでしょうか。
 それにしても、小屋があってそこに住んでいるのなら、姿を見かけるのは当然です。それを出没≠ニ書いて怪しまないのです。子どもたちの安全を思ってのことだというのが、私にはよけいに恐い気がします。公園の野宿者は目障りだからテントや荷物を撤去せよ、というのも同じ意識から出てくる要求です。
 ここから、少年による面白半分の野宿者狩り≠ヨはあと一歩ではないでしょうか。そういう意味で、少年たちの問題行動は大人社会のゆがみの反映です。「6・13西宮事件」では、野宿者の反撃によって少年が死亡するという不幸な結果を招きましたが、再びそうした結果を招くタネは、残念ながら増え続けているようです。
        (晴)

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暑中お見舞い申し上げます


 今年は梅雨明け前からの厳しい暑さのため、体力も消耗し何かに集中することも出来ない日々が続きました。こんなに早く夏バテをしてしまって、夏本番まで大丈夫かなと少々不安です。クラブにプールと毎日忙しい子ども達を、羨ましく思う今日この頃です。
 毎年夏休みの初めに、泊まり掛けで海に出かけるのが我が家の恒例の行事でした。ところが、今年から三女も中学に入り、クラブ活動で時間の都合が合わなくなりました。そんなわけで、今年は日帰りの出来る淡路島に行ってきました。
 橋が架かり時間は大幅に短縮された淡路島ですが、橋の通行料が普通車で往復5200円も取られます。午前中を海水浴で遊び、夕方から入場料が半額になる淡路花博に行きました。当初、島全体がお祭り騒ぎになるだろうと経済的な効果が期待されましたが、会場周辺に限られているようです。
 会場には私たちと同様、半額(といっても大人1500円)に引きつけられた家族連れが列を作り5時入場を待ちました。暑くて、人が多く待ち時間で疲れるという前評判は、夜のため問題なく解消。イベント会場も全ては無理でしたが、3ヶ所見ることが出来ました。立体映画、緑をテーマにした熱帯雨林の大パノラマなど、子ども達の喜ぶようなものでした。
 しかし、65歳以上には入場料が割引される特典がありますが、はたして高齢の方に配慮された会場やゆったりした空間があるのだろうか、疑問になりました。各国、各県の代表する花が披露されていますが、約2〜3メートルの間口で形式的なものです。もっとスケールの大きい自然に咲いている花と緑を期待していたのですが…。
 建築家、安藤忠男氏が再生・復興・共生への思いを込めて出来上がった「ジャパンフローラ2000」と詠っていますが、はたして地場産業の復興に貢献出来たのか、疑問です。予想をはるかに上回った入場者数。橋を利用してやってきた企業の大儲けということでしょうか。自然との語らいがテーマなら、イベント行事に終わらせるのではなく、将来的に継続的に利用できる場を創造すべきではないでしょうか。
 私が中学生の頃、大阪で万博があり、長い行列を作ったことを思い出しました。あれから30年、博覧会と称して行なわれるイベントの数々、今も続いていることの問題点を感じます。極暑と言われている今年の夏、美味しいものを食べ早寝早起きで乗り切りましょう。     
         (恵)

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お客様より会社が大事


 関西方面を中心に、雪印低脂肪乳などの被害が相次いでいます。その数は大阪を筆頭に1万3千人を越すというものです。被害を大きくしてしまった原因が、消費者への配慮よりも企業論理が優先してしまった結果と言ってもいいでしょう。しかも大量生産を基本にした市場拡大が、被害を更に深刻にしたといえます。
 当初の消費者からの被害届けを隠さずに、早く対処すればこんなに被害が出なかったはずなのに。誰もがそう思って一件落着と見ていたのに、更にヨーグルトまで汚染されていたとは…。残乳を接続するパイプとバルブは洗浄が困難という、構造上の欠陥も明るみになり、ますます企業不信がつのるばかりです。
 余った低脂肪乳を調整乳タンクに戻すため、仮設チューブでつないだバルブの付近から食中毒菌が検出されたとありますが、事実上、企業の自主管理に任されていたのでは起こるべくして起こったということでしょう。厚生省は、この怠慢な作業を指導していた雪印大阪工場に、食品衛生法に基づく「総合衛生管理製造過程」(HACCP=ハサップ)を5品目に与えていました。
 HACCPの承認は「厚生省のお墨付き」を与えられ、業界でも有利に販売ルートが確保できます。今回の事件で、厚生省は「加工乳」「乳飲料」の2品目分の承認は取り消す方針を決めたそうですが、こんな軽い制裁で良いのでしょうか。
 今回の食中毒事件で低脂肪乳が話題になりましたが、健康ブームに乗っかった売り出しの一商品と言えるのではないでしょうか。体脂肪率やコレストロール値などに敏感な消費者にとって、牛乳よりも体にいいと言うことかも知れません。牛乳はカルシウムが豊富で栄養価が高い、と思い込まされているのが現状です。しかし、牛の餌を含めた飼育のやり方・牛乳の殺菌温度などを考えると、大企業が製造する市販の牛乳は、ほとんど栄養分が無く水に近いと言われています。
 それに比べホモパスチャライズ(HTST)は、低温殺菌牛乳で72℃15秒間殺菌をします。スーパーでよく目に付く高温殺菌の130℃2秒間殺菌よりも、乳成分の熱変性が少ないのが特徴です。しかも、飼料は遺伝子組み換えは使っていません。これは、私が共同購入をしている製品ですが、何をどう選ぶか賢い消費者になることが望まれます。
 雪印乳業の社長は、大阪工場を閉鎖することを決めました。心配になるのは工場で働いていた従業員のことです。家庭を持っている人もあるでしょう。これからの仕事はどうなるのか、不安な日々が続くことでしょう。大阪市の告知の提案に対し、意志決定に半日を費やし、公表に踏み切るにはさらに6時間もかかった雪印乳業。これが利潤第一の企業の体質なのです。覚えておきましょう。
          (恵)


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排外意識


 6月30日、大阪入管神戸支局はペルー人一家に退去強制を通告し、夫のマリオさんを収容、妻のソニアさんと3人の子どもは仮放免しました。このままでは、彼らはいつ本国に送還されるかわかりません。わが国の入管行政は、今も「外国人は煮て喰おうと、焼いて喰おうと自由」だと思っているようです。
 一家は1993年4月に観光ビザで来日、といっても二女と三女は日本で生まれています。ちなみに長女は小学校6年生、さすがに文部省は教育を受ける権利を認めないとは言わないようです。というか、日本の行政は縦割りだから、文部省が少し融通が利くようになって、子どもたちが学校や保育所での生活を楽しめるようになっていても、入管は別の規定を持ち出していとも簡単にそれを奪ってしまうのです。
 マリオさんは来日以来龍野市の皮革工場に住み込みで働き、家族とともに地域の一員として何の問題もなく生活してきたのです。そんな一家に対して、入管は「家族や国内外の情勢、人道的な観点などを踏まえ、総合的に判断」して退去強制が妥当だと言うのです。こんなこんにゃく問答のような説明では誰も納得しないし、例によって判断基準は何も示されていません。
 ここに至って、一家と一家を支援する人たちに残された道はこの行政処分を不服とする裁判を提起すること、つまり法務大臣を相手に裁判をする以外ありません。もっとも、法務大臣といってもそれは単なる名目だけだから、実際の相手は法務省・入管当局、そこに巣くう煮ても焼いても喰えないお役人です。
 ところが、入管当局の理不尽な行政が続くのもそれなりの理由というか、社会的基盤があるのです。最近、それを証明したのが石原都知事です。政治や経済が行き詰まったとき、日本人であるという共通条件に訴え、異端者を排斥する、排外意識を煽ることは今も有効のようです。
 ペルー人一家の記事が地元紙に大きく載ったのち、支援の申し出もあったが、「なぜ犯罪者の肩を持つんだ」という抗議とともに、「出ていけ!不法外国人」という非難のチラシが新聞社に送られてきたといいます。世はまさに国境を超えて動く時代になっているのに、国籍にこだわらなければならない理由がどこにあるのでしょうか。まして二女と三女は日本で生まれているのだから、日本の国籍を持っていても不思議はないのです。むしろ十分に地域に溶け込んだ一家に、国籍を与えないことのほうがおかしいのです。
 一方で、年々の出生率の低下が深刻な問題になっています。これは経済的な発展の影響もあるだろうし、民族的なエネルギーの衰退の影響もあるでしょうが、個人的には別に悲しむことも心配することもないと思います。もっと自然体で、日本人としての血や国籍にこだわることなく、ともに生きていけるようになればそれで十分です。そうなれば入管なんかいらなくなるというものです。
     (晴)

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必要です!「巡回投票制度」


 本日、自宅から歩いて5分の小学校で、選挙投票に行ってきました。私の後には、車椅子に乗った年配の女性が、介護の方と一緒に来られていました。雨が降らずに良かったと思いつつ、ふと、この間の新聞記事を思い浮かべました。
 その記事とは、知的障害で対人恐怖症になり外出できない20歳の男性のことです。男性が今年2月の大阪府知事選に強い関心を示したため、両親が茨木市選管に郵便投票が可能かどうか、問い合わせたが認められなかったことが発端です。今回の衆院選でも訴えは、門前払いという冷淡な対応に、男性の家族の決意は固まったようです。
 その結果、「衆院選などで郵便投票が一部の身体障害者にしか認められず、憲法が保障する投票の権利を奪われた」として、国に慰謝料100万円を求める国家賠償請求訴訟を、大阪地裁に起こしました。なぜ、障害者手帳などを持つ重度の身体障害者しか、郵便投票は利用できないのか、説得させるだけの理由が無かったはずです。
 寝たきりの高齢者、妊婦なども視野に入れた自宅投票制度が出来るきっかけにしたい。男性側の提訴が、現行の選挙制度に議論を巻き起こすことを期待したいものです。在宅投票制度は1948年、病人、妊婦など歩行が困難で投票所に行けない人のためにできたそうですが、悪用が横行して52年には廃止となったようです。そして、その代わりとして74年に対象者を狭める形で、現在の郵便投票制度ができたというわけです。
 対象者を狭めるだけでなく、必ず本人が書くという条件付きの郵便投票制度には、難病患者団体からも法改正を望む声があがっています。五十音を書いた文字盤でしか会話が出来ないALS(筋肉萎縮性側索硬化症)患者は、棄権せざるを得ないということになります。
 「代理投票」という制度もあるのですが、字を書けない人が第三者に記入してもらうもので、本人が投票所に行かなければならないという条件付きです。歩けない、自分で書くことが出来ない患者、障害者は制度を利用できないのです。制度があっても利用が出来ないとは、悔しい限りでしょう。
 投票する意思のある人を放置した現行の公選法とは、一体何でしょうか。憲法で保障されている投票の権利を、国家として保障できていないとは恥ずべきことです。国家賠償を求め提訴した男性の家族には、大きな拍手を送りたい気持ちです。  (恵)

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何が変わったのか


 敗戦から55年、新憲法も古くなったから変えてしまえという声がかまびすしい、今日このごろです。そんなふうに言っている人たちは、現在の日本社会をどのように見ているのでしょうか。若きベアテ・シロタ・ゴードンさんが情熱を注いだ、家制度からの女性の解放は実現したでしょうか。例えば、憲法24条の「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、…」という規定は、日本社会にすっかり定着しているでしょうか。
 最近、姪の結婚式に出席する機会があり、そこでこのことを考えさせられてしまいました。まず最初にがっかりしたのが、○○家と□□家という形式でした。次に気づいたのは、バージンロードというのは父親から新郎に新婦を託す形式になっていることでした。キリスト教のことは全くわかりませんが、そこには女性は保護の対象という思想があるのでしょう。思わず、何だこれはという気分になってしまいました。
 新婦が結婚退職するというので、披露宴ではつまらない話がたくさんでました。曰く、新郎が仕事に専念できるように、家に帰ったら寛げるように、等々。そういう話を新郎の上司、つまりは私と同じ年代の男たちがしゃべり散らすのです。いったい何が変わったのだろうか。
 私は形式に捕われるのが嫌で、結婚式もしなかったし、葬式もなしですませたいと思っています。もちろん、それを人に押しつけるつもりはありませんが、内実のないところに形式がでしゃばることだけは指摘せずにはおれません。結婚式がますます盛大になり、式場産業の思惑に踊らされている現状は、嘆かわしい限りです。
 家制度などもうとっくに陰も形もなくなったと言う人がいるかも知れませが、結婚式や葬式のなかにそれはしっかりと息づいているのではないでしょうか。個人的にはそんなものに縛られたくないと思っていても、結局世間並みに無難にすませてしまっているのが現状です。親や兄弟・姉妹、或いは親戚が何と言おうと、自分らしくやってしまうことが大切なのです。
 ちなみに、兵庫県教育委員会が発行している中学生の不登校に関する冊子にこんなくだりがあります。家族の役割にふれています。母性と父性がうまくかみ合ってこそという指摘ですが、なぜ母性が優しさで父性が厳しさなのか、片親だったら子どもは不完全に育ってしまうのか、あまりに安直な記述です。 「子育てには、子どもを自分の一部として抱きしめ、平等に育てていこうとする優しさ 『母性』と、子どもをその能力や個性に応じて類別しようとする厳しさ『父性』が必要です。これらは、人間の成長にとって片方のみでは不完全であり、…」
 ベアテさんが新憲法草案に書いた、婚姻と家庭は男性の支配ではなく両性の合意に基づくべきだという理想は、古くさくなったどころか、半ばも実現していないように思われます。それどころか、改憲を叫ぶ議員連中は家父長的家庭をよしとしているのではないだろうか。最も彼らの多くは教育勅語で育った世代だから、森某といった人物のように死ぬまで治らないのだろうから、一刻も早く退場してもらうしかありません。
 私が最も危惧するのは、新郎新婦と同世代の同僚や友人たち、20代の若い人たちが結婚式に象徴される古い形式に疑問を抱かないのかという点です。華美に過ぎる披露宴、食べ物もずいぶん無駄にしてしまって、その時さえ良ければいいということなのだろうか。かくして、貧乏性で儀式嫌いの叔父さんの愚痴は果てしなく続くのでした。
         (晴)

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循環型社会とリサイクル


 資源を大切に、を合い言葉に始まった自治体のリサイクルも定着してきました。新聞紙・ダンボール・古雑誌・ボロ布・牛乳パックなど月1〜2回の回収が行なわれています。回収時には、廃品回収の業者と市の職員が連携をとって、スムーズに各ステーションを回っていきます。又、生協やスーパーでも、食品トレーやペットボトルも対象としたリサイクルが実施中です。
 確かに、リサイクルで資源は再利用できます。しかし、リサイクルを良いことに生産者側は際限無く、資源を新たに浪費することになります。そして、消費する私たちもリサイクルに甘え、再び商品を買ってしまうという悪循環に陥ってしまっているのです。
 リサイクルだけでは大量生産・大量消費という今までのシステムを変えることはできません。そこで、エントロピーの法則を基本にした循環型社会に注目したいと思います。槌田敦氏の説明によると、エントロピーとは簡単に言えば汚染の量ということです。生物が生きていることは老廃物を排出する、生命活動からもエントロピーが出来てしまうと言うわけです。
 このエントロピーの法則からは、牛乳パックの再利用には多大なエネルギーがかかるため、かえって環境悪化になるとまで言い切ります。その理由は、牛乳パックを再生してトイレットペーパーを作ることと、燃やして熱エネルギーを取り出すことと、どちらが環境に対して負荷が少ないかを比べると明らかなります。
 再生紙の方が価格が高くなる、これでは市場競争に勝てません。市場経済の役割も積極的にとり入れ、生産者に責任を持たせるデポジット制やヨーロッパで実施されている炭素税などを用いた循環型社会の実現は、不可能ではないと思います。言うまでもなく、廃棄物が環境を悪化させる原子力発電はもちろん、ダイオキシンを発生させるペットボトルを始めとするビニール製品の汚染の量は、計り知れないことでしょう。
 自然に調和した生産活動は、当然、人間にとっても生命活動をモットーとした循環型社会になるはずです。廃棄物であふれ処理場に困り、不法投棄しなくてはならないのは、汚染の量が多すぎるからでしょう。ペットボトルの国内生産も1999年で約33万トンで、96年の約2倍にもなっています。兵庫県の加古川市内では、業者にペットボトルの回収から分別処理までを委託し、その委託料が今年度は4000万円にも跳ね上がったという結果がでています。循環型社会に向けて私たちの生活も見直す時期に来ているようです。
           (恵)

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香川県の犯罪


 国内最大の不法投棄事件となった豊島(てしま)の産廃問題に、ひとつの結論が出されました。真鍋武紀香川県知事が謝罪することで、公害調停の最終合意を見たわけですが、私にはこれで解決とはとても思えません。確かに起こってしまったことの処理としては、それは止むを得ないのかも知れませんが、責任の取り方や再発防止という点からはあまりに不十分に過ぎます。
 まず排出業者が支払う解決金はたったの3億2500万円に過ぎず、排出者責任は全く不問に付されています。香川県は今後、約50万トンもの産廃を処理するために、約300億円もの支出をしなければならなくなったことを考えれば、排出業者の負担は無きに等しいものです。県知事は謝罪はしたけど、彼の懐はちっとも痛まないで、結局は県民の負担となっしまうのです。
 そもそもこの問題は、産廃処理業者「豊島総合観光開発」が1975年に香川県に産廃処理業許可を申請したのが発端です。県当局はこの業者にあらゆる便宜をはかり、ミミズの養殖の名目で産廃を運び込むことまで容認したのです。豊島住民の粘り強い闘いによってここまで来ましたが、本当に責任を取るべき人物は逃げ得となっているのではないでしょうか。
 豊島総合開発はすでに破産していますが、経営者らの責任は個人のレベルで最後まで追及されたのか。産廃を出した企業もしっかり摘発したのか。ここで逃げ得を許さず、違法・不当な産廃処理をすれば、その時は安上がりとなってもあとで返って高くつくことをわからせないと、こんな事件は今後も続くでしょう。
 県当局はどうか、これは全くいい加減な処理で、犯罪的ですらあります。当時の担当職員2人が訓告を受けた、たったこれだけです。お役人は責任を取らないと言いますが、豊島住民に多大な苦しみを負わせ、県民に多大な負担を負わせた責任の取り方が、懲戒処分にもならない単なる訓告とは、開いた口が塞がりません。
 「長期に職務に従事し、現場の状況を把握していたにもかかわらず適正な職務遂行ができなかったため」に訓告を受けたのは、片山宏・衛生研究所研究主幹と、井口徹・生活衛生課副主幹の二人です。こんな奴らは即刻クビにして、刑事責任も追及すべきです。それを実損のない訓告ですませ、これからも県のお役人としてぬくぬくと過ごさせるのはもっての外です。
 もちろん彼らだけではなく、およそこの事件に関わり、仕事としてやるべきことをしなかった連中も全て、なんらかの痛みを伴う処分をすべきです。最もその前に、県知事が単に口で謝るだけではなく、先頭に立って給料を返上するくらいでないと嘘です。このままなら、お役人は責任を取らなくても(仕事をしなくても)いいと言うことになり、今後もこうした不始末をしでかすでしょう。
 そうした新たな例として、東京・日の出のごみ処分場での土地の強制収用があります。処分場を拡張するために、反対を押し切って強制収用までしようとしていますが、これによってもたらされる環境破壊、健康破壊が将来の大きな負担となって跳ね返ってくる可能性があります。
 ここには26市1町のごみが毎日600〜700トン運び込まれるということですが、現在の使い捨て(大量生産・大量消費・大量廃棄)そのものを問い直さない限り、日の出の処分場をどんなに拡大しても何も解決しません。いつか日の出のごみ処分場が豊島のようになったとき、その責任は誰が取り、その費用は誰が負担するのでしょうか。
          (晴)

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自然体をモットーに


 自国で生まれ育った私が、日本人を意識することは積極的にはありません。むしろ、過去の侵略戦争の重荷を背負い、日本人として問われる立場なのです。けれど、在日外国人とりわけ韓国・朝鮮人の場合は、意識せざるを得ない現状を、日本社会が作ってしまっています。
 私には、知り合って20年近くなる在日韓国人の仲間がいます。彼女は日本社会で生きていくことでの様々な制限に、諦めることなく自分なりの抵抗を行動に移してきました。外国人登録カードの常時携帯の拒否も、自由を束縛されていることへの抵抗です。彼女の子どもはもう中学生になっていますが、日本の男性との結婚を経て、生まれてきた子どもの国籍をどうするか、国籍の選択で話題になったことを覚えています。現在は選択については、子どもが成人するまで保留にし、子ども自身が判断出来るまで引き延ばせるようになっていると聞きました。
 先日、ある集まりで「韓国・朝鮮系日本人としての、日本国籍を取得することを考えている」という男性の力強い訴えを耳にしました。帰化は帰化なのですが、積極的な生き方を選ぶ国籍の選択なのです。なぜ、彼がこういう生き方を選択しようとしているのか、是非皆さんに伝えたいと思います。
 100%韓国人になろう! という決意での5年間の韓国留学の体験が、出発点となりました。韓国語はマスター出来たものの、生活様式・習慣までも無理に合わせようとした結果、ノイローゼになる寸前まで追いつめられてしまったのです。日本人でもない、韓国人でもない、中途半端な自分自身に悩まざるをえなかったのです。
 そして、無理に合わせることの不自然さに気づき、韓国・朝鮮系日本人という新しい形での日本国籍取得に至ったのでしょう。もちろん、通名ではなく、今まで通り本名を使いながら…。自然体でという言葉の響きに、私も思わず拍手を贈りたくなりました。
 義務ばかり押しつけられ、職業選択や選挙権は与えられない、こんな不正な制度を変えていくためにも、帰化には違いないのですが、積極的な日本国籍取得は効果的といえるでしょう。新しい世代の独創的な考えが、きっと何かを生み出していく、そんな嬉しい予感がしました。
         (恵)

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中 食


 最近「中食」という言葉を知りました。昼食ではなく中食。外食は外で食べることですが、中食は出来合いのものを買ってきて家で食べることのようです。その供給源は百貨店やスーパーから、弁当屋さんやコンビニまで熾烈な競争をしています。そんななかでも、コンビニ弁当は便利さで群を抜き、今や日常生活の一部になった感があります。そんなコンビニ弁当がどのようにつくられているのか、「食卓のゆくえ」を検証する新聞の特集から紹介しましょう。
 コンビニ大手からの委託で、ある工場のラインは24時間動き続け、昼夜3交代で働く女性労働者によって弁当3万食、おにぎり6万食が製造されています。ご飯は洗米から炊飯まで自動で、煮物や揚げ物の惣菜作りも材料をセットするだけでよく、盛り付けだけは見栄えよくするため手作業だそうです。すごいですね。
 外食と違って口に入るまでに相当の時間がかかる中食の悩みは、品質の悪化という問題です。そこで、こんな工夫を施すのです。 「スパゲティはゆでたての歯ごたえが損なわれないよう、小麦粉の配合を工夫する。すしなら、ネタの鮮度維持に必要な低温でもシャリの水分が蒸発しないよう、ご飯粒を糖でコーティングする。煮物の表面はでんぷんを使って『照り』を出し、汁物総菜はゲル化剤で汁ごとうまみを閉じ込める…」(5月9日付 「神戸新聞」)
 これまたすごいですね。だけど、何か不安も感じます。その不安にずばり答えるのが、フードビジネスプロデューサーの山下智子さんです。彼女はコンビニ弁当の試作品を食べて、その味などについてアドバイスする仕事をしています。その彼女が、コンビニ弁当は夏でも常温で24時間程度はもつようになっているが、それで大丈夫なんだろうかと疑問を投げかけているのです。
 山下さんは試食の時、30〜50の試作品を片っ端から食べるそうですが、その間に1・5リットル近い水を飲みます。それは味が濃いせいもありますが、保存料や添加物が使用されているのを、大量の水で流してしまいたいと体が自然に指示しているからだそうです。これを彼女は「体が発する警告」だと言い、体が警告を発しているうちはまだいいが、慣れてしまったらどうなるのかと訴えています。
 新聞に寄せられた声が、もっと決定的な事実を明らかにしています。短いので、全文を紹介しましょう。「息子がアルバイトで、ご飯を炊く会社に勤めています。大手のスーパーから注文を受けて卸すんですけど、炊く際に大量の防腐剤を加えるそうです。工場は臭気がすごいんですが、炊き上がると、匂いが消えています。本人は気持ち悪くて食べる気がしない、と。主人は、おにぎりを買って、おいしいと食べていますが、やめてもらおうかしら。ものが腐るのは自然なこと。そういう食品の方が安心できる気がしてきました」
 これは決定的証言です。ちなみに『買ってはいけない』ではこんなふうに紹介されています。「午前中に配達されるおにぎりは、夜中の午前0時から4時にかけて製造されたものだ。お客が集中する昼までには8時間以上が経過している。そして売れ残ったものはそのまま陳列される」(14ページ)。このおにぎりの「消費期限」は翌朝の午前3時から7時だそうです。全ての証言が同じ事実を証明していますが、あなたはそれでもコンビニ弁当を食べ続ける勇気がありますか。
      (晴)


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服従しません「日の丸・君が代」


 連休の終わりに企画した「現代を問う会」に、新聞社から取材がありました。テーマが「日の丸・君が代」と、思想信条が問われる問題だけに、ちょっと意外な取材でした。当日は、反対派が多数を占めましたが賛成派の方もいました。
 日本人であるなら、なぜ反対するのか?賛成派の方は疑問を投げかけてきました。日の丸が過去にどんな役割を果たしてきたのか、そして現在もなお国内だけでなく、アジアの人々に反感を持たれている現実をどう見るのか、日本人であるからこそ問われていることなのです。一方で、私たちは偶然に日本に生まれただけで、日本人はこうあるべきだと枠にはめてしまうのも危険と指摘がありました。
 日の丸・君が代には、身震いするほどの嫌な思い出があると、語ってくれたのは在日朝鮮人の高齢の男性。8才の時に父を訪ねその後67年間、日本での様々な弾圧・排除の政策に、屈せず闘ってこられた生きざまに尊敬に似たものを感じました。日本に住みながら日本国籍は与えられず、義務だけは責任を持たされる、そんな日本の国をどうして愛せますか?
 卒業・入学に日の丸・君が代を導入するのは、子どもに服従することを教える一つの手段として見るのが妥当なのでしょう。しかし、それが実施されているということは、校長自身が指導要領という内部通達に服従してしまった結果なのです。このような管理下の学校で人権を尊重した教育など、出来るはずがありません。
 今年から中学生になった娘が持ち帰ってくるプリントには、教師からの言葉が何か不自然な気がしてなりません。子どもとの関わりを求めているあまり、中学生への対応とは思えない幼稚な問いかけがあったりします。しかし、管理することには厳しすぎると思われることがあります。例えば、給食時の班体制(責任連帯制)での罰則のきまりには、唖然とするほど細かに点数が列挙されています。マスクを忘れるとマイナス1点というふうに。
 取材があり、気合いの入った例会となりましたが、写真撮影の是非で少し討論となったことも付け加えておきます。弾圧があるかもしれないと、心配することよりも宣伝効果をと考えたのは楽観すぎるのでしょうか。取材に来た若い記者が、どんな記事を書いてくれるのか、楽しみにしています。記事が没にならなければいいのですが…。 
    (恵)

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外国人の犯罪


 4月9日の陸上自衛隊練馬駐屯地創隊記念式典での、石原慎太郎・東京都知事の発言が波紋を広げています。彼の発言の危険性は、「三国人」という言葉を使用することによって一定年齢以上の日本人に敗戦時を想起させたことにとどまらず、現代の日本人の在日外国人との軋轢を表面化させたという点にもあります。彼は民族差別や排外意識を掻き立てるためにああいう発言をしたのであり、その彼の発言が予想に反して多くの支持を得たのも、掻き立てたら燃え上がる火種が日本社会に存在していたためです。
 1945年8月15日、大日本帝国は敗戦を迎えました。その日は侵略された側の人々にとっては解放の日であったわけですが、そのことが理解できない日本人にとって在日朝鮮人や中国人の行動は、「我が物顔で振る舞う第三国人」の横暴として反感を覚えたのでしょう。人は、自分たちがやったことの意味は深く考えずに済ませますが、自分が受けた被害はよく覚えているものです。石原氏もそういう体験から、「第三国人」への反感を持ち続けているのでしょう。
 そして現在、自分たちとは違う異質な人々が増えつつあること、あるいは直接的に何か不愉快な思いをした経験がある日本人にとって、在日外国人は排斥の対象でしかないようです。都知事としての石原氏にとっては治安維持の対象でしかないということと、ピッタリと符合しています。都庁に反発の声を倍する共感が寄せられているというのは、そういうことだと解釈する以外ないと思います。
 そんなさ中の4月末、警察庁が昨年1年間に全国で摘発した来日外国人の犯罪が過去最高になったと発表しました。これを報ずる紙面には「外国人の犯罪最悪」という見出しが踊り、まるで石原氏の援護射撃のような記事になっています。もちろん、外国人による犯罪が増えている(発生件数と摘発件数が比例するものとして)という事実は、それはそれとして確認しなければならないのですが、外国人は恐いという気分を煽るのではないかと恐れます。
 内容を簡単に紹介しますと、昨年の摘発件数は前年より8・2パーセント増の34398件ですが、摘発人数は3年間横ばいの約13400人となっています。そしてその特徴は、「犯罪のプロ化が進み、同じ人物が何度も摘発されるなど計画的、組織的な犯罪が増えている」(警察庁)というものです。なるほど、それで件数は増えているのに人数は増えていないという結果になっているのです。
 こうして内容にまで立ち入れば、一般的に在日外国人の犯罪が増えているとか、彼らは犯罪集団だとかいうことがいかに事実を歪めるものであるか明らかです。在日外国人の犯罪者集団による犯罪が増加、凶悪化しているというというのが、この記事の内容だったんです。これは明らかに「外国人の犯罪過去最悪」という見出しから受けるイメージと違ったものです。
 いずれにしろこうした問題は在日外国人の増加、今日においてはそれは外国人労働者の増加の問題です。急速に少子高齢化が進むなかで、日本企業にとっては外国人労働力への依存は不可避となっています。とりわけ国際競争に勝ち残るためにコストダウンを迫られている企業にとって、3K職場もいとわない低賃金労働力としての外国人労働者は実に都合の良い存在です。こうして、一方で失業率が上昇し、他方で外国人労働者が進出するという事態となり、そこでの軋轢が高まることとなってしまいます。
 これは何と不幸な悪循環でしょう。日本人であれ外国人であれ、犯罪は犯罪です。日本人であれ外国人であれ、労働者は労働者です。そこに区別を設けること、差別をすることにどれほどの意味があるのでしょうか。この悪循環を、私たちの手で絶ちたいものです。
          (晴)

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