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北朝鮮の「拉致問題」とその拉致被害関係者のことは、マスコミに大きく広く報道されて多くの日本人が知っています。しかし、この「中国帰国者」問題はあまりマスコミに取り上げられていません。(最近、4日の第二次訴訟のことが取り上げられていましたが)
現在、中国から帰国した残留孤児たち約1,860人余り(永住帰国者の約7割の人)が、全国12地裁で日本政府に対して国家賠償請求訴訟を起こし闘っています。
この中国残留孤児の存在は、あの山崎豊子さんの「大地の子」で大きく取り上げら広く知れ渡るようになりました。ご存知のように日本軍国主義の中国侵略、それに民間の満蒙開拓団も動員されていきました。そして日本の敗戦時には、日本の現地人を守るべき関東軍はこの開拓団を見殺しにしていち早く撤退しました。そのため、残された多くの開拓団とその家族は殺され犠牲となりました。運良く中国人に拾われ、育てられ生き残った子どもが「中国残留孤児」となったのです。また、生き残って中国人と結婚した日本女性(敗戦当時13歳以上)は「中国残留婦人」と呼ばれてきました。
中国と国交のない時代は、こうした残留邦人たちはまったく日本政府に無視されてきました。ようやく1972年に日中国交が回復し、その後永住帰国が認められ、約2,500人の中国残留邦人が帰国しています。
中国からの帰国者たちは「研修センター」で4ヶ月の日本語勉強などの研修を受け、その後知人などを頼って日本各地で生活をはじめます。
ところが、生活様式の違いや日本語を上手に喋れないなどで、なかなか良い仕事に付けないのが現実です。集会の中で、「国策にほんろうされ、人生の多くを異国の地で過ごすことになってしまった。中国では『日本の鬼の子』と罵倒され、帰国すれば『外国人』と差別されてきた」と1人の帰国者は訴えていました。
年配になってから中国から帰国した一世たちは、今現在70歳前後の高齢になっており、老後の生活が問題になっています。働いていた期間が短く多くが10年以下で、年金は月数万円程度であるため生活保護に頼っているのが現実で、帰国者の7割が生活保護を受けている状態です。
その事を高齢の帰国者は、「85年に帰国した。病院で皿洗いの職を得たが、意味の分からない日本語で毎日のように怒られた。1年ほどで仕事は辞めた。昨年は夫と子も亡くなり、今は年金と生活保護を合わせた9万円足らずの収入に頼って1人で生活している。中国にいる親戚に会いたいが、とても行けない。電話しかできない」と発言しています。
また、「生活保護ではなく、別の生活保障がほしい。日中国交正常化後に日本政府がすぐに帰国政策を進めていたら、我々はいま十分な年金がもらえているはずだ」と訴えています。
しかし国側は、「原告のいう違法な国家政策は国家賠償法の施行前で、被害を回復する義務はない」と主張、孤児になった原因も「ソ連軍の侵攻や敗戦によって生じた極度の混乱状態などにある」として、「もはや賠償請求権の権利は消滅している」との見解を法廷で述べています。
こうした日本政府に抗議する意味で、中国帰国者団体は8月15日の敗戦記念日に東京で「8.15『反戦・平和・民主・人権』中国帰国者全国集会」を開催しました。
集会での各支部からの代表者からの訴えは、切実で力強く心に迫るものがありました。戦争という化け物に翻弄された人間の姿、現地の日本人を置き捨てていった日本軍の本質、そして戦後は中国人としてまた日本人としての両国での苦労、ようやく数十年ぶりで帰国した日本での政府の冷たい対応、等々の思いが良く伝わってきました。
8.15集会では帰国者の皆さんも、全国の仲間と会って交流できたことが本当にうれしそうでした。さらに、集会・デモを準備し当日の運営・進行役を、帰国者二世などの若い人たちが一生懸命担って頑張っている姿に感心させられました。
戦後生まれの一人の日本人として、こうした中国からの帰国者問題を放置することは出来ないとの思いからこの集会に支援参加しました。日本の戦争責任問題はこの他にも、「731部隊」問題、「毒ガス兵器の放置」問題、「強制連行」問題、「従軍慰安婦」問題等々、まだまだ多く残されています。
私たちは、日本政府に戦争責任をはっきり認めさせ、被害者に補償させることを追求していく責任があると考えます。
(英)
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82歳の母が、骨折して入院。「手術は成功」とは主治医の弁だが、歩行はおろか立つことさえできない状態で1ケ月。施すべき医療は”完了した”ということで、情け容赦の無い主治医からの退院通告がだされた。ここに居てもらっては迷惑との心が、ありありと伺えた。
しかし家族の側からすれば、今まで曲がりなりにも1人で食事・排泄・入浴などができていた母が、急に寝たきりとなったのだ。いったい誰がどうやって面倒を見ればいいのだ?と途方に暮れてしまう。退院を急かされても、どこへ相談したらいいのか?知人の母親のケース(他の病院)でも同様の事態で、毎週病院から呼び出されて退院を迫られたため、知人が体調を崩してしまった。勧められた退院後の移動先は、「皆おしめをされ、すぐ寝たきり」「出てくる時は死んで出てくる」と地元でも評判の悪い介護療養型医療施設だった。
主として介護を必要とするお年寄りが、長期間一般病棟に入院するといういわゆる「社会的入院」は、1990年の半ば全国で10万人といわれ医療費を圧迫していると言われていた。2000年にスタートした介護保険制度は、こうした問題を解決するはずなのだが、受皿がまるで整っておらず、その狭間で右往左往するお年寄りと家族がまだまだ多い。 ドイツでは、介護保険の導入にあたって40年間議論したのに対し、日本はたった4年少し。「日本の高齢化の進歩が早かった」とは厚生省の言い分(言い訳)だが、戦後の急激な経済成長の影で、介護や育児などへの社会的支援をなおざりにしてきたつけといえるのではと思う。
さて私たち家族は話し合って、市内の介護老人保険施設で2〜3ケ月間母にリハビリ訓練を受けてもらい、もう少し自力で動けるようになってから自宅へ迎えようとの結論を出した。ところが、また難問が突き付けられた。
その施設の相談員の説明によると、そこの所定の書類に主治医の診断などを記入してもらったうえで入所を申し込み、さらに本人が面談を受け、職員による「検討会」がなされ、入所の可否を決定するというもので、どんなに早くても2ケ月は待たねばならないというのだ。さらに母の場合は、入所が許可される可能性が低いこと(ほとんど寝たきりなので、リハビリ訓練は無理なのではとのこと)が判りまたまた頭を抱えてしまった。
知合ったばかりのケアマネージャー、入院先の看護師長、あらゆる人になりふり構わず相談し、やっとのことで今の病室のひとつ上の階の「療養型病棟」へ”1ケ月間だけ”ということで移ることが許された。
はじめは「いっぱいで入れません」といわれていたそこが、どういう所なのか移って初めて知ることになる。今となつて思えば、1ケ月で退院してよかつたのだが、その時にはとにかく入れてもらう施設を、という思いでいっぱいだった。
家族にとって、施設や在宅での介護サービスの情報を早く知りたいし、何よりそれらが質・量ともに充分で、安心できるものであったならあんなに右往左往しなくてよかったのにと痛感する。
(澄)
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9月16日、妻と2人で神戸地裁と大阪地裁の住基ネット裁判を傍聴しました。兵庫住基ネット訴訟の原告として神戸地裁には通っていますが、時々同じ日の午後に行われている関西訴訟を傍聴したのは初めてです。これを法廷のはしご≠ニいうのですが、実ははしご≠してたのは私たちだけではなかったのです。
どちらの裁判も多くの自治体を被告としているのですが、自治体は国の陰に隠れてしまい、被告代理人として登場するのは国の指定代理人(大阪法務局訟務部付検事)達で、彼らは神戸も大阪も掛け持ちです。住基ネット差し止め訴訟は全国で闘われていますが、結局のところ、彼ら訟務検事を相手にしなければならないのです。彼らが国の現象形態とは、あほらしいというべきか・・・
さて、裁判の進行ですが、兵庫訴訟では平松毅大東文化大学法科大学院教授の証人申請があっさりと退けられてしまいました。裁判長はやる気なさそうにぼそぼそと、すでに平松氏の論文は書証として出ているし、意見書も出るのなら証人調べは必要ない、とおっしゃるわけです。それなら、いっそ法廷もなくしてしまえとは言いませんでしたが、この裁判官に限らず多くに裁判官は、裁判の公開原則(憲法82条)や口頭弁論原則などどうでもいいもののように扱っています。
ともかく、証人調べがなくなってしまったので、あとは10月15日の東京訴訟で証言する吉田柳太郎氏(長野侵入実験責任者)の証言内容を提出したら、おおかた終わりです。訟務検事は吉田証言には反論すると言ってましたが、早ければ年内結審、年度内判決ということになるかもしれません。
関西訴訟のほうが先に始まったのですが、これから証人申請の段階です。16日の法廷で問題になっていたのは、堺市と契約違反の孫受けを使用した富士通とのデタラメ委託です。この再委託が障害となって、今年度の契約が行われたのは5月28日なのに、日付は4月1日になっているのです。
しかも、再委託の問題は解決していません。というより、孫受けはどの自治体でもどの会社でもやっている、ということです。自治体は嘗められ、委託業者は居直る、これがITゼネコン≠フ実態です。富士通は下請けとの契約書を堺市に提出することを拒否しており、個人情報もこれではたらい回し状態です。
だから、原告は裁判所の権限で実態調査をすることを求めていました。それは、原告が居住する51市町と富士通にたいして住基ネット委託に関わるすべての資料の提出を求めるもので、「文書送付嘱託」という申し立てです。この申し立てにたいして、裁判官は面倒なのでやりたくないという態度を露骨に示し、原告がそれぞれ情報公開請求をすれば済むことだと逃げていました。
神戸も大阪もこんな調子で、原告はお金と時間を使ってやっているのに、それを仕事にしている連中は全くいい加減で、裁判を闘うことのむなしさを感じてしまいました。ところが、偶然の成り行きで法廷のはしごをもうひとつして、とても感慨深い気分で家に帰ることができたのです。それは、民事の大法廷での判決言い渡しで、大阪高裁による原判決の破棄、すなわち原告の逆転勝訴判決でした。
その場でもらった資料で、京都宇治市の小学校で先生をしていた荻野恵子さんの死亡を、「公務外」とした認定の取り消しを求めるものだということはわかりました。開廷前に大法廷が満席になり、部外者の私たちがふたつも席を取っていいのかと思いましたが、貴重な原告逆転勝訴に立ち会え、感動しました。女性の支援者は涙ぐんでいたし、この日まで厳しい闘いを強いられてきたのでしょう。
詳しくはわからなかったので、家に帰ってインターネットで調べてみると、宇治久世教組のホームページに「荻野先生の公務災害認定を勝ち取る会のページ」がありました。1994年1月19日、学校で脳内出血を発症し倒れ、1年間の闘病もむなしく44歳で亡くなっています。その後の経過は多くの死亡労災と同じく、公務外認定処分の取り消しを求める裁判を京都地裁に提訴したのが98年11月、敗訴し大阪高裁に控訴となっています。
もらった資料には、家庭を持つ女性教師のうめき声≠ェ溢れていました。それは大げさでなく、休む時間もトイレに行く間もない学校と家事・育児に追われる生活に押しつぶされそうな、女性労働者の姿です。だから、支援の女性たちにとって、荻野さんの死は自分のものでもあるのでしょう。
私たちにとって、所詮裁判は敵の土俵です。だけど、その土俵にも上がることによって、勝てる闘いもあります。裁判官も、すべてが国家の僕とは限りません。例えば沖縄靖国訴訟では、国側の執拗な反対を押し切って、那覇地裁の裁判官たちが南部戦跡を歩き、原告からの聞き取り(現地進行協議)を行っています。法廷を出た裁判官は例の黒服を脱ぎ、運動靴、木綿の厚手の手袋、野球帽、スポーツシャツにリュックで現れたということです。
(晴)
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世の中年女性が、ヨン様に夢中の頃、私は「世界の中心で、愛をさけぶ」のテレビドラマに、はまっていました。ドラマは、17年前の出来事を回想するシーンから始まるのですが、ずっと抱え込んでいた彼女への想いに苦悩する主人公に、同情を寄せている自分が居ました。女子高校生を襲った突然の病魔に運命を呪い、助かるはずのないドラマの展開に希望を託しながら。
確か私が小学生の頃、同じようなストーリーがあり「マコとミコ」の恋人同士が、一方の死によって別れを強いられる、そんな記憶が残っています。その時は、病気の恐ろしさが強烈で、二人の心情まで気遣うことはありませんでした。
しかし、今回は私も年を重ね、親の立場からも見ることが出来ました。白血病に侵された「亜紀」を想う主人公の「サク」、彼の追いつめられた心境が、痛いほど伝わってきます。残り少ない日々をどう共に生きて行くか、死と向き合うこと、つまり死を受け入れる過程が両者にとってどれほど困難なことかを、教えられたと思います。
亜紀とサクを演じた二人は、高校生役らしくとても新鮮で初々しい感じを受けました。微笑ましいのは、勉強にスポーツに優秀な亜紀が、お祖父ちゃん子で甘えん坊のサクを、いつもリードしていたことです。「好きよ」と告白したのも、キャンプと称して泊まり掛けの行動を決断したのも亜紀でした。今なら男女共同参画という謳い文句で、行政でさえ推奨していますが、当時ではまだ女性の受け身的な意識が普通だったのかもしれません。
「キスでもしませんか」とビニールシートで遮断された無菌室から誘う亜紀に、私はどうしようもない無力感に落とされた気分になりました。人間が研究し開発した医療の限界に、そして、将来の夢も希望も死という現実が消してしまうことに。
しかし、ドラマの中で、人には運命がありそれぞれ使命が決められていること、その人の価値は死後、残された者が受けとめ判断することを、フォローしています。亜紀が最後に残した絵本は、大きな木が枯れていっても、新らしい種子が育ち再び実を付けることを、私たちに示していたのでした。
ドラマの最終章は、サクが新しい恋人の明希を受け入れることで、17年間の亜紀への想いに終止符を打ちます。私だったら、どうしていただろうと毎回余韻が残っていたのですが、夫は、長いこと引き摺っててもどうしようもないと、サクの生き方に批判的でした。でもその夫がいつも目を潤ませ見入っていたのも、内緒でお知らせします。
最後に、ちょうどこのドラマが始まった頃、長女の友人が急性白血病を患ったことを知りました。昨年女の子を出産したばかりで、年齢も娘と同じとあっては、他人ごととは思えません。幸い、数ヶ月の治療で症状は治まり、普通の生活に戻れたそうです。その治療方法は最新のもので、馬の血清を使ったようです。本当に良かった、医療の進歩にバンザイ!
(恵)
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一般マスコミでも広く報道されたように、8月13日(金)午後13時18分、米軍の大型輸送ヘリCH53D(全長約22メートル、総重量約32トン)が、普天間基地近くの沖縄国際大学に墜落しました。
墜落炎上した現場である沖縄国際大学の本館の建物を見てみると、3階建ての白壁は炎上の影響で黒焦げになっており(火災の高さは15メートルにも達したという)、プロペラでえぐられた爪痕がクッキリ残っています。
当日の大学には、夏休みの集中講義の関係で5〜600人位の学生・職員がおり、一般公開されていた図書館には市民もいたと言います。また、大学の近くの民家にも落下した機体の一部が飛び込み、内部を破損させています。
死傷者が出なかったのは、まさに「奇跡」でした。一歩間違えれば、普天間基地近くに住む宜野湾市民に大変な犠牲者がでる大惨事になってもおかしくない事故でした。
沖縄の人たちは、誰も犠牲者が出なかったと言う点でホットしています。ところが、その後の米軍の態度と日本政府の無責任さを知り、その怒りを爆発させています。そして日本政府の小泉首相に失望しています。
*怒り1…米軍は墜落を事前に察知していたが、周辺自治体に異常事態の連絡をしなかった。ヘリは墜落前より空中分解状態になっており、機体の一部を落下させていた。ヘリ墜落後、即座に100人以上の海兵隊員が二重のフェンスを越えて、墜落現場に殺到しピケを張って立入禁止にした。大学の責任者である学長の立ち入りさえ拒否したのである。
*怒り2…事故後、米軍は4日間にわたり現場周辺の道路を封鎖し、市の消防隊員や沖縄県警をいっさい閉め出して現場検証をさせなかった。さらに2日後には、墜落現場の周辺の土も含めて全ての事故機の破片をすべて持ち去ったのである。
*怒り3…事故後、黄色い防護服に防毒マスク姿の米兵2名が捜査に入った。この光景から「劣化ウラン弾を積んでいた可能性がある」と伝えられたが、その点は明確ではない。しかし、放射性金属が散らばった事は事実のようである。平和市民連絡会は「ヘリの墜落現場では、放射性数値に最大で5倍の差があった」と発表している。
*怒り4…在日米軍のトップであるワスコー司令官の「被害を最小限に食い止めるためにヘリ乗組員はとても功績があった」との発言には、沖縄県民は切れた。
*怒り5…事故の原因が明確になるまで、事故機との同型機種の飛行停止を求める県民の声をまったく無視して、米軍は飛行を停止しなかった。飛行停止を発表したのは、同型ヘリをイラク戦線に送り出してからであった。
ようするに、基地でもない大学という「民有地」が日本の主権が及ばない、「治外法権」化された訳であり、はっきり見えてきたのは米軍は、基地の島=沖縄を相変わらず植民地扱いをしていることです。
これが沖縄の今の現実であり、戦後一貫している現実です。だからこそ、沖縄県民は早く「基地のない島」を、「米軍のいない島」を望んでいるのであります。
その沖縄県民の長年の願いを受け止めて、米軍との直接交渉に当たるべきが役割を担っているのが、当然日本の首相であると言えます。
ところが、沖縄でこんな大事件が起こったのに、小泉首相の対応はあきれるばかりです。13日の午後は海洋映画「ディープ・ブルー」を楽しみ、その後はアテネオリンピックの金メダリストと電話したり、歌舞伎鑑賞を続けるなどの、ノー天気ぶりです。
また、さっそくの沖縄県知事や宜野湾市長の面接要請については、「夏休み中」を理由に面会を拒否し、まったく沈黙しなんら行動を起こしませんでした。
さらに、数日後には派手に「北方領土」の視察を展開し、私こそが北方領土問題を解決する首相であるとのポーズを示しました。これも沖縄県民を大いに怒らせました。
こんな小泉首相の行動や態度を見て、沖縄県民はまったく納得できず日本政府に失望を感じています。それどころか、防衛庁施設局はこの間問題なっていた辺野古沖のボーリング調査を、このヘリ墜落事件が大騒ぎになる前にとばかりに現地調査を強行しました。こうした日本政府の無責任な態度や欺瞞的な姿勢に対して、沖縄の人たちは怒りを爆発させています。
沖縄の人たちは、日本政府のこのような態度は昨日・今日始まった事ではないことを、昔より一貫している姿勢であることを見抜いています。今後も沖縄の人たちは、米軍と日本政府に対して諦めずに粘り強く闘いを続けるでしょう。
私たち「ヤマトンチュウ」も沖縄と連帯し、戦争を止めるために反戦運動を闘い抜きましょう!
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暑い夏が終わり夏の疲れを感じるが、保育園の子供達はたくさん遊んで、たくさん食べて、たくさん寝るという生活リズムがついてきて、毎日笑顔がいっぱい見られるようになってきた。この四月、一才五ヶ月で入園してきたB君、周りの子供達は母親と離れて不安で泣きじゃくっている中で、ただひとり母親と離れても何の反応も示さず、部屋中をぐるぐる歩きまわっておもちゃのかごをひっくり返してじっと座っていることがない活発な男の子。しかし、名前を呼んでも反応がなく、笑ったり泣いたりという感情が乏しく、だっこをせがんで甘えたり、声を出すこともなく、なにより目と目が合わないことが私達は気になっていた。母親が送り迎えをしていたが無口でB君に話しかけたりすることがなく暗い表情で、体の大きいB君が重いこともあるのだが、ごく普通のだっこではなく荷物を抱えるようなだっこでやってくる姿を見て、B君の子育てに疲れていることが直感的にわかった。
保育園は今、子供達の保育だけではなく子育てに不安や悩みを持っている母親達を支えていくことも重要な仕事になっている。「子供ってかわいいな」「子供と遊ぶと楽しいな」と思ってもらえるようにいろいろな働きかけをしている。子育てが母親ひとりの責任に任されて、子育てを見たこともなく育ってきた母親達は子供とどう接していいのかわからなかったり、子供が泣いたり騒いだりするのはあたりまえの事なのに子育てに疲れて、子供を虐待したり命を奪ってしまう悲劇も起こっている等、ひと昔では考えられない親子関係になっている。
私達はB君のお母さんに「だっこはこうしたほういいよ」と教えたり、B君のかわいいところを見つけてお母さんに伝えていくと、お母さんも昼間だけ育児から解放されて表情が少しずつやわらいできた。B君には目と目を合わせたあやし遊びから始めていき、名前を呼ぶと「はーい」と手をあげたり、一才九ヶ月になった今では「ちょうだい」「ありがとう」を「ち−、あ−」と声を出しながらかわいいしぐさをしたり、私達の目を見ながらにっこり笑ったりするようになってきたので「保育園に入ってよかったね」と喜んでいた。 ところが、突然八月の終わりの月曜日の朝、B君の祖母が来て「母親が家を出て行ってしまい、私は仕事をしているので朝七時半から夕方六時までお願いしたい」というので驚いてしまった。先週までは元気に送り迎えしていたB君のお母さんがいなくなるなとは・・・「何故?どうして?」と頭の中は真っ白になってしまったが、一体どうしてしまったんだろうと考えた。嫁姑問題ならば別居すればいいし、夫婦の問題だとしても、どうしてB君を置いていってしまうのだろう?B君を置いていくというのは育児に疲れてしまったんだろうか?と頭をめぐらせてしまい、私達はお母さんにB君をかわいいと思ってもらえるようにいろいろ働きかけてきたのでよけいにショックの出来事だった。 ひと昔ならば母親は、自分の分身のような子供と離れることができない親子関係で家を出るのにも一緒に出て行った。ところがこの頃は子供を置いていく母親が増え、子供と離れていられるような親子関係に変わってきている。現に一才三ヶ月の歩き始めのかわいい盛りのG君も母親が家を出て行き祖母に育てられているが、こうした親子関係になってしまった背景には、母親ひとりの責任ではなく、子育てがしにくい社会になっているひとつの現れだが寂しさを感じてしまう。子育てに楽しさややりがいを感じられる社会にしなければならない。
(美)
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異常気象で暑さが続く8月9日午後、福井県美浜町の関西電力美浜原発3号機のタービン建屋内で蒸気漏れ事故が発生。下請け会社作業員4人が死亡し、7人が負傷する悲惨な労災死亡事故となりました。引き続く13日午後、沖縄県宜野湾市の沖縄国際大学構内に米軍の大型ヘリコプターが墜落する事故が起きました。夏休み期間中ということもあり、こちらは奇跡的に市民の被害はありませんでした。
このふたつの事故は全く違ったものですが、起こるべくして起こったという共通点があります。さらに共通点を上げれば、悪い条件が重なっていたらどちらももっと恐ろしい結果を招いていたでしょう。にもかかわらず、関電はこの事故があくまでも原子炉の事故ではない≠ニいうことを強調し、米軍は16日には飛行訓練を再開しています。
全くなんという言い草、なんという傲慢な対応でしょう。しかし、ここにこそ今回の事故の本質があります。関電に限らず、電力会社はいま、老朽化した原発の延命と安全無視の稼動延長を行っています。検査をするには原発を止めなければならないから、それも先延ばしする。日本で稼動している50基を超える原発は、全てこういう状態にあると考えて間違いないでしょう。
米軍ヘリ墜落直後の15日、神戸で沖縄選出の衆議院議員、照屋寛徳氏の生々しいお話を聞く機会がありました。照屋氏が持参した沖縄の新聞には2ページにわたる大きな見出しの事故報道があり、今回の事故の衝撃の大きさを示しています。事故直後、米軍による封鎖前に現場に駆けつけた照屋氏は事故の様子を確認し、近辺の住宅破壊の酷い惨状も目撃しています。
寝かしつけていた赤ちゃんを母親が間一髪で別の部屋に避難させたという例を紹介し、「市民が傷つかなかったのは奇跡」であったことを強調しています。事故の原因となった米軍の普天間基地は、1996年の返還合意で7年以内の返還となっていたものです。それが、日本政府と稲嶺県政によって名護市辺野古への移転が決定され、7年以内の返還の約束は反故にされてしまいました。
事故後の米軍による現場封鎖、警察に現場検証さえ許さない傲慢さは、いまだ米軍が占領軍気分にあることを示しています。そしてこれに呼応する日本政府の沈黙は、日本にとって沖縄はいまも捨石≠ナあることを暴露しています。米兵による強姦や殺人があっても、ヘリが墜落しても、米軍の行動の自由を守ることが国益に適うことだと、小泉らは考えているのです。
こうして、起こるべくして起こったふたつの事故は、この国の為政者も企業家も自分達の利益を守るためには、国民の命などどうでもいいものとして扱っていることを明らかにしました。彼らは100人を超えるような死者がでる事故にでもなれば、仕方なく動き出すかもしれませんが、そんな事故が起きる前に、彼らの利益追求をやめさせなければなりません。
犠牲はいつも弱者、少数者に押し付けられ、それが当然のこととして扱われています。それにつけても、思い出されるのはまよなかしんやの次の歌です。
「なぜ少女は」
1.なぜ少女は 拉致された なぜ
なぜ少女は 暴行された なぜ
なぜ少女を私たちは 守れなかった
なぜ
2.なぜユミ子ちゃんは 殺された
なぜ国場君は ひき殺された
なぜタカコちゃんは トレーラーに
おしつぶされた
なぜ戦闘機は 小学校に堕ちた
3.なぜ1970年12月20日
コザ暴動はおこった なぜ
なぜ少女は 暴行された
なぜ私たちは 少女を守れなかった
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いま私たちが介護している母は、1923年(大正11)生まれの82才。清水の山村の農家で、身を粉にするようにして働いて育った。小さな体で、時に自分の体重以上の蜜柑を背負って山道を歩いたという。戦後すぐにスタートした結婚生活は、文字どうりゼロからの出発。自営業の茶箱製造に昼夜の区別もつかないほどに精を出し、3人のこどもを育てあげた。82才のいまでも当時のなごりは、食事時にあらわれる。ほとんど噛まず次から次へと口に押し込んで、あっという間に食べ終えてしまうのだ。「体に悪いからもっとよく噛んで」といくら言っても、これは変わらない。
足元がおぼつかなくなった80才の時、庭のホースにつまずいて転び、股関節を骨折。以来1年8ヵ月、車椅子の生活となってしまった。人生を働きづめできた年寄が、入院先の病院でどんな目にあったかをお話しよう。
市内の総合病院の6人部屋は、同じ様に足を骨折したお年寄り(91才、87才、85才とみな高齢)が入院していたが、つぎつぎとまるで”強制立ち退き”のように退院してゆく。それは”強制立ち退き”そのものだというのは、家族のことばからも痛いほどに伺われた。そしてとうとう、入院一月目の母も宣告されたのだ。
D医師「リハビリの先生とも話し合い、今後は通所リハビリでいいのではないかという結論になったので、今週(この日がすでに水曜日)か来週に退院としたい。」
あいにく母は、骨折するまで介護申請をしておらず、その時はまだ手続き中で、介護度も受けられる介護サービスも決まっていなかった。ましてや突然の「寝たきり状態」で、こちらも必死に、「家の方の母の受け入れ体制が、まだ何もできていない。昼間家族がみな仕事に出てしまうので、もう少し病院に置いてもらえないか?」と訴えた。
D医師「無理です。家族のほうでやってください。病院のベッドは一杯です。予約の人が待っています。」「退院は、平日の5時以降でも構いません。こちらで退院日を決めさせて頂く場合もあります。」との剣もほろろのことばに、心底悲しくなった。すでに病院で施す医療は無く、一刻も早く退院せよという病院側の事情はあるにせよ、では一体どこへ行けばいいのか?試しに、市内の老人施設に2ー3ヵ月間の入所希望を出そうとしたら「2ヵ月待ち」とのことで、諦めざるを得なかった。
途方に暮れていた私たち家族に、看護師さんが同情して下さったのか、一杯で無理だと言われていた階上の「療養型病棟」へ”一ヵ月間だけ”という約束でお世話になることが許された。
よほどの大金持ちでもない限り、いまこの日本で老いてそのうえ病気やけがをしたら、とてもじゃないが安心して生きられないということを改めて痛感した。この後に母に起こった出来事を、少しづつご紹介してゆきたい。
(澄)
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皆さんも知っているように、日本人の平均寿命はこの50年間で大幅に伸びて、「人生80年」という言葉が耳慣れたものになっている。
では、人生の最後はどんな原因で死をむかえているかと言えば、やはり病気でなくなる人が圧倒的に多い。現代では、「悪性新生物」「心疾患」「脳血管疾患」が3大死因と呼ばれ、今やこの3大死因が全死因の6割にもなっている。これらの疾患は、発症に生活習慣が深く関わることから、生活習慣病とも呼ばれている。
ところが、今日本社会ではこうした病気の死より、自ら自分の命をたつ自殺の問題が社会問題化している。
発表によると、昨年1年間の自殺者がまた3万人を超えて、34,427人いたとの事。
これは、1昨年より7.1%(2,284人)も増えており、統計を取り始めた1978年以降、最悪の自殺者人数になっている。
1998年に自殺者の数が初めて3万人を超えて、これで6年連続して自殺者が3万人を超えていることになる。毎年毎年3万人以上の人間が自殺していく日本社会。それが6年も続いていること。やはり異常ではないか。原因を分析しその対策をキチンと打ち出すことが求められていると考える。
小泉首相よ、「構造改革なくして成長なし」とか「自民党をぶっ潰す」と威勢の良いことを言って総理大臣になり、政治の最高責任者を勤めている。あなたは、6年も連続して3万人以上の国民が自殺していることに対して胸が痛まないのか?最高責任者として責任を感じないのか?それとも、これも得意の「人生いろいろ」発言でゴマカスつもりか。
さらに、警察が遺書や状況から判断した「動機別」を見ると、やはり負債や生活苦など「経済・生活問題」が原因の自殺が大幅に増えて、前年比12.1%増の8,897人にもなっている。「負債」の理由にした自殺が21.7%増、「生活苦」は13.1%増、「就職失敗」は18.1%増である。
次に「年齢別」を見ると、60歳以上が11,529人で全体の33.5%を占め、50歳代が8,614人で25.0%でいずれも過去最悪の数字を示している。急増したのが30歳代の自殺で、17.0%も増えて4,603人になっている。
言うまでもなく、中高年はリストラや倒産などによって仕事を奪われて、家族全体が生活困難を強いられ、追いつめられている実態が浮き彫りになっている。働き盛りの30歳代は、人員減の中で長時間労働や仕事負担増を強いられて、過度のストレスを抱えている実態が見えてくる。
さらに、驚くべき事は小中学生の自殺者が57.6%も増えて93人もいること、また高校生も29.3%も増えて225人も自殺している事実がある。
最近、小学生にも「うつ病」症状が出ており、意欲のない・やる気のない生徒が増加しているとの報告があった。今回のデータはまさにそれを裏付けていると言える。
人員減と長時間労働を押しつける企業社会の中で過度のストレスを抱え、精神バランスを失い「うつ病」におちいってしまう労働者たち、過熱する進学競争やいじめがはびこる学校の中で、精神を病む子どもたち。まさに日本社会は老いも若きも「うつ病」が蔓延している。
専門家である精神科医は、「中高年の多くがうつ病にかかっているとされるが、適切な治療を受ける前に命を落としている」「早期治療が大切なのに、周囲の理解不足で悪化するケースが多い」と指摘している。また、「うつ病は今や風邪と同じで誰もがかかりうる病気。軽い症状のうちに治療を受けやすい雰囲気を職場や家庭に作らなければ自殺者は減らない」とも指摘している。
確かに、日本社会にはこうした「うつ病」などの精神疾患に対しての理解が足りず、防げるものも防げなくなっている、と言える。その点では、早期の適切な治療体制を確立していくことは早急の課題である。
だが、より根本的な事は「うつ病」の患者や自殺者を多く生みだしている今の日本社会や学校現場のありようが問題になっているのである。働くことや学ぶことに希望と生き甲斐を持てるような社会や学校に変革していくこそが求められている。
(英)
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最近の中学生による幼児暴行事件など、ショッキングな出来事が相次いでいます。そんな時、よく言われるのが家庭の事情です。育ってきた環境、親の経歴、親のしつけ方、などあたかも家庭に責任があるという様に報道されがちです。
ところで、家庭を築いているのは家族ですが、家族とは今の社会でどんな役割を演じているのでしょうか。政府がモデル世帯としているのは「夫婦と子ども」世帯で、その割合は年々減少し、今では全体の約3割にすぎません。家族の形態が多様化し、結婚をしない単独世帯が増えてきた、つまり政府が要望するモデル世帯の構想は崩れつつあるということです。
妻が夫の扶養家族であれば、配偶者控除や家族手当があり優遇される家族制度。扶養されることで妻は経済的に夫に依存し、夫は長時間労働で家事・育児は妻に任っせっぱなし。こういう共依存の関係が、お互いの自立を阻んでしまうことは、既に指摘されていました。注目したいのは、依存で成り立っている関係は、カップルでやっと1単位であり、どちらか一方が欠ければ生活が困難になる軟弱な基盤であることです。だからこそ、国家の手厚い保護と「心の安らぎ」と偽る家族観が必要なのでしょう。
家族のなかでは、夫、妻、父親、母親、子ども等というそれぞれが、近代秩序が与えた役割を演じている、ここには個≠ニいうものが無いと、大阪経済大学助教授の伊田広行氏の指摘があります。まず自分を持つということ、そして自分がどう生きるのかを問うていくことが、困難な作業ですが最も大切なことなのでしょう。子どもを自分の所有物にするなどは、母親としての役割に没頭してしまった悲しい結果かもしれません。
私自身も夫に扶養されている立場ですが、それなりに家事を分担したりお互い協力するということで、対処できていると思っていました。しかし、家族世帯で優遇されているということが、単身者・離婚者・同性愛者など家族の単位からはみ出している者を差別することになる、という主張を知りびっくりしました。差別することで成り立っている今の家族制度なら崩れる方がいい。私たちは、何も恐れることはありません。つまり、危機感を持っているのは国側で、個人を単位にした社会になれば、国民を管理しにくいということのなのでしょうか。
(恵)
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使用済みの核燃料の処理をどうするか、本当に頭の痛い問題です。脱原発を進める国でも、その処理から逃れることはできません。原発の利用へと踏み込み、その恩恵≠ナ浪費に明け暮れたあとは、核廃棄物に怯えることになるのです。
どの国も地下深く埋めてしまうようですが、もちろんそれで問題が解決するものではありません。まず、処分地を確保することができないし、埋めてしまえば安全というものではありません。それは、目を閉じて見えなくなれば安心しているようなものです。日本の場合も、この地層処分の目途は立っていません。
そのうえ、日本は使用済み核燃料の全量再処理という政策を取っており、これがより大きな困難をもたらしています。再処理に掛かる費用と新たな核汚染の危険性など、直接処分のほうがよりましなのは明らかです。その事実を証明する情報を、経済産業省資源エネルギー庁が10年も隠していたのです。都合の悪い事実はなかったことにする、この国の政治はどこまでも拙劣です。
「使用済み核燃料を地中に埋める『直接処分方式』の試算データは1994年、総合資源エネルギー調査部会のワーキンググループの会合で示され」(7月3日付「神戸新聞」)ましたが、核燃料サイクル政策の推進に支障を来たすから隠そうという結論になったのです。その時の出席者は、電力会社幹部や大学の研究者、資源エネルギー庁の担当者ら約20名とか。多分、彼らには情報隠しをしたという意識すらないでしょう。
さらに6日には、原子力委員会が10年前に同じように試算を行い、「再処理は直接処分に比べ最大2・4倍費用が掛かると試算しながら、『比較は困難』として再処理を軸とする原子力長期計画をまとめていた」(7月6日付「神戸新聞」)ことを明らかにしました。ウソにウソを重ねるこうした体質は血肉化しており、一方で「積極的に情報を公開し、国民の十分な理解を得る」としていても、この国の官僚にとって情報操作も重要な仕事(出生率低下の数字を隠していたのもそうです)なのです。
国であれ自治体であれ、多くの審議会が非公開であったり、議事録は公開されても発言者は非公開だったりします。そこには、公開されたら自由な発言ができないなんていう無責任な学者や放言有名人を利用する行政があります。事実による証明、議論による決着ではなく、お飾り審議会と情報操作による既定路線への誘導があります。
それでは、こうした事実が今明らかにされたのはなぜか。もちろん、官僚が隠蔽行政を悔い改めるわけでないことだけは確かです。本紙でも指摘されてきたように、重大な岐路にあるこの国の原子力政策を、大きく軌道修正させるために意図的に暴露されたものなのか。神戸新聞も「折しも来年4月からの電力自由化拡大を前に、80年間で18・8兆円という巨額の再処理関連コストが明らかになり、自民党や政府内からもサイクル政策継続への異論が噴出している。政策見直しへの声が高まるのは必至だ」と指摘しています。
いずれにせよ、青森県六ヶ所村の使用済み核燃料再処理工場での劣化ウランを使った試験運転に踏み込ませないことが、さしあたったの焦点です。再処理工場を稼動させるかどうかが、核燃料サイクルを断念させることができるかどうかの分かれ道です。子ども達だけでなく、未来のすべての人類に核廃棄物の重荷を背負わせないために(といってもすでに核廃棄物は日々蓄積されつつあるのですが)、ここが頑張りどころです。
(晴)
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ここちよい風が吹き、子供達の寝顔を見ながら「ホッ」とひといきついて幸せを感じる六月のある日の午後。ここは保育園の〇才、一才児のクラス。こんな幸せなひとときが来るとは信じられないほどの二ヶ月だった。
この四月、保育園に入園してきた子供達。初めて母親から離れて不安で泣きじゃくるAちゃん。部屋中を歩き回っておもちゃのかごをひっくり返していくB君。歩き始めでいつ転倒するかわからなく目が離せないC子ちゃん。眠くなると泣き出しおんぶしてやっと寝ついたかと思い布団に寝かすと目が覚めてしまうD君。部屋にいるのがいやで外へ行きたがって泣くE君。友達が自分のそばにくると「がぶり」とかみつくFちゃん等々。ひとりひとりの子供が「わたしを見て」「ぼくはここにいる」とばかりに泣いて大騒ぎになる。私達保育者は、泣いている子をおんぶしながらオムツをかえたり、給食を食べたり、寝かしつけたりするので、肩がパンパンにはれて体全体が重くなり、泣き声がこびりついて家に帰っても泣き声が聞こえてくるほどつらく、園長からは「怪我をさせないように」と強く言われ、常に子供達を見守っていなければならないので、いっときも気が抜けず肉体的にも精神的にもくたくたになった苦しい四.五月だった。
しかし、よくしたもので泣きながらも保育園に通って、毎日の生活を積み重ねていくと子供達も新しい環境に少しずつ慣れていき、安心すると泣かなくなりお昼寝もぐっすり眠るようになるのだからすごい!感動してしまう。一才五ヶ月のAちゃんは、今まで母親とべったりくっついて生活していたのに突然、知らない所で知らない人にだっこされるのだから、不安で泣くのは無理もない。泣かれる子を置いていく母親の心境もせつない。「泣かないで」とすがるような思いで私達にAちゃんを預けていくのだが、「ギャ−」と大きな声で泣かれると「大丈夫かな?一日中泣いているのかな?仕事に行っていいのかな?」と心配でたまらないが、そこは私達保育者の長年の経験から、「泣く子は大丈夫だよ、泣くのは今だけ、少しずつ慣れていくから安心して仕事に行ってね」と声をかけて送りだした。そして、二ヶ月たった今では、朝は母親にバイバイをして、お迎えの時は、保育園に遊んでいたいと泣いて困らせているほど保育園が大好きになっている。こうしたAちゃんみたいな子供ばかりでなく、最近ではいろいろな親子関係がみられるようになってきて驚くことがおおくなつてきた。
女性が結婚をして子供を産んで仕事を続けたり、子育てをしていくあたりまえのことができにくい今の社会では子供の出生率が年々減少していくのは当然といえる。子育てがしにくい社会になつてきている現状を報告したいと思う。保育園に入園したいという希望者が多く、やっと落ち着いたかと思えばまた新しい子供が入園して、また始まる。感動を求めて!(美)
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6月3日早朝、輸送船六栄丸が青森県六ヶ所村のむつ小川原港に到着しました。積荷は東京電力福島第2原発から出た使用済み燃料64トン。同村にある日本原燃の核燃料再処理工場へ搬入されるもので、貯槽の不正溶接問題で2002年11月に中断されて以来、1年7ヶ月ぶりの再開です。
使用済み核燃料は本来ゴミなのですが、この国の原子力政策により全量再処理≠ニされ、このゴミは資源に化けるのです。しかし、この再処理工場を稼動させるのかどうか、核燃料サイクルを推進してきた側でも動揺しています。それは、この6月に劣化ウランを使った稼動試験(ウラン試験)に入り、来年6月には使用済み燃料を使ったアクティブ試験を計画していたものが、当面凍結となっているのです。
突き詰めれば、費用対効果という点でこのまま稼動に踏み込めない、躊躇があるのです。いずれにしろ、使用済み核燃料が処理不能の危険な核のゴミであるということにかわりはありません。ゴミのリサイクルはそれなりに意義もありますが、核のゴミのリサイクルは悲惨な結果を招きます。例えば、英・仏の再処理工場の周辺では、子ども達の白血病が多発しています。
さて、核のゴミですが、劣化ウランというのも歴とした核のゴミで、そのリサイクル製品が劣化ウラン弾です。米軍が第1次のイラク侵略(湾岸戦争)以来、大量に使用して深刻な放射能汚染をもたらしているのは周知の事実です。ブッシュが言うイラクの民主化≠ヘ、拷問や大虐殺、核汚染の後に実現されるもののようですが、そこに希望の未来があるのでしょうか。
さらに厄介な核のゴミが、原子炉廃炉に伴って発生する大量の放射性廃棄物です。すでに稼動30年を超える原子炉が5基もあり、その解体処理の展望は全くありません。そこで考えられているのが、放射能レベルが低いコンクリートや金属を一般廃棄物として処理するというものです。これらがリサイクルされ、建設資材として、フライパンなどの台所用品として、私達の生活のなかに入り込んでくる日が来るかもしれません。
これは単なる可能性の問題ではありません。経産省原子力安全・保安院は6月4日、そうした処理を推進するクリアランス制度の案をまとめました。これは「クリアランスレベル」と呼ばれる基準によって、人体に影響がないから再利用してもかまわないとするものです。その根拠は「自然界から受ける放射線レベルに比べ十分小さく、人体への危険が無視できる年間0・01ミリシーベルト以下となるよう、放射性核種ごとに濃度の基準を設定する」(5月4日付「神戸新聞」)
ここには2つのごまかしがあります。まず、自然界の放射線レベルを基準にしている点ですが、そのうえに新たな汚染が加わるわけですから、実質2倍の放射能に曝されるわけですから大きな問題です。基準はまた、汚染が低濃度であれば危険性は無視できるとしているわけですが、事実はこの基準が何の根拠もないものであることを暴露しています。とりわけ体内被曝による深刻な影響は、劣化ウランの微細なチリを吸い込んでしまったら最後、その汚染を取り払うことができないのです。
こんな詐欺まがいのクリアランス制度を導入することによって、放射性廃棄物の処理の困難は劇的に改善されます。例えば日本原電東海発電所の場合、「2001年から始まった解体作業で約192000トンの廃棄物が発生する。このうち、約128700トンは放射能に全く汚染されていない廃棄物。さらに、排気筒や燃料取り換え装置などの約45400トンは放射能が極めて低く、クリアランスレベルが導入されれば一般の産業廃棄物として扱うことが可能になる。放射性廃棄物として地中に埋めて処分するのは、炉心部分などの残る約18000トンで済むことになる」(同新聞)
このようにして、低濃度廃棄物≠ヘ消えてなくなり、高濃度廃棄物≠ヘ地中に埋めてしまって、後は野となれ山となれです。実は、地中処分の立地の目途もなく、廃炉もままならない状態です。核のゴミのいかなるリサイクルも認められないし、それにもまして核のゴミを増やすだけの核燃料サイクルの放棄を勝ち取らないと、私達もヒバクシャ≠ノなってしまうでしょう。何しろ、日本の原発保守作業員の被曝総量が、主要国の比較で最多だという数字もあるのですから。
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米軍による拘束イラク人への虐待は、マスコミが報道する前にインターネットで公表されていました。私は、あまりにも非現実的で残虐な場面に、直視できずにいました。その中には、女性への性的虐待もみられました。
その後、マスコミが拷問の事実を伝え、女性収容者が釈放後に自殺したり、家族に殺されたりしたことを知りました。家族らの証言では、ある女性は米兵がいる場でイラク警察官にレイプされ、別の女性は独房にいる夫の目の前で米国人看守にレイプされるという、ショッキングなことが暴露されました。
イスラムの女性は、日常的に全身をブルカで覆う習慣があることは、日本のいる私たちにも数々の映像と情報で知ることが出来ます。自分の肌を見せることすら抵抗があるのに、裸にされレイプという事態は、どれほどの屈辱的なことだったでしょう。しかも、夫の目の前で。
家族に殺される、殺しても非難されないイスラムの社会。米兵にイスラムの女性の置かれている状態が理解できていたら・・・、そんな期待は戦争だから無理なのかもしれません。バングラデシュでも、男性からの暴力で顔に硫酸を浴びせられ、片目を失明した女性が「DAYS japan」5月号で紹介されています。その被害女性ビナは、暴力に屈せず国際婦人デーのデモに参加し、暴力への反対と女性の権利を訴えたということです。
フセイン政権崩壊後、イラクではイスラムの宗教勢力が復活し、地域共同体の自発的な運営を支えたことは、日本ではあまり知られていなかったと思います。政府施設の略奪された公共物を警護したり、バグダットの33ある公共病院の薬や医療器具を略奪から守ったのも、イスラム勢力だったのです。そのイスラム社会でなぜ女性が無権利なのか?
日本の女性も例外とはいえず、ドメスティック・バイオレンスがようやく認知され、実態調査を行った結果、女性の5人に1人がそれまでの生涯で配偶者などからの暴力を経験している、という。暴力する側の意識は、暴力行為の対象になる女性は、彼らの所有物であるらしい。所有物なら不要になったらどんどん取り替えたらいい、でもそれは日本社会で生きていくには社会的信用を無くすでしょう。私たちが主催する月例学習会の7月のテーマは、「家族」です。課題は山積み、さあどんな議論になることでしょう。
(恵)
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ブッシュ批判のマイケル・ムーア監督が、またまた大ヒットをとばした。
フランスでのカンヌ国際映画祭でムーア監督作品の「華氏911」が最高賞に輝いたのである。
授賞式のステージでは、「何てことしてくれるんだよ。びっくりしちゃっただろ」と、戸惑った表情で語ったようである。
会見では、「米国の右派メディァは、反米のフランスからもらった賞だと言っているが」との質問に対して、『審査員9人のうち4人は米国人、英国女優1人を加えれば過半数が有志連合側。フランスの賞じゃないからね』と、答え笑わせた。
この映画「華氏911」も徹底したブッショ批判を展開している。従って、ブッシュ大統領の弟知事が配給元のディズニーに圧力をかけて、北米での配給禁止を強制したと言われており、映画公開の前に大騒ぎになっていたのはご存知だと思う。
ムーア監督を一躍有名にさせたのは、映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」(「ワーカーズ」の紙面でも映画紹介をしました)で、アカデミー賞を受賞し、その授賞式の過激なスピーチ(2003年3月23日)でした。
ブッシュ政権が、アメリカ国内や海外で広がっていた反戦の声を無視して、イラク戦争を開始していたとき、一人の男がアカデミー賞授賞式のステージから全世界の人々に向かって次のようなブッシュ批判のスピーチをおこなった。
「わたしたちはノンフィクションが好きなのです。わたしたちはノンフィクションが好きですが、いまは虚構(フィクション)の時代に生きています。虚構の選挙結果で虚構の大統領が選ばれる時代に生きています。その大統領が虚構の理由でわたしたちを戦争に追いやる時代に生きています。でもいくらダクト・テープの虚構やオレンジ色警戒レベルの虚構を押しつけられても、わたしたちはこの戦争に反対です。ブッシュさん、恥を知りなさい。ブッシュさん、恥を知りなさい」
「虚構の戦争」を押しつける「虚構の大統領」を弾劾したわけだが、まさにその後のイラク戦争の虚構が明らかになるにつれて、あらためてこのムーア監督のスピーチの鋭さに感心させられる。
すでに読んだ人も多いと思うが、このマイケル・ムーア監督の大ベストセラーの本が、「アホでマヌケなアメリカ白人」である。
この本に続き、「おい、ブッシュ、世界を返せ!」(原題は”Dude、where’s My Country?”)を昨年10月にアメリカで出版された。
彼は、「ブッシュを大統領の座から排除しない限りアメリカに望みはない」とばかりに、全米33都市を23日間でまわるブック・ツァーを展開したのである。
過激で元気良くマイケル・ムーア監督は全米を飛び回っている。さあ!いよいよアメリカの大統領選挙は11月、どうなるか楽しみである。
私たちも、この元気のよいムーア監督に負けないように、ブッシュに追随し人気ご機嫌取りでなんとか政権を維持している、ウソとゴマカシの小泉首相を大いに批判して、首相の座から追放しよう!
(英)
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友人の義父(78歳)が亡くなり、不要になった紙おむつなどを大量に譲り受けた。「ありがたい」と思う反面、私の義母の介護生活の大切な伴走者を失った淋しさを感ずる。友人とはお互い、在宅介護の悩みや不満、怒りなど吐露しあえる心強い同志だった。
我が家の義母が、転倒骨折で寝たきりになってしまった1年半前、友人の義父の方は1人で散歩するほど元気だった。介護認定では、歩けるか否かといった身体状況に重きが置かれるため、彼は「要介護2」と軽いもので、だんだんに痴呆がすすみ、便で部屋やトイレをべたべたに汚すようになっても、なかなか変わらなかった。
一方義母は、車椅子こそ必要だが痴呆は無く、便の始末にも協力できるのに「要介護4」。現在、行政が訪問調査をした上で、コンピューターや医師の意見書などによって認定審査会が判定をしているが、生活実態と掛け離れた結果は掃いて捨てるほどあるのではないか。血の通わない、家族にばかり負担が重くのしかかる現状だと思う。
<以下は友人の話>
毎日の汚れ物の洗濯、掃除がとても大変だった。便を洩らしたときには、義父をきれいにする人と、周辺をきれいにする人と2人必要だと思っても、1人てこなさなければならなかった。そして毎晩毎晩かならず2時3時に、大声を張り上げる。おむつを取り替えようとしても、どこにそんな力があるのかと思うくらいに大暴れし、大人2人がかりでやっとという状態。死の数か月前は、おむつなどまるで用をなさず外に流れでてしまう水様便が毎日つづき、深い床ずれもできてしまった。この時期には「要介護4」となる。これだけ大変な介護を続けていたら、とても正常な神経ではいられない。直接手は下さないが、大声で叱りつけたり、いなくなって(死んで)くれたらどんなに楽だろう・・・との思いが頭をかすめ、一瞬とはいえそう思った自分自身に打ちのめされる。世間で報道される老人虐待や殺人など、決して私自身もひとごととは思わない。
心身ともにぎりぎりの日々、彼を老人施設にいれようと見学したものの、あまりのくらい雰囲気に驚いたこと、何より月に15〜17万円もの支払いは不可能であきらめざるをえなかった。
在宅介護は、24時間逃れることができない。仕事であれば、時間がくれば開放される。赤ん坊なら、日々の成長という喜びがあり、何よりもある程度見通しもたてられる。だが日々衰えてゆく老人は・・・。私自身が体調不良の時、地獄だと思うことがある。介護する側がこんな状態では、介護される側はもっと惨めなのではないかと思う。4年まえにスタートした介護保険制度は、矛盾だらけなのではないか。これからも折りにふれ介護の日常を紹介してゆきたいと思う。
友人の義父は、とても穏やかな死に顔だった。痩せこけてしまった友人と、私にとってそれは大きな救いだ。
(澄)
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1986年4月26日午前1時24分頃、電源テスト中の4号炉路が暴走して炉心と建屋が一瞬のうちに破壊、世界を震撼させたチェルノブイリ原発事故の始まりです。爆発と火災によって、北半球のほぼ全域が放射能汚染に見舞われました。
急性放射線障害による死者は公式発表では28人(原発労働者や消防士)だそうですが、時を経て現れる放射能の恐ろしい影響(晩発性放射線障害)は今も消えることがありません。その基礎となる数字(チェルノブイリ事故の被災者数)は膨大です。
事故に居合わせた原発職員や消防士など
1000〜2000人
事故処理作業従事者
60万〜80万人
強制避難や移住した住民
約40万人
放射能汚染地域住民
約600万人
事故から18年、「チェルブイリ子ども基金」ニュースには現在も続く悲惨な実態が報告されているとのことです。孫引きになりますが、紹介しましょう。「日本の本州の6割に当たる地域が汚染管理区域となり、関東全部の市町村数に当たる『458の村』が消えた。その広さは東京、神奈川、千葉に匹敵する。ロシア保健省の発表では事故処理作業者20万人のうち、3万人が亡くなり、5万人が障害者となったという。亡くなった方の38%が自殺というのが何ともショッキングだ」(4月12日付「Stopザもんじゅ」)
最近の傾向として、「子どもの甲状腺ガンの減少に反して、青年の甲状腺ガンが増加している」だけではなく、さらに「事故後に産まれた子どもたちへの影響が表れ始めている」ということです。小児甲状腺ガンの発症率は100万人に1人という希なものなのに、1999年までにベラルーシ1105人、ウクライナ1367人という数字が報告されています。
この甲状腺ガンの手術は荒っぽいもので、甲状腺除去手術を受けた子どもたちの首にはよこ一文字の惨い傷跡が残ります。そして、生涯チロキシンという薬を服用し続けなければならないのです。いつだったか、この手術痕を見てショックを受けた日本の医師が、そんな傷痕か残らない手術を普及するために現地で指導している、というテレビの番組を見たことがあります。
なお、国際原子力機関(IAEA)は「チェルノブイリはもう終わった」と言い、チェルノブイリの悪夢から逃げようとしています。さらにIAEAだけではなく、原発を推進する側の専門家は甲状腺ガンの増加以外の事故の影響を認めず、「健康に悪いのは放射能を怖がる精神的ストレスである」という主張を繰り返しているということです。何という恥知らずな連中、何という非科学的デマでしょう。
チェルノブイリから18年、一歩間違えば同じ核暴走の危険につながる事故はいくらもありましたが、僥倖にもそうした事故は起こっていません。しかし、この偶然がいつまでも続くとは限りません。人類が再び取り返しのつかない核汚染に見舞われる前に、脱原子力のエネルギー政策を確立しなければ、子どもたちの未来はありません。
(晴)
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二六七号で臨時保育士賃金問題は終わりますと書いたのですが、その直後、二月二三日に市の保育課から連絡がはいり「保育士が足りないから来年度も働けるかどうか」というのです。
昨年の一二月には『来年度から雇用期間は原則三年で最長五年になる、六年以上働いている人は来年雇用しない。一年間は市の仕事では働けない』と、六年間働いている私には、はっきり『仕事はない』といっておきながら、今頃になって仕事をするかどうか聞いてくるとはあまりにもひどい話で「馬鹿にするな!!」と怒鳴りたい気持ちでいっぱいでした。 しかし、大学四年生と高校一年生の子供を抱えている私には、仕事にありつけたことはありがたく、四月からの仕事探しにハローワークでも行ってみようかと思っていたので、ぐっと我慢して返事をしました。すると、驚くことに、四日後の二月二七日には、継続雇用通知が届いたのです。 一月に来年度の募集があり、来年度働きたい人は申込書と履歴書を書いて提出したのに、私には何も書類も提出させないで雇用通知を出すのですから全くいい加減であきれてしまいます。
同じ職場の仲間達と「仕事があってとりあえずよかったね」と喜び合い、「仕事がないといったりあるといったり振り回されてしまったね」「保育士が足りないということはわかっていたはずなのに」「足りないならはじめから言わなければいいのに」と市当局のやることに話しが盛りあがり、他の職場の仲間達はどうなったのだろうかと思ったところ、組合ニュースによると自己都合で辞める人以外は全員が働けることになったので一安心しました。
園長によると、来年度から正規職員と同じ仕事をする人は「非常勤保育士」。一日の勤務時間が七時間四五分仕事をする人は「臨時保育士」。一日の勤務時間が六時間以内仕事をする人は「パート保育士」という名称になったという話がありました。
私は、遅番・早番があり、子供が長時間いるために部屋の片づけや明日の準備などが毎日の勤務時間後になってしまい、家に帰るのが遅くなり、週案、月案、児童票などの書類は家に持ち帰って書くことが当たり前になっている正規職員と同じ仕事をして、一生懸命働いても、正規職員の給料の三分の一という安い賃金でこき使われる非常勤保育士ということになるのです。
そして、この四月には、私は転勤になって、今までより遠方になった為、朝の出勤時間が早くなり、新しい職場の子供達や人間関係に毎日戸惑いながら働いています。
(美)
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日本中を揺るがしたイラクでの邦人3人の人質事件が起こりました。
犯人グループは人質解放の条件として、自衛隊のイラクからの撤退を要求。その期限はカタールの衛星テレビ局アルジャジーラの映像放映から3日間(日本時間では、11日午後9時が期限)しかありませんでした。
激動の3日間を経て、何とか3人の人命が救われたとの報道があり、まずは多くの人たちがホッとしたと思います。しかし、今原稿を書いている4月12日15時現在、3人の完全なる無事釈放の便りはまだ届いておらず、なお現在も心配です。
今回のこの事件を通じて、私を含めて日本中の多くの人たちが、テレビで3人のご家族の真剣で必死な訴えを聞き、あらためて人間の命の重さ・現実を実感し、3人の安否を気遣い、心から心配しています。
北海道を中心として全国で、3人の救援活動が取り組まれました。私たちも10日の午後、街頭に出て「3人の救出を優先し自衛隊を撤退させよ」のビラ配布や署名活動を展開しました。
ところが、3人のご家族が必死になって救出を訴えているのにもかかわらず、日本政府及び政府関係者の対応はまさに冷淡・冷酷そのものであったと言えます。特に、あの福田官房長官の「撤退なんか考えられる訳がない。そんなことをすればテロリストの思うつぼである」との突き放したような答弁は、まさに日本政府というか国家の本質を鮮明にあらわしていると言えます。マスコミからも、父親の福田首相時代の人質事件の際の「人の命は地球よりも重い」との言葉を引用し批判されていました。
政府は日頃、口では「国民の命を守るのが国家の役目である」とか「人道支援活動が大切だ」と言っています。しかし、いざとなれば、国民の命より結局「国家政策」「国益」「米国との安保体制」を再優先することが彼らの価値基準であることが、はっきり示されたと言えます。政府は国益優先で、3人を見殺しにしようとしています。
また、多くの政府関係者や御用評論家達も人質になった3人に対して、「あんな危険なところに勝手に出掛けて行ったのだから、自業自得だ。あとから助けてくれとは甘い」等々の言葉を投げつけて、政府擁護と家族批判をしていました。
さらに、聞くところによれば、アルジゃジーラが放映した3人の日本人の拘束場面を日本の放送局が全て放映していないようです。人質が酷く脅かされている映像がカットされて放送されました。
3人のご家族はこの隠された映像を全て公開するよう望んでいたようです。しかし、マスコミに対して、上からの圧力があったのか全てが放映されませんでした。
いずれにしても、私たちは今回の事件を通じて、「人の命の尊さ」をあらためて認識する共に、国民の命を軽く扱う「日本政府の本質」や自衛隊を非戦闘地域に人道支援活動のために派遣したという「小泉首相のウソと詭弁」を学んだと言えます。
皆さんも最近のイラク情勢を見てわかることだと思いますが、米国が言うような「テロ組織」との闘いとか「イラクの民主化」のための攻撃とは言えません。
米軍は、フセイン支持派残党と言われているスンニ派との戦いの一線を乗り越え、シーア派にも攻撃を加え、禁じ手であったはずの「モスク攻撃」までして、まったく無実のイラク人に対する無差別殺人を始めています。
もはや、米国のイラク攻撃には「大義」はまったくありません。ブッシュ政権にはあの「ベトナム戦争の二の舞」の道しかありません。そもそも、このイラク戦争開始がウソと詭弁ではじめられた戦争であったことも暴露され、自明になっています。
私たちは、この大義なき米国のイラク攻撃=「無差別大量殺人を続ける国家テロリスト・米国の蛮行」を、我が日本政府がそれを支えていることをあたらめて認識し行動すべきだと考えます。
小泉首相は、「自衛隊は戦争に行っている訳ではない。人道支援活動である」と、相変わらず脳天気な事を言っています。しかしもはやイラク情勢は、米軍とイラクゲリラ軍(スンニ派とシーア派が合同作戦を展開しはじめた)の全面戦争に突入しています。イラク民衆からは、「日本の自衛隊は米軍を支援している軍隊である」ことはがますます鮮明になっていくと思います。
イラクには、もはや非戦闘地域などは存在しません。イラク全土が戦場になりつつあります。人道支援活動とは、まさに戦後=闘いが終了した後の復興を支援活動することであるはずです。しかし、今のイラクは戦後どころか、今後さらにアメリカ占領軍とゲリラ軍との闘いが激化し泥沼化していく情勢であります。
自衛隊員の中から悲惨な犠牲者の出る前に、イラクから自衛隊を撤退させるべきです。なおかつ、アメリカにもイラクからの撤退を呼びかけるべきであります。
(英)
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経済がグローバル化することは、後進国に経済的発展をもたらすとされてきました。しかし、日本が海外に進出した結果、低賃金で現地の労働者を酷き使い、環境破壊まで押しつけるというひどいものでした。私たちの市場に並ぶ外国産野菜が、安いのもその犠牲からかと思うと複雑な心境です。
今、イラクでは、ますます戦闘状態がひどくなり死者の数も増えるばかりです。「テロとの戦い」を正当化したアメリカですが、そのアメリカの体制にこそ「テロの温床」があると指摘されています。
「意思決定や資源を一点集中の支配の下に置き、民衆を生産的な職業や生活から遠ざける非民主的経済システムは、不安定という風土を生み出す。あらゆる方針決定が、『私たち』と『彼ら』という力関係に置き換えられて理解される。『私たち』は不当な扱いを受けた、『彼ら』はそれで得をしたのに、と・・・
『テロとの戦争』がテロを封じ込める日は来ない。テロの根源に対処していないからだ。事実、『テロとの戦争』は、暴力の連鎖を産み、憎悪ウイルスを撒き散らしている。害虫が殺虫剤とともに増殖して耐性を強めるように、この戦争の遂行がテロリストの数と耐久力を増すことになる。害虫を防ぐことは、植物の抵抗力を伸ばすこと、生態システムの中で天敵とのバランスをとることによってのみ達成できる。テロの生態学は、私たちに平和への道を示してくれる。平和は、民主主義を養い、多様性を育てることの中にあるのだ」
この言葉は、インドの物理・哲学者でエコフェミニズムを唱え、反グローバル化運動の世界的リーダーの一人、バンダナ・シバのものです。アフガン攻撃が始まり、その直後に出された反戦の声を収録したものですが、生態学に例えれば、なんと解りやすくなるのでしょう。アメリカのやりたい放題は、いづれ自分の首を絞めることになる、勇気を持ってイラクから撤退すべきなのです。
世界に色んな国があり、言葉の違いはもちろん、文化・生活習慣が異なることは当たり前で、認めあうことが大切です。西洋思想が蔓延している私たちの生活も、今一度、見直してみたいものです。
(恵)
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3月7日、大阪で無防備地域宣言運動の集会があり、主催者側の予想をはるかに超える参加者が会場にあふれ、そのすごい熱気に圧倒されました。全国ネッワークを結成し、大阪市への直接請求を実現しようというものです。
無防備地域宣言とは何か。集会宣言はこのように述べています。「戦争に反対する世界の潮流はすでに1977年、ジュネーブ条約追加議定書として戦争の惨禍に巻きこまれない、戦争協力を拒否する有効な手段を手にしています。『紛争当事国が無防備地域を攻撃することは、手段のいかんを問わず禁止する』(第一議定書第59条)と」
「私たちは、国際法の住民保護の規定と日本国憲法の平和条項に依拠して、この『無防備地域宣言』の運動を一人からでも始められる日常的な、平和を実現する闘いとして開始しましょう」「ここ大阪における無防備地域宣言を含む条例制定直接請求運動をかわきりに、全国の自治体で無防備地域宣言運動を広げて行きましょう」「上からの戦争国家作りを拒否し、地域から平和な社会を建設していきましょう」
この宣言の主体は「紛争当事国の適当な当局」となっていて、外務省は「宣言が出来るのは政府だけ」としていますが、自治体でもできるし、やろうということのようです。宣言をするための条件としては、@戦闘員、移動兵器の撤去、A固定した軍用施設などの使用禁止、B敵対行為の禁止、C軍事行動を支援しない、となっています。
つまるところ、軍事施設や要員を排除することによって戦闘地域から除外することを求めるもののようです。しかし、実際にそういう事態になったときに、この宣言が有効かどうかのは疑問があるし、予想される範囲で日本が直接侵略にさらされる事態が起きる可能性はありません。そうしたなかで、この宣言の有効性には疑問があります。
それでも、あほで間抜けな小泉の愚かな行為によって、日本もテロ≠フ対象にあげられるようになってしまったいま、非武装・平和運動の有効な手段として活用できるものだと思います。戦争国家作りは上からだけではなく、日常のなかからも戦争肯定、国益追求の雰囲気が作られつつあり、無防備地域宣言が地域での攻防を切り開くことになればすばらしいと思います。
ところで、この集会に国立市の上原市長がかけつけ、「有事非協力自治体をめざしている」との発言がありました。上原市長は有事関連7法案が成立すれば自治体として協力を強制されることへの危機感を持ち、これに抵抗するための道を探っているとのことでした。国策に追随することしか知らない首長ばかり見ているので、この発言は新鮮な驚きでした。
もうすぐ、大阪市非核・無防備平和都市条例の制定を求める直接請求署名運動が始まります。これを注目しつつ、それぞれの地域で出来ることも考えたいものです。
(晴)
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2002年の完全失業率は全体平均で5.4%と過去最悪でした。特に若年層(15〜24歳)は9.9%に達しています。ここ数年、学校卒業後に就職も進学しなかった「新卒無業者」の割合も急増しています。この「新卒無業者」が、アルバイトやパートで働くフリーターとなり、このフリーターが増大し大きな社会問題になっています。
最近、NHKも3月7日に「フリーター417万人の衝撃」という番組を放送していました。
まずこのフリーターの定義ですが、「年齢が15〜34歳で、勤め先での呼称がアルバイトあるいはパートであり、男性は継続就業年数が1〜5年未満の者、女性は未婚で仕事を主にしている者」(2000年版労働白書の定義)としています。
また、この定義は、無業者で、家事も通学もしていないでアルバイトやパートの仕事を希望している者も含む形に拡張されています。この定義によれば、1982年には50万人に過ぎなかったフリーターが、バブルがはじけデフレ不況が始まった92年には190万人、97年には313万人、2001年には417万人に急増し、長引く深刻な不況の下で、さらなる増加傾向が続くことが指摘されています。
こうしたフリーターの増加が、日本社会の将来に暗い影を落としはじめています。
NHK番組でも、「こうしたフリーターの増加は、産業界の技術力の継承や錬磨に悪影響を与え、国際競争力などわが国の産業力を衰退させ、さらに社会保障費(年金支払いなど)を負担できない若者が増えることになり、わが国の将来に大きなマイナスになりかねない」との、フリーター亡国論がささやかれていました。
確かに生活能力のない若者が増加すれば、将来の社会保障システムが有効に機能しなくなる危険があります。
でも、なぜこんなにもフリーターが増加したのか?その原因はどこにあるのか?そして、その解決の方向の道はどこにあるのか?をしっかり考える必要があると思います。
この原因の分析で、私が賛成できない代表的な意見は次のような指摘です。「卒業後も資格を取ったり、自己実現や生きがい追求型のフリーターはごくわずか。最近は定職にも就かなかったり、せっかく入社してもすぐ離職してしまう。辛抱することができない。パラサイト・シングルとして親への依存心が強くなっているのも一因であり、親も甘やかすからだ」と。要するに、「今の若者がダメだ」論です。
03年の国民生活白書「デフレと生活・・・若年フリーターの現在」では、フリーター増加の要因として、「企業が正社員をアルバイトやパートに置き換える傾向、豊かな社会に生まれ育った若者のモラトリアム志向、パラサイトに許容的な日本の親子関係、職業教育の不十分さ」を指摘しています。さらに白書で、「フリーターの7割以上が正社員希望だが、なかなか希望職種に就職できない。労働意欲は決して低くない。平均年収は125万円前後で、これでは300万円台の”スローライフ”にも届かず、親元にとどまるしか選択肢がない」ことも述べています。少しは適切な指摘だと思います。
確かに今の若者の気質は、「辛抱強くない」とか「自己実現が弱く、他人依存が強い」とかの弱点があると思います。しかし、昔も今も若い人間は「未熟であり」、学校の勉強だけで一人前になるわけではないと思います。
未熟な若者が世に出て、仕事に就き、その仕事の労働を通じて鍛えられ、様々な勉強をするうちに、ようやく一人前の労働者=人間に成長していったわけです。
ところが、白書でも指摘しているように、今の企業社会では若者を正社員として採用し、労働教育を通して一人前の人間を育てていこうとする姿勢と組織体制がありません。もはや日本社会には若者を育てるシステムが機能していない、人間が育たない、この事が最大の問題点だと思います。
「安上がり」「労働者の使い捨て」「非正社員の増加」の企業論理は、若者だけでなく、一般労働者にも徹底的に貫かれています。ようやく「正社員」になっても、長時間のサービス残業ばかり、「パート」は賃金は正社員の半分位で、労働時間だけはフルタイムで「こき使われる」という労働実態です。特に女性労働者においては過半数がパートや派遣社員などの「非正社員」身分になっており不満が蓄積しています。
学校を卒業して仕事先を希望しても正社員の就職先がない。従って、食っていくためにフリーターとして働くしかない。ところが、フリーターの仕事先とは生産的労働分野は少なく、それは技能を必要としないコンビニやホールスタッフなどのサービス業の単純労働がほとんどです。これでは、なかなか職業的能力が高まりません。
物を作る生産的労働分野がどんどん減少し、サービス労働ばかりの非生産的労働の分野しか働き先がない、この事も今の日本社会の退廃と衰退を物語っていると思います。
(英)
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まだ寒さの厳しかった1月の昼休み、強風にあおられ中学校グランドの鉄製サッカーゴールが倒れ1人の中学生が亡くなるという痛ましい事故が起こった。当日夕方のテレビニュースで、静岡市教育委員会が「サッカーゴールは固定するようすでに通達は出している。それをしなかったのは学校側の責任」と発言。そのすぐ後、当該校長が「固定したくても狭いグランドで、野球部も使用するため固定することができなかった」と発言。その誠実な話し振りに、思わず同情の気持ちがわいたのを覚えている。
事故の後すぐに緊急の保護者会が開かれ、校長が「事故は私の責任」と土下座して謝り、その場では校長への非難の声は一切上がらなかったと聞く。もともと人望の厚い人柄であったという。
ところが事故から5日後の日曜日の朝、「再びご迷惑をおかけします」と綴った10数通の遺書を残し自宅居間で自殺しているのを発見された。
市教育委員会は会見で「校長の落ち度は責めていない」と釈明したものの、もはや死者にそれを云々する機会は与えられていない。校長の葬儀が、市教委に一切知らされることなくひっそりと執り行われたという。
新聞によると、市教委は”事故翌日”緊急に市内の小中学校のサッカーゴール転倒防止についての調査を行い、結果半数もが防止策がされていない事が判明した。事故直後のテレビで「固定するよう通達は出してある」と強弁するのは結構。しかしその通達の後「実態は改善されたか?」「どうすれば事故防止につながるか?」等を一切指導してこなかったのは厳然たる事実。この点は市教委の責任は明らかで、生徒が死ななければ調査もできなかったとはあまりにお粗末すぎる!
「校長の自殺」という痛ましい事件は、命の尊さを教えるはずの教育の現場では測り知れない衝撃を与えたはずだ。このことについて学校関係者に問い掛けてみると、驚くことに「責任感のあるいい校長だった」と自殺が”美談”に仕立てあげられているという恐ろしい返答が返ってきた。現代版「切腹」なのか?何もかもが校長の死によって免罪となり幕引きがされようとしている。
この春高校生になるはずだった生徒、専門の音楽をとうして生徒とのふれあいを楽しみたかったであろう校長。2人のことを思うと今でも胸がいっぱいになる。
(澄)
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今日、2月19日は24節気の「雨水」。雪やみぞれが雨に変わり、雪解けが始まる時期だそうです。もともと雪などめったに降らないので、季節の節目としてそういうふうには実感できませんが、たしかに日差しはもう冬のものではありません。郵便配達も防寒着を脱ぐ日が近づいてきたようです。
さて、春一番が吹いた先週の土曜日、東京に出かけたついでに墨田区の学校跡地にある「すみだ環境ふれあい館」(雨水資料館)を訪ねました。JR総武線「亀戸駅」を降り、明治通りを北へ10分ほど歩き、十間川に架かる福神橋を渡って、川沿いに西へ歩くと文花団地に到ります。その団地のなかにあった文花小学校の校舎がそのままふれあい館・雨水資料館になっています。
この団地には学童の施設や保育所、市場もあるのに、小学校は廃校になってしまっています。団地住民の年齢構成が高くなったためか、少子化によるものかはわかりませんが、子育て中の親にとっては無念だったでしょう。私が住んでいる西宮市には総棟数が150棟の浜甲子園団地がありますが、高齢化が進んで小学校が統廃合され、高層住宅への建て替えが始まっています。団地にも成長、発展期と衰退期があるようです。
ふれあい館が開館したのは2001年5月、まず目に付くのは庭に設置されているスリランカの雨水タンクです。その名はパンプキンタンク、高さが2・7メートルもあり、容量は5トン、蛇口をひねるときれいな水が出てきました。これはスリランカで実際に使用されているもので、6000基設置されているそうです。庭に設置されているものもスリランカから来た人たちとの共同作業で製作されたもので、タンクに書かれているのはスリランカの文字(シンハリ語)で「問題は水。解決は雨水」です。スリランカは乾燥地域で、ほとんど雨が降りません。そこで、雨水をパンプキンタンクに溜め、飲み水として利用しているのです。
型枠の金網の内側にモルタルを塗り、固まったら金網ははずし再利用するということです。なるほど、それだと型枠ひとつでいくらでもタンクを作ることが出来ます。このタンクには建物の屋上から雨樋で水が供給されています。タンクの底には排気ガスの粉塵などが溜まるので、蛇口へは少し上の位置から水が流れるようになっていると係りの方が説明してくれました。
最も、これは実用化されている全ての雨水タンクが同じ構造で、そうすることによってきれいな水として使用できるのです。もちろん、沈殿物は定期的に取り除かなければなりません。排気ガスの沈殿物がどんなものか、ペットボトルの底が真っ黒になったものが展示されていていました。見た目、コールタールのようなものです。ディーゼル車などからこんなのが吐き出されているのかと思うと、ゾッとします。
展示室に入ると、わらで作られた愛嬌のある竜が迎えてくれます。これはどこかの地方の雨乞いの祭礼に使用されるものだと、説明書きにありました。それから、雨音を出す楽器が何点か展示されていて、なかに何が入っているのかわかりませんが、どれもうまい具合な雨音を再現していました。レインスティックという名のこの楽器も、雨乞いに使用するものだそうです。
珍しいものとしては、集水ネットというものがあり、これは霧を集めるフォッグ・キャッチメント・ネットだそうです。ペルーの年間雨量は10ミリとかで、霧もムダに出来ないということです。ちなみに、沖縄は年間2000ミリ、屋久島はなんと10000ミリの雨が降ります。アフリカのボツワナという国は砂漠が多く、1年のうち4日しか雨が降らないということで、人々は「私たちは日本の雨がほしい」と言ったそうです。
世界の年間降水量と水蒸気の量は均衡していて、水循環としては一定だという説明では、なるほど一方で洪水があると他方で渇水が起こるということが理解できます。それと、今の時期にぴったりの言葉、タンクよりタンクを≠ノ出会い、思わずうなずいてしまいました。その意味は戦車ではなく雨水タンクをです。さしずめそれは、日本政府は税金を垂れ流して自衛隊をイラクに派兵し、ペシャワール会は基金を集めてアフガニスタンで灌漑施設を建設している、といった違いです。
(晴)
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郵政公社になってもうすぐ1年、私たち非常勤の賃金が変更されることになりました。職員の給与が1割カットされ、その分成績の良い者に加算されると聞いています。4月からの変更と告げられ資料は貰ったものの、ほんの5分か10分ぐらいの説明でしかありませんでした。
確か、私が入った頃の時間給が870円でした。その後、1年毎に20円上がり現在1022円で頭打ちとなっています。新しい賃金は、これまでの画一的なものからスキルレベル(「職務の広さ」とその「習熟度」)や職員としての基本的事項も評価し決定する、とあります。その基本的事項は、10項目もあげられ細かく行動をチェックされ、まるで校則のようです。それの評価給がたったの10円とは、驚いてしまいます。
管理者の説明では、これまでの時間給より下がることはないようですが、評価を2月・8月に行いその後どう変わるか、わかりません。みんなで、助け合い作業を進めてきた職場の良い雰囲気を、壊されはしないか心配です。本局から離れ、非常勤の女性ばかりの職場で、一体誰が評価するつもりなのか、疑問がいっぱいです。
郵政職員の数が減少し、非常勤が大幅に増え賃金コストは削減されたのでしょう。しかし、労働組合がしっかり機能していれば、非常勤の労働条件の問題は率先して取り組むべきものです。非常勤が職員よりも専門的になり知識をつけている、そんな情報を聞くとひょとしたら、非常勤の連帯で何かできるかもと、期待してしまいます。
4月1日、私にはどんな評価がされることでしょう。評価をめぐっても、納得がいかなかったら意見が出せるように、元気な気構えで居たいと思います。
(恵)
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表題で取り上げた「テロ対策」と「釣り」が、どんな関係があるのか?不思議に思われたと思います。
ここで言う「テロ対策」とは皆さんも知っているように、アメリカの「テロ対策」のことです。アメリカは9.11同時多発テロ以降、空前の厳戒体制で臨んでいます。
他方、私の住む清水は昔より「清水港」が有名であり、「海釣り」の中心地です。天気の良い休日となれば、多くの釣り好きファンや家族連れで賑わいます。市民にとってまさに憩いの場になっています。
一見まったく関係ないこの両者が、突然結びつき大問題が起こっています。
国内の他の港もそうですが、今の港は「コンテナターミナル」です。埠頭にクレーンやコンテナなどが立ち並び作業は大変危険なものです。従って、ほとんどの埠頭は関係者以外「立入禁止」になっていると思います。
しかし実際は、沖に突き出た埠頭やその近くのテトラポット上が最高の海釣りのポイントになっています。事実、清水港は黒鯛のスポットとして広く知られています。コンテナ作業が行われているウィークデーにも、多くの釣りファンがこうしたポイントで釣りを楽しんでいます。「立入禁止」は事実上黙認されてきました。
ところが、アメリカのテロ対策によって、昨年末に海上人命安全条約(SOLAS条約・146カ国批准)が改正されて、コンテナターミナルなど外国船が着岸する岸壁への一般侵入が禁止されることになり、立入禁止のためのフェンスや監視カメラの設置などの保安対策の強化が義務づけられました。
このSOLAS条約の改正で、7月1日から保守対策の実施が義務づけられるのは、清水港を含む国内136の港が対象になります。
アメリカは、こうしたテロ対策を実施していない国の港から出港した船は、アメリカ国内の港には一切接岸させない、と言っているようです。当然、アメリカとの経済貿易で商売を展開している財界及び政府は、国内各港にその実施を求めていきますし、事実もう一部着工した港も出ています。
清水港への立ち入りが「フェンス」で規制されて、本当に「立入禁止」になれば、釣りファンは憩いの場でもある絶好の釣り場を失います。そうなると他の場所に行くか、それとも釣りをやめるか、と言うことになります。
地元の釣具店も、「清水港という釣り場がなくなれば、当然釣り人は減少するわけで、我々業者にとっては死活問題になります」と言っています。
アメリカのテロ対策という管理統制で、釣りという趣味も休日の憩いの場も奪われてしまう。そんな時代になってしまいました。皆さんはどう思いますか。
(英)
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私は、公立保育園の臨時保育士として、一年契約で働き、今年度で六年目になります。正規職員と全て同じ仕事をしながら、給料は三分の一という安い賃金でこき使われていますが、かわいい子供達からパワーをもらって健康で元気に働けるという喜びも感じています。
ところが、昨年の十二月の始め、園長より「臨時保育士の雇用期間は、原則は三年で最長五年になる。六年以上働いている人は、来年雇用しない。一年間は、市の仕事では働けない。一年間休んだらまた五年働けるということが人事課より連絡が入った」という話がありました。一昨年からこの雇用期間については、いろいろ問題になっていたので「とうとうきたか」というのが本音でした。
しかし、「来年は仕事がない、ないということは働けない。働けないということは給料がもらえない。もらえないということは、大学生の息子の仕送りが出来ない。中三の娘に私立高校でもいいよと言ってしまったけれど来年は現金収入がない(旦那の給料はローンと生活費で終わってしまう)どうしょうか、困ってしまう」と不安が、大きくなってきました。でも、不安を感じながらも、落ち着いて考えるとあまりにもひどい話で、六年前雇用される時は最長八年間働けるということだったのに、市の合併によってそのことはなくなってしまったのです。園長は「一年休めば、また五年働けるからいいじゃないの」となぐさめの言葉を言うのですが、「大学四年生と高校一年生になる子供を抱えている私には、この一年が本当に困ってしまう。パートでもいいから雇ってほしい」と訴えても、「だめらしい」と他人事のように言うだけなのです。
さっそく組合に加入した仲間に連絡をすると「十二月中に団交して、当局に訴えていく」と言うので、その時は参加したいから連絡をお願いするが、今だに団交の連絡はなく、一月になって来年度の募集要綱が出されたのですか、職場で七名いる臨時保育士の中で私と同じように六年間働いているAさんと私だけが募集要綱をもらえず、来年度の仕事がないということがはっきりわかったのです。
そして、一月の末、組合より長年働いてきた臨時保育士を機械的に雇い止めにしないことを求めた署名用紙がまわり、全職員に訴えて書いてもらい提出しましたが、その後なんの動きもありません。「組合に入れば、雇用を守ってくれる」と信じて、組合に入った仲間も「もうクビだよ」と諦めムードで、組合運動も盛り上がっていないのです。
その後、新聞で『一月施行の改正労働基準法で有期雇用の上限が原則一年から三年(専門職などは三年から五年)に引き上げられる』ということを知り、まさにその通りになったということなのでしょうが、毎日、元気に仕事をしていて明日から仕事がなくなるというのは、不安で淋しいものです。「まさか自分が・・・」とリストラにあった人達が、よく訴えていましたが、その気持ちが痛いほどよくわかり、働きたいいう意欲がありながら、働けないというのは本当におかしな社会です。さてさて、この四月からの仕事探しをする為に、まずは、ハローワークにでも行ってみようかと思っています。臨時保育士賃金問題はこれで終わります。
(美)
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脱ダムという言葉はいまや定着した感がありますが、現実は言葉ほど進んでいません。多くのダム建設計画が既に破綻しているのに工事は止まらない。実際、利水という面からみると、むしろ水あまりから自治体がダム返上に動く例も増えています。こうした点から、脱ダムを阻んでいるのは利水といったまっとうな理由からではなく、ダム建設そのものを目的としている、そのことによって利益を得ている勢力によるものだということが分かります。
それなら治水はどうか。こちらは利水ほどはっきりはしません。100年に1度の雨が降ったら、150年に1度の雨が降ったらどうする、何て言われたらそう簡単にはダムを否定できないのも事実です。しかし、開発が進んで山が荒廃し、雨水が一挙に川に流れ込むようになったので、ダムを造っても水害を防ぎきれなくなっているのです。これは、右手で破壊し左手で再建している(つまり今のイラク復興のように)にすぎません。
また、最近の都市洪水などから明らかなことは、雨水が地下にしみ込まないでマンホールから路面にあふれ出て地下室などがあっという間に水没、死者が出るということがあります。いずれにしろ、ダムという手法ではなく、もっと違ったアプローチが必要なのです。そこで、雨水博士の村瀬誠さんは次のような数字をあげ、水資源 遠くのダムより 軒の雨≠ニいう言葉を紹介しています。
東京に1年間に降る雨の量と、都民が使う水道水の量はどっちが多い?
降る量‐約25億トン
水道水消費量‐約20億トン
この事実に着目すれば、流せば洪水、ためれば資源≠ニいう言葉も理解いただけるでしょう。ではどのようにためるのか。墨田区に勤めている村瀬さんがやったことは、両国国技館や江戸東京博物館に降る雨を地下タンク(それぞれ1000トンと2500トン)にためることでした。この水はもっぱら水洗トイレや冷房用の冷却水に使用されるのですが、両国駅周辺の水害(大雨が降ったらたびたび下水道があふれていた)対策にもなるし、水道水の大幅な節約にもなっているということです。
こうした試みは、いまや雨水利用というかたちで家庭にも入ってきています。手元にそうした機器を扱っている企業のパンフレットがありますが、雨どいから水を取ってタンクにためる仕組みになっています。屋根に降った雨を集めるという点では国技館等との違いはありません。ただしこちらは200リットルとか400リットルという規模です。
昔はどこにでも井戸があり、雨水はごく自然に利用されていましたが、下水道の普及によって雨水は汚水になってしまっているのです。現代の雨水利用はこれを復活させようというものです。私は子どものころ路地裏長屋に住んでいましたが、そこにはやはり井戸があり、時々大人がその水をかい出して清掃していたように思います。さすがに飲み水としては利用していませんでしたが、夏にスイカを冷やすのによく利用していました。
そういうこともあってか、パンフレットを見ているとなんだか楽しくなります。しかし、問題はこれをやってみることができないことです。分かりきったことですが、こうした施設は戸建の持ち家で、いくらか庭もあるような条件でないと無理です。市営の集合住宅に住む身では実現できるものではありません。太陽光発電も同じくですが、そのためにマイホームを持とういう気にもなれないので、残念ながらそれを実践することはできません。
雨水や太陽光の利用は、もちろん、それが直接ダムや原発を阻止するものではありません。重要なのは、大量生産・大量消費による地球資源のごみ化という現代思想(資本主義的常識とでもいうべきか)に対する異議申し立て、違った選択肢の提示であるということです。どちらが未来を照らしているかはすでに明らかです。大洪水と大渇水のように、あらゆる過剰と欠乏がこれまでにもまして広がる気配があるいま、私たちも循環のなかにあることを自覚したいものです。
(晴)
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年に一度、小学校では性教育の授業参観が行われます。先日、6年生の授業では、男女の性器の図が黒板に張られ、それぞれの名称、違いが説明されていました。そして、赤ちゃんが生まれるのは、男女の性交によるものと、正しい知識が伝えられています。
私たちの小学校のころを思い出してみると、修学旅行の前に男女に別れ、女子だけに生理の話がなされていました。その説明も、生理が赤ちゃん誕生に向けて、準備しているという前向きなものでなく、どちらかといえば処置の仕方が主で、厄介なものというイメージを持たざるを得ませんでした。
男女交際が低年齢化した今、中学生の妊娠という事実も、ビデオを通じて子どもたちに伝えられました。性情報が氾濫する中、若者が影響を受けやすいのがアダルトビデオだそうで、その場面には妊娠・中絶という事態は想定されていません。
4月になると、中学生になるからこそ予備知識として紹介されたのでしょうが、子どもたちには別の世界のことの様でした。懇談の時、1週間試行錯誤で学年の教師との話し合いが持たれ、やっと内容が決まったと、担任から苦労話がありました。学校で正しい性教育をしてもらえば助かる、そんな母親の意見が続き、親として伝えるべきことが忘れさられているのではと、ふと思ってしまいました。
ところで、昨年9月、東京都教育委員会が養護学校の教職員116名を性教育の内容で、処分していました。このことは、知人を通じて知りましたが、この処分には民主党の土屋たかゆき都議や、石原都知事の意向が反映しているようです。
「行きすぎた性教育」というのが処分の理由ですが、具体的には「からだうた」で性器の名称「ペニス」「ワギナ」を使ったが「障害の程度や発達段階を考慮していない」とされています。他にも人形を使った性交の指導、「子宮内体験袋」などが対象となっているようです。むしろユニークで評価されるべきものだと思いますが。これらの教材や教具は、都教委に没収されたまま、なんと乱暴な介入でしょう。
「知的障害の子は知識不足から被害者にも加害者にもなるので、性教育は切実な問題。親には教えられないことも多い。思いやりの心を育てるなど広い意味での性教育もしっかりあった。いったい何が問題なのか」というある保護者の声に、どんな返答もできないはずです。昨年12月、親と教職員など1000人が申し立てた東京弁護士会への人権救済に、注目し見守って行きたいと思います。
(恵)
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あなたにとって、今年はどんな年になりそうですか?
今年のことを考えるために、昨年はどんな年であったか?どんな出来事があったのか?を振り返ってみたいと思います。
そこで、朝日新聞のbeモニタ−が選んだ「03年10大ニュ−ス」をみて見ると。
1.イラク戦争関連
2.阪神のリーグ優勝
3.SARS騒動
4.長崎の幼児殺害事件
5.有事関連法の成立
6.北朝鮮拉致問題
7.医療費の自己負担増
8.日本は冷夏、欧州は熱波
9.民主党と自由党の合併
10.総選挙で与党安定多数
と、なっています。
そして、この10大ニュースに寄せられた意見ににじむキーワードは、「不安」という言葉です。
多くの労働者や市民は日常生活の中で、日本社会に蔓延している「不安」をひしひしと感じているのではないかと思います。
経済生活においては、失業や低賃金や医療費負担増や年金改悪などで家計の痛みが増しています。さらに、殺人事件の増加やオレオレ詐欺や偽造カードによる預金引き出しや少年事件の増加など、犯罪の増加と治安の悪化もあります。新型肺炎SARSやコンピュータ・ウィルスや異常気象など、目に見えぬ不安の増大もあります。
しかしなんと言っても、その最大の不安は「戦争」問題です。イラクへの自衛隊派遣の決定が上げられます。
昨年末の新聞に、若い女性の投稿記事と、たった一人で街頭署名活動を始めたという記事が出ていました。雪の降る街頭で、「恋人を奪わないで」と書いた手作りの看板を下げる姿の写真が印象的でした。
「私の恋人は自衛隊員です。来春、イラクへ行きそうです」との書き出しで始まり、「新聞や雑誌でニュースを見ているのですが、私の知りたいことは何一つ分かりません。そして改めて小泉首相の無責任な発言に腹が立ちます」と、なぜ自衛隊がイラクに行く必要があるのか納得がいかない、小泉のイラク支援というゴマカシといい加減さに怒っています。そして、最後に「自衛隊のイラク派遣、本気でやめて下さい」と訴えています。
彼女のこの気持ちに応えるためにも、自衛官から戦後初めての戦死者を出さないためにも、イラク派兵をやめさせよう!
今私たちに求められているのは、今までのようなおざなりな反戦運動ではなく、まさに本気になって、必死にイラク派兵反対を多くの労働者や市民に訴えて、反対の声を広め高めていくことだと思います。
(英)
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「なんでお父ったんは戦争に行ったんや?なんで死んだんや?」
住井すえ著「橋のない川」(第一部1959年著)の中で、幼い孝二の問いかけに、誰ひとり答えることができない。この作品から半世紀近くたった今、同じ問いかけを、自衛隊員の家族が投げ掛けねばならなくなってしまったのではないのか?人類は何と愚かで進歩の無いものかと、嘆かずにはいられない。
先日、橘祐典監督のドキュメンタリー映画「住井すえ/百歳の人間宣言」を観て、住井氏の示唆に富んだ鋭い指摘にはっとさせられることが多かった。
老子の「兵器は凶器である」のことばを引いて、「どこかのやくざがピストルや日本刀を用意すれば、治安当局は凶器準備集合罪でぱくりにゆく。人殺しの道具をつくるアメリカやソ連も凶器準備大集合罪です。わたしがもし日本の総理なら、ぱくりにゆくよ。おまえら、その武器すてろと。(要旨)」(1992年日本武道館での記念講演)
現実の今の日本の総理は、残念ながら小泉であり、さらには米英の占領戦争に加担するため、自衛隊派遣を決定してしまった。そのためには手段を選ばず、奥・井上両氏の外交官としての死をも巧みに利用している。しかし遺族の流した涙、そしてその願いは、武器を持ってイラクに兵士を送り込むことには、決してつながらないはずだ。米英に「その武器をすてろ」と迫ることではないのか?
人類は、飛行機を発明する知恵をもちながら、なお戦争という愚かな行為を止められない。それどころか科学の進歩とともに、戦争の被害がますます拡大(飛行機からの爆弾投下)してゆく・・・ということを「橋のない川」の中で小学校の先生の口をとうして伝えいる。
1997年95歳で亡くなるまで、差別社会や戦争に対して絶えず鋭い警鐘を鳴らし続けた住井すえさんから、学ぶことは大きい。
先日、自衛隊のイラク派兵に反対するビラをまいた時のこと、地方の駅で受け取る人が少ない中、はっきりと意志をもって受け取った女性の眼がつよく印象に残っている。粘り強く戦争反対を訴えてゆきたい。
(澄)
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公社になって最初の年賀繁忙がやってきました。公社になったからといって、これまでと全く違うかたちになるとも思えませんが、経費削減・人減らしはありそうです。公社の経営者たちはトヨタをまねて労働強化だけはどんどん進めるつもりで、あれこれ計画を練っています。
彼らはそんなことのためには湯水のように経費を使い、現場を搾りあげることばかりそれこそ日夜考えているのです。2年続きのベースダウン≠フ一方で、仕事量は逆に増えています。郵便内務労働の夜間へのシフトを強行しようとしており、外務労働でも局内での道順組立作業全体を立ち仕事にしてしまおうとしています。
こうした一連の労働強化によって、郵便事業は黒字になるかもしれませんが、職場は荒廃するでしょう。というか、すでに荒廃は進んでいます。朝起きて新聞を読んだら、近隣局で配りきれなかった郵便を非常勤労働者が捨てていた記事に目が止まってしまう。世間から見たら不祥事になるだろうし、郵便屋がそんなことをしたらおしまいですが、現場は追い詰められているのです。
そんな最近の職場の雰囲気をひとつ紹介すると、寒くなってきたのでセーターを着た人が、そのセーターはダメだと課長に言われたそうです。なんでも、V首はかまわないけど丸首はだめだということのようです。その理由は、丸首ではネクタイが見えないというのですから、噴飯ものです。
しかし、それを笑って済ませられないのは、業務命令に従わないと問責の対象になるからです。私はすでに問責の対象になっているので、今さらそんな下らない業命に従う必要はないのですが、こうした業命が職場のストレスを高めています。
さて、夜間再配達ですが、時間帯が夜の5時から7時までと、7時から9時までがあります。最近の日没は午後4時台で、寒くもなっています。しかも、ワンルームばかりでなく、普通のマンションなどでも帰宅が遅くなっていて、いきおい夜7時以降の指定が多く、夜勤の勤務は大変です。なかには8時以降の配達希望などとメモ書きされているものもあり、本当に困ってしまいます。
さらに、夜間専門の短時間労働があり、彼らは非常勤ではなく職員ですが、今のままでは持たないのではと思います。本務者はせいぜい週に1度か2度ですが、彼らは毎日夜間労働(午後5時15分から9時15分まで)で、現状では休息時間も確保できないし、終業時間までに配達しきれないこともあります。こんな状態を長く続けるのは難しいでしょう。
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修学旅行、音楽会と行事を終えていき、末娘の小学校生活も3学期を残すだけとなりました。私自身の小学校との関わりも最後という訳で、PTAの役員も引き受け、積極的に意見を述べるようにしてきました。おかげで、若いお母さんたちとも知り合いになり、私の経験してきたことを少しでもを伝えたい、そんな想いでいます。
先日は、学年PTAで卒業旅行のビデオを鑑賞し、その後、親と先生の意見交換も行ないました。学年PTAは、運営の主導権は委員である親にあり、テーマについても決定することができます。そこで、事前の打ち合わせで私は卒業式に向けて、それぞれの要望や意見を出し合おうと、提案しました。
当日、提案した内容は、式の形態を従来の壇上形式から、フロアー形式でというものでした。今年20歳になった二女の時の式がフロアー形式で、子どもの顔は対面しているので表情がよく見えました。壇上に代わりフロアーでの卒業証書の授与は、同じ目線で行なわれ子どもの緊張感も和らぎ、とてもいい感じでした。何よりも「日の丸」に向かって礼をするという、屈辱的な事態は避けられるという意味で、より良い方法と言えそうなのですが。
しかし、まだ子どもの卒業式の経験の無い若いお母さんが多く、何が問題なのか、よくわからないという返答がほとんどでした。やはり、根本的な所の個人の思想を強制する「日の丸」「君が代」を問題に出すべきでした。人権教育を謳いながら、戦後補償も放置し続けている日本政府の姿勢。「日の丸」を使うことは、この身勝手な政府を容認することになってしまう、ということを。
後日、鋭い視点で資本主義を暴く、ドキュメンタリー映画監督、高岩仁さんの話を聞く機会がありました。そこで、現在もなお、日本はODAを使った開発で、他国を経済侵略している事実を知りました。「第二の侵略」と名付けられたビデオからは、ミンダナオ島の住民50万人以上が国軍による空爆で家を焼かれ、難民生活を強いられてしまった映像が飛び込んできました。そして、その跡地には、日本大手の電機会社が建ちました。なんということでしょう。
戦争を必要としているのは誰か。平和を訴える時この視点が抜け落ちると、単に精神主義的のものに終わってしまうことを、再度確認させられた有意義な講演でした。そして、事実を的確に判断し、伝えていくことが私たちの課題であることを。
(恵)
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今回の総選挙は政権交代が実現するかどうか?という点で注目されました。しかし、結果はご存知のように自公連立政権の継続となりました。
この総選挙に対して、外国のメディアも大変注目し、多くの新聞報道関係者が来日し取材をしていました。
総選挙の投票日前の11月はじめ、イギリスの「ロンドン・タイムス」とアメリカの「ワシントンポスト」の記者が続けて、静岡県の「静岡空港」の建設現場に取材にやってきました。
ではなぜ、わざわざ地方の空港建設現場まで取材にきたのか?
外国人記者たちは、小泉首相が得意になって押し進めている「構造改革」の実態を知りたいと思い、「大型公共事業」の象徴である静岡県の「静岡空港」と「第2東名」の現場を取材にきたようです。
彼らの取材を受けた、静岡空港建設の反対地権者であるAさんの話では、「現状をかなり適確に把握しており、事前にかなり学習してきたなあと思いました。また、質問も極めて適切であり問題点をはっきり聞いてきます。非常に感心しました。だいぶ日本人記者とは違うなあと思った」と語っていました。
取材がだいだい終わり外国人記者との雑談の中で、外国人記者は取材の感想を次のように述べたそうです。
「二つの現場取材を通じて感じたことは、構造改革なるものが全然進んでいない実態がはっきりわかった。相変わらず、旧態依然とした土建国家による無駄な公共事業の推進である。小泉の言う構造改革は口だけであり、本気に取り組んでいるとは思えない」と。
「静岡空港建設地の決め方や進め方は、とても私たち外国人には考えられない、理解できないものである」と。
なかなか的を射た鋭い指摘です。小泉の「構造改革」の欺瞞性、石川県知事のウソとゴマカシを適確にとらえています。
小泉は、口を開けば「構造改革なくして経済成長なし」「聖域なしの構造改革」を連発し、いかにも改革派であるかのようなポーズを取っています。残念ながら、そのポーズに多くの国民が誤魔化されています。
県当局の建設予定地の決め方にしても地元や地権者に対して説明も相談もなく決定し、決定後は勝手に工事をドンドン進めていって、最後は言うことを聞かない反対地権者に対しては強制的な「土地収用」も辞さないと言う石川知事のやり方に対して、まったく腹がたちます。
小泉の構造改革に幻想を持つ国民がまだ多くいることや、汚い石川知事のやり方がまかり通ってしまう日本社会の実情等々を考えると、今回取材にきた外国人記者の目と理性がいかに鋭いかが理解できます。
私たちも、外国人記者に負けないような鋭い「視点」と徹底的に彼らを追求する「闘志」を持ち、「空港反対」運動を展開していきたい。
(英)
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258号に続いて臨時保育士問題のその後を報告します。10月の始め、組合の呼びかけで勉強会が開かれ「より良い保育と安心して働き続けるために」というタイトルで大阪のKさん(自治労連全国関連労働組合議会)の講演がありました。Kさん自身、学童保育指導員で仲間達と組合を結成して、退職金、昇給制度を勝ち取ってきたという方なので、お話に説得力があって私達が知らなかったことを知ることができて、とても勉強になりました。
まず、賃金については、「人事院勧告で公務員の賃金は2年連続マイナスになっているがこれを臨時職員にも適用しようとしている(現に私達の年間所得が来年度は49000円マイナスになる)しかし、人事院勧告を臨時職員に適用するのはおかしい、人事院勧告を適用させるなという運動も起こっている」と話され、「本当だね、公務員ではないんだから連動してマイナスになるのはおかしいよね」と、私は職場の同僚とうなづいてしまいました。
そして、自治体は非正規化が加速していて雇用の流動化、非正規化を促進する為に、今までは継続雇用で期限は1年ということだったが、労働基準法14条を改悪して、最長3年の期限(最大3年有期雇用)になってしまい、低賃金や劣悪な労働条件で3年間働かせ、3年間で労働力を切りかえていくというのです。ここで初めて私達の市当局が今まで最長8年まで雇用となっていたのに、今年度より3年雇用となったのは、法的根拠があったという理由がはっきりわかりました。(組合役員からは労基法が改悪されたという説明は1度もなかった)その他にもいろいろなことを話してくれましたが、私が1番印象に残っているのは「自分達の組合は全員が加入して役員の請負や役員任せではなく、1人1役の役割を担ってできることをやっている」ということでした。というのは、私達の今ある正規の組合は、『毎年、組合をやめる人がいて、役員は毎年順番でまわり、役員になれば組合活動をするが役員でなければ知らん顔』という現状を間のあたりに見ている私には、あまりに違うことに驚き、うらやましく思いました。
こうした勉強会や連絡会議で話し合っていくうちに、臨時保育士だけの組合をつくるか、今ある正規の組合に加入するかということになり、臨時保育士だけの組合をゼロからスタートさせるにはかなりのエネルギーが必要で、毎日の生活に追われている私達にはそのエネルギーがなく、今ある組合に入ろうということになったのです。しかし、全員加入という所まで盛り上がることができなく個人判断になってしまいました。
私自身、組合に加入するかどうか迷ったのですが、職場の同僚達は「3年雇用ということになると、5年間働いている私は来年雇用されるかどうかわからないから組合には入れない」「安い給料の中から月2000円の組合費は高い」「組合に入ったら雇用されないかも」「全員が組合に入るといいね」等と、組合加入には消極的で、私も、組合は必要だと思っても、今の組合の専従の役員達が組合員1人1人に耳を傾けることもなく口だけではカッコイイことを言っても、本当に闘うという気持ちはなく、市当局と慣れあっている組合に「みんなで入ろうよ」と呼びかけることはできなくて、職場の中でただ1人組合に入っても浮いてしまうことはさけたいと考え、組合に加入する時は職場の同僚達と一緒に入ろうと思っていました。
しばらくしてから、他の保育園の仲間から連絡が入り、その保育園では園長自らが「黙っていたらだめだめ」「交渉へ行って言いたいこと言ってきなさい」と、発破をかけたり、正規の組合員が「私達と一緒にやろうよ」と呼びかけてくれたので、臨時保育士ばかりでなくパート保育士も組合に加入して、市当局との交渉へ行く時は拍手で送りだしてくれたというのです。あまりにも職場の雰囲気が違い(私の職場では園長からひとことも組合の話はなく、正規の組合員も誰一人も呼びかけてくれる人はいないのです)積極的に組合に加入したことを聞き、環境によってこんなにも違うものかと驚かされました。また、その仲間から「組合に入らないとクビになっちゃうよ」「組合が守ってくれるから組合に入ろうよ」という言葉を聞いて、ここまで組合を信じてしまっている仲間の変貌に驚き、労働運動が盛り上がるってこういうものなのか、何かをやる時、その環境の雰囲気でこんなにも人は変わってしまうものかと考えさせられました。
年明けには市当局から来年度の臨時保育士の募集要綱が出される。また報告します。(美)ら、月約6万6千円しか支給されません。現役の社会的な位置が、そのまま老後にも適用される、これはある意味、不公平なしくみの様に思えます。
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郵政公社発足から8ヶ月が過ぎ、民営化論議も具体的な日程に上ろうとしています。そうしたなかでの年賀繁忙への突入が、例年とどれほど違ったものになるのかという不安を抱えつつ、現場は暗い冬を迎えようとしています。そうした気分をいっそう滅入らせているのが、われらが全逓の自滅へと向かう臨時大会の開催です。そこで論議されるのは公社時代における郵政労働運動≠ナあり、全逓の名称変更です。
古い上着を脱ぎ捨てるように全逓信労働組合の名称を捨て去り、郵政公社にふさわしい名称(日本郵政公社労働組合)へと生まれ変わらなければならないようです。とりわけ逓≠ニいう字にまとわりついた過去の栄光、すなわち権利の全逓≠窿Xト権スト、反マル生越年闘争といった闘いの記憶をすっかり過去のものとしてしまいたい、というのが全逓本部の望みのようです。
もっとも今の職場にはそうした経験を持つ労働者は少なく、団塊の世代の後尾についている私くらいが最後の世代でしょう。業務規制闘争や時間外労働拒否等の闘いも職場から消え、当局と闘うという姿勢から事業を守るという方向へと意識操作が行なわれてきました。その果ての日本郵政公社労働組合の誕生は必然であり、悲しむべきこともないとも言えます。この事実から目をそらすことなく、この流れに抗い続けることが問われるのだと思います。
さてそれでは公社時代にふさわしい労働運動(それが労働運動と呼べるかは疑問ですが)とはなにか、臨時大会議案からひろい出してみましょう。それにしてもこの名称、これはまだ案であって最終決定されたものではありませんが、数年先に民営化というような事態になったらまた名称変更が必要になるし、運動理念だって齟齬をきたすでしょう。むしろ、経営形態のあと追いをするのではなく、労働者の権利を守るという姿勢をいかに貫くかを問うべきだったのです。
議案では「私たちの未来づくり宣言」が提案され、基本理念はピープル・ファースト〜あなたが生きていくために〜≠ニされています。その意味は「一人の人間が人間として生きていくこと。すなわち、人間の尊厳が大切にされ、組合員一人ひとりが喜びと充足感を持って自らの人生を歩むことができるようにすること。これが、私たちのあらゆる運動と政策の原点です」ということらしい。しかし、これほど現実から遠い言葉はありません。
宣言≠ヘこうした空疎な言葉の羅列に終始しているので、さらに踏み込んでみる価値もありません。内容的にはパート労働プロジェクトの中間報告「非常勤職員の組織化に向けて」のほうが大きな問題をはらんでいます。組織化の基本的考え方は次のようなものです。「非常勤職員の組織化は連合も含めた労働運動全体の大きなテーマであり、全逓にとっても労働組合としての組織力の保持・強化とともに郵政事業の安定的な業務運行確保の観点からも早急に取り組むべき課題となっています」
なんとあけすけなもの言いでしょう。非常勤労働者の組織化は、何よりも劣悪な労働条件という現実から闘いの組織化(もちろん郵政公社との)が必要になっているのです。それをこのプロジェクトは組合の強化と事業の安定の観点から&K要だと言うのです。彼らも「国家公務員における非常勤職員制度(日々雇用)の抜本改正」ということにも触れていますが、もっぱら法改正や制度要求の問題として棚上げにしています。
(ちなみに、私の職場の人員構成は、郵便内務で本務者23人、短時間職員4人、非常勤労働者57人。集配で本務者87人、短時間職員19人、非常勤労働者84人です。今や、郵便は日々雇用という法の谷間の無権利状態に置かれた労働者によって支えられているのです)
その一方で、「非常勤労働者の組織化は、公社経営にとっても、(a)職場の一体感の醸成、(b)個別労使紛争の防止、(c)組合を通した経営意志の伝達、(d)労働力の定着などにつながり、労使関係の安定化と生産性向上に大いにプラス効果をもたらすものです」とまで言ってます。これは公社に成り代わって非常勤労働者を管理しましょうという提案であり、そのあとに「よって、今後の組織化にあたっては経営側と十分な意思疎通をはかりながら、理解を求めていくこととします」と述べ、公社の便宜供与を求めています。
ここで特に注目すべきは個別労使紛争の防止≠ナす。これは公社によるあくどい雇い止め、解雇に対して全国で非常勤労働者の裁判闘争が闘われているものを、潰してしまおうというものです。他の組合や外部の組合による非常勤労働者の闘いの支援、組織化に対して、これを阻止して囲い込むことによって争議を発生させないつもりなのです。落ちていく連中はどこまでもその身に似せて世界を描くものです。その彼らが全逓の名を捨てるのを、われらの全逓のために祝福しよう。
(晴)
仰げば光 空にみち
はためきなびく全逓旗
みよ その光その旗に
誓いし勇気湧くのぞみ
今こそ汲まんわれらいざ
全逓・全逓・われらが全逓(全逓歌)
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一人暮らしをしている大学生の娘が、先月20歳を迎えました。成人としての義務を教えるかのように、誕生日の2週間ほど前に、年金の加入手続きを知らせる郵便が届きました。私は、ぜんぜん予測してなかったので、保険料に思わず目をやりました。仕送りを受けながらの学生にとって、1ヶ月13300円の納付は無理なことです。
幸い説明には、在学期間中は支払いを先延ばしにできる学生納付特例制度がある、とありました。それには、学生本人が前年の年間所得が68万円以下であることが条件でした。アルバイトをしている娘に問い合わせ、どうするか検討中です。
以前、在学中に保険料を納付せずに、運悪く事故にあい、障害基礎年金が支給されないと、訴えている新聞記事を見ました。しかし、特例制度を利用すれば、その心配も要らないようです。就職難の折、たとえ就職をしてもフリーターであれば、保険料の負担は重く支払いは困難なことでしょう。
今回の選挙でも、年金問題は大きな比重を占めていたと思います。近い将来、給付を減らし保険料の負担を増やす方向は避けられないようです。けれど、年金積立金がレジャー施設建設なんかに資金運用され、しかも事業の失敗で赤字が膨れ上がり、回収できていない事実は、国民にあまり知らされていません。厳しい家計をやりくりしながら、支払う保険料がこんなことに使われてるなんて、年金離れに拍車をかけるようなものです。
現在、月26万円弱のモデル年金ですが、これには当然、事業主との折半で保険料を支払う厚生年金が加算されています。もし、老齢基礎年金だけなら、月約6万6千円しか支給されません。現役の社会的な位置が、そのまま老後にも適用される、これはある意味、不公平なしくみの様に思えます。
読者のMさんから「年金もらっている身だから肩身が狭い、このまま生きてていいのかなあ?」と、冗談とも思えない言葉を耳にしました。この言葉は、現役である私たちへ投げかけられた課題です。当然、権利として充分な金額で受け取れる社会を目標にしたいものです。
(恵)
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これじゃまるで小学生以下の話し合い…。
先日、静岡市議10名による「市議会選挙区等検討委員会(第4回)」を傍聴しての感想だ。
今年4月、難問山積みのまま静岡市と清水市が合併し新「静岡市」となった。再来年3月に初めての市議選を迎えるものの、翌月4月に政令指定都市に移行するため、「行政区単位が3つと決まっているのだから選挙区も3つで」という自民・公明などの主張が支配的だ。
しかし合併後は、全市一選挙区が原則のはずで、まして一ヵ月前とはいえまだ政令市にはなっていない。この日の委員会で3区でと決定してしまおうという主流派に対し、反対する委員の奮闘、そして私たち市民からの「全市一選挙区で」との要望書の提出もあり、検討委員会は紛糾した。
合併にまつわるゴタゴタは枚挙にいとまがないが、そのひとつが合併による在任特例で市議の任期が2年延長されている事だ。現市議は、両市あわせた74人で、それが「71万新市の法定数は56人」ということで、次期選挙では18名もが落選となる。金も力もある保守の組織は、3区でも強いだろうが、車椅子の現市議や市民派市議などは、当選はより難しくなるだろう。
「福祉あるいはごみや水の問題など、全市に関わる問題できちんと対応するには、狭い地元の利益を優先する様な小選挙区選挙ではだめだ。」と、この日の委員会で奮闘した紅一点の市民派議員はきっぱりという。
とにかくこうした真の「検討」のための議論はほとんど無く、空疎な「3区で」の繰り返しと、反対者へのおどし、大声などが目立った。この日の委員会は、次回に結論を出すということで終了した。
ところで、人口に対する議員の数についてだが、各区それぞれ「26万人に対し21人」「20万人に対し16人」「23万に19人」ということになる。ところが隣接する岡部町では、人口1万3千人に対し15名の町議だという。この落差を一体誰がどう説明できるのだろうか?
合併合併≠ニのお上からの声に押されて合併したものの、市民にとって利益になったことは何ひとつ無いと言って過言ではない。両市の業務の「すりあわせ作業」なるものがいまだに終わらず、長時間過密労働を強いられている市職員の精神的な病や入院者の数は、とてつもなく多いという。
この日の様な「検討委員会」では、議会制民主主義も泣く。私たち市民は、できるだけ議会を傍聴し、参加し、監視する必要があると痛感した。
(澄)
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今、なぜ農業問題なのか
たまには、農業問題を取り上げたいと思います。
今、なぜ農業問題なのか?と言えば、一つには、私たちが「アソシエーション社会」をまとめ上げ発表してから、色々な人たちから意見や批判をいただきました。
その批判の中に、「このアソシエーション論には、まったく農業問題が欠落している。ワーカーズの皆さんは、日本の農業問題をどう考え、どう変革すべきだと思っているのですか」と言う、厳しい指摘がありました。
今まで、私たち左翼一般は、「労働者階級によるブルジョアジー・資本家階級打倒こそが唯一の革命路線である。農民は小ブルで革命運動では当てにならない、下手をすると反動的な存在になる」との、見解に立脚してきた面が強くあると思います。
こうした見解の中で、私たちはこの間、工業生産力の発展や労働者階級の分析等には目を向けても、意外と農業問題には関心を持ってこなかったと言えます。日本の農業の在り方等に積極的にアプローチして、それらの分析や評価をしてこなかったという弱点があったのではないかと考えます。
従って、私たちの「アソシエーション論」には、日本の農業をどう変革していくべきか?とか、未来の農業はどうあるべきか?という視点が欠落しているのではないか、そうした問題意識が私にはずっとありました。
もう一つは、最近の日本の食文化の問題点です。皆さんも、毎日食べている「食べ物」に不安を感じていませんか?
そのように言うと、「確かに農薬とか食品添加物とか、色々心配になるが、そんなことをいちいち気にして神経質になっていたら、食べる物がなくなってしまうよ」と、言う人がいるかもしれません。
実は、この主張は事実だけを取り上げれば「正しい」と言えます。私たちが毎日口にしている食べ物をしっかり検査すれば、まさに「食べる物がなくなってしまう」ことになると思います。私たちが毎日口にしている「食べ物」は、もうすでにもの凄い化学合成物質で汚染されています。
この日本の食文化の問題点については、新聞やテレビ等のマスコミでも色々と大きく取り上げられています。
「穀物自給率27%」・・・私たちの食生活の3分の2は輸入食品で維持されています。日本の食料自給率は世界の国々の中で137位で、アフリカなどの発展途上国並みのレベルです。
「飽食日本」・・・国民1人当たり2600キロカロリーを摂取していますが、その内600キロカロリー分の食料は捨てられています。
「食品添加物」・・・スーパーやコンビニの食料品の多くは加工品で、製造から保存の過程で数多くの添加物が使用されています。
「輸入食料品」・・・海の向こうから長い時間をかけて輸送されるので、防腐剤や防カビ剤や殺虫剤が大量に使用されています。
これら以外にも、「遺伝子組み換え作物」「環境ホルモンの拡散」等の問題。また、子どもたちの「アトピー皮膚炎」「アレルギー」「生活習慣病」問題等々、枚挙にいとまがありません。
以上のような視点から、私はこのような「不健康な食生活」を黙認していていいのか?このような「食生活」を続けていくと人間の体、特に子どもたちの体はどうなるのか?とても不安を感じています。
さらに、その「食べ物」を作っている日本の農業の実態はどうなっているのか?問題があれば、それをどう変革していくべきなのか?等々を、これから考えていきたいと思います。
(英)
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「現代を問う会」は、毎月、新たなテーマを設定し例会を持っています。参加者の楽しみは、レポーター報告後のフリートーキングです。報告に沿った質問・意見が飛び交い、交通整理が大変です。時には、意見が飛躍し、テーマからそれてしまうこともありますが、それはそれで盛り上がり連帯感が生まれるのです。
現役労働者は会員の半数を割るかもしれませんが、引退後の人生の先輩から学ばせてもらうことも度々です。前回も、ブッシュを支えるネオコンの台頭がどれほど危険か、その思想性が議論されました。そもそも、アメリカの先住民抑圧から始まった歴史がネオコンの素地を作っていること。そこからは、他民族を抑圧するのではなく、解放するためにアメリカ軍が侵攻するという、こじつけの「正当性」が生まれて来ること、など明らかになったと思います。
民主主義が発達した社会で、なぜネオコンの思想が台頭してくるのか、誰もが不思議に思うことです。戦争は、関係のない市民を巻き込み多くの犠牲者を作り出す。そんな事、百も承知で、国家の利益のためなら強行に軍隊を送り込む。マスコミ、世論調査で国民を騙すのも得意なことでしょう。
多数決が原則の民主主義だから、議会で決まったら仕方がない、そんな諦めに似た意見もでました。しかし、多数決のルールには少数意見の尊重というものがあり、そのことを無視してはいけない、という指摘が別の参加者からありました。たとえ、多数決で決めるとしても、少数意見の人を排除するのではなく、議論の過程で説得する努力が必要であり、その過程こそが大切なのだ、と。
もし、みんなバラバラの意見であっても、議論を煮詰める中で部分的な一致点を見出せるかもしれません。また、試行錯誤の末、新たな意見が生まれるかもしれません。一人ひとりの意見を大切にすることは、平和な世界に近づく第一歩となるのかも、と思ってしまいました。ちょっと飛躍しすぎかも。これからも、例会、がんばります。
(恵)
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その日は9月下旬の秋晴れの、本当に運動会日和の日曜日でした。久しぶりに走りに出かけて、季節はずれの日焼けをしてしまいました。今回は5時間走ということで、無理をしないでもよかったので気持ちよく走れました。ちなみに走った距離は46キロ、若いときは52キロまで走れたのに、今はこんなもんです。
走っている仲間たちはみんな、年を重ねても走りつづけることをめざしています。50代の私にとって、60代、70代でも元気で走っている先輩はまぶしい存在です。ところが今回、最高齢の方は81歳でした。走るのは4キロの周回コースだったので、追い抜いたりするときに何度かお目にかかりました。この日は、同じコース上を走っていた誰もが、その年まで現役で走れたらどんなにすばらしいことだろうと思っていたでしょう。
ところが、労働者が健康であり続けることは大変困難なことです。夏に定期検診がありましたが、私の場合は今回めでたく何も問題なし、健康者≠ニいう総合判定となりました。以前、血糖値が引っかかって落ち込んだものです。唯一ついているやせすぎ≠ニいう指摘はいつものことだし、こんなものは標準体重から割り出したものなので気にすることはない。とにかく、やれやれでした。
同僚のなかには血糖値に限らず、コレステロールや高血圧等の問題を抱えているものが少なくないようです。医者に言われても酒やタバコがやめられない、糖尿病で入院を繰り返していたのに酒がやめられない先輩もいました。しかし、労働者が食うために働き、働き続けることで健康を害し、人生を楽しむことができないとしたら、それは実に理不尽なことです。
総選挙に向けて、小泉のいうところの郵政民営化が何か当然であるかにみられています。こうした内実を問わない改革≠ヘ利権を延命させ、弱者へのしわ寄せを結果するでしょう。それは、小泉の狙いでもあるかもしれません。民間参入が進み、宅配メール便が増えてきました。なかには、郵便で出すと200円(100グラム越えの定型外郵便)のものが80円で済むというものまであります。郵政公社も料金値下げなどで対抗するようですが、どう考えても勝ち目はありません。
なぜなら、私も含めて郵便局の労働者は公務員であり、ずいぶんと後退したとはいえ一定の権利保障がなされています。民間の宅配では、軽急便は例外的なひどさだとしても、食っていけない収入しか得られないことも多いのではないでしょうか。郵便局内部でも、非常勤や短時間労働者は厳しいのが実情です。
こうしたなかで郵政公社と御用組合全逓は、労働協約の改悪によって生き残ろうとしています。実際、郵便内務の仕事はどんどん夜間にシフトし、ついに本格的な深夜労働体制へと突入しようとしています。健康であり続けることはいよいよ困難です。
働くために生きるのではなく食うために働き、自らの人生を生きることを楽しむ。そうするためには、残念なことですがいまの社会では闘わなければならないのです。それも含めて人生というランニングを私は楽しみ続けたいのですが、どうなることやら・・・
(晴)
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また衝撃的な事件が起きました。最近は、混迷するこの日本社会を象徴するかのような事件が多発しています。
今回は一人の労働者が、自分の雇用者である会社に対して日頃から不満や怒りを持っていたが、ついにキレて会社にガソリンや凶器を持ち込んで爆死するという事件でした。
最近の日本の雇用関係や労使関係の状況を考えると、このような事件がいつか起きるのではないか?と思っていました。
なぜなら、日本の多くの現場労働者の状況は、低賃金・長時間労働でこき使われ、無権利状態に置かれ、経営者にバカにされ・虐げられても、それでも会社を辞められない。こうした現場労働者の不満や怒りを取りまとめて、経営者側と対等に交渉する労働組合や労働者もいない。
このような八方ふさがりの状況に追い込まれた労働者は、どうするか?権力を振り回す会社や経営者に対抗する手段も展望も持てない、そうした労働者はどうするか?
名古屋の労働者も、会社に対して最後の方法・手段で抗議したかった。この事件も、一種の「自爆テロ」で、一人の労働者が個人的な「自爆テロ」を敢行したとも言えます。
今、まさにイスラエルや世界各地で起こっている「自爆テロ」と共通する行為だと言えます。圧倒的な軍事力と力を備えたアメリカやイスラエルに対して、対抗できる力がない状況の中から、「自爆テロ」という対抗手段が生まれてきました。
しかし、この事件で一番腹が立ったのが、会社や社長・上司の態度でした。さらに、この事件を客観的に報道できないマスコミにも腹が立ちました。
この事件をテレビで見ていましたが、軽急便の村上社長は、3名が死亡し40名以上が怪我をしていると言うのに、へらへらと笑いながら取材に応じ「別府さんは、眠いといって仕事をさぼったりするから、人並みに稼げない。こちらはキチンと給料を払っているのに逆恨みされた」と。
また、別府さんの上司に当たる営業所の小塚所長も、「別府さんは、日頃から欠勤も多いし、お客さんからも担当を外してくれとクレームがあり、困っていました」と、会社は悪くないだらしのない別府の側に問題があったのだ、と言う責任転嫁の態度で、まさに死者を鞭打つコメントのオンパレードでした。
だが、別府さんを知っている知人からは、「仕事はきっちりまじめだった。テレビで名前が出たとき、まさかと思いました」と。また、別府さんが前に勤務していた運送会社の社長も「無断欠勤ゼロで有給もほとんど消化せず、まじめ一筋でした」と。さらに、「火をつけた別府さんはまじめでおとなしい人です。別府さんはあの会社の仕事とは別に、新聞配達までしていました。大変、お金に困っていたようです。よほど追い込まれていたんでしょう。被害者は別府さんの方です・・・」との声も。
このように真面目な性格であった別府さんが、なぜこんなにも大きな事件を起こしてしまったのか?私には、この名古屋の宅配会社=「軽急便」システムに大きな問題があるのではないか、と思えます。
日本にこのような「軽急便」会社は多くありますが、どこもだいたい同じようなシステムを導入しています。また同時に、運送荷物をめぐって激しい業界競争を展開しています。
仕事を探している人は、誰でも「軽急便」会社と委託契約をすれば働くことが出来ます。しかし契約をして入社すると、指定された自動車会社から配達用の軽トラックをローンで購入させられます。入社前には「これだけ、仕事があるからこれだけお金が入ります」
と会社から話を受けます。しかし、仕事を始めていくうちに、なかなかいい仕事がなくて、だんだん配送量が減っていき、給料も次第に少なくなり・・・結局はローンだけ残ることになります。
別府さんの場合も、約105万円の車を購入し、頭金60万円を払い、45万円を60回のローン支払いをしていたようです。
同じような運送会社で働いていたAさんも、「ベテランの連中はいい仕事をまわされるが、新入りは割りの悪い大変な仕事ばかりになる。給料を上げるためには遠出や深夜などを多くやるしかない。そして、無理がたたって事故を起こし怪我をしてしまい、結局は辞めましたがね」と語ってくれました。
こうした話から、このような「軽急便」会社の実態がよくわかってきます。
仕事にあぶれている労働者とどんどん委託契約をして、軽トラ車のローンを押しつけて、働け働けとハッパを掛けて、稼げない要領の悪い労働者に対してはトラブルばかり起こす問題社員だと非難しどんどん辞めさせていく、そしてまた新しい労働者と契約していく、会社側には損害がない。こんな実態が見えてきます。
まさに、別府さんの知人が言ったように「被害者は別府さんの方」と言えます。
長引く経済不況の中で、次々に別府さんのような労働者で出てくる危険性があります。私たち労働者の団結で、加害者=会社を糾弾していく運動が急務です。
(英)
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253号に続いて公立保育園に働く臨時保育士の問題を報告します。私達臨時保育士は、低賃金で効率よく働かせたいというねらいから、同じ仕事をしながら正規職員の三分の一という安い賃金で働いています。しかし、現在の不況・リストラの社会では、「仕事があるだけでもいいほう」「文句言ったら仕事が無くなる」というのが現実の声で、低賃金というその不満の声を一つにまとめて大きくしたいと思ってもなかなか難しいものがあります。
そんな現状の中で、私達は「自分たちの労働条件がよくわかっていない」「組合とは何なのかわからないから勉強会をやりたい」「雇用の不安や賃金も安いけどこの仕事が好きだから続けたい」等と、この半年間みんなで集まって話し合いを続けてきました。
そして、これから交流会や勉強会をやっていこうと決め、私はゆっくりだけど、着実にみんなの気持ちを高めていけたらいいなあと思っていました。
ところが、次の会合の時、組合役員から「臨時保育士だけに忌引き休暇がないのは問題なので、忌引き休暇実施を求める全員署名を行って当局に提出したらどうか」「当局に意思表示をすることで来年度の労働条件を良くすることができる」と言い出してきたのです。私自身だって、忌引き休暇がないというのはおかしいと思っているけれど、ここで全員署名が集まるかどうかわからない状態で、当局に署名用紙を提出するという「花火」をあげるのはかっこいいが、その「花火」をあげて、散ってしまうかもしれない不安を感じたので、今は、みんなの気持ちを一つにしていく方が大事ではないかと訴えて、全員署名は取り下げられたのですが、組合役員としては何かやりたいという気持ちが先行している様に見えました。
また組合役員からは、組合(日本自治体労働組合総連合)に加入したらどうかということを再三言われるのですが、今の組合に対して不信感を持つ人が多く、脱退する人が年々増えています。現に、私の同級生の正規職員も週休二日制導入の時、話し合いを何日もやってやっと組合としての結論を出したにもかかわらず、役員が当局と馴れ合って全然違う方向に決まってしまい、がっかりして、辞めたと言います。信頼が無い今の組合には入りたくないという気持ちが正直なところあるのですが、自分達の労働条件をより良くしていくためには、組合に加入した方がいいのだろうか、組合に加入すれば「雇用されないかもしれない」ということもあり、迷っています。近日中に勉強会が開かれ、仲間達と結論を出さなくてはならない時期になっている。また報告します。
(美)
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兵庫県から海岸沿いに県境を越え、西に向かうと日生、牛窓といったひなびた港町が続きます。今夏は天候不順だったので、牛窓を訪れた8月初旬も曇りがちで、海水浴場もよくなくて、泳ぐのにはもうひとつでした。やはり泳ぐなら日本海です。
岡山県邑久郡牛窓町、最近は「日本のエーゲ海」というキャッチフレーズで、観光地として売り出しています。しかし私がこの地を選んだのは、海遊文化館を見学するためでした。ここには朝鮮通信使の資料が展示されていて、機会があれば訪れたいと思っていました。通信使の絵巻は表情豊かに描かれ、江戸時代の人びとが一行をどれほど興味深く、わくわくする思いで眺めただろうことが、伝わってきます。
朝鮮通信使について、辛基秀氏は「江戸時代260余年間、朝鮮と日本の関係は、世界の歴史でもまれな平等互恵、善隣友好の絆でむすばれていました。その中心をなしたものは朝鮮通信使です。送る方も迎える側も、今日では想像もできないような盛大なものです」と述べています。当時の文化交流の痕跡として、牛窓の唐子踊や三重県津市の唐人行列が今に伝わっています。
豊臣秀吉による朝鮮侵略が残した亀裂を修復するため、徳川家康は朝鮮に復交を求めました。そして1607年、総員467名の通信使が日本を訪れることになりました。その後、「家光襲職」「家綱襲職」等を使命とした通信使が、1811年まで12回を数えています。これは新しい将軍の誕生を祝うものといえます。受け入れ側も、将軍一代に1度の盛儀としてその接待に莫大な経費を必要としたということです。
岡山県玉野市日比の旧家に伝わる絵巻には、瀬戸内海を800隻を越える船団を組んで進む模様が描かれています。1711年の一行を描いた絵巻物は全長130メートルにも及び、描かれた人物は4600名というすごいものです。また、一行が宿泊した旅館には多くの人々が日本全国からやってきて、詩の応酬を求めたり、書画の揮毫を依頼したり、学問上の質疑や海外情報を求めたり、とすごいお祭騒ぎのようです。
朝鮮通信使を語るとき、欠かすことのできない人物が雨森芳洲(1668年〜1755年・芳洲雨森東五郎)です。対馬藩に仕え、朝鮮語を得意とし、中国語も話せた芳洲は当時としては珍しい国際人でした。李王即位慶賀使に付き添って朝鮮に渡ったり、通信使に付き添って江戸まで同行するなど、日朝友好に献身しています。湖北の滋賀県高月町に芳洲文庫あるということなので、機会があったら行ってみようと思います。
ところで、こうした民衆レベルにも及んだ日朝の文化交流の歴史は、明治以降の侵略の歴史に押しのけられ、ほとんど忘れ去られてしまっています。とりわけ最近の北朝鮮排斥には、ただならないものを感じます。正使や副使だけではなく、楽人や人夫たちも生き生きと描かれた絵巻物を、多くの人々に見てもらいたいものです。
(晴)
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住基ネットのカードが発行された日、市役所前でビラ配布と署名活動を行ないました。事前に1度だけ、市政ニュースで説明がありましたが、予想通りカード発行の日とは、知らない市民がほとんどでした。しかし、住基ネットそのものの危険性には、敏感に反応する人が目立ち、進んで署名をする人もあり、関心の高さを思わせました。
これまで、西宮市が2億円を超える税金を使い、住基ネットの準備に費やしたことについても、多くの市民は知らされていないでしょう。私たちはこの莫大な浪費を追及するため、監査請求を行ないました。
先日、監査委員を前にして、意見陳述が出来ると知らせがあり、平日の午前中、都合のつくメンバーで意見を述べてきました。私は、現在の4情報を公開している住民基本台帳でさえ、迷惑していることを説明しました。
二女の成人式を来年にひかえ、頻繁に電話がかかる振袖の勧誘。それも決まって夕方の忙しい時。郵便での勧誘も、週1回は必ずと言っていいほどのしつこさ。何十万もする販売価格、レンタルでも最低5万円、その上、着付け、ヘアーセット、記念写真となれば、10万円は下らない。労働者の家庭では、頭の痛い話です。
ところで、監査委員からの質問もあったのですが、その質問がなんとも、基本中の基本なので、みんな唖然としてしまったのです。その質問とは、市をまたがって転居した場合、住基カードは新たに作る必要があるのか、というものです。このことは、すでに市政ニュースで説明済みなのに。質問したのは、公明党の現市会議員。事前に提出した資料も目を通していないのでしょう。
このように、監査委員の資質も問われますが、4人男性ばかりの構成にも疑問があります。知識人、職員OBなどが資格らしいですが、男女共同参画の視点は
抜け落ちています。不満だらけの市政ですが、使える有効な方法で市政を正して行きたいと思います。皆さんからのアドバイスもよろしく。
(恵)
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8月25日より、住基ネットの本格稼働が始まりました。
全国各地の市民団体が25日の本格稼働に対して、さまざまな抗議行動を展開しました。
私も昨年の第1次稼働から地域の仲間とともに、市当局に対して「接続中止の申し入れ」、さらに行政不服審査法に基づく「異議申し立て」と口頭意見陳述の取り組み、棄却に対して上級機関である県当局に対する「審査請求」と口頭意見陳述などを取り組んできました。その間には「住基ネット学習会」の開催や街頭での宣伝活動なども継続して取り組みました。
この住基ネット反対運動を1年以上にわたって取り組んできた私も、今回の本格稼働の開始はまったく残念です。
しかし、大騒ぎされた住基ネットの本格稼働の内容を冷静に判断すれば、政府・総務省のこれまでの説明がまったくの「詭弁」であり、真っ赤なウソだったことがよくわかります。
当初より、この住基ネットの意義や狙いは何なのか?そのメリットとデメリットは何かをはっきりさせるべきだ、セキュリティは本当に大丈夫なのか?などについて意見対立がありました。
政府・総務省は一貫して「利用者の利便性」(カードがあれば全国どこでも住民票が取ることができます)と「横浜市のような選択制は認めない」ことを強調してきました。
今回の本格稼働に際して、私の住む市の広報誌には次のような利便性が書かれていました。「今年の8月25日からは第二次稼働として、住民基本台帳カードの発行、住民票の広域公布、転出転入の特例処理のサービスが始まります。カードを希望する人は、交付手数料500円を払ってください」と。
利便性だけを考えれば、住民票を頻繁に交付を受けたい人にとっては確かに少しは便利になるかもしれません。しかし、圧倒的多数の人はそんなに何回も広域交付住民票を取る事は考えられません。別に住基カードがなくても運転免許証などの写真付きの身分証明書があれば、従来通りの手続きで地元で交付を受けることができます。
この程度の利便性で多くの住民が住基カードの交付を申請するわけがありません。それを証明するかのように、25日当日申請にきた住民の数は少なく、窓口担当者はヒマで困っていたとの報道がされていました。さらに、どこの市町村当局も最初からこの住基カードの準備枚数をおさえていました。(人口70万人以上の私の市でも、たった6,000枚しか用意していない)
セキュリティ問題に関しても、県や市の担当者は「2重・3重の防御をしており、絶対に外部に個人情報が漏れるのことはない。心配ない信用してください」の繰り返し。「そんな説明ではとても安心できないし、過去のデーマ漏れの実態をみれば信用できない。不安があるから、私は接続を中止してほしいと言っているのだ。では、最低限参加の『選択制』を認めてほしい」と言うと。「総務省から、選択制は違法だと言っている。国民みんなが参加しなければ、この住基ネットの意義がないので、認められない」との答弁。
では、なぜこの程度の利便性しかないのに、莫大な予算(私達の税金です。私の市でも3億4,000万円も投資したという)を注ぎ込んで住基ネットを完成させスタートさせたのか?情報産業救済のための無駄な公共事業ではないか、と勘ぐってしまう。
この程度の利便性だけでは投資する意味がない(費用対効果の面でも)、国民全員が参加しなければ意義がない、等々を考えると。
やはり将来、基本の4情報以外の情報(民間関係機関の情報)もどんどん組み入れて、このカードにも様々なデータを組み込めるようにしたい、との思惑がみえみえです。
結局は政府の狙いは、効率的な行政を実現する電子自治体の実現という美名の下に、実は個人情報を中央政府が一元的に管理する超監視社会=「電子政府」の確立をめざしていると言えます。
(英)
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「北朝鮮による」(これをマスコミは、ことさらに言う)拉致被害者家族の過熱とも言える報道ぶりは、日本人の心の中にヒステリックな怒りをもたらしている。そして確実に日本の「さらなる右傾化」を助けている。余談になるが、パントマイムで痛烈な社会風刺を演じ続けている松元ヒロ氏が「あの報道が始まって以降、客席の反応が右寄りになってきていると感じる。」と語る。
最近ある集まりで、酔った知人が「日本にあるパチンコ屋の社長はみんな朝鮮人だぞ。その儲けはみんな北朝鮮に行っているから、君らパチンコしたら北朝鮮を支援していることになるぞハハハ」と自慢気に話した。
今どうして在日が60万人も日本に居るのか?それは日本による侵略と植民地支配の結果に他ならない。今日本で暮らす彼らの教育や職業選択などの自由が、どれほど狭められたものか。選挙権も住民投票の権利すら無い。その時、私の胸の中に知人への怒りがこみあげてきたものの、飲み込んでしまった。弱い自分にさらに惨めな気持ちになった。
夫の友人で在日2世の李さんは、豪傑笑いの偉丈夫だ。1949年に日本の田舎で産まれ育った。こどもの頃村でお祝いごとがあると、豚一頭を丸ごと皆で食べたという。「まだ暖かい臓物がうまかった」とニコニコ話す。ご両親は、李さんを大学まで進学させてくれた。それがどんなに血の滲むようなお金であるか、李さんは一切語らないけれども、学校でどんなに不当な言葉や仕打ちを受けてもけっして辞めなかったことからも想像できる。
先日その李さんに会ったおり、「学校時代も、どうしようもなく反動的なことを言う日本人教師がいて、俺は反抗したよ。今も居酒屋で隣り合わせた日本人が日本が満州鉄道を作ったおかげで大陸は発展した≠セのと反動的なことを言っていると『警察のお世話にならない程度に』喧嘩しますよ、ワッハッハッ」と笑っている。
「日本国憲法の逆襲」(岩波書店・佐高信<編>)の中の辛淑玉さんによると、「いま、現実に在日6世まで産まれている。6世までを外国人として扱う国は世界で日本だけ。二重国籍も認めない。生地主義でもない。帰化の基準が明確でない。なおかつ植民地にした地域の出身者に対してそれをやっているというのは日本だけです。ー略ー」
今、私たちに問われていることは、この筋金入りの差別と排除の日本の歴史と現実を、さらに加速させることではない。やめさせることだ。弱い自分の胸に手をあてて、何ができるのかを自問している。(万景峰号の出航騒ぎの日に)
(澄)
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日本の四季は非常にはっきりしていて、その気になれば季節の移り変りを楽しむことができます。「その気になれば」というのは、そうした季節の移り変りを楽しもうという気持ち・余裕があればという意味と、あまりに人工的な環境に慣れてしまうと自然を受け入れられなくなるのではないかと思うのです。
生活のなかで、そのことをもっとも痛感するにはエアコンの存在です。エアコンのない我が家では冬の寒さはなんとかしのげても、夏は暑くて原稿も書けないくらいです。そんな生活をしている(多分に趣味でそうしていて、子どもたちからは不評なのだが)私には、冬でも家のなかでは半そで姿というのは理解しがたいものがあります。
さらに理解しがたいのは夏でも背広・ネクタイ・革靴という姿です。高温多湿の日本の夏に何が悲しくてそんな服装なのか、ネクタイは生理的に受け付けない私にとってその姿は見るだけで不快感を催すものです。しかし、大人社会ではその姿が当然のものとして強制され、多くの人々がそれに順応している事実はまるでハダカの王様≠フ世界です。
この転倒した現実の修正の契機が省エネルギーという実利にあるとは、もうひとつの転倒を見る思いです。動機はどうあれ、背広やネクタイから解放されることは肉体的にも精神衛生上も歓迎すべきものです。その事情を、日本経済新聞は次のように報じています。「電力不足に備え、冷房の設定温度を上げたことなどに伴うものだが、いくら普段着OKといっても限度がある。顧客や取引先に失礼にならない着こなしとは・・・」(7月12日)
公社になって始めての夏を迎える郵便局ではどうか、近畿郵政局改め近畿支社(名前が変わっただけ?)の対応「夏期における軽装の励行について」を紹介しましょう。基本的には「夏期における節電への協力及び地球環境保全の観点から、省エネルギー推進の取組を徹底するために、夏期における職員の勤務時間中の服装について、暑さをしのぎやすい軽装を実施する」というもの。
夏期とは7月1日から8月31日までとなっていますが、組合通知は7月15日、軽装を実施≠フ判断は所属長(私の職場では郵便局長)が行うとされています。従来、郵便外務では夏場はネクタイをしなくてもよかったのですが、今年は多くの職場でネクタイを強制され続けています。私は年中ネクタイはしないので関係ありませんが、問責≠恐れてネクタイを外せない同僚は全く気の毒です。
みんなで外せば怖くないとも思うのですが、音頭を取る人もいないようです。また全逓は、「軽装の励行に当たっては、所属長が判断するとしていますが、現在、郵便内外において、施策の励行に逆行する事例については、厳しく指摘を行い個別に申し入れを行ったところです」という対処、要するにこの件では何もしないということです。
地球環境保全≠ネんていう大層なものまで持ち出した結果が、郵便配達が夏もネクタイを着けているという見るのもおぞましい結果となったのはなぜか。「所属長判断にあたっては、省エネルギーの観点に加え、お客様に不快感を与えず、気持ちよく郵便局サービスを利用していただくことも考慮し適切に判断する」という縛りが、ネクタイを外させないのです。
つまり省エネルギーの観点≠ネど何の意味もなく、ただひたすらお客様≠ェ全てであり、労働者の不快感≠ネど考慮の必要性も感じていないのです。そもそも、郵便配達は屋外労働だから省エネなど何の関係もないということもるのですが、汗だらけでネクタイをした滑稽な姿がお客様サービス≠セと考えている奴が、冷房が利いたところで仕事をしながらこの施策を考えたのでしょう。
そういう連中の思考回路がどのようなものかを示しているのが、全逓近畿の質問にたいする次の回答です。「ユニホームの着用に関しては、基本的には周年着用が義務づけられているが、これまで、所属長判断により、夏期の猛暑期間中はネクタイ等の不着用期間を設定するとしていたが、本件施策により、軽装の目安を所属長が適切に判断することにより、軽装の励行を図っていくこととする」
この文章が意味を持つためには、不着用期間が過ぎても残暑が続いているのでさらに延長するとかの柔軟な判断が可能になる場合だけです。現実は逆なので、この文章は意味不明で日本語として成り立たないものです。こうした悲しい現実のなかで、郵便労働者は例年に増して熱い夏に耐えることを強いられているのです。
(晴)
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長い夏休みに入ったばかりで、末娘は日本海へ泳ぎに連れて行ってもらいました。友達の家族に誘われ、2泊3日で真っ黒になって帰ってきました。私は、知り合いと焼き物
と藍染の体験ツアーに行って来ました。さあ、今年も暑い夏を気合いを入れて、乗り切りましょう。
本日は、高校1年の娘の個人懇談でした。担任は廊下に出て、私たちを待ち侘びているようでした。開口1番、遅刻の回数が多いのは、バス会社の不備が原因と娘を気遣うものでした。成績表は事前にもらっていましたが、担任からの一言も無く何も伝わってこないと、思っていました。私は、なぜ所見の欄があるにもかかわらず、何も書かないのか
聞いてみました。
書いて残ると困る生徒がいる、これが答えでした。成績だけの評価しか頭に無いから、こんなことが言えるのでしょう。生徒一人ひとりの持っている良い所を探せば、きっとあるはずです。大人になっても自分を褒めてもらうと嬉しいものです。そしてその事が励みになると思います。悪い所ばかり指摘するのが教師の役目とは思えません。
それから、市販の問題集が頻繁に使われる事、夏休みの課題も学年で統一されたものを使うことの疑問も聞いてみました。景気の悪い時代だからこそ、より厳しい学習内容が要求されるという返事。手作りのプリントなら、生徒の苦手なところを集中し克服することも効率的です。私から見れば、業者任せの手抜き授業に見えるのですが。
髪の毛の長さ、スカートの長さをチェックするなら、その前に生徒の顔を見て、今日は元気かの声かけは出来ないのでしょうか? 教師の人間性も持てなくなってしまうのが学校なのでしょうか。学校の目的は、如何に従順な生徒に管理・教育するか、ということなのでしょう。前途多難な高校生活、せめて気の許せる友達と息抜きできることを身につけてておきましょう。
(恵)
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これからの日本社会のキーワードは「少子高齢化社会」だと言えます。
「少子化」時代の到来。子どもの数がどんどん減っていき、社会や年金を支えるべき労働力が減少していく。一方、平均寿命はどんどん延びて、高齢者や年金生活者が増えて、「高齢者」時代がやってきます。
これから、日本社会はどうなるのか?みんなが不安を抱えている今日です。
こんな時代を迎えて、40歳以上の人が保険料を負担する「介護保険制度」がスタートして早3年がたちます。
私も、これまで毎月3,000円程度の保険料を負担し支払ってきましたが、そんなに「老人介護」や「介護保険制度」に対して切実感はありませんでした。
しかし昨年12月暮れに、母(82歳)が玄関先で転んで足を骨折してしまいました。手術して二ヶ月の入院生活をしてなんとか退院することが出来ました。ところが、前の生活のように「自分で歩く」ことができません。結局、「ベッド」と「車イス」を組み合わせた生活になってしまいました。
さあ大変だ!毎日、いったい誰が母の介護をするのか?
我が家は全員が働いている生活スタイルです。どうする?どうする?誰が?・・・
それから、家族みんなで「介護保険」の勉強会と作戦会議の連続。介護支援事業所をどこにしようか?「介護サービス計画(ケアプラン)」をどう作成するの?介護支援専門員(ケアマネージャー)が決まったようでその人と相談する事になるようだ。介護度の判定のために「訪問調査」がきた。認定審査会か開かれて、「要介護4」の認定を受けてよかった。介護サービスが受けられますが、「居宅サービス」(自宅で介護サービスを受ける)と「施設サービス」(介護保険施設へ入所する)があるようだ。居宅サービスを受けるために浴槽やトイレ等に手すりを取り付けてもらう必要がある。その費用はどうなる?等など・・・
その後何とか、連れ合いの頑張りと妹夫婦の協力体制の下で、様々な介護サービスを利用しながら母を介護している日々です。
そんな時、朝日新聞の「私の視点」(1月27日付)の投稿を読みましたが、大変納得できる事が書かれていました。
病院長である太田仁史氏が、「94歳になる要介護5の母親の介護を通して、寝たきりにさせない介護の大変さを痛感している。介護保険を利用しながら、姉や妻が交代で泊まり込みで面倒を見に行く。まさに老老介護である。何とか寝たきりにさせまいと、夜間の排泄の際もトイレに連れて行くなど工夫しているが、しょせん素人の介護なので客観的にみて介護力の不足を痛感する。・・・そこまで来ている超高齢社会では職業人として2級以上のヘルパーの育成も重要だ。だが、人はいつ介護者になるか被介護者になるかわからない。3級研修で基本的なことを勉強しておこうという考えである。・・・『国民全員ヘルパー3級』をスローガンとした運動を提唱したい」と述べています。
「到来する高齢社会にどう備えるか?」と良く言われますが、この太田氏の提案は未来社会に対する一つの方向性を示していると思います。
小泉内閣や霞ヶ関官僚どもが、「規制緩和」のかけ声の中で押し進める「老人介護」や「老人医療」政策は、金持ち老人だけが手厚いサービスを受けられ、貧乏人の老人は早く死ね、という高齢者対策になる恐れは充分あります。
「介護」や「医療」が金で左右されるのではなく、あくまで一人の働く人間として社会に参加して、人間としての喜びを生涯持ち続けられる安心できる社会こそが求められています。そんな社会を作っていく責任と使命が私たちにあると思います。
(英)
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248,9合併号で臨時保育士賃金問題パート2を取り上げましたがその後を報告します。私の住んでるs市は、隣のS市と4月1日より合併され、日本一面積の広いS市になりました。しかし、合併だけが先行して、様々な問題はすべて先送りされて一市二制度となっており、合併しても何も変わっていないのが住民達の実感なのです。
私達臨時保育士の賃金の辞令が4月2日に出されたにもかかわらず、4月18日にまた再辞令が出されるということが起こり、私は組合に調べてほしいことをお願いしました。そして、やっと6月19日に旧s市の臨時保育士と組合役員の懇談会が開かれ、「旧s市の場合は募集要綱に平成14年度の実績ということで募集したので急きょ再辞令になった。」と人事課に言われた通りのことを組合役員が報告するのです。そんなことおかしいと思わないのが不思議に思ってしまいますが、実の所は、合併される前のそれぞれの市の臨時保育士に対する給与・勤務条例があまりにも違い(隣のS市の給与の方が高い)同じようにするには問題があるというので、これまた一市二制度になったと言うことなのでしょう。
その懇談会の中で私達は、一年契約であるにもかかわらず最長8年までとするということが募集要綱にかかれている雇用問題について聞いたところ、組合役員から人事課によると『今年度はそれぞれの市で前年度と同じようにするが、来年4月からは新市の制度が一本化され、雇用期間は5年になる』というのです。
賃金が安くても、毎日一生懸命働いても、5年たったらもう採用されないと言うことになるのです。この雇用期間が私達にとって一番不安で心配になる問題で、私自身、今年で6年目になるので、もう来年度は採用されないのかもしれません。こうした雇用不安は私だけでなく多くの人達がかかえているので、組合役員から「組合に入って一緒にやっていきましょう」と呼びかけられても声が大きくならないのです。 また、10年前、臨時保育士達が組合を作った時、次の年には誰も採用されなかったと言うことが言い伝えられているので、組合に入ったら雇用されないという不安もあるのです。参加者の中から「これからもずっと雇用されるという保障がないから組合に入れない」「改善要求もあと何年と言うことになると力が入らない」という声が上がると、組合役員から「保障がないから組合が必要」「闘って雇用期間を変えよう」と言われるのですが、話し合いは平行線に終わり、これから各保育園から連絡員を出し合って進めていくことになったのです。
(美)
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郵政公社発足から3ヶ月、6月末の勧奨退職にも多くの労働者が「もう限界」と応じています。昨年度はついに戦後初の郵便物数減(料金値上げ年を除く)となり、今や人件費削減は公社の至上命題となっており、定年まで働ける職場は夢のまた夢となりつつあります。
そこで登場したのが「アクションプラン」なるもの。これは4年間かけて行なう「中期経営計画」を、2年間で前倒し実施し、さらに減員や経費削減を上積みするという、とんでもないしろものです。要員計画では2年間で17000人の人員減、郵便関係では12200人減の114300人(中期計画では118600人)まで減らすとしています。
アクションプランは5月21日の公社理事会で決定し、発表されました。それに先立つ19日、プレ労使協議会と称して全逓・全郵政両組合同席のもと、生田総裁ら公社幹部による説明会が行なわれています。そこで全逓は「『仏の顔も三度まで』と言うが、本当にアクションプランは組合員の将来を託すに値するのか。『凝縮してやったほうが痛みの総面積は少なくなる』と言われて進められるアクションプランの先に、新たな痛みを伴う次の計画が待っている、と考えるのは下司の勘ぐりだろうか」なんて、珍しく真っ当な主張をしています。
郵便職場では「主な施策だけみても、平成10〜12年度の3年間の『地域区分局内務事務非常勤化』施策での5000名の本務者削減。平成13年度からの『郵便新生ビジョン』は約13363名の本務者を5年間で削減する計画であり、この2年間ですでに5700名の削減を実行」したのに、この上さらにアクションプランとはどういうことか。「平成11年度から14年度の間に約1226億円の事業費圧縮に協力。にもかかわらず、財務内容は一向に好転しない。一体原因は何処にあるのか、今日の事態に至った責任は何処にあるのか」、というのが全逓の言い分です。
民間参入や景気の悪化という外部要因もありますが、事業を食い物とする連中の利権を温存している限り財務内容の好転などありません。現場の労働を低賃金で無権利の労働者に入れ替えて手っ取り早い人件費削減を断行し、特定局長や天下り組みは温存するという今のやり方では、郵便事業は現場から崩壊するでしょう。
全逓は当局の責任を追及していますが、その当局の手となり足となり非常勤化≠ノよる事業の生き残りを主張してきた全逓本部も同罪です。郵政一家が一体となって民営化と闘う必要があるといって当局や特定局長会と手を組んできた連中に、仏の顔も三度まで≠ニいう資格などありません。生田らはそれこそ蛙の面に小便≠ュらいにしか思ってないだろうし、アクションプランがうまくいけば、NTTのようにもっと徹底的なリストラをしかけてくるでしょう。
全逓は口先での批判はしていますが、このアクションプランが職場に下ろされるのには協力しているのです。私の職場でも6月中旬に業研があり、生田のビデオが流されました。痛み≠ノついては、こんなことを言ってます。「『痛み』を伴う厳しい目標や施策もありますが、改革の工程は短期間に凝縮した方が結局4年間の総計の『痛み』の総面積は小さくなります。他方、『効果』の総面積は確実となり、更に拡大していく可能性を持ちます」
痛みの総面積≠チて何でしょう。自殺や過労で現職死するものが後を絶たず、「もう限界」と言ってどんどん辞めていく、そうした労働者にとっては今の痛み≠ェ全てではないでしょうか。本務者1人辞めさせれば数人の非常勤が雇える、この事実は歯止めがなくなれば労働環境はとめどなく下降するということを示しています。
アクションプランの業研と平行して、クリーンアッププロジェクトなるものが局周辺の清掃を提起し、当局サイドでしつこく参加呼びかけを行なっていました。あくまでもボランティアとしながら、制服を着てしなさいという指示まで出しているのです。普段はバイクや自転車でも通勤時に制服を着るなと言っておきながら、ボランティアに制服とはどういうことでしょう。そのうちごますり競争でも始まるかもしれません。
アクションプランの目玉として、小包シェア拡大などを目指して営業職員一万人体制が提起されています。まず小包についてはそれにたかっているダニ、ポスタルサービスセンターの天下り官僚を駆逐しない限り何をやってもムダです。それでなくともカタログのゆうパックは高い、まずいという不満が多いなかで、営業を強化しても意味はありません。さらに、人減らしが進んでいるのに営業要員を増やすとなれば、本来の郵便を配達するという機能が確実に壊れていくでしょう。
4月以降、これまで郵便で配達されていた市民団体の機関紙などがどんどん宅配メールになっています。これを支えているのも、超低賃金(一部20〜30円程度か)の主婦パートなどのようです。郵便部門のこの価格競争は何をもたらすのか、とにかく安ければいいのか、行きつくところまで行くしかないのでしょうか。
(晴)
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毎朝、ラジオ番組を聞きながら朝食の準備、高校生の娘の弁当作りと、時間に追われています。天気予報はもちろん、論説委員による株やデフレ経済の説明など、基本的な知識を得るための情報が流れてきます。他にも、各地方からのイベントやユニークな活動の紹介があり、なかなかいいアイデアと感心したものがあります。
例えば、仕事を持ち生き生きしている女性にインタビューをして、ミニコミ紙に掲載しているグループがあります。仕事取得の経過や苦労話を伝えることで、女性の置かれている状況を理解出来るし、それなら自分も…とチャレンジ精神が生まれるかも知れません。具体的な体験談は、自然な形で女性の眠っている能力を呼び覚ます、そんな期待を持ってしまいます。
一方で不況の中、仕事を探してもなかなか見つからない、そんな声をよく耳にします。企業が募集する年齢制限や時間帯で対象に入らず、近所の50代の女性は半ば諦めムード。しかし、年齢はあくまで目安で経験や意欲があれば採用も期待できるようです。今は自分からアピールする時代なのでしょうか。
ところで、来年4月から配偶者特別控除が廃止になります。妻が給与収入を103万円に抑えれば給与所得から38万円の基礎控除を、夫は38万円の配偶者控除を差し引くことが出来ます。現行では、妻が70万円未満の収入であれば、更に全額の38万円の配偶者特別控除が受けられることになっています。廃止になり一番痛手を受けるのは、妻が70万円未満の収入のランクとなるようです。
女性の自立には配偶者控除そのものが問題とされていますが、創設当初は家事労働が認められたと、評価されたそうです。しかし、控除で減税額の対象となるのは夫の収入であり、妻の側の主体性は何もない制度であること。女性に自立を迫るなら税制度の改革は当然のことです。
パート労働の低賃金が配偶者控除と表裏一体とするなら、双方が改善されねばなりません。そういう私もパートを選択していますが、家事・子どものこと・地域のことを考えると今の生活を続けるしかありません。色んな職業、多様な生活スタイルにふれ、自分たちで情報を集め宣伝していく、そうしたなかから新しい運動の展開があるかもしれません。
(恵)
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今、全国の学校に「民間人校長」が登場し注目を集めている。その一方で、広島県の「民間人校長」が自殺するという事件も起こっている。
文部科学省や地方教育委員会は01年度から、民間企業で働いていた企業人の「経営センス」を学校に導入して、学校を活性化させたいとの思いから、「民間人校長」をスタートさせた。
文部科学省の報告によると、教員免許を持たない民間人の公立学校長への登用が現在で56人になったとのことである。前年度に比べ、倍以上の伸びとなっている。
同省によると、民間人校長は26都道府県・市で58人の登用実績があった。今年3月に自殺した広島県尾道市立小学校長と、校長からすでに異動した岐阜県立養護学校長を除く56人が4月現在、現職である。その内訳は、小学校8人・中学校8人・高校37人・養護学校3人となっている。
制度が始まった01年度は4都県6人、次の02年度は9都府県・市で21人だった。その後増加の一方であったが、今年3月に広島県尾道市で民間人校長が自殺するという衝撃的な事件が起こった。あわてた文部科学省は1年以上務めている民間人校長17人と、採用した6都府県にアンケート調査を行い、改善・支援に乗り出した。
このアンケート結果からわかることは、民間企業から全然畑の違う教育現場に赴任させるにもかかわらず、しっかりとした事前研修がない、新校長をサポートする支援体制もほとんどなく、ただ「」校長任せ」にしていた実態が判明した。
今回も、文科省や教育委員会等という日本の官僚組織の欠陥・・・「お上意識」で、ただ任命して後は自分でやれ、という無責任体質・・・がはっきりしたと言える。
教育委員会に対して「民間人校長任用の成果」について質問したところ、6教委中5教委が「概ね期待通り」と応えている。「期待以上」と応えた東京都では、「教員の能力の活用、学校のイメージアップを積極的に行い、入学選抜において定員の2倍を超える応募倍率を記録した」など、具体的な成果報告も出している。他にも、「教職員の意識改革」「校務分掌組織の見直し」「県民への情報提供、保護者・地域社会への積極的な対応手法」などの点において斬新な手法を用い、成果があったと報告されている。
ところが、民間人校長の配属前の研修期間は、東京都・大阪府教委は3カ月以上、埼玉県教委は1カ月〜3カ月、岐阜県・奈良県教委は3週間〜1カ月、広島県教委は1週間未満とかなり短く、「着任時の不慣れなところに入学式、講演会、PTA総会と一大行事が続いているにも関わらず『実践報告書』の提出を求められ、負担に感じた」「実習を含む研修、学校の事情が分かるような研修を事前に行ないたい」など、学校現場でのより実践的な研修を望む声が出ているのである。
また、支援体制について改善すべき点を校長らに尋ねた質問では、「民間人校長には時間がないため、人的バックアップが必要」「各部、各課と討論する場がほしい」「何かあれば集合をかける『お上意識』でなく、教育委員会が学校へ出かけてくるような姿勢がほしい」など、コミュニケーション不足を指摘する意見が出されている。
また、民間の視点から学校を見た場合、「教員の意識改革、広い社会経験が必要」、「人事勤務評定の見直しが必要」といった意見も多く出されいる。
では、この「民間人校長」の登用をどう考えるべきか?
私の結論は、もはや文部科学省や地方教育委員会には、「自力更生能力がないこと」「自分たちで内部改革ができない」「自分たちの教育組織から人材が育たないこと」「教員免許などはあてにならない」「一般教員の資格・採用ルールと別の差別採用を認めた」、この事を宣言しているに等しい。
校長も子どもたちから観れば「先生」であり「教師」であり、「教育者」であるはずである。校長と言えども一番子どもたちに必要なのは、教育者としての視点と指導力をもち、子どもと接する能力であり、教育者としての哲学・思想を語れる能力をそなえていることが要求されているはずだ。
文科省や教育委員会の見解は、このような教育者としての能力よりも、「教員集団をまとめる力」などの経営マネジメント能力を要求している。
確かに今の教育現場には、教育者としての能力などとっくに忘れ、生徒嫌いな校長や、ただ教員を管理・命令することしか知らない管理校長がたくさんいる。こうした校長は人間的な魅力もなければ、子どもたちにも好かれていない。
このような暗い校長に比べれば、確かに「民間人校長」は明るくセンスもよく、また人物的にも魅力があり、子どもたちがしたってくる。硬直化している学校現場に能力のある民間人を登用すれば、確かに斬新な政策が出され一定の刺激が出て、学校が少し変化することは事実であろう。
しかし何度も言うが、今回のような「民間人校長」の登用の仕方は無責任である。現実の教育現場を指導できないような魅力のない校長や教頭を生み出している原因と責任はどこにあるのか?その事に文部科学省も地方教育委員会も目を向けるべきである。
また、仮に「民間人校長」を採用するとしても、「教育者」としての能力を身につけさせるために、一般教員並みの採用試験や研修や実務経験を経て、それから校長として登用すべきであると考える。
(英)
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5月に静岡空港建設予定地を、反対地権者(4名)の方のご案内で見学する機会があった。県は、95年の空港計画申請時から、一貫して地元を無視し強引に工事をすすめてきており、今年の4月には知事が「用地取得は話し合いで」との今までの発言を翻し、とうとう「土地収用のための事業認定申請」を口にするに至っている。
東名高速の吉田インター近くの高架橋を北西に向かうと、一面に緑の茶畑が広がる丘にでる。その美しさに思わず息をのむ程だ。だが途中から、見るも無残な荒地が現われる。その空港建設予定地に、大きくせりだした茶畑がFさんの畑だ。周囲の茶畑はみな削り取られているのだから、素人の目にも茶の木にとって大切な気温・湿度などが激変しその被害は計り知れないものがあるだろうと想像できる。畑への被害と同時に、周囲からの「すでに土地を売ってしまった農家のためにも、反対するのはやめろ」といった反対地権者への精神的な圧力も日に日に増してきている。「県の推進する事業」という錦の御旗のもとで強引に推進するやり方に、怒りがこみ上げてくる。
それにしても現地を見ると、県の発行する「県民だより」3月号の「工事進ちょく率は60%」などというのは、途方もない大嘘・ペテンだということがよく解る。私の見学した3日後に訪れた県事業評価監視委員会(弁護士、大学教授など9人)からも「(完成)予定の06年までにスムーズに出来上がるのか」「(建設の)非常に難しい場所を選んだ。地形的に埋めたり削ったり。他に適地があったのでは」「未買収地がかなりあるとの印象を受けた」等々の率直な感想が出されている。しかし県当局も知事も、なりふりかまわぬ醜態を曝け出しながらも、静岡空港完成にしがみついている現状では、先の委員会からもゴーサインをもらう心づもりでいるだろう。
この空港建設問題は、ただ単に一地方空港の問題ではないと思う。無駄と思える公共事業のために、私たちの生活に必要な医療・福祉・教育・道路などのための予算はカットされ、そのために生ずる犠牲は計り知れない。その上現静岡県知事の場合、県民を欺く嘘を何度も繰り返している。例えば、一昨年の知事選挙の直前「空港建設を住民投票の結果に従う」と公約しておきながら、当選するや恥ずかしげもなく平然とこれを反古にするなど枚挙にいとまがない。
県は、この空港が真に必要なものであるのかどうか、もう一度県民と対等に膝を交えて話し合うべきだ。まかりまちがっても「強制収用」などという卑怯な手段は取ってはならない。後世に深い禍を残すことになるはずだ。
Fさんのもの静かで力強い姿に、そして彼の茶畑に、そういう想いを改めて強く持った一日だった。
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チェルノブイリ原発の事故から17年。事故当時、いち早く消火作業に駆けつけた消防士の妻が語った体験談が本になり、ようやくその真相が明らかになりました。この貴重な本と出会い、講談として語り継ぐことを決意した神田香織さん。1年間かけた準備期間に相当する熱弁に、改めて講談の迫力を感じました。
17年経った今も、爆発が何回起こりそれが「水素爆発」かそれとも「核爆発」か、不明のままです。しかし、あの夜、原子炉の上にいた消防士ワーシリー・イグナチェンコは、自らの体を放射能に侵され続けていたのです。妻のリュドミーナは、夫の日々の病状を詳細に記憶していました。
通常の何千倍もの放射能を浴びたら、人間の体はどうなってしまうのでしょう。講談師・神田香織さんは、その想像絶する症状ー顔の肉が垂れ下がり、皮膚がシーツに付いて剥がれてしまうーを看護している妻の口調で語ってくれます。まるで、その隔離された病室が目の前で写し出されるように。
神田香織さんは、福島県いわき市の出身で、原発とは日々生活の中でつき合わざるを得なかったようです。自宅から車で1時間の所に「原発銀座」と呼ばれる福島第1、第2原子力発電所があります。電気をいっぱい作っているのに、地元は夜になれば道は真暗、しかも危険を伴いながら…何か矛盾している。彼女は、すでに86年に「講談はだしのゲン」を発表し社会へ向けて発信しています。
大阪府の2倍の面積から地域社会が丸ごと消滅してしまった。避難・移住は約35万人、これほどの被害があるのに、放射能漏れを隠し続けたソ連の姿勢は、厳しく問われ続けなければなりません。私もこの講談を聞くまでは、もう随分前のことと思っていました。神田香織さんの講談は、真実を伝えることの大切さを、そして語ることの勇気を教えてくれることでしょう。スライド上映・音楽効果・消防車の真赤なライトなどを取り入れ、工夫された近代的な講談に、感心させられました。テレビにない迫力を、機会があったら皆さんも味わってみませんか?
(恵)
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高額納税者番付が発表されるたびに、我々一般庶民はため息混じりにその額を金見つめ、きっとこういう人たちはこういう人なりの悩みがあるんだと、想像したりします。職業欄なんかも見ていると、13位に福田吉孝アイフル社長、34位に武井健晃武富士専務、82位に武井保雄武富士会長という名前があります。いずれも2002年の所得税額は億の単位で、消費者金融の隆盛を象徴してます。
この業界はその昔はサラ金と称され、ダーティなイメージが付きまとっていました。それが何時の間にかテレビのCMも解禁され、目を引くCMの大量放映によって親しみの持てる真っ当な業界であるかの印象を与えるようになっています。しかしその実態は相変わらずの高利貸しで、あくどい取りたても跡を絶たないようです。
アイフル、武富士、アコム、プロミスの4社が消費者金融の大手ですが、3月期連結決算を見るとそれぞれ数百億円の純利益となっています。「無人契約機の投入など積極的な営業展開をばねに不況の金融界で『独走』を続けてた業界だったが、企業のリストラによる個人所得の減少、失業の増加が影を落とした」「各社ともテレビでの広告宣伝費を中心にコスト圧縮を進めたが、貸し倒れに伴う費用はアコムで前期比60・4%増の1156億円。ほかの3社も約3−5割増えて利益を押し下げた」(5月9日付「神戸新聞」)
貸し倒れによる損失がそれだけあってもなお利益があるのだから、どれだけ庶民から利子をもぎ取っているかが想像できます。経営者が長者番付に載る影で、社員は取り立てノルマに追われヤミ金融まがいの違法取り立てに走り、ノルマ未達の責任者は吊るし上げで暴力まで振るわれているのです。支払い義務のない親族への嫌がらせなども横行し、あまりにひどい取り立てに堪り兼ねた被害者が裁判に訴える例も多いということです。
このサラ金のさらに上を行くのがヤミ金融ですが、こちらは初めから暴力団が絡むような闇の世界です。多重債務に陥ったりしてブラックリスト≠ノ載ったひとたちの名簿が売買され、「審査終了」とか「電話1本で…」、さらに「ブラックでもかまいません」といった活字が踊るハガキが毎日のように送られてくるのです。
銀行は庶民を相手にしないから消費者金融でカネを借り、そこで支払不能になった多重債務者をヤミ金融が狙う、まるで金融業界の住み分けのようです。貯金の利子は0・1%にも満たないのに、借りたら最高年29・2%もの利子が合法とされ、貸金業界はもっと引き上げろと主張しているというのです。
そんな危ないカネは借りなければ問題ないのですが、遊興費ではなく、生活資金が足りなくなったりすることは幾らもあるでしょう。そういうときこそ郵便局が役立つべきですが、こちらはもっぱら貯金がある人を相手にしており、とても庶民の味方とはいえません。国民のための貯金事業なんていうのは真っ赤なウソです。さらに、郵政公社は投資信託販売に手を出して、庶民にリスク商品押し付けようとしています。
この国では、大銀行には何兆円もの税金が投入され、サラ金には高利が保障され、庶民にはそのツケが回るようになっています。しかし、やけになってパチンコに走るようなことはやめましょう。高額納税者上位100人の中に、パチンコ業界関係者が何と9人もいます。3位の市原茂パチンコ機器製造会社会長は約11億円もの税金を払っています。彼の年間所得がどれだけかわかりませんが、パチンコ愛好家の貢献の賜物であることに間違いないのです。
(晴)
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前号に続いて臨時保育士賃金問題を取り上げたい。
4月のはじめにもらった辞令書を二週間たったある日またまた園長から新しい辞令書が渡された。
人事課からの文書を要約すると「給料月額を155000円から163800円に訂正するので、前に渡した辞令書を返してほしい。訂正後の給料月額と賞与の月数は平成14年度と同様の基準となる(H14年度賞与実績2・45ヶ月)」と書かれていた。
はじめは、給料が上がるんだと喜んだが、えーたしか正規職員の組合の委員長が「期末手当2・5ヶ月が3.25ヶ月になる」と言っていたのに、なんでだろう?なんでだろう?なんでだろう−−−。
今年の1月頃、組合の呼びかけで(臨時保育士は組合がない)臨時保育士と組合役員で集まりを持ち、私達臨時保育士達は、あまりにも賃金・ボーナスが安いことを訴え、それに対して、組合役員は「団体交渉で皆さんの気持ちを訴えます」と力強く言ってくれ、1月23日の夜「第8回交渉で保育補助員さんに関することで期末手当2・5ヶ月を3・25ヶ月にすると、当局から回答をもらいました」と鼻高げに報告したことを思い出した。
給料の訂正前と訂正後では、年額合計すれば訂正後の方が11350円多いのでよかったと言うことになるが、どうして急に変わったのか、理由がわからず、訂正になるならば、事前に組合から説明があるのが話のスジというものではないかと、段々、頭に血が上り始めた。
数日後、組合書記局へ電話を入れてみた、書記長に経過を説明すると「何も知らない、人事課より何も聞いていない、こちらから聞きに行かないとわからない」という返事「あんた組合役員の専従でしょ、何やってんのー」と言いたい気持ちを抑えて、調べて回答がほしいことをお願いして電話を切った。
組合ってこんなものなんでしょうか!今ある組合に対して不信感を感じてしまう。
また追って報告したい。
(美)
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5月1日は「何の日」でしょうか?
冒頭からクイズ問題になってしまいましたが、あなたはすぐわかりますか?
そうです、答えは5月1日は「メーデー」です。
しかし、すぐ「でも、メーデーてなに?」と聞かれそうです。
すると、ついついおじさん達は「そもそもメーデーとは、労働者の団結と統一をめざす闘う労働者の祭典だ。欧米の労働者達が8時間労働制を勝ち取る闘いの中から生まれたもので、労働者の闘いの伝統である」と、力説してしまう。
ところが、現実の「メーデー」はと言えば、日本の労働運動の停滞を象徴するかのように、メーデーの形骸化が年々進み、闘う労働者の祭典とはほど遠く、家族で楽しむ単なるお祭りになってしまっています。連合幹部からは、「もう闘う労働者の祭典というイメージは古いんだ、家族連れで楽しむお祭りでよいのではないか」という声が聞こえます。
事実、5月1日の当日に「メーデー」を開催しているのは、少数組合系だけです。最大労組の「連合」は大企業の5月連休の確保に協力して、5月1日を休日にして4月下旬の日曜日等の開催にしています。
また、「メーデー」の内容もまったく「お祭り」的な内容で、歌や踊りやゲームや店ばかりです。参加者も動員・ノルマであり、”不良学生”よろしく出席チェックだけ受け、あとは失礼ドロンという人も多く見受けられます。
最近の日本では「戦闘的労組」とか「闘う労働運動」などという言葉は死語になっており、若い世代は闘う労働運動を日常生活の中で見たり・聞いたり・体験もしていない訳ですから、無理もないことです。
私も日頃からこうした労働運動の停滞ぶりに悩んでいました。
こうした矢先、映画サークル主催の『ブレッド&ローズ』を観る機会がありました。
この映画は多くの労働運動関係者から薦められていて、前から是非観たいと思っていた映画で、今回ようやく観ることが出来ました。
さすが、イギリス映画界が誇る労働者派ケン・ローチ監督の映画でした。ローチ監督が初めてアメリカに乗り込み、ロサンゼルスのジャニター(ビル清掃員)たちが経済的な権利(ブレッド)と人権・尊厳(ローズ)を求めて勇敢に闘った現実を描いています。
世界一の繁栄を誇るアメリカ資本主義の階級社会の中で、虐げられ差別・抑圧されている底辺労働者たち(その一つの職場がビル清掃員)が主人公です。昔はビル清掃員のほとんどは黒人労働者であったようですが、現在はメキシコやエル・サルバドル、ニカラグアなどのスペイン語圏からの不法入国の移民労働者がほとんどです。その移民労働者達がアメリカ社会の底辺の労働力になり社会を支えています。
私自身も、これまでケン・ローチ監督の作品に幾度も勇気づけられました。「労働者は闘うことを忘れてはいけない」この事を学んできたと思います。やはり、イギリス資本主義のクラス(労働者階級)に生まれ育ったケン・ローチ監督の階級意識は、中途半端ではありません。「イギリス労働者魂」というか、「労働者としての信念」がまさに生きる基礎になっていると言えます。その点では、まだまだ日本の労働者の歴史は浅いとも言えます。
その生きる基礎・視点が、たえず労働階級の人たちの背負う苦しみに光を当てて、彼らと資本主義社会や国の制度との関わりなどの諸問題を真っ直ぐな視線で見つめて、資本の理不尽な現実を浮かび上がらせ、労働者に立ち上がることの大切さを実感させてくれます。そこには、闘う希望=「労働者が団結して一緒に立ち上がった時にのみ、権利と尊厳のための闘いに勝利することができる」が見えてきます。
私も含め労働運動等に参加し長く闘ってきた活動家の皆さんも、「歌を忘れたカナリヤ」ではないが、「闘うことを忘れた日本の労働者」に、どうしたらこの闘う希望を与えることが出来るのか?その事をしっかり追求し形にしていく活動が今問われていると思いますが、どうですか?(英)
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4月15日、福島県と新潟県にある東電の17基の原発すべてが停止します。これは自業自得というものですが、それで首都圏の盛夏の電力事情はどうなるのかは、どうでもよくはありません。何しろ950万キロワットも不足するというのですから、ただ事ではないのです。
神戸新聞社説は「ひと夏を無事、乗り越えて済む問題ではない。そのことを経産省も、東電も、もっと自覚すべきではないか。未曾有の電力危機の裏側にひそむのは、わが国の原子力政策の危うさであり、もろさである」(4月7日)と指摘しています。確かに日本の原子力政策は最悪ですが、本当に危うくもろいのは原発そのものです。
最近の原発事情を見てみると、まず建設準備中の原発の運転開始が軒並み遅れています。国は2010年度までに9〜12基の稼動を計画していますが、勿論こんな計画が実現するはずありません。それでも6基くらいは稼動する予定のようで、日本の原子力政策は今だ軌道修正も利かないようです。
次は、3月28日に山口地裁岩国支部であった上関原発裁判の判決です。この裁判は地区共有地の入会権を争うという今時珍しいものですが、判決は「住民には入会権があり、土地の使用収益権が認められる」とし、これで中国電力の上関原発建設は立往生することになりました。中国電力は控訴するようですが、せっかく取得した共有地の「立木を伐採したり、整地などにより現状を変更する」こともできないとはお気の毒なことです。
次に「もんじゅ」と「ふげん」の話題ですが、「もんじゅ」は高裁敗訴にも懲りず改造工事を急ぎ、「ふげん」は廃炉です。「もんじゅ」判決については本紙2月15日号に詳しいので、「ふげん」廃炉について紹介します。「ふげん」は新型転換炉原型炉となっていますが、実証炉の建設がコスト高を理由に破棄されいるので、すでに役立たずのムダなものとなっていたのです。
それが、運転期間25年で廃炉にも25年かかるといいます。そして「核燃の試算では、解体で発生する廃棄物は約37トン。うち約35万トンのコンクリートと約1万4000トンの金属類はリサイクル可能。残りの約6000トンは原子炉周辺設備の金属類などで、放射性廃棄物としての扱いが必要だが、処分地は未定」(3月30日付「神戸新聞」)ということです。原発廃炉がどれほど困難なものかわかりますが、核燃がリサイクル可能≠ニしているものも放射能汚染をもたらす可能性があり、本当は危ないものなのです。
もうひとつは、青森県六ヶ所村に建設中の使用済み核燃料の再処理工場に関するもの。電力業界は多額のその費用負担に音をあげ、経済産業省に再処理のための基金の制度創設を泣きついています。これには、2005年からさらに電力自由化が進み、原発を抱える電力業界は、新規参入の火力発電との競争が厳しくなるという背景があります。これは原発の発電単価が1番安いというこれまでの主張と矛盾するものですが、電力業界は10兆円を超えるといわれる再処理工場の40年間の稼動とその後の解体・処分費用の負担を恐れているのです。
ごく最近の動きを見ただけでも、これだけの問題が噴出しています。原発の新規建設を止め、再処理も止めれば少しは電力業界の悩みも減るはずですが、それはできないようです。東電もこれを機会に原発依存を見直せばよさそうなのですが、やはりそれはできないようです。しかし、東電の全原発運転停止は私たちにとって願ってもない好機です。これで夏を乗り切れば、脱原発も夢ではないのですから。
近頃はコンビニや一部のチェーン店は24時間営業しているし、普通のスーパーマーケットでも夜の9時10時まで開いています。まるで不夜城のように煌煌と明かりをつけ、電力浪費に励んでいます。消費があるから需要が応えているというより、需要が消費を生みだしている面が強いように思います。それがまた夜間労働を増大させ、夜型人間の徘徊が24時間営業を必要とし、・・・
とりあえず私たちはこの悪循環から抜け出すことから始めることにしましょう。(晴)
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雷鳴とどろく春の嵐の日、娘の入学式でした。車のワイパーが追っ付かない程の、集中豪雨のなか坂道を登りつめた先に、ようやく学校が見えてきました。西宮市は総合選抜制のため、居住地別に指定された学校に通います。そのため自宅から5分もかからない所の市立高校があるのに、遠くの県立高校が指定されました。山岳部並みの体力が必要と知り合いから聞き、徒歩では1時間近くかかる道程を、どうやって娘が通えるのか、親として不安な日々でした。
入学までに揃える物品の一覧表を見て、正直言って「なんでこんなに高いんだろう?」と思いました。例えばシューズ類では、教室で使用する上履き1600円、体育館シューズ2700円、グランドシューズ2800円と、用途別に細かく分けられています。市場がデフレで価格が下がっている今、市販なら半額で十分買えるはずです。
そのうえ、学年色をわざわざ作り、中学で使っていたものや兄弟姉妹のお下がりも使えない、という不合理なことが起こってきます。学年色は学校が生徒の管理に都合が良く、そして販売業者にとっても売り上げが前もって予測でき、儲かるということでしょうか。
結局、公立高校の入学時に必要な経費として、最低でも14万7465円かかりました。私学のことを思えば安上がりなのでしょうが、物品の強制的な販売のやり方、独占価格のような定価の押しつけには納得いきません。近く、学校に質問してみようかとも思っています。
ところで、入学式の校長の挨拶は、日本で初めてノーベル賞をもらった湯川秀樹のことでした。西宮出身でこの高校の近くを散歩していて、発見した物理学だということです。現在の世界情勢、アメリカによるイラク攻撃には一言も触れないとは、高校生には関係無いとでも思っているのでしょうか。そのくせ、生活指導の細かい規則の説教は、十分なくらいありましたが…。
通学初日、「お母さん帰ってきたで」と明るい声に、ほっとしました。友達と一緒に何とか自力で学校に、たどり着いたようです。何事も前向き思考で、考えることにしましょうか。 (恵)
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3月15日、清水市で開かれた「袴田”冤罪”事件再審開始求める集会」に参加しました。
1966年清水市で、みそ製造会社の専務一家4人が殺された「袴田事件」で、強盗殺人罪などで死刑が確定している元プロボクサー、袴田巌・死刑囚(67歳)の冤罪を主張している「袴田事件弁護団」と支援組織「袴田ネット」が主催して開かれました。
弁護団は3月10日(袴田死刑囚の67歳の誕生日)に、11年9ヶ月ぶりに東京拘置所で袴田死刑囚と面会をしました。
袴田さんは肉体的には健康そうに見えたようですが、面会時間のほとんどは脈絡がない言葉を早口でまくしたてるなど、精神的には長期拘禁の影響による拘禁ノイローゼが進んでいる様子だったと言います。
弁護団は静岡地裁で再審請求が棄却され、その直後に東京高裁に即時抗告し、現在も再審開始を求めて頑張っています。また、一刻も早く専門的な精神治療が受けられることを訴えています。
同じ3月に、あの三浦和義さんの「ロス疑惑」(妻・一美さんへの銃撃事件)で無罪が確定しました。逮捕されてから17年もたっています。
事件発生が、1981年11月で今から21年前の出来事です。皆さんも憶えておられると思いますが、84年1月に「週刊文春」が「疑惑の銃弾」(事件を三浦さんによる保険金殺人疑惑として記事にする)の連載を始めました。その後、他の週刊誌やテレビのワイドショーでの報道が過熱し、毎日三浦バッシングの報道が連日雨上がりのように続きました。
その頃、私は友人の冤罪事件の支援活動の中で、日本での冤罪事件がいかに多いかを知りました。その冤罪を生んでいる原因が、警察・検察の権力犯罪であり、「被疑者不詳」のまま逮捕状を乱発する裁判所であり、事件をおもしろおかしく書き立てる無責任なマスコミ報道であり、その報道を何の疑いもなく鵜呑みにしてしまう大衆の存在等々、にあること。さらに日本社会にはまだまだ「人権意識」が十分育っていないことも学びました。
そんな思いから、当時の私たちの機関紙に「三浦さんのロス疑惑は冤罪だ」と、書きました。そうすると、当時の一部の会員から「とんでもない。あの三浦の銃撃事件を冤罪だと主張するとは、どんな神経をしているのだ」と、お叱りを受けたのを良く憶えています。
しかし、なぜこんなにも日本では冤罪事件が繰り返されるのか?あの松本サリン事件の河野さんしかり、和歌山の毒入りカレー事件の林さんしかり。その他、日本では小さな事件でも冤罪事件がゴロゴロ転がっています。
いったん犯罪者扱いされた人間がその無罪を勝ち取ることは、並大抵のことではありません。長期の裁判闘争を覚悟しなければならないこと、また裁判・弁護士費用の多額な負担を強いられること、そして家族の精神的な負担等々、が重くのしかかります。
まだまだ我が国の司法界では、「疑わしきは被告人の利益に」という鉄則が常識になっていません。
警察発表及びマスコミ報道は、まずは疑ってかかれ。これも大原則です。
(英)
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「真の平和は、弱肉強食で一部の者が繁栄する社会ではなく、共に興隆する、皆が豊かになる社会の実現を目指すたたかいを進めていかなければならないと思います。」(1969年「沖縄タイムス」への投稿より)
とうとう、そしてやはりアメリカのイラクへの軍事行動は始まってしまいました。そこでしつこいようですが、ワーカーズ2月1日242号に続き、もう一度沖縄県伊江島の反戦平和運動家、阿波根昌鴻氏に御登場願いたいと思います。
伊江島の反戦平和資料館「ヌチドゥタカラ(命こそ宝)の家」を訪れた日、常務理事をされている謝花悦子さんから、生前の阿波根氏のお話をお伺いすることができました。
印象に残っているお話のひとつが、ここのメンバーがゴミを捨てることに対して非常に厳しかったという事です。例え割れたガラスでさえも、粉々に砕いてデコボコ道を埋めるのに使える。落ちている汚れ切った軍手もきれいに洗って又使う。使い終わった歯みがきのチューブも人からもらい受けハサミで切り開いて使ったといった具合に。
ゴミの山を前に阿波根氏は「あぁ宝の山だ」とおっしゃったと言います。「だから私たちは、見つからないようにこっそりゴミを捨てに行ったものです」と謝花さんは笑いながら話しをしてくれました。
明治生まれの阿波根氏は、日清・日露戦争、第一次世界大戦・第二次世界大戦、そして朝鮮戦争・ベトナム戦争をもまのあたりにされた方でした。その戦争の歴史の中で、貧しい人たちはさらにどん底の貧しさに陥れられ、反対にごく一部の資本家たちがますます金儲けをしてきたのを、きっちり見逃さなかった方です。御自身も極貧の生活の中での、冒頭の言葉です。
私たちは、いま又日本も含めた大国の軍事行動という歴史に残る愚行の前に立たされています。冒頭の阿波根氏の言葉の様に「皆が豊かになる」平和な社会をめざして、やはりたたかいを進めて行かなければならないと思います。
たとえ身近な、小さなことからでも・・・・・。
(澄)
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今年は花粉の飛散が多いということで、アレルギー体質の人にはまさに憂鬱な春です。50代に入って落ちついてきましたが、私も40代のころ突然花粉症が出て、ずいぶん苦しみました。新しい生命が芽生え希望を持って迎えるべき春が、憂鬱な日常に変ってしまうのは、この社会の環境そのものが病んでしまっているからです。
今日では、こうした身体的危機だけではなく、社会的・経済的要因が憂鬱を嵩じさせています。公社化を目前にした郵便局では、とりわけその感を強くします。先日の土曜日には、保険課の事務室などから机や備品を運び出し、どうやら新品と交換したようです。公社のスタートをピカピカにして迎えようということなのでしょう。
新しい制服もそうですが、まだ使えるものをもったいない事です。赤字だからと、日頃は節約と営業をうるさく言っているのに、あの机や備品はどこへ行ったのでしょう。人を使い捨てる郵政は物も使い捨てて平気なようです。乾いたタオルを絞ってみせるトヨタ方式が導入されれば、労働力の使い捨てはさらにひどくなるでしょう。
資本家的合理主義からすれば、親方日の丸的お役人天国も改善項目≠ノあがるのでしょうが、より抵抗の弱い現場からコスト削減が実行されるのは確実です。3月の初旬にあった連合の春闘集会では、県と経営者側と連合3者での懇談会でのやり取りが紹介されていました。寒波襲来で底冷えのする公園で春談≠フ経過と統一地方選の宣伝を聞かされたのでは、動員で集まった組合員の心まで凍えてしまいます。
そういえばその春闘の取り組みの重要な一環として、タダ残業をなくそうということが提起されていました。労資の力関係が行きついてしまって、組合という囲いがなくなり、労務政策に対する対抗軸もなくなり、労働者は資本の前に裸で立たされているのが現状です。誰かが言っていたのですが、完全な従属が我慢できない労働者に残された選択は辞める以外ないとか。
全逓近畿地本の情報によると、今年の勧奨退職希望者は5288人。58歳が1103人と最多ですが、何と40代(49歳以下、勤続20年以上)でも438人も希望者がいます。希望者殺到で予算が足りず、3月31日実施だけではなく4月1日にも実施するそうです。この数字には分母が記載されていないので、どのくらいの率で50代の各年齢の労働者が辞めていくのかわかりません。しかし、40代や50代前半では子どもが高校生や大学生が多いだろうし、再就職しないで食べて行ける労働者はほとんどいないでしょう。
従属もしないし、もちろん辞めたりしない。そこに踏みとどまって頑張る。この選択は困難ですが、私には最も現実的な選択だと思えます。というか、それ以外の選択肢はありません。憂鬱な春、憂鬱な職場、それがどうしたと開き直ってしまえば、案外楽になるのですが。
(晴)
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昨年の今頃も色鉛筆で、二女の高校卒業式の出来事を書きました。今年は、三女の中学卒業を迎えます。嫌でも、意識せざるを得ない状況に追い込まれ、不利な立場の私たちですが、できる限りの抵抗をと考えています。とりわけ、イラク攻撃が現実的になってきている今、反対する意義は大きいと、気持ちを奮い起たせ校長と向き合いました。
校長室に入るなり、日の丸と校旗が飾られており、嫌な予感がしました。予想通り校長は、卒業式での日の丸・君が代は使用すると決めた、と返答がありました。その返答後、息つく間もなく、「強制はしません」と悪びれた様子も見せず言ってのけました。
校長は、君が代斉唱で嫌なら歌わなくて良い、だから強制していないと思っているようでした。しかし、式場にしかも壇上の正面に張り付けられた日の丸は、嫌でも目に入ってきます。そして、君が代の演奏も耳栓でもしないかぎり、聞かざるをえません。これが、強制でなくてなんでしょう。自分でその場を退出しない限り、この精神的苦痛から解放されないのです。私が反論しても、校長は「強制しません」の一点張りでした。ただ生徒に、強制ではないことの説明はきっちり行なうこと、の約束は取り付けてきました。
校長の理解出来ない言い訳は、時代の流れだから仕方ない、日の丸の平和利用という意味不明なものでした。学校行事に国家の思惑を組み入れること、これを日常化するために「心のノート」が導入されたのです。阪神間での、日の丸・君が代に反対する集いでは、巧妙な手口で誘導尋問され、国家に都合の良い回答が準備されていると、「心のノート」の危なさの指摘がありました。というのも驚くことに、教育勅語下の国定教科書「修身」に内容がそっくりなのです。
集いでは、養護学校の介助員で、1年契約の属託という不安定ながら、校長に申し入れしたこと。部落研に所属する高校生が、日頃からの意思表示と当日のビラ配布で、日の丸を撤回できたこと。色んな取り組みが紹介され、元気をもらって帰ってきました。3日後が卒業式の予定です。娘の巣立ちを見守りましょう。
2003・3・10
(恵)
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16日前後に世界各地で同時に行われた米国の「イラク戦争」に反対する集会・デモは凄かった。
全世界で約60カ国、1,000万人以上の人達が参加したという。まさに空前絶後の高まりである。
2・15デモの最初の呼びかけはロンドンのヨーロッパ反戦運動からなされたが、ロンドンのデモは200万人にも達したと言う。さらに何百万もの人が、マドリード、パリ、ベルリン、ローマそしてヨーロッパ中で行進した。ダマスカスでは20万人が行進し、トロントでは8万人が街頭に出た。
ブッシュのひざ元の米国でも、東のニューヨークから西のロサンゼルスまで全米約150の都市で集会・デモが取り組まれた。ニューヨーク・マンハッタンでは、約38万人も集まった。
このような全世界の参加者の数と比較すれば、私たち日本の集会・デモ参加者の数は圧倒的に少ない。あの韓国の反米闘争の盛り上がりなどを見れば、まさに日本の反戦運動は後進国レベルである。
しかし、それでも日本の反戦運動は変化し前進している事がはっきり示されてきた。昨年あたりから反戦集会・デモへの参加者の質的・量的変化が起こっていた。
今回の世界統一行動においても、2月14日(金)集会・デモは約25,000人、15日(土)集会・デモには約5,000人、19日(水)集会・デモにも5,000人の参加者があり、確実に参加者が増える傾向になっている。
また、参加者も「動員された」労組組合員よりも、「自分の意志で」参加してくる若者や女性や家族連れが多くなり、そして在日外国人の参加が目立ち国際的になっている。
ついこのあいだまでは、もう「反戦」と言う言葉は死語であり、70年代の古い運動のことでおじさんたちの運動だよ、と言った感じで言われた。「反戦」は古い「非戦」だよ、と言う主張もあった。
しかし今、米国の「イラク戦争」を目の前にして、世界中の人達がはっきり「反戦」の意志を明確に表し始めている。
この変化をどう考えるか?については色々と意見があるだろう。はっきり言えることは従来のような反戦集会の組織スタイル(すなわち労組の動員体制やセクト主義の囲い込みやおじさんばかりでの集会)はもう古いと言うこと。
自分で考え行動しよう、組織頼みではなく一人一人が協力して取り組もう、グローバル主義・世界統一行動で取り組もう、こうした自主的・主体的な活動スタイルが普通になりつつある。
そして、最大の武器は「インターネット」。従来のビラや機関紙では範囲が狭いし限界があった。その点、「インターネット」の広範囲性と速効性はすごいものがある。
「反戦」運動は、けして古くはない。世界中から戦争がなくならない限り、戦争主義者や死の商人どもが消滅するまで、「反戦」運動は必要であり続くだろう。
問題は古い組織スタイルや狭い呼びかけスタイルである。私たちおじさん達の大いなる脱皮と飛躍が求められている。
(英)
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午前五時、目覚まし時計が鳴る。体が重く、起きあがれない。「寝たい」「起きなくては」という気持ちが交互におそってくる。「起きなくては」という気持ちが強まり、やっとの思いで起きる。起きれば、洗濯・朝食の支度・弁当作り・掃除・犬の世話・寝起きの悪い娘を起こす・食事・片づけと、休むことなく、あわてて職場に向かう。
八時三〇分、職場に着くと「ハァー」と、思わず深いため息が出る(間に合った)。
しかし、職場は保育所。またまた休むことなく、朝の打ち合わせ・子供の受け入れ・親との連絡に始まって忙しい一日が始まる。一・二歳児の担任なので、だっこ、おんぶすることが多く、肩こり、背中の痛み、腰痛を感じる。
肉体的ばかりでなく、管理者・同僚・親などの人間関係もあり、子供たちも親の生活を引きずって朝食を食べずにイライラする子や親との愛着関係が無く私たちにべったり甘えてくる子など、精神的にも疲れる。
午後五時、定時に仕事が終わることは少ない。「今日の夕食は何にしようか」と考えながらスーパーに向かう。手早くスーパーで買い物をして家に帰る。帰れば、おなかをすかせている家族の為に夕食作り。夕食を食べ終わると、昨年の十二月の末、骨折して入院している八十一歳の母の病院に向かう、入院して気が弱くなっている母の足を揉みながら「歩けるようになってほしい」と願う、私の体を気遣って「もう帰っていいよ」という母。せつない。
午後九時、病院から帰り、食事や洗濯物の片づけ、入浴、やっと一息ついて缶ビール一本飲む。布団に入ればすぐ眠りにつく。こうして私の一日は終わる。毎日、時間に追われた生活。誰もいない海を一人で眺めていたいと夢見る。
これからは「色鉛筆」欄の投稿には、老人介護・臨時保育士の賃金問題・現代の親子関係などを取り上げていこうと思っている。
(美)
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最近は定数にみたずに成立しないこともあるという支部委員会に出席してみました。1時間半ほどで終わるのに休憩時間を取り、発言者もほとんどいない実に低調なものでした。議事進行に協力するために私は2回も発言をしてしまいましたが、若い組合員にとっては年寄りの愚痴だったかもしれません。
会場で配布された全逓近畿地方委員会議案のなかに、3月期の取り組みが幾つか書かれているなかに、「『クリーンフェスタひつじ』を全国青年部の郵政公社移行直前のアピール行動としておこないます。なお、近畿の取り組みは3月30日(火)を統一行動日と設定します」というのがありました。これはどうも、本紙前号で紹介されたポスト磨きのようなので質問したところ、やっぱりそうでした。
近畿地本からは、支部長が率先して磨けという指導があるという。スト権ストや反マル生越年闘争から30年近く、全逓が奴隷の行動をするようになったことを組合員は深刻に受け止めるべきだ、といったことを怒り任せにしゃべってしまいました。しかしよく考えてみると、ストライキどころか時間外労働拒否などの経験がある組合員が、その場に何人いたのか心許ない限りでした。
そんな彼らに全逓が組合の行動としてポストを磨くことの意味を問うても、理解できなかったかもしれません。それでも、執行部は支部としてはそんな行動はしないという回答だったので、とりあえずホッとしました。公社移行を契機に、当局はこれまで以上に私たちに意識改革≠求めてきています。そのときに、組合が奴隷根性に染まってしまっているのですから組合員は悲惨です。
このところ毎朝のミーティングで、公社発足に向けた提案をしろとかの周知があります。8日の朝は新しい制服が決まったとか、キャッチフレーズが「真っ向サービス」に決まったとかいう周知がありました。これは新聞でも報道されていて、その写真も掲載されていました。私などは外務は機能的な作業服が希望なのですが、どうもこれまでと同じネクタイスタイルのようです。
それにしてもこの制服の変更、どれくらいの費用がかかるのか、それにロッカーに入りきらない新品の制服はどう処分するのか、すべてが無駄な浪費です。いずれも制服の納入業者を喜ばすだけで、事業の赤字に貢献すると思うのですが、お役所体質の当局にとってはそんなことはどうでもいいんでしょう。
もう一方の「真っ向サービス」というキャッチフレーズも、これはいったい誰が決めたのか、実にダサい。初代総裁に収まる某商船三井会長の好みなのでしょうか。これから先、彼をトップとする日本郵政公社が仕掛けてくる攻撃といかに闘うのか、公社になっても当面は公務員の地位が保証されている本体組合員からはその芽を見出すことは出来ません。
最近偶然に兵庫県内に某支部の支部ニュースを目にしたのですが、近畿地本主催の短時間職員交流会の内容があまりにひどく、参加者から批判が相次いだということです。時間は半分の4時間労働だが、処遇は本務者と同じだということで導入された短時間職員、入ってみると使い捨ての劣悪労働です。彼らが地本委員長の「日本郵政公社の制度設計と新たな処遇について」という、短時間職員の処遇とは無縁の話しを聞かされて怒ったのは当然です。彼等のなかに、日々雇用というさらにあいまいな労働条件で酷使されている労働者のなかに、郵政労働運動の未来があるのかもしれません。
(晴)
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何年かぶりで、保育所の門をくぐりました。というのも、孫のもえちゃんが通い始めたからです。私は、娘夫婦の都合が悪い時に、お迎えを頼まれます。私の顔を見るや、ハイハイして近づいてくるもえちゃんに、思わず抱っこで応えるこの頃です。
ところで、娘は1年間の育児休暇を取り、2月始めから職場復帰の予定でした。しかし、この不況の折、勤務していた介護用品の店が赤字続きで、閉鎖が決まってしまいました。当然、帰る場所もなく、会社は男並みの仕事が出来るなら、何とか仕事を探すという応対だったようです。
結局は、退職せざるを得ない状況に追い込められ、娘は新たな仕事捜しに奔走する日々となりました。けれど、福祉現場での仕事の時間帯は、所定の保育時間内では無理な所が多く、何らかのサポートが必要になってくるようです。それには保育代行のための費用がかさむことになりますが。
久しぶりの保育所は、娘たちが通っていた時と比べると、保母さんの平均年齢が大幅に下がったと実感しました。そして、健康状態については、必要以上にチェックが入ることにびっくりしました。例えば、インフルエンザや風邪が流行するこの時期、体温が健康の目安となるかもしれませんが、1時間毎の検温はやり過ぎでは? と思ってしまいます。
朝、普段通りに食事を摂り、機嫌良くしていれば、検温に頼ることなく健康を確認出来るのではないか、と思います。新米の若い母親たちは、保母の対応に一喜一憂し、その度に病院へ走らされる、健康な乳児も病気にさせられるのではないか、そんな危惧を持ちました。
もっと、大らかにゆったりした保育を望みたいものです。保育する側、される側、それぞれの立場の言い分があると思います。ただ見失ってはならないのは、子どもにとって今何が必要で、それをどう判断するかではないでしょうか。元気にすくすく育ってほしい…これは誰もが望むことでしょう。
もう、保育所は卒業したと思っていた私ですか、こんなに早くご縁があるとは思ってもいませんでした。不馴れで、まだまだ自覚のない「おばあちゃん」ですが、若いお母さんたちにお節介をすることで、何か満たされる自分に気づかされる日々です。
(ワーカーズ・ネット 恵)
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今回からこの「コラムの窓」を晴さんと交代で担当することになりました。よろしくお願いします。
私も、戦後のベビーブーム世代、いわゆる団塊世代に所属します。年齢的にはもう50歳半ばに差しかかっています。
やはり年のせいか、最近考えることは自分たちの次世代のこと。自分の子どもたちも含めて次の若い世代に、私たちは一体何を残すのか?いや何を残すことが出来るのか?と言う問題意識です。
前号では、03年度政府予算案のことが取り上げられていました。
一般会計総額が81兆8千億円、しかし税収は42兆円足らずで、不足分は国債で穴埋めするとの方針で、新規国債発行高は36兆円(歳入の4割)にのぼり、これで国債発行総額はこれまた過去最高の141兆円に達し、国と地方あわせた債務残高は685兆円になるとの事。
誰が見ても日本の財政破綻は明らかで、小泉の「構造改革」の旗もすっかりすり切れてしまいつつあります。労働者・市民は国債の借金漬けの財政に将来不安を抱いて、自分の老後は自分で守るしかないと老後への貯蓄を優先しています。従って、お金が消費に回らない状況が続き、企業収益は回復せず、国は税収不足が続く、という悪循環に日本経済は陥っています。
このままでは、私たちは次の世代に莫大な財政赤字=ツケを残すことになります。
日本資本主義の行き詰まりのツケはこうした財政赤字ばかりではなく、社会のあらゆる分野に及んでいます。
資本の無政府的な生産活動やエネルギーの大量消費による環境破壊(地球の温暖化問題やオゾン層の破壊、等)、ムダな公共事業による自然破壊、危険な添加物による食品生産物、原発の核廃棄物、山林に放置される産業廃棄物、処理できない大量のゴミ等など 、負の遺産=ツケの問題だらけです。
こうした負の遺産=ツケをどんどん次世代に回して、「今さえ良ければ」という大量生産・大量消費型の経済社会システムはもはや許されません。
言うまでもなく今日の課題は、次世代にこうした負の遺産=ツケを回さないこと、大量生産・大量消費社会に変わる新しい経済社会システムを確立すること、にあります。
そのために、私たちは次世代のために一体何を残す事が出来るのか?何を継承させていくのか?を真剣に検討し追求する必要があると考えています。
(ワーカーズ 英)
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「われわれは、先祖の畑を米軍から奪還するが、それで万事めでたしというものではない。軍隊というものを認める体制があるかぎり、この闘いは終わらない」
昨年末、沖縄県伊江島にある反戦平和資料館「ぬちどぅたから(命こそ宝)の家」を訪ね、阿波根昌鴻氏らの闘いを詳しく知る機会を得た。
戦争中、激戦地だった伊江島は、約3分の1の島民が殺され、島中の家もすべて破壊された。そして敗戦から10年後の1955年、島民の血の滲むような労働でやっと手に入れた家や畑を、米軍が爆撃演習地にするため、銃剣とブルトーザーで破壊し奪った。実に島の6割にも及んだという。以来,島民による非暴力の粘り強い闘いが始まる。
平和資料館を訪れた日、見学者は私ひとり。多くの写真や米軍の爆弾,貧しい農民の衣服(それは米軍の軍服や、小麦粉の袋を仕立て直したものであったり)等々から戦争の惨たらしさがひしひしと伝わってきた。そして何よりも驚かされたのは、伊江島の島民たちの静かで思慮深い、しかも志の高い闘いのありようだった。1954年当時,部落の有志で決めた陳情規定のうちの一つに、「人間性においては、生産者であるわれわれ農民の方が軍人に優っている自覚を堅持し、破壊者である軍人を教え導く心構えが大切であること」とある。また、1966年のベトナム戦争当時には、伊江島にミサイルを持ち込もうとしたアメリカを,ミサイルすれすれの座り込み闘争などで追い返している。遠いベトナムの、侵略されている人々のことを、我が事のように理解できる伊江島の人は、ベトナム侵略戦争への反対闘争にもたちあがり,戦争共犯者としての佐藤政府の役割をはっきり指摘し、そして島に駐留する米兵には「戦場へ行くな」と呼びかけている。
阿波根氏は、2002年3月に、最後まで平和活動を続けつつ101歳で亡くなられた。
残念なことに、今世界は大きく戦争へと傾いてしまった。アジアの極東の小さな伊江島で、多くの犠牲の上に培われたこの反戦平和の思想を一人でも多くの方に知って頂きたいと思う。岩波新書「米軍と農民ー沖縄伊江島ー」阿波根昌鴻著(1973年)も一読をお勧めしたい。
色鉛筆の読者だった私が、まさかこのコラム欄を担当することになるなんて信じられないと言う思い。つい肩に力がはいってしまい、連れ合いからは「硬い!」と不評を買った第一作目。「恵」さんに、すこしでも近づけるよう努力するつもりだ。
(ワーカーズ 澄)
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今年も年賀の時期になりました。毎年、アルバイトに高校生や大学生が集まり、職場はにぎやかになります。しかし、今年は例年と違うことがありました。というのは、バイトのなかに60代の男女の方が数人、混じっていたからです。
日頃、40〜50代の女性ばかりの職場で、60代の男性と聞けば、敬遠されるのは仕方ないかもしれません。しかし、世間では不況で再就職もままならず、受け入れも必要ということを、理解しなくてはならないでしょう。「老人いこいの家じゃあるまいし…」と、非難する前に、同僚自身の数年先を心配すべきではと思いました。
ワークシェアリングは、我がWorkersも連載中ですが、男女・年齢にかかわらず労働を分かち合うという精神で、提起されたものでしょう。60歳定年というのも資本が使いがっての良い年齢で、まだまだ労働力として能力を生かせるはずです。
雨の日も風の日も、自転車で郵便配達する私たちの仕事は、日々、体力勝負です。そして、最近では誤配などがあれば、配達者個人への責任転嫁が、当たり前のように行なわれる状況です。年が明け、1月いっぱいで退職する予定の同僚も、60歳近くになります。もう、体力の限界というところでしょうか。私も、10年先のことを考え、再出発のための準備をと思うこの頃です。
さて、ご愛読していただいている「色鉛筆」ですが、今年から執筆のメンバーが増えることになりました。少々、マンネリ化してきたかもと心配していましたが、これで解消です。新しいメンバーも女性ですが、生活している環境も違い、新鮮な話題が登場することでしょう。ご期待ください。
というわけで、私は、元旦に年賀を配達すれば、ここしばらくの長時間労働から解放される予定です。夫婦で同じ職業柄、きつい年末年始ですが、この機会に子どもたちに、お手伝いを頑張ってもらいましょう。さあ、明日も年賀に追われ、1日が過ぎていくことでしょう。皆さん、良いお年をお迎えください。
2002・12・25記
(ワーカーズ・ネット 恵)
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12月上旬、神戸で「南京大虐殺幸存者の証言」を聞きました。証言者は1924年と30年生まれの2人の女性で、当時まだ小・中学生の年齢だった彼女達にとってその体験は生涯刻印されるものでした。日本兵に家族が殺された場面や、自らも危機的状況に陥った場面にさしかかると感情が昂ぶり、明らかにその時の感情が蘇っているのが読み取れました。日本軍の南京入場から65年、彼女達のように悪夢のような体験を抱えて生きてきた人々が多数存在することを、日本人はすっかり忘れているというか、気づこうともしていないのです。
2002年9月17日の日朝首脳会談以降の拉致報道とそれに躍らされる国民の姿は、実に異様なものでした。新聞の投書欄も北朝鮮非難が圧倒的で、批判の視点を日本政府に向けるものはわずかでした。12月下旬の「国際世論を喚起したい」という投書では、64歳の男性が東アジアを始めとする国際世論は拉致問題に無関心だと嘆き、海外旅行者は胸に青いリボンをつけ現地語のパンフレットを持っていこうと提案しています。
ここまで来ると、知らないことの憐れさを感じてしまいます。日本軍国主義の犠牲となったアジア諸国に出かけてそんなことをしたらどんな反応が返ってくるか、多少なりとも戦争を体験した世代でも考えも及ばないようです。もっぱら戦争で犠牲となった体験が主流となった平和運動が敗北を重ねているのは当然と言うべきか、拉致報道がいともたやすく組織されてしまったこの間の現象が雄弁に物語っています。
証言を聞く会では8月15日のニュースステーションのビデオも上映されました。「南京戦ー元兵士102人の証言」の出版を紹介したもので、元兵士の証言ビデオも流されています。私はこの報道すら知らなかったのですが、集会ではその後の反応(轟々たる非難)がすごかったことも報告されました。元兵士の証言は生々しいものでしたが、内容に比して淡々と戦争(殺すか殺されるか)だったからしかたなかったという風でした。
敗戦にあたって731部隊は証拠隠滅を図り、関係者は固く口を閉ざすことを確認して日本社会に復帰しました。事実を明らかにしないことで利害を共にしている関係者は、まさに共犯者なのです。同じように、一般の兵士たちも沈黙によって戦後を共犯者として生きてきた、というのは言い過ぎでしょうか。
異彩を放つ中国帰還者連絡会の証言活動が、こうした沈黙を守っている元兵士たちから憎悪と非難を浴びつづけている現実は、この国に深い闇が存在していることを明らかにしています。中帰連は「第二次世界大戦で中国に対する侵略戦争に参加して、幾多の罪行を犯した者が人道的反省のうえにたって侵略戦争に反対し、平和と日中友好に貢献すること」を目的とし、元兵士の敵意のなかで身を切るように加害証言を続けてきたのです。
こうして、拉致報道の嵐はこの国の闇、真実の隠蔽と戦時と変わらぬ朝鮮人(やアジアの人々)に対する蔑視を浮かび上がらせました。しかし、闇の顕在化を嘆く必要はありません。はっきりと見えるようになったということは、問題解決の糸口を開くことでもあるからです。
(晴)
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戦前の国家は個人の損害に責任を負わない無責任国家でした、というか、天皇を中心とした家父長制なれば親が責任を問われることなど考えられなかったのでしょう。損害賠償を請求すということ自体、権利意識の芽生えがなければ起こらないでしょう。とりわけ国家に対する損害賠償請求、国賠訴訟は今も困難です。
郵便局も言ってみれば国家機関の一端であり、窓口も横柄だったりしました。しかしそれも民間との競合が厳しくなり、郵便事業も国営でなくてもやれるということが明らかになった今、サービスや損害賠償への姿勢も違ってきています。そこで働いているものからすれば、それは利用者からの苦情ということになりますが、結構無理難題も多くなっています。
そうしたなかで、郵便法の一部改正に基づく損害賠償制度が、この12月から実施されるという業研がありました。これまでは特殊取扱の区分ごとに損害要償額が決まっていて、その枠内で弁償するとしていたのです。もちろんこれは総ての損害を賠償するものではなく、利用者にとっては不満が大きかったと思います。
今回の郵便法改正は、そうした不満から行なわれた民事訴訟の結果を受け入れたものです。そのことを象徴しているのが、「従来の損害賠償の賠償金額については、損害要償額等の上限がありますが、拡大された損害賠償には、上限がありません(民法の一般原則により、いわゆる相当因果関係にあるもののすべてが対象となります)」(業研資料より)という内容です。
ここにおいて、現場の郵便労働者にも、「職員に故意又は重過失があったと判断される場合には、国から職員に対して求償を行なう場合があり得るものです」ということになってしまいました。普通に仕事をしていたらなんの問題もないといえばそうなのですが、今の過密労働のなかで誤配、誤転送、誤還付のミスを犯さないというのはかなり厳しい条件です。
そもそも誰が住んでいるのかわからないワンルームマンションなどお手上げだし、再配の書留を門前で待っていて詐取するケースまであるのです。だから、門前で本人だと名乗る人がいても、カギをあけて室内に入るのを確認してから配達するという、詐取防止マニュアルまであります。
ところで、この拡大された損害賠償で大きな問題は、配達記録郵便の扱いです。配達記録郵便は書留ではないけど、書留扱いという奇妙なものです。宅配との競争のなかで、ダンピングともいうべき低料金で、損害賠償はないけれど配達記録は残すという配達記録郵便の取り扱いを始めたのです。今回、この郵便も損害賠償の対象になったのです。
業研の時、さすがにそれはおかしいということで、課長に「それなら配達記録の取り扱いは廃止すべきではないか」と言っておいたのですが、どうもそんな風にはならないようです。しかし、取り扱いも補償も同じなら料金も同じにしないと釣り合いが取れないはずです。泥縄で民間と競合するところだけダンピング競争をした結果、こうした不均衡な料金体系になってしまっているのです。
現金書留の料金が最も高く設定されていますが、配達記録郵便で送られるキャッシュカードのほうが詐取されたら損害は大きくなります。実際私の局でも、詐取されたカードで何十万円の被害が出た、ということを聞いたことがあります。その時はたぶん賠償なしだったと思いますが、これからはそれでは済みません。一度に何万枚ものカードが配達記録で出され、安い料金の上に大量差出による料金割引までして、万一の場合は上限のない損害賠償までとなると、どこまでカード会社に奉仕するのかと怒りさえわいてきます。
来年4月の公社発足、その先に見え隠れする民営化という環境のなかで、郵便局は今急激に変わりつつあります。しかし、それは決して一般利用者や内部労働者の利益につながるものではありません。経営形態のあれこれに目を奪われるのではなく、誰の利益が優先されようとしているのか、このことにより大きな関心を持つことがなにより重要になっています。
(ワーカーズ・ネット 晴)
教育基本法の見直しにともない、中間報告が出されました。新しい時代を理由に改革を強調していますが、あたかも教育の基本理念である、人格の形成から完成までも、国家の思惑で統制しようとしています。いよいよ、個人の心の中までも踏み込んで、自由を奪おうとしているのでしょうか。
中間報告が出され、公聴会が予定されている段階で、すでに娘の通う小学校では、一人ひとりに「心のノート」が使用されています。自分の好きな食べ物や、将来なりたい職業などを記入するページがあります。友達との関係でもトラブルが起こったとき、どう対処すべきか「正しい」答えを押しつけるような文面です。
子どもたちは、学校生活を送るなかで、友達と遊んだりけんかをしたりと、経験を通してお互いの気持ちを思いやったり我慢したりを学ぶはずです。教材はわざわざ本で示さなくても、教室や運動場で生み出されているのですから。
答申が述べている「公共」の精神は、社会の形成に主体的に参画するのが前提ですが、義務的な「奉仕活動」となると、意義が全く違ってきます。「公共」を強調することは、個人の犠牲をともなうことになると思います。しかし、個人の権利を自覚していなければ、犠牲になっていることさえも気づかないかもしれません。
教職員組合では、教育基本法そのものの勉強会がはじめられているそうですが、受け身的であれ前向きな姿勢だと思います。教育の基本理念には「平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ…」と時代に左右されない永遠のテーマなのです。
イラク攻撃の危機には、教育の基本理念からも反対していかなくてはなりません。日本のアメリカ支援は、イラク攻撃に荷担してしまっている、その事実を子どもたちにも伝えていきましょう。そして、私たち大人のとるべき行動が、子どもたちのお手本になることも、忘れてはいけません。
(ワーカーズ・ネット 恵)
11月19日、関西電力は滋賀・岐阜県境に建設を計画していた金居原揚水発電ダムの建設を断念しました。「関電がダム建設計画を中止するのは初めて。すでに98年10月から道路拡張などの準備工事に着手しており、藤洋作社長は会見で『復旧工事なども含め、今年度下期に約600億円の特別損失を計上する』と説明した」(20日付「朝日新聞」)
計画段階との需要予測が違いや、大阪ガスの100万キロワット級発電所建設計画などが、建設中止の理由とのこと。そもそも、この揚水発電というのは原発の付随物であり、エネルギーの浪費そのものなのです。というのは、原発電量需要にあわせて動かしたり止めたり出来ません。そこで、夜間利用価値のない原発の電力で水をダムの上に運び、昼間の需要に応えるためにそれで発電するのです。これほど無意味な発電はありません。
火力発電なら需要に応じた発電も容易であり、そのコストにおいて揚水発電が太刀打ちできるわけないのです。中止したダムの建設費は約4646億円ということで、600億円の損失を出しても中止のほうがましだという判断は賢明なものです。まして、建設予定地はイヌワシの生息地だし、脱ダムの現実性の証明でもあります。環境への負荷だけでなく、経済性においてもダムはムダだということが明らかになってきているのです。
翌日の20日には、電力10社の9月連結中間決算が明らかになっています。その特徴は「夏場の冷房需要増で全体の販売電力量は前年並を維持したが、自由化された大口需要家向けの価格競争などが響いて中国電力を除く9社が減収。東京と東北、中部の3電力は今年4月以降に実施した電気料金の値下げも重荷となった」(21日付「神戸新聞」)というもの。これまで独占にあぐらをかいていたのが、新規参入会社に大口顧客を奪われたりしています。
ここに新たな問題として、原子炉損傷隠蔽事件の影響で東京電力が約1400億円、中部電力も300億円程度の負担が避けられないようです。東電の勝俣恒久社長は「全原発17基の打ち15基が、来年3月末まで停止する最悪のケースを想定した」(20日付「神戸新聞」)と述べています。これで純益が530億円減少するということですが、ウソが高くつくことを覚ったでしょうか。(ワーカーズ・ネット 晴)
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「アイ アム サム」の上映会があり、娘たちと一緒に行ってきました。もう、観た方もあるかと思いますが、2時間超とは感じさせない力作です。登場人物のそれぞれが主人公のサムを支えてくれる、心温まる話です。サムは、知的ハンディを持つ男性で、娘のルーシーを男手ひとつで育てています。7歳になり、父親の知能指数を上回ったルーシーは、サムからむりやり引き離され…、結末はどうなるのでしょうか?
この映画会を企画したのは、西宮市内に活動の拠点を置く、社会福祉法人すばる福祉会です。知的ハンディを持つ人の労働の場を提供し、グループホームの運営も行なっています。在籍人数が昨年80名だったのが、今年は7名減少し財政的にも困難な状況だそうです。しかし、明るい出来事がありました。さくらちゃん、女児の誕生です。
グループホームで生活し、知的ハンディを持つ夫婦から生まれたさくらちゃん。出産後、医大のNICU(新生児集中治療室)で、3ヶ月間を過ごしました。その後、元気になり、この映画会にも母親と共に会場に現れ、壇上で挨拶がありました。このさくらちゃんの誕生が、映画会の企画に結びつけ、多くの観客に感動を与えてくれたのです。
「障害者」と一般的に呼ばれていることに疑問を投げかけ、何も害を与えていないと指摘する、すばる福祉会代表の西さん。私が20代の頃、既に活動を始められていたことを覚えています。その後20年以上の地道な努力が、法人格取得への働きかけとなったのでしょう。
法廷には、いつもサムの仲間がかけつけ、サムを見守っている。時にはプラカードを持ち的外れの応援が面白かったり。美人弁護士のリタはキャリアウーマンだが、夫が浮気しひとり息子にも手を焼いている。そんなリタは時間が経つに連れ、サムにこころを癒されるようになる。知能指数は単なる人間の一側面にすぎず、大切なのは人を思いやる姿勢、理解しようとする努力と、映画は教えてくれたような気がする。ビートルズナンバーが懐かしい方は、ぜひご覧になってみてください。
(ワーカーズ・ネット 恵)
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たまたま全逓中央委員会の議案書を見る機会がありました。とりあえずまだ組合員なのですが、もうすっかり御用組合になってしまっているので、議案書を読む気もしなくなっていました。その議案書の内容は今年度の賃金交渉の報告のようです。仲裁裁定がまだなので、確定したものではないが、どうも賃下げになるようです。人事院勧告が史上初のマイナスとなり、郵便局だけが賃上げというのは虫がよすぎるということでしょう。
さてその賃下げですが、人事院勧告では「俸給表改定等の実施は12月1日からとしていますが、4月からの年間給与の均衡をはかるとして、12月期の期末手当の中から4月に遡及して減額することで調整措置を行なうこととしています」となっています。昨年まではこの時期に差額精算があり、たとえわずかではあれ臨時収入がありました。それが今年は冬のボーナスで賃下げ分を引かれるようです。かつて差額だけで20万円という時期もありましたが、これも時代の趨勢ということでしょうか。
そもそも、労働条件というものは闘い取るものですが、全逓はひたすら民間準拠の仲裁裁定、それも中小ではなく大企業に合わせろという、全く他人任せの賃上げ要求をしてきました。それはそれで、右肩上がりの経済環境のなかでは通用したものなのですが、今のような情勢では賃下げを阻止する力などあるはずがありません。
公社への移行が迫った職場では、当局が事業の現状をこれでもかとがなりたて、危機感を煽っています。この1ヶ月ほどは年賀の予約と販売、それからお歳暮です。私はなんにもやりません。公社化、さらに民営化ということにでもなれば、最初にリストラの対象になりそうですが、そんなことはその時に考えればいいやと思っています。
それより、年賀の予約販売が実は赤字を拡大しているのではないか、という疑問があります。実際、予約活動に費やす労力と経費は無視できないものです。それに見合うだけの年賀での増収も当てに出来ないのに、これを止めようとはしません。すでに発行枚数も減らさざるを得なくなっており、年賀離れも時代の趨勢なのに、です。
収入は減っているけど、それ以上に経費を減らしている。これはリストラによって利益を上げている企業の姿ですが、郵便事業は早くもこの体制に入っています。その結果、職場には時間給で日々雇用という使い捨て労働者が増加し、無権利職場化に拍車をかけています。また、本工部分が公務員という地位にしがみつこうとすればするほど、他の労働者との溝はさらに深くなるでしょう。
最近、私のずっと後輩が総務主任になったのですが、そいつが非常勤労働者にこんなに休暇を出すなと文句を言っているのを聞きました。班のことを考えろとか、まるでいっぱしの管理者気取りで説教を垂れているのです。しかし、時間給幾らで働いていて、わずかな有休の取り方までなんで遠慮する必要があるのか。全くこういう弱い立場のものには傲慢な奴が出世するのです。いやな職場です。
あれこれと、つい愚痴が出てしまいましたが、状況が厳しくなって、そのしわ寄せがどんどんと下へ下へと向かっています。そんな現状を見ながら、今は個人的な対応に終始しています。耐えられなくなっていつか弾けるのか、それともこのまま腐っていくのか、その行方を見定めてやろうと思っています。
それで賃下げですが、10月30日、中央労働委員会・仲裁委員会が仲裁裁定を出していました。それによると、4月1日現在における基準内賃金の1・36%相当額に1620円を加えた額5717円の12ヶ月本に相当する額を期末手当で処理する、ということです。今後、これがどこまで下がるのか、それは郵政事業を取り巻く情勢によって決まるでしょう。しかしそれがどうなろうと、郵便局で働く総ての労働者が食える賃金≠要求する権利を持っています。この権利を行使するために、闘うのか闘わないのか、結論は振り出しに戻ってくるのです。
(ワーカーズ・ネット 晴)
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学校5日制が始まって約半年が過ぎました。土曜日の過ごし方には、色んな立場からの賛否両論がありました。私なんかは、子ども自身が自由に時間が使えるならいいじゃないか、と軽い気持ちで受け入れていました。というのも、我が家の娘たちは、友達と遊べる時間が増え喜んでいたものですから。
しかし、重度の知的障害のある子どもさんを抱える母親の訴えを新聞で読み、視野の狭さを思い知らされました。
「土曜日は1日中、家でテレビを見てることがほとんど。外に行きたいが、息子は電車が大好きで勝手に走り出してしまうことも多い。力が強くて、私にはとても抑えられないし…」養護学校に通う高校2年の息子さんの外出には、誰か支えてくれる人が必要ということなのです。バス通学の養護学校では、地域に帰れば友達もいない、親同士の交流も作れないということでしょうか。
他の過ごし方として、ハンディのある子どもを受け入れる水泳教室もあるが、月謝は約9万円。「障害児には、親以外との人間関係を育てる場が少ない。生活にリズムをつけてやりたい」と、月謝数万円を払って体操教室に通わせている例もあります。いずれにしても、経済的な負担が各家庭に掛かってしまうことになるのです。
そんななか、障害児をサポートしてくれるNPO法人「だんごの会」が紹介されていました。神戸市の長田区にある「被災地障害者センター」の活動ですが、同会のスタッフが家を訪ね、一緒に遊んだり昼食を作ったりと、親子の負担を少しでも軽くしてくれます。この会への支援依頼は多いのですが、約10名のスタッフしかおらず、ぎりぎの対応というのが現状だそうです。
障害児が地域で居場所を確保することは、理解ある住民のサポートが必要です。高齢者への配慮もこれに通ずると思いますが、行政が積極的に事業を支えるべきだと思います。例えば、18才以上の知的障害者の外出支援事業が今年11月から神戸市で始まったそうですが、この制度が18才未満にも適用されれば、「土曜日対策」にも利用可能というわけです。学習能力が低下すると危惧する親たちに、一方で基本的な生活にさえ支障をきたす家庭があることを、まず知るべきだと思います。そこから何かが生まれる、と期待したいのですが…。
(ワーカーズ・ネット 恵)
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東京電力の原子炉損傷隠ぺい事件が明らかになって2ヵ月半がすぎました。このドサクサにと、他の電力会社もこれまで隠していた事実を明らかにし、これで総懺悔≠ヘ終わり、後はいつ幕引きをするか機会をねらっているようです。新聞には電力供給がどうなるのかといった記事もあり、まるで何があっても原発の稼動は必要だ、とでも言いたげです。
全国に52基ある商業用炉を含む稼動中の全原発の発電能力は約4500万キロワット強、これは総発電料の34・3%、一次エネルギー供給の約13%を担っています。2001年7月に策定された長期エネルギー需給見通しでは、この数字は2010年度目標として、発電設備容量5755万キロワットから6185万キロワットとなっています。これは原発10基から13基の増設を前提にしており、もともと実現の可能性はなかったのですが、今や何の意味もないものとなっています。
それでも、今ある原発が全部止まったらどうなるのか、原発は危険だけど必要悪だという考え方もあるでしょう。しかし、「火力発電所の発電能力(停止中も含む)は、原子力の約2・5倍」だと電気事業連合会も言っています。だから、電力供給の3分の1は原子力だという宣伝はかなり眉唾ものです。
どんどん原発を停止しなければならなくなった東電でさえ、「冬場はともかく、来年夏の需要にこたえられるか不安」という程度なのです。電力の安定供給における最大の問題は、夏の数日間、数時間のことなのです。都市のヒートアイランド現象、冷蔵庫に入ったように冷房のきいた室内や車内等々、こうした現状に無批判に追随する電力供給がどれほどエネルギー資源を浪費するものか、反省する必要があるでしょう。
脱原発は、圧倒的な敵失によって大きく前進しようとしています。実際、原発の新規立地は絶望的となり、このまま推移し30年も経てば総ての原発が寿命を終えます。問題はそれまでチェルノブイリ級の事故を防げるかということであり、この点で多いに危機感を持つ必要があります。今回の事件を奇貨とし、国家におけるエネルギー政策の転換を、過疎地に核汚染を押し付けてあり余る電気を浪費する都市生活の現状からの転換を、考えてみてはどうでしょうか。
(ワーカーズ・ネット 晴)
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まだまだ子どもだと思っていたら、三女は来春、高校受験という初めての試練? に臨みます。ますます生意気な態度のこの頃ですが、学校から配布される高校案内のパンフレットを、そっと私に渡してくれます。私は、カラー刷りの豪華さにまず驚き、多彩な案内に今風の学校経営を教えられた思いでした。
長女の頃といえば、もう10年前にもなるのですが、公立高校が主流で私立の個別の案内など、手元に届きませんでした。それほど個別の特色を出さなくても、受験生の数が多かったので経営は成りたっていたのでしょう。そう言えば、高校・大学がエスカレーター式というのは、すでに私たちが高校時代にあったはずです。
ところで、今回は併設校・姉妹校という進学に有利な枠組みがあるのを知りました。併設校の大学に進めば、高校時の入学金が大学入学金にも当てられ、少額で済むというものです。高校選択とは、要するに大学進学をも視野に入れたものとなっているようです。その他には、特待生制度があり、成績優秀者には入学金・授業料などの免除があります。
高校の形式も多様化し、全日制・夜間の他に通信制高校も含まれます。本日の我が家の朝刊には、この通信制高校の広告が紙面いっぱいに報じられています。週1日〜5日まで、自分にあった通学スタイルが選べる! と柔軟なところが強調されています。しかし、学習の内容を見てみると、資格取得が主で専門学校とどう違うのか、よくわかりません。
私学の魅力ある制度も結局は、まずは経済的なこと、そして通学時間が1時間以上と現実的には無理があります。修学旅行にシンガポール、オーストラリアと費用は当然、親負担です。通学が便利で、経済的にも負担が少ないなら、やっぱり公立高校ということにならざるをえません。
地震・洪水・台風などの自然災害に、総合した都市計画を学ぶ「都市工学科」は魅力的な学科です。これは神戸市立工業高等専門学校にある学科ですが、定員がたったの40名と高倍率が予測されます。昨年の就職率も100%と、これまでの功績が評価されてのことでしょうが、もっと門戸を広くしてほしいものです。というわけで、自分を生かせる分野を見つけて、充実した高校生活を送って欲しい。ちょっと注文が高かったでしょうか。
(ワーカーズ・ネット 恵)
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先日、小学5年生の娘が、学校から持ち帰ったプリントにふと目をやると、そこにはこんな文章が書かれていました。
「3番目の息子が中1の時から不登校となり、中3までに3分の1しか登校出来ませんでした。この子ができた頃(結婚10年目)から、私の気持ちが主人から離れていたことに気づきました。反省し主人を尊び気持ちをそえるよう、また子どもに対しても『あなたは尊い子だ』という想いと、元気に喜んで登校していくイメージを描きつづけました。中3になって学校へも行くことが出来、体育会のリーダーにもなることが出来ました」
この体験談を紹介した講演会の誘いは、 「親が変われば子どもが変わる」というテーマで主催が教育研究会「未来」という団体です。しかも、後援には兵庫県教員委員会はもちろん、各市の教育委員会が名を連らねています。体験談を見ればこの講演会の主旨は、もう察しがつくと思いますが、なぜと疑問が湧いてこざるをえません。
まるで、女性が親として妻としての役割を怠ったために、子どもが不登校になったと言わんばかりです。不登校が社会的な問題であり、世論でも認められつつある現状でのこの講演企画は不適切です。講師の教育評論家、この団体の主宰者の北村弥枝氏は、「妊娠中の母親の想いが、子どもの人生に大きく影響する」とまで言い切っているのです。
男女共同参画が課題となって何年か過ぎ、各市では女性センターが設けられ女性啓発に努めています。かつての良妻賢母は、女性を家庭に縛り付けるもの、反動的なものではなかったのでしょうか。家庭で起こる様々な問題(引きこもりの青年、老親の介護など)は社会との関係の中で生じてくるものです。原因を親、妻と夫などと規定できるはずがありません。
なぜ、このような時代錯誤もはなはだしい講演会を県・市の教育委員会が後援したのか、腹立たしい思いです。文部科学省は新たな試みとして小学生対象に「心のノート」という冊子を用いて、「豊かに子どもの心をはぐくむ」ことをねらいとしています。この試みにしても道徳的なものとして扱われ、今回の講演会に通ずる問題が生じてくるでしょう。特別活動、総合的な学習などで活用されるようですが、子どもたちの心に接近するには、まずは教師の数を増やし、ゆとりのある授業が先決と思うのですが…。
(ワーカーズ・ネット 恵)
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靖国神社発行の月刊紙に、8月15日の模様が紹介されています。以下のような書き出しです。「大東亜戦争終結から57回目の8月15日、靖国神社の御社頭は、午前6時の開門と同時に多くの参拝者が訪れ、終日英霊に対する感謝と平和を祈る老若男女で埋め尽くされた」
この日参拝した閣僚は、中谷防衛・片山総務・平沼経済産業・村井国家公安の4人。8月に入って、この日までにすでに参拝を済ませていたのが、武部農林水産・柳沢金融・塩川財務の3人です。他に、衆・参両院議長をはじめ、180人もの国会議員(代理を含む)が参拝したと報じています。
靖国や遺族会がそれほどごりやく≠ェあるのか、それとも国会議員はそろって戦没者慰霊の思いが強いのか。代理参拝が3分の2もあることから、信心や慰霊とは余り関係ないと思われます。死者やその遺族も、こうした政治家にかかれば単なる利用対象でしかないのでしょう。
靖国紙は小泉首相が15日に参拝しなかったことを批判し、「教科書や歴史認識問題、そして靖国神社参拝に対する近隣諸国の批判に右往左往するのではなく、独立主権国家として毅然たる態度を示すことが今こそ求められている」と主張しています。石原都知事が3年続けてこの日に靖国を参拝したことは、もちろん自慢げに紹介しています。
このあと、攻撃の矛先はこの日に松山地裁に裁判を起こした人々の向けられ、「近隣諸国の内政干渉はもとより、同じ日本人の同胞から靖国神社さえも被告として提訴されるような日本の国状はまさに異常であり、そのことにいち早く日本人自ら気づいてほしい」と訴えています。この日起こされた裁判とは、小泉首相が4月21日に靖国を参拝したことを憲法違反とし、小泉首相、国、靖国神社の三者を相手取ったものです。
さて、靖国裁判は現在、九州・山口(福岡地裁)、四国(松山地裁)、アジア(大阪地裁)、東京(東京地裁)、千葉(千葉地裁)で行なわれていますが、いずれも小泉首相の昨年8月13日の靖国神社参拝を対象にしたものです。そして今回、小泉首相の2度目の靖国参拝を対象に新たな裁判が提起されたのです。
ちなみに、私は大阪地裁で行なわれている靖国訴訟に原告の一員として参加しています。アジア訴訟というのは、韓国からも原告が参加しているからです。この裁判では靖国神社も被告としているので、靖国応援団なるものが登場し、補助参加を申し立てたのです。7月12日の第3回口頭弁論で、3人の補助参加人の意見陳述がありました。私は休みが取れなくて裁判には行ってませんが、その内容は訴訟団の会報に紹介されています。
まず、83歳の自称靖国の妻≠ヘ「国を守るために死地に赴いた将兵は『靖国で会おう』と散っていったのだ。国は靖国神社を護持する義務がある。首相の靖国参拝で心が傷つくという方々に言いたい。靖国神社が国家護持もされず、外国に気兼ねして首相の参拝すら思うにまかせず、天皇陛下の御親拝も得られない状況では、『靖国の妻』の心は、その何十倍、何億倍も傷ついているのだ」と陳述しています。
神社の宮司で大学教授でもあるという人物は次のように言います。国事に倒れた人々の鎮魂・慰霊の場に攻撃を加えることは、日本人及び日本の習慣・習俗・伝統に対する攻撃に他ならない。靖国神社が被告にされたことは日本の恥で、私は慙愧に堪えない、と。8月15日には旧軍隊姿で靖国を参拝する人々もいるそうだが、こうした人たちは自分たちの体験を絶対化するばかりで、もっと大きな犠牲をこうむった人たちのことは考えてもみないのです。しかし、この靖国応援団の補助参加は、裁判所によって退けられました。
今、こうしたどうしようもなく時代錯誤な装置ではなく、宗教色のない新たな国立追悼施設が模索されています。これは新たな戦死に備えるものであり、このところの有事化の一環にほかなりません。先の靖国紙は『やすくにの祈り』ともに未来へ≠ニいうスローガンを掲げています。これはもはやブラックユーモアというものです。(ワーカーズ・ネット 晴)
追記:9月23日の新聞に、日中国交30年に因んだ日本世論調査会の日本と中国での世論調査が載っています。調査結果の日中のずれが、それぞれの立場、意識の違いを示していて興味深いものがあります。なかでも、首相の靖国参拝について、日本では53・9%が賛成で、中国では74・8%が反対となっています。ここでも、日本人の歴史認識が問われていることは言うまでもありません。参拝すべきでないとした日本人はたったの33・0%、越えるべき壁の高さを実感させる数字です。
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長女の住居の隣に、大型スーパーがあります。私は時々、仕事の帰りにそのスーパーに寄り、長女宅に行きます。他店と比べ、品物が安く鮮度が良いと評判で、けっこう賑わっています。そのスーパーで先日、日帰りバスツアーの招待旅行があり、みごと当選し行って来ました。
朝7時30分に大阪を出発し、目的地は岐阜県にある長良川温泉で、お昼にやっと到着しました。ほとんどが女性の参加者でした。平日はバス会社も温泉も暇だから、ちょうど団体ツアーには都合が良いのでしょう。温泉に着く前に刃物工場の見学があり、直売所で買い物という段取りが、計画されていました。ああ、結局は買い物させられるツアーか、と何か虚しい思いがしました。
昼食は地方の名産があるでなく、普通の食事でした。温泉は、露天風呂が屋上にあり景色が良く、秋晴れのすがすがしい気分に浸ることができました。参加者のひとりが「私ら普通の客と違うねん。おまけみたいなもんや」と、ホテルの接待等で感じる思いを吐き捨てていました。
帰りには毛皮工場見学が待ち受けていました。毛皮なんて興味ないのに…と思っていても、強制されたスケジュールには従わざるをえません。0が2〜3個余分な高額な商品に、たとえ65%の値引きでも対応することは出来ませんでした。たっぷり1時間半の自由行動には、参加者の大半が苦痛に感じたことでしょう。自由行動は毛皮工場敷地内に限るのですから。
そんなわけで、やっと大阪に帰ってきたのが、夜の7時になっていました。約12時間もの拘束に疲れ、やっぱり無料の招待旅行には、何かあると実感しました。ただ、バスで同席した女性が親切にしてくれ、お互い知り合えたことは良かったと思います。町のスーパーとバス会社、温泉と田舎の工場は不況のなか生き残りをかけて、今回のようなバスツアーを企画しているのでしょう。私は工場で包丁を、土産物はホテルで買い、少しはこの企画に貢献したのかもしれません。しかし、自由でない強制されたバスツアーは、もうこりごりです。
(ワーカーズ・ネット 恵)
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9月4日、一方的に住民票コード番号を付与した西宮市に、異議申し立てをしてきました。事前に担当窓口である市民課に連絡して提出場所を確認し、市長室(西宮市長宛なので)に行きました。市長室の手前に秘書室があり、検問の如くそこで用件を聞かれました。他の課と違う、いかにも豪華な部屋の作りに、市役所内であることの違和感を覚えました。
秘書室の係の男性は、まずは市民課に提出するよう私を促しました。しかし、市民課の判断は市長宛の文書だから市長室でということを言い張り、電話のやりとりの結果、市民課に提出が本来の筋ということになりました。秘書室の係の男性は、なにしろ経験の無いことなのでと、市民課の勉強不足を擁護していました。
しかし、事前にこういう事態も想定できたはず。市民課の課長は私の書類を受け取ると、奥のほうに姿を消し、しばらく出てきませんでした。そして、受け付けたことを告げた時、課長の横には若い男性職員が付き添っていました。まるで、機械的に事務をこなし平然と終えるつもりのように。私は現場での意識を確かめるべく、異議申し立ての理由が理解できているのかと、問いただしてみました。
このように、市役所への抗議は個人でもできますが、より多くの市民と行動を共にする方が効果的です。そのための私たちの「住基ネットにNO!」の学習会は、まずは市民に呼びかけるという役割は果たせたと思っています。今回の例会には女性の参加者も目立ち、女性の既存の枠にとらわれない行動力に、改めて感心させられました。
障害者の子どもさんを持つ女性は、住民票コードに健常者と区別する特定のコードが使われていることの恐さを指摘されました。通販を利用しているが本人の知らない間に、情報が他の事業所で使われてしまったと、不安と怒りの若い女性。何らかの行動を起こそうと提起し、お互い元気をもらった例会でした。
市民課の課長は、異議申し立ての判断は法律の専門家がやると、自分の責任を逃れるように消えていきました。今度は集団で押しかけるから、覚悟をしておきなさい。そして、例会を取材し記事を新聞で紹介してくれた若い男性記者の方。記事を見ての問い合わせがあり、一人でも多くの人に意思表示の大切さが伝わりました。例会を続けてきて本当に良かったと、思える日々でした。
(ワーカーズ・ネット 恵)
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時を同じくするように、日本ハムグループによる牛肉偽装の発覚、東京電力の原発記録改ざん、そして長野県の出直し知事選挙での田中前知事の圧勝、という出来事が続きました。これらの出来事はみな現代日本を映すものですが、なにか関連があるのか、関連づけることに何か意味があるのか、そんなことを考えて見ました。
日本フードの詐欺行為は、目前で雪印食品の消滅を見ているのに、本当に信じられないほど愚かな行為です。冷静に損得を考えれば出来ることではありませんが、目前のことしか考えられないのか、そういう刹那的な世相が蔓延している現実を反映しているのか、いずれにしろいかにも日本的な出来事です。
東京電力の記録改ざんは、次々と芋づる式にウソが明らかになり、単に東京電力のみの問題ではなくなってきています。1970年代の後半、配管のひび割れの兆候があったものを報告書から削除するのを当時の通産省検査官が容認したという、とんでもない事実も飛び出しています。
今回も内部告発によってこの事実が明らかになったのですが、2年間も隠されていたこともおおいに問題です。原子力産業がウソにウソを重ね、事故を隠して欠陥原発を稼動させてきたのは明らかです。そして、国が教唆する立場にあったことも明らかです。こんな状態で、温暖化対策でさらに原発を10基以上建設するといっているのだから、何とも恐ろしい話です。
しかし、考えてみれば、雪印や日本ハム、東京電力だけではなく、すべての産業が利益のためには何でもしているのではないでしょうか。何か、健全な資本、堅実な生産を、こうした実態に対立させるのは、無意味なように思います。もちろん、資本の悪事を暴き、その責任を追及することは重要なことです。問題は、その先に悪事を働かない資本を想定することです。
悪い奴ほど長生きするというけど、資本も同じです。サラ金の経営者が高額納税者に顔を出しているのも、暴利をむさぼっているからです。資本にとって問題なのは、その悪事がばれるかばれないかということです。この間の問題も、ばれたから悪かったのであり、これからはもっとばれないように上手くやろうと思っているのではないでしょうか。
さて次に長野県知事選挙ですが、その核心は利権派議員を叩き潰すことであり、そのためには、田中康夫氏を支持する以外の選択肢はありませんでした。本紙前号で猪氏が「私たちは自主投票する」と言ったのは、明確に誤っています。目前で進行している知事選挙に、労働者の独自の闘いを対置しても、それは宙に浮いたものにすぎません。
田中知事の不信任に賛成した県議は、地域ボスであり、旧来の利益代表です。彼らもまた、前述の資本と同じように税金にむらがり、その悪事を市民に知らせないことが政治(間接民主主義)だと考えているのです。田中知事は「海外視察の撤廃・政務調査費の領収書義務化・土日でも開ける県議会への改革」等を通じて、議員特権を廃止し、利権派議員による旧来の政治を打破しようとしています。
労働者の独自な闘いがあるとするなら、それは、田中知事がこうした政策を後退させないように、利権派議員が次の県議選で死に絶えるように、市民のなかで共に頑張ることではないでしょうか。それは同時に、田中知事へのお任せであってはならない、言わば緊張関係を持ちつつ支持するといった関係ではないでしょうか。
さてそれでは、この三題話の落ちは何か。彼らからすればばれたらおしまいであり、私たちにとっては真実を暴こうといったところでしょうか。そのキーワードは情報公開であり、内部告発です。実際、田中知事の手法は情報公開そのものです。そして、内部告発こそが労働者の独自の課題であり、なりふりかまわず利益を求める資本に最も打撃を与える闘いです。
(ワーカーズ・ネット 晴)
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住基ネットが稼動し、住民票コード通知の発送が始まるや、毎日のように新聞を賑わす不手際が発生しました。知り合いのなかでも、家族で同じ番号だったという例があります。新聞には、西宮市が19所帯119人に番号を誤通知との見出しで、「コンピューターの印刷プログラムを委託していた業者のミスと市のチェック漏れが原因」(8月21日付「神戸新聞」)と報じています。
全国集計したらこうしたミスがどのくらい発生しているのかわかりませんが、まさに出たとこ勝負の様相で、全国ネットに乗せられてしまった私の情報はどこへいってしまうのか不安です。そんなこともあって、個人情報保護条例による中止請求を西宮市長宛てに提出しました。これはどうも、条例は法には及ばない、つまり「適用除外」ということで門前払いになりそうですが、何でもやってみるに越したことはないと思います。
このような話題は幾らもあるのですが、今回は住民票コード通知の配達でてんやわんやの郵便局の実情を紹介しましょう。8月17日の始業時、7月末に着任した新局長が集配にやってきて突撃ラッパを吹きました。その内容は、今日から高校野球も8強を目指すが、我々も公社化の試金石として住民票コード通知を一通の誤配もなく配達しようというものでした。
朝の忙しい時間にしょうもないことしゃべりに来やがって、と思ったのは私だけだったのかもしれませんが、誤配ゼロなんて不可能です。というのも、ワンルームマンションを中心にして、誰が住んでいるかわからない住宅が多くあり、普段から「たぶんこの人は住んでいるだろう」と予想して郵便を配達しているのです。
それはそれとして、ほぼ全家庭に配達記録郵便(書留扱い)を配達するということがどういうことかというと、休日出勤と毎日2時間超勤で年賀並みの体制になっています。普通であれば盆休みころから郵便も少なくなりホッと一息つく時期に、実にとんでもない事態です。最も、私は休日出勤は断るし、2時間超勤も毎日はしません。割増手当てががっぽりという見返りがあるとはいえ、この時期に多くの同僚が当局の言いなりになっているのが、どうにも理解できません。
しかし、全く住民票コード通知をさわらないという訳にもいかないので、2時間超勤で午後からたっぷり4時間以上の配達作業をやって見ました。結果は、200軒以上ベルを鳴らして、配達できたのは100通ほど、あとの半分は留め置きとなりました。とくに成績の悪いのがワンルームマンションで、全滅のところもありました。なかにこんなもの要らないんだけどと言う人もいましたが、受け取り拒否も出来ますと説明したも、結局受け取ってしまいます。
実に泥沼状態です。留め置きとなったものは、その後再配達希望があれば、午前中、午後、17時以降、19時以降と希望に応じて配達しなければなりません。これを、通常の郵便配達と平行してこなさなければならないのです。幸い8月下旬になって急に秋風が立つように涼しくなったからよかったけど、暑いままの日が続いていたら職場はどうなっていたかわかりません。
この通知、我が家には25日の日曜日に配達に来たので、めでたく「受け取り拒否」出来ました。朝から団地の玄関先に赤バイクが来ていたのですが、7階から始まって1階の我が家は結局午後4時すぎになりました。2棟140軒ほどでこの結果です。7棟ある団地全体をひとりで配達したらどうなるか、想像してみてください。
それにしても、この通知の配達から、今の日本の現状が透けて見えます。労働者は自分の時間さえ簡単に返上してしまうし、市民は要らないものさえ受け取ってしまう。これはなにか本質的な問題であり、自立した個人の欠如というやつではないでしょうか。そういえば、駅前でビラ配布もやったのですが、相変わらず無関心派が圧倒的多数です。暖簾に腕押しのようですが、あきらめずに・・・
(ワーカーズ・ネット 晴)
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最近、読者のMさんから、お手紙をたびたび頂きます。69歳という御年齢とは思えない、好奇心旺盛な文章に私自身、気づかされる事が多々あり、感謝しています。Mさんの思いは、これまでの御自身の貴重な体験からの教訓を、私たちに伝えたいという、世代から世代へと繋ぐスケールの大きいものです。
沖縄へ長い間滞在され、現地での基地闘争を支援。共に生活する中で「本土の人間」への不信感を突きつけられ、民衆の二面性にショックを受け大阪に帰って来られました。やはり土着の日々日常の中で、雑草のように生きたい、感性豊かなMさんの足下での闘いが始まっています。
Mさんが中国文学を研究されたことは、中国の文化大革命の評価から、スターリン・トロツキーへと広がり、歴史から学ぶという実践の大切さを再確認させられました。そして全共闘時代の思い出…、かつての活動家の面影が見え隠れします。
今回の住基ネットのことでも、「Workers」紙上で紹介した反撃の方法を、即電話で問い合わせて来られ、実行に移されたMさん。家族の方とは考えが異なるが、きっぱりと自分の行動を決断される態度に、年齢を重ねられた方とはとても思えません。私の母と3歳違うだけなのに、生活環境が違えばこんなにも差がつくのかと、思ってしまいました。
自称、女フーテンの寅さん。今にも、浪速気質で威勢が良く、面倒見のいいMさんの声が聞こえてきそうです。人生最後のライフワークとして老人介護の実態をまとめてみたい…、前向きな姿勢に感心してしまいました。吉本興業が大好きで、サーカスでは演技をした熊さんと写真撮影、と話題は豊富です。
そんなわけで、私はMさんから送られてくる手紙を、Workers用に打ち直し作業をやっています。早く、読者の皆さんに紹介したくて日々、作業中です。何しろ、1通の手紙の中には複数のテーマが書かれているのですから。今、嬉しい悲鳴を上げて製作中というわけです。ご期待ください。
(ワーカーズ・ネット 恵)
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最近は栄養がつき過ぎているためか、運動が足りないためか、胎児が大きくなりすぎて出産が大変なことが多いようです。なんと言っても、赤ちゃんは小さく産んで、大きく育てるのが肝要です。だから妊婦さんは食べてばかりいないで、しっかり歩いたりすることが必要です。
この「小さく産んで、大きく育てる」ことを常に心がけているのが、官僚の皆さんです。公共事業が終わってみれば、費用が当初予算の倍以上になっていたなんていうことは、ありがちなことです。そんな典型的な事例を、7月末に大阪まで見学に行ってきました。これは、武庫川ダム建設に反対する市民グループでダム建設予定地などを見学するもので、何処も同じ公共事業のためのダム建設という感を深めました。
安威川は京都府亀岡市から茨木市、摂津市、大阪市を流れ、神埼川に合流する一級河川で、淀川水系に属しています。この川にダム計画が持ち上がったのは、1967年の北摂豪雨災害がきっかけで、当初の事業規模は360億円でした。それが、茨木市のダム建設予定地の地盤の脆弱性や堆砂容量、計画洪水量の不正確さなどを指摘され、87年に一挙に836億円へと事業規模が膨れ上がったのです。
その理由は、重力式コンクリートダムから中央コア型ロックフィルダムに変更になったからです。ロックフィルダムというのは、地盤が弱い所でも建設可能だということです。しかし、事業費がこんなに膨れ上がるのなら、建設計画そのものを見直す必要があったはずですが、お役所仕事にはそんな見直しはありません。
この事業費は、物価スライドによって98年現在で976億円に上昇しており、1000億円を越えるのは確実です。実に見事なもので、本体工事の予定も立たないうちに3倍近くまで膨れ上がっています。これに関連の工事を加えるとどれだけの額になるか、工事そのものが目的だというほかありません。
このダムは治水だけではなく、利水目的もあります。ところが、水は足りないのではなく、水需要予測が過大で、不要な利水ダムのために大阪府民は水道代の値上げの付けを払う羽目になります。こういう構図のなかで利益を得るのは、ゼネコンとそこに天下っている官僚です。見学会でもらった資料のなかに93年の新聞記事があり、大阪府土木OBゼネコンに天下り160人とあります。これでは、ダム建設を止めるとはいえないでしょう。
すでに安威川ダム計画がどれほどいいかげんなものか明らかですが、環境面の問題点としてオオサンショウウオやギフチョウ、オオタカの生息を脅かすものとなっています。さらに困った問題として、ダム建設予定地の上流に砂利採取地があるのです。山がなくなるほど削られ、雨が降ったら土砂が川に流れ込みます。ダムが出来ても、すぐに堆砂で埋まってしまうだろうと言われています。
見学に出かけた日曜日、河原で多くの市民が水遊びをしていました。お世辞にもきれいな水とは言いがたいし、水量もそれほどありませんが、市街地から近いということもあって、こうして家族連れが訪れるのでしょう。もう鳥取県との県境に近い兵庫県の千草町まで、私は何度か走りに行ったことがありましたが、そこの千種川は水量は豊かだし水も澄んでいて、家族で水泳を楽しんだものです。
それに比べ、安威川の水遊びは気の毒なくらいだけど、庶民のささやかな楽しみを見る思いでした。土木屋さんにとっては、川は単に水を流すところなのでしょうが、こうした日常のなかの川は生きているです。
(ワーカーズ・ネット 晴)
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住民基本台帳による国民総背番号制が、強行に実施されています。個人の情報が集約管理され、本人の知らぬまに情報が漏出すると、指摘されているにも関わらず…。もう20年以上も前にもなりますが、西宮市の職員を中心に、国民総背番号制に反対する運動が盛り上がりました。しかし、今この時期にその職員たちからの反対の声は、どういうわけか聞こえてきません。
商品がバーコード化され、スーパー等の精算は大幅に短縮し、品質管理も同時にやってのけました。コンピューター管理がどれほど便利で効率の良いものか、まざまざと突きつれられた感じです。そして、商品の次は人間の品質管理ということでしょうか。今回の情報管理は、4情報だけ(氏名・生年月日・住所・性別)と必死に言い訳していますが、情報が増えていくのは目に見えています。
ところで、住民基本台帳ネットワークシステムと、長ったらしい名前ですがどんなシステムなのか、知らない人が多いのではないでしょうか。個人情報が各自治体を超えて、全国ネットのコンピューターで集約管理される、ということなのです。だから、「全国何処でも住民票が取れるようになる」と便利さを宣伝文句にしていますが、実際は現実ばなれしたものに過ぎません。
今でも、勝手に自宅に送られてくるダイレクトメールに迷惑しているように、個人情報は既に漏れているのが現状です。しかし、今回の住基ネットは全国体制で、しかも総務省の手中にある(財)地方自治情報センターが管理してしまう危険な事態です。ますます国家管理を強化し、思想的にもチェックを入れようと企んでいるのが本音、というところでしょうか。
プライバシーの侵害はもちろんのことですが、その背後に国家という枠組みが存在していることを、見落としてはいけないと思います。まずは、具体的な反対行動として、住民票コードが郵送されてきたら、受け取り拒否の意志表示をすることです。これは、誰でも出来る一つの手段です。共に、行動を起こしましょう。
(ワーカーズ・ネット 恵)
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子ども達にとって待ち遠しかった夏休みが、今年もやってきました。今年は43日間の休みになるそうで、末娘は大張りきりです。既に友達からプールの誘いや、お泊まり会の計画があるようです。私は、朝から昼食の準備にあれこれ思案しながら、仕事に出かけるため、普段よりも気苦労というのが本音です。
私が子どもの頃は、夏休みといっても家族旅行も無く、盆に母の実家に帰るぐらいでした。それでも、親戚が集まり従姉妹同士で遊んだりと、楽しいものでした。祭りの戸外での映画会、子ども会からの遠足や川遊びなど、今でも記憶に残っているのもあります。
現代っ子は、学校が終わってからも忙しく、習い事や塾通いと予定のある子が多いようです。だから、遊び相手を探すのに電話で連絡するなど、結構大変です。外に行けば誰かが遊んでいる私たちの子どもの頃とは、ずいぶん違ってきています。夏休みぐらい自由に時間を使わせてやりたい、子どもらしく遊ばせてやりたいと、思ってしまいます。
親の思いと子どもの願いに、大きなズレがあるのは、学校週5日制の評価でよく分かります。兵庫県内の小学校の調査では、親の41%が「だらだらが増えた」と難色を示し、子どもは85%が「ゆっくりできる」と満足しています。気になる塾通いですが、4月以降新たに始めたのが都市部で7%、郡部では23%にも達しているのです。
子どもの数が減少し、遊べる条件や環境も変わり、子ども達の未来はどうなってしまうのか、気がかりなことばかりです。しかし、詰め込み教育からの反省で、「ゆとり教育」と称して人と人との関り合いを大切にした取り組みが実践されつつあります。教育内容の見直しは、評価にも影響し「相対評価」から「絶対評価」に切り替える県も出てきています。
とにかく、親も子どもも生き生きとした生活が送れるように、色んなことを体験し楽しい夏休みにしたいものです。まずは、家族で海水浴、そして暑い夏の仕事を乗り切るために体力づくりです。
(ワーカーズ・ネット 恵)
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梅雨も明け、夏休みに入り、心は海水浴です。阪神間から出かけるとなると、近くだと淡路島、少し足を延ばすなら日本海といったところです。明石大橋が完成するまで、淡路島へはフェリーを利用していたので、ちょっとした船旅気分も味わえたのですが、そのフェリーは今はありません。
明石大橋ができて便利にはなったのでしょうが、すべて良しとは言いがたいようです。新聞などでも、淡路を通り越して四国の観光宣伝が目立ちます。どうせ橋を渡るのなら、そのまま高速道路を下りないで四国までということになります。淡路島の観光スポットは限られていて、兵庫県が淡路花博などでてこ入れしても、その期間が終わってしまえば集客力は落ちます。
新聞には「阪神高速京橋ランプから高松中央ICまで約1時間50分で直結」とあり、神戸から高松まで2時間かからないのですからすごいです。しかし、その付けが本州四国連絡橋公団の債務約3兆8000億円ではたまりません。猪瀬直樹氏は道路公団民営化推進委員会で、この点について「無理に引っ張ってきた政治路線の典型。地元負担は当然」と言い放ちます。
確かに理屈はそうですが、橋の利用者は十分過ぎる通行料を払っており、その上さらに県や市の負担というかたちで税金をつぎ込まれたらたまりません。そんなことは、先にこの事態の責任がどこにあるのか、何兆円もの税金を誰が飲み込んだのか、といったことの責任を明らかにしてからの問題だろう。付けを誰に回すかだけの議論は不毛であり、道路が延びる仕組みを止める力にはなり得ません。
民営化委では、債務を増やさないための方策、民営化や路線の優先順位ということが鋭く対立していますが、高速道路整備計画(総延長9342キロ)を白紙に戻さない限り道路は延び続けるでしょう。そうしないと、道路族は2400キロの未整備路の建設を、地元を巻き込んで要求し続けるでしょう。
最近、神戸新聞に見開き2面分の「但馬を開く道づくりシンポジウム」の報告が掲載されました。内容は「高速道路計画の縮小・凍結を打ち出す小泉改革に対して問題提起」するもので、基調講演はなんと大石久和・国土交通省道路局長です。兵庫県生まれのこの高級官僚の話の結論は、道路特定財源を死守せよということのようです。
その論拠は、端的に道路は「まだ足りない」ということであり、他国との比較においてもまだ必要だということです。氏の主張はこうです。「つまり、日本の高速道路は、国民の経済活動を支えるための十分な量を満たしているのかどうか。GDBや車の台数、面積、人口あたりなど、どの指標で見ても、国民が車で安全に高速で移動する道具立て≠ヘ十分ではない」
確かに兵庫県は広いので、阪神間から日本海まで車で移動するとなると、新幹線で東京に行くくらい時間がかかります。私も海水浴や温泉に行くのに、もう少し高速道路が延びたら楽だのにと、いつも思います。かの国交省高級官僚の思う壺です。観光客の思いとそこに住んでいる人の切実さは違うだろうし、とりわけ過疎となりつつある地域においては道路は大きな課題なのでしょう。
しかし、交通というの単に道路網の問題ではなく、鉄道や公共交通も含めて全体で考えるべきものだと思います。震災直後、武庫川を挟んで西宮は被災地なのに、橋を渡って尼崎へ行けば普通の生活がありました。ところがこの橋が限られた数しかなく、大きな交通ネックとなりました。そうしたこともあって、国道2号線と171号線の間の幹線道路「山手幹線」のそれまではなかった武庫川の橋が地域住民の反対を蹴散らして掛けられ、今年の5月末に開通となりました。道路があれば便利だと、どんどん道路網を広げるこうした既定方針はもう捨てる時期ではないでしょうか。
(ワーカーズ・ネット 晴)
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何かと話題の多い田中康夫知事が長野県議会から不信任を突きつけられ、究極の話題を提供することになりました。長野県民でないものにとっては野次馬的関心が先立ってしまいますが、長野県民にとっては冗談ではない事態でしょう。
私は彼がまだ知事ではない時に神戸空港反対の集会で一度、そして昨年のオンブズ全国大会でもう一度、彼の話しを聞いています。どちらも基調は無駄な公共事業はやめようというもので、その主張は支持できるものでした。今回の事態で最も大きな対立点となった脱ダム宣言についても、時代の趨勢を敏感に感じたものであり、首長としての決断力としても支持できます。
もっとも、不信任決議にはその言葉はなく、「『長野モデル』の発信と称して、・・・」とぼかされています。これは余りに露骨に過ぎることを恐れたからだろうが、田中知事の登場まで利権をほしいままにしてきた与党県議たちの恨みの深さは想像以上のようです。
確かに、田中氏のスタイルは外見においても活動においても自己顕示に満ちたもので、それは一般的に求められる知事としての資質という点では失格だったのでしょう。しかし、県議の海外出張をやり玉にあげ、知事自ら監査請求をしたり、政務調査費についても外部監査人に監査を要求したり、等はまさに彼の面目躍如というところです。
それにしても、自治体における首長と議会の関係とはどんなものなのでしょう。一般的には圧倒的多数の自治体が多数派与党なので、そうした問題意識さえ必要ないのですが、そのバランスが崩れた時に問題が顕在化します。首長と議会の蜜月、これこそが地方自治を腐らせる病根であり、ムダな公共事業が止まらない理由でもあります。
そしてこの病根こそが、蜜月を破る首長の登場を市民に選択させる原因でもあるでしょう。しかし現実の権力関係は、首長の権限がいかに大きくとも、それによって決定的に変わるものではありません。市民が新しい首長の誕生で満足してしまうなら、議会はゆっくりと首長の首をしめ、その息の根を止めてしまいます。
つまり、私たちが自治体議会に議員を送り出すのは比較的容易ですが、自治体の運営そのものに責任を持つべき首長を押し出すためには、革命的ともいうべき変化が必要なのです。例えば既定の公共事業ひとつ取っても、国からの補助金や自治体官僚の利権、土建資本の利害が複雑に絡み合っており、これを解きほぐすためには恐るべきエネルギーが必要です。
いみじくも長野県議会は、田中知事に「自己の理念の実現を優先させ、・・・」と批判しています。それは、脱ダム宣言を発しただけではダム利権に群がる勢力を粉砕することはできない、という限りにおいて痛いところを突いています。それはまた、田中知事のパフォーマンスに喝采を送り、期待するのは間違っているということをも明らかにしています。
さてさて、かくして第一幕は下りました。田中氏は利権派県議にどのようなパフォーマンスで反撃するのか、長野県民は確たる意思を行動で示すことができるのか、ここはしっかりと見守りたいと思います。そしてさらに、これをわが自治体に当てはめたらどうなるのか、考えて見るのもいいかもしれません。
(ワーカーズ・ネット 晴)
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高校受験を来春にひかえ、我が家の三女は、最後のクラブ試合を終えました。早朝練習のやり方で顧問との意志疎通に欠け、クラブ仲間と悩み続けたことも、懐かしい思い出となることでしょう。
ところで、西宮市では高校入試に「総合選抜制」を取り入れています。この制度は、一定の学力があれば、住所地を考慮しながら学区内で合格者を振り分ける、というものです。各学校間の格差を無くし、競争を和らげるという面では評価できるものです。しかし、中学在学中に学内成績が1割以内の上位であれば、住所地に関係無く希望の高校に受験できるという、エリートへの配慮も忘れていません。
子どもの人数が減り、昨年は高校のクラス数を減らすという事態になり、私の住む団地では指定された高校が変わりました。以前なら、歩いて5分もあれば行ける校区内でした。それが、自転車通学禁止(坂道が急で自転車では危険という理由)で徒歩50分はかかるという遠方の高校に決まってしまいました。
なぜ、目の前にある高校に行けないのか、不満はつのるばかりです。そんな中、兵庫県は、新しい入試方法として複数志願制を来年度から導入することになりました。各学校に特色を持たし、「行ける学校」から「行きたい学校」に転換させることが狙いのようです。しかし、その中味は具体的に示されていないのが現状です。
「ゆとり教育」や「総合教育」を唄いながら、その延長線上に「行ける学校」を位置づけるなら、大学の入試制度にも影響せざるをえないでしょう。すでに私立では、学校見学のパンフレットに、興味を引きつけるような学科の紹介がなされています。たとえ、私立に魅力を感じても、経済面を考えるなら公立高校を選択する結果になると思います。
クラブ引退後は、自分の時間が少しでも多く持てることでしょう。そして、私が期待しているのは、家事のお手伝いをどれだけ積極的にやってくれるか、ということです。
(ワーカーズ・ネット 恵)
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父の日の翌日、家族でUSJに行ってきました。平日なので空いているだろうと思ったのですが、完全に当てが外れ、行列また行列でウンザリしてしまいました。
父の日が小学校も中学校も参観日だったので、予てから娘たちにせがまれていたUSJに行くことにしたのです。湾岸道路経由で30分もあれば行けるのですが、行列に並ぶのがいやなので、土・日は行きたくなかったのです。ところが、朝の9時半なのにすでにジュラシックパークは25分待ちでした。その後、ジョーズは予約を入れたので並ばずに済みましたが、他の4つのアトラクションは40分〜50分待ちでした。
月曜日だというのに小学生が多くて、考えて見ればどこの学校も父の日に父親参観を企画しているのだから、この結果も当然だったのです。それに、北海道からの観光客もあり、全国区のテーマパークなのだから平日でも行列というのは当然だったのです。しかし、これで土・日はどんなだろうかと想像したら、怖くなりました。経験者の話では2時間くらいざらということで、確かにそれくらいの行列が可能なスペースがありました。広いスペースに迷路のようにロープを張り、幾らでも行列を長くできるのです。
USJはグランドオープン1周年の3月31日を目前に控えた3月3日の日曜日、世界中のどのテーマパークよりも早いペースで入場者数1000万人を達成しました。この数字は毎日約3万人をさばかないと達成できません。そうすると、待ち時間をどう処理するかが勝負になり、迷路式行列を含めた工夫があちこちに見られたのは確かです。
しかし、こうしたものを時間とお金をかけてまで見る値打ちがあるかといえば、私は否定的にならざるをえません。第1に余りに人工的で、起こることすべてがいかに意外性があってもあらかじめ計算されたもののつまらなさがあります。映画の名場面を再現して実体験しようというのですから、それは当然なのですが、壮大な浪費としての資本主義的娯楽とでも言うべきか、そんなのは余暇まで管理されているようで悲しい気分です。
行列をして辛抱強く待つ、ひょっとするとその行列すら多くの人は苦にしてないのかもしれませんが、私には従順な羊の群れのように思えるのです。とにかく噂のテーマパークに行って、アトラクションで何時間待ちの行列に並んで、帰りにいっぱいお土産を買って帰って、それで満足ということになっているのではないでしょうか。
入場料(大人5500円)を含めて、一人平均1万円落として帰るそうですが、もっと違った時間とお金の使い方があるだろうに。ちなみに、私たちはおにぎりを持っていってそれでお昼を済ませ、ケチケチ作戦に徹しました。
それにしても年間1000万人の集客力は驚くばかりですが、その経済波及効果も絶大です。そこで働いている人の数も半端ではないのですが、その人たちがマニュアル化された作業パターンに忠実に従っている姿には違和感を感じました。たぶん接客を含めたマニュアルを叩き込まれているのでしょうが、マクドなんかでうけるのと同じような過剰な印象を感じるのです。
この余りに大きな集客力のために、阪神間の遊園地は大きな煽りをくい、宝塚のファミリーランドや神戸のポートピアランドは閉鎖の運命にあります。所詮は同じ大きさのパイをどう分けるかであり、余暇的家庭支出がどのように回収されるかの争いにすぎません。そして私の結論は、テーマパークはこりごりだ、もう2度とUSJに足を運ぶことはない、というものです。
(ワーカーズ・ネット 晴)
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末娘の通う小学校は、今年、創立30周年を迎えました。学校から事前に記念式典に向けてアンケートがあり、親の出欠を確認するものでした。何か、大袈裟な雰囲気に嫌な感じがしていたのでした。嫌な予感は当たり、式典から帰ってきた娘が発した言葉は「お母さん、悪い知らせがあるで」でした。
日曜参観の後、4年生以上が参加した式典には、市長をはじめ地域の「お偉方」が多数出席し、挨拶ばかりが続いたそうです。しかも、なんと、式典には日の丸が掲げられ、君が代まで流れたということです。退屈でしかたなかったという娘に、親として何も手を打たず済まない気持ちになりました。学校での主人公は子どもたちのはずです。タイムカプセルなどと興味をそそりながら、実は校長=教育委員会主導の式典が計画されていたいうわけです。
ところで、ワールドカップではオリンピックと同様、国家という枠組みで試合が行なわれ、国という単位が自然な形で観客に入ってきます。日本戦では日の丸が一斉に観客によって掲げられ、君が代も唱和されたといいます。集団になっての右に倣えの行為は、恐ろしいものがあります。しかし、一方でその国家の構成が崩れつつあるのも事実で、フランスはアルジェリア出身のジダンをはじめ、移民系の選手が多いということです。
今回、韓国と日本の共催でのワールドカップで、韓国の人々との交流が始まりつつあることに嬉しく思います。韓国の会場からのテレビ中継など、ほんとは近い国なのにやっと今身近に感じられた、と思っている人が多いのでは? 最近は日本の男性で、韓国語を使いオリジナル曲を売り出した歌手もいます。
そもそもサッカーは、欧州で近代国家形成に向けて国民を動員する総合原理として利用され、中南米やアフリカなどでも、植民地化で恣意的に引かれた国境線に合わせ、本来はなかった国民意識をつくり出す媒体となっていた、とある大学教授は分析しています。現代に生きる私たちは、支配層の思惑をはねのけ、何が私たちにとってプラスになるのか、見極めることが大切です。そして私は、子どもたちの学校運営に目を向け、後悔しないために校長の行動を監視したいと思います。
(ワーカーズ・ネット 恵)
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6月5日、今年度3度目の「訓告」が出ました。これで来年度も定期昇給1号俸カットが決まりました。いつものように総務課長が私と対面して訓告事由書を読み上げたのですが、内容がいつもと違っていました。「上司の職務上の命令に従わず、氏名札及びユニホームを着用しなかった」の後に、「ばかりでなく、氏名札に表示する写真撮影に応じなかったものである」というのが付け加わったのです。
この後は「よって、郵政事業庁職員訓告規程により訓告する」と締め括られるのです。これをわかりやすく言うと、名札とネクタイをするように業務命令を出したのに着用していない、4月から顔写真付きの名札になっているのに写真撮影も拒否しているということです。私はその写真撮影を人権侵害だと断っているので、手元にある使うことのない新しい名札は顔写真の部分が空白になっているのですが、最近強制配転されてきた人が同じような名札を着けていて、彼は名札を着けているにもかかわらず顔写真がないということで注意処分を受けています。
同じ日、私の保留となっていた定期昇給が、2カ月遅れで4号俸でなく3号俸だけようやく上がりました。課長には、嫌がらせはもう終わりか、結局1号俸しかカットできないのか、といやみを言っておきました。他の局では成績不良とかの言いがかりをつけて2号俸カットも行なわれており、私の場合何もこじつけるものがなかったのか、しぶしぶ1号俸だけのカットにしたのでしょう。
ところで、われらが御用組合「全逓」の全国大会が19日から、茨城県で開催されます。ときあたかも、公社への移行と民間参入をめぐって大揺れのなかでの開催ですが、本部が組合員に語るのは「新しい器である郵政公社にふさわしい事業像や職員像を語り合い、新たな気持ちで新時代のスタートを切る必要がある」というお説教です。これをして「リフレッシュスタート宣言」だとし、組合運動も仕事も、さらに私生活もリフレッシュしろというのです。
要するに、仕事に目的意識や向上心を持って望み、郵政公社の企業イメージを高めようというもので、それこそふた昔ほど前の民間企業の目標管理型労務管理を再現するつもりかと思ってしまいます。そのころは第2組合「全郵政」が働きに応じた賃金を要求し、全逓は同年齢同一賃金という要求でした。ところが今は全逓も「結果の平等から機会の平等へ」と方針転換し、積極的に賃金格差をつける評価システムを要求しています。
何やら戦後教育に対する「悪平等」という批判と重なりますが、入口で平等なら出口でどんなに差がつこうとかまわないというやつです。ここらは意見の分かれるところだと思いますが、そもそも合理的な差別があり得るのかという疑問を、私は拭い切れません。組合がどんなに「公平・公正性、透明性、納得性、客観性の確保」を叫ぼうと、賃金や処遇というのは労務管理の根幹であり、労働者が支持できるものとはならないでしょう。
ましてや今は、生産拡大ではなくリストラが主流であり、どんなに会社に忠誠を誓おうと余剰と判断されたらおしまいです。こんな時に、事業に邁進しろと号令することの意味は重大です。その行きつく先には選別排除があり、これを組合が公認するものとなるでしょう。
それでも全逓は組合として、「みんな仲間。一緒に公社へ行こう」と組合員に呼びかけざるを得ません。実際には、職場ではどんどん定員が減らされ非常勤化が進んでいるので、みんなの雇用が守られることはあり得ないし、組合も事業黒字化のためにこれを容認しています。だからこんなスローガンは嘘っぱちですが、たとえ建て前であれこのスローガンを利用しない手はないでしょう。
それにしても、議論の大前提の郵政事業の姿はあまりに無残です。あちらも利権、こちらも利権、しかもこれらの利権をそのまま公社に持ち込もうとしています。全逓も事業防衛の立場から利権告発を放棄し、特定局長制度の廃止すら口にしていません。さらにコスト削減のための非常勤化を要求し、日々雇用という無権利と低賃金を蔓延させようとしています。同一労働同一賃金など、スローガンにすらなりません。
そして件の顔写真付きの名札です。営業の尻叩きでゆうパックを売れとか、星野監督のお便りセットを売れとか、郵便配達以外にも仕事は尽きません。これらがまともな事業の一環とはとても思えないし、こんな環境のもとで仕事に生きがいを見出すのも困難です。例えば、ゆうパックの郵便振込はあて先が「財団法人ポスタルサービスセンター」とあり、ここがチラシを発行し、「注文の取り次ぎ、商品代金の収納を代行」しているのです。
国民のための郵政事業なんて全くのお笑い種、その象徴がポスタルサービスセンターの利権であり、現場でゆうパックの押し売りと自爆営業に明け暮れる真面目な職員は言い面の皮です。私は不良職員なので、ゆうパックを売ったことも買ったこともないので、公社で生き残れないと脅されています。すでに公社発足まで300日を切りましたが、さてどうなることやら、乞うご期待というところです。
(ワーカーズ・ネット 晴)
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公園やスーパーなどで、赤ちゃん連れの親子を見かけると、つい声をかけたくなるこの頃です。長女の娘もえちゃんは、すくすくと大きくなり感情も豊かになってきました。母親と接する時の笑顔と歓声は、そばで見ている私にも笑顔を誘ってくれます。きっと、母子ともに安定した環境が保障されれば、虐待など悲惨な親子関係には陥らないはずと、思わざるを得ません。
ところが、社会的に弱い立場にある母子家庭を直撃するような政令改正が、今年8月から実施されるというのです。現行の児童扶養手当は母子2人の場合、収入ベースで年収204万8000円未満なら満額の月額4万2370円、年収300万未満では2万8350円が支給されています。例えば、時間給で月収10万円、そして家賃が6万円とすると、扶養手当が生活費として欠かせないのは誰の目にも明らかです。
そんな現状を無視するかのように改正案では、満額支給の年収要件を130万円未満に引き下げるとし、一部支給については年収365万未満と幅を広げるかのポーズを見せています。しかし、母子家庭の4割が年収200万円以下という現状なら、多くの人が減額になる見込みです。結局は、年収130万円から1万円アップするごとに、満額から170円程度ずつ減額という、細かい計算が用意されているのです。そのうえ、現行では所得に含まなかった養育費も、その8割を算入して支給、さらに寡婦控除も廃止と、自立支援とは名ばかりということでしょうか。
離婚の増加を理由に資格制限を強行する政府の姿勢からは、男女共同参画社会など空文句にしか写りません。経済的にはもちろん、精神的にも保障されてこそ、社会参加につながっていくはずです。有事法制への危機感に追われている間に、いとも簡単にこんな大切な政令改正が行なわれていたとは…。もっともっと政治の動きに敏感に反応しなければと、反省しました。サッカーに浮かれている間に何が起こるやら、皆さん気をつけましょう。
(ワーカーズ・ネット 恵))
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前回「靖国応援団」を紹介しましたが、彼ら草の根右翼のバックには「日本会議」の存在があります。その日本会議の月刊誌「日本の息吹」5月号を、今回は紹介しましょう。5月30日で設立5周年を迎えたこの日本会議、愛媛玉串料違憲訴訟最高裁判決当事長官だった三好達を、昨年12月10日会長に迎えています。
日本会議のホームページは、これを次のように報じています。「三好先生は、平成七年十一月に最高裁判所長官にご就任。約二カ年の長官在任中、司法の独立と権威を守る中、数々の裁判を担当された。なかでも、愛媛玉串料訴訟の最高裁判決では、多くの裁判官が違憲判決を出す中、靖国神社が戦没者慰霊の中心施設であることと国や地方公共団体が慰霊を行なうことの重要性を説かれ、かかる公金の支出は憲法違反に当たらないという、堂々たる反対意見を述べられた」
さて「日本の息吹」ですが、その巻頭を飾るのは皇太子夫妻の写真で、「内親王殿下御誕生、お慶びの記者会見」とあります。そして、日本会議5周年に挨拶を寄せているのは、渡部昇一と長谷川三千子です。埼玉大学教授の長谷川は「日本人としてのまつたうな心のありやうといふことを最も重要問題として考へてゐる団体は日本中でこの日本会議しか存在しない」と、わざわざ旧仮名使いで文章を書き、「大御心」という言葉が通じないと嘆いています。
5月号の特集は「憲法で国民生活が守れるか」ということで、林道義東京女子大学教授が「憲法が『家族』を破壊する」という一文を寄せています。彼は「父性の復権」「フェミニズムの害毒」「母性の復権」「家族の破壊」等の一連の著作で(といっても私は読んでませんが)、戦後の家族の崩壊を嘆いています。
彼によれば、日本国憲法は「社会の基本単位である『家族』条項が無いとは何とも奇妙な憲法」だそうです。ドイツ共和国基本法には「婚姻および家族は国家秩序の特別の保護を受ける」(第6条の1)、イタリア共和国憲法には「共和国は、経済的手段その他の措置により、家庭の形成およびその責務の遂行を、とくに大家族を考慮して、助成する」(第31条の2)と書かれているのに、日本は何だという主張です。
さすが大学の先生、同じ同盟国だった国の憲法と比較することによって、日本の新しい憲法の奇妙さを批判しています。さらに様々な世論調査やアンケートで、「家族が一番大切」と考えている国民が約半数だとも指摘しています。それは私だって、何が一番大切かと聞かれたら「家族」と答えるかもしれませんが、そんなことは憲法で規定してもらうまでもありません。
林教授の舌鋒はさらに冴えわたり、フェミニズムもばっさりと切り捨てます。「九〇年代に入ってから、フェミニストは法律によってイデオロギーを実現するという戦略を取ってきた。『男女共同参画社会基本法』はその最大の武器になっている。『夫婦別姓法案』も同様の個人単位思想によって、家族と戸籍を解体し、性の違いを抹消し、健全な社会秩序を解体しようというもくろみの一環である」
日本会議や林教授に限らず、旧憲法下の家父長的家族制度を懐かしむ人は多いようです。しかし、旧憲法の76の条文のなかに家族について触れた条文は見当たりません。結局彼らが問題にするのは、現憲法24条の「家族生活における個人の尊厳と両性の平等」規定であり、家族が平等・対等な男女によって構成されることを積極的に宣言していることに対する憎悪です。
そんな彼らにとっての重要課題は、言うまでもなく夫婦別姓導入反対であり、その緊急集会レポートも掲載されています。これは4月10日、衆議院議員会館で行なわれた集会の報告ですが、夫婦別姓は親の子への虐待や離婚の増加、自殺や青少年の犯罪等を助長するものだと断罪されています。
驚くべきは、中山太郎衆議院議員の夫婦別姓は国連の宣言にも違反するという主張です。この人物は衆議院憲法調査会会長ですが、その実に珍奇な主張はこうです。「現行憲法には家庭という言葉がない。『国連の人権に関する世界宣言』の一六条三項には、家庭は社会の自然かつ基本的な単位であって、社会および国の保護を受ける権利を有する、ということが書いてある」
この規定と夫婦別姓がどう対立するのか、中山委員長は夫婦別姓は家族を破壊するからと言うのですが、それがまた全く根拠のないものです。さらに愚かなことを後藤博子参議院議員が言っています。「娘からも『結婚したら好きな夫の姓になるのはあたり前。政治家はなんでアホなことをやっているの』と言われた。国には不易なものがある。夫婦同姓もその一つで、この問題は次の世代に、この日本をどう伝えていくかという問題なのです」
中山も後藤も、これで国会議員だというのだから呆れます。極めつけは長谷川教授で、「『別姓をのぞむ方々には申し訳ないが、我慢をしてもらいたい』という意見もあったが、実はその人たちのためにもその我が侭を決して認めてはいけない」と述べ、名字はファミリーネームだから大切なもので軽軽にいじってはいけないと、別姓論者に説教を垂れています。
この冊子には「兵庫版」が挟み込んであり、関連団体講演会として「兵庫県モラロジー協議会の集会が紹介されています。これに貝原俊民前兵庫県知事が「美しい兵庫をめざして」という講演を行なうようです。さらに、兵庫県教委と神戸市教委が後援しています。草の根右翼の根は思いのほか太く、深く根を張っているようです。彼らの主張は検討する必要もないほど幼稚なものですが、残念ながら少なからぬ庶民が受け入れているようです。
時あたかも、ヨーロッパでは極右政党が台頭しています。さて日本はどうか、さしあたって小泉の愚かしい政治にはやく終止符を打たないと危ないと思うのですが、どうでしょうか。
(ワーカーズ・ネット 晴)
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「現代を問う会」は毎月、第1土曜日に学習会を開いています。そして、駅前での案内配布も毎月恒例となりました。6月は脱原発をテーマに取り上げ、街頭で「もんじゅ」再稼動反対の署名も行ないました。1時間余りで30名近くの方が協力してくれ、意外に関心があることを教えてくれました。
ところで、「もんじゅ」は7年前にナトリウム火災事故を起こし、事故ビデオもテレビで放映されました。その生々しい映像に、原発そのものの危険性を実感したはずです。しかし、その後の経過は、あまり知られてないのが現状ではないでしょうか。すでに、開発費に1兆円。止まっていているだけでも年間100億円の浪費になっているとは…。
そして、「安全審査1年、改造に1年半」で2003年度中には工事が終わり、2005年から運転再開という、とんでもない計画がなされています。安全審査については、すでに5月7日に1次審査を終え、原子力安全委員会による2次審査に向かう。けれども、たとえ安全審査を全て終えても、改造工事を始めるには福井県知事の許可が必要という。
署名に協力してくれた女学生は、福井県出身で選挙権はまだ無いけれど、選挙権を持つことになれば、原発推進の知事は選ばないときっぱり言ってくれました。親子連れで積極的に署名してくれた女性は、西宮市でもゴミ焼却時の熱利用がされていると教えてくれました。実りある会話が出来て、充実したひとときでした。
最近、テレビで盛んに宣伝している家庭の全ての電化は、電気代が1割減になるというお得なものですが、はたしてどうでしょうか。例えば、電滋調理器は揃えるだけでも高額で、使えばかなりの電気代が必要ということです。ある公団では、電気量の過大が予想されるため、住民に電磁調理器を使用することを見合わせている所もあるぐらいです。
とにかく、「もんじゅ」再稼動の動きにストップを! の声をあげ、科学技術庁の官僚と推進派に断念するよう働きかけましょう。原発に頼らなくても、自然を生かした対案が提起されています。皆さんもいいアイデアがあれば教えてください。
(ワーカーズ・ネット 恵)
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小泉が再び靖国神社に参拝しました。今回は4月21日早朝、ときあたかも靖国神社の「春季例大祭」の始まる日でした。小泉はこの日を選ぶことで、昨年8月13日の参拝よりさらに後退しながらも、自らの言葉と行動の辻褄を合わせようとしたのでしょう。
しかし、それがいかに浅はかだったかは国内の賛成派、反対派のどちらからも顰蹙を買い、さらに韓国、中国からも厳しい批判を受けたことからも明らかです。実際、彼が自分の言葉に忠実でありたいなら8月15日に参拝すべきだったろうし、首相としての政治的判断を優先するなら参拝すべきではなかったでしょう。所詮、口先とパフォーマンスで首相になった人物としてはこんなもんでしょう。
彼がこうした姑息な行為で顰蹙を買ってまで靖国神社にこだわるのは、勿論それだけの理由があるからです。「私の参拝の目的は、明治維新以来の我が国の歴史において、心ならずも、家族を残し、国のために、命を捧げられた方々全体に対して、衷心から追悼を行なうことであります。今日の日本の平和と繁栄は、多くの戦没者の尊い犠牲の上にあると思います」等の・・・
さて、その5日後の4月26日、小泉首相靖国参拝アジア訴訟第2回口頭弁論が大阪地裁202大法廷でありました。私も原告の一員として傍聴に出かけましたが、残念ながら傍聴抽選に外れ、法廷には入れませんでした。ところがここに「靖国応援団」なるものがが登場し、国側に補助参加するというのです。教科書をめぐる攻防ではすでに草の根右翼はおなじみですが、こうした違憲訴訟に直接介入するのは始めてではないでしょうか。
応援団は遺族と元軍人6人で、大阪の3人の弁護士が代理人になっています。そしてその主張は、この裁判は訴権の濫用であり、靖国神社と英霊に対する冒涜だというものです。応援団にとっては、靖国神社を被告席に座らせるなど前代未聞の暴挙なのでしょう。「補助参加の申立書」には次のような記述もあります。
「今の平和の礎となった英霊を偲び慰霊することは日本人の民族的・道徳的責務であり、首相が靖国神社に参拝することは、将兵に出征を命じた政府の代表者としての義務だと考えている。外圧等によって首相による公式参拝が思うに任せない今の政治状況を深く憂い、これを変革していくことをもって、自らの責任だと自覚している」
この主張は小泉の言葉とぴったりと重なります。しかし、応援団の矛先は、小泉の靖国参拝は私的なものだという国側にも向けられています。「思えば、今回の靖国神社に対する訴えは、こうした当面を糊塗して切り抜ければよいという、いかにも姑息で役人的な政府の政治姿勢が招いたものではないのか。遺憾ながら、政府に対する訴えを担当する訟務検事らにおいても、靖国神社の祭祀と政教分離に対する確たる信念を持って訴訟遂行にあたるものとは期待しがたく、これに申し立て人らの思いを委ねることができないと思うに至った」
なかなか手厳しい指摘ですが、違憲訴訟における国側代理人の仕事ぶりをよく示しています。彼らは何もしないでも裁判所が勝たせてくれることをよく知っており、ほとんど黙って座っていることが仕事だと心得ているのです。応援団が訟務検事に代わって「自ら立ち上がって靖国神社と英霊に対する国民の思いを裁判所に伝え、英霊信仰にかかる文化的、歴史的、民族的実相を詳らかに」したいという思うのも、わかるような気がします。
だがしかし、「将兵に出征を命じた」のは大日本帝国であり、現憲法下の日本政府ではありません。小泉も応援団もこのことを全く理解していないのです。この2つの国家の間には大きな断絶があるはずなのですが、残念ながら実際には何の断絶もなく繋がっていて、いまだに大日本帝国憲法下に生きている人達が多くて困ります。
私たちが成すべこことは、大日本帝国の誤りを総括したうえでその責任を取ることであり、天皇や日の丸・君が代、靖国神社といった時代錯誤な大道具・小道具を捨て去ることです。今回、靖国応援団なるものの登場によって、韓国から駆けつけた原告の意見陳述が延期となってしまいました。応援団の補助参加については、法律上の利害関係がないとして原告側は異議を申し立てています。大阪地裁第3民事部は応援団の登場にうろたえ、予定された原告の意見陳述を認めないという間違った訴訟指揮を行なったわけですが、この上に補助参加を認めるような物笑いは、まさかしないと思うのですが……
(ワーカーズ・ネット 晴)
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ダンス教室に、女の子に交じってボクサーの格好をした少年が立っている、そんなポスターがこの映画を紹介していました。男の子がクラシック・バレエ? 男女の性的な固定観念は知らぬ間に、身についてしまっているようです。主人公ビリー役には2000人を超えるオーデションから、13歳の少年が選ばれました。まさに、この無名の少年が才能を磨き、白鳥になって翔んでいく…。夢に向かって努力をすれば道は開けることを、教えてくれる映画でした。
映画の背景は1980年代イギリス。サッチャー政権の下での炭坑閉鎖で、ビリーの父親と兄は連日ストライキに参加。母親は既に他界し、痴呆の祖母を世話をするのはビリーの役割。ビリーの祖母への自然な声かけは、これまで培った家族の暖かさを感じさせます。そして、父親は炭鉱労働者に未来は無いと言い切り、ビリーへのダンサー学校の資金にと、仲間から外れてスト破りを決行しようとします。
ストライキに集まった炭坑労働者の演技は、迫真極まるものでしたが、実際地元の人々のエキストラだったそうです。地元の人々の協力があってこそ、当時の生活の様子や炭坑現場の緊張感も伝わってくるのだと思います。結局、ビリーの父親は仲間に説得され、交渉の結果の和解後も炭坑で働き続けます。
ところで、「リトル・ダンサー」はメーデーの前夜祭として企画された映画会ですが、西宮地労協の下で実行委員会形式で準備が進められていました。毎年、お祭りムードで終わってしまうメーデーが多い中、前夜祭を通して当日の気運を高めようとの試みは、参加者の心にきっと響くはずです。
今回、娘2人を連れて映画会に参加しました。ビリーのダンスにかける一生懸命の姿勢は、同世代の娘たちにも共感するものがあったことでしょう。「ストライキってなに?」と聞く娘に私は、働くものが仕事を守るために力を合わせることだと伝えました。ストライキも無くなった今、言葉だけでは説得力がないかもしれませんが。
(ワーカーズ・ネット 恵)
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シャロンはイスラエルをテロ地獄に突き落とし、ブッシュもまた同じ道を歩んでいます。さらにその後を、小泉首相は歩もうとしています。2月4日、小泉は衆議院本会議で就任後初の施政方針演説を行ない、その冒頭で次のように述べています。「21世紀こそ『平和の世紀』にしたいとの願いとともに明けた昨年、米国におけるテロの発生、わが国近海における武装不審船の出没など、平和の維持、危機管理への取り組み、現実の課題として突きつけられました。わが国は、これに毅然として立ち向かう決意を、具体的な形で明確に示しました。インド洋における活動にあたっている自衛隊員をはじめ、国際社会の平和維持、国民の安全確保という尊い任務に当たっている諸君に対して、敬意と感謝の意を表明します。安定した平和を実現するためには、国際協調主義に立って、主体的に対応することが何より大切です。今後、引き続き、緊張感を持って取り組んでまいります」
これは、まだ今のように落ち目になる前の発言ですが、ここには小泉の姿勢がよく現れています。彼はここで、不審船を沈没させて乗組員を死に追いやったことを、毅然とした態度を具体的に示したと言っているのです。しかも、今後もそうするという意思を示すものであり、危機をもてあそび、危機を招き寄せかねない危険性を孕んでいます。
さらに小泉は、「平素から、日本国憲法の下、国の独立と主権、国民の安全を確保するため、必要な体制を整えておくことは、国としての責務です」と述べ、今国会での有事法制の審議入りに意欲を示していました。そこで彼は「備えあれば憂いなし」という言葉を持ち出しましたが、イスラエルや米国の現実はむしろ「備えあれば憂いあり」ではないでしょうか。私たちが目指すべきは「備えなければ憂いなし」であり、小泉が言うところの備えなど百害あって一利なしです。
最近の「読売新聞」の世論調査によると、憲法改正には58パーセントが賛成、有事法制についても48パーセントが賛成ということです。世論調査がどの程度信頼できるのか、まして9条改憲を主張する「読売新聞」が信用できるのかということもありますが、国民の意識がそういう方向性へと誘導されていることだけは明らかです。国民の諸権利を侵害する有事法制の確立には、単に議会内の多数だけでない国民的な支持が、戦争を遂行する軍隊への支持が必要なのです。
こうした操作はあらゆる分野で展開されていますが、とりわけ教育をめぐっては熾烈な攻撃が行なわれてきました。教科書から真実が隠蔽され、科学的で合理的な精神が失われようとしています。教育労働者への攻撃は、日の丸・君が代という古典的なものから「指導力不足教員」という攻撃へと進んでいます。東京都教育委員会によって始められたこの攻撃は、今全国に波及しようとしています。
争議行為を法的に禁止されている公務員には、その代償としての身分保証があります。だから、外務省の官僚のようにでたらめ放題してもほとんどクビにはならないのです。汚職等で刑事被告人となっても、有罪が確定するまでは休職どまりです。最近の例では、組織的選挙違反で高祖参議院議員が辞任に追い込まれましたが、逮捕された三嶋近畿郵政局長は一審の有罪が確定した段階で、ようやく「失職」ということになったのです。
そういうこともあって、教育労働者の選別・排除を教育委員会が望んでも、そうは簡単にできなかったのです。そこで考え出されたのが、不適格教員というレッテルを貼ることによって教育現場から排除することです。ちなみに、これまではかなり乱暴に暴力事件等をでっち上げたりしていました。最近の例では、千葉の渡壁隆志さんがこれでアッという間にクビになり、9ヶ月の独房生活を強いられ、一審では実刑判決となっています。警察―検察、裁判所までがこれに加担する図式は、日本の民主主義の底の浅さを示しています。
「建国記念の日」の2月11日、大阪で行なわれた集会で東京・多摩中学の根津公子さんが、都教委の「指導力不足教員」攻撃を告発しました。根津さんは日の丸・君が代に反対したことで排除の対象となり多摩中学に配転され、そこで待っていたのは教育委員会―校長というラインに、議会と一部の保護者を組織した包囲網でした。
そこで問題とされたのは、男女共生をテーマとした授業で従軍慰安婦や同性愛について取り上げたことです。自分で考えることを促すような授業はするな、ということでしょうか。根津さんはこの攻撃に、同僚や地域の市民の支援を受けて抵抗していますが、保護者会などでは全体の一割くらいを組織した「草の根右翼」とでもいうべき人たちがその場を掌握し、流れを支配しているということでした。
その時の状況を報告では次のように書いています。「根津さんのたった一度の発言に対しては、まるでその声を聞かせまいとするかのような酷い野次を浴びせます。まさに糾弾保護者会であって、解決のための話し合いの場ではありませんでした。しかし、そのような雰囲気の中でも学校のやり方についておかしいとする発言も何人かから出されました。また『恐ろしくて発言しようと思っても身がすくんでしまった』という声も後から寄せられています」。まるで「9・11」以降の米国の風潮を想起させるようです。
4月から学校5日制が始まりましたが、子どもが持ち帰った資料には、「新しい学校教育目標を『自ら学び・考え、他を思いやり、共に生きていく児童を育てる』とし、新教育課程で次のことに努力します」と書いてありました。これからの学校教育は、「多くの知識を教え込む教育」から「自ら学び考える力を育てる教育」に転換するというのです。それを実践している根津さんが、不適格教員として排除されようとしているのが現実なのですが。
かくして、教育の有事とでも言うべき事態が進行しつつあります。資本は一方で判断力を持った労働力を必要としつつ、他方では従順な労働力の創出を教育に要求します。そして、日の丸や君が代に象徴される国家的枠組みの教育は、子どもたちから批判的な精神を奪い、資本に従順な労働力を供給するものです。文科省が言葉としては掲げられても、決して実践できない教育目標を救い上げ、資本の利益ではない新しい社会の担い手となる子どもたちを育てたいものです。
(ワーカーズ・ネット 晴)
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兵庫県では「男女共同参画社会づくり条例」が4月1日から施行されました。全国的に見ても、3月末時点で21都道府県、34市区町村で条例が作られています。男女が対等なパートナーとして、あらゆる分野に参画する男女共同参画社会の実現と、本来のあるべき姿をうたっているに過ぎないのですが…。
女性のパート労働が、労働条件も悪く低賃金でなぜ維持され続けられているのか、ここに女性問題が凝縮していると言ってもいいでしょう。女性が家事・育児を役割分担することでパートを選ばざるを得ない現状を、雇う側としてはうまく利用し低賃金を保とうとする。一方で、女性側に労働者としての意識が薄く、組織化されてないことも現状維持の原因としてあります。
しかし、長引く不況で正社員がリストラされ、パートやアルバイトの労働条件が、更に悪化するという事態にもなっています。そんななか、1人でも加入できる兵庫県内のユニオン(労働組合)には多くの「SOS」が寄せられています。事業所が閉鎖となり、パート4人が解雇されたが、自己都合の退職届けを強要された。「正規社員」と呼ばれているが、実際は1年契約で4月から半年契約にされそう…等。
条例が出来ても、恐らく罰則規定も無いでしょう。自分を守るためには、労働基準法など基礎的な知識を身につけることです。これは、私の課題でもあります。
(ワーカーズ・ネット 恵)
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4月に入り春休みも終え、子どもたちはそれぞれ新しい学年に進みました。次女は自分で選択した福祉大学に入り、独り暮らしを始めました。何かと心配ですが、きっとこの経験が生きていくうえで貴重なものになるはずです。かつて、私が親元を離れ夜間の短大に通ったように…。環境が変わり、慣れるまで大変だと思いますが、新しい知識や人との出会いに感化されることでしょう。
ところで、私の職場では4月になって局長がわざわざ出向いてくるなど、変化がありました。私たち郵便外務の非常勤は、基本的には日々雇用で雇用契約が2ヶ月間です。これまで、管理者の対応はルーズで雇用契約期間が切れていても、書類は出さずに放置したままが何度もありました。しかし、この度、公社化1年前とあって、局長が一人ひとり名前を読み上げ書類を手渡すという、大げさなことを行なったのでした。
そして、仕事も次々と煩雑になり、書留を事前にバーコード入力をし、配達完了を記録するという作業が必要になってきました。民間では既に行なわれており、まるで後追いをしながら、必死でぶら下がろうとしているようなものです。「お客様第一」の目標は、度が過ぎるとお客様の我がままをも聞かざるを得なくなってきています。
個人の登録番号を作り、何かミスが起これば即、対応出来るシステム、結局は現場で働く者に責任を負わせることが目的なのでしょう。こんな環境では、自分のことで必死で他の同僚への気配りも出来なくなりつつある…というのが本音かもしれません。これでは、働くもの同士の連帯なんて、遠のくばかりです。
ということで、我が家と職場の近況報告となりました。我が家は4人家族となり、世間でいう平均的なものになりましたが、少し物足りなさを感じています。ところで、初孫の“もえちゃん”はすくすく育ち、今、オイルマッサージでごきげんです。産後も引き続き、助産院でのサポートを、母子でお世話になっています。気軽に聞ける育児相談、親子交流と有意義な場として、提供してもらっています。地域のあちこちで、こんな集いの場があればいいですね。
(ワーカーズ・ネット 恵)
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3月27日午後、雨のなか東京地裁へ。
1978年末、全逓は反マル生越年闘争闘争を闘いぬきましたが、その報復として東京の若い組合員が多数職場から排除されました。懲戒免職61人を含む8183人の大量処分が強行されたのが79年4月28日、私にとって「4・28」は忘れえぬ日となりました。
これを機に全逓本部は郵政省への屈服を深めることとなったのだから、全逓労働者にとってもこの日は大きな意味を持っています。4・28反処分闘争は、当初こそ全逓の闘いとして取り組まれていましたが、御用組合と成り果てた全逓は免職者を切り捨ててしまいました。今、国労が闘う闘争団を排除しようとしているのを見ると、国労おまえもかという思いに駆られます。
東京地裁は始めてでしたが、さすがは東京、大阪の裁判所とは大違いで、多数の警備員がウロウロしているし、荷物検査までされました。オウムなどの裁判があって警備が厳しくなったということですが、とても気楽に出入りする雰囲気ではありません。そんな驚きもしつつ、16時50分開廷というとんでもない設定の4・28判決を傍聴しました。
ところが、東京郵政局からの傍聴もあり、傍聴者が座りきれません。結局立ち見が認められ、開廷時にはテレビカメラが入り、裁判長は判決読み上げ前に16年もの長期裁判となったことを裁判所としても反省していると述べるなど、気持ち悪いくらい柔軟でした。しかし、判決は最悪、現場の若い労働者の狙い撃ちの首切りを問題はないと認めてしまっています。
処分をするためには「現認」の必要があるのですが、当局は狙いを定めた労働者を集中的に現認するのです。だから、同じように争議に参加していても、現認されない労働者には処分がないのです。こうした恣意的な処分であっても、裁量権逸脱も懲戒権の濫用もないと、山口幸雄裁判長は言いきっています。
この日、仙台高裁秋田支部でも判決の言い渡しがあり、こちらでは分限免職された秋田・大曲郵便局の須藤伸さんが勝利判決を勝ち取っています。須藤さんは1審でも勝訴しており、今回の高裁判決を受けて、いよいよ職場復帰が確実なものになろうとしています。そこには新たな困難が待ち構えていますが、その壁を破って前進することを期待しています。
このように同じ日に、首都と秋田で全く反対の判決がありました。それは地域的な違いもあっただろうと思いますが、たった一人の反乱と、権利の全逓とまで言われた組合のその後の運命を決めた大量処分との違いが、そのまま判決に反映したように感じます。首都・東京の裁判官は国策遂行に敏感だし、郵政の労務政策の根幹を崩すような判決は書かないのでしょう。
現認は今でもあらゆる職場で行なわれており、それは現場管理者の重要な仕事です。かく言う私も月に2回、集配課長から「○時○分、○○君、業務命令です、名札を着けなさい。着けないと問責の対象になります。すぐ着けなさい」と、やられています。この時、課長は必ず管理者を一人横に立たせます。これはいざというとき、証人とするためです。この2回の現認の後、局長(の代理の総務課長)はめでたく私に訓告を発令するのです。それは実に愚かしい光景であり、情けない仕事(それが嫌なら管理者は務まりません)でもあります。
(ワーカーズ・ネット 晴)
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少し前に「よみがえれカレーズ」を、そして今日「人らしく生きよう・国労冬物語」を観ました。どちらもドキュメントで、政治的・社会的な焦点となっている課題に肉薄するものです。こうした映像は何よりも事実のもつ重みが訴えかける力となり、しばしば運動のなかから素晴らしい映像が結晶となって生まれます。普通の映画はほとんど観ませんが、こうしたドキュメントは機会を逃さず観るようにしています。そこで、怠惰な私はいつも叱咤激励され、明日からもっと頑張ろうという気持ちになるのです。
土本典昭という映画監督の名は、「水俣」に幾らかかかわったことのある私には親しみのある名です。一般にドキュメントを撮るためには、対象にいかに肉薄するかが問われます。土本監督が水俣病患者を撮り続けた姿勢こそ、記録映画作家にふさわしいものだと思います。その土本さんが「よみがえれカレーズ」の上映にあたり、次のように述べています。
「いま私のできるアメリカの報復戦争に対する抗議運動は、1989年にアフガニスタンの国内の人々の生活を記録した『よみがえれカレーズ』をみていただくことです。これは内戦に疲れた民衆の生活を描き、平和な暮らしを求める国民和解の声をカブール、ヘラートなどアフガン各地で撮った作品です。この映画は11年前の製作ですが、日々刺激的なニュースの奔流の下にあっていまこそ知ってほしいアフガニスタンの人々の現実をよみとって、この時代の課題にむきあっていただけたらと思います」(2001年10月8日 アフガン空爆の日に)
さて、映画のなかのアフガンはまだ農業が健在で、カレーズ(地下水)も十分に流れていました。共同体の機能もしっかりしていて、農作業には武器を携えた兵士が警戒にあたっていました。内戦の影があるとはいえ、この武装組織の存在は日本の幕藩体制のそれを想起させます。とはいえ、ソ連軍が撤退し、内戦に疲弊する前のアフガンは少しだけど希望がありそうでした。その後のこの国の苦難に、無関心でいた私たちにも幾ばくかの責任はあるのだろうと思わずにはいられません。
ビデオプレス制作の「人らしく生きよう」は、人らしく生きるためにどれほど苦難の道を歩かなければならないかを、余すことなく映し出しています。前半の分割・民営化前後までの映像は懐かしいものでした。総評がまだ健在で、職場には労働組合が存在していた時代です。それは、本当にいい時代でした。それがもろくも崩れ去ったのは、中曽根を尖兵とした総資本の攻撃によるものですが、一方で総評の弱さの結果でもありました。
そうしたもの全てを背負わされながら、国労闘争団は人らしく生きようとしてきたのだと思います。「仲間を裏切れない」という言葉のなかに、彼らとその家族の生きざまが示されています。それにしても、同じ長い時間を、私は平穏にというか、ふやけた日常を重ねてきてしまいました。郵政においても、いつか「人材活用センター」が登場するかもしれません。そのとき、私も仲間を裏切らずにおれるだろうか。
そういえば、朝の点呼で「ハイ」と返事させる場面があり、「居ます」とか答えて抵抗していました。それを現任されて昇給1号俸カットというところは、今の郵便局と同じで、私の場合は名札ですが、やっぱり1号俸カットです。しかし、ボーナス5パーセントカットというのは、郵便局ではまだです。いずれ時間の問題だと思いますが、そんなものに負けたくありません。
人は逆境に置かれるほど、その真価を問われるものです。そして、その真価を発揮するのは案外普通の人々ではないでしょうか。当たり前の人間の、当たり前の行動こそが、明日を切り開くのだと思うのです。
(ワーカーズ・ネット 晴)
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西垣敬子さんについては、今や「時の人」として以前にもワーカーズで紹介しました。今回は私たちが主催している「現代を問う会」に講師として来ていただき、再度その活動の意義を認識させられました。「宝塚アフガニスタン友好協会」代表の肩書きを武器に、現地への支援を訴えられる西垣さんは、力強さと大らかさを持ち合わせた女性でした。
近畿はもちろん遠くは九州と、ハードスケジュールをこなされる西垣さんには、100人を超える結集は珍らしくありません。今回は予想を下回り、30人にも達しませんでしたが、現地の子どもたちの写真入りの絵葉書40セットは完売しました。
ところで、新しい情報として注目すべきことは、首都カブールでは物価が急上昇していることです。9月11日以降、カブールには世界各地のジャーナリストが殺到し、ホテル代・飛行機料金をつり上げてしまいました。西垣さんは現地入りする時、カブールまで国連機を使います。その価格がこれまで150ドルで利用出来ていたのが、2001年5月は260ドル、さらにテロ以降は2500ドルにも達したといいます。
日本を含めた世界のジャーナリストは、現地に物価上昇という後遺症を残して去っていきます。現地で生活する人々、支援に駆けつける理解ある人の活動を妨げるのは、言うまでもありません。日本のあるマスコミは、1日200ドルも払って、パキスタン人のコーディネーターを雇うという罪なことをしました。そして取材するのは、比較的安全なカブールばかり。偏った情報しか入手出来ないのは分かりきったことなのです。
「政治的なことには触れません」という断わりをされながら、現地のスライドの1枚1枚の説明に、さりげなく先進国の経済批判をされる西垣さん。そして復興資金の使途には、私たちの関心が最も必要であることを熱っぽく訴えられる鋭い視点。元気の源はなに? という質問に、「極楽とんぼ」という率直な返答に思わず笑いもでました。協会の援助で設置した井戸に現地の人が名付けた「敬子ポンプ」には、「ムネオハウス」との関連で少し照れながらの紹介でした。この機会にひとりでも多くの人にアフガニスタンのことを知ってほしい、西垣さんの活躍はまだまだ続きそうです。
(ワーカーズ・ネット 恵)
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3月6日、ぶり返した寒さとにわか雨にくじけそうになりながら、連合兵庫の春闘決起集会に出かけてきました。10年も20年も前であれば、職場で何らかの取り組みがあり、それを背景に労働者が結集してくるという熱気もありましたが、今はただ動員で足を運ぶだけのようです。
会場の入口で女性が何か配布していたので、もらってみると、綿棒と油取り紙がセットになったものでした。表に「男女共同参画社会をめざして」とあり、連合兵庫の女性委員会の取り組みでした。これもいまどきの宣伝形態なのだと思いますが、ビラ配布に比べたら相当割高だと思います。それでも、読まずに捨てられるより、持って帰ってもらって家族の目に触れれば、という読みもあるのかもしれませんが。
ついでにその内容も紹介すると、今年4月1日からの育児・介護休業法改正の紹介で、女性委員会は「仕事と家庭の両立支援策の充実を!」と訴えています。実は私はそんなこと知らなかったのですが、育児・家族介護を行なう労働者にはあれこれ配慮するということのようです。
時間外労働については、1ヶ月24時間、1年150時間越えでは「免除を請求できます」。しかしこれを逆に見ると、月24時間までなら断れないということか。定時で帰れるというならまだしも、この程度の規制ではないよりましくらいではないでしょうか。「転勤に際して育児・介護の状況に配慮される」というのもありますが、転勤の対象からはずすというくらいでないと、働きつづけるのは困難です。
次に、集会のなかで言っていたことですが、パート労働者の賃金要求として時給10円アップを要求しています。これが実現したとして、例えば5時間労働で20日働いて、やっと月1000円です。こんなことでパートの賃金が正規労働者に追いつくわけありません。もっとも、連合は雇用形態に関係なく同じ仕事なら同じ賃金とは始めから考えていないのです。
そんなことをあれこれ考えたのですが、いずれにしろ闘わないで何かを得ようと望んでもダメです。労働者を集めての決起集会なのに、要求は政府に向けらけるものばかりで、資本に突きつけるものはほとんどありません。まさに、いまどきの春闘を象徴するような集会でした。
職場に帰れば、郵便局も首切り以外は何でもありになりつつあります。問題はそれ以上に非常勤労働者の使い捨て状態です。日々雇用、雇い止めで首切り放題、これで国営事業だというのだからお笑いです。しかも、近畿郵政局の郵メイト募集の案内には「あなたに合った職場を紹介します」と期待を持たせ、ホームページのアドレスには(omoshirosou)なんて入れているのです。何て悪趣味なんでしょう。
今はまた、「大福帳」なるものが、職場を混乱させています。誰が考えたのか知りませんが、電話帳か何かから事業所や自営業の名簿を作成し、職員に戸別訪問させているのです。顧客名簿を作るのが目的らしいのですが、例によって無駄なお役所仕事に終わるのは目に見えています。
春も近く、春闘の時期だというのに、出てくるのは愚痴ばかり。決起集会も寒さが身にしみるだけで、まともな闘いの提起もありませんでした。そんななかでも、歯をギリギリ噛みしめて、踏ん張り続けることくらいはできそうです。
(ワーカーズ・ネット晴)
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今春、次女は高校を卒業しました。思い返せば6年前、長女が同じ高校を卒業したのでした。震災後1年で、式場となった体育館は窓ガラスが無く、寒さに震えたのを覚えています。そして、型通りの式が、学校側主導で終えていったのを。
今回、次女の場合も壇上には「日の丸」と「校旗」が張り付けられ、嫌が応でも目に入ってくる状態でした。壇上に向かって席が配置され、「起立」「礼」の号令の下に行動を統一する。これが強制でなくてなんでしょうか。もちろん、私は「君が代」斉唱は着席したままで抵抗したのは言うまでもありませんが…。
まるで、流れ作業の様に卒業証書が手渡され、受け取る生徒個人の主張は無く、なんとも味気ないものでした。一体、誰の卒業式なんだろうと、何度も頭をかすめました。ところが、式の終わりを告げようとしたその時、一生徒が「待った!」をかけたのです。
自治会=生徒会の会長を経験した彼は、後輩に学校を変えていくことの必要性と可能性を訴えたのです。小数の意見ではなく、より多くの意見を集め、一致団結することこそが変革への第一歩だと。そして教師に対しては、生徒の要求を、従来の門前払いではなくて、必ず聞いてやってほしいと注文を付けました。
彼の堂々とした態度に、生徒からはもちろん、保護者席からも拍手が起こりました。私は、これこそが卒業していく者の生の声だと実感しました。きっと、随分前から彼の頭の中では、計画され練り尽くしたものだろうと思うと、胸が熱くなってきました。
後で、娘と彼のとった行動のことで話をしましたが、自分自身も感動した、と彼を理解したものでした。自治会の活動を活発にするほど、教師とぶつかることがあり、特に教頭は聞く耳持たない人物だったということでした。学校を良くしようという彼の行為は、裏切られてきたと言うわけです。
来年は三女の中学、再来年は四女の小学と卒業式は続きますが、子どもたちが成長の過程で巣立っていく節目として、温かく見守ってやりたいと思っています。なぜ、「日の丸」「君が代」が巣立ちの場に必要なのか、私はこれからも問いかけていかなくてはならないでしょう。 (ワーカーズ・ネット 恵)
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前号に続き郵便局ネタで申し訳ありませんが、いま、職場では「あと1年で…」という言葉が闊歩しています。勿論それは、郵政公社へとうまく着地しなければという意味です。その着地点がどこかがそれぞれの立場によって違うことは、前号で指摘した通りです。
そこで課長が言うには、「この1年で5年分の仕事をしてもらわないと困る」そうだ。寝言は寝てから言ってほしいのですが、これが結構本気で言っているようなので、こっちが困ってしまいます。彼らの指示、「業務命令」は職場では絶対的なものであり、これに逆らえば問責の対象になるのだから、笑ってもおれません。
ちなみにこの業命というやつは、違法な命令以外は従う義務があり、しかも大幅な裁量があるので始末が悪いのです。そして、違法な命令が裁量を超えたときだけ、従わない自由が与えられているのです。このあやふやな境界を争うには、人事院の公平審や裁判を提起しなければなりせん。本来なら組合がその役割を果たすものですが、御用化してしまった全逓には望むべくもありません。
つまり、今の郵便局の状況は、ブレーキのきかない車のようで、当局サイドで何でもありなのです。局長はハダカの王さまで、課長はひたすらその顔色をうかがい、その下の職制は心身をすり減らしています。私のように居直ってしまったヒラが一番自由で、気楽に仕事をしています。ずいぶん以前には、局長に逆らった課長はあっという間に辞めてしまった(辞めさせられてしまった)ことがあったし、つい先日には総務主任がヒラに降格しました。
そんな職場だから、世間の常識に外れることがいくらも転がっています。最近も新聞でそういうことが取り上げられ、世間のひんしゅくを買ったところです。ひとつは、「暴力団の郵便物特別扱い」というものです。もうひとつは、米国産の牛肉を国産と偽った商品がゆうパックで販売されていたという報道です。
暴力団宛のはがきを特別扱いするというのは、私の職場でもあります。私の職場ではそれを、実直小心を絵に描いたような上席課長代理が転送用の透明の封筒に入れて持ってくるのです。察するに、7桁区分機にかけて折れたり汚れたりしたら大変だから、そんなことをしているんだと思っていました。そういう特別扱いはおかしいので、わざわざそのビニール封筒から出して配達していました。
これをよく考えると、当局さえ7桁区分機を信頼していないことは明らかです。実際、ベルトにはさまれたりして破損する郵便が一定の割合で出るのだから、それを避けたいならすべての郵便を手区分にすればよいにです。ところが当局の発想は、文句の出るところ、うるさい利用者には細心の注意を払い、ひたすらトラブルを避けようというものです。彼らには、同じ料金を払っている利用者を差別扱いすることのへの疑問も、利用者の信頼を失うことへの危惧も何もないのです。
牛肉の偽装問題は、まさに「ゆうパックよ、お前もか」と言うほかありません。郵便局は取り扱っただけではすまないし、事業の信頼すら失う事態です。しかし職場では、いまだとホワイトデーのゆうパック販売の尻たたきが行われています。その取り扱い商品の中身や値段など、まったく問題にならないのです。問われるのは、いくつ売ったか、目標数を達成したかだけです。
私はそういうことも含め、課長に対してゆうパックの営業はしないと明言しています。これもいずれは業命拒否で問責の対象となるのでしょうが、今はそれでも何とかなっています。しかし、これは単に個人的な問題ではなく、郵便局の小包はどうあるべきかという問題です。
だからこの1年は、郵政官僚や族議員、特定局長や組合幹部連中が言うのとは違った意味で、私たちにとっても重要です。ヤマトが7桁郵便番号を利用するということですが、通常郵便をどうするのかも考えなければならない問題です。さしあたって私はと言えば、1年で5年分も働くのも、事業の犠牲になるのも真っ平です。公社になろうが民営化されようが、労働者として働き続けるだけです。
(ワーカズ・ネット 晴)
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今年4月から、毎週土曜日が休みになるとあって、子ども達は喜んでいます。親としては少々不安な所もありますが、ゆとりある時間になればと願っているのですが…。はたして完全学校週5日制でどう変わるのか、学校では説明会を開いて資料を配布するなど、親への理解に務めています。
兵庫県教育委員会の資料では、これからの学校教育の目指す方向として「自ら学び自ら考える力を育てる教育」を掲げています。具体的には「体験的な学習や問題解決的な学習を重視し、積極的に授業に取り入れ、学ぶ意欲や学び方、知的好奇心・探究心を身につけるようにします」と立派なものです。
つまり、従来の教科ごとの授業から、総合的な学習時間が新しく設けられるというわけです。教科書を使わずに地域に出かけていったり、ボランティア活動などがあげられますが、教師の創造力・指導力が問われてくることでしょう。そして何よりも社会的な関心を備えた教師が必要になってきます。
例えば長女の出産を経て、赤ちゃんのおしめのことで考えさせられることがあります。最近、使い捨ての紙おしめを常時利用する母親が増えていますが、それがどれほどのゴミを出し環境を破壊するか。紙おしめは処分する時に大量の油を使い、空気を汚します。当然、地球の温暖化を進めることになります。
総合的な学習では、ぜひ、生きていくための知恵を身に付けさせてほしいと要望したい気持ちです。使い捨てが結局は、未来の社会を制限してしまうことになることを。本当の意味での学習の楽しさは、自分がやりたいことを見つける作業につながってくるはずです。
ところで土曜日の過ごし方は、家庭や地域の人々に期待するという県の姿勢ですが、塾通いになりはしないかと心配です。なぜなら、現行の受験体制そのままでは、総合学習の意義は評価されないことになると思うからです。また、働く親にとって家庭に責任を押しつけられることに、反発も感じます。子どもの居場所の充実以前に、まずは居場所の確保を公共機関で提供すべきではないでしょうか。
色々と注文を出しましたが、しばらくは子どもの様子を見守っていきましょう。
(ワーカーズ・ネット 恵)
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今どきの春闘はどうなっているのだろうか。賃上げの闘いが維持できなくなって久しくなりますが、今年はとうとう「総合的労働条件改善闘争」という名前に変わりました。もはや賃上げは望むべくもなく、時短もだめ、他の目に見える成果も取れそうもない。そこで、「総合的ー」という名の冠して、何かを取り組んでいるように見せかけようというのでしょうか。
それにしても、事ここに及んでも「−闘争」という言葉を下ろさない、下ろせないところに労働組合の悲哀を感じるのは私だけでしょうか。今期春闘方針を確立するための全逓中央委員会議案は、組合員に次のような呼びかけを行っています。「2002春季生活闘争をとりくむにあたって、『変化からの創造』を本中央委員会に持ち寄るよう、全職場での体制づくりと活発な討議を要請します」
来年には事業庁から公社へ、さらにその先には民営化というゴールがちらつくなかで、郵政部内の責任組合がどのような方針を提起しているのか紹介しましょう。『変化』というのは、説明するまでもなく事業を取り巻く厳しい情勢によって強制されているものです。そして『創造』とは、その変化にうまく対応しようということのようです。もちろんその対応というのは、何がしかの利益を守るために行われるのですが、問題はそれが誰の利益かということです。
全逓本部が掲げる大前提は「民営化阻止」であり、そのために郵便事業の「単年度黒字基調」へ転換させることが絶対条件だと言います。そこから、「公社移行時の負担増も視野に入れ、収益に見合った高コスト構造の改革が強く求められています」という認識に至り、さらに「トータル減員数については受けて立つことを確認」(全中央委)するのは一直線です。そして今は、「『新集配システムに試行』は郵便事業の将来を左右する施策でもあり、地方・支部の連携の上に準備を進め」ようと提案しています。
ところで、この「新集配システム」とは何でしょう。簡単に説明すると、受箱配達は非常勤者で、対面配達は本務者でというものです。その鼻持ちならない本工主義もさることながら、低賃金労働者の犠牲の上に全逓の延命(といってもそれは組合員のためではありません)をはかろうというさもしい根性には、あきれ果てて言葉もありません。全逓本部は経営者的コスト感覚から、本務者は年間840万円の人件費が必要だが、非常勤だと270万円で済む。本務者を1人減らして非常勤者を2人入れてもおつりが来ると計算するのです。
彼らには、現在の郵政事業の何を捨て何を残さなければならないのか、根本的な反省は何もないのです。ただ、今の枠組み、政・官・業の癒着に組合も咬んでの郵政一家の権益を、どのように守ろうかという思惑しかないのです。だから彼らの闘いは、資本としての郵政事業庁ではなく、事業危機を理解しない組合員に向けられているのです。このような組合は御用組合と呼ばれるのですが、全逓は責任組合と自称しています。民主党が責任政党とか言っていると思いますが、それは現実への追随を意味しているようです。私には、責任を取るというのは現実を告発することのなかにあるように思えるのですが。
こうしたなかで、職場で進行しているのは営業しないと職場に残れないという攻撃です。そもそも、国営事業で営業が必要なのか、バレンタインデーゆうパックやホワイトデーゆうパックを押し売りすることが許されるのか。そうした疑問を置き去りにして、結局は自分宛にバレンタインチョコを贈る郵便労働者が多いのです。小包はいくら売っても、ポスタルサービスセンターという天下り組織の利益になるだけで、郵便の赤字を増やす結果になります。それでも目標の売り上げ達成が、まるで大本営の命令のように職場に響き渡っているのです。
私の職場で年賀繁忙に入った昨年末から出勤してこなくなった労働者がいましたが、2月に入ってそのまま退職してしまいました。まだ40代くらいの彼は、昨年10月の人事交流という名の強制配転で飛ばされてきたのです。辞めてしまった理由はわからないのですが、少なくとも元の職場だったら働き続けられたと思います。口さがなやつは「前の局はよっぽど楽やったんや」と言い、荒廃した郵便局のの荒廃した意識をさらけ出しています。(ワーカーズ・ネット晴)
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2月5日の早朝、長女に女の赤ちゃんが生まれました。予定日より1週間ほど早く、安産でした。初めての出産なので、きっと不安と緊張で時間もかかるだろうと心配していました。予想は外れ、助産婦さんとの日頃の信頼関係が、不安を取り除いてくれたようです。そして何よりも幸運なことは、助産院での日常と変わらない畳の部屋でのお産を、夫婦で迎えることが出来たことです。
久しぶりに、本棚に目をやり、偶然見つけた福井県での助産院の出産ビデオを、私は家事を後回しにして見入っていました。新しい家族が生まれる瞬間を、家族で迎える温かいシーンに感動しながら…。私は急いで出産間近の長女に手渡し、なんとか出産の前日には、このビデオを見たようです。
西宮市でたった1つしかない助産院ですが、経営は困難な様です。病院有利な医療体制、そして病院依存の患者が、その体制を支えているのです。妊婦自身が出産に何を望み、何を得ようとしているのか、病院ではあまり関係の無いことなのでしょう。助産院では妊婦との対話を重視し、健康管理の大切さを教えられます。しかし、気になることは最近では健康な妊婦が減ってきていることです。健康であることは自然出産には欠かせない条件なのに。
食生活の乱れ(栄養バランスの片寄り、個食など)は、家族の関係が大きく影響しているといえます。精神的な安定、心のゆとりを家庭にだけ求めるのは間違いかもしれませんが、改善されるいくつかの方法があると思います。助け合う、支え合うことの最も身近な関係として、家族が存在するのかもしれません。
そんなわけで、私はこれからしばらく長女の家に産後のお手伝いに行きます。我が家では3人の娘がにぎやかに暮らしており、長女の産褥のための一室を確保できません。野菜や海草類、小魚など母乳を出やすくするための献立を考えている毎日です。母子とも健康に過ごしてくれることが何よりです。明日もかわいい孫の顔を見に行きましょう。
(ワーカーズ・ネット 恵)
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罪深い肉食が世相を荒廃させているのか、荒廃した世相がかくも愚かな牛肉騒動をもたらしているのか、錯綜する利害から愚かな人間模様がこぼれ落ちてきました。それにしても、何で我が町がこんな不祥事の舞台になるのか、実に情けない気分です。
私の子どもの頃は、貧乏なこともあって牛肉を食べることはまれでしたが、誰もがそんなに肉を食べていたわけでもなかったと思います。それが、昨年の狂牛病騒動までの肉食過多になってしまったのは、やはり日本が豊かになったからでしょう。
しかし、日本に狂牛病が上陸したのは、まさにそうした豊かさのゆえです。この豊かさが実に食わせものなのは、肉食過多による健康障害が増加していることでも明らかです。この歪んだ豊かさは、何を犠牲に実現されたのだろうか。
アフガンの現状を見るまでもなく、この世界は飢えに苦しんでいる人々があふれています。飢えと飽食は隣り合わせにあり、飽食の社会を支えているのは飢えた社会の存在だとも言えるでしょう。
肉は穀物と比べてより多くのエネルギーを消費します。それは、穀物を食べることと、穀物を食べさせた牛を食べることを比較すれば明らかなことです。それでも人が肉食へと向かうのは、豊かさを実感したいからなのかもしれません。
年明け早々の雪印の牛肉偽装事件はこうした食肉にまつわるあれこれとともに、哀しい人間模様を見せつけられているようです。牛肉の詰め替え作業をした8人の労働者達は何を考えていたのだろうか、この不正を知る立場にあった人たちはどう思っていたのだろうか、それもこれも勤め人の悲哀につきるのだろうか。
しかし雪印は、目先のわずかな利益のために、食品産業としての命運は尽きました。ここで問題なのは、この不正を止めることができなかったのかということです。もちろんこれは、企業のモラルに期待するものではありません。まず、そこで働く労働者にこそ問いたいのです。
公共事業浸けの日本は、業者のもたれあいと行政組織による容認によって、強固な談合社会になってしまっています。これを破壊するには、談合をできないような入札制度を導入する、内部告発を奨励する、談合を行なった業者には立ち直れないほどの制裁を科す、といった一連の対処が必要です。
ところが現実は全く逆で、談合することを奨励するような入札が行なわれ、談合が発覚しても何の痛手もないような制裁しかないし、談合をしない業者は排除されてしまいます。そして、最も問題なのは内部告発が困難なこと、労働者は失業を覚悟しないとそんなことはできません。
談合に限らず、企業によるあらゆる不正を事前にくい止めることは、社会に大きな利益をもたらします。狂牛病にしても、事前にくい止めていたら、国が国産牛肉の買い取りや焼却処分をするといった愚かな施策は必要なかったのです。
内部告発こそが、こうした無責任な行政行為や企業の不正利得を白日の下に暴き出すのです。だから、内部告発は社会の富を防衛するものであり、その行為は賞賛に値します。こうした視点から、内部告発者がいかなる不利益も受けないような制度の確立が求められています。
ところで、「西宮冷蔵」の社長は被害者なのか加害者なのか。被害者を装っているようですが、少なくとも不正の片棒を担いだことは事実です。彼が不正に加担しなかったら、雪印の救い主になれたかもしれないのに、つまらない打算から共犯者になってしまったのです。
埋め立て地の西宮浜にあるこの会社は、以前は西宮市内のもっと交通の便のよいところにありましたが、移転するためにその土地を西宮市に高値で買い上げてもらったのです。その土地では今、西宮社会保険事務所の新築工事が行なわれています。問題なのはこの一連の土地移転の過程で、西宮市が30億円もの損失を出していることです。
実にあれもこれも全て、企業は利益のために悪を働き、行政は責任逃れのために情報隠しや税金の垂れ流しなど何でもやる、ということの証明のようなものです。仕事を通じて知り得た不正を、みんなしゃべってしまったらきっと気分がすっきりするでしょうに。
(ワーカーズネット 晴)
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水道の蛇口をひねれば自然に水が出てくる、そんな環境で暮らしている私たち。7年前の大震災の時は、さすがに不便だと感じました。しかし、夕方には給水車が来てくれ、並べば水が手に入りました。空爆以後、山に雪が積もらないことも重なって、アフガンでは更に深刻な水不足や食料難が続いています。
毎朝、顔を洗うことさえ出来ずに、顔や手足に土をこびりつかせている子ども達。しかし、明るい表情に何か救われた気持ちになります。宝塚・アフガニスタン友好協会の西垣敬子さんは、8年前から単身で現地に渡り、子どもや女性の写真をとり続けられています。その写真のスライド上映会で、私は子ども達の素顔に出会いました。
水道も電気も無い生活は、私たちからすれば考えられないことですが、近代化にどっぷりと漬かってしまった生活を反省すべき点はあると思います。文化の違い、生活スタイルの違いは、比較すべきものではないのかもしれません。現地入りする時、いつも念頭にあるのはイスラムの慣習を尊重し、そこでの生活に自身を合わせることだと言います。
なぜ、アメリカが空爆をするのか、それさえも知らされずに死んでいくアフガンの人々。既に、20年以上を戦場として攻撃され、両親を失い孤児となった子どもたち。世界で一番貧しい国・アフガニスタンへ、今や世界復興会議で政府レベルの支援が予定されています。しかし、西垣さんの様な「草の根」の支援は、現地の生の声を汲み上げる大切な活動として、今後も継続が必要であることに間違いありません。
テロ事件以降、時の人として西垣さんは全国各地からの講演依頼が殺到し、多忙な日々です。以前は、写真展もたった一人で寂しく、訪れる人を待ち続けられたということです。この言葉は、私に今だけの関心で終わらせることなく、何らかの支援を続けることの大切さを気づかせてくれました。
一人の女性の立ち上がりで、アフガニスタンを孤立させずに、情報の提供を可能にしてくれました。支援はただ資金を送るだけでは不十分で、現地に足を運び現地で自身が物資を調達すること、これが確実に資金を活かせる、そして現地の人々との信頼関係を作っていく、西垣さんの熱い訴えに私は何度も唸づいていました。私たちの3月の催しを期待しながら…。
(ワーカーズ・ネット 恵)
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2002年元旦、朝6時半に起き、お雑煮を食べて出勤する。そして、8時半には年賀状の配達を始めていた。さすがに正月とあって、この時間まで通行人を見かけるのはまれだった。目立つのは赤い自転車とバイク、宅急便の集配車といった同業者ばかり。
正月くらいゆっくり休めばいいのにと思うが、最近はコンビニやファミリーレストラン、スーパーマーケットも休まない。いったいどうなっているのか。他店が開いているから休めないということのようだが、それで割りを食うのは労働者。
それはそうと、この日あちこちで日の丸を見かけた。午後、食堂で行なわれた「元旦配達完了式」でも、でかい日の丸を見せつけられうんざり。490万通弱の年賀の配達を無事終えたと言っていたが、そのおかげで私の肩は少しおかしくなってしまっている。年賀をこすりすぎたのだ。
昨年までは「元旦出発式」というのがあって、近畿郵政局からの挨拶もあったが、配達を優先するために今年から止めるという。それは当然だろう。さあこれから年賀の配達だというときに、来賓挨拶だとか何とかで延々と時間を潰していたのだから。しかし、そのかわりに今年から配達完了式というのだから、そのお役所根性にはあきれる。
さて、この日は久々に残業もなく帰宅となった。それで気づいたのだが、日没が遅くなっている。冬至から1週間も過ぎたのだから、当然だろう。毎日残業で夜の8時9時にならないと帰宅できない労働者は、そんな季節の変化も感じることが出来ないのだろうか。
私は郵便屋だから年末始は忙しくて当たり前だが、せめて世間はもっと正月らしくゆっくりしたらいいのにと思う。年賀という制度は好きではないが、その配達を喜んでくれる人がいることは、郵便屋として素直にうれしい。そういう意味では、まだしばらくは肩が痛くなるほど年賀をこすらなければならないのだろう。
昔の元旦風景はもっと静かで、開いている店なんかほとんどなかった。そんな静かな風景のなかで、ひたすら年賀を配達するのは気分のいいものだった。今はメリハリがなくなって、年中無休24時間営業なんていうのも珍しくなくない。せめて正月くらいは正月らしくありたいものだ。
(ワーカーズネット 晴)
大阪池田市の児童殺傷事件以来、小学校では当番制で、親の校内パトロールが行なわれています。本日、私も同じクラスのお母さんと一緒に、校内と周辺道路を1時間ぐらいかけて点検しました。不審者の進入を防ぐ以前に、何か出来ることがあるのでは…。そんなことを思いながらパトロールをしていると、校内では案外死角になる場所が多く、子ども自身が1人で行動しないよう、自覚させる必要を感じました。
子どもが忘れ物をしたり、届けものをしたい時、校門が閉鎖されていて困ったという、お母さんの話を聞きました。親さえも自由に出入り出来ない学校って何だろう。約束事では、通常4ヶ所ある門の内1ヶ所だけ開放するということですが、周知出来てないのなら事実上は全面閉鎖と同じことです。
4月から、完全週休2日制になるのなら、なおさら学校開放に積極的な方向で検討されるべきです。学習指導要領改訂による教育課程説明会は、いち早く日程に組み込まれていますが、子ども達の休みの居場所の保障など、後回しが実態です。現在西宮市では、学童保育所が第2・4土曜日を12時開所にしていることからも、今後の市の対応は予測がつきます。
ここ数年、少子化が問題にされ、育児手当・乳児医療費の無料などサービスを掲げても、出生率は低下するばかりです。子どもを産み育てることが、喜びよりも負担になってしまう社会。昔なら、貧乏人の子沢山だったのに、生活水準が上がると、逆転してしまうのでしょうか。産む・産まないを選択出来る社会、これは一歩前進と評価できるのでしょうか。
休み時間、長縄跳びで遊ぶ子ども達は楽しそうでした。私達のパトロールは、子どもにとってはちょっとした刺激になるのか、合わす顔に張り切った様子が伺えました。教師にも何らかの影響はあるはずです。そして、私たち母親は、日頃の子ども同士の情報を交換し、少しの時間を有効に使えました。今回は学校見学の感想でした。
(ワーカーズ・ネット 恵)
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新しい年を迎えました。今年も「色鉛筆」で、皆さんにお付き合いしていただくことになります。よろしくお願いします。ところで、昨年はコンピューター誤作動の備えに、色々と買い込んだことを思い出します。我が家では今も、卓上コンロの燃料が食器棚の上で眠っています。
新年にぴったりの明るいニュースです。今年の春、知り合いが事業を立ち上げます。30年近く、知的障害の施設に勤めた経験を生かし、地域でハンディのある人の一時預かり、ショートスティ等を始める計画です。待望の夢が実現できるとあって、元気いっぱいの彼女です。
2ヶ月程前に、ろう者の女優、忍足亜希子さん主役の映画を見る機会がありました。彼女については以前、テレビでも紹介され、注目すべき「個性」を備えた女優という印象を持ちました。主な登場人物は、京都を舞台にカメラマンの主人公と、彼女を支え写真店を経営する義妹、そして主人公の一人息子。義妹役の藤田朋子さんは、手話が自然な流れで会話に溶け込み、日頃からの彼女の姿勢が見えてきそうです。
ハンディを背負い社会で生きるためには、回りの人がどれだけ理解し、支えてくれるかで大きく左右されます。映画では手話サークルの人達が紹介され、手話劇などを通してろう者と聴者との交流が生まれていることを教えてくれます。そういえば、随分前に私も手話を少し習ったのですが、もう忘れてしまっています。
「ろう者だから」「聴者だから」に関係なく、お互い助け合うのは人間として当然のこと。人としての自然な姿を見てほしい…。女優・忍足亜希子さんの出現は、ろう者だけでなく弱者と呼ばれる人たちにも、勇気を与えてくれるはずです。京都の住民の多くのエキストラの協力があったことは、きっとこの映画を通して幾つかの「関係」が生まれていることでしょう。第3作目も大いに期待しておきましょう。
(ワーカーズ・ネット 恵)
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米国のツインタワー崩壊の衝撃が原発を襲えばどうなるのか、地域丸ごと消滅、いや最悪の場合は欧州が消滅する可能性すらある、等々。こうした航空機テロに備えて、国際原子力機関(IAEA)は原発上空を飛行禁止にすることを検討しています。
燃料を満載したジャンボジェット機が突入したら、「世界中で安全な原発など一つもない」というのが、IAEAの判断のようです。むしろ、そこから導き出される結論は、テロのない社会を実現するとか原発を全廃するとかであって、前記のような措置は所詮気休めにしかならないのではと思います。
実際問題として、事故による原発近くへの航空機の墜落は起きています。昨年3月と7月、宮城県の東北電力女川原発付近で航空自衛隊松島基地の練習機が連続して墜落。1988年6月、愛媛県の四国電力伊方原発では炉心からわずか1キロのところに米軍の大型ヘリが墜落しています。
ヨーロッパでは、つい最近もアイルランド政府が英紙タイムズに全面広告を掲載し、 「(MOX施設のある)セラフィールドを閉鎖しろ!」「(BNFLは)われわれの環境を、容認できない不要な危機にさらしている」と要求しました。これは、英核燃料会社(BNFL)のプルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料工場の操業停止を求めるもので、ノルウェーも同じ要求をしています。
最近の原発関連の話題を拾ってみると、日本においても原発に未来がないことが明らかになっています。その象徴的な出来事は、三重県山海町での住民投票の結果です。この住民投票は原発誘致派が仕掛けたものですが、結果は原発反対派の勝利となり、町長も町議会も今後原発誘致はしないことになりました。
10月に報じられたことですが、経済産業省がウラン濃縮新方式断念、研究費500億円がムダに、というのがあります。こちらは、1980年代後半から国が500億円以上、電力会社も150億円以上の資金を注ぎ込んだのに、実用化に生かせなかったものです。
原子力資料情報室の西尾漠氏は、「実用化が技術的にも難しいことは分かっていた。結局駄目だったということは、技術評価をきちんとしなかった原子力委員会の責任」(10月2日付「神戸新聞」)と指摘しています。
原子力委員会委員長の藤家洋一氏の弁はというと、「レーザー法によるウラン濃縮は経済性をクリアできなかった。だが、この方法は、ほかへ応用できる可能性があるし、単一の目的の達成で判断するよりも、技術基盤をつくるための蓄積と考えることができるだろう」(同)というもの。なんとも、鷹揚な発言です。
それから、現在進行形の話題として、静岡県の中部電力浜岡原発1号機の原子炉水漏れ事故があります。12月6日時点で、中部電力は「設計の想定を超える過大な力が瞬時にかかって引きちぎられる『延性破壊』で破断が起きた」と発表しています。
この、想定を超えた事態というのは重大な意味があります。原発はひとたび大事故が起これば取り返しがつかないので、あらゆる事態を想定して設計されなければなりません。当然のこととして、想定される事態に対処できないなら稼動させることはできません。
ドイツが高速増殖炉の稼動をあきらめたのは、そのためでした。ところが日本では、あの大事故を起こした高速増殖炉「もんじゅ」すら、再稼動させようとしているのです。今回の事態も、その原因が究明されないなら、少なくとも同じ形の原発は止めて当然なのですが、どうなることやら。
ここまで紹介した以外にも、日本原子力発電東海原発の廃炉、解体が実に17年もかかり、その費用が建設費の2倍約930億円と見積もられていることが明らかになっています。しかも、このなかには放射性廃棄物の処理費用は含まれていません。核開発の悪夢に、私たちはいつまで耐えなければならないのでしょう。
(ワーカーズ・ネット 晴)
追伸―この原稿を書いたあと、「技術と人間」11月号を目にしました。そして、日本子孫基金が9月25日、テロに備えて「全ての原発を自衛隊に常備警備させること」を原子力安全委員会に要請したことを知りました。
この要請は当然にも基金内外からの批判にさらさられ、10月9日撤回されました。これについては、基金の機関誌「食品と暮らしの安全」151号に「10・9付『原発警備に自衛隊』は撤回、事務局長ー勇み足を謝罪」という表題で報じられています。
ちなみに、たんぽぽ舎は9月30日、JCO事故2周年集会で「対テロ原発防衛で自衛隊の出動に反対する」と発表しています。我が意を得たり、というところです。
その論拠の一つはすでに明らかなように、原発をテロや地震の脅威から守る術はなく、脱原発に向かう以外に道はないことです。もう一点は、原発警備のためであれ自衛隊の活用を要求することは、小泉の戦争政策に手を貸すことになるというものです。
環境NGOを自認する日本子孫基金の混迷は、私たちにとっても他山の石としなければならないと思います。
国内で狂牛病が見つかってから、学校給食には牛肉を使用しなくなりました。スーパー
でも売れ行きが悪いらしく、定価の半額にして売っているのを見かけました。先日は、とうとうスーパーの肉販売コーナーが撤去され、別の商品が並んでいました。ただでさえ、失業者が増え厳しいなか、さらに追い撃ちを掛ける出来事に、一瞬立ち止まってしまいました。
狂牛病騒ぎ以来、牛骨紛という聞き慣れない言葉を耳にし、それが牛の餌に使われていることを知りました。牛のリサイクルと言えば聞こえはいいですが、危険を伴うことは既に5年前に国内の専門家からも指摘され、法規制設置の要望も出されていたといいます。牛は本来、草食動物なのに成長を早めるために、ホルモン剤を投与され仲間を餌にする、こんな人間の勝手な行為は自身の首を絞めることになります。
というのも牛骨紛は、私たちの食べ物にも広範に使用されているからです。骨紛には、ふりかけ・カルシウム補助食品。コラーゲンには健康飲料。エキスにはブイヨンなどの調味料・スープ・スナック菓子・レトルトカレー。そして皮は、ゼラチンとして使用されアイスクリームなどの安定剤・ベビーフード。
加工食品は、調理するのに手間が省け便利ですが、安全性・栄養面については以前から指摘されていました。たとえ商品に成分の義務付けがあっても、何が原料に使用されているのか気にならない、知ろうとしない消費者が多数を占めるのが現状なのではないでしょうか。
1996年、イギリスに起こった狂牛病の感染源を、牛の突然変異と結論づけたイギリス政府。しかし、多くの専門家が牛の飼料に使われた羊だろうと指摘しました。今回の国内で3頭の狂牛病発覚には、感染源の徹底した追求検査を政府に求め、早急に正しい結果を出して対応すべきだと思います。そして、私たちの食生活そのものを問い直す、良い機会かもしれません。牛乳はカルシウム源として最高の食品と勧められますが、そのために、牛の数を増やし生態系をも侵さざるをえないなら、敢えて牛乳を飲むこともないのではないか、と考えます。
(ワーカーズ・ネット 恵)
市会議員というのはどんな存在でしょうか。教科書的には市民の信任を得て行政をチェックするというとですが、実態はずいぶんかけ離れています。もちろんそれは悪い方に違っているのですが、これは選ぶ側にも責任があります。
市民と市会議員、それから市長に代表される行政との関係は、それぞれ緊張感がなければなりません。ところが実態は、議会と行政が癒着し、市民を疎外しているのです。これが、地方議会おける総与党化という問題です。
与党であることの利得は大きく、一度与党を経験するともう野党には戻れないようです。それに、行政と歩調をあわせている限り何の努力も必要ないし、4年に1度の選挙さえうまく乗り切れば実に気楽な商売です。
例えば、宝塚市会議員が一般質問の原稿を市職員に書いてもらっていた、ということが最近新聞報道されました。依頼した市議は 「議員として存在価値なし」だし、依頼に応じた職員も「口頭厳重注意」で済ませるのは問題です。
こんなのは極端な事例でしょうが、これに近いものはいくらもあるようです。せっかく一般質問の時間を与えられても、当たり障りのない質問に時間を費やしたり、行政追随に終始する議員が多いのです。
こんなことは市議会を傍聴すればすぐにわかることですが、傍聴者は悲しいほど少ないのが実態です。もちろん、平日の昼間のことなので無理もありませんが、そこで監視し告発しない限り、彼らは好き勝手やり放題です。
彼らは互いになれあい、利益を分かちあっているのです。だから、市民派議員なんかが登場してこの議会秩序を乱そうものなら、よってたかっていじめにかかるのです。当局は木で鼻をくくったような答弁を繰り返し、議員は汚いヤジを繰り返す、見ているこちらが恥ずかしくなるくらいです。
そんな彼らの報酬は驚くほどの高額で、財政危機などどこ吹く風です。40万都市の西宮市の市長報酬は月額約126万円、この冬の一時金(ボーナス)は約318万円。議員報酬は月額69万円、一時金は約174万円です。議員にはこれ以外にも、いくつもの名目で多くの手当が与えられています。
その上さらに政務調査費として、西宮市では月額15万円が領収書のいらない経費として交付されています。これは「議員の調査研究に資するため」のものですが、くだんの存在価値なし議員のように質問までお世話になっていたら、何を調査研究するのでしょう。
領収書がいらないから、実態は第2報酬化しており、会派の慰安旅行や飲み食いに使ってしまってもチェックのしようがありません。この政務調査費は今年の4月からすべての自治体で制度化することになっており、読者の皆さんの住んでいる自治体でもあるはずです。
市議会は傍聴してもおもしろいし、情報公開請求したら何が飛び出すがわかりません。高額の報酬を得ている彼らが、市議会では居眠りばかりしていたり、公費の視察旅行が実は観光旅行だったりします。実にけしからんことではありますが、4年に1度の選挙の時だけのチェックでは、この実態を無くすことは出来ません。
市議会を傍聴し、情報公開請求で実態を把握し、広く市民に知らせないことには、彼らはやりたい放題です。この一連の行動を起こしているのが、全国の市民オンブズ組織です。差し当たってそんな組織がなくても、たった一人でも行動を起こすことは可能です。市議会の扉を開けたら、そこはワンダーランドかもしれません。
(ワーカーズ・ネット 晴)
追伸―秋晴れが続いた連休の最終日、久々にフルマラソンを走りました。コースとなった武庫川の河川敷は、休日とあって、少年野球やラクビーが行なわれていました。母親たちの応援もさかんで、平和な日本を象徴しているようでした。
さてそのレースの前日、コースとなった武庫川河川敷の橋の下で、男性の野宿者が死亡しているのが発見されました。50〜60代くらいのその男性は、段ボール小屋のなかで衰弱死していたということです。今年8月には既にそこで生活していたようですが、どんな事情があって橋の下の段ボール小屋で生活をしなければなせなくなったのだろうか、痛ましいかぎりです。
既に述べたように、市長は高給を食み、市会議員は政務調査費という名の領収書のいらない手当を懐にねじ込むことには熱心です。その彼らが、野宿者のために何かをしたということを、聞いたことがありません。議員一人当たり年間180万円の政務調査費だけでも、市会議員全員がそれを返上すれば100人近くの野宿者が生活保護を受けられるのではないかと思います。
そんなことを考えていると、もっと厳しい目で市行政を監視し彼らのお手盛りにメスを入れなければと、改めて思います。それにしてもこの日のマラソンは練習不足がたたり、自己最悪記録を大きく更新してしまいました。これを大いに反省し、オンブズ活動もマラソンの練習も頑張る決意です。
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我が家から自転車で5分くらいの所に、ユニクロの新しい店舗がオープンしました。何よりも価格が安く、シンプルなデザインが好評な様です。宣伝用のチラシには、「すべての製品を自分たちの手で企画開発し生産・流通から販売までを一貫して自社で行なっています。そうすることで様々なコストをおさえ、…できる限り安くお届けしています」というアピールをしています。
子どもの着ているユニクロの服を見てみると、(株)ファーストリティリングと記入してありました。売る側にとっては、商品として売れればいいわけですが、Maid in China≠フ意味する過酷な労働に、どれだけの買う側の人が反応しているのか、気がかりです。
スーパーに行けば、野菜類にも中国産が目立ちます。市場のグローバル化と言えば、聞こえが良いのですが、一方で日本の農業を守れ! という声があり、消費者の立場からも戸惑ってしまう一面があります。失業者が増え、さらに倒産が続く今、求職者やその家族の不安も深刻なものでしょう。
80年代のちょっと古い資料ですが、マレーシアの日系企業の進出は400社を超えたといわれています。その内の約8割が若い女性労働者で、ヒステリー発作を起こすほどの緊張の連続の労働が、強いられていたと言います。しかも、三交代制で深夜労働までやっても月に200マレーシアドル(約2万円)そこそこ。そんな低賃金なのに、スラム街にある安アパートの寮費は1人20ドル(2千円)もかかってしまう。他国でやりたい放題、こんな勝手なことが許されていたとは、なんて恥ずかしいことなのでしょうか。
後進国に先進国が進出することによって、技術が受け継がれ後進国の産業が発達していく、そんな教科書通りに行くものではありません。マレーシアでは、外国企業に労働者が行ってしまい、土着の企業は人手不足という状態でした。そして、女性労働者には工場内で家父長制を利用し、権利も何も認めませんでした。
ユニクロの中国工場では、マレーシアほどの搾取・抑圧がなされているか分かりませんが、日本の労働者の賃金に比べると遙かに低いことは間違いありません。私たちが唯一、協力できるのは、現地で働く中国の労働者との連帯でしかないでしょう。重労働、低賃金を改善させるために、これこそグローバル化が役立つはずです。「Workers」中国版なんて、まだ先のことでしょうか。
(ワーカーズ・ネット 恵)
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かつて自治体財政を大いに潤した、公営ギャンブルが次々と消えつつあります。私が住んでいる西宮市には甲子園と西宮の2つの競輪があります。これが一挙に今年度末で廃止となりました。その理由は、赤字になって市財政に貢献できなくなったからです。
ここの胴元は兵庫県市町競輪事務組合(19市1町)で、仕切っているのは西宮市長の山田知です。かくも多くの自治体が競輪にたかっていたとは呆れますが、西宮市はその上がりの44パーセントも懐に入れていたのです。
共同通信社が行なった調査によると、「二〇〇〇年度に競馬、競輪などの地方公営競技(ギャンブル)を主催した全国百五十一団体のうち約四割、六十二団体が赤字」(11月4日付「神戸新聞」)だそうです。1991年のピーク時、約3650億円もの実入りがあったものが、9年間で9割も減ったとのことです。
しかも、赤字の団体に自治体の一般会計から約55億円も補填されています。賭ける方も損をすることは明らかなのに、税金を注ぎ込んでまで何故ギャンブルを続けなければならないのでしょう。
ちなみに、配当に回されるのは売り上げの75パーセントだけで、残りの25パーセントから賞金や経費を引いた残額が自治体の実入りとなるようです。このシステムが、庶民から有り金を吸い上げ、多くの家庭を破綻させたのです。
公営ギャンブルについては、自治体が胴元になることから、当初から批判がありましたが、結局公営ギャンブルそのものの衰退によって消えていくようです。それにしても、利用するだけしていらなくなれば簡単に捨ててしまうのだから、無節操と言うほかありません。
同じギャンブルでも中央競馬は人気があるし、パチンコなどは10時前の開店を待つ行列をよく見かけます。私の職場にはギャンブラーがたくさんいて、馬にせっせと餌をやったり、休みの日にはパチンコ屋に数万もの大金を貢いだりしているようです。
最近はTOTOなどというギャンブルも登場し、一攫千金の誘惑断ちがたいのでしょうが、時間とお金のムダに気付かないのでしょうか。ギャンブルは庶民の楽しみだとかいう意見もあるのかもしれませんが、庶民の不満を反らしつつ虎の子を巻き上げる、為政者にとっては便利な道具です。
ギャンブルには大衆社会のエネルギーがあるとし、「神戸新聞」のコラム氏は「自治体のソロバン事情のみで語られがちだが、公営ギャンブルの苦境には、文化の厚みが危機に瀕している側面もある」と述べます。これは何でしょう。ギャンブルが続くようにみんなもっと貢ぎましょう、税金も投入しましょうとでも提案するつもりでしょうか。
たしかに、いかがわしいものはすべてなくし、清く正しく健全にというのは息が詰まりそうです。社会にはいくらかの幅や、少しは暗いところも必要なのでしょう。だけど、ギャンブルで破滅した人がどれほど多くいるか考えたら、公営ギャンブルなんてとんでもないことです。
ただ一つ問題があるとすれば、それはそこで働いていた人々にとって失業となることです。実際に、兵庫県下競争労働組合は事業存続、雇用確保を求めていました。しかし、廃止決定そのものは妥当な結論だったし、雇用確保のためのギャンブル存続なんてありえないでしょう。
だから、この場合の要求は再就職の斡旋が妥当だし、それ以外ないでしょう。西宮市などの自治体が、これまで吸い上げてきた万分の一でも還元すれば、十分にそれは可能なはずです。そのために税金を使うのなら、市民も支持するでしょう。
(ワーカーズ・ネット 晴)
前号でも紹介しましたが、西宮市の「男女共同参画センターウエーブ」では、1周年記念事業の実行委員会が持たれています。週1回の実行委員会は、正直言ってハードですがウエーブを活性化させるためにと、私も参加しています。ところが、時間をかけて決めたことに行政側がストップをかけて、しかも理由が納得いかない、そんな出来事がありました。
それは、行事のテーマに「Hand To Hand」という語句を使ったことにあります。使ってはいけない理由は「障害を持った方と共に生きる社会であるという点から、特に『ウェーブ』のような公的機関では、人権意識に配慮し先頃では、使用しない方向にある」というものです。つまり、手に障害のある人にとって、人権を侵害することがありうるということらしいです。要するに、公的機関の監視下では、意味の無い規制がつきまとうということでしょうか。
なぜ、今もなお、障害者が差別されているのか? それは社会で自立することが、経済的にも人的援助においても困難だからです。社会の重荷になる、そういう意識が温存され続けているのです。本当に真剣に、人権意識に配慮するなら、形式的なことだけに捕われるはずがないでしょう。そこには、見せかけの人権意識しかありません。
行政の規制には、腹立たしい限りですが、私がそれ以上にがっかりしたのは、実行委員のほとんどの女性が行政に異議を感じなかったということです。それよりも、自分が気がつかなかった所を、指摘してもらって有り難い、という意見も飛び出したぐらいでした。先行き真暗な実行委員会に、私は大いに失望してしまいました。
身体的な障害、知的な障害、精神的な障害など様々なケースがあり、実際に付き合ってみることでしか理解出来ないことが多いと思います。机の上での人権意識の配慮が、かえって配慮する側をも萎縮させてしまう、そんな結果になりそうです。テーマには、体の部分の名称は使えないことになります。また、振り出しに戻って始めなくてはなりません。
(ワーカーズ・ネット 恵)
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西宮市に「男女共同参画センターウェーブ」がオープンして1年が過ぎました。1周年記念行事は既に10月初めに終え、参加者はリフレッシュしたことでしょう。そして、これとは別に、実行委員会形式で計画されている催し物があります。実行委員はセンターの登録グループと一般公募に呼びかけ、自主的に結集したメンバーです。私も実行委員に加わることにしました。
来年の3月を予定に、企画・運営もふくめすべて実行委員会が決定します。市の女性施策推進課の課長(女性)と事務員は、会議の出席を義務づけられているのか、発言もなく聞いているだけです。たぶん、資金提供(20万円)という性格上、会議の内容や進行状況を市に報告する義務があるのでしょう。
ところで、企画をあれこれ提案する際に、ジェンダーの視点で、という決まり文句に違和感を持ってしまいます。ジェンダー、つまり男女の役割分担の固定化が、「男らしさ」「女らしさ」を作ってきたのです。男性は社会に出て働き、女性は家庭で家事・育児と分担し、日本の経済成長を支えてきました。経済的な側面とジェンダーは、切り離せないものです。
もちろん、女性への啓発は必要ですが、今の世界情勢も視野に入れることは当然のことだろうと、私は思っていたのです。しかし、実行委員のメンバーは、世界情勢=米国の報復戦争について提起することすら、何か不可思議の様な雰囲気でした。同じ女性の立場からも、アフガニスタンの女性が置かれている状況を知り、何らかの支援行動を呼びかけるチャンスだと思うのですが。
「生き生きフェスタ」という名称で、毎年、行なわれる記念行事。楽しくお祝いをするのも結構ですが、社会の出来事に関心を持ち、起こっている現象に対し、自ら判断できる力を身につけてほしい。今回、私はワークショップという形で、アフガニスタンの状況を伝えていきたいと思っています。ウェーブの存在も知らない女性に、まず足を運んでもらうことを期待して。
(ワーカーズ・ネット 恵)
10月22日、米国の郵便局員2人が死亡するに及んで、炭疽菌に対する恐れが、現実的なものとなりつつあります。実際、郵便物に遅れが出たことをお詫びする付箋が張っているのを、見るようになりました。
この件に関して、職場では10月17日に次のような周知が行なわれいます。表題は 「炭そ菌等が含有・付着の疑いのある郵便物について」というもので、少し長いですが内容を全文紹介しましょう。
「新聞等により、米国における郵便物を利用した生物テロの疑いのある事件が報道されました。詳細は明らかではありませんが、外国来郵便物等について特に留意してください。
受取人から覚えがないなど、不審な郵便物である旨の通報があった時、又は郵便局で不審な郵便物を発見した時は、当該郵便物に触れることなく、直ちに連絡してください」
こうした指示は、これまでも郵便物が爆発したときとか、外国要人が来日したときなどにもありました。しかし、不審な郵便物というのが漠然としていて、実際にはこんな指示はあまり意味がありません。
もっとも私は配達のほうなのでそれほどの緊張感もなく、これまで通りに仕事をしています。差し出された郵便物を最初に触れる郵便内務では、もう少し切実なのだと思います。
外国からの新聞報道では、マスクに手袋というスタイルで仕事をしている郵便労働者の写真が紹介されたりしています。米国では 「手紙を開けるのさえも恐い、開けたら、死ぬかもしれないじゃないの」という声まで紹介されてますが、ここまでくると、日常生活にも支障が出てしまいそうです。
10月17日の神戸新聞がそうした米国の実態を紹介していますが、犯罪心理学の教授の「既に米国は恐怖のふちにある」という指摘は的確です。「郵便物を開封するという日常的な行為が突如、恐怖感を伴うものになってしまった。清涼飲料水の缶に粉が見つかったというだけで、民間機の航路が変更されるのが今の米国だ」というのだから、恐いです。
23日の読売新聞では、肺炭疽で犠牲者を出したブレントウッド郵便局が全面閉鎖になったと報じています。さらに、「議会の職員を先に調べて、なぜ郵便局員が後回しになったのか…」という、女性外務労働者の声を紹介しています。命にも優先順位がある、ということの証明でしょう。
日本においてもあちこちの郵便局で「白い粉」騒ぎがあるようですが、今のところまだ大丈夫なようです。それよりも、郵便局強盗が9月末現在で115件も発生し、過去最高となっているという数字のほうが現実的な問題です。
10月23日には神戸元町郵便局で金庫ごと盗まれ、収入印紙など1億6000万円相当の被害が出ています。しかしこうした被害も、こうした犯罪も米国の実態と比べれば、はるかに人間的なもののように感じてしまうから、不思議です。
不景気となり、失業がふえ、社会が荒廃したら金融機関が狙われるのは、宿命のようなものです。そこにははっきりとした因果関係があるがゆえに、犯罪を防ぐことも、犯罪の発生源を解消するための対策も、いくつもの手立てがあります。
しかし、「白い粉」の恐怖は違います。報復を支持し、そうすることによってテロの芽の成長に加担している人々は、このことを理解しなければならないでしょう。米国では、圧倒的な市民がブッシュの報復テロに支持を与えることによって、「恐怖のふち」に立たされています。
そして日本ではどうか、小泉の最悪の選択にこのまま支持を与え続けるなら、日本もいずれ「恐怖のふち」に立たなければならないでしょう。その時は、私もマスクと手袋をして、恐る恐る郵便を配ることになるのだろうか。しかしそれは、郵便屋としての自己の労働の否定につながるのではないだろうか。そんな日が来ないように、願わずにはおられません。
(ワーカーズ・ネット 晴)
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今年も、長〜い夏休みが始まりました。小学4年生の娘は、すでにキャンプを終えプールに遊びとフル回転です。学童仲間とは、今も毎日のように連絡を取り合い、遊びの約束をしています。今年から生活が変わり、留守番になるので少し心配していましたが、なんとか無事に過ごしているようです。
そして、中学2年生の娘はクラブ活動に熱中。今年の暑さは格別、熱中症による死亡事故があちこちで聞かれますが、顧問の先生の言いなりにならず、自分で自分を守るようにと言い聞かせる毎日です。娘には嫌がられていますが…。
いわゆる「受験生」を選んだ高校3年生の娘は、関心のある大学からパンフレットを取り寄せ、夢を膨らませています。しかし、模擬試験の結果を「偏差値」で表わし、行きたい大学ではなく確実に行ける大学を選ばせる、これが学校の指導の仕方なのです。夢をどこまで持ち続けられるのか、見守るしかありません。
ところで、私は今年の酷暑に少々バテ気味です。昼前後から1時間半近く、炎天下での郵便配達は、体力との勝負です。しっかり食べて十分な休養をと心がけていますが、疲れは翌日に持ち越しているのが実情です。同僚は私よりも歳上の人が多く、皆の頑張りを見ながら励んでいるこの頃です。
夏といえば祭りですが、夏休み早々の花火大会での惨事は、犠牲になったのが子どもでした。楽しみしていた夏祭りが一転、なぜこんなことになったのでしょうか。歩道橋では混み合って気温が40度近くまで上昇していた、ともいわれています。警備会社はもちろん、警察も動員したというのに…。
当初マスコミは、惨事の原因を一部若者の暴動としていました。しかし、後から次々と出てくる真相で、市・警察・警備会社の対応が問題なのが明らかになってきています。こんなにも情報が発達し、あらゆる予測が可能な時代に、人間の判断の甘さが招いた事故と言えるでしょう。
40日間もの夏休み、家の手伝いをしながら身に付けられるものがあれば、良しとしましょう。本当は、思いっきり遊んで元気に過ごせば、それだけで夏休みの成果はあったといえるはずです。ああ私も、長期休暇が欲しい…。それでは読者の皆さん、暑さ対策を万全に。
(恵)