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『踊る老人病棟』
人権無視、体罰がまかり通る老人病棟
岸香里/青春出版社/1180円+税
高齢者と看護婦が踊っている漫画が描かれている表紙が、何となく目にとまりました。「たぶん漫画世代の若い人達が見るのだろうな」と思いながら本をめくって驚きました。「走るっ、食うっ、笑うっ……老人パワー炸裂 愛と笑いと感動のとびっきりナース・エッセイ」と本の帯には書かれていましたが、内容はそれとは全く違う、ひどい老人病棟の実態が描かれていました。しかしこれが現状の、高齢者や障害者を始めとする社会的弱者の人達を対象とした、病院や施設の日常生活の一面を紹介している本でもあると思います。ここまでひどくないにしても、このようなことが全く無い(程度の差は有れど)とは言えないというのが、現状ではないでしょうか。
これが食事?
食べ物は混ぜて口に放り込む
「『さぁ、おじいちゃんごはんあよ』……皿には、パサパサ、カラカラの茶色のおかずらしきもの。(10日前の、かしら?)患者さんが食べやすいようにと、きざみにきざんだ魚と野菜は、混ぜ合わされて茶色に統一されている。元は何なのか、ちょっとわからないくらい、ぐちゃぐちゃの粉々だ。家庭用の生ゴミ処理機で出来たみたいな……(いわっ。まずそ…)……先輩ナースは、いきなりおかゆの中に、汁、おかずをぶち込んだ。一挙に混ぜる。もともと、ぐちゃぐちゃだったごはんが、更にぐちゃぐちゃになった。(……ゲロ?)まずそうだったごはんが、これ以上ないくらい、まずくなった瞬間だ。ためしに、匂いをかいでみた。(ツーン)すごい匂いだった。酢と、イカの塩からと、ワラをミックスして、発酵させたら、腐ってたというような。これを食べさせても、いいんでしょーか? 『こうでもしなきゃ、時間がないのよ。なにせ食べさせなきゃならない患者さんは、30人以上いるんだから。ナースは5人しかいないっていうのに…』そう言いながら、先輩ナースは同時に二人の患者さんの口に、おかゆ(もどき)を放り込んでいる。まるでワンコそば並みの勢いで次々と。患者さんの食事時間は20分しかない。超、忙しいのだ。……」
私はこの光景と同じ事を経験したことがあります。四国の重度重複障害者病棟でも全く同じ看護がなされていました。そこでは、30畳ほどの部屋に子供達(中には成人に達した人達もいたが)所狭しとゴロンと横になっています。食事時間になると彼らを起こすでもなく、元は素晴らしくおいしいメニューが、本の内容と同様にごちゃ混ぜにされ、しかも1人1〜2分の間にその物体を彼らの口の中に入れてしまう。食事というより、強制的な摂取作業でしかありませんでした。
ザ・面会
家族の前でだけは、少しきれいに
「……老人病棟は患者さんの安全確保のため、常に出入り口に鍵をかけている。外部からの人を迎えるには、それなりに準備をしなければならない。と、それは建前で、事務室から家族が病棟へ来るまでの約5分間、この間に面会のある患者さんの身だしなみを整えるのだ。『野々村さんの顔、大丈夫?目やにやごはんの食べ残しは?ついてない?髪の毛をとかさなきゃ。ボサボサじゃないの』『山本さんのヒゲ、いつから剃ってないの?修行僧みたいじゃない』……『うあぁ。山本さんの鼻…鼻毛抜こうとしたら、こんなに大きな鼻クソが…』鼻の穴から出てきたのは、パチンコ玉大もあるカサカサの物体。いざ身だしなみをチェックすると、あれもこれも気にかかる。『ああ、耳アカもたまってる。と、取りたい…』しかしそんなヒマはない。『今は、目に見えるところだけでいいのよ。耳そうじなんて後、後。エ?耳アカが穴からはみ出してて、見えるって?帽子で隠しなさい』婦長さんの指導は的確だ」
私はこれと同じような、いえそれ以上にひどい病院を知っています。友人の姉が精神病院へ入院していたので、一緒に面会に行った時のことです。本のように5分ではなく、20分以上も別室で待たされ、「何時もこんなに待つの」と聞く私に、友人は「今ね、姉は服を着替えたり、髪を洗ったりしてもらっているの。私達に会うための準備をしているはずなの」と悲しそうに答えてくれました。しばらくして現われたお姉さんはコザッパリとしていましたが、何故かおどおどとして脅えていました。私は直感的に彼女が日常的に体罰を受けているのを知りました。私達と話をしているときも彼女はおどおどとし、終始看護婦さんの姿を気にしているようでした。
愛のムチ?
体罰が日常的に行われている世界
「老人病棟に来て、驚いたことはたくさんある。中でも、衝撃だったのは、ナース達が日常茶飯事として、患者さん達をたたくことだ。もちろん、理由はある。『服を着ますよ。ハイ、右手を出して、ちがう、みぎてだってば』ペチッ。軽く右手をたたくと、反射のように右手を出す患者さん。『もう。だめでしょう?』パチンッ。してはいけないことをした時に、たたかれる患者さん。……『患者さんには、言ってもわかんない人が多いから、たたかざるをえないのよね』『痴呆の人って、子供と同じなのよ。言ってもわかんない時は、たたいてでも、言うことを聞かせなきゃ。愛のムチと同じよ』『そりゃあ、一般病棟の患者さんをたたいたら、大事件だけど、ここはねぇ。患者さん達だって、たたかれてもスグ忘れるし、気にしてたら仕事になんないわよ』先輩ナース達は、たたかざるをえない状況を話してくれた。その通りかもしれない。たたきたくないけど、仕方のない時だってあるのだ。私自身を納得させる。……口といっしょに、もう手が出ている。一度たたいてからは、もうためらわなくなっていた。」
高齢者も障害者も人間らしく生きられる社会を!
私は「老人病棟の看護婦さん達はこんなひどい事をしている」、と言うつもりでこの記事を書いたのではありません。福祉施設や病院を批判した文章は大抵「福祉の理念に忘れた職員。福祉の思想をもう一度思い出して優しいケアをするべきだ」とか「看護婦としての自覚を持って……」などとあたかもその人の個人または病院・施設だけの問題であるかのように書いています。もちろん病院・施設・職員に責められるべき点がないとは言いません。しかし一番の問題点は、高齢者や社会を厄介者としてしか扱わない今の社会にこそあるのではないでしょうか。
私達は生まれながらにして、誰もが平等で、人間として健康で文化的な生活が保障されるはずです。でも本当にそうなっているのでしょうか。実感として余りにも不公平で理不尽なことばかりではないでしょうか。一部の人だけへの繁栄のひきかえに私達労働者は人間らしい生活さえも保障されていないのが現状ではないでしょうか。
障害があろうと高齢になろうと、社会の一員として、何らかの社会参加できる場所や機会が確保され、介護や看護も質の高い、個人のニーズに即したものがきめ細かく提供されることが当たり前になる社会を求めていいきましょう。
(Y)
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『社会保障の基本問題 「自助」と社会的保障』
(相澤輿一/未来社/2575円)
支社会保障を「自助」と公的扶助の矛的統一と把握し、福祉協同の発展を提起
本書の二つの主題
介護保険法はすでに成立し、実施に向けての具体化の作業の中で政府と労働者・住民のつばぜり合いが行われています。社会保険の見直しに向けた議論も活発ですが、国民年金の保険料未納、その破綻の可能性が取り沙汰されています。医療保険もまた様々な問題を表面化させています。社会保障や社会保険をめぐる動きに、私たち労働者は、以前にもまして真剣な注意を払う必要に迫られています。
今号では、こうした問題を考えるひとつの手がかりとして、相澤氏の「社会保障の基本問題」をご紹介します。
この書が明らかにしようとしているのは、大きく分ければ次の二つのことだと思います。ひとつは「日本型福祉社会構想」が提唱されて以来の「自助」強調の風潮がはらむ問題点と国家的社会的保障の重要性。もうひとつはその国家的社会的保障が持つ限界と、労働者や住民の社会保障闘争や自主的福祉運動の重要性。もちろんこれ以外にもいくつかの重要な論点が示されていますが、それははしょらせていただきます。
「自助」原理批判と、「『自助』と公的扶助の矛盾的統一」としての社会保障論
著者はしかし、「自助」の押しつけを道徳的に非難しているのではありません。「自助」の要求が資本主義のシステムに客観的な根拠を置いていることを見つつ、それと同時にこの「自助」が労働者階級にとっては本質的に不可能であり、その故に公的扶助や公的扶養、国家的社会的生活保障が必然化されざるを得ないのだと言うのです。こうして、社会保障とは、一方での「自助」の要求と他方でのその困難さ故に余儀なくされる国家的社会的保障の矛盾的統一だと言われるのです。
資本主義社会は言うまでもなく自己責任の社会、自立・自助が要求される社会です。しかしこの社会で実際に自立・自助が可能なのは、生産手段や生活手段を所有し、労働力を買い入れて生産を組織し、生産物を販売して剰余価値を手に入れることが出来る資本家、あるいはその分け前を要求できる地主等々の有産者だけです。
他方労働者が所有するのは自らの労働力だけであり、したがって生活の糧はその労働力を資本家に売って得られる賃金のみです。労働者は、自らの生活を自らまかなうための前提である生産手段や生活手段を持っていないが故に労働者なのであり、資本家が彼を必要とし雇い入れてくれる限りで「自助」が可能な存在なのです。
マルクスは労働者が置かれてこうした状態を、単に物が不足しているという意味での貧困ではなく、生産手段や生活手段の所有から排除されているという意味で「絶対的貧困」と呼び、労働者は潜在的な受救貧民であると述べています。
そして事実、不況や恐慌のたびに労働者は大量に首を切られ、失業に追いやられます。恐慌や不況でなくても、資本主義の下では完全雇用は言葉だけに過ぎず、常に少なくない割合の労働者が失業状態に置かれています。病気や怪我や老齢で働けなくなればやはり仕事を失います。
こうした生活の不安定や危機に直面して、当初は労働者も資本主義社会の「自助」原理に則って「集団的自助」=共済の組織化や私的保険の利用を試みます。しかしそれは労働者のうち比較的高賃金の上層部分にしか普及せず、しかもその範囲でさえいくらかでも深刻な生活の危機にはまったく役に立ちませんでした。
そこで登場するのが公的扶助制度、「貧困=怠惰、個人の罪」とする古い貧困観から「貧困の社会的原因」の承認への転換、国営労働者保険など社会保険の導入でした。もちろん社会保険は、拠出と給付の関係に見られるように「自助」原則追求の試みのひとつなのですが、しかし労働者の中には拠出能力を欠いている者も多数あり、当初から雇い主の拠出や国家負担を避けられず、国家的社会的な扶助と扶養で補われざるを得ませんでした。
もちろん公的扶助や国家的社会的保障は労働者の闘いによって普及し、一定のレベルに達することもあるのですが、しかし他方ではそれらも労働力の保全、資本主義社会の安定という資本家的要請に規定されたものでした。
保険の歴史的・階級的性格を見る必要を主張
以上のごとく社会保障を「自助」と公的扶助との矛盾的統一ととらえ、「自助」の限界を唱える著者ですが、社会保険そのもの、その仕組みについても自助の原理≠ニの関連を重視します。著者は、保険というものを単に技術的に、超歴史的・超体制的に見るのは誤りだとし、保険という手法自体に「自助」と同様の歴史的・階級的性格が示されている言うのです。
例えば社会保険学者の近藤文二氏の見解が引き合いに出され、その社会保険への「一面的幻想」が次のように批判されます。
近藤氏は、社会保障の台頭は社会保険が社会事業(公的扶助)化していくことであり、社会政策としての社会保険では資本の利潤からの負担も含まれるのに社会事業では資本の保険負担が国家の租税に転嫁され、さらに労働者大衆にも負担させることになる、労働者はこれに反対し「社会事業の社会保険化」のために闘わなければならない主張する。あるいはまた「社会保険には、賃金と利潤との再分配効果」「労資間所得再分配効果」があるとされ、「社会事業から社会保険へ」と主張される。しかしこれらは事実を正しくとらえていないばかりか「自助」化による社会保障後退の流れを援護するアナクロニズムである。
他方で著者は、社会保険の資本主義的性格を強調する工藤恒夫氏の次のような主張を引用し、それに賛意を表しています。
「資本制的保険の本質は、被保険者本人がその第一次分配所得部分からの拠出≠ニいう自己責任=自助の義務を課すことで正当化される権利としての給付≠フ対価的・双務的関係にある。社会保険はこの拠出原則(たとえそれが強制的、部分的であるにせよ)が貫かれている限りにおいて資本制保険の一形態なのである」「(雇主と国庫からの出資を)社会保険における非保険的要素として、すなわち自助の原理≠ノ背反する扶養の原理≠ニとらえ、そして相矛盾する両原理の必然的結合関係のうちに資本制社会保険の本質を求める視点を確立させる」
公的扶助・国家保障の限界乗り越える福祉協同を提起
もちろん著者は、最初に触れたように社会保障や公的福祉の限界についても述べています。この社会保障が持つ限界への問題意識は、著者らがかつては社会保障の先進国と仰ぎ見てきたソ連など「社会主義」(実際は国家資本主義)国の社会保障の極めてお粗末な実態の露呈に直面して余儀なくされたもののようです。
興味深いのは、著者らがその限界を克服する一助として「福祉の自主的協同化」などを提起していることです。医療生協や「生協の福祉助け合い活動」、労働者協同組合や高齢者協同組合の活動の提携・協力、その発展の必要が語られています。
しかし、その本意はいまいち不明瞭です。一方では「福祉の協同は、それ自体が疎外なき福祉づくりのパイオニアともなりながら、未来の福祉社会を創造する主体を準備しうるはず」と言われます。しかし他方では、「それらは、福祉の公的責任の拡充をあくまで前提とし、公的福祉の民主的拡充を追求する主体として成長するべきもの」とされるのです。
著者が目指すのは国や自治体が主体の社会保障や公的福祉へのより高い要求を掲げての突き上げ、その民主的な補完であり、そこにとどまっています。こうした突き上げや補完を越える新しい福祉への道は、明瞭には示されていません。将来の社会とそこでの福祉をどう構想するかという点で、資本主義的な視野と発想を免れていないように思えます。
著者が指摘する「自助」原理と公的扶助の矛盾的統一としての社会保障、それが持つ階級融和策としての性格、その故の大衆収奪や給付や
サービスの限界などを克服するためには、資本家国家の民主化、民主的規制以上のものが必要です。国家や自治体の単なる民主化ではなく、その溶解、労働者・住民の自治組織への解消と代替が必要だと思います。福祉の組織化もまたこうした見通しの中で考えていく必要があるのではないでしょうか。
(阿部治正)
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『AARPの挑戦 アメリカの巨大高齢者NPO』
日本労働者協同組合編/シーアンドシー出版/2000円+税
AARPの紹介本足り得てはいるが、その限界への問題意識はなし
AARP(全米高齢者協同組合)は3000万人以上の会員数を持ち、アメリカの50歳以上の2人に1人が加入する、ローマカトリック教会に次ぐアメリカ第2の組織です。40年の歴史があり、1999年の国際高齢者年に向けて国際的なコーディネイターもしている全米最大のNPOです。活動としては、中高年者に対する雇用促進運動や税金相談、法律相談に取り組んでいます。注目に値するのは、メディケア法の制定や定年制を定めた法律を撤廃させるなどの成果も、彼らの立法運動によるところが大きいことです。
また、日本労働者協同組合とは以前から交流があり、96年の11月には同組合が、AARPのパーキンスさんを招待し東京で何度か講演会を開いたりしています。私の知識としてはこれくらいしかなかったのですが、この本により具体的な部分を含めてAARP像が見えてきました。
この本は日本労働者協同組合と各地の高齢者協同組合が97年の6月にAARPを訪問し、その調査・交流報告書としてまとめたものです。この本ではAARPの会員加入時のシステムから、多種多様なサービス提供について、地域活動、ボランティア活動について具体的に分かりやすく展開してくれています。
その中から、AARPが取り組んだ医療改革と年齢差別との闘いと、これからの課題となるベビーブーマーを獲得するための方針などを中心に、見てみたいと思います。
AARP誕生までの経過
AARPの創設者はエセル・パージー・アンドラスさんで(女性)、彼女は高校の教師をしていましたが退職後に退職教員の年金が低いことに驚き、カリフォルニアで年金制度を改善する運動を起こし、これに成功します。
「アンドラス博士は、こうした退職教職員の利益を守るために、1947年に全国退職教員協会(NRTA)を結成し、その会長になった。全国退職教員協会は、年金問題に続いて税金や相続、住宅の問題、医療と介護ケアの問題などに取り組んだ。なかでもアンドラス博士がもっとも勢力を注いだのは、退職した教員にグループ保険をかける問題であった。アメリカの場合、公的な医療保険が制度がないため、医療は高齢者に重くのしかかっていた。同博士は、高齢者に対するグループ保険を求めて、40の保険会社と接触した。しかし、答えはどれも同じで『高齢者はリスクが大きすぎる』というものだった」しかし、「ついに全米退職者教員協会(NRTA)の会員のためにグループ・ヘルス・インシュアランス(団体健康保険)をカリフォルニアのある保険会社と提携して実現することができたのである」。これを機に保険加入の申し込みが殺到し、1958年には会員数6万5000人に増えていきます。彼女はこれらの問題を退職した教員にとどめるだけでなく、退職年齢に達した全ての高齢者に適応すべきだと決断するに至ります。
そして「1958年7月1日全米退職者協会(AARP)は、ワシントンDCに非営利組織(NPO)として登録された。当初の会員は5万人、全国退職教員協会(NRTA)とは姉妹組織であるが、独立した組織として歩みを進めることに」なります。
メディケア法
「AARPは、高齢者にたいする公的健康保険を作ることに当初の運動の目標を据えた。これが、1965年に『メディケア』法という、65歳以上の高齢者とそれ以下の障害者への健康保険制度として実現した。しかし、この制度は適用が高齢者に限られているうえ、医療の必要に十分こたえているとはいえず、AARPにとって『メディケア』を補充する保険や『メディケア』そのものの改善はその後もずっと課題になり続けていく」
ここで、アメリカの医療費削減政策について説明を加えておきます。アメリカには公的医療保険は全国民が対象ではありません。65歳以上の人を対象にした上記にある「メディケア」と低所得者を対象にした「メディケイド」の2種類しかありません。この恩恵にあずかれるのは国民の4分の1程度です。高齢者対策としてはメディケアが中心となっており、在宅ケアの一部もこれに含まれます。しかしこのメディケアはナーシングホーム(日本の特養にあたります)の入所については最大でも100日分の費用しか給付されません。もし1年入所すれば平均で日本円にして約500万円もかかる計算になります。
またさらに、議会で97年の8月に財政赤字を5年間でゼロにするという法案が成立しました。これにより、メディケアとメディケイドは日本円にして約15兆6千億円も削減されることになりました。
アメリカの高齢化率は12・6%(1995年)で、日本の15・6%(97年)には及びませんが、高齢化は着実に進んでいます。国内総生産(GDP)に占める割合も日本の7・2%に対し14・2%にも及んでいます。96年度では医療費は歳出の17%を占め、ほぼ国防費と同じ水準にまで達しています。”ベビーブーマー”が退職をはじめる21世紀始めにはGDPの17%にまで達すると予測され、今アメリカでもこの問題が大きく取り上げられています。AARPは「メディケア」法の制定にこぎ着けましたが、今後更に大きな変革を迫られているようです。
定年制撤廃の運動
「アメリカには定年がない。この事実を知っている人はどれくらいいるだろうか。…(略)…彼の国アメリカでは1967年に年齢による差別禁止法ができ、年齢を理由に如何なる差別もできなくなっている。従って、60歳を越えたとを理由に退職しなければならないというような定年制は、アメリカには存在しない。定年制は違法なことなのだ。『定年制は違法だ』と聞くと多くの方はどのように感じられるだろうか。不思議な国だと思う方もいるのではないだろうか。しかし、アメリカの歴史がここまで基本的人権を発展させたと理解すべきだと思う。『性』による差別を禁止し、『人種』による差別を禁止し、『年齢』による差別を禁止した。そして今は『障害』を理由とする差別も禁止されている。…(略)…高齢者の仕事の問題でAARPがまず取り組んだのはこの定年制撤廃の運動である。当初は定年延長の取り組みだったようだが、最終的には先ほど紹介した法律が連邦議会を通過するのである。この運動は勿論AARPだけが行ったのではない。しかし、AARPの努力がなければ決して勝利することはなかったことも事実である。96年に来日したパーキンス次期理事長は、『企業は違法にならないように、実に巧みに高齢者を差別している。能力がないから、などとさまざまな理由を並べて辞めさせるし、採用にあたっても、白髪を見たとたんに『もっと有能な人がいるから』と言い始める。厳しい状況は日本と変わりない』と発言している。(日経新聞96年12月12日夕刊)。法律制定後もAARPは実際に起こる年齢差別と闘いを続けている。その一方で、仕事に関わるさまざまなプログラムを開発している。」
アメリカでは差別に反対する闘いの広がりと発展があるとともに、その大元となった差別の深刻さでも特筆に値する面があり、差別反対闘争の発展イコール差別の解消には必ずしもなってはいません。それは高齢者差別についても同様でしょう。しかし、高齢を理由とした不利益扱いをはっきりと差別だと認識し、闘いを組織していったことは大いに評価されるべきだと想います。
ベビーブーマーの世代を獲得できるか
ベビーブーマーとは1946年から1964年までに生まれた世代の人達のことをいいます。およそ7500万人、移民を含めると8000万人になるといわれれています。この人たちが今、AARPに加入したがらない現状があります。また入会しても辞めていくそうです。毎日8000人が加入しているというAARPですが、ここ2年間加入者が減少に転じています。ベビーブーマーにとって、どれだけ魅力的な方針を打ち出せるかがAARPに課せられた課題になっています。
「21世紀に向かって発展して行くにあたって、世代間の摩擦を克服していくことが重要な課題になっているはずで、ベビーブーマーが50代になってきていることをいかに対応しようとしているのかについて、何人かに質問しました。全体の印象は『これから』ということでした。回答のひとつは、ベビーブーマーは、地域に定着したいという傾向が強く、地域に必要な活動をもっと掘り起こし広げる事が重要だという答えです。ふたつは、ベビーブーマーは雇用・健康についての関心が強いので、この点でのプログラムの開拓が必要になるというものでした。AARPの誇り高いボランタリズムが、次の世代にいかに継承されるのか、私はこれらの解答をもっと深く吟味していかなければならないと思いますが、不満が残ります」とあります。
またAARPの歴史について「…ひとつはAARPが、その時その時のアメリカの高齢者の要求に合致し課題に、ひとつひとつ着実にこたえ、また事業と運動の両面でその解決に総力をあげて取り組んできたことが組織拡大の原動力になったといえる。…(略)…またAARPがこのように発展した背景のひとつとして、アメリカが公的医療保険もない『社会福祉後進国』であったこと、アメリカ国民のなかに助け合いとボランティア活動の旺盛な建国以来の伝統があったことを指摘するのも可能である。AARPが誕生し発展してきた時期がアメリカが急速に高齢社会化した時期で、矛盾も急速に深刻化したことをみておく必要もあるだろう」とあります。
私自身はベビーブーマーがこの運動にあまり積極的でないのは、元々この組織が豊かな高齢者に支えられて出発した組織であったことに原因があるように思えます。
この本の中でもアメリカの高齢者の特長を『アメリカの国内の金融資産の77%を保有し、アメリカの貯蓄貸付機関の貸付全体の80%を保有している。旅行娯楽に費やす金額が、各年齢層のなかでもっとも大きく、スパ(温泉付き保養施設)会員権の37%を購入している。食料雑貨での一人当たりの出費が、各年齢層のなかで最も大きく、週三回は外食する。テレビの視聴時間が、各年齢層のなかで最も長く、最も新聞を読む。消費需要全体の40%を占めている。そして、自分が何かの役に立つことで再び生き甲斐を持ちたいと望むものが増えている、』ということだ。ここにはパックス・アメリカーナと呼ばれた時代の豊かなアメリカの高齢者の姿が浮かぶ。退職後の人生を楽しむことができる人たちがまさにここにいる。しかし、この様な高齢者像は過去形になりはじめている。今や豊かな高齢者像は長くは続かないことに多くの人々が気づきはじめている」と書かれています。
政党からの独立性について
「…AARPが何度も強調するのが、特定の政党や候補者を支持したり、肩入れしないということだ。また、政策を通してもらったり、AARPに有利な取り計らいをしてもらうために1セントたりとも渡さないという。あくまでも高齢者の立場に立って、彼らの利益となる政策を提案し、それを理解してくれる議員に働きかけるというのだ。だが、周囲は必ずしもそうは受け止めていない。そちらかというと民主党寄りだと、ある共和党議員は批判したり、『もうこれ以上肥大化するのはみたくない』といった、憤慨とも弱音ともとれる意見も飛び出す」
実際クリントン大統領は50歳になると早々にAARPに入会しているし、96年クリントンが再選をはたしたときの新聞記事に「…米大統領選でも、米労働総同盟産別会議や全米ライフル協会など、圧力団体の影響力は大きかった、50歳以上の3300万人で構成する『全米退職者協会(AARP)』もそのひとつだ。…(略)…AARPが同氏の再選に与えたパワーは見逃せないものがあった。(96・11・29東京読売朝刊)」とあります。
大衆団体が必要によって政党を支持したり政党と協力して闘うことを一般的に否定することはできませんが、問題はAARPが支持し協力しているのが民主党だとするならば、これは不毛だというしかありません。
確かに民主党は目先の小さな利益のために働いてくれることはあるかもしれませんが、大元のところでは高齢者や労働者がより暮らしにくく、働きにくくなる政治を推進しています。
アメリカの高齢者の闘いの大きな部分がこうしたところに立ち止まっているとするならば、私たちはこれをお手本とすることは困難です。アメリカの高齢者の先駆的で先進的な闘いの成果を大いに学びながらも、彼らの迷い込んだ同じ迷路に陥らないために、日本の私たちはこれからの高齢化社会に向けて気を引き締めて、闘いの進路、方法や手段を真剣に考え抜いていかなければならないと思います。
(Y)
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『なぜ高齢者福祉は腐食するのか?――えひめ福祉オンブズマンからの報告』
県老施協の不当な圧力との闘いから
1996年の暮れに社会福祉法人・彩福祉グループと岡光前厚生省事務次官を始めとする厚生省官僚の癒着が発覚しました。著者は事件直後にこの事件を「起るべきして起った事件である」とし「高齢者福祉はなぜ腐蝕するのか」という論文を『世界』(岩波書店)に投稿し、97年4月号にその論文は掲載されることとなります。論文に対し地元の愛媛県老人福祉施設協議会(以下、県老施協と略称)が不当にも彼の勤務する大学の学生の実習受け入れと、就職を拒否するという弾圧を行ない、その闘いの中で彼は福祉オンブズマンを結成します。
この本は、3つの部分で構成されています。第1章は「なぜ高齢者福祉は腐蝕するのか」として社会福祉法人の認可や運営の問題点を浮き彫りにして、老人福祉施設をどう変革すべきなのかと提案をしています。第2章の「資料・実習拒否事件」では県老施協の大学への抗議文や、大学が老施協に出した謝罪文、著者が大学に出した要望書などの資料と報道された記事などが収められています。第3章は「情報公開と老人福祉施設」という構成になっており、論文発表から県老協の不当な圧力に対する大学の対応と著者の闘い、そしてその成果としてのオンブズマンの結成までを豊富な資料で展開してくれています。
彩福祉グループの事件は特殊な例ではない
彩福祉グループの事件は、社会福祉法人が厚生省官僚を賄賂や接待で味方につけることにより、社会福祉法人の認可を受けてからたったの3年で、総額100億円の補助金を得て、約26億円もの裏金を懐に入るというもので、福祉を食い物にする企業と「高級官僚」との図式をあらわにしました。この事件は、かねてから問題になっている社会福祉法人の認可や補助金の有り方、それに加え高級官僚の腐敗、政・官・業の癒着等々の多く問題を暴露してくれました。
96年11月の衆議院厚生委員会で小泉元厚生大臣は「こういう人物がなぜ事務次官になったのか、信じる気にはなれない。極めて特殊な人物の行為」(毎日新聞11月28日)と述べ、全国社会福祉施設経営者協議会も、「今般の特別養護老人ホームをめぐる一連の不祥事は、きわめて特殊な例であり、通常、このような事態は起こり得ない」(「特別養護老人ホームをめぐる不祥事に関する見解」11月28日)とし、当局や福祉業界ははこの事件を「特殊な人物」による「特殊な事件」として片づけてしまいます。
著者はこの事件をわが国の老人福祉施策の歪としてとらえ、非営利のはずの社会福祉法人がいとも簡単に営利を生み出す悪徳経営法を愛媛県の行政監査資料を元に鋭く暴露しています。例えば愛媛県内の2つの特別養護老人ホームを比較し、定員100名で職員数も多いはずの施設が入所定員50名の施設より人件費や食費が少ないという信じられない実態等を指摘しています。
入院中でも措置費がおりる
また筆者は、措置制度を悪用し、実際には入院して介護をしていないにも関らず3ヶ月間は20万以上の措置費(事務費)を受け取り、かつ空きベッドで在宅サービスとして利用しその費用を請求するという2重取りの、不当な営利運営の実態などを次のように明らかにしています。
「…Bホームでは1日平均27名者ショートスティを行なっていた。Bホームではそれは短期保護専用ベッド20床、特養の空きベッド4床を使って行なっていると説明していたが、筆者はその数字には操作が加えられていると思う。…この施設の経営者が『手のかかる老人を施設で看るよりも、入院させ、その空きベッドを使ってショートスティを行なった方が得になる』と考えているからだと思われる。…特養に入居している老人が入院しても、20万円以上の措置費(事務費)が何もしなくても施設に入る。…このBホームのように、少しでも体調を崩した老人は即入院させ、その空いたベッドをショートスティに利用し、その料金を稼いだ方が、『二重の意味で得』なのである。こうしてBホームは、91年度だけでショートスティによる純利益6800万円余りを得た。」
県老協の実習拒否事件の経緯
彼はこの論文の発表を決意したときに、すでに何らかの圧力がかかってくるのを覚悟していたといいます。というのも、彼の住む愛媛は12年前にも県ぐるみで取材拒否をし、地元日刊新愛媛新聞社を廃刊にまで追い込んだというおぞましい過去さえある地域だからです。
彼の周辺にいる何人もの人が、発表の準備で資料集めをしている彼に、論文発表を思いとどまるようにと次のように警告もしていたほどでした
。「政・官・業がこぞって彩福祉グループ事件を『特異な人物』による『特異な事件』として片付けようとしているのに、君のようにそれは起こるべくして起きた事件だと言い、特別養護老人ホームを営利のために利用している社会福祉法人は決して少なくない、などど言えば権力者や業界団体から手厳しい仕返しを受けるよ」
そして周囲の人が心配した通り、愛媛新聞に「雑誌の『世界』4月号は必読に値する。と言うのも聖カタリナ女子大学助教授の永和良之助さんが、高齢者福祉の現状について提起を行っているからだ。『問題は彩福祉グループだけじゃない』と、その筆運びは鋭い。」(愛媛新聞「地軸」1997年3月15日)と紹介されると愛媛県老人福祉施設協議会(以下、県老施協と略称)は筆者の勤務する聖カタリナ女子大学長に対し、彼の論文は愛媛県の特定の施設を告発したものであり、事実誤認がはなはだしく、すべての社会福祉施設に対する誤解と偏見につながる恐れがあるとして抗議をし、筆者の謝罪と大学の釈明がない場合には学生の実習と就職を拒否することになりかねないと圧力をかけてきたのでした。
彼はその抗議について大学への申込書で次のように記しています。
「…五 私は、愛媛県老人福祉施設協議会の言論・表現・学問の自由、大学の自治に対する攻撃や、学生を人質にとっての理不尽な攻撃や恫喝に対して、一歩も譲らず闘う決意であります。…老人福祉施設が、私と言論の上で争うことなく、社会福祉士となり公益のために尽くそうとしている学生の実習を拒否することは、憲法に定める『公の支配』からの逸脱行為であり、憲法が禁止している権利の濫用であり、老人福祉施設を私物化する行為だからです…」
しかし県老施協は更に態度を硬化させ、大学訪れ学長に「聖カタリナ女子大学の学生実習を受け入れないことと、実習連絡会に出席しないことを決議した」と伝え、更に先の「抗議」に対する正式な回答書を要求しました。それに脅え翌日に大学側は「本学教員による岩波書店刊の雑誌『世界』の掲載文が皆様方をはじめ社会福祉関係の諸方面に多大なご迷惑をかけていますことにつきまして衷心より遺憾の意を表明する所存でございます」と謝罪文を提出してしまいます。著者はこの事を事前には全く知らされていなかったと言います。大学の対応に不審をを抱いた著者はこの事件資料を公開する理由の一つとして「…社会の『公共財』である大学と老人福祉施設には、最低限のモラルとして透明性が求められていると思う。曖昧な、市民には何がなんだかわからない不透明な問題『解決』は社会の『公共財』には許されないと考える…」としている。
えひめオンブズネットの結成
県老施協の「実習拒否」に対し、「愛媛県老人福祉施設協批判論文理由に実習拒否 大学側に謝罪要」(97年3月31日 朝日新聞)、「愛媛の老人福祉施設協私大助教授の論文に反発 実習受け入れを保留」(3月31日 毎日新聞)、「実習保留は変わらず 県老人福祉施設協議会 正副会長会を開く」(4月1日 朝日新聞)「県老人福祉施設協議会は頭を冷やせ」(4月1日 愛媛新聞)、「施設の透明化を」(4月4日 愛媛新聞)、等々一斉に報道します。その後、彼の論文やマスコミ報道でこの事件を知った読者から100件以上の「声」が寄せらるまでにも至ります。その中には老人施設に入所者の家族や職員から、施設の横暴や不正を訴える手紙や電話数多くあったそうです。彼は訴えのあった家族や障害者にオンブズマンの結成を呼びかけ「えひめオンブズネット」を結成するに至ります。
入所家族や職員から寄せられた声
「私が勤めていた施設では、数年前まで理事長や施設長の指示で、老人が亡くなった後に残された遺留品をひそかに売っていました。買わさせられていたのは、ほとんどが痴呆の老人です。通帳も印鑑も施設で預かっていますから、本人の意思で買ったことにしておけば監査で問題になることもありません。」
「…父が入所している施設では…裸足のまま車いすに乗せられてますし、カーテンはあっても使われませんから、おむつ交換も丸見えです。食事もあまりにも粗末です。入所の折に半ば無理やりに貯金通帳、年金証書を取り上げられましたが、何にお金が使われているのかこれまでに一度の説明もありません。…改善を求めたところ『そんなに文句があるならよその施設に移ってくれ』と言われ、侘びを入れて置いてもらっています。それ以来、施設には何も言えません。」
えひめ福祉オンブズネットの指針
彼はオンブズマン制度が必要性と老人福祉施設において不祥事が後を絶たない理由や入所者の人権侵害が起きる背景等について述べています。
「その理由は多岐にわたるが、権利擁護と品質保証のシステムがないことと、市民の税金で運営される公的施設であるにもかかわらず、その内部の情報や運営の実態を市民が知ることができないことが、主たる要因になっていることだけは間違いない。つまり、情報が公開されていないために、市民のチェックが働いていないのである。入所者に対する権利擁護のシステムも、福祉サービスの品質をチェックし良質のものに改善していこうとするシステムもなく、その上に内部の実態や情報を知る手がかりもないとなれば、不正が起こり、入所者の市民的権利(人権)が侵害されていくのも当然であろう。福祉オンブズマン(パーソン)活動は、まず情報公開を求め、運営実態を明るみに出していこうとする市民の監視活動であるが、それは同時に、福祉サービス利用者(市民)の権利擁護と品質保障のシステムを創っていこうとする活動でもあることを強調しておきたい。と同時に今後こうした活動が拡がることを期待したい。そうしないとこの国の福祉は、いつまでたっても上(行政)から与えられた『施しの福祉』の域にとどまり、『権利としての福祉』、言い換えれば『市民の、市民による、市民のための福祉』へと発展することはないと思うからである。」
これは介護保険導入前に書かれた文章ではありますか、これからの介護保険制度ではより以上のオンブズマン制度の確立が必要になってきています。著者の言うように全国へ拡がる福祉オンブズマン活動を作り上げていかなければならなりません。
(Y)
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