主張論争連載読書室色鉛筆メールバックナンバー

読 者 か ら の メ ー ル
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●義務教育費国庫負担制度の堅持を求める全国集会に参加して

 九月一七日夕方、全日本中学校長会や日本教職員組合などの教育関係二二団体が、日比谷野外音楽堂において、義務教育費国庫負担制度の堅持を求める全国集会を開き、主催者団体の一つである日教組は、傘下の組合に全国動員をかけてこの集会を下支えしました。
 私も勤務を終えてから参加しましたが、自民党のある代表などは、「今こそ日教組はストで闘うべき」だとの激励しました。会場からは、この発言は予想外で思いがけない発言として、拍手と失笑が漏れるなどの大きな反響がありました。続く河村文部科学相の挨拶は、「義務教育は国の財源保障の上に立って地方が特色ある教育を進めることが重要。負担金制度を崩せば日本の将来に禍根を残す」というものでした。
 その他、人確法の成立に関わった西岡武夫も挨拶して、全国知事会の削減案は、義務教育の大切さも教育理念の論議もなく、単なる数合わせだと批判し、さらに小泉も引用した「米百俵」の話を取り上げて、教育は国家百年の大計だとして、全国一律の教育水準と機会均等を保証する義務教育国庫負担制度を守らなければならないと彼は力説するのです。
 この集会には、教育各団体の代表者や自民党・公明党・民社党等の国会議員及び議員秘書らを含む四千人以上が参加したため、日比谷野外音楽堂はほぼ満席の状態でした。また群馬・鳥取・愛媛・長崎・大分の五県知事からの激励のメッセージが読み上げられ、遅参して最後の挨拶をした樋口恵子氏は、応援団として参加したと切り出して義教堅持の闘いの意義を述べた後、私の目の黒いうちに、日教組と文科省が一緒に集会を開くことになるとは、想像したこともなかったと言わせたほどの集会とはなりました。
 集会で決議された緊急要請は「仮に義務教育国庫負担制度を廃止すれば、多くの道府県で義務教育の充実に必要な財源が確保されず、三〇人学級どころか四〇人学級に必要な教職員を確保することも困難になる」と指摘して、義務教育国庫負担金制度の堅持を訴え、近く関係省庁や国会議員に制度の堅持を求めていく事を確認して散会となりました。
 自民党文教族のドンである森喜朗や中川秀直も秘書を参加させるほどの大連合集会だったことや各挨拶の合間に遅参して到着する来賓の紹介に参加者はうんざりさせられました。呉越同舟とでもいうべき相手との共同戦線ゆえ、労組集会の恒例である団結ガンバロウの意思統一もデモ行進もない集会でしたから、私などは物足りなさを感じました。
             (S)

●うれしいニュース(0からの創造する若いカップル)―路上生活者の生き方の変遷より

 都市脱出がかなわぬ夢と知って、改めて新たな差別のはじまりつつある大阪の再発見というより、どう生きるか、どう死ぬかが目前にある、わが街を改めて見直そうと、手探りの街歩き、学びが始まった。
 谷町4丁目にある府立国際文化交流センターへ、公開講座の受講料を渡しに行って、ついでに資料室でいっぱい資料を選び、動けない生活者のために、送る相手の顔を浮かべながら彼女らの興味ありそうなものを選んで。帰途についた。すでに夕方6時頃。
 路上で若いカップルが、何か拾ってきた物らしいのを懸命に削っている。何か創るらしい。私が通りかかったときは、何になるか形になっていなかった。昔は、中之島まつり≠フありようを聞いて、遊びではあっても0からの創り出す発送の仕方に、目をみはって帰ったものである。
 若いカップルは多分、家を持たない路上生活者と見受ける。ずっと路上生活者をそばから見ていて、そのありようの変遷をわずかながら様々であったが、こんな0からの創造する人はこれまでも見たことがない人々であり、たいしたもの、と喝采したい思いであった。
 私たちも戦中・戦後の焼跡の0のなかで生きてきた世代であるゆえに。明日は祭日。近くだから通りがかりに何が創られているか、小銭を用意して行ってみようと、ワクワク。
 小数ながら、これまで見てきた路上生活者のありようを記述してみよう。青テントのグループは貴族に属する人々と見ていいと思う。夏にはパラソルをさしその下にテーブルを置き、かき氷などやっている。近づけばどやされそうで眺めるだけだった。
 大抵が廃品回収、そっと、市に回収してもらうものと、路上の人々に回収してもらうものと分けておくことにし、言葉を交わすこともだんだん少なくなってなっていった。その少し前は聞きたいこと、例えば「オフロどうするの?」というと、頭の固い市民よりもはるかに想像力の優れたオッサンとも思える答えが返ってきた。
 「プールへ入るんや」「へえ? プールてなんや」「空きカンに穴をあけて突っ込み、水道栓につないで頭からかけるんや」これがプール、空きカンとホース、これをプールと見るには、そこに脳みそが働く想像力のすばらしさがある。そんなオッサンは消えて、理屈っぽい人や、すべて没法子=iメイファーズ)愛も希望も見えず(鳥越さんは奇しくもホープレスと表現‐これは住民票のある人間とて同じであった)、酔っ払って寝転んでいる人々。最近では組織化されている人々は、この辺にはいないのだろうか、本を読んでいる人品いやしからぬ人々が増えたようだ。
 ごく最近、空きカンなど集めて足下に置き、赤いドレスに腕にはキラキラするものが光っていて、時々奇声を発するいわゆるオカマさんがいた。宅間のように殺人に至らず、「狂気」の方に向かった人であろう。世の中から蔑視され弄ばれながら「狂気」の方に行ったのは、多分やさしい性格なのであろう。宅間は殺し≠ヨ。また食う物よりも、人の情けを求めるすがりつくような目つきをする老いた路上の人には、とても真面に目を合わすことは難しい。
 誰でも殺意は持つだろう。しかし、殺し≠ノ一線を踏み越えず、「狂気」に至ったのは二重苦に耐えて生きる人であろう。ジルドレ≠ヘ少年殺しを重ね、神に詫びつつ火あぶりになって果てた。しかし、宅間の場合、一切のものに詫びず、死≠求めた。これは小から大まで流血の惨事の終わらぬこの世界に、投げかけられた問題であって、生きている者に何とか血を流すことを留めるよう迫る問いとも思われる。
 彼は世界に問いを投げ出し、あっさりと望み通りこの世を去った。生存者に大きな重荷を背負わせて。とにかくみんなで、手探りでこの問いに当たらねばならぬと思う。一方、「どこまで続くぬかるみぞ」という感は拭えずにある。
 そんなとき、夕暮の路上で何か創りはじめた若いカップル。大河ドラマ宮本むさし≠文字って食堂の看板が宮本むなし≠ニ虚無を掲げているのに、腹の底から笑えぬこの頃である。しかし、宮本むさし≠ノ登場する又やんの嫁はん、あけみさんは又やんが商売に失敗し、すってんてんになってボーッとしている時、嫁はんことあけみさんは、「拾い屋をやればいいじゃないか」とせっせと廃品回収を始める。これぞ大阪の女≠セと思った。
 戦中・戦後、気が強くて家族の中心であった母、長姉の死後、またまた家族の大黒柱となった現在の姉、病身ながら店頭に立っている。フニャフニャの近松の心中する女ではない。しかし、最近ちょっとスランプ。それでもまた回生≠キごい女性だが、表面はフニャフニャみたいでなければならないのを承知のような振舞に、私はシャッポをぬいでいる。ほめるのもいやだし、本人も誉められたら余計孤独になるだろうから、お互いに冷ややかに対そうとする妙な具合。それ故にこそ、路上の若いカップルの0からの創造とも思えるありように、本当にうれしい思いを押さえられなかった。
 帰宅して送る資料の封筒の表に、私も0からの出発と意気がってボランティアとして自称私的情報屋より≠ニして、住所氏名を書いた。私のは年寄りの線香花火のようで「続くところままでやるさ」であるが、若いカップルはこれから生き続け、幾つもの峠を超えて行くだろうし、そのエネルギーを持ち続けてもらいたいものと祈るような気持ちである。 うれしいニュース、若くてこれまでになかったあり方で、生き続けていくことだろう。今夜は小さな光を見たようでうれしく、食うのも忘れて、これを書いた。創造主がいたとすれば、本人はうれしくてうれしくて仕方なかっただろうと想像する。
  2004・9・22 
          (宮森常子)



●動物園前のシネフェスタで驚いたこと

 ムーアの華氏9・11≠見に行った。さまざまな感想を持った中で、最も大きなことを学んだと思うことは、息子をイラクで失った(兵隊として)母親の言葉。戦争を体験しない若者の反戦運動を、その苦痛を味わないで、何が分かる、と最初は思ったけど、反戦という若者たちは戦争の持つ本質(こんな言葉だったかどうか覚えていない)そのものに反対しているということを、知った≠ニいう。
 昔から実践信仰とか理論信仰とかいわれて、軽重を言われる傾向があったようだが、例え体験の言葉や行動でなくとも、発言すること、書くこと、どのような形ででも志を表すことは同じことであろう。
 ただ私は動物に近いからか、肉体的な苦痛はまっぴらという点から発想することが多い。戦中・戦後の飢えの時代に育ったから、うまいものの味がわからないし、足が悪いから洋式のオトイレは絶対必要。
 これまでの私の夢は、中国の昔の隠遁の生活であったが、それはとてもムリと知り、大阪という街を脱出することは諦めた。さて大阪とはどんな街か知ることから始めると、世代の感覚の違いに驚くと同時に、失われていくものの淋しさとごっちゃの思いの末、中国でかつて長く一般に口にされた没法子=iしょうがない)という言葉が口をついて出てきそう。
しかし、若者達になんでもやりたいことをやってみろ≠ニいう新世界の風潮のせいか、シネフェスタに置いてあったパンフレットの中の1枚に、韓国の若い監督の言葉僕自身が見たい映画を撮っています≠ニいう大見出しの文字にまず驚いた。私たちの世代は意味≠スら何たら、難しい理屈をつけなければ気がすまないが、私たちにはない自由さ≠ニ言っていいか、新鮮さに参った。崔洋一氏の映画は好きだが、韓国の若い人の映画は見たことがない。
 大阪市が建て、もてあましたフェエステバルランドだが、メリーゴーランドは動いていたし、7Fは大体若者が好む映画から、子ども向けのアンパンマンまで、静かながら、滅びそうだったこの建造物も生き返りそう。近くでもあるし、新しさと旧いものの同居する新世界のこの一角に、伝統だけをよりどころにしない文化の誕生を見たい思いがする。
2004.9.4 宮森常子

●「米軍ヘリ墜落事故に関する報道機関の質問に対する回答」を読んで

 まずアメリカ大使館の回答を引用する。

 質問:米軍ヘリコプター(CH―53D)の墜落現場では、「ガイガーカウンター」(放射能 検出機)は使用されたのか?
 回答:使用された。1部の航空機やヘリコプターの残がいを検査する際に使用される標準的な検査機器のひとつが、放射能検出機である。8月13日沖縄での米軍ヘリコプター(CH―53D)の墜落に対し、米海兵隊の安全・救援担当職員は、付近にいる人々や乗員の安全を確保すべく、また事故機の残がいを保全するために、一連の手続きに注意深く従った。環境への悪影響を防ぎ、また最終的に事故の原因を知るために、CH―53Dの残がいを注意深く調べなければならない。
 それでは放射能検出器を使用し、われわれは何を探していたのか?CH―53Dには、低レベルの放射性同位体であるストロンチウム90を含む回転翼安全装置および氷結探知機が装備されている。放射能検出機はCH―53Dの残がいの中にあるこれらの機器を見つけ出すために使用された。ストロンチウム90を含む回転翼安全装置は、飛行翼検査システム(IBIS)と呼ばれる、ヘリコプターの回転翼に取り付けられた感知器であり、回転翼の亀裂・劣化をパイロットに警告する。
 IBIS安全装置は別々のケーシングに6放射線源を含んでいる。ケーシングはローターに取り付けられたブレードの根元の部分に位置する。それぞれのケーシングは約500マイクロキュリーのストロンチウム90を含み、ノック式ボールペンの押しボタンくらいのサイズの小さいステンレス製保護シリンダーに装てんされている。6個の容器のうち5個は事故現場から回収された。ひとつは機体の燃焼・溶解で気化した可能性が高く、識別不能である。焼失したストロンチウム90の量は人体に危険性はない。この量は通常の胸部エックス線撮影あるいは太平洋を横断する航空機搭乗による照射に比べ、かなり少ない。氷結探知機は約50マイクロキュリーのストロンチウム90を含むが、現場から回収された。
 米海兵隊は日本の民間企業と連携して環境影響調査を行い、その結果をでき得る限り早急に報告する。ストロンチウム90、燃料、その他の合成物質、汚染の可能性のあるいかなる物質も含めて、現場に残る物質は、どのような種類であれ検証する。しかし、予備調査結果が示唆するところによると、墜落現場には放射能汚染の痕跡は存在しない。

 この回答は、私たちには検証不能なものです。ガイガーカウンターが使われたことをもって、当初墜落したヘリは劣化ウラン弾を搭載していたのではないかといわれていたが、ここでいわれている回転翼安全装置にストロンチウムが使用されていることなど、誰も明らかにしていなかったのです。
 いわゆる軍事評論家もその程度の知識なのかと私は真実を知ったのですが、米軍のわがもの顔の立ち居振る舞いに対して大いに憤りを感じました。それと同時にこの事実を明らかにすることをためらっていた小泉内閣にもなんて奴らなのかとの怒りが沸き立ちました。問題は日米地位協定の存在とその運用改定にあるのではなく、米軍の日本駐留にあることは明白です。安保体制の打倒こそが問題となっているのだと私は考えます。

●現状からブリューゲール≠めぐって思うこと

 戦中、戦後を生きてきて現在71才になったおバアの思うこと。戦後といえども恋愛すらままならず生活も安定したこともなく、やっといわゆるゆったりと時間の流れを楽しめる(つまり社会的には無用の者となった人間)ようになったから、ニュースとか雑誌にも目を通せる時間も持てるようになると、全くややこしい、何が本当だか分からん世の中だな、と思う。世論の力、とか市民の力とかいわれるけれど、ホンネをいってるか、また自分自身のホンネも分からん、私も疑問だらけ、というのが本当のところ。
 「Days Japan」9月号「反テロ戦争」というのに、どのようであろうと眼前に示される映像は、人もなんもかもメチャメチャにされた実像。
 自衛隊も強引にイラクへ向かわされた感じで、隊員が志願しなけりゃいいと思ったが、これまでの外へ向かって戦争をしかけていった経験から言えば、日常生活、普通の人間の世の中は喰って糞して寝て起きて、さてその次は死ぬばかりよ≠ニ一休さんの狂歌の如く、最低の日常生活が出来なくて、眠りの300年続いた江戸時代でさえ食えない矛盾があったし、明治以降、白いめしが食えるからと戦争になだれこんでいったのが、われわれ国民ではなかったか。
 イラクへ行った自衛隊員は動機はそれぞれであろうが、隊内のことは鉄のカーテンの如く分からないが、「Days Japan」が隊員のホンネの一部を伝えている。最初は取材のためにワンサとやってきても、どうせ自分達は置き去り、みな去っていく、とうらみをのぞかせる。
 さらに上の方で多国籍軍に組み入れられるとか、おカミのいう通りに動かされる。彼らは何を思っているかは知るよしもなく、せいぜいマスコミへの不満をぶっつけるだけ。同情の念も起きるが、自衛隊員自身が考えてもらいたい。上意下達の一番きついのは、国の権力機構と考えられる自衛隊、警察力ではないだろうか。
 当たり前の日常生活ができていないから、家庭もむちゃくちゃ、少年少女の非行、バカおじさまの異常な行為、枚挙にいとまない。治安のためとして私たちの生活に、身近にある警察力がどのような性格を持つか、諸刃の剣ともいえるように見える。いずれにせよ、日常性が崩れていく要因がいっぱいということが根源。
 7月下旬に女木島、いわゆる鬼ヶ島へ2泊3日の旅をした。こじんまりとした海を楽しむ島。港のすぐそばに鬼の館≠ニいうのがあって、島の案内、紹介、鬼≠ノついての考察とか、なかなか興味深い資料館といってもいいし、文化館ともいえる島の建造物。
 展示してある鬼さん≠フお面にみたいなのに誰が作ったのか、と見ると、○○駐在所とある。なんでも島の中心は古老の人々と想像するが、おまわりとて、その下にあるらしいし、犯罪もないから鬼さんのお面″りという芸術作品を創ることになるのだろう。 このような関係がずっと保たれれば、親しめる駐在さん≠ナ生活者と同じく思われるのだが、こんなのんびりした島に渡る高松のフェリー乗船待合所にも反テロ≠フビラが貼ってあった。海に生きる人々は余り気にしてもいないようにも思われたが、戦前、東北の駐在さんでも日頃、村民に親しまれていたとはいえ、国家の意向で俄然、態度が変わったことも人づてに聞いたことがある。だからイラクの自衛隊員にしても、国内の自衛隊にしても、警察官も自分自身で考えてもらいたい。考えること、発言することを困難にしている事情がいっぱいありそう、世論を形成する国民も同じこと。 
 ブリューゲールが描いた生≠フ原型ともいえる農村の愚直でありながら充足した生活(それほど破壊されていなかった中世故か)人物・祝祭とともに、死の勝利≠ニかキリストを虐待するのに熱狂する群衆、この正反対に見える一連の画をどうみたらいいのだろう。こののどやかなあまり上品とは言えない農村の生活に、崩壊の不気味な兆しをブリューゲールは感じ取っていたのではなかろうか。
 それにしても愚直に見える農夫の顔も一つ一つ違うし、ずるそうな顔や肥え太ったパンやの頬にかじりつく痩せた顔、スリ、いろいろ、生き生きしているとはふさわしい言葉ではないが、そのままの姿、それが後に死の勝利≠ニか学校裁判≠ニか次に現れるであろう不吉で不気味な予感を想像させるバベルの塔≠ヨ。
 私は現在バベルの塔≠フ出現をやがて見るような不気味な感を拭えない。戦後、自給自足を図らねばならなかった生活、折角、狭い土地にジャガイモを植え、明日は食べられる、と喜んだのに朝起きると掘り返えされてジャガイモは盗まれていて、葉をゆがいて食べたら家族全員、胸が悪くなり寝込んでしまったことがあった。そんな経験からか、夢中で生き、ヒマになった老境に入ると自給自足の夢はやはり生きていて、1年6坪の農地を借りたものの、雑草ばかりとつきあって作物一つも作れなかった。飛び回ったせいで、百姓したくとも、もうヨボヨボ、口ばっかり達者の憎たらしいバアさんになった現在に至っている。安心のファシズム≠ニいう本が岩波新書で出ている‐副題が支配されたがる人々に=]
2004・8・22
          (宮森常子)

●自民党党内闘争の激化――橋本派の一億円汚職の暴露

 今回の参議院選挙で、自民党は敗北したが、派閥別の議席数で増減を見ると森派のみ六議席増やした。こうした中で発覚した日歯の橋本派への一億円献金事件。青木・野中が立ち会った中で、日歯の臼田会長からの手打ち金として橋本が受け取ったのが、一億円の小切手で、橋本は何とその場で背広の内ポケットにしまったと新聞では報道されている。誰がリークしたのであろうか。橋本派からのものでないことは、あまりにも明らかである。
 こうして田中から引き続いて日本を壟断してきた最大の利権派閥であった橋本派は、この暴露により、派閥解消にもなりかねない最大の危機に立ち至ってしまった。かって傲岸不遜の代名詞であった橋本会長の凋落ぶりは傍目にも全くあわれそのものではある。
 かくして自民党の国内利権支配の覇権を巡っての党内闘争は激しく始まった。昔から権力に上り詰めての最絶頂から突然の下落が始まるとはよくいわれており、参議院選挙敗北の責任を取らない青木の参議院議員会長就任が、橋本派没落の合図とはなったのである。
 この国内権力機構内の力関係変化の混乱の中で、私たちは、労働者民衆の第三極作りをめざして闘っていく必要がある。ともに第三極作りのために闘っていこうではないか。
             (S)

●Fさんに考えてほしいこと

 正直に言って、なぜあんな失礼な批判が出来るのか、不思議でした。両者ともワーカーズ紙に賛同し、原稿を書いていただいてる購読者であるのは御存知のことと思います。もう少し、配慮のある批判は出来なかったのでしょうか。自分の文章を支離滅裂と言われれば、どんな気持ちになるか想像がつくと思います。具体的な指摘があれば、そこを改善する、分かりやすく説明する事も出来ます。宮森さんにとっては、自分の生き方への批判であり、自分を否定されることになるかもしれません。幸い、引き続き投稿の意志を確認しましたが、色んな立場からの多様な形式の文章があっていいと思います。批判された人が、前向きな姿勢で対処出来る、生産的な意見をお願いしたいと思います。
 Georgeさんの旅行記は、私は歴史を振り返ったり、当時の生活感を味わったりで楽しみにしていました。なるほど、生活に追われ長期の休みも取りにくい私たちにとっては、羨ましい思いでした。しかし、療養を目的とした旅行ならば、その為に給料を使うことは贅沢かどうかは、価値観の違いと受け止めるべきでしょう。健康である自分の立場を当たり前ととらえず、療養中のGeorgeさんへの配慮が必要だと思います。
 Fさんは、やり場のないふんまんが批判へとつながったように言われますが、労働現場で闘っている人がたくさんいるのは御存知ですか。私は、先日、教育基本法改悪に反対する集会に行ってきました。教師を中心とした350人もの結集でした。そこで印象に残ったのは、卒業式で処分された女性教師が、「処分された数だけ、連帯の輪が広がる、負けへんで」という力強い言葉です。私はこの集会に出て元気をもらって帰ってきました。Fさんも色んな情報をキャッチされ、出かけられたらどうですか。
          (折口恵子)

●F氏への返答

 F様のお答えになるかどうかはわかりませんが、私はもう71歳、沈む太陽に向かって歩いている者で、若ければもっと私が関わっているアフガンで何かをつかめるようにも思いますが、もう生物学的にも終わった人間が、何をなしうるか、ということもさることながら、私自身が生きてきた時代のこととか、さらに先人の残した言葉を、私自身血を流す思いで現実とぶつかって、やっと理解できるということにすぎず、その中で様々な疑問、もっと知りたいということなどが出てきます。 
 しかし、書くことしかできない(体力的に)という恥ずかしいことながら、大きな状況を、私自身をとりまく小さな状況から考え、それを辛らつで軽快な言葉で書きたい、それはテレビ放送が現在の辻説法であると思ったからですが、まあ裏方さんであっても、きついこともいうし、自己規制することなく述べることが、かつての大本営発表にふりまわされた苦い経験を二度と繰り返したくないと思ったから。しかしこの頃は情況というものはどんどん変わっていきますし、昔から言い古された言葉(中国の古いことわざ)不易流行の時は流れ変わってもいつの時代も変わらぬもの、それは自分にとって何かをつかみかけているように思います。あちこち歩くことによって。
 はじめは逃亡からはじまった旅でしたが(この年では棺桶といっしょに雇ってくれるところはありませんから、家にいるとじゃまでかさ高いそんざいでしかないから)、きざですが旅はわが命≠ニでもいいましょうか、古今東西、ペシャワール会のもっているもの、あり方も、いいたいことを押さえた表現とも思われることにも気付くようになりました。年寄りで何の能もないものにはなら山ぶし考≠もちだすまでもなく、社会的にはごくつぶしです。どのように美しい言葉で飾ろうとも。
 その他、自分の足で知り得たことは、多くの骸の上に美しい花が咲いている(つまり文明とでもいいますか)、絵かきの横尾忠則は京都近代美術館の正面に、たくさんのガイコツの上に宝塚スターの2〜3人の姿を書きました。この絵を理解しえたのは、最近、タダの公開講座に出かけます。早く終わってずっと昔訪れたことのある石切で下車しました。ずい分の様変わり、あるお店のおばさんによれば、新石切という駅ができ、道路がつき、店も何もかも変わったとか。
 タヌキの飲んべえの瀬戸物が店先に飾ってあり、面白く思って写真を撮らせてもらいました。その向かいに夢観音というハイカラな観音様の看板があり、馬に羽がついているのがコマ犬に変わってあります。余り奇異に思ったので、タヌキが店頭においてあるウナギの食堂のおじさんに、これ昔からあった観音さん?≠ニ聞いてみました。すると20年ほど前に山にトンネルを掘ったときに80メートルほど土地が陥没し、家ごと、人の住む家ごと埋まって死んだ人がいたそうです。その後に、この希望と夢の夢観音≠ニいうのが建設され観光の一つとなっているそうです。その説明書などが出ていたら今度たずねてもらってこようと思いますが、歴史とは(文明の進むことが歴史の流れであるとすれば)なんと残酷なことだろうと思うと同時に、地球は出来たときから人も生きとし生けるものも滅亡に向かって進んでいるのではないか、という感を深くします。
 そこで開高健氏は私の出身校の法科の出で、個人的にはイヤな経歴を持つ人ですが、明日、地球が亡ぶとも、私は今日リンゴの木を植えるだろう≠ニいう言葉は重い言葉とうけとっており、私にとってリンゴの木≠ヘ何だろうと、また不易流行といわれる言葉も変わらぬものは、その行為の中で見つけられるだろうと思っております。私は経験が出発点であると思うから、金も名もない一人の人間、個人の経験から、何を考え、何をつかみ取り、何をやるか。私は書くことしかできない(恥ずかしながら)。しかし、それはあくまで私個人のもので、新しいことなどできそうにない。現在、体当たりで問いを持ち、それを勉強の始まりとし、まとめて書く(その表現もできるだけ洗練され軽やかに、と文体の工夫もしますがなかなか)。
 それは先人がやったことを何とか、やっと体で理解しうる段階、同時に自らも知ることになるのですが、あくまで個人的なもの。それを普遍的にとかはおこがましくて、まだまだ知らないことが多く、せいぜい不当に死んでいった人とか、近くにも殉難者の記念碑があり、その記録をとどめること位しかできそうにないな、と思っています。そんなことは一ぱいごろごろあります。しかし、一般にいう地域性重視には私はうんざりすることが多いのです。
 だから、理論化し、未来への光∞ビジョン≠作りうる一つの材料として役立てば幸い、役立たなくともそれだけのこと。もう私には残された時間はないし、せいぜい、私が血の通った私に関係ある事柄や人々の記録を、書きとどめること位しかできないな、それが私にとってリンゴの木を植える≠ニいうことでしょう。
 瀬戸内海の海賊の島―鬼ヶ島はバブル期に労働力の必要から年都市へ出て行った人々が多かったけど、島に残って動かぬ鬼に代わって語る人々の心も、日常(特に戦後)を生き抜いた人々の心も同じであろうし、アフガンでも、より困難な辺境へ入っていくペシャワール会の方々も、その地が緑の大地のなれば、また次の難儀な所へ向かわれるでしょう。草原の牧畜民族と違って、作物の育つ地にして去るのですから、単なる土俗とは違っていると思います。
 やがて宗教と関わるいけにえ≠フような考え方もその人々(アフガンの生活者)内部から変化を望む動きがでてくるでしょうが―蘭学事始めのように―それまでは生命維持のための水≠tcの農耕しうるための、また自らを(アフガンの人々が)語れる状況を作ることを本命としておられるのも支援のあり方として、随分いいたいことを控え、(アフガンの人々に対して)警察の態度をとっておらず、そうした支援を妨げる外部の力に抗議されているように思います。
 私は、アフガンの辺境からの発信は、全体に及ぶものとは思っておりませんが、学ぶべきことはたくさんあります。私が過疎地へ目を向けるのは(沖縄へはずい分誤りを犯したこともありましたが)、日常生活のぶつかりと、ありのままの報告を送ってくれるアフガンの会報によってです。ようやく、ここまで来ましたが、私個人の周辺の理由もあって、今はこの地を去ることを考えていますが、実現するかどうか。
 トルストイの行き倒れの意味も理解できたのは、家に住み着いて1年ばかりのノラネコが、決して人間に甘えず、サヨナラも言わずに医者の診察台で死んだことで分かったように思いました。あっぱれな死に様でした。私の友もかつての仲間も皆そのように死にました。人間というものは、年をとるとなかなか若い頃には理解出来なかったことが、分かるようになるものだなと思います。
 創価学会の親分がエネルギッシュに本を書き、心の革命≠ニか言いますが、私には深まる理解≠ニいえても心の革命≠ニいうのはどういうことなのか、読んでないからわかりません。若い頃から外科的手術のように、いろいろ賭けてやってきましたが、心の革命≠ニいうのはわかりません。読んでる暇もなく、今はとにかくお金の都合をつけ旅支度です。
 ただ言えることは、理論や狭い視点で先鋭的な考え方や行動は、若者の特技であって、年寄りはそれを理解する努力をすることだと思います。例えば沖縄最後の旅で、県庁前のでっかいビルの電光板に若者に年金など払えない≠ニ堂々と輝く文字があったのは、その裏に家出する老人やそれに類する事実があるのを知りながら、また基地の費用も払っているし、重なる取り上げへの抗議であるし、その重さ、苦しさは本土の若者とは話にならないほど重い言葉だと受け取っています。単に勇敢な、とは私は思えません。沖縄は常に影を背負い光を見ようとしている島です。少なくとも私はそう感じとっています。
 長々と書き、バラバラな記述のようですが、なぜこんなことを書かねばならないかを考えていただきたいと思います。ご健闘とご健康をお祈りします。けしからん奴、とお思いならば、その理由と共にバッサリ切って下さって結構です。16歳の時からのノラネコですから、何処にいても、どんな生活でも、見ること、書くことができるでしょう。金になりませんが。
 2004・7・14 
          (宮森常子)



●アメリカ映画タクシードライバー≠ノついて思うこと


 日本では人を殺せば殺人罪となり、なぜ殺すに至ったか、また遺族についても様々な考慮がある。ところが、この暗黒街で流しのタクシードライバーが、悪玉のボスを7人か8人か殺すことになる。すると正当防衛であって英雄とされる。日本では人を殺し、首刈族みたいにその殺した数によって英雄視されるのは、戦争の地おいてだけのように思われるが。
 アメリカではピストルを持っていてもいいらしい。武器のせいとする人もあろう。しかし、いつかのブロードウエイのミュージカルのせりふの中で殺し合うのは、ピストルのせいではない、憎悪がある限り殺しはなくならない、というようなせりふ(ウエストサイド物語であったか)を覚えている。いくら刀狩り、刑法を厳しくしても、憎悪を生む原因と向かい合わない限りやはり人殺しは起こりうる。
 憎悪は気分と感情が生み出すもの、それを修行によって乗り越える精神の強さもよかろうし、理性復権というか、分析的でもあるが、解消できる過程で、憎悪を我慢するのでなく、すべて客観化して見ることができれば、新たな世界への突破口を探し出せるかも知れない。
 地球も人も滅亡への道しかないように思う反面、あまり尊敬しいてもないが開高健氏のたとえ明日地球が亡ぶとしても、私はリンゴの木を植えよう≠ニいう言葉を実践してみようと思っている。それはリンゴの木でなくたっていい。私は鬼ヶ島へ渡ってモアイ像を動かぬ、語らぬ海賊の作ったという洞窟にいる鬼どもと島の人々をとっくり交わりつつ、私にとってリンゴの木≠ヘ何であろうかを煮詰めてみる覚悟で、只今おもろい材料を集めているところ。
2004.7.8 
          (宮森常子)

●みどりの会議」は第三極作りに成功したか

投票率五六・五七%と前回より〇・一三ポイント上回る

 改選される議席は、選挙区七三と比例代表四八の計一二一議席で、選挙区には一九二人、比例代表には八政党・政治団体の一二八人が立候補して、今回の選挙戦は闘われた。
 七月一二日午前四時の時点で、自民党は選挙区、比例代表とも苦戦、勝敗ラインの改選五一議席を確保できなかった。民主党は比例第一党となり、選挙区でも互角の戦いを展開、改選三八議席を大きく伸ばし、推薦を含めると自民を上回るのは確実だ。公明党は改選の一一議席を確保した。共産党は改選一五から激減し四議席となり、社民党は比例代表の二議席を守った。「みどりの会議」の当選は未だない。
 自公両党は非改選と合わせ、参院の一二九議席の安定多数を占めたとして、小泉純一郎首相の続投方針を確認したが、二大争点となった年金、イラク多国籍軍への自衛隊参加問題及び三年余の小泉純一郎首相の「構造改革」をめざした政策・政権運営の是非が問われたのたが、この結果は、曽我さんの家族との再会を政治的に利用したにもかかわらず、小泉首相を痛撃した形で、安倍幹事長は九月辞任を表明するなど首相の政治的基盤が弱体化する一方、他方の岡田民主党党首は「政権選択の時代」と勢いづくなど、今後の政権運営は一段と苦しくなった。

全国の当落の状況

 選挙戦全体の勝敗の鍵を握る二七の一人区で、自民党は和歌山、鳥取、島根など保守地盤の厚い選挙区で勝利した。激戦の香川、愛媛、佐賀では民主党に競り勝ったが、秋田、滋賀、奈良、高知、長崎、大分の各選挙区で議席を守りきれず、一四勝一三敗に終わった。独占していた保守王国二人区の群馬でも一議席を落とした。
 民主党は、山梨、岡山などで勝ち、沖縄では野党系無所属が当選した。一五ある二人区すべてで、推薦を含め自民と議席を分け合った。さらに三、四人区の東京、神奈川、愛知で二議席を獲得した。
 公明党は擁立した三選挙区で議席を確保した。退潮を続けている共産党は一九五九年以来、選挙区での獲得議席がゼロとなった。衰亡しつつある社民党も選挙区で獲得できず、昨年の衆院選挙に続き、旧来の左翼勢力はさらに一段の衰退となり、保守「二大政党」の流れが加速した。注目されていた無所属の鈴木宗男、青島幸男、辻元清美の三候補は、そのうさんくささからか当然にも落選した。
 比例代表は四八議席のうち、自民一五、民主一八、公明七、共産四、社民二の計四六議席が確定した。「みどりの会議」の当選は未だ確定していない。

「みどりの会議」の第三極作りは敗北

 残り後一議席のテレビ報道がされる中で「みどりの会議」は未だ党首の中村敦夫の当選すら勝ち取ってはいない。大苦戦ではある。保守「二大政党」が宣伝されて、旧来の左翼勢力が、そろって政治的な地盤沈下する中で、明確な理念を持った環境政党として第三極作りを訴え選挙戦を闘った「みどりの会議」は、当選を考えて候補者を絞らなかったことが結果的に裏目に出たという他はない。まさに基本を守らなかったが故の敗北であった。
 日本の選挙民の全体的意思としては、構造改革を掲げて、露骨に市場原理主義を導入して大企業に大量の人員整理や一段の合理化を強制し、年金法案の強行採決に代表される労働者民衆の生活破壊や地方経済を切り捨てて顧みないする自公政治よりは、なし崩しではなく原則をはっきりさせよとの民主党の政治に今回は期待するというものと確認することが出来る。その意味において「みどりの会議」の第三極作りは敗北したという他はない。
 この厳しい確認から私たちは今後の政治的な戦略を作り上げていくしかないのである。
 労働者民衆の支持を勝ち得る明確な政治理念を練り上げ作り上げることの中でしか、「二大政党」時代に抗して戦い抜くことは出来ないことを確認すると同時にこの政治理念を労働者民衆にうまずたゆまず粘り強く訴え続けていくしかないであろう。
 私たちは、今後とも労働する自由で自律した諸個々人が連合する社会のイメージを一層具体化することを、私たちの最大の取り組みの一つとして明確に意識し活動していく。
             (M)

●今頃なぜか突然の犯人の浮上

 七月九日、十年前の国松警察庁長官(当時)銃撃事件で、現場指揮役とされるオウム真理教(改称してアーレフ)元幹部早川被告や、逃走支援役として殺人未遂容疑で逮捕された同植村(旧姓岐部)容疑者らが事件直前、数回にわたり教団施設で銃撃の謀議を重ねていた疑いのあることが警視庁南千住署捜査本部の調べで分かったとして、何名かの元信者を逮捕するニュースをマスコミは伝えている。しかし、早川被告は、銃撃実行役に浮上している元幹部端本被告は、捜査が身辺に迫ったことに危機感を抱いた麻原被告の指示で、捜査をかく乱するためロシアから呼び戻されたとみられるとの解説報道には本当に呆れるばかりだ。こんなことは当時からわかっていたことである。なぜ今逮捕なのであろうか。
 オウム真理教と北朝鮮との深い関係は十年前から疑われていたことである。この逮捕劇は、公安内部の力関係の変動と対北朝鮮との関係が変化していることの兆しだと私は考え、真実は今後とも事態の推移を注目して見極める他はないだろうと私は見ている。
              (S)

●革新側の論調はか細く

 言論・思想の自由なる概念を持ち出すまでもないが、昨今の様々なマスコミ、ミニコミ(インターネット含む)に氾濫する個人の自由なる思想表現は、なにを根拠に展開しているのか理解に苦しむ。権力、国家の既成秩序に身をすり寄せて、反対・抵抗する人間を罵詈雑言、憎悪の念で攻撃する人々をみると、ネオファシズム、草の根ファシズムの拡大におぞましい気持をいだかざるをえない。片や、革新側の論潮は、かぼそく多くの大衆に訴えることが乏しい。自分自身の気力減退の故か、やり場のないふんまんは、貴誌の宮森氏、OldGeorgeに向けられる。宮森氏の意味不明、支離滅裂な文学、海外旅行に身をゆだねて結構な小ブル生活を送っているGeorgeとは一体何者か?
             

●破廉恥議員を国会から放逐せよ

 イラク人質事件に関連して、自民党の国会議員は、国会でも公然と語り出した。断固成る反撃を組織していかなければ、非国民という言葉が跳梁跋扈するだろう。
 まず彼の暴言を、紹介しておく。
 自民党の柏村武昭参院議員は26日の参院決算委員会で、イラクの日本人人質事件について「反日的分子のために数十億円もの血税を用いることに違和感、不快感を持たざるを得ない」と述べた。柏村氏は「それぞれの意思で危険な国に出かけて行って武装勢力に捕まった。これ自体が明らかに反国家的」と指摘した。(毎日新聞)
 聞き捨てならないとはまさにこのようなことをいうのであろう。私たちはこのような破廉恥な国会議員に、毎年数千万円の国税が使われていることにまさに暗然とした気分にさせられる。
 ここで明らかなように、彼にとっては、反日分子とは、国民ではないのだといっているのだ。
 人権のなんたるかも知らない厚顔無恥の国会議員を国会から放逐していこう。
             (M)

●暴露された前近代社会の日本

 「イラク日本人人質事件」は、市民社会と呼ばれてきた「日本社会」の内実を、問題意識を持つ人ならば誰でもが気づかざるを得ないほど赤裸々に暴露してしまいました。
 この間、三人のやろうとしていた自主的な活動内容をイラク現地に知らせることにより、彼らの解放を勝ち取ろうとのようとの国境を越えた連帯のメールが飛び交っている中で、心労に疲れ果てていた彼らの家族に対して、津波のように寄せられたのは、何と誹謗中傷に満ちた嫌がらせの電話や手紙でした。特に悪質な週刊誌は、家族や本人のプライバシーを暴いて、日本共産党等と結びつけようとの意図丸出しのイエロージャーナリズムそのものとなってしまいました。
 しかし、「イスラム法学者協会」の度重なる働きかけの中で、犯人たちが人質解放の動きを始めた途端、小泉総理を先頭にした政府・与党や「危機管理専門家」は、人質と家族を攻撃する大宣伝を始めました。「イスラム法学者協会」の努力や労働者民衆のメディアの力によって、結果として人質が解放されると、政府は、解放があたかも自分の手柄のように自画自賛したのです。日本政府そのものの言動が自国民の命を危うくしていることへの反省のかけらもない小泉総理らの姿勢は、世界には全く異様に見えたのです。
 曰く、「政府が退避を勧告している国に行ったのは問題だ。自己責任で対処すべきだ」「再発を防ぐために、渡航禁止の法律を作らなければならない」「せっかく解放してやったのに、活動を継続したいとは何事だ。まして自衛隊撤退を言うなんてもっての他だ」等々。まさに憲法第九条と自衛隊法を無視し、憲法体系と何の整合性のない法律をにわか仕立てに成立させて強行した自分たちの自衛隊の海外派兵を、何ら恥じることなく、全く反省しないままでの言いたい放題でありました。
 確認しておきましょう。日本政府は、そもそも国際法に違反した大義のないイラク攻撃と侵略を支持し、「特別措置法」まで作って、戦争が続いている国に、米軍の指揮下に位置づけられていることを充分認識した上で、本来海外派兵などできないはずの自衛隊を初めて派遣して、「復興人道支援」だと強弁してまで米軍の占領政策に協力してしまったのです。その結果失ったのは、今まで受けていたイラク国民の信頼でした。昨年に殺された二人の外交官も、そうした一連の流れの中で、起きてしまったことなのです。
 四月二三日のニューヨークタイムズ紙の東京発の記事では、「解放された日本人 帰国しいっそう苦痛に」の見出しで、解放された日本人は拘束されていた時期より帰国後受けるストレスの方が高いとの医師のコメントを紹介してから、「彼らの罪は、人々が『お上』と呼ぶ政府に反抗したことだ」「彼らは犯罪者のように扱われ、事実上、自分の家に囚人のごとく隠れている」と指摘し、異常ともいえる日本での「常識」や状況を説明しました。
 さらに、解放された人質がイラクで活動を続ける姿勢を示したことに対して、「日本の政府関係者が寝食を忘れ努力しているのに、まだそんなことが言えるのか」などと怒った小泉首相の発言についても、「米国政府からは聞かれないことだ」と批評しました。
 かくして、「危険なところに行くのは個人の責任と吹聴する」日本政府の態度は、結局のところ、「基本的に、海外旅行者は身の安全を守りトラブルから逃れる上で政府の助けを期待してはいけないといっているようなもの」と的確に批判しています。
 全く何とだらしない日本国家であり、何とひどい日本社会なのでしょうか。このだめな日本を変革していく他はないのです。
             (S)

●都教委の大量処分に思う

 昨年末、都教職員一〇名を処分した都教委は、この三月の卒業式で、起立せず「君が代」斉唱をしなかったとして、都教職員一七六名の大量処分を断行しました。
 被処分者に対してはすでに入学式に向けた職務命令書が送付されており、事情聴取された人に中には、「戒告が繰り返されると分限(免職停職などの行政処分)になるぞ」と警告された例もあると聞きました。
 三月の都議会で、民主党議員の質問に答えたと教育長は、児童・生徒が、国歌斉唱時、起立・斉唱させられない教師は、指導力不足教員として認定するとまで、踏み込んだ答弁しました。国会答弁や文科省大臣答弁でも認めていた「強制的にその内心の自由を束縛することはしてはならない。特に物理的に、強制的に席を立たせる、ないし口をこじあけてなんてというのはとんでもないことで、もちろん許されるものではないと思います」との見解は、東京都では、完全に反故にされてしまったのです。
 こうした無法が公然とまかり通る中での石原都知事の排外主義や知性のかけらもない暴言が何らの警告も発せられないまま放置されている東京都の肌寒くなる現状。もはや黙ってはいられません。
 こうした状況とは異なり、私が働いている市では、今回の卒業式での不起立の教職員は二人で、現在のところ、議会の出方待ちというところです。不起立を確認した市会議員が問題にしなければ処分はないでしょう。
 今こそ断固たる反撃に打って出ようではありませんか。戦争ができる国家体制作りに私は反対するとともにその打倒をめざして闘っていく覚悟をまたまた固めました。
              (S)

●家族を超えて

これは生命保険のCMであったろうか。市井のどこでもいる老夫婦、子スズメどもはみな巣立ったあとの年寄りの亭主「女房よりは一日でも早くこの世を去りたい」。なんとささやかな「のぞみ」ではないか。
 ひと昔前は富裕な家庭とか学のある家庭とかはいざ知らず、大阪市電の電車のりばかりの長屋で育った私の家庭は、日常の生活の中心は母(母自身は稼ぐ能力はなかったが)、我が家の女帝であり、社会的な目はもたずとも、とにかく荒野のヒョーの母親同然、子どもの命をつなぐための母だけが持つ力は天下一品。
 父はおのずと仲間とのつながり、ましてストライキ(あの治安維持法のもとでの)に参加し、昇進よりも友だちとのつながりの方を選んだのだが、たしかにパッとしない弱い男であり、仲間も定年後、中島みゆきの「地上の星」じゃないけれど、みんなバラバラになっていて、父は旅や、いないと思うと心安まる場所、お稲荷の宿坊によく泊まっていた。
 一方、女房の方は例え少々パッとしなくても、自分の亭主をみすてるわけにもいかず、何とか亭主を見送るまでは・・・。愛か、あきらめか、忍耐か、よくわからないけれど、とにかく威張りながらも亭主の面倒をみているわけで、母にしても、父の死後「おった者がいなくなるとスースーする」と頼りなくつっぱりがなくなったか、解放されたかわからんようなことを言いながら、気の好い姉を案内役に旅行ばかりしていた。
 母の母性愛には敬服しながらも、家族のみに「信」をおかず女一人でも生きていける条件として、自分で食える力そのための視野を持つとともに、家族を超えたつながりを持つことこそ、親や家を超えていけるよすがとなろう。
家族というのはすでに崩壊し、外圧に対するバリケードとはなりえないほどのもので、形だけのものとなっているのに、家族、家族と家族こそ・・という風潮が強いが、私は手放しで賛成しない。現在のマイナスに機能する家族を超えたものを模索すべきだろうと思う。
 あのフランスでさえ、女性知識人のはしり、ボーボアールにしても「性のちがい」と社会的なあり方との狭間での悩みを告白した書を残している。まして現在のように貧富の差、民族、部族、人種の差のある中での女性が生きることは大きな障碍があること、これを超えてゆくパワー(肉体的‐物質的)と精神性とか求められるであろう。
 考えることの不得手であった私だったが、満身創痍から自らを救うために本当に自分のために勉強し、外界と積極的に交わろうとしたのは、なんと50才すぎたオバア。それでも誤りはやるが、誤りすらも糧とする位、悪くいえば図太くなった。
 自己主張をすることを「気まま」とされ、「がまん」が美徳とされた女性像とは、早くさよならした方がいい。「献身」というのは美しいようだが「献身」の対象を限ってしまい、それがなくなると、「何もない」ということになる。前者の轍を踏まないように、私は敢えて超えるべき見本となればと思う、今日この頃。
 私は親にはなれなかったが、「親などけんかでもして蹴っ飛ばしていけ」という尊敬する山健さんの言葉に大賛成。ところが、実際はなかなか難しいのが、この浮世。しかし、「ロマン」は自らを賭けてはじめてもちうるもの。
  (2004・3・31  宮森恒子)

附記 熱くなってカッカとする人間の方が、私は人間臭くて好きだし、いやいや行いすまして、どっちの側から見てるのかわからん「修身」の教科書からでてきたような輩は、やっぱり苛立つ。司馬遷ほどの目を持つならば認めはするが。

●米軍のファルージャでの虐殺、「人質解放」口実の突入作戦を許してはならない

 このメールを書いている時点では、武装グループに拘束された日本人は解放されていません。メディアでも、事件の背景に米軍がファルージャで行っている攻撃があることがようやく語られるようになりました。
 米軍の攻撃はまさに無差別殺戮の様相を呈し、多くの女性や子どもたちが殺され、傷ついています。武装勢力が外国人を人質に取る戦術に訴えているのは、このファルージャでの米軍の蛮行を抑止し、止めさせるためだと言われています。
 中東専門家の言によると、ファルージャは、かつてのイギリス統治時代から、抵抗闘争の拠点となってきた地域だそうです。今度の米国のイラク占領においても、最初の抵抗闘争はこのファルージャから起こりました。
 私も記憶していますが、戦争後に米軍がファルージャに侵攻し学校を接収しましたが、その学校施設を解放して子供の勉強を再開させろ要求するデモが起こりました。そのとき米軍は、無差別射撃をやり、多くの市民が殺傷されました。平和的なデモだったのですが、それが軍事的に蹴散らされて以降、ファルージャの抵抗闘争はゲリラ化していきました。
 事態が急速に悪化していったのは、米国の傭兵会社のプロの戦争屋4人が殺されて、吊された事件からでした。これを機に、米軍はファルージャへの掃討、殲滅作戦を実行し始めました。民間人を装った4人の傭兵が殺された代償に、人口十数万人のファルージャの全住民を殲滅、鎮圧するというのです。、いかにも、アメリカの帝国主義者たちがやりそうなことです。
 アメリカの支配階級の姿勢を決して見誤ってはならないと思います。彼らは、力の信奉者です。軍事力こそが自らの意志と利益を押し通す唯一のよりどころだという強い信念を持っています。
 我々から見ると、米国のやり方はかえって抵抗闘争を活発化させて、結局は占領を破綻に追い込むしかないように思えるのですが、彼らは決してそうは考えないのです。彼らには、圧倒的な軍事力で民衆を抑圧すれば、民衆は無力化するに違いないという信念があります。そして残念ながら、彼らのそうしたやり方は、ベトナムなどの失敗体験よりはるかに多くの成功例を持っていると、彼ら自身には見えているのです。国内の先住民しかり、中南米の抵抗闘争しかり、そして泥沼化の様相を呈しているパレスチナでさえ、PLOなどが狭くて無力で惨めな自治国家構想を受け入れたこと、イスラエルの法外な要求がまかり通ってきたことをもって、自分たちの軍事抑圧が功を奏した例としてそれを誇っているのです。
 米国や日本の支配階級のイラク占領・軍事抑圧を挫折させるためには、イラク人自身の勇敢な抵抗闘争とともに、米国や日本の国内での大衆的な闘いが決定的に重要です。戦争や占領が政治的にどんなに高くつく行為かを、支配階級に思い知らせる必要があります。ともに闘いましょう。
         (H)

●ヤフーBBの顧客情報漏洩問題の現段階


 三月中旬、ヤフーBBの加入者の私の元に、この事件対する謝罪文と五百円の金券が送付された来ました。
 この事件の不可解さは、ワーカーズの前号でも指摘されていたことなのですが、私が現在の時点でさらに付け加えさせていただきたいと考えます。
 三月一六日の衆議院総務委員会で、民主党の樽井氏が、ヤフーBBの顧客情報漏洩問題に関して、逮捕者の一人である竹岡某と創価学会との関係を繰り返しただしたことに対して、公明党は神崎氏は、「公党および支持団体に対する無礼の言だ」として謝罪と議事録からの質問箇所数カ所の削除を求めた事実があります。
 また日本共産党は、この竹岡某が、創価学会の中の秘密組織「伸一会」の幹部だと暴露しています。この伸一会とは、池田大作著『人間革命』における主人公山本伸一(もちろん彼自身の分身ですが)にちなんだ組織で、組織内では相当な評価がないと構成員となれないといわれています。そして不可解ながら、竹岡某は、起訴事実がないとして早々と不起訴処分になっているのです。
 この経過も私などには全く不可解な決定です。警察検察には、創価学会関係者が、数多くいるという事実は、公然と話されていることなのですから、私などは、何かあったと勘ぐるしかありません。
 今回の樽井質問も、公明党からは「参院選をにらんだ自民党支持層の切り崩し」と分析されており、民主党が「立正佼成会」との関係強化を努めていることが背景にあります。
 この事件の真相は、何があるのか、私は大いに気になっており、これからも注目していきたいと考えております。
             (S)

●自衛隊派兵を取り巻く世情
 
 No,269号読書室≠ナよい本を紹介して下さいました。機会不平等=Bこの紹介を読んで、すぐおちこぼれ≠フ高校入学にエネルギーを費やして、死んでしまった友のことを思い浮かべました。「高校さえ出ておれば、あとは自分で生きていって」というのが、彼女の考えであったと思います。
 しかし、公開講座を受けて知ったのですが、高校を出ても働き口も少なく、余裕のあるものは大学へ、その他はフリーターということ。これは私の推測ですが、それよりもなんでか、自衛隊を志願して入隊する若者も増えているとか。あのヒロシマで自衛隊に入り、最初はPKO的な思いで、災害の時などに役立てばと考えていたのが、どういう教育をされてか戦車の指揮官になる℃魔夢みるというニュースを見ました。死んでしまった友はこんなことを望んでいたでしょうか。
 沖縄では、まぶみの丘の原型ともいえる土饅頭のような平和記念碑に、若い自衛隊員の団隊がお参りにきて手を合わせていました。命どう宝≠フ言葉を生んだと想像されるこの土饅頭のようなお墓≠ノ手を合わせながら、彼らも戦車の指揮官になる≠アとを夢見るようになるのでしょうか。
 いま江戸学が見なおされているようで、近松のものや、江戸庶民の男女のイロイロが演ぜられますが、私は義士の討入に行くな≠ニ女の情で行かせなかった小山田庄左衛門の女性。これは今あまり評判にならないが、この女性の役をかつて名優山田五十鈴さんが演じたのを見たことがある。
 自衛隊員に対する黄色いハンカチも結構だが、さらに積極的なのは、夜たか≠ナも何でもすっから行くな≠ニいう女優山田五十鈴の演じた小山田庄左衛門の女性は、女≠ニしての強い主張であったろう。いま国とはなにか、女とはなにか≠問う森崎和江さんの本に接している。
 徳川の時代の小山田庄左衛門のカップルのその後日のほどはさだかではないが。三島の死の美学≠ノさよならしてから、英雄としてサクラの花のようにパッと散るより、地を這うようなパッとしないでも生き抜く方が、たいしたことではないか。
 江戸時代のおタナの若旦那の世之助みたいな夢ばっかり追って勘当され、オナゴのヒモみたいな生き方も意味なきにもあらずだが(これは夫婦ぜんざい≠フ元祖)。サクラの花のように恰好よく散る≠アとの象徴みたいにもてはやされた赤穂浪士の仲間にさせず、その男性の足にしがみついて恰好わるく$カき抜いたカップルに、私は軍配を上げたい気持ちでいる。なめくじのように生き抜いたであろうこのカップルに。
 自衛隊は軍隊であろう。野間宏の描いた真空地帯≠ェ、軍隊の日常が世間の人々の日常と余り差のないもののようにも受け取れるが、それでも日本鬼子≠フようなこともやってのける、それが戦場であることを、もう一度思い返してもらいたい。
 ベトナム戦争の折、沖縄のオバアが基地から飛び立つ軍機を見て爆撃下の民衆を思いやったこと、第二次世界大戦での死者を沖縄村民の手で、葬った土饅頭の墓に、手を合わせる若き自衛隊員に、私は言葉をもたなかった。これほど言葉≠フ無力さを思い知らされたことはなかった。
 死なないで、殺さないで≠ニいう家族の言葉も祈りの言葉の如くで、戦中とともにあの砂漠へ送り込まれた人々には、かつての武運長久≠ナないのは分かっていても、どうなるか誰も予測できない。私たちの周辺では異常なほど毎日犯罪が起こる。その転化として戦争があるようだ。こんな日常では死≠ェ日常的にあって、いくら生きよ、生きよ≠ニ思っても死≠ノならされていくのが恐ろしい。自分が死ぬことよりも。
 アメリカが戦争を仕掛けて人を殺し、それに反撃するテロもまた人を殺す。スペインで人が殺されても反米だ≠ニ喜ぶ市民にも私は死≠ノかくもならされていく人間、人間の死≠熈鳥や動物の死≠熾ス気になっていく人間の行方が恐ろしい。まるで地獄≠ゥ煉獄≠ノいるようだ。どないしょう。
2004・3・16 
          (宮森常子)
附記 九州の三池炭鉱が廃鉱になってから、当地で山椒太夫≠フ復しゅう大衆演劇をやっていた方が、権力争いでワナに嵌められ殺されていった夫を愛し続けた説話おぐり考≠演じた‐熊野の山岳信仰のもと、これは民間信仰‐意味

●池子米軍家族住宅追加建設反対運動の現状


 昨年七月、突然降ってわいたような騒ぎが起こりました。逗子市に隣接する横浜市金沢区六浦町の米軍接収地域に、約八百戸の米軍家族住宅を追加建設するとの発表がなされたからです。
 逗子市の長島市長は、国が逗子市との約束を反故にしたとして辞職し、市民の信を問うとして、市長選挙を行い再当選を果たし、逗子市の今年度予算に米軍家族住宅追加建設反対のための予算を、九五万円計上しています。
 今後の闘いの焦点となる金沢区での闘いは、あまり盛り上がってはいなかったのですが、この三月七日、都合三回委の会合と二回の現地見学会を経て、「池子の森を守る会」を発足させました。はっきり言えば、この会は共産党の影響下での結成であり、私にも役員の就任要請があったのですが、そうした経過の中では、受けられないと判断して断りました。
 こうして、ともかくもやっと逗子市側と対応する現地で闘う組織ができたのですが、この追加住宅の建設の話自体が、横浜の現在不使用の三基地の返還とバーターによるものなので、すんなりと全市的な闘争課題となるがどうか、非常に難しい面もあります。
 他方で、松沢県知事と中田横浜市長は、アメリカ追従の超保守の松下政経塾卒業生のコンビでありながら、追加建設を容認するなど事態が一気に進展していない背景はといえば、追加建設の前提には、横浜市がこの土地を買い上げなければならないという大問題があるからなのです。財政赤字の縮減に大なたを振るっている中では、とても市民に言い出せないので、敵にとっては、ここが最大のネックでなのです。したがって、この点を果敢に責め立てていけば、今後の運動展開の展望は、世界の反戦闘争とも影響し合い、広範な労働者民衆を反対の立場に引きつけることができるし、開けてくると考えております。
             (S)

●「三・二〇ワールドピースアクション」に結集しよう

 二月二〇日と二一日の二日間、第二回ワークショップが、神奈川県横浜で開催されました。参加者はのべ一五〇名で成功裏に終了いたしました。
 私は所用のため、第二日だけの参加になったのですが、簡単に報告しておきます。
 分科会は、四つで、「教育改革と戦争動員」「星野再審と沖縄」「社会保障解体との闘い」「民営化攻撃との闘い」というものでした。
 各分科会で討議された主要な討議内容は、「教育改革」分科会では、日の丸君が代攻撃の激化のねらいと反撃についてであり、「星野再審」では、獄中二九年の闘いと無罪の検証であり、「社会保障」では、川崎市の阿部市政下の福祉事務所と保健所の統合問題が討議され、「民営化攻撃」では、横浜市の港湾病院の日赤への移管問題が討議されました。いずれも切実な緊急の課題であり、各参加者は熱い思いを語っておりました。
 全体会として、パネルディスカッションが、「イラク戦争への協力を拒否する労働運動」という題で行われ、航空労組連絡会・全日本海員組合・川崎市職労港湾支部・百万人署名運動神奈川県連絡会議からの提起を受けました。この提起を
聞きながら、私は、同時にまだまだ負けてはいないとの実感を強しました。
 この集会の世話人には、神奈川合同労組もはいっているなど、闘う労組交流の場となっていることは、神奈川県での労組運動の強化という点で大きな意義を持つものだといえるでしょう。半日の時間設定では短い内容でした。
 この集会では最後に、以下のことが確認されて行動提起もなされました。
 「小泉政権による自衛隊のイラクは兵が強行されている中、陸・海・空・港湾労組二〇団体は、自衛隊派遣の即時中止を求めている。
それは、一有事法制を完成させない、二有事法を発動させない、三従事命令に従わない、
という具体的な運動に体現されています。
 そして今、日本における反戦闘争を労働組合こそがあらゆる反戦闘争を統一して牽引すべきという思いで、国際的な潮流と一体となって、三・二〇ワールドアクションを呼びかけます。」
 この世界統一行動日の提起は、日比谷公園に一〇万人結集の提起ですが、小泉内閣を打倒するための足がかりとして闘い取らなければならないと私は考えています。
              (S)

●ここまで来た横須賀教育委員会の横車

 二月一七日、東京都教育庁は、都立学校の式典で、国歌斉唱時に会場を離れたり、国旗に向かって起立しなかったりしたとして、教職員一〇人を戒告処分にしました。
 昨年の卒業式に、同様の行為をした教職員に対して、横須賀市教育委員会は、教職員九名に限定して処分をしてきたのですが、今年は、一月一三日に、なんと「不起立を含め妨害が予想される場合は、改めて教育公務員として適切な行動を取るよう明確に指示すること」という全く異様な通達を出してきたのです。
 しかし、不起立が妨害行動であるとのこの驚くべき見解を、私たちはただ呆れてばかりはいられないのです。組合は直ちに抗議行動に立ち上がったのですが、全分会長の抗議署名に代表されるような斬り縮められた行動でしかなく、かってのような組合員の大量動員による教育委員会の糾弾という大衆行動は一切しなかったのです。そして、いやそれゆえというべきでしょうか、その抗議行動の内容も、委員長の説明があったにもかかわらず、抗議内容が、明確には組合員には伝わらないというお粗末な行動でしかなかったのです。
 時代は急を告げています。昨年は想像でしかなかった日の丸がうち振られるといった光景は、昨年末から新年に懸けて、北海道では生活を懸けた自衛隊員の出兵としてですでに現実化しています。イラクでは日の丸の背章を着けた自衛隊が活動しているのです。
 こうした事実が進行する中で、戦後教育を、海外出兵をためらわない「小国民」教育へと転換させようとする勢力が、跳梁跋扈するこの時代、私たちは自らの信念を最大の武器として連帯を強化していかなければならないのではないでしょうか。
 この時代を認識する武器としての「ワーカーズ」の労働者大衆への浸透を深く期待しております。
             (N)

●生きていることはいいことだ

 死の美学≠ノ逆らうことにしてから、エピキュリタンというのは、あくなき生≠フ讃美歌であると思えるようになった。
 黒沢明の夢≠フ中で、笠智衆演ずるたった一人残った100才を超えたじいさんが生きているにはいいことだ≠ニいうのが、どうしてもわからなかった。老いて生きていることは、生きることに耐えているのではないか、とそのとき思ったし、ホームレスのおっさんがすき焼きをつつきながらただ生きているだけだ≠ニいい、日頃ええな、と思うジャーナリストの鳥越俊太郎氏がホープレス≠セと評した。
 最近、私も訪れたこともある沖縄北部の本部町で、大阪で働いていたがふるさとへ戻り、たった一人の103才のじいさんが野良仕事をし、炊事もし、のんびりと自作であろう島唄をサンシンにのせて歌って楽しむ姿が、テレビで紹介された。70過ぎれば観念も想念忘れ去り、楽しみだけを好むなり、というような唄。
 最初は、沖縄の人は根っから享楽的なのだろうと思ったが、ゾッとするような孤独を脱け出したかどうかは、じいさんに聞いてみなけりゃわからないが、生きる楽しみを見つけ年をだんだん重ねても気持ちは20才≠ニいうえらいじいさんだ。じいさんが作った野菜はとびきりうまいと、近所の人たちがもらっていき評判。みんなの中で一人生きているという感じ。夢≠フ笠智衆は村の祭りの踊りに混じって歩く。
 なぜ今、江戸学が見直されるようになったのだろう。江戸時代船場で丁稚をしながら、もぐりで学問し、のれん分けを望まず寺小屋を開き、心学を教えたという石田梅岩に丁稚どんの創り出した哲学に、曲がりなりに商店の役に立たぬ一人として興味を持った。
 まだ講義を2度ほど聞いただけで序の口だが、彼の世界観というのが誰にでも学ぶ機会を招きながら、統合、みんなとともに(現在では個人を主張しうるほどに、個の確立がまだなさそうであるようで、ビートたけし君が嫌がった「みんなで」という在り方を考えさせられるもの)一人一人が歩んで作る道を探そうとしたかに見える。 
 今、やっといろいろなグループができて何かやっているが、すでに梅岩が提唱していたのではないか。現在女性の研究者や、おっそろしく元気な、一家言をもつオバさんたちが現れてきたことは、他者のシナリオ通りに動かなくなった女性の出現としてうれしい限り、ごく少数であったけれど、若い芽はこれからどんどん私たちを超えて行くだろう。
 私も71才、いつ死んでもええと思いつつ、生涯を楽しむことにしようか。103才の沖縄のエピキュリアンに劣らない都会のエピキュリアンは、坂東英二氏ということであろうか。これでなら山節考≠越えれるかどうか、やってみにゃわからない。
2004・2・19 
          (宮森常子)


●「一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」

 歴史上の事件は繰り返すとヘーゲルが言った時、マルクスが付け加えた言葉が表題の言葉でした。
 私は、最近日本共産党のことを考えるたびにこの言葉を思い出します。昨年の六月、共産党は、かねてからいわれていたように、綱領改定に着手しました。民主党との共闘にとって手枷足枷となっていた自衛隊・天皇問題等をしかるべく手直しするためです。この手直しの全面性に比較すれば、全くあわただしく充分な議論も保証できない日程を組んだ上で、第二十三回党大会の開催が、党員に告知されました。たったの四ヶ月ほどでした。こうしたゆとりなき日程設定には、私などはほんとうに驚かされたものでした。
 そして、七月の下旬ともなると、自由党の解党による民主党との合同の報道がなされました。私は、ついに小沢一郎政治生命を懸けて最後の賭にでできたものと受け止めました。この合同後の民主党の変質に思いをはせたのです。しかしながら共産党は何の反応も示しませんでした。こうした政治局面に無関心であった共産党は、十一月衆議院総選挙が決定された時点で、第二十三回党大会を一月まで延期せざるを得なくなると言う政党人としては許されざる二重の意味での大失態を演じることになってしまいました。
 第一の失態とは、衆議院総選挙がいつ行われるのかという時期に関する政治判断上の失態です。第二の失態とは、綱領改正の主目的である民主党との共闘の現実性の喪失に対する政治判断上の失態です。願望から民主党との共闘を絶対化していた共産党の中央からすれば、自由党との合同後の民主党の変質を直視することは大変困難なことでした。このため、この見極めをつけたことはきわめて遅く、衆議院総選挙もはや終盤戦を迎えた時期だったのです。
 この二つの政治判断での大失態は、共産党が、自分の奢りの元凶である「前衛」意識の客観的な評価に対する基準を与えています。この点を評価するなら、共産党の後衛ぶりが赤裸々なにると私は考えます。
 さらに、一月に行われた第二十三回大会での議論の低調なことにも驚かされました。天皇制や自衛隊への評価変更に関して、反対の意見などはないというのですから、全く呆れ果てたといわざるを得ません。しかも、党大会の最終日は、自衛隊の先遣隊の派兵の日だったのです。憲法を守れといってきた日本共産党にとって、正念場の日ではなかったでしょうか。
 その後、イラク派兵が本格化する中で、共産党中央の姿が見えないのです。現実の闘いのために、私も地元の共産党員と一緒にデモや集会をすることになりましたが、私の家に赤旗を配達する党員や集金に来る党員の姿は見たことがありません。一体彼らは何を考え、行動はどうなっているのでしょうか。
 こうした共産党の党員の自衛隊派兵に対する実際の動きに関する驚きは、職場や労働組合の党員に対しても全く同じことが指摘できます。
 こうしたことを見るにつけて、自ら組織する共産党員を、自ら呼びかけ反戦平和闘争に立ち上がらせることもできなくなっている日本共産党の悲劇に、日本共産党の存在価値の消滅を感じるのは、私だけでしょうか。
              (S)

●『ワーカーズ』への質問

 NO・265、6合併号でちょっとひっかかった記事について、私の知りえた事を書いてみます。
 「年金危機と改革へのレギュラシオン・アプローチ」の記事の中の『共同体の相互扶助』の古代とか近代以降のことはいざ知らず、中世から近代への共同体の崩壊の時期、(これは大体のところ)日本では深沢七郎の小説 『楢山節考』が描いたように、山へ入って自ら鳥獣の餌食になることを喜んで入山したこと。
 ヨーロッパではかつて老人を村落共同体の全体が支えていたのが支え切れなくなり、老女が大てい悪態をつき、それが魔女とされ共同体の古い勢力と共同体の枠を破って近代を準備しようとした勢力とのきしみの中で、老女が魔女とされ尾ひれをつけて悪魔とされて「魔女裁判」として利用され、近代を迎えたそうです。
 この「魔女裁判」の裁判に関わった者が、これはおかしいと調査した記録が残っているそうです。(冤罪の歴史的なものでしょう)これはヨーロッパ(フランス、ドイツ)の中世末期のことで、これは公開講座で仕入れたものです。
 フランス語もさっぱり忘れてしまいましたし、研究者に委ねたいと思っています。その成果を頂戴するという客人でいたいと思っています。この頃の学者は魔女についての研究も、魔女の踊りというものも自分で踊ってみて、なかなか踊りにくいものだとか、魔女の処方する薬とか…結構「おもろい」学者が多いですよ。
 魔女やお山入りしなくてもすむように効用(役立たず)のない者も支える世の中になるといいですが、その前に精神が参ってしまうようですね。「無用の用」(老子様)というのはなかなか自他ともに認め確立するには、まだまだ多くの問題があるみたいです。鬼伝説や鬼の像の変化、などもそれをものがたっているようです。
2004・2・2 
           (宮森常子)


●日章旗を降ろしたペシャワール会の想い

 私は、ペシャワール会の会員。ハンセン氏病患者の多かったアフガンに、医師として派遣され20年近く関わってこられた中村医師が、アフガンの辺境から病は後でも治せる、生命を維持するための水≠ニ荒廃した大地を緑の畑にするための井戸を掘り、百年の計≠ニして水を引く工事を現地の人々も参加しての活動に空爆をうけ、朝日新聞紙上でも「軍とセットの支援」を告発された。
 その中で日章旗を下ろし、Japanの文字を削った、と書かれている。イラクへの派兵にも明らかな如く、非戦の国であったのに、と日本人であることを恥じ、日本政府及び日本国民への抗議というより、悲痛な思いの表現であると思う。
 日本が好きで日本に住み着いている外国人の人々も、日本のありようを悲しんでいると同時にアメリカ人の方ならば、アメリカ人であることを肩身の狭い思いをされることもあったろうと思う。私たちも日本人であることを恥じる。何が国際貢献だ。
 武装も何もしない丸裸で十分な道具もないところで医療をやり、生きていくための最低の条件を整えるための水とか、etc、に体をはってやってこられた現地のペシャワール会が、日章旗を掲げる事をやめた事実をよく考えてもらいたい。
 今後、ジャーナリズム叩きが始まるように思いますが、沖縄戦を体験された元沖縄知事、太田昌秀氏が、留学されてジャーナリズムの学を専攻されたこと。大本営発表のウソッパチに対し、命がけでひそかに本当のことをガリ版刷りで配布した沖縄タイムスの歴史があることを思えば、テレビは何よりも浸透している報道手段であり、ジャーナリストは頑張ってもらいたい。
 私は、しょっ中、鬼ババか夜叉みたいな顔をしているか、曇りがち、とても笑えない。センプリしがんだ様な気持ちになっていては体がもたんから、新たな笑い≠求めて、時おり出かけている。素敵で頼もしくてしかも鋭い笑いを持っている公演に出会うと、また憎たらをいう元気が出てくるというもの。武≠ノは負けたくない。
2004・1・20
           (宮森常子)

●医療関係者に告ぐ――武器を捨てるための闘い

 
 市民の中でもさまざまな動きはあるけれど、なんだか遠回りのようで、直さいにモノをいう人は少ないように思われる。私も70才、好きな本でもよんで笑わせてくれる“よしもと”を筆頭に、御隠居さんでおりたいけれど、そうもしておれない事情が目に付いて黙っておれないので、私がつかみえたことなどを拙い文を書く次第。
 アメリカで恐ろしい兵器の研究を放棄して、黒人のスラム街に入り、この街で子どもたちの歌う音楽に魅かれ、音楽(ラグタイムとかいうジャンルであるらしい)をさげて各地を回り日本でも聞いたが、それが在米日本人の方であり、これが自ら兵器研究を辞めた第1号。
 次に劣化ウラン弾の開発研究にたずさわることにどうしても耐えられず、研究所から脱走同様、研究をやめ、劣化ウラン弾の恐ろしさ、その地の汚染(人体のみならず)を、イラクへ行ったアメリカの兵隊さんも体がおかしく抗議の声があることなど。
 脱走した兵器研究者自身の口から聞いたし、サンデープロジェクトで報道されていた。こういう事実も忘れられてしまったかのように、テロをやっつけると言うのを口実に新兵器が出来るまで劣化ウラン弾を使うとアメリカは明言している。
 世界の人々の健康を守ると言うのが大前提の世界機関WHOとかいうのは、どういうわけか、劣化ウラン弾の人体及びその他の影響は定かでない、とウヤムヤ、明言を避ける。医療などの人道支援の為に、と民間でも取り組まれていて、協力する人はほとんど民間の人。
 おおもとの恐ろしい兵器の生産を続け、使用するとはっきりアメリカは言う。こりゃおかしいな、と誰でも思うし、これをまともにイラクの砂漠を舞台として演じた芝居、たっぷり笑わせながらの芝居を見た。
 人道支援ならば、自衛隊が真っ先に出ていく事はなかろう。それよりも劣化ウラン弾が人体にも大地汚染にも恐ろしく有害であるかどうかを、医療関係者が調査研究してはっきりさせることが、医療関係者の責任であろうと。医学会、薬学会のことはさっぱりわからない門外漢の疑問と意見を述べる次第。
 人間と言うもの深く探究するための催しや公開講座も私は精力的に参加しているが、そこで得たことが、私のこうした初歩的な当たり前の発言となるわけ。
 自衛隊の方々は、こうした劣化ウラン弾などが使われた地域へ行くことを御存知なのかどうか。私自身行ったことはないが、民間の方で長年関わっておられる人々の現地報告を、出来るだけ聞くことにしている。
 公明党の党首がイラクを訪れたのは、私はジェスチュアのように見えるが、ジェスチュアでもその報告の持つ重さの責任を持つのが、政治家であろう。フランスでは“詩の政治”が論じられているという。
 もう一つの疑問。米・英は、中東・アフリカ・その他の国に大量破壊兵器の廃棄を求めるが、アメリカ・イギリスその他の国のぶっそうな兵器はどうするつもりだろう。私は “年輪”という雑誌を新たに購読しているが、どうもはっきりしないが、遠い先のことを目標にしているのであろうと思っている。急がばまわれ、と言うのが生活の中での様々なことも取り上げて、展開していくこともやってみたいが、どれだけ生きれるか、わからん。
 2003・12・22
 宮森常子

●ついにルビコン河を渡った小泉政権
 
 一一月二九日、ティクリット(イラク北部)において、イラク復興支援の最前線で活動していた日本人外交官二人が、殺された。道路脇の食料品スタンド店主、ハッサン・フセインさんが発砲音を聞いたのは、二九日午後零時半(日本時間同六時半)すぎで、「バグダッド方向から走ってきた車がスタンドの手前で右に大きくカーブを切り、路肩を外れて六十メートルほど畑に鼻先を突っ込むようにして止まった。すぐ後ろから米軍の車列が通り過ぎていった」と証言した。
 奥参事官らの黒い四輪駆動車の車体左側には無数の弾痕があり、「ドアを開けたら前部座席に二人、後部座席に一人が血の海の中で倒れていた。一人はまだ息があり、苦しいうめき声を上げていた。助けようと思ったが何もできず、警察を呼んだ」とフセインさんは証言を続けた。ところが駐留米軍や日本外務省は、奥参事官らが食料や水をスタンドで買うため、車を降りた後に襲撃されたとの情報があるとし、フセインさんの証言とは大きく食い違っていた。このため、あるサイトでは、この事件が、日本をコーナーに追い込もうとした米軍の謀略であるという説もあったほどである。
 しかし、その後、奥克彦参事官らの車両は、並走していた4輪駆動車など3、4台の車に分乗した武装グループに襲撃されたことが、新たな現場目撃者の話で分かった。そして駐留米軍自体が、日本人外交官が殺害された事件で、当初、「外交官は沿道の売店で車を止めた際、小火器で撃たれた」という発表を、この情報が誤りで、近くには売店がなく、車は走行中に撃たれたと訂正し、それを日本側に伝えてきた。しかし襲撃犯はまだ特定されていない。
 この事件からわかることは、米軍自体がしっかりした情報をつかんでいないという決定的な事実である。このことの持つ意味は大きい。なぜなら日本からイラクに派遣される自衛隊にとって、現地の治安情報は、米軍に頼るしかない。その駐留米軍が、この程度の情報収集にさえ混乱している。これで本当に自衛隊は安全なのか。
 この日本大使館員への襲撃事件が起きたことに、米軍は即応できなかった。彼らがしたことは、直ちに現場に行かないで、まず現地の警察に電話を入れ、彼らの言う情報を鵜呑みにしたのであった。なぜなら、軍事的常識では、この襲撃事件を米軍を呼び寄せる罠と判断するからだ。この事件の一報を聞いて、米軍は部隊やヘリを現場に急行させれば、そこに待ち伏せしているゲリラに攻撃されると考える。これが軍事的常識なのである。
 そこで米軍はまず現地のイラク人警察に電話を入れ、襲撃の状況を確認する。しかし現地イラク人警察官たちは、米軍以上に反米ゲリラの待ち伏せを恐れている。そこでいい加減な状況報告を、米軍に伝え、それを米軍は公表してしてしまった可能性が高いと判断できる。このことを明らかにしたのは、真っ先に現場を取材した共同通信の特派員の功績である。
 これからわかることは、自衛隊が派遣される現地(サマワ)の治安対策は、オランダ軍の担当である。しかし自衛隊が移動中に襲撃されても、そう簡単にオランダ軍は救援に駆けつけられないこともあることは軍事的常識なのである。そうなると自衛隊の自己防衛能力が問われることになる。しかしこの問題で政府は、「現地の治安はオランダ軍の担当。自衛隊は治安対策を行わない」としか言っていないのだ。したがって自衛隊派遣部隊も駐屯地防衛に必要な兵器しか認められていない。彼らが標的になることは必至の情勢である。
 小泉首相はイラクの現状を直視していない。小泉政権は自衛隊派遣を強行することでルビコン河を渡ってしまった。小泉政権を打倒しなければならない。


●再びイラクへ派兵することについて


 イラクの復興支援ということで戦争状態の中へ向かって、復興支援ができるであろうか。かつて私たちの世代、戦争に反対する者は牢屋へ、仕方なく戦場に赴いた兵士の中で(日本鬼子の告白で残虐の限りをつくしたことが語られているが、その他の兵士)、反対し切れなかったせめてもの償いのつもりで、赤十字のマークを付けたカバンの中にセイロ丸、メンソレターム、ハミガキなどを薬品代わりに詰めて、山村奥深くに入り、山奥の村人と交わったという話は、私が東京で仕事仲間のオールドマルキスト(この人は牢屋にいて5年後転向したそうで、侵略軍兵士として戦場に赴いた友のことについて語った)の口から聞かされた。また、今年11月初旬、奈良県の公開講座で「ヤマトの売薬」の講義の中で老先生も、かつて戦場で同じようなことがあったと語られた。
 しかし、今のイラクで、自衛隊が重装備のいでたちで出かけて行って、果たして、かつての中国戦線で、ささやかな幾人かの兵士が成し得たような行動すらとれるであろうか。医療に限らず、その他の支援も不可能であろう。
 よく知らないが、ハガクレは死ぬことと覚えたりがモットーであるそうで、相手を殺さず、殺される方を選ぶと聞く。そんなことができるだろうか。戦場と同様のイラクの地で。
 ますます死者を出すだけでないか、と恐れるし、親を失って生き残った子ども達が、武器を取ることをとどめることは出来ない状態に至らないだろうか。
 アジアでもアフリカでも中東でも、これから戦争しか知らない子ども達を作り出してはならない、と思う。私たち年寄りは、もう枯葉同様に散っていく残り少ない時間でしかないが、新しい芽が殺し合いしか知らない人生を送ることになるのではないか、と恐れる。
 最後に、なぜ殺し合わねばならないのだろうか。なんとか食べることが出来、陽が昇るのを喜び、陽が沈むのを見て安らかに日々が送れれば、何もいらないではないか。なぜこんなことになるのだろう。
 戦後、殺すも殺されるのも嫌で、逃げ足はやい最も弱い大阪の8連隊が、私は好きになった。戦争中は、それすら考えることもなくひたすらお国のために≠ニいう軍国少女であったのだが。首狩り族みたいにやっつけて勲章もらうより、もう他国などへでしゃばって殺し合いにはNO! を言って貰いたい。自衛隊の人々も。その他にイラク派兵をとどめる手だてはあるだろうか。
 2003・12・5 
          (宮森常子)

●今回の衆議院選挙での最注目点

 今回の総選挙では、自民党は直後の当選者数では単独過半数をとれませんでした。その意味では、選挙管理の責任者である小泉総裁は敗北したのです。しかしこうした中で闘われた選挙であったものの自民党内の派閥の勢力分野では特徴的な事実がありました。それは何かというと、政治評論家・本澤二郎氏は、次のよ
うに指摘しています。
 
 「反小泉勢力は、衆院選の結果にカンカンです。自民党全体が議席を減らした中で、首相の出身派閥の森派だけが勢力を拡大したからです。最大派閥の橋本派は100人から93人へ、亀井派は59人から52人、堀内派も51人から45人へと激減させている。ところが、森派は総裁派閥なのをいいことに新人侯補を囲い込み、60人から70人へと増やしている。亀井静香などは『首相は自分の派閥を増やすために解散したのか』と激怒している。首相が窮地に立ったら“干載一遇のチャンス”と引きずり降ろしにかかるのは確実である」
 
 こうした森派の策動により、保守新党は、静岡の熊谷代表や東京の新人は森派の対立候補を突きつけられ、落選・保守新党解党の道を歩まされることになったのです。
 今後の展開の中で、確かにこの指摘のような展開も考えられるでしょうが、しかし私が最注目点だということを声を大にして言いたいのは、毎日新聞が伝えた次のことです。
 
 〈松下政経塾〉OB、衆院議員の5%を突破
 政治家など次世代リーダー養成を目的とする私塾「松下政経塾」出身の衆院議員が先の総選挙の結果、過去最高の26人となり、定数全体に占める割合が初めて5%を突破した。非2世議員の人材供給源として、さらに勢力を拡大した形だ。
 同塾は1980年に故松下幸之助氏が設立。新党ブームが起きた93年選挙で15人のOB議員が誕生して注目を浴び、96年は14人、00年は20人が当選。その後、松沢成文・神奈川県知事と中田宏・横浜市長が首長に転じたため、衆院解散時の議席は18議席だった。
 今衆院選には40人が出馬し、当選した26人の内訳は現職16人、元職4人、新人6人。26人のうち7割を超える19人が民主党で、残る7人が自民党。177人の民主党衆院議員に限れば、1割以上が同塾OB。党派を超えた結束が特徴だけに、政界での影響力増大に対する警戒感も出てきそうだ。[毎日新聞〇三年一一月一八日]
 
 実際のところ松下幸之助は、近い将来自民党支配が崩壊することをにらんで、フランク・ブックマンの「道徳再武装運動」の強い影響を受けて松下政経塾を作ったのであるが、ここの卒塾生の今回の党派を横断した公然たる登場には、彼らが「国際的反共労働運動」繋がっている勢力だと明確にするとともにすでに政権がどちらに転んでもいいようになりつつあるとの認識を持つ必要があります。今後とも彼らの動きには注意が必要です。
             (S)

●墓について

 私はもう70才。生前、出会って別れたりの親しい人、友などについて、かつては分からなかった事がああ、ああいう意味だったのか、と世の人間の絆の行き違い、つながりの本当の意味は死者との対話にあるのではないか、と思う。
 しかし、どのようであろうと個々の死≠ヘ尊い意味を持って蘇えって来る。年齢と共にこっちの目で意味が違ってくるようでもあるが、もう確かめようがない。そこには想像力が必要となる。
 父も母も昔の人間、一応は仏教であったろうが、家には戦後しばらく神棚もあり、神仏混合、さすが天皇夫婦の写真はなかったが。
 学資を投資し大黒柱ともたのむ長姉が亡くなって両親は葬式の折に、お布施の紙にお金を入れるのを忘れた位だから、よっぽど力落としであったのだろう。その後、母中心に動いてきた家庭構成員も思い思いの行動をとり、父は出歩いて気に入った所へ行っていたようだが、大体民間信仰のお寺などへ行っていたようだ。 
 母は姉の死後、地獄・極楽この世にござい、神の仏もあるもんか、と自分の姉への思い出だけのために形に表したかったのだろう。姉だけの墓を建て、月毎にせっせと花を抱えて墓参していた。亡くなった友人の母は病気で婿さんを亡くし、5人の子どもを空襲の中で育てねばならなかったから、婿さんを思い出す暇もなかったのか、墓はもちろん、仏壇もうっとうしいと押入れへしまい込み、月参りのお坊さんも断ってしまったそうだ。
 その友人の家を訪れ、女子学生だった2人が彼女の屋根裏部屋で仏様のおりんを灰皿にしたものだった。一緒に苦労したそのお母さんも亡くなると、私の友は、いやに墓にこだわり、海を隔てた愛媛県の母親の生地に墓を建てていた。当のお母さんは、供養など一切無用、ただ思い出してくれればいい、といってたのにも拘らず。それほど彼女にとって母親の存在は大切であったのであろう。私の目から見て、母と子、というより友情で結ばれた関係に近かった。宮本武蔵≠ノ出てくる又やんの嫁さん朱実とその母のような。
 私は、冷酷だとすら思われた強い母を死後、やっと理解できたように思えるが、母は記憶の中にあるだけで十分、墓を作って拝む気になれないでいる。形にすれば何か失はわれ、壊れそうな気がするし、一番ダメで気になった私が一応、自分の足で歩けるようになったのを喜んでくれるのは、やはり生前であったらいいと私は思うから。さらに大きく言えば、何も言わずに沈んでいった多くの人々の記憶を流し去って、歴史は動いていくのだから。
 墓を残そうとする心と同じように、小さないろいろな物語、知りえた物語を書き残したい気持ちでいる。亡くなった友は短いパソコンのメッセージだけ残したが。葬式代も残っていなかった、と遺族は笑っていた。
2003・11・18 
          (宮森常子)

●マッセとして生きる!

 十一月九日、総選挙の投票日、私は自分が所属する組合の有志の仲間四十人あまりと日比谷野外音楽堂で開催された全国労働者総決起集会に参加した。今年で六回連続開催されているこの集会は、妻などは毎年の行事予定の入れているほどの恒例行事とはなった。
 今年の集会は、初めて「日・米・韓労働者の国際連帯集会」として開催された。アメリカからは対イラク戦争に反対している「タフト・ハートレイ、抑圧と民営化反対キャンペーン」・「全米運輸労働組合」・「国際港湾倉庫労働組合」の三団体の代表がアメリカの対イラク戦争の批判を、激烈な労働争議が戦われている韓国からは「民主労総ソウル本部」の本部長・副本部長・副組織部次長の三幹部が、韓国の対イラク戦争を批判する熱烈な挨拶を行った。特に韓国では同日の同時刻に、首都ソウルで、ノテウ政権の労働者弾圧に抗議する十万人集会が計画されていた中での幹部派遣であった。また当日は、呼びかけ団体の一つである港合同労組が、この集会に参加するため、訪韓代表を派遣していることが報告されたこともあり、韓国労働者の挨拶にはひときわ参加者の拍手が高まったのであった。
 この集会については、革共同の集会であると見る人々もいるのだが、私は彼らを軸にした労組の連帯集会という重要な側面を忘れてはならないと考えている。こうした側面を持つものであったからこそ、アメリカの対イラク侵略攻撃という事態の中で高揚した国際的反戦闘争の中で、折からの北朝鮮有事に際して、労働者の力で、この戦争を何としてでも阻止しようとの三国間の連帯ができあがったのだといえる。
 私は思い出す、かって共産党の五十年分裂の最中で、所感派から除名されて、身も心もボロボロになった国際派の活動家が職場でも解雇されたとき、その人は自分が国際派だから組合もまともに解雇反対の闘いは組まないと考えて諦めていたのに対して、執行部は何の差別なく闘い起こしその結果解雇撤回闘争に勝利した喜びを語ったことを。
 日本の左翼は機会さえあれば党派闘争を何より全面に出すことを一大特徴としている。だが、違いは違いとして認めながら、具体的には同一の目的で共同闘争を組む度量を身につけねば、労働者の解放をめざすといっても全くの絵空事にとどまることは明らかである。
 私の信条は、中江丑吉がいったようにマッセとして生きるである。

●自衛隊イラク派遣に関連する福田発言について

 テロをやっつけるためと言って、命を楯にイラクへいけということ。私たちの頭上に砲弾もとんで来ない一見平和であっても、日常的にすぐにブスッとやる殺意の充満している日本社会。ひとつ間違えば普通の人が殺意と狂気に陥りかねない日本社会。日常的にテロが周辺にあるわけで、日本の社会を何とかするために政府は全力を尽くしてほしいし、テロをやっつけるという名目で、イラクへわざわざ自衛隊が命を捨てに行くよりもそんなことは、国内のどうしようもない洪水の前≠ンたいな状況を外に振り向けたいという、政府の無能をそらす魂胆が見え見えのように思えてならない。
自衛隊の命、日常的に起こる殺しの横行、どんな死≠熄dいはず。戦争を体験した私は、死≠ノ赴く兵士を送り出した私たちは戦争を起こした人々と共犯者であったと思う。名誉の戦死∞誉の死≠ニされて遺族は喜んだが。自衛隊を送りだすこと、その発起人と共犯者になりたくないし、それよりも国内的なテロ、殺意に満ちた日本社会を何とかすることに力を注いでもらいたい。人の命、生きているものの生命、すべて軽くなったものだとつくづく思う。
 命を賭けて生活の糧を得ている(それだけでなくとも、そういう仕事の好きな人)人の事故による死≠ゥら生≠ヨの意欲を持ちうるようになった記録として、戦乱とは関係のない競技であるが、貴重なというか改めて生命≠フ重さ、死≠ゥら生≠ヨの意欲を持ちうるようになった記録として、私はていねいにクラッシュ≠ニいうあるレーサーの闘病の記録を読んでみたいと思う。
 最後に、失業よりもとにかく生活のために、就職として自衛隊に入隊した人が多いそうで、ネルソンさん(ベトナム戦争を経験したアメリカの海兵隊だった)によれば殺す≠アとしか訓練されなかったアメリカの軍隊とは違い、自衛隊の精神的支柱は武士道であるそうで、殺す≠謔閧熈美しく死ぬ≠ツまり死の美学≠ナあるそうだ。
 死に急がず、むしろアメリカさんの片棒担ぎの名誉どころか、いっそう国際的にも相手にされなくなるという汚名をきるために命を捨ててほしくない。私は、かつて犯した戦争中死≠ヨの水先案内人の共犯者にはなりたくない。どうすればいいのか教えてほしい。イラク派兵はしないことを明言する人に投票するしかなかろう。
2003・11・8  (宮森常子)

●大阪から


 「私の灰色の脳細胞が生み出した一つの幸福になる≠スめの構想、を手がかりとし、いつかこういう喜劇の脚本を書いてみたい。桜の園∞なら山節考≠超えるものとして。」

さわやかないたずら≠ノよる年よりの主張

 新婚さんというのは、年金には関係がない。賞金稼ぎによって、旧交(古だたみのような結婚生活」を温め、なが年の夫婦という関係の中で、犯した罪の数々を互いに償う意味を込めて、新たなき絆を作り上げるのもまたオツなものではないか。
 新婚さんいらっしゃい¥o場の資格は新婚であらねばならない。この条件を満たすのに、ヂヂ、ババでも一たん離婚してまた結婚の手続きをとればいい。手続料はさしていらないだろうし、役場の職員の仕事が少々ふえるだけのこと。夢も希望もないと嘆かず、そんなものなくても生き続けるという、操りり人形の如くであってもすさまじき生きるシカゴ≠フ女たち(1930年代)ほどの動物的なエネルギーは、淡白な日本人特に年寄りは、恐らく持ち合わせていないだろう。
 貧しいとなれば日常生活もうっとうしさが続くだろうし、(生活というのは地べたを這うようなものだが)犯罪もここに起源があろうと思われる。日常の生活に遊び心と冒険を取り入れる一つの企てと思えないだろうか。
 あわよくば出場してタワシ≠ナも当るのではないか。極度のケチケチ生活では、人によってはケチのほどを楽し≠゚ようが、私はむしろ常識たるに見えて(法律的には違法ではなく、合法的である)常識はずれの年寄り新婚さんの門出を祝福するための新婚さんにいらっしゃい≠ノ出演するという企てを、結構気に入ってるいるのだが。
 厳めしき法律家からすれば、法≠オモチャにするな、と頭の固さをご披露する仁義になろうが。そしたら、旧婚さんいらっしゃい≠フ番組もあって当然と主張すればいいではないか。
 心の中が空洞≠ナ加害者にも被害者にもなりうるという不安を抱く少年少女の正直な告白は、かつてロジンさんが狂人日記≠ナ描いたものである。大人、老人は空っぽからの脱出を試みるエネルギーもないから、あきらめ≠ニ悲しみ=iここからはかわいらしいやさしさ≠オか生み出さないだろう、やさしさ≠示すには相手がいる。示される対称とされるものは、逃げ腰になりかねないという喜劇が始まる)を持って流されていくというのがお決まりで、これを悟り≠ニ勘違い、この企ては眠気覚まし(善き、楽しき方向への)にならないか。これを実践する年寄り夫婦(ちゃめっけたっぷりの)はいないものか。最も植物的状態に至るまでに。
 2003・10・6・宮森常子

●逗子市長選挙の結果について


 九月一四日に投票日だった逗子市長選挙の結果は、確定投票数で見ると、前市長の長島氏が、一四,二三二票であったのに対して、対立候補の池上氏は、一〇,三一〇票でした。この両者の得票差は、三,九二二票と予想より多かったのです。しかし、逗子市の投票率は、予想通り盛り上がりを欠いていたため、過半数をわずかに越えた50・48%でした。
 米軍池子住宅地区問題の経緯をたどりながら、この投票率が、一体どういう意味を持っているかを検証してみたいと考えます。
 今回の投票率を過去の逗子市長選挙の投票率と比較すると、その盛り上がり方の違いが、明確になってきます。もちろん、今から一六〜一九年前のことであり、当時の有権者の層は、今と大きく変わっていることを、承知の上で言っていることなのですが。
 一九八二年八月二六日、横浜防衛施設局が、米軍家族住宅建設予定地として逗子市の池子弾薬庫跡地の調査を開始すると、逗子市に一方的に通告してきました。八四年六月五日、三島虎好逗子市長は、逗子市民にはからずに、三三項目の条件を付して、米軍家族住宅建設受け入れると国に回答したのです。池子米軍家族住宅建設反対運動は、この日から始まりました。 これに対して、七月八日、三島市長のリコール宣言が提起されたのです。リコール署名が着実に集まり、成立するや、三島市長は辞職したのです。
 八四年一一月一一日、三島市長リコール運動を経て行われた市長選は、米軍住宅建設反対派と建設容認派とが最初に総力で激突した市長選挙でした。当時の対決候補者は、池子米軍住宅建設反対派からは市民運動活動家の富野暉一郎氏、池子米軍住宅容認派からは、全国でも珍しい市長リコールが成立したので辞職した後に、市民の信を問うとして立候補した前市長の三島虎好氏でありました。
 住宅建設反対派の富野暉一郎氏が、三島氏を破って初当選し、国に計画の白紙撤回を通告したのですが、この時の得票数等は、富野氏は一六,四二一票、三島氏は一五,三四六票と、その差はわずかに一,〇七五票で、投票率は、七四・八%と高いものでした。
 こうして逗子の反対運動が高揚していく中で、八七年五月八日、国・神奈川県・逗子市の三者会談を、お膳だてした長洲一二革新神奈川県知事が、米軍住宅建設計画の一部縮小調停案を、逗子市に提案してきました。この調停案にどう対応するかで論議が盛り上がっている最中の九月三〇日、国は一方的に米軍家族住宅の造成工事を開始したのです。
 この調停案を県知事から預かって逗子市民に提示した富野市長は辞職して、逗子市民に信を問うことになりました。この時の激突も、候補者は、富野氏と三島市という因縁の対決となりました。
 一九八七年一〇月一一日の市長選挙はまさに総力戦となりました。この時の投票率は、都市部の選挙としては、空前とも評すべき七六・一四%でした。確定投票数は、富野氏の一七,六五九票に対して、三島氏は一五,二三三票で、その差は二,四二六票でした。両者の得票の合計は、両陣営が、逗子の全住宅を戸別訪問するなど、お互いが渾身の力を尽くして積み上げた米軍住宅建設に対する意識票の総計であったと言えるのです。
 この勝利を背景に、一〇月二七日、富野市長は預かっていた調停案を、長洲知事に返上しました。しかし、こうした中で、闘われた逗子市議会選挙では、勢力分野において総得票数では、住宅容認派の市会議員全員の合計得票数を超えていたものの米軍住宅建設反対派は、容認派と同数の市会議員数しか確保できませんでした。こうしたことと逗子葉山地区から選出される県会議員選挙において、建設容認派の県会議員を勝利させたことにより手痛い敗北を期っしまったことで、新たな打開策を見いだすことが出来ず、結局は、米軍住宅を阻止を勝ち取れず、米軍住宅建設計画を五〇戸程度減らすだけの手直ししかできなかったのです。この間の経過を簡単に書きます。
 出直し市長選挙でも勝利しながら三選を辞退した富野市長に続き、九二年一一月八日後継として住宅建設反対派の沢光代氏が、逗子市長に当選しました。しかし、工事を止められませんでした。こうして緑派に無力感が漂い始めます。沢市長は妥協をし始めます。
 九三年五月一三日、国は、米軍家族住宅建設の本体工事に着手しました。一〇月一八日沢市長は、条件付き米軍家族住宅受け入れを、神奈川県に非公式に打診したのです。九四年四月一九日、沢市長は、米軍家族住宅受け入れに向けて、国との交渉に入ることを表明しました。さらに、五月二六日、沢市長は長洲県知事に国との交渉に向けて仲介を依頼したのです。六月二三日、沢市長は、基本方針転換の民意を問うために出直し選を示唆したのですが、七月二一日、沢市長は、出直し選を回避し基本方針の転換と和解成立時の辞職を表明しました。こうした動きの中で、一一月一七日、国・神奈川県・逗子市が、二回の三者会談を経て、円満な解決のために合意書を調印しました。
 以上のような経緯の中で、米軍住宅建設反対運動は、終焉していったのですが、その混迷の中で行われた九四年一二月二五日の出直し市長選挙で、日本船舶振興会の笹川派の平井市会議員の市長選立候補によって、二期目に挑戦した沢市長は、市長選挙に敗退してしまいました。
 その後、米軍住宅が次々と建設されていき、九八年三月三一日米軍家族住宅854戸の建設が完了したのです。こうして、市内に争点がなくなったことによる驕りから、平井氏は、鎌倉市会議員を中途辞職し逗子市長選挙に立候補した長島氏を、彼の若さ故に見くびり通り一遍の選挙戦を展開したため、平井氏は、大方の予想をはずす取りこぼしをし、長島市長が誕生したのですが、彼の独善と議会無視により市政は、ときに大混乱します。
 その長島市長は、二期目の選挙も、対立候補の力不足に助けられ当選しましたが、池子米軍住宅追加建設が突然発表されると、「市民の意思を問う」として、突然辞職し今回の選挙を行ったのです。市議会多数派が言うように何故住民投票ではダメだったのでしょうか。このように、長島市長の辞職は、余りにも独断専行であり唐突だったのです。
 さて、今回の選挙の第一の特徴はといえば、大事な選挙でありながら、この投票率の低さです。この低さは、過去の絶頂期に比較すれば、二〇数%も少ないのです。また長島市長自身の二期目の選挙より、二ポイントも少なくなっています。
 第二点目の特徴は、ここ一五年ほど逗子では、米軍家族住宅建設反対派は、緑派と呼ばれてきたのですが、今回の選挙では、この反対運動の母体であった緑派が、三分裂したことを特記すべき事として挙げることができます。
 そもそも、池上氏の推薦人には、富野氏こそいなかったもののかって住宅建設をめぐって対決した沢氏と平井氏という宿敵であった前々市長と前市長が、何のコメントなく池上氏の支持者として名を連ねている異常さなのです。その上、住宅建設をめぐって対決していた時代に当選した緑派の市会議員も、ほとんど池上氏支持に回っており、いわば呉越同舟の連合でありました。これでは有権者が呆れてしまうのも無理のないことです。
 他方、共産党系や元市会議員の一部などは、長島市政に対しては是々非々であるが、米軍住宅追加建設阻止の一点から、長島支持で闘いましたが、長島氏の市政そのものを疑問視していた緑派の一部の長島懐疑派は、消極的な支持もしくは棄権したといえます。
 ではなぜ、このように、一時期、市民運動としても、全国の注目の的だった逗子市の緑派は、なぜ三分裂してしまったのでしょうか。その答えは明かです。対抗社会運動としてではなく、抵抗運動として始まった緑派の運動は、限界をもっていて、敵が明確で勝利の展望が少しでも見えていればこそ強かったのです。運動の後退局面にあった沢前々市長の転落は、展望がなくなった時の先祖返りです。彼女は、沢海軍中将の娘として、逗子市では有名人であり、自衛隊にも支持者がいたように、元々は保守的な人であったのです。
 今回争われた逗子市長選挙の投票率が低かったのは、追加建設反対派と追加建設容認派といった明確な対立ではなく、米軍住宅追加建設反対と長島市政の信任投票とが混じり合ったようなわかりにくい選挙であったからです。また米軍住宅がある池子地区と一体とは言っても、数キロ離れた横浜市金沢区六浦町に建設されると言うことでは、逗子市民の切実な関心を掘り起こすことが出来なかったと言うことです。そして、決定的なことですが、長島候補の野望は、国会議員になることですが、このための足がかりとして、彼の辞職があったのだとの不信感が、最後まで払拭できなかったことが挙げられるでしょう。
 さらに言えば、こうした混迷した政治状況の中で、従来は裏方としてこの緑派の運動を支えていた三浦半島地区教職員組合は、長島市長の教育政策に明確に反対しており、逗子市に百数十人の居住組合員を抱えながらも、逗子市長選挙に対して、なんらの組織的な動きもせずに、自主投票としたことも、たぶんに影響したことは想像に難くありません。
 政治とは残酷なものであるとつくづく私は考えさせられました。現実的展望なき初心は、現実の進展の中で、その運動母体の集団をずたずたにしていくと言うしかありません。
 長島市長が三選されたことで、表面的には、国や県や横浜市も、慎重に事を運ぶことになるようです。しかし現実の壁は厚いということは言っておきたいのです。そもそも長島氏自身米軍住宅追加建設阻止は、公約にはしていないことも忘れては成らないことです。
 ともかく今後とも動静を注視していく必要があることは間違いないことです。
              (S)



●逗子市長選について

 九月七日から逗子市長選挙が始まりました。十四日が投票日なので、短期決戦です。
 選挙の焦点は、池子米軍住宅地域に含まれている横浜市金沢区側に、八百戸の米軍住宅の追加建設を認めるかどうかと言うものなのですが、前市長の長島氏と前逗子市教育委員会委員長であった医師の池上氏の二人とも反対だと訴えてるから、わかりにくいのです。
 長島氏の応援には、「革新の会」の二人の議員と社民党の議員と共産党の二人の議員が応援しています。
 共産党の長島氏支持は徹底しており、九月八・九・一一日の「しんぶん赤旗」の一三面「南関東のページ」で三回、九月一〇日には、「しんぶん赤旗」の三面に池子の写真を掲載して、四日間連続掲載で長島氏支持を訴えています。告示日には、共産党県委員会は、横浜中央地区委員会等への支援動員を要請しており、力の入れ具合も次候補以上の取り組みであるといえます。しかしながら、この行動もまたわかりにくいのです。
 ワンマンで「開明」的な前市長に対して、その政治姿勢を批判し、「信頼を取り戻」し池子米軍住宅から「逃げない」市長になると立候補した女性候補の登場。この構図は、まるでよそ見には、一見、長野県における田中県知事選を思わせる構図のようです。しかし、その内実は全く異なります。
 私の長島市政についての評価は、民主的でも開明的でもなく、議会の意義が全く分かっていない長島氏は民主政体の何たるかが分かっていない人だの一言に尽きてしまいます。特に学校現場に対する締め付けや押しつけは、目に余るものがあります。したがって、米軍住宅追加建設に反対だから長島氏は支持できるとはとてもいえません。
 長島市政に対する全体的な評価は、如何なるものになるかといえば、とても逗子市の事情を知っているふつうの共産党支持者は、こんなに割り切った行動に出ることは出来ません。長島市政は評価できないものであることは明かです。現実に逗子市の教職員の共産党支持者には、共産党のこうした行動は、何のためかわからず動揺を与えています。彼らはさまざまな機会を通じて長島支持を主張していないのです。
 これまで米軍家族住宅反対運動を市民と一緒に闘ってきた三浦半島教職員組合も、長島氏を支援する様子はないのです。もちろんだからといって、まったく当然にも池上氏を支持することも出来ません。
 なぜなら、池上氏を支える政治勢力はといえば、自民党・公明党などの保守勢力であり、過去において、市民らの米軍住宅建設反対運動に敵対してきた勢力だからです。彼らの追加建設反対が単なるスローガンでしかないことははっきりしているからです。
 しかしながら投票率を下げることは出来ません。それは分会会議で確認しました。だから自主投票としました。
 逗子市長選の政治的な選択はこれしかないといえます。
              (S)

●右翼テロを煽る石原都知事

 石原都知事が、外務省官僚への右翼テロを擁護する発言を、多くの報道陣の前で、街頭演説という場で、行いました。「第三国人」発言、や障害者の人格否定発言など、日頃からファシストまがいの言動を繰り返したこの男は、とうとう右翼テロを公然と煽るまでに無軌道さをエスカレートさせてしまいました。政治家としても人間としても最低の男です。こんな人物が、石原新党だ次期首相だと持ち上げられている世の風潮にも危険なものを感じます。
 手遅れにならないうちにこの危険な目を封じ込めましょう。
            (K)


●米軍住宅問題で、逗子市では対決の市長選が始まった

 池子米軍住宅地区(神奈川県逗子市、横浜市金沢区)の横浜市域部分への八百戸の住宅追加建設に反対し、逗子市議会議長に辞職願を提出した長島一由逗子市長の辞職が、八月二四日成立して、出直し市長選が事実上始まりました。しかしながら、市長辞職に反対したと同時に、逗子市議会は全議会一致で、池子米軍住宅追加建設反対の意見書を採択したのです。したがって、今回の逗子市長選挙の意義は、わかりにくくなっています。
 市長選は九月七日告示、一四日投開票となりました。米軍住宅建設の是非を市民に問うとして再出馬する長島氏(三六)と、長島氏の市政運営に批判的な元市教育委員長の医師池上晃子氏(六四)による一騎打ちとなります。このことを見ても明らかなように、米軍住宅建設反対というより、保守系の市長奪還選挙の様相を帯びているとすらいえます。
 実際においても、長島氏は、八月四日の辞職表明後、早朝の逗子駅前等で、街頭演説を開始しているのに対して、池上氏は、市議会の保守系市議の後援者らを中心に、精力的に市内での挨拶回りをしていると伝えられています。
 こうした選挙が始まった中で、逗子市では、長島市政の与党がたったの二議席で、その他はオール野党状態だったことから、助役・収入役が不在なのです。このため、新市長が選出されるまで、逗子市には三役がいない異常事態となり、総務部長が、市長の職務代行を務めることになってしまいました。その意味ではしらけやる気がなくなる選挙です。
 すでに、逗子市と横浜市金沢区では、日本共産党と神奈川ネットワーク運動の動きが活発化してきてはいますが、問題の大きさ故に、盛り上がっているとはいえない状況です。しかし、私は、今回も微力ながら、逗子市の闘いと横浜市金沢区での闘いを有機的に結びつけ、米軍住宅追加建設阻止の内実を闘い取るべく闘いを開始いたしました。
              (S)

●小沢革命は再び起こるのか


 共産党は現綱領を改定した。彼らは、天皇制容認・自衛隊認知の現実的な見解を打ち出して、民主党等との連立に踏み込み、より一層の現実的政治選択を決断したようだが、折からの筆坂セクハラ事件の対応のゴタゴタのなかで、当初の世間の耳目を集中させるとの思惑は費えてしまったようだ。社民党はといえば、秘書給与問題で、辻元元議員が緊急逮捕されたことを、言ったところで反感を持たれることにしか成らない政治謀略だとほのめかすなど、しかも土井党首は自分の元秘書が逮捕された渦中の人物でありながら辞任しないとの声明を出すなど、その対応の悪さは、有権者の政治不信を拡大する一方だった。
 こうした従来からの護憲勢力が無力化して単なる残影勢力化する中で、日本国家の対外姿勢を一変させる「イラク特措法」が、二十六日未明に可決されたのである。
 こんなあわただしい中で、民主党と自由党の合併が発表された。自由党は民主党に吸収合併され、今後小沢は一兵士として、民主党に参加するという。この事実を夕刊紙は政権交代もあり得るという事で大々的に報道している。自民党は内心穏やかでない事情を、この合併が「野合」だと批判することで問わず語りに語ってはいる。
 確かに野合ではある。しかし、自民党にそのように批判する資格はあるのか。公明党が過去反戦平和を声高に叫んでいたことを考えれば、与党になってからの公明党の行動は、立党の精神を忘れてしまったと評価するしかないし、自民党と何が何でも一緒に政権を掌握するとの一点での理念なき野合であるというしかないのである。
 小沢が前回社民党を不必要に牽制したことが、細川内閣の崩壊と竹下戦略による村山首班社自内閣の成立だとの深刻な反省を踏まえた小沢の今回の菅直人を押し立てての自らの解党による民主党との合併の決断は、自民党にはあの政権から転げ落ちた悪夢がよぎったはずである。
 抵抗らしき抵抗がない中で、有権者の審判なしに突っ走ってきた自民党等は、その意味で、決して穏やかではいられないであろう。小沢がここまでやるとは考えなかったであろう。自民党の主流派は、小泉を嫌い抜いてはいるが、八月になろうとしているのに、未だ対立候補の正式な名乗りを誰一人として挙げてはいない体たらくなのである。彼らが小泉に舌戦だけで本格的に反抗しないのは、自分たちが前面に出ることにでも成れば、自民党の敗北に繋がることを百も承知しているからである。
 菅直人らが政権を取れば、「イラク特措法」による自衛隊派遣はしないというのだから、大胆にいえば、対米関係の改善には、政権交代しかないと私は考えている。
             (S)

●社民党はどこへ行くのか?

 社民党が、辻元氏と五島氏の逮捕で揺れている。社民党の党員は自党のことについてますます話したがらなくなり、地方自治体の議員たちは支持者から批判や泣き言を聞かされてすっかり気落ちし、その自治体議員たち自身の中からも党本部への不満や批判が公然と漏れ出てくるようになっている。
 辻元氏も社民党の幹部たちも、捜査当局の「政治的意図」を非難している。口にこそ出さないが「他の政党もやっているのになぜ社民党だけをやり玉に挙げるのか」との思いが顔に現れている。
 捜査当局やその背後にいる保守勢力が、辻元氏や社民党への政治的なダメージを計算していることは確かだろう。それはそれとしてきちんと暴露し、批判していく必要がある。
 しかし社民党にとっての問題の本質は、そんなところにあるのではない。問題は、「他の政党もやっているのになぜ社民党だけを」と悔しがるその意識そのものの中に深刻に内在している。この意識は、言葉を変えれば、「自民党だってやっている、社民党を攻撃すれば自民党にも累が及ぶ。だから大丈夫なはず」という意識だ。しかしこれこそは、権力との癒着、しかも日本のブルジョア政治の腐った部分から共同で益を受け、共同でその事実を隠そうという、自覚的な共犯関係の存在を物語るものだ。
 人々が社民党に怒っているのは、単に国庫から秘書給与を不正に手に入れたという事実に対してだけではなく、こうした権力や財力との癒着構造に対してなのだ。口では「平和」「福祉」「勤労者の利益」「環境」等々を語りつつ、その精神構造において権力と癒着し、また実践においてもそれが重大なテーマであればあるほどしばしばブルジョアの勢力と手をつないでしまう社民党の姿に対して、人々は落胆してしまっているのである。
 社民党の中にも健全な人々はいる。彼らには、社民党の再生などという後ろ向きの仕事にではなく、自力で新たな運動を切り開くことに力をそそいでいって欲しい。

●ワーカーズの存在誇らしく思うが……

 『高度技術を持つ蛮人』と評されるアメリカ。そのミニチュアとしての国家、日本、空前絶後の生産力を持て余し、悪無幻的な成長信仰に支えられた多くの日本人。この国は社会は、どうしようもなく精神が歪み、屈折し、荒廃している。その反面、阪神フィーバー、ベッカム様等々、方向性を見失った退廃的明るさが、ますます、人を、私を享楽的、能天気なニヒリズム(?)におとしいれていく。はっきりいって、もうこの国はだめだ。第三次大戦の引き金を引くようになるだろう。あなた方の存在を誇らしく、たのもしく思うが、残念ながら、すべての左翼、革新、市民運動に期待できない。カンパ少ないですが送ります。ワーカーズパンフ111号を送付下さい。
              (F)

●ついに始まった神奈川県における「日の丸」「君が代」処分

 全国的には、「日の丸」「君が代」処分が乱発されている中でも、ここ神奈川においては、組合へのの組織率が高かったことや従来から県知事を教組として推薦支持してきた関係もあるなどの諸条件下で、「日の丸」「君が代」に関わっての処分は、義務制学校については、ほとんど出ていませんでした。
 ところが昨年教育長が変わった横須賀市では、昨年四月以来の厳しい締め付けが続いておりましたが、この一月には、教職員の「妨害が予想される場合は適切な行動をとるよう指示を出す」、「妨害行動が行われた場合は」「警告する」、さらに「発生状況を報告する」との具体的な内容を持つ通知を、市内の各校長に送付してきました。
 また三月に入ると従来からねばり強く対面方式の卒業式を堅持し「日の丸」「君が代」の強制に抵抗してきた学校の校長を、市教育委員会に呼びつけて、その切り崩しに執心したばかりか具体的には卒業式当日市会議員や教育委員会職員を動員してのレポ活動を強化さえしたのです。
 そして、これらのレポ活動の総括として、五月九日には、「君が代」を歌わなければならないはずの「子供の声が聞こえない」、「教職員の不起立」が多く、子供に対しての「不適切な指導」を指摘したばかりか、子供の不起立を「煽動」したと決めつける通達を、市内各学校に送付してきました。
 この通知に関わって、横須賀市全体に広汎に存在すると言われている「不起立教職員」に比較すれば、きわめてわずかな人数を、市教育委員会に呼びつけて、教育長も同席の上で、「なぜ不起立か」を詰問したというのです。その尋問時間が、なんと数時間に亘つた人もあると聞いています。
 その結果として、小学校六名中学校一名に「口頭訓告」、中学校二名に「文書訓告」が出されたのです。このように九名が「処分」されました。
 有事立法の法制化にあたり開催されたたった二カ所の公聴会の内の一つであった横須賀市での「大量処分」は、日本の教職員に加えられた有事立法の本質の一端を語るものとして評価しなければならないと私は考えています。
 反撃していかなければならないと考えます。(S)


●面妖な、余りにも面妖な

 六月二十四日、共産党の看板男そして小不破哲三とでも評すべき筆坂秀世氏が、セクハラをしたことで、中央委員と国会議員を辞任するとの発表が唐突に成されました。
 この発表は、共産党が被害者女性のプライバシーを守るためと称して、具体的な状況等について、一切明らかにしていません。こんなことがあってよいものでしょうか。
 この面妖な、余りにも面妖な事に対して、私は一言書かずにはいられません。私の立場に近い「さざ波通信」の編集者の意見を、以下に引用してから、私の意見を書き足したいと考えます。

 事件そのものを隠蔽することなく、別の口実で筆坂氏を更迭するのでもなく、セクハラの事実をきちんと公表して、議員辞職という形をとったことは、評価できることである。クリーンなイメージを最大限重視している党としては、重大な打撃になることを承知でこの道を選択することには、相当の勇気がいったと思われる(もちろん、被害者本人の承諾を得ていることが前提であるが)。
 しかしながら、この事件の詳細については、党内でも、また今回の記者会見でもまったく明らかにされていない。被害者のプライバシーを尊重してとのことであるが、この説明はわからないでもないが、被害者の個人的プライバシーにかかわらない範囲でも、もっと明らかにするべきことはあるはずである。たとえば、セクハラが悪質なものであったのかどうか(誰もその様態を細かに描写せよとは言っていない)、その酒の席はどういう性格のものであったのか(筆坂氏が個人的に飲みに行った場だったのか、それとも党関係者が多数いたかなり公の酒の席だったのかどうか)、被害者が党関係者かどうか(これは党内の権力関係にかかわるので、重要な事実である。もし被害者が党関係者であり、筆坂氏が党内の権力関係を悪用してセクハラに及んだとすれば、酒の席で羽目をはずしてしまったというレベルではなく、より重大なものになる。それは市民道徳の問題ではなく、政治的問題である)、等々。これらはいずれも、セクハラの重大性をはかるうえで欠くことのできない要素である。にもかかわらず、これらの点について、党中央はすべて「発言を控えさせていただく」として頑強に事実の公表を拒否している。
 これはきわめて問題である。まず第一に、筆坂氏は単なる党役員ではなく、国民によって選挙で選ばれた国会議員である。職を辞するかぎりは、国民に対するそれ相応の説明責任があるはずである。
 第二に、今回事件がおきた「酒の席」というのが、筆坂氏が個人的に飲みに行った場ではなく、そこに多数の党役員がいたかなり公の酒の席であった可能性がきわめて高い。というのは、記者会見で明らかにされたように、事件は、5月27日の「数日前」に起きている。この日付は6中総の開催時期と見事に重なっている。6中総が開催されたのは、5月24日と25日である。もしかしたら、6中総の終わったあとに、「打ち上げ」として党役員や本部職員などが多数参加した酒宴が行なわれ、そのときに起きた事件かもしれない。とすれば、筆坂氏個人の責任のみならず、そこに参加していた党役員全員の責任が問われなければならないだろう。
 また、共産党は、党の本部専従に、自宅以外での飲酒を内部規定として禁じている。もしこの酒の席が、誰かの自宅以外の場であるとしたら、党幹部自身が自らの定めた内規を破っていたことにもなる。
 さらに、今回の事件が、そのときたった一回だけ起きた偶発的なものだったのか、それとも同じようなことが何度か繰り返されていて、被害者がついに中央委員会に訴え出たものなのか、この点も明らかにされなければならない。もし後者だとすれば、問題はより根深いものとなり、党指導部全体の責任がより厳しく問われることになるだろう。
 なお、この事件をめぐって一部に、党内抗争の現われであるかのような陰謀論が見られるが、それはまったく荒唐無稽な議論である。国会議員がセクハラで辞職することによって党が受ける打撃の方がはるかに大きい。筆坂氏は忠実な不破派であったし、また党内における不破氏の権力は絶対的なものであって、党上層に反乱分子がたとえ現われたとしても(その可能性自体、現在の党の水準からすればありえないが)、ごく普通の党内手続きで反乱分子を取り除くことができたろう。今回の事件は、何よりも、新しい改良主義路線によって世論に取り入ろうとした不破指導部にとって、その出鼻をくじくとてつもなく大きな打撃となるスキャンダルである。彼らにはそれを隠蔽する動機はあっても、あえてそれをでっち上げる動機はかけらもない。
        (S・T編集部員)

 共産党は、確認できるように言葉でこそセクハラを語ってはいます。しかし定義はしていないのです。そもそもセクハラとは何でしょうか。この概念は、性的な嫌がらせ一般ではなく、狭義においては、両性間に「上下関係」があり、被害者が抗議しにくい状況下で成される行為です。したがって、共産党は、事実の一端を明らかにしているのです。
 その意味において、「発言を控えさせていただく」との共産党の態度に対する「さざ波通信」編集者の推論は、充分に論理的なものであり、私たちの参考になります。ここでの「六中総後の打ち上げ」後の「酒の席」で、「偶発的」でなく「何度か繰り返され」、「被害者がついに中央委員会に訴え出たもの」という推論は、真剣に考察するに価します。
 一般紙でも、よくよく読めば、筆坂氏について、このたぐいの噂があったことは充分ほのめかされてはいるのです。ところが、ここで、私たちはかの編集委員から、それ以上に驚くべき事実を聞かされることになりました。
 それは、共産党の内部規定では、党の専従は、自宅以外での飲酒は禁止されているということです。何という驚きでしょうか。「上にはやさしく下には厳しい」という規律では組織は立ちゆきません。こんな大事なことを、幹部自ら破っていたとするなら、口をつぐむしかないと共産党は考え、一切コメントできないといっているのでしょうか。
 いやはや、日本共産党の終わりの始まりになるというのは、今回の綱領改定だけでいえるのではなく、このような内部規律の崩壊状況からもいえるのではないでしょうか。
 私はこう考えることで、今回の事件を冷ややかに受けとめてはおります。
             (S)


●「有事法案」横須賀地方公聴会へ向けて2回の抗議行動を展開

 5月28日と29日の二日間、急遽開催された全国でたった二カ所の一つである横須賀地方公聴会に向けて、三浦半島地区労と平和運動センターは、横須賀中央駅と汐入駅の二つの駅頭で公聴会開催反対と有事立法反対の抗議行動を展開致しました。
 29日当日の公聴会で意見を述べた五人の公述人の顔ぶれはといえば、沢田秀男横須賀市長、小山満之助横須賀商工会議所副会頭、冨田定幸県隊友会長・自衛隊OB会、松浦一夫防衛大学助教授といった与党三党と自由党が指名した人物と社民・共産両党推薦の呉東正彦弁護士でありました。
 このように呉東氏以外は、有事立法を積極的に評価する人たちばかりでありまして、公聴会としての客観性に、私は大いに疑問を持ちました。沢田市長もまた「有事における市民の安全にはあいまいな部分がある」と一言言ってはみたものの「有事立法に関わる危惧の声は一団体を除いて市民から市長に寄せられていない」と断言してはばかりませんでした。まあ茶番劇ですね。
 沢田市長が本当に市民の安全があいまいだと判断したのなら、その点を明確にしろと迫るのが市長の職責ではありませんか。沢田市長は、もっとしっかり仕事をしなければならないと私は考えます。
 こんな顔ぶれでしかもおざなりの公聴会を開催したことを持って、小泉は、市民の声を聞いたというのでしょうか。
 断固継続して抗議していくしかありません。
       (S)

●大阪市の市民活動について

 必要があって西区の図書館へ出かけたところ、本の整理のため6月8日まで休館。仕様がないので持参のローソン弁当を土佐稲荷で食べ、帰途、大阪市のゴミについての資料館みたいなのがあったので入ってみる。
 玄関にたくさんのパンフがあったので、全部1部づつもらって帰る。暇を見て、これを見てみると確かに展示物を見るには、安い入場料で見物できる。しかし、「ものつくり」の喜びにあづかりたい、と思うと講演料が大ていは5000円〜23000円。これでは小金を持った、その上時間を自由に使える年寄り、ということが対象にならざるを得ない。
 年金生活者の私など到底、手が出ない。大阪のような大都市では、金に余裕のある人々が「もの」をつくって個人が喜ぶ、それをどう扱うかも個人。
 先日、吹田市で偶然、出会った市民グループ、さまざまなグループがプロはだしのものをつくって売っていたが、いずれも200円か300円位のもので、しかも諸外国(アメリカ・アジア・中東)との民間交流の盛んなことを想像させる素材を外国に求め、加工した手づくりの品々。しかも安い、とくる。芸能のご披露も舞台も何もかも手づくり。近郊の小都市だからであろう。
 大きな企業のことは、いざ知らず、市民活動のこんなに老いも若きも、幼い児も障害者もみんな一つの場で、それぞれが何かやって生き生きした快い雰囲気。
 大都市大阪では、そういう市民活動のあり方は望めないであろう。もらったパンフには吹田市にみられる民間の具体的な、生活の中に入り込こんだ外国との交流は、ないようである。私が知らないのかも?
 もともと大阪は商売と遊びと学問の街。オカミの経済政策の失敗であろうか商売も遊びも危なく、学問については無料か安い料金で色々な講義を受けることが出来、東京の「無用塾」にも匹敵するものと喜んでいるが。
 オカミの失策が国民にツケがまわり、年金しか現金収入のない年寄りの側からいえば、年金を受け取るのは当然の権利とはいえる。夜遅くまで生気のない顔をして、道筋でチラシを配っている若者たち(多分、就職口のないバイトかフリーターの若者であろう)に出会うと、私ども年寄りは「ごくつぶし」と思わざるをえず、貧しかった昔、喜んでお山へ死にに行った「うばすて」は、現代を生きる老いた者にも強い共通の思いとして感じている。
 ところが、余り怒らず、「怒るとしんどい、腹が減る」というわけで、「笑う」と体によろし、と「笑顔」という仮面をつくる指導までやる、という悲喜劇が大まじめに行なわれているようだ。そういえば亡くなった落語家の枝雀が落語の中で「悲しい悲しいと思えば本当に悲しくなり」というようなことを言っていたから、「笑顔」という仮面を作れば、本当に「笑える」のかも知れない。
 私自身は怒らずに、「笑顔」を作ってまで笑いたくはない。怒り死にした方がまし。
 本当のことは隠され、お人好しを続けてきた私も、メッキもはがれ、だんだん解かってくると「怒り」となる。「怒り」は衝動的な感情ではなく、「知る」ことによって起こる、理性による「怒り」である。
 沖縄のシーサーの顔に、カッカとよく怒った恐ろしい母の顔と似ていると、笑い出したくなったものだが、母は「怒りやすくさめやすい」人だったから結局、流れに添って生きた人で、怒りは持続しないものであった。しかし、これからの人々は「知」の上での「怒り」を持つに違いない。枝雀が生きていたらなあ。
 2003・5・29 
       (宮森常子 70才)
 付記
  今、世界で恐がられている病気について、病気退治よりも国のメンツが大事とする国もあるようだが、なにも国家に限ったことではない。最少単位の「家」についても同じことがいえる。家の中のイザコザは知られると具合が悪いというのが先立つ。むしろ、それにつけこむ心根の良からぬ者の方が恐ろしいのに。
 昔、「家」を捨てたお坊さんもいたそうな。最近では、アフガンのものを貿易のようなことで大儲けしたから、それもやめ、家族を放り出して(逃げられたそうだが)旅の宿よろしく、竿1本で乞食同様の旅を続け詩画集を出した人がいる。昨年、世界大道芸人の集まる静岡へ旅し、お城の前で本人が売っていた詩画集を買い、私はとてもこんな文章はかけない、と思ったものだ。
 旅日記が出るそうで、出版社に連絡してみたら、音沙汰なし、多分この出版社はつぶれてしまったのだろう。「美しいもの」は滅びていくもの。この詩画集によって、私は「野仏け」が日本人の魂のような気がしてならない、と思うようになった。年のせいでもあろうが。

●中央政界における変節と地方政界における腐敗

 有事立法がたいした論議もなく衆議院を通過した。このことが可能になった背景には、菅直人率いる民主党の変節がある。
 市川房枝の秘書から政治運動を始めた菅直人には、薬害エイズ関連で、官僚支配の一角を崩したこともあり、一種の期待が集中した時期もあったようだが、O―157の原因追及では、最近高等裁判所判決で国が敗訴したかいわれ大根事件のように、官僚にいいように使われた哀れな姿を晒してしまったのは、いまなお記憶に新しいのではないか。
 基本的人権を政府に担保させたから有事立法は性格を変えたのだとの強弁には、私はあきれてしまった。私には、かいわれ大根に原因がなかったことを証明するために試食をした菅直人の哀れな姿がここでだぶって仕方がない。そもそも基本的人権を尊重するなら戦争など出来ない。今後とも私たちは菅直人には厳しい批判をしていかなければならない。
 さて横浜で中田宏を押し上げた横浜みらいは、先の統一地方選挙で「横浜から日本を変える会」を結成し、同時進行していた県知事選では、松沢弘文を擁立して闘い、松沢を当選させたばかりか、自らの会派を、五から十二に大きく躍進させ、市会において第四会派となった。これから中田与党として発言権を強めていこうとする意気込みであったろう。
 この会派の団長は、金沢区の小幡政雄で、副団長は旭区の佐藤行信というのだが、ともに、あの日産自動車の百日ストの時、伝説の指導者・益田哲夫の全自動車組合から脱退した塩路一郎が支配する反共第二組合の日産労組の幹部から、その後市会議員になった連中である。そして民社党の政治の本質は、前回のワーカーズでも論じられていたように、ロックフェラーが後ろ盾になっている道徳再武装運動の強い影響下にあるのである。
 今回副団長の佐藤が、旭区の指定業者から、数十万円の寄付を不当に受けたという疑いから、公職選挙法違反で逮捕された。まったく自民党も顔負けの腐敗事件ではないか。
 この寄付は、横浜の本牧ふ頭に作られる予定の超大型コンテナ船用の大水深バースの工事費約一億九千万円を請け負った業者が、佐藤に提供したという。佐藤がこの事業推進の急先鋒であることは、横浜市会では、周知の事実であったのだ。
 こうした佐藤の行為は、「改革」という名で、横浜市政における「利権構造」と「癒着構造」の打破を叫びつつ、その実は、労働者に対する合理化攻撃を一段と仕掛けてくる中田市政にとって、従来型の[癒着構造」がその与党の中から発覚したのだから、彼らの足下を揺るがす衝撃と今後に影響が出るのは必至であることは間違いないことだろう。
             (S)


●三浦半島地区労の誕生を喜ぶ

 総評が自ら解体したことで、置いてきぼりになった格好であった各都道府県の地区労は、反戦平和運動の地区拠点として、細々と活動してはいましたが、全国的には予算的なこともあり自前の運動を続けていけなくなり、解散するところが多くなっていました。
 その中にあって、反原潜寄港闘争において全国でも屈指の活動を展開してきた横須賀地区労は、この三月一日、発展的に解散して新組織を立ち上げ、折から勃発したイラク侵略戦争に反対する千人規模の抗議集会を展開するなど、しぶとくねばり強く運動しています。
 この地域労働運動の拠点として作られた新組織とは、三月一日に設立された横須賀・逗子・葉山・鎌倉・三浦地区を活動エリアとする「三浦半島地区労働組合協議会」(略称:三浦半島地区労 通称:Milai(みらい)」)のことです。
 初代の議長には、全駐労横須賀支部の委員長が、初代の事務局長には、三教祖から専従者が派遣されています。当然の事ながら、中央の指示で作られたのではなく、文字通り、三浦半島の労働現場で働く労働者が地域で反戦平和運動を推進するための連合体です。
 「未組織労働者をはじめ、働く者の連帯を図り、支援すること」という地区労の理念を継承して、第一の組織目的に据えた新発想の新組織の誕生は、現場労働者の闘いの息吹を感じさせるものがあり、私は、今後の活動に大いに期待したいと考えます。
 全国で苦闘している労働者にこのお知らせをいたしたく手紙を書きました。
      (K)

●拉致事件に思う


 拉致された方々の親ごさんが国を相手にしてケンカまで、さらに、らちのあかん日本国政府に業を煮やして、アメリカの市民に訴えられるという行動をとった。私たちの世代の親は子どもを愛し、子どもの幸福を願っただろうか。
 もっとも戦中、戦後、食糧を求めて苦労した両親には、文句なしに感謝はしているが、食うこともかなわぬ時代であったから当然だが、子どもの幸福とかには考えようもなく、学校へ行かせるのも角兵衛獅子さながら稼ぎ手として投資するのである。それ故、恋愛や結婚すら許されなかったし、死んだ姉は好きでもない勉強をさせられ、絶対服従・孝行の強要が当たり前であった。そむいた者は憎しみすらぶつけたものだった。
 拉致事件が起こった頃は飢えの時代は過ぎ、一応普通に生活しえた時期であったろうし、子どもを愛し、子どもの幸福を願える時期に入り、子どもたちも歪みをもたず育ったのであったろう。だから、何のとがもない我が子が、不当に拉致された事件にまつわることで、ついには国家の本質にまで迫りうる怒りとなったのであろう。
 現在では論争や議論しあえる家族が生まれているのを羨ましく思う。話の場を持てと言われて努力してきたが、全く無理だと諦めるのが私たちの世代。生活に忙しくて、話などしてる暇もないというのが、その理由。
 稼ぐ能力のない者は、息をするのも遠慮する思い。私が生きた時代は近親憎悪を生みかねなかったが、やっとそれを超えることが出来たのは、死んでしまった家族の生き方を歴史の中で考え直した時であった。
 こっぱずかしいけれど、家族の歴史を書こうと思い立ったのは、よその国の人々との繋がりを作る、何かの手立てになるかも知れないと思ったから。
 「夜を賭けて」に出演した日本人の若い俳優さん、山本太郎君いわく、よその国の人々と気があえば「友だち、友だち」と何となく繋がりを持ったように思うが、その人々の背負った歴史を知ることが大切と、この映画に出演した、となかなかの素敵な若者。ところが、最近ビールのCMに出ているこの君、少々脂ぎってきたのはビールの飲み過ぎか。ガンを患いながら商売を続けている姉が「あんたには言われたくないというだろう」とやりかえした。私は70キロ近くの体重のオバアである。
  2003・4・19 
          (宮森常子)

●神奈川県での統一地方選挙を振り返って

 今回行われた統一地方選挙は、私にとって非常に身近な選挙でありました。組合運動をともにやり人柄をよく知っている人が候補者になっていたり、投票従事者になった関係で、近所で開かれた個人演説会に参加し直に候補者の演説を聴いたりしたからです。
 ご存知のように神奈川県知事には、民主党を離党した松沢成文が百四万票を取り当選、自民系の宝田は六十八万、社民系の飛鳥田は六十四万、浮動票狙いの田嶋陽子は五十万の票でした。こうして神奈川県では知事と横浜市長が、松下政経塾出身者で固められてしまいました。前のワーカーズに書いてあるように、松下政経塾は、道徳再武装運動MRAという反共の新興宗教の運動の一環として設立されたこと、PHP教はその日本版であったことはあまりにも明らかです。したがって彼らの謳う歌は実に古い歌でしかないのです。
 この運動の日本導入の立役者は、福田赳夫で、この間の経緯については、『軍隊なき占領−戦後日本を操った謎の男』(講談社+α文庫)に詳しいので紹介しておきます。
 候補者選びに何回も失敗した自民党は、この敗北の責任を取り、梅澤県連委員長が辞職致しました。こうした中で今後自民党県連で比重を増す人から、今回、選挙報告会をするのでお越し下さいとの招待状を頂いたので参加してみました。個人演説会に参加したその他の人からはこのような招待状はなかったからです。私は、自民党が自らの選挙の反省として、どんなことを言うのか興味があったので言ってみました。
 会場に行き入り口で受付をすますと缶入りのお茶をもらい、さらに進んでいくと百人を超える人が、それこそ肩も触れあわんばかりに結集しているではありませんか。まず人数に驚きました。さらに、私は、自民党というとビールで乾杯でもするかとばかり考えていたのですが、ここでは後援会長の挨拶と音頭取りで、缶茶での乾杯となり、いろいろな人がいるものだと感心しました。自民党がする選挙報告とはどんなものかとの野野次馬精神で参加したので、期待した選挙報告が、各投票所での票の出方等の詳しい分析をふまえたものでなかったので私はがっかりしました。当選者からの挨拶は、ただただお寄せいただいた支持を感謝するの一言に尽きる内容でしたが、後半に激しい松沢批判がなれて、今回の敗北に対する自民党の危機意識がわかり有意義でした。
 市議会の選挙では、「横浜から日本を変える会」の人が当選したばかりか、この会派は横浜では、第四会派に躍進しました。全国的にも無党派層が、「分権と改革」の観点から脱政党型の投票行動を取ったことが顕著になりましたが、ここ横浜では、中田市長支持派と松沢支持派は、セットでした。彼らの改革の本質は、端的に労働者切り捨てなのです。
 全国的に言うのなら女性候補の進出が上げられますが、私たちは、今後、無党派を一枚看板とする旧民社党系の影響が強い松下政経塾出身者との闘いを、一段と強化していかなければならないことを感じさせられた統一地方選挙の結果とはなりました。
              (K)


●統一地方選挙の最中で


 統一地方選挙が始まっています。選挙カーが路地裏を巡り、大きな音量で、内容がないことをがなり立てています。今イラクでは、戦争ですでに千二百人を超える多くの民間人が死んだ現実をどう考えているのかと私は彼らに問いつめたいところではあります。
 一体デモクラシーとは何なのでしょうか。私は、常日頃から考えているのです。そんな私に、先日、投票従事者をやらないかとの話がありました。ふつう出来ない経験なのでやってみることにしました。もちろん立会人とは違い、単なる労力の提供者に過ぎないのですが、選挙の実務の一端に触れることにはなるのです。こうしたことを通して、また考えを深めることが出来れば良いなと考えています。
 そんなこともあり、近所で開かれた三つの個人演説会に参加してみた。これまた初めての体験です。共産党はしていなかったので、自民党民主党公明党の各候補者の話を聞いたのですが、彼らの話より、私は各候補の演説会に集まった人々に関心を持ちました。
 ものの本にも、公明党の支持基盤は、本来なら左翼のものだということが書いてありますが、このことを実感として確認することが出来ました。この重たい事実を自分で実際に確かめただけでも成果があったと言えます。
             (K)

●イラクの現状について

 反戦運動をめぐって、今のイラクの現状などについて考えているところを簡単に箇条書きしておきます。
1.フセイン後に向けたアメリカの政治的策動は、ブッシュの言説を裏返せば、まるで古い映画を観るように、排他的権益独占を渇望する帝国主義の古典的本性むきだしだ。
2.米軍による4月8日のイラク放送機能の破壊、アルジャジーラならびに海外への情報発信の拠点、ロイターの記者への攻撃は、自らに都合の悪い情報をたたき潰すための意図的な虐殺である。
3.その上で4月9日のサダムの銅像引き倒し、歓呼するイラク市民という都合のいい構図が情報として仕上げられ、世界を席巻した。アメリカの特殊な工作、意図的な情報操作、やらせプロパガンダの面を暴露しないといけない。
4.4月9日の映像は人民蜂起とはほど遠く貧弱であり、大義ある人民蜂起なら必ず伴う自己規律もみられず暴徒的な略奪と相互浸透している。すでにバスラでは既存のサダム独裁権力機構が解体したとたん略奪が横行し民衆が困惑している。これだけでも、米英軍の戦争が少しも解放的な性格ではなく、帝国主義侵略戦争といえる。
5.ただし、「銅像引き倒し・歓呼する民衆」という演出をやらせとだけ捉えるのは一面的であろう。サダムシティは抑圧されてきた多数派のシーア派の居住区であり、サダム独裁体制を憎悪する人々はそこにも、南部にも、北部にも、亡命した人達の間にもたくさんいる。サダム独裁政権は、イラクの少なからぬ人々にとって、そして、アメリカの侵略戦争に反対する左翼にとっても打倒の対象。
6.しかし、当初から南部での多数派のシーアが米英軍にこうおうせず、不信と敵意で迎えたように、多数はフセインの悪にたいしてアメリカの巨悪を見抜いている。一部の人々が「銅像引き倒し・歓呼する民衆」に加わったに過ぎない。
7.アメリカは勝利を謳歌し、古くさい植民地主義まるだしの統治プランを描くがよい。それが奈落の始まりとなろう。アメリカは大量破壊兵器によって、フセインの軍隊を壊滅させることができても、人々の意志を従わせることはできない。人々の不信、敵意、憎悪の前に恐怖を味わい、時とともに泥沼に陥るのはアメリカだ。
8.その意味でも、今後はますますイラクにおける民衆的・革命的な対抗勢力と結びつき連帯していくことが日本の反戦闘争の重要な課題となろう。また、世界各地での非暴力直接行動に対比して、警察専制支配に従い統制するのが「非暴力」だと錯誤する落差を恥じ入り、それを越えるエネルギーがますます問われるだろう。
9.今、日本では小泉政権による戦争荷担だけでなく、有事法制、教育基本法、個人情報保護法や住基ネットなどをめぐって一挙にとてつもない反動的強行突破が図られつつある。非暴力という意味ではごくごくささやかな抗議・デモに対しても、3・20、4・5と不当な逮捕・弾圧が連続している。
10.秋田県・本荘市の警察はあろうことか、選挙期間中を口実として反戦デモそのものを禁圧する暴挙に出ている。(<秋田県>市民活動を恫喝・威嚇する警察 http://www1.jca.apc.org/aml/200304/33519.html 参照)民主主義の根幹を揺るがすこんな暴挙を許せるわけがない。日本政府・警察のやりたいほうだいの抑圧をはね返していこう!!

●イラク戦争反対デモには行かない理由

 結論から言えば、「イラク戦争反対か賛成かが重要なのではなく、イラクのフセイン体制や北朝鮮のキムジョンイル体制をどういうやり方で政権交代させ、新しい政権を誰がどのように創るのか 」をみんなで検討することが重要であり、それ以外のことは枝葉の問題でありかえって解決を複雑にしてしまうと思う。例えばこうだ。「多くの罪もない人たち特に女性や子供たちの命が奪われるから戦争は絶対だめ」よく聞く意見だが、では「フセインやキムジョンイル体制の下で多くの人が弾圧され虐殺され餓死までさせられているのを放って置いて黙って見ていれば良いのか」と反論がでる。単純反戦論者と好戦あるいは戦争やむなし論者の対立である。しかし結局両方ともフセインやキム体制は良くないのは一致している。ブッシュのやり方の好き嫌いである。「ではあなたはどうすれば良いんだと考えますか」という手段・方法論に戻らざるを得ない。単純反戦論者は「戦争反対」「ブッシュは戦争をやめろ」と叫ぶがそれ以前に「フセインは退陣しろ」「フセイン体制打倒」を叫ぶべきだと思う。「戦争反対」では「政治反対」と同様で何もいったことにならない。なぜなら戦争とは歴史学者や革命家に昔から政治の延長とか政治の継続と言われてきたもので、戦争反対とは「政治反対」と言っていることと同じで意味がない。意味をつけるとすれば「ブッシュ政治反対」だけだ。「フセイン政治反対」はない。無理矢理戦争を仕掛けたのはブッシュ政権だからだ。フセインは応戦しているだけだ。
 ところで私は1年前まで「戦争は何も解決できない」と考えていて北朝鮮についても太陽政策しかないと思っていた。そして北朝鮮の人民がキム体制を自分たちの力で倒すのがベストと考えていた。しかしこの間の拉致問題の経緯を見て、外交的手段や各種援助では北朝鮮の人々を救うこともキムジョンイル政権を退陣させることも困難だと感じるようになり、ブッシュが好きなわけではないが、ブッシュ政権のように空爆によりキム体制を倒す方が善し悪しは別として、放置して置いた場合の虐殺者や餓死者の数より、戦死者の数の方が少ないのではと思うようになり、そういうやり方も一概に否定できないと思いました。空爆による反撃で東京やソウルがミサイルを撃ち込まれることは当然あるし、こちらに死傷者がでない訳には行かないでしょう。だから無理にそんな危険を冒さずに金正日を退陣させる方法があればあればいいんでしょうが。困難でしょうが検討していきましょう。
 こういう私の考え方に対してワーカーズ2・15号で阿部氏は「戦争で北を叩け、武力で北を解放せよなどという極度にばかげた主張、何も知らない愚者の思想、・・・何よりもイラクや北朝鮮の内部における変革の力に連帯し、これら独裁体制の下にあって呻吟している民衆への様々な形での支援を追求していく必要がある・・・」確かに右翼でもなく米国人でもないので「戦争賛成」とはいえない。世界の8割以上の「戦争反対」の声の中で、いつも私は少数派だなあと思いつつ。何も知らない愚者の思想は当たっているが、変革の力すなわちフセインや金正日体制を打倒する勢力、こんなものに期待するのは幻想だと思う。ないとは言わないが、こういう勢力が育ってくるにはその社会の生産力が経済力が増してこなければならない。増してくると言うことは抑圧している支配階級が退陣しなければならないと言うことであり、それを許すことができないからこそ非人道的な政治支配が行われているわけだ。ところが残念ながらこういう遅れた社会でこそ支配者が国民に支持されているのだ。外の世界を知らされていないと言うこともあるし、一部のレベルの高い人たちが知っていたとしても遅れた社会では反対は粛正を意味する。だから変革の力に支援を追求する路線では何十年もの粘り強い忍耐が当然必要になる。その間に何万人何十万人の人が殺される。戦争よりひどいんじゃないか。
 世界で唯一の被爆国の日本で、終戦記念日か広島の原爆記念日で毎年聞かれる言葉「二度とこのようなことがないように」・・・なんていやな言葉なんだろうといつも思う。自分は何も悪いことをしていないのに、原爆を落とされた、二度とこういうことをしないでください。まるで被害者意識だ。本当の侵略を受けた中国や朝鮮やアジアの人たちが聞いたら、さんざん侵略して置いてふざけるなというだろう。米国人が聞いたら君たち日本人は戦前の天皇制軍国主義の政治、大東亜戦争、侵略戦争を自分たちの力で止めさせることができたのか。できそうにもないから、早く降参するように原爆を使ったのだという。
原爆なんか使わなくても・・という思いより、戦後半世紀も過ぎた今でもまだ自民党政権も打倒できないようでは、戦時中の大東亜共栄圏推進の天皇制軍国主義を倒すことなど幻想にすぎない。未だに天皇制も続いている日本の状態を見れば、ぐずぐずして少しも降伏する様子も見せない日本に対し、米国が戦争を早く終結させるために原爆を落としたというのも十分妥当性がある。しかし反帝・反米主義者はこぞって言う。世界のあらゆる紛争に介入し戦争を仕掛ける米