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大量殺戮を招く ブッシュの戦争を封じ込めよう!
   世界を結ぶ反戦行動でこそ戦争は阻止できる!


 年明けからイラクをめぐる情勢が緊迫度を深めている。米国はいったんは攻撃開始の先送りを計ったが、国際世論が平和解決≠ノ傾き掛けた瞬間、なにがなんでも開戦に踏み込む姿勢を強めている。女性や子供を含む多くの普通の人々を死に追いやる戦争と大量殺戮をやめさせるのは、各国政府間の駆け引きなどではなく、世界の人々の反戦行動にかかっていることが日増しに明らかになっている。一・一八の国際的な反戦行動に引き続き、世界で日本でさらに反戦の輪を広げよう!

■焦るブッシュ政権――動揺する各国政府

 年明け以降、イラクへの武力攻撃に反対する国際世論が拡がっている。昨年一一月から行われている国連の本格的なイラク査察にもかかわらず、国連監視検証査察委員会のブリクス委員長も「大量破壊兵器の開発の決定的証拠は見つかっていない」というように、イラクの脅威≠ェ立証されないからだ。イラク攻撃のための国際社会≠ェ納得できる根拠は示されていないのだ。たとえフセインのイラクが大量破壊兵器の開発を断念していないとしても、それが直ちに米国などへの攻撃能力と攻撃意志を背景とする現実の脅威≠ノなる状況にはない。この時期になにがなんでも攻撃しようとする米国の姿勢には大儀も正当な根拠もない。
 攻撃反対の声は米国の同盟国で拡大している。これまで対イラク共同攻撃に傾いていたブレア首相さえイラク攻撃に新たな国連決議を求める姿勢や攻撃の先送りなど、慎重な姿勢に転換しつつある。イギリスでは国際社会の総意≠ニいう体裁を整えずに戦争に突き進めば、与党の労働党議員のうち一五〇人が対イラク武力行使に反対にまわるとの政府筋の予測や、地方活動家の大規模な反乱が起きる可能性があるなど、〇五年に再選をめざすブレア首相への身内からの圧力も強まっている。
 それに当初からイラクへの石油などの利権がらみで武力行使に反対していたロシアや中国に加え、これまで武力行使容認に傾いていたフランスのシラク政権も慎重姿勢を強めている。また昨年の総選挙でイラクへの武力攻撃に不参加の態度を表明して政権を維持したシュレイダー政権のドイツも、イラク攻撃には参加しないとの態度を変えていない。米国の単独攻撃容認に流されつつあった欧州各国の姿勢が、国内・国際世論の動向に押されて武力行使を回避する姿勢に転換しつつあるのだ。
 が、政府レベルによる平和解決≠ヘ当てにはならない。フランスにしてもロシアにしても、イラクでの石油や武器利権が絡んでいるからだ。実際、政府レベルではこれまでフセイン政権後に向けて石油利権に関して米国と取り引きする交渉も行われてきた。米国の単独攻撃になった場合の国益確保の損得や、石油利権の成り行きによっては、現時点の平和解決≠ゥら一転して武力攻撃容認に転換する可能性もある。

■拡がる反戦行動

 年明け以降の事態の急展開は、国境を越えて拡大する反戦行動の大きなうねりによるものだ。結局は大量殺戮を招くイラク攻撃に反対する世界の人々の決起だけが、各国政府のパワー・ポリティックスの思惑を越えて武力行使と戦争を止めさせることができる。NATO諸国の政府レベルでさえも平和解決への志向が拡大したのも、そうした国際的な反戦機運と反戦行動が拡大した結果だ。
 たとえば一時武力攻撃容認に傾いていたフランスでも、年明けの世論調査では武力攻撃に反対する意見が七七〜六六%、賛成が二四%と圧倒的に平和解決≠ノ傾いている。米英を除いて多くの諸国で武力攻撃に反対する世論が増えている。
 こうした国際世論を反映してか、米国の反戦団体が呼びかけた一月一八日の反戦行動は瞬く間に世界に拡大した。日付の関係で日本から始まった国境を越えた反戦行動は、東京日比谷の反戦行動に七〇〇〇人が結集したのをはじめとして、北は北海道から沖縄まで一万数千人の人々を結集した。続いてフランスのパリでの二万人集会などをはじめとして欧州各地で反戦行動が拡大し、最後の米国ではワシントンの二〇万人集会をはじめとしてサンフランシスコでも一〇万人、全米で五〇万人もの人々が参加した反戦行動となった。六〇年代〜七〇年代のベトナム反戦闘争の再来とも言われる大きな反戦行動のうねりが開始されたのだ。戦争と殺戮をやめさせるのは、やはり世界での反戦を願う多くの人々の行動であることがはっきりした。

■焦るブッシュを封じる反戦行動を!

 戦争とは罪なき人々が殺されることである。
 国連の内部レポートでは米軍の攻撃で五〇万人の死傷者と九〇万人の難民が出ると、英国のNGOが暴露している。戦争はフセイン独裁政権と無縁な普通の人が犠牲者となるのだ。イラクの脅威≠ェ立証されないままでの対イラク先制攻撃は、一方的な武力攻撃と無統制の反撃による混乱の拡大と悲劇的な大量殺戮は不可避となる。
 ブッシュ政権は昨年暮れまでは武力攻撃の決断を一月下旬に設定していたが、国際世論を巻き込んだ形でイラク攻撃に打って出ようとして武力攻撃の開始を二月下旬から三月あたりに先送りしていた。が、今年に入って反戦行動が世界に拡大し、国際世論がイラク問題での平和解決に傾斜する傾向に衝撃を受け、武力行使が封じ込められることに焦りを感じて攻撃時期の前倒しに傾いた。反戦のうねりが拡大する前に攻撃を開始してしまおうというわけだ。
 実際、すでにブッシュ政権はイラク攻撃の布陣を着々と進めている。年明けの時点で湾岸地域に五万人の米軍を展開していたが、一〇日に三万五千人、一一日には二万七千人の増派を命令した。二月中下旬には一五万人以上の米軍が展開する計画だという。それに一月二三日、外務省はイラクの首都バグダッド市について、在留邦人の「自主的な退避」を勧める危険情報を出した。また二五日には米国もイラクへの渡航制限を出した。二月中下旬には武力攻撃が開始されるかもしれないという、武力攻撃は秒読みの様相を深めている。
 今後のスケジュールを見ても、一月二七日の「中間報告」に引き続き、二九日には非公開の国連安保理協議会が、三〇日にはブッシュ大統領による一般教書演説が予定されている。米国は査察団による国連安保理への「総合的な中間報告」を武力攻撃幕開けの口実にしようといているなど、まさに戦争開始前夜の様相を深めている。

■米国追随の小泉政権――日本でも反戦行動の拡大を!

 一方、日本の小泉政権の態度といえば「米国のイラク攻撃に何を協力できるか」ばかり。「踏まれても付いて付いていきます、下駄の雪」状態だ。「イラクの脅威」は現実のものなのか、あるいは米軍によるイラク攻撃にどういう態度を取るのか、それらを含めて中東政策でどういうスタンスを取るのか、という基本的な問題は置き去りにされた異常な状況にある。これも日本国内の反戦活動がいまひとつ拡がらない現実の反映という側面もある。
 米国は日本への要請として、武力攻撃支持表明、後方支援、戦後復興支援の三点を、非公式に日本に要求していると伝えられている。小泉政権をしてイラク攻撃反対を言わしめる反戦行動の拡大が、いま緊急の課題として浮上している。
 朝日新聞が二五〜二七日に実施した世論調査では武力攻撃への反対が六九%になった。国内世論も攻撃反対が拡がっている。いま重要なのは、そうした世論を行動で表現することだ。
 今、世界の反戦行動は存在意義を問われる正念場にある。
 一・一八の反戦行動に引き続き、二月一五日にも国際的な反戦行動が計画されている。そのほかにも二・二の渋谷での草の根反戦行動や二月一九日にも反戦行動が計画されている。これらの反戦行動の多くの人々とともに決起することで、大量殺戮をもたらす米軍のイラク攻撃を封じ込めよう!
(二七日 ワーカーズ 広)


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公社発足まであと60日
  ポスト磨きへと辿り着いた全逓労組


 1月1日、ローソンの店内にポストが設置された。すでに昨年ファミリーマートでのヤフーゆうパックの集荷が始まっており、いずれも郵政公社のコンビニ戦略といったところか。ところでこの集荷は、ローソンには午後3時以降、ファミマには午後4時以降に立ち寄る等、郵便配達のなかに組み込まれている。
 こうした仕事が追加されるたびに郵便労働者は余裕をなくし、追い詰められつつある。例えば、4時以降にファミマに立ち寄るといっても、すでにそれまでに配達を終了していたら困るし、(配達の)道順が違って立ち寄りが困難なことも多い。そうしたことが何も考慮されることなく、公社への助走として押し付けられることによって、労働者意識の最後の欠片までなくなろうとしている。
 そして新たな人事制度が準備され、トヨタの「カンバン方式」も入ってくるといわれている。勝野成治・郵政事業庁総務部人事課長はこんなことを言っている。「現在の人事制度についてみると、日本全体に言えることでしょうが、年功序列がいつしか『年齢序列』化してしまい、そのことの弊害が無視し得ないほど大きくなってきた、ということなのです。つまり、『年齢』は重ねるけれども『功』は積まない人がもちろん少数派なんですが目立ち始める。大多数の功を積んだ人とそうでない人を同じ処遇に放置しておくと、大多数の功を積んだ人が不公平を感じ、やる気をなくす」(02年12月5日付「公益企業レポート」)
 この高級官僚は、成果主義の人事制度によって、誰もが郵政事業に自己実現をめざすようになると思っているようだ。一方で、役立たずの高齢者は切り捨てようというのだから、所詮はアメとムチの労務管理にすぎないのだが。それでも、郵政事業のなかで自己実現を図ろうというものにとっては、勝野の主張は説得力があるのだろう。使い物にならなくなれば容赦なく捨てられるのに、自己実現とはよく言ったものだ。
 全逓の中央委員会が2月13・14日に開催され、この新しい人事制度への対応が決定されようとしている。本部はすでに「概ね全逓の提言に沿ったものと判断」しており、「個別には全逓の提言とは一致しない部分もあり各項で見解と交渉スタンスを明らかに」しようと、そんなものは公社側に無視されるだろう。
 志願制による役職への登用、能力を発揮できない役職者は切り捨て、そして役職に応じた賃金ランク、ボーナス査定等々、あえて言えば特に新味のない民間の労務管理だ。それでも、親方日の丸に慣れ親しんできたものには新鮮に映り、張り切っているものもいるようだ。しかし、おおかたの労働者は醒めた目で、公社発足へのカウントダウンを見ている。
 そんな雰囲気から、今が辞め時とこの3月の勧奨退職に応じるものが殺到していると聞く。郵便局を辞めても悠悠自適の生活が待っているわけでもない(多くがOBとして時間給労働者として職場に戻ってくる)けど、この先、勧奨退職制度がなくなるとか、退職金が減額されていくとか、あれこれ考えたら公社化を機に辞めようという気持ちになるのだろう。
 組合が当てにならないなかで、民間に打ち勝つためのコストダウン、リストラの嵐がそこまで迫っている。郵政公社発足のこのときに、全逓労働運動がポスト磨きに純化したことは象徴的だ。一旦落ちたものは、とことん腐りはてるしかない。しかし、年齢を重ねても功を積まず、笛吹けど踊らない労働者が職場に存在し続けているあいだは、奴らの支配は貫徹しないだろう。そんな一郵便労働者として、定年までしぶとく職場にいてやろう決意を新たにしている。
    (落ちこぼれ全逓組合員)

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日本にあおぞらは戻ってくるのか、そもそもあおぞらは誰のものなのであろうか

 昨年小泉政権が誕生した時、日経平均株価は、一万三千円台だった。ところが、十一月の十四日には、何と八千三百三円台に落ち込んだ。昨年末から今年一月の動向はと言えば八千六百円台と低迷している。一時的には、八千三百円台に落ちるといった有様だ。
 こうした現状の中で、日銀や小泉等は、株式の日銀買い取りや銀行の国有化を言い出したり実行したりしだし、ロンドン『エコノミスト』一月一四日号では、特集を組まれ「銀行、企業に『国家統制』強まる−日本の危機の現実」を、分析・非難される始末ではある。
満天にたれ込める暗雲の重圧で日本経済は、さらに一段の沈下が囁かれる中で、能天気な塩爺は、三月景気浮揚説を何の根拠もなく、田原の挑発に載せられて「サンデープロジェクト」でぶち上げるというお粗末さである。この一月に始まった通常国会では、党首討論において、小泉は菅直人に追いつめられ、「その程度の公約を守ることなど小さな事だ」との大失言をしてしまった。小泉の支持率は急降下をし始めたとマスコミは伝えている。
 こんなていたらくの小泉に対して、追撃を組織するものはいない。鬼の首を取った気持ちの菅直人に対しては、森田実の「なぜ懲罰動議の提出を民主党はしないのか」との厳しい叱責が飛ぶ。日本はどこへ行くのであろうか。
 陰々滅々とした気分で落ち込む人々は、時に、青空を見ることで気分を一新する。日本経済には青空が見えるのか、先行きは良くなるのか、すべての人々が、各自の持ち場において、真剣な問いを発しつつある。それでも生きていかなければならないのだ。やがて人々は胎動をせざるを得ない状況に追い込まれていくのである。
 さて、表題に掲げたあおぞらは、もちろん、人々が待ち望む青空のことではない。
 ここで言われているあおぞらとは、昨年初から一月にかけて金融業界を激しく駆け抜けている銀行株争奪を巡る三井住友銀行と外資との競合とトヨタ銀行の動きで注目の的になっているあのあおぞら銀行のことである。
 論議の必要上最低のことを確認する。あおぞら銀行は九八年一二月に破綻した旧日本債券信用銀行が母体であり、一時国有された後、〇〇年九月にソフトバンク・オリックス・東京海上火災の三社に買収され再民営化された。筆頭株主のソフトバンクは、あおぞら銀行株の四八・八七%保有しているが、今回株式売却を希望している。それゆえにこの株式を誰が取得するを巡る熱い戦いが始まっている。
 昨年一一月一四日、東京株式市場で大手銀行株は軒並み暴落した。UFJとみずほの株価はストップ安となり、終値でUFJは前日比二万円安の一二万二千円、みずほも二万円安の一二万円と上場以来の最安値を更新した。三菱東京は前日比一万三千円安の七〇万三千円、三井住友も四十円安の三六二円に下げた。国内での前哨戦は、日経連の奥田会長がイギリスのマスコミ各社との会見で、「日本の四大銀行のうち少なくとも一行は来月にも国有化の可能性があると示唆した」ことにより始められた。奥田会長はトヨタ自動車の会長でもあり、この会見で「四大銀行のうち二行は脆弱だ」とも言ったと言われているが、これらの銀行はUFJとみずほであるが、この発言は、ダイエーを中心としフジタ・ミサワホーム・トーメン・日本信販等の問題企業を抱えて青息吐息のUFJを支えるとともに、旧東海銀行以来の関係で、日本の銀行業再生のためのトヨタ銀行を造ろうとの戦略のからの発言であるとの穿った見方がある。
 昨年一一月二五日号の『週刊ポスト』の記事によると、「銀行業への進出に一貫して消極的だったトヨタは最近になって大きく戦略を転換させた」という。その例として、子会社の千代田火災と大東京火災を合併して、「あいおい損保」を造ったこと、その他に「トヨタファイナンシャルサービス」や「トヨタFS証券」やトヨタカードによるクレジット事業も直営化しているとして、UFJ危機だけでなく銀行業界の再編成を、この記事は期待しているのである。
 「サンデープロジェクト」にも登場するオリックス宮内会長は私利を追求しているという重低音の噂が財界をさらに重苦しくしている。彼の動きも気になるところではある。
 三井住友があおぞら銀行株を欲しがるのも、単に経営の体力を増強するというに留まらず、こうした銀行業界の再編を睨んでのことであることは間違いのないことである。そしてこの動きには金融庁の国家戦略も絡んでの陰陽の支援があると言われている。
 他方の外資は、アメリカの投資ファンドのサーベランスとドイツのヒポ・フェラインス銀行とモルガン財閥の流れのGEキャピタルとで外資連合を造り反撃している。すでにサーベランスはあおぞら銀行の大株主ではあるが、その地位を利用して、昨年一月と三月の二回にわたって、あおぞら銀行に信用情報の提供を求めたこともあり、金融庁は、この一月、あおぞら銀行の「守秘義務違反」を告発している。勿論あおぞら銀行は反論したが。
 外資連合の日本での行動計画の周到性は明かである。二年前の十二月静岡県御殿場市において彼らは、「日本国際交流協会」のシンポジュウムを行い、日本の不良債権処理を当て込んで、今後どんなな戦略をとるべきかを論議していたのである。
 今闘いは白熱している。三井住友と外資連合の闘いの中で、ドイツのヒポ・フェラインス銀行はドイツ本国のコメルツ銀行との合併が基本合意したことで資金繰りが付かなくなり、この件からは手を引いたし、GEキャピタルも買い取り計画が少ないためあおぞら銀行が資産査定させなかったことで、同じく降りるしかなくなったようだ。
 ここにいたって、あおぞら銀行株の取得は、三井住友とサーベランスとの一騎打ちの様相を呈し、さらに一層熱を帯び始めてきた。これにサーベランス別働隊としてのオリックスの宮内会長の懐刀丸山博氏のあおぞら銀行への送り込みの動きがある。もう一波乱あるかどうかと言うところではある。
 しかし、私たちはこうした動きとは、まったく別の立場にいる。私たちの立場は、すべての社会的企業というものは、その場で働く労働する個々人のものだというものである。現在の企業を占有する管理者の手からその企業を奪い取り、協同組合的企業にすること、すなわち資本家の占有補助者でしかなかった自らを、真の占有者にまで高めなければならないと言うのが、私たちの主張である。
 ともに闘っていこうではないか。
 (ワーカーズ 直)
 以上の記事を書くに際しては、副島サイトの「金融鎖国」情報メモを利用させていただきました。感謝してご報告させていただきます。


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住基ネット中止、自己情報コントロール権に基づく個人情報保護法制を求める署名
  1・20第一次提出院内集会に参加して域通貨を考える


□岩代町事件と国立市の離脱

 昨年8月5日に稼働させられた住民基本台帳ネットワーク(住基ネット)は、さんざんそのアブナさが指摘されてきたように、昨年末には福島県岩代町で全住民の住民基本台帳(磁気テープ)の盗難事件が発生しました。横浜市ではほぼ1/4の住民が住基ネット不参加の意志をつきつけ、福島県矢祭町、東京都国分寺市、杉並区、中野区に続き、昨年末の12月26日には国立市が住基ネットから離脱しました。
 このおよそ半年の間に、住基ネットへの不満、反発、批判は全国にうねりのように拡がり、反住基ネット運動はビシバシ発展し続けています。

□約2万7千の請願署名を提出

 1月20日には、住基ネットの中止と自己情報コントロール権に基づく個人情報保護法の制定を求め、反住基ネット連絡会(http://www1.jca.apc.org/juki85/index0.html)が取り組んできた国会請願署名(http://www1.jca.
apc.org/juki85/Shomei/SeiganShomeiYobikake.html)のうち第1次集約分を国会に提出する院内集会が、衆議院第二議員会館第1会議室にて午後4時より54名の参加で開催されました。
 反住基ネット連絡会事務局で、プライバシーアクションの白石さんが司会。
 白石さんは、第一次集約分として当日提出するのは26993筆だが、手元にはさらに1万ほどの署名がすでに集まっていると報告。また、最近の大きな出来事として国立市離脱および福島県岩代町事件をとりあげ、「やっぱり危険、住基ネットは直ちに中止すべきだ」(反住基ネット連絡会声明 http://www1.jca.apc.org/juki85/Library/D011369.HTM)と強調しました。
 さらに、「電子政府関連法案」の成立、政府が修正のうえ押し通そうとしている個人情報保護法や本年8月の住基ネット本格稼働の危険性を指摘しつつ、反住基ネット連絡会の今後の重要な取り組みとして、2月14・15両日のワークショップ開催、6月の国際フォーラムを紹介し、呼びかけました。

□各議員の発言から

 院内集会に参加して発言した国会議員の方々は、日本共産党の八田ひろ子議員、宮本岳志議員、無所属の川田悦子議員、民主党の五十嵐文彦議員、細野豪志議員、河村たかし議員、社会民主党の福島瑞穂幹事長、山内惠子議員、北川れん子議員でした。
 ここではごく一部だけ発言を抜粋します。(詳細は、http://www1.jca.apc.org/juki85/20030120/030120Kokkai.html をご参照下さい)
 宮本さん。「政党の枠を超えて、イデオロギーの問題ではなく、市民の権利を保障するんだ、という流れを、私達国会議員も、国会の中だけでなく、地域にも出て行って、市民のみなさんとともに大いにがんばっていきたい」
 内部告発者保護法(ホイッスルブロワー)制定のために活躍してきた川田さん。「情報を国家が管理し、国民には情報を知らせない」「情報を国家がひとりじめするのは怖い社会だ。命、暮らし、人権を脅かす法案に断固としてNO! の声を挙げていこう!」
 五十嵐さん。「北海道で2人の人がヤミ金融業者から、おまえの住基コードを知っている、逃げられると思うな、と、正確なコード番号を告げられた上で脅された」という空恐ろしい事実を指摘。
 河村さん。「電機メーカーや首長から何か言われるとすぐに賛成に回ってしまう議員もいる。こうなると、『同じ党だから』という話は通用しない。きちんと議員1人1人の意見をはっきりさせないと日本の政治はダメになる」
 北川さん。「地元の兵庫県尼崎市で、ICカードのための予算の凍結の方針化のために動いている。また、個人情報保護法案と住基ネットを絡めているのは政府のまやかしであり、早くからこの両者を切り離した上でどちらにも反対したい、とかねがね考えていたところで、このような署名活動が展開されたことの意義を受け止めている。」

□各運動体の発言から

 住基ネットに反対して活動する各市民団体、運動体からの報告としては、住基ネットに反対する横浜市民の会の宮崎俊郎さん、8千人分に続き3千人の署名を携えてきた大阪市職労の沓沢和夫さん、住基ネット差し止め訴訟を支援する会の飯島和夫さん、日野市で1万人アンケートに取り組む名取みさこ日野市議が発言しました。
 残念ながらこれまた、ごく一部のみ抜粋します。
 宮崎さん。「昨年12月には職員の罰則規制を盛り込んだ、個人情報保護に関する条例が成立し、この条例と個人情報保護法の成立があれば、中田市長が横浜方式を撤回し、不参加を選択した市民をも強制参加させてしまうのではないか。このことについて市議会議員にアンケートを送付しましたが、とりわけ、民主党の市議の中に、党本部の「反対」との意向とは裏腹に、住基ネットに賛成とも言われかねないようなあいまいな姿勢を採る議員が多く見られた。日野市のように市民への1万人アンケートを考えている。」
 沓沢さん。「今や大阪では、これだけ無駄な住基ネットにわしらの税金が使われとる、という怒りの輪がじわじわと広がりつつある。西でもがんばるで!」
 名取さん(日野市議)は、川田悦子議員も紹介した、日野市の1万人アンケートに取り組んでおり、その途中経過を報告。個人情報保護法案不成立への不安や、「選択性にすべき」という回答の多さに触れ、危険性が暴かれれば暴かれるほど、市民のこの問題への認識が広がっていることを示しました。アンケート結果はこれからまとめあげ、市長に対しての交渉を2月に、また3月議会でも取り上げるそうです。

□つぶせ住基ネットと個人情報保護法案

 院内集会後は、反住基ネット連絡会の参加者で分担して衆参議員会館の各議員の部屋をまわり、第1次分の署名約2万7千の紹介議員になって国会に提出してくださいとお願いに行きました。
 個人的には、11月11日住基の日に続き、まさか国会議員に頭をさげまわるとは、かつては想像だに出来ない己の姿にそこはかとなくうらがなし・・・なれども、署名運動をはじめ、違憲訴訟や不服審査請求(異議申し立て)、中止請求、住民監査請求や通知返上など、住基ネット廃止のためになせるあらゆることをやっていこうと決意も新た。
 小泉自公保政府は、住基ネットへの反発・離脱の大波をくい止め、反転攻勢に転じようとして、昨年は頓挫した個人情報保護法案を、マスコミに譲歩するかたちで修正し、国会でごり押し成立させようと策動しています。しかし、たとえ修正を図っても、個人情報保護法案がネットや個々人の情報発信を投網を投げるように規制し、資本にとっての個人情報取り扱いマニュアルに他ならない本質はなんら変わりません。住基ネットとともに個人情報保護法案を葬るために断固闘い続けていきましょう。
(津村 洋 個人情報保護法案に反対する市民ネットワークhttp://wsf.miri.ne.jp/cntlinfo/)


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ワークシェアリングで会社・地域・家庭を変えよう  (6)
  日野自動車の短時間


 1999年6月から10ヶ月間実施された日野自動車の「短時間勤務」による雇用維持の試みは、「日本初のワークシェアリング」とマスコミで取り上げられた。ただし社内では「ワークシェアリング」という言葉は使われず「短時間勤務」と呼ばれるに留まったのは、対象者の割合が小さかったことや、従来から介護や育児のために使う短時間勤務制度を応用したものだったことによるらしい。あくまで「ワークシェアリング的試み」であったわけだ。
 なお、「ワークシェアリング的試み」で言えば、筆者の記憶では1980年代半ばの鉄鋼不況の時、新日鉄八幡製鉄所で実施された「一時休業」も、会社側は「全社員が交代交代で休む」というやり方で「ワークシェアリングの発想を取り入れたもの」と説明していたと思う。その意味では「日本初のワークシェアリング的試み」は、新日鉄であったと思う。
 ともあれ、日野自動車の短時間勤務については、「ワークシェアリングの実像」(竹信三恵子著・岩波書店刊)、「日本型ワークシェアリング」(脇坂明著・PHP新書)、「ワークシェアリングがやってくる!」(別冊宝島編集部編・宝島新書)に書かれているので、詳しくはそれらを読まれたい。本稿でも、それらを参考にした。

●トラックの受注減で利益が3分の1に

 国内のトラック需要が減少する中で、日野自動車工業は98年度の利益がピーク時の3分の1に激減する緊急事態に直面した。
 こうした中で、99年3月、同社の湯浅浩社長は人員削減の方針について「希望退職が目標に達しない場合は、ワークシェアリングを提案せざるをえない。労組がワークシェアリングを拒否するなら、指名解雇に踏み切り、私も責任を取る。」と述べた。
 同社は、その前段で、すでに98年度には、間接部門の150人を一時帰休させるなどの、人員削減を行なっている。それでも業績が回復しないため、指名解雇に踏み切るか否かのギリギリの段階で、ワークシェアリングを提案したわけだ。

●ジャスト・イン・タイム方式が壁に

 ところが、労使協議での検討が始まってみると、当初9千人の全社員を対象にするという最初の予定からは、大きく後退し、生産ラインや研究開発部門を除く間接部門(人事や経理)、それも55才以上の社員、約250人に絞られた。
 その理由のひとつは、生産ラインは在庫を少なくする日本独特の「ジャスト・イン・タイム」方式を取っているため、生産ラインの稼働時間を変更すると、下請けの部品メーカーとの生産計画を全面的に変更せざるを得ず、そのための作業に膨大な手間がかかるため、かえって業務が混乱することがわかったためだ。
 また、研究・開発部門は、トラックの生産台数の多い少ないに係わらず、仕事量を減らすわけにはいかず、ワークシェアリングどころではなかった。
 さらに、間接部門といっても、30代、40代は、子供の教育費やマイホームのローン等で、給料を減らされたら、生活が成り立たなくなるため、反対の声が強く上がった。
 結果として「家計に余裕がある」と見なされた55才以上が対象になり、本来の勤務時間である8時間(正確には7時間55分)を、10ヵ月の間、7時間に減らし、給料も8分の1カットしたわけだ。

●非正規社員の切り捨てとセット

 では、この短時間勤務によって、雇用はどれくらい守られたのか?
 同社としては、年間300億円、3年間で900億円の合理化を目標とし、そのための人員のスリム化が求められた。当然、わずか250人の短時間勤務と賃金カットだけで、合理化が達成されたわけではない。
 まず、250人のうち約100人は、その後希望退職に応じて、会社を去った。つまり、短時間勤務といっても、希望退職の実施が前提であり、かろうじて「指名解雇」までは踏み切らなくて済んだというレベルの「雇用維持」であった。
 また、一方では派遣社員、嘱託員、契約社員の雇用更新を行わず、これらの非正規労働者を0まで落としたという。つまり、こうした非正規労働者の雇用については、全く顧みられることはなかった。あくまで「正社員だけの雇用維持」だったのだ。

●世帯主義賃金が壁に

 日野自動車の短時間勤務の試みは、日本の大企業も従来のような「配転・出向・転籍」といった手法での「雇用維持」ができなくなり、「ワークシェアリング的手法」に踏み出さざるをえなくなっていることを浮き彫りにした点では、ひとつの意味を持ったといえるだろう。
 しかし、企業の中心である生産部門の中堅労働者を外さざるを得なかったのは、日本の労働者が、男子正社員が妻と子供の生計をまるごと面倒見るという、世帯主義賃金制度に縛られているためである、と竹信美恵子氏はその著書「ワークシェアリングの実像」で指摘する。妻が働こうとしても、あくまで生計の補助でしかないような、パートの低賃金と無権利のもとでは、夫のワークシェアリングによる減収分を補う程の収入は、とても期待できないというのである。
 そうはいっても、一方で世帯主義の年功序列賃金体系、他方に家計の補助としてのパートといった、二重の労働市場を前提とした、日本的企業主義システム自体が、内部から崩壊しつつある現在であればこそ、派遣労働者、嘱託労働者などの非正規労働者群の賃金の底上げにスポットを当てつつ、時間単位の賃金体系、パートとフルタイムの均等処遇の確立などを図り、ワークシェアリングの制度的条件整備を勝ち取ることが、重要な課題と言えるのではないだろうか?
 (ワーカーズネット 松本誠也)



韓国訪問記 第5回
  梅香里(メヒャンニ)を訪ねて  (1)
 

 前回報告したように、この「在韓米軍の女子中学生ひき殺し事件」を4回にも渡って報告することになるとは、まったく考えていませんでした。
 今回私たちが8月に韓国を訪問した最大の目的は、米空軍爆撃場になっている梅香里を訪ねることでした。映画「梅香里」を観て、韓国に行ったら是非訪れたいと考えていたからです。
 では最初に、この梅香里とはどんなところなのか?について説明します。
 この梅香里とは、朝鮮半島の中央部の西海岸、ソウルから南西に約60キロの地点。広大な干潟と豊かな海の幸に恵まれ、住民の人達が安らかに暮らす漁村でした。春になると海岸線に群生する梅の香りが村中に満ち、梅香里(メヒャンニ)と呼ばれていました。
 梅香里に米軍爆撃場が作られたのは、朝鮮戦争の1951年のこと。その時、米空軍の爆撃機が何の法的根拠もなく陸地から1.6キロほど離れた所にある農島≠ノ激しい爆撃を始めたのです。
 その後、1968年と1978年に、農島£n域と海岸地域を拡大徴発し、現在の爆撃場は728万坪、690万坪の海上爆撃場と38万坪の陸上爆撃場になっています。
 梅香里は高い山のない海岸地帯なので霧のかかる日がほとんどない上に、海上爆撃場と陸上爆撃場が近いため両方をいっぺんに運営できるという点から、米軍はアジア地域で最高の爆撃場だと主張しています。
 1988年10月、米軍側は梅香里爆撃場による騒音被害を自ら調査した後、韓国側に次のような書簡を送った。「唯一の合理的解決は、クーニー射撃場(梅香里爆撃場を米軍はこのように呼ぶ)を移転する方法以外にはいかなる方法もありませんが、ご存知のようにクーニー射撃場は、韓国内で米軍が活用できる唯一のA級爆撃練習場ですので、米軍の飛行士達がここで持続的に適当な訓練を行うことで、短期出撃を可能にする唯一の爆撃場なのです」と述べています。
 太平洋米空軍司令部傘下、韓国駐屯第7空軍51戦闘飛行団に所属している梅香里爆撃場で爆撃を行う戦闘機は、F―4A、A―10,F−16、OV―10,攻撃用ヘリの5種類があります。米軍はこの戦闘機を利用しロケット砲射撃・機関砲射撃・機銃射撃・レーザー砲射撃などを行っており、さらに1年に5〜6回程度の原爆投下訓練も行っていると言われています。
 爆撃は月曜日から金曜日まで、1年に約250日ほど行い。1日平均11.5時間、編隊別に15分から30分間隔で600〜700回ほど行う。日中は朝9時から、夜間の爆撃は照明弾も使われ、昼の12時30分から夜中の11時まで続けられます。1年に4〜5回、チームスピリット(韓米軍合同訓練)のような特別な期間には24時間爆撃が続くと言う。
 さらに、ここには在韓米7空軍所属の戦闘機だけでなく、沖縄・タイ・グァム・米軍撤収前のフィリンピン・アメリカ太平洋艦隊所属の航空母艦からも飛んできて爆撃を行っています。
 直接被害を受ける地域は、10カ所の村で住民700世帯4,000人に及びます。
 1951年に米軍が爆撃を始めてから現在まで、誤爆事件と不発弾爆発のために多数の住民が死傷しています。住民の証言によると、直接誤爆のために死亡した住民が3名、不発弾の爆撃による死者が9名、誤爆のために負傷した住民は15名を超える、と言われています。
 医師会の現地調査において、爆撃場の隣接住民の35.3%が騒音性難聴になっており、隣接住民の80%以上がいわゆる「耳鳴り」の症状を訴えており、多くの住民に神経の異常な高ぶりと情緒不安定、めまいのような症状が見られるとの報告が出ています。
 また住民は、このような極度の騒音が続きストレスが高まるため性格に残虐性を帯び、自殺率も非常に高い(梅香1里地域だけでも32件の自殺があり、一つの村で1年に1人の割合で自殺が発生している)と報告されています。子どもはしばしばひきつけを起こしたり、青少年の性格形成にも悪影響を及ぼしいわゆる「問題児」が多いと言われています。
 このように、梅香里の住民の人々は農業や漁業などの生活手段を奪われ、加えて度重なる米軍機による誤射・誤爆・不発弾の爆発事故・爆音被害に、長い間苦しめられてきました。そしてついに1988年6月、住民たちは自分たちの生活権・生存権をかけた闘いに立ち上がりました。

 ソウルについた私たちは、翌日朝早く韓国の活動家に案内してもらい、ソウルから地下鉄に乗り、郊外から路線バスに乗り換えて最終停留駅で下り、さらにタクシーに乗り換え
て、都合2時間以上かかりようやく梅香里に到着しました。
 到着した場所は、海岸の米空軍の射爆場が見える場所の一角に建てられた、村の住民反対闘争の拠点になっている事務所でした。(写真に載っている事務所です)
 私たちを迎えてくれたのは、全晩奎(チョン・マンギュ)「梅香里米空軍国際爆撃場撤廃のための住民対策委員会」委員長さんでした。


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労働運動の再生を考える

 <目 次>
 ■はじめに――労働者を取りまく現状
 ■歴史的敗北を振り返る――高度経済成長と日本的労使関係
  ☆日本的労使関係
  ☆労使の攻防戦に勝利した経営 (以上今号掲載)
  ☆背景となった高度経済成長
  ☆エネルギーは政治に向かった
  ☆階級としての自立の失敗
 ■様変わりした企業社会
  ☆失われた日本型労使関係の基盤
  ☆グローバリゼーションと構造不況
  ☆労使安定帯の基盤の喪失
 ■企業支配の呪縛から離脱せざるをえない労働者
 ■会社・企業の壁を越えよう!
 ■地殻変動を社会変革につなげよう!


■はじめに――労働者を取りまく現状

 戦後最悪の平成不況の中、労働運動を見渡すと恐ろしいばかりの閉塞状況と無力感に覆われている。戦後最悪の不況下、相次ぐ企業のリストラ人減らし攻撃を為すすべもなく受け入れる組合。連合がナショナルセンターとして最後まで執着してきた賃金闘争も、昨年に続いて今年もベースアップ要求の見送りを決めた。むしろ昨年あたりからはデフレを名目とした賃下げが拡がり、かつては考えられなかった「賃下げの時代」となった。年俸制や成果給の拡大などで、労働者の共通利害の基盤も統一して闘う基盤自体も解体されてきた結果というべきだろう。
 それにこのところ脚光を浴びてきたワークシェアリングについても、労働の分かち合いというよりも賃下げのカモフラージュの様相を深めている。さらには日経連が推進してきた雇用形態の多様化が、九〇年代後半から爆発的ともいえるように拡大してきた。いまでは正規労働者の比重はどの産業でも大幅に落ち込み、パートや有期・派遣労働者が猛烈な勢いで増えている。その多くがきわめて低賃金で不安定な就業形態のもとで働かされている。かつて八〇年代の米国で起こった、低賃金で不安定な労働者が急激に増えているという事態が、いま日本で進行しているのだ。
 他方、正規労働者はといえば、リストラで人減らしが進む一方で、残された職場では長時間労働は解消されず、むしろコスト削減でサービス残業が増える傾向にあるという。その上裁量労働制の拡大で残業手当が削減され、また有期雇用の年数引き上げも画策されている。そうなれば正規雇用労働者は今後ますます縮小されることになる。
 日本の労働者は、戦後最悪の不況という厳しい状況の中、団結して闘うという思想も組織も持たないという状況を作り上げられてしまった。その当然の結果としてかつて猛烈な働きの結果かろうじて手にしてきた「昨日よりは今日、今日よりは明日」というより生活の展望を取り上げられ、自らの生活と未来を自分自身で決定できないまま、企業に翻弄されている、というのが実態である。
 それにかつて労働組合は春闘などの経済闘争の場面だけではなく、安保反対闘争やベトナム反戦闘争など、政治や反戦の闘いを縁の下から主導してきた。また消費者団体や市民団体とも共闘しながら日本の国民運動を支えてもきた。ところが連合の結成以後、労働組合がこうした様々な闘いの場面に登場しないケースが多くなった。それ以上に労働組合が市民運動などから守旧派扱いされ、反動視される事態が目に付くようになった。最近では自治体選挙などでは与野党相乗り候補と一体となって市民・住民や市民派候補に敵対するケースも多い。労働組合はいつの時代でも社会の底辺の人々の声を反映し、政治革新を求める勢力だと思われていたのは過去の物語になっている。労働組合が大企業の正規社員という一部労働者の既得権にあぐらをかく存在になりはてた、必然的な結果と言うべきだろう。
 こうした状況はいまに始まったことではない。戦後の労働者の歩んだ歴史自体が、闘う主体としての労働者の団結形成の芽がつみ取られてきた結果だからだ。
 労働者としては、企業のリストラの対象でしか、また政府の政策の対象でしかないという事態に甘んじることなく、自分たちの運命を自分自身で切り開く主体でありたい。実際に、企業社会をささえてきた連合の存在感が薄れ、その周辺で差別され抑圧されてきた中小・下請け、臨時、派遣、女性、外国人、失業者など、様々な労働者の闘いが開始されている。これらの闘いは労働運動の地殻変動の始まりを示唆するものとなっている。
 たしかに目の前に直面する攻防戦も重要だが、ここではこれまでの労働者の闘いを振り返りながら、いま再び労働者を闘う主体としての再登場をめざして、その戦略的な道筋を考えてみたい。ここでのキーワードは時代認識≠ニ資本の支配に対する対抗運動の主体づくり≠ノ置きたい。

■歴史的敗北を振り返る
 ――高度経済成長と日本的労使関係


 現時点で同時進行する欧米の労働運動を見れば、つい最近のアメリカやイタリアや韓国などでの大規模なストライキなど、世界の労働者はそれぞれが置かれた状況下で果敢に闘っている。翻って日本の現状を見れば、ストライキなど考えられないほど労働運動は牙を抜かれたままになっている。大規模なストライキ闘争は六〇年安保・三池闘争以降下火になり、公労協のスト権スト以降、労働組合は大規模なストを打てなくなってしまった。ストライキだけが労働者の闘いの武器でも闘いのメルクマールでもないが、欧米でもそうであるように、ストライキ闘争は労働者の基本的な闘争手段であることに変わりはない。なぜ日本の労働組合はストライキも打てないように骨抜きされてきたのだろうか。いまでは語られることの少ない労働者の闘いの歴史の一端を振り返る、そんな作業から始めたい。

 ☆日本的労使関係

 日本の労働運動の惨憺たる現状はなぜ生まれたか。予備的に言えば、それは日本的な労使関係の成立とそれが可能になった高度経済成長とにあると思われる。この二つの要素は実は日本株式会社≠成り立たせた車の両輪なのである。
 周知のように日本の労使関係の特殊性は、終身雇用・年功賃金・企業内組合にあった。いわゆる「日本的労使関係」と呼称されたものである。終身雇用と年功賃金は別々のものではなく、労働者が一つの企業に長く固定して働く、雇用と処遇のワンセットシステムである。企業としては、遠い将来での賃金引き上げを根拠に若年労働者を低賃金で確保することができる。労働者は当面低賃金でこき使われるが、年齢とともにかさむ出費を勤続を重ねることでなんとか確保することができる。だからそれらのシステムは高度経済成長がまさに始まり、若年労働者不足が社会問題化するという状況の中では労使秩序にとって相対的に安定したシステムだったわけだ。
 反面そうしたシステムは中途で会社を変わることでのデメリットが大きすぎ、結果として労働者は一つの企業に働き続ける以外の選択肢は排除される。個々の労働者の運命はそこで働く企業の盛衰に左右される。結果として労働者の個別企業への従属が強くならざるを得ない。
 そうなると個々の労働者も自分の企業実態や企業業績への関心が強くなる。企業単位に形成された労働組合は、組織形態的以上に、内在的な運動理念も企業業績に依存した運動にならざるを得なくなる。結果として労働組合は会社の利益から離れては存在し得ず、いわゆる「会社あっての労働組合」、あるいは「労使運命共同体」と言われた会社と一体になった組合が生まれるわけである。
 そうした組合の幹部は多くの場合、会社のエリート社員がいくつかの職歴を重ねるのと全く同様に組合の役職を担当するという、いわゆるエリート社員の一つの職務ポスト化している。あるいは本流とは別コースの出世ルートとして、それを「卒業」して会社の重役になるというケースも多く見られる。そうした労組の多くは名前や建前は組合であっても実態は会社の第二労務部として機能してきた。個々の労働者の反乱には、会社と一体になって弾圧するという役割も担うようになってきた。
 終身雇用や年功賃金は、戦後の経済復興から高度成長が始まる時期に、各企業レベルでの処遇をめぐる労使による激烈な攻防戦を経て形成され、次第に整備されてきたものである。以下そうした事情を振り返ってみたい。

 ☆労使の攻防戦に勝利した経営

 労働運動の低迷はもちろん自然に生まれたわけではない。時には血が流れるような労使の攻防戦を経て生まれたものである。労働運動再生への見通しを探るためにも、その歴史的分かれ目になったいくつかの転換点を、「労使関係の変遷」という角度からざっと振り返ってみたい。

 第一は、「経営権」を確立した資本である。
 第二次大戦の敗北を期に、一時は茫然自失の状態だった日本の労働者は、軍部独裁からの開放、食料難、猛烈なインフレ等のなかで直ちに労働組合の結成に立ち上がった。その数は一九四五年八月のゼロから、翌年の八月には一二〇〇〇 組合―三六八 万人―組織率三九・五%にまで膨れ上がった。これには連合軍総指令部=GHQが“日本の民主化”のために労働組合を活用しようとしたこと、資本家、経営者が敗戦のダメージから立ち直っていなかったことも作用していた。追放された経営者も多く、戦後復興期の経営者は茫然自失状態だった。ハイパーインフレや食糧難や賃金の遅配・欠配などで労働組合はあっという間に職場に拡がり、組合が一旗振れば管理職層も含めて労働者が結集する、という場面も多く見られた。生産復興闘争など、労働者が生産のヘゲモニーを握る局面もあって、職場の労使秩序は不安定そのものだった。敗戦から四七年の二・一ストに至る過程で労働争議は頻発し、占領軍の強権によって一端は押さえ込んだ労働運動も高揚を続けた。それが沈滞化に向かったのは、朝鮮戦争の勃発とその後の戦争特需による企業経営の安定化してからだった。
 この時期の労使関係上の歴史的意味合いはといえば、占領軍と政治がらみの力のバックアップを受けた企業経営者が、いわゆる「経営権」を実質的に掌握したことにある。裏を返せば労働者が普通に働き、経営者は労働者が生活できる賃金を支払う、という、経済的な関係のレベルで企業内秩序、労使秩序が形成されたことにある。こうした労使秩序の形成は、一九五〇年に労使協調的な性格の強い「総評」の結成につながり、一九五五年には日経連も設立され、その日経連と総評という新たな対抗関係に再編されることなった。

 第二は企業内組合の問題である。
 戦後に結成された労働組合は、企業ごとに組合を組織する、いわゆる企業別組合として生まれた。戦後日本において企業別組合が主流になったのはそれなりに背景がある。
 それは戦後結成された組合が、戦後の混乱期に、しかもGHQの公認や企業別組合を容認した経営者の意向のもとに急速に結成された、という事情がある。組合の旗をあげれば職制さえ集まってきたという当時の切迫した事情のもとでは個々の企業の従業員すべてが参加する企業別組合になったとしてもやむを得ないだろう。産別会議は名前とは違って企業連の集合体であったが、とくに産別組織に変える努力をした訳ではなかった。またその余裕もなかったといえる。総評の時代に入って企業別組合の弱点が論議され、「個別資本のワク内にある組合組織は、首切りにしても賃下げにしても、資本主義的企業競争が労働条件にもたらすものに対しては抵抗力がきわめて弱い」と、五八年の「組織綱領草案」でも指摘されていた。「企業別労働組合打破」がいわれ、「草案」のなかでも「産業別組織の単一化」が提唱されてもいた。その企業内組合は、強固な産別組織を誇った電産の五二年の争議の敗北とそれにつづく電力九分割、五三年のこれも産別組織である全自動車の闘いの敗北と解体を期に、企業別組織は定着したと言われている。
 こうした企業内組合は世界でも特殊なものだ。そうした組織は右肩上がり≠フ時代には賃上げ闘争に企業内労働者のすべてを結集することもでき、一定の役割も果たしてきた。しかし右肩上がり≠フ時代が終わるとともに、企業業績に依存せざるを得ない企業内組合の本質的な弱点が誰の目にも明らかになってきた。

 第三は、企業に統合される労働者、である。

 産別会議の大部分と総同盟左派が合流して生まれた総評。その総評は一九五一年の第二回大会でいわゆるにわとりからアヒル≠ヨと転換したものの、六〇年の安保・三池闘争を挟んで資本による本格的な組合潰し攻撃がかけられ、会社(御用)組合に労働組合の指導権を奪われていった。またこの時期は賃金や労務管理をテコとする労働者の企業への統合を強化する政策も進められた。
 この時期に進んだ大規模な石油科学工業化への転換を背景として、資本は六〇年代には民間企業で目標管理、小集団管理など次々導入し、職場レベルで労働者への支配体制を強化してきた。賃金体系も六二年に八幡製鉄労組が職務給を受け入れたのをかわきりに次々と導入され、その後の職能給にとって替わられる。こうした賃金体系は使用者の裁量で個々の労働者の賃金額を左右するわけで、それだけ資本の労働者支配が強化される。これに職制制度の再編、QCやZDなどの近代的労務管理の導入によって、職場での団結が解体され、職場レベルでの力関係が一方的になり、労働組合の足もとが切り崩されていった。たとえば五九年の八幡製鉄所における作業長制度の発足、六三年に日科技連が開催したQCサークル大会全国を挟んで拡がった「QC運動」などである。これは資本主義体制の基盤が生産点−職場にあるという事実から、資本も生産点での支配秩序づくりに力を注いできた結果である。これらの近代的≠ネ労務管理の導入によって、資本は労働現場に密着したレベルで労働者の取り込みを計っていた。
 QC運動などが賃金制度や仕事の動機づけなどソフトな攻撃≠セとすれば、いわゆる「平時の分裂」は露骨で暴力的なハードな攻撃≠セった。「平時の分裂」とは、六〇年代後半ごろに造船や石油科学関係などの民間労組で相次いで掛けられた分裂攻撃のことだ。代表的なのは一九六五年の全造船機械三菱造船の分裂、六六年のプリンス自動車の全国金属からの脱退などだ。資本・経営は、警察権力ややくざ組織などあらゆる手段を使った攻撃で、戦闘的な民間大労組を次々と潰していった。それらの分裂攻撃の結果、六七年には民間労組では同盟が総評を上回る事態になった。
 六〇年の三池闘争が敗北した背景に石炭から石油へという国家的なエネルギー政策の転換があったように、平時の分裂攻撃≠ヘ、底流としては大規模な石油科学工業化への転換期と重なっていた。六〇年代の後半という時期は、六四年に東京オリンピックが開催され、五五年に始まる経済の高度成長が、いよいよ本格化していくという時期でもあった。
 日本の高度経済成長はけっして自然現象ではない。それは諸々の要因によるとはいえ、職場支配体制の確立や、資本や権力によるなりふり構わぬ組合潰しというあからさまな階級的な攻撃によって、初めて可能になったという事実は忘れることはできない。

 第四は官公労の押さえ込みである。

 五〇年代中期から六〇年代中頃に欠けての民間大労組の御用組合化が進んでも、官公労は当局による本格的な攻撃を免れていた。国労や全逓にかけられた合理化攻撃(マル生攻撃)も、労働者はまだ跳ね返す力を持っていた。それは賃金や職制システムが民間企業のように労働者を差別・分断するものになっていなかったことが大きい。官公労潰しの攻撃は、七五年のスト権スト以降本格化する。
 七五年のスト権ストは五日間にわたる交通ストなど空前の規模で闘われた。ただその内実はといえば、当時の三木首相によるスト権付与に幻想を持った中途半端な闘いに終わり、結局は敗北した。
 このスト権スト以降、官公労に対する攻撃が強まった。その象徴が七九年に成立した国鉄再建法であり、八七年の国鉄分割民営化による国労解体攻撃だった。後に民活や国鉄再建などを推進した中曽根元首相も「総評の屋台骨は国労だからその国労を潰すことは総評労働運動を潰すことだ」と言っているように、政治の力を巻き込んだ攻撃によって、官公労も押さえ込まれるに至る。歴代自民党政権と資本・企業は、日経連の桜田会長が「労働運動における戦後の終わり」と総括したように、いわば六〇年の三井三池闘争を封じることで民間の闘いを封殺し、スト権ストをはねつけることで官公労の闘いをねじ伏せるに至ったのである。こうした攻勢によって歴代保守政権と資本は、個々の企業秩序のレベルでもナショナルセンターレベルでも、労働者に対する企業支配を確立して労働者の闘いを封殺する体制を作り上げてきたといえる。
       (ワーカーズ 広)


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神坂さん任官拒否国賠訴訟傍聴記

■任官拒否国賠訴訟とは

 神坂直樹さんは、司法試験に合格後、2年間の司法修習を終了し、裁判官への任官を志望したが、最高裁は1994年4月、理由を開示しないまま任官を拒否。修習中の教官による(1)箕面忠魂碑訴訟の参加、(2)判決修習での西暦使用、(3)検察庁での取調修習の拒否などを理由に再三に渡り任官撤回強要行為を行ったことに対して、思想・信条の差別であるとして94年7月、最高裁を相手取り任官拒否取消を求める行政訴訟を東京地裁に提訴。一度も公判が行われないまま却下。控訴するも、その後も公判が行われないまま確定。
 さらに、95年5月、国賠訴訟を大阪地裁に提訴。その後、原告からの最高裁人事局長、同任用課長、当時の研修所教官の証人申請をめぐって地裁の佐藤嘉彦判事は、証人採否保留のまま、本人尋問を職権で採用。97年1月、佐藤判事らの忌避を申立。97年7月、最高裁で忌避申立は退けられ、約1年間の中断ののち、98年3月本人尋問で裁判は再開。99年12月10日結審し、この5月26日に敗訴した。現在は、大阪高裁で裁判は続いている。

■突然の終結宣言  おかしな太田裁判長!

 1月17日11時、大阪高裁202号大法廷で任官拒否国賠訴訟の弁論があった。まず、原告の神坂直樹さんが発言した。「被告は、原告の主張自体失当と言っている。しかし、原判決は、裁判官採用に当たって明確に合理性を欠く場合には、思想・信条の自由に侵害になると言っている」、「司法研修所井上、村上教官による、私への任官志望撤回強要がある。教官の証人尋問をするべき」。
 「被告は、裁判官不採用の理由を明らかにせよ。人事上、公務上のだから理由を言えないと言うが、最近最高裁は不採用の理由を本人から求められたら、開示するべきと言っている」。

■文書提出命令や証人申請を却下した合議体裁判官全員を忌避

 そして、原告代理人の発言後太田裁判長は、「合議の結果、文書提出命令(裁判官不採用にした資料ー筆者記)、証人申請いずれも必要性なしで却下します。裁判を終結します」と発言しました。
 これに対し原告代理人は、「却下の理由は?」。太田裁判長「判決の中で明らかにします」。原告代理人「合議体3人全員の裁判官(太田幸夫裁判長、川谷道郎裁判官、大島眞一裁判官ー筆者記)を忌避する」。太田裁判長「忌避の理由は、後で書面で出してください。審理は停止しました。閉廷します」。
 それにしても、これら裁判官はひどいとしか言いようがない。被告がほとんど何も主張せず、原告が裁判官不採用の理由を明らかにさせるために、研修所教官らの証人尋問や不採用の資料になる文書提出を求めたのだが、それを裁判官は拒否した。真実を明らかにするべきだ。
 1審本人尋問では、教官による神坂さんへの肩たたきが明らかになった。井上教官は神坂さんに、「君は裁判官よりも弁護士に向いている。君が裁判官になったら苦労するんじゃないか。基本的に合議でやっていく仕事だからね。はっきり言って裁判官は十中八九だめだろう。成績は問題ないよ。民裁ではトップクラスだよ。西暦起案は当事者が怪訝に思うはず」。「特定の政治的立場(箕面忠魂碑違憲訴訟の原告補助参加人−筆者記)をもっている人は裁判官に向かない」と言っている。まさに、思想・信条による差別である。
 さて裁判は、忌避審に移るがこれは非公開で何がどうやられるかわからない。忌避審後、即判決をさせないため原告は、弁論期日指定を申し入れる。とりあえず裁判は、一時中断。動き出せばまた、報告したい。神坂さんの裁判官への夢をかなえさせたい。今の腐った司法に風穴を!そのために私も、微力ながら奮闘する。
 (河野)

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