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ブッシュ再選で凶暴化に拍車がかかる米支配層
  米軍はファルージャでの虐殺をやめろ! 自衛隊は直ちに撤退せよ!


 米大統領選挙はブッシュの勝利に終わった。予想通り直後から米軍はファルージャでの掃討作戦を激化させた。フセインや大量破壊兵器の脅威を叫んだときと同様、今度はザルカウィなる人物を新たな「怪物」に仕立て上げての戦闘だ。しかし、その本当の目的がイラクにおける反米の意思の粉砕、反米勢力の一掃、その上での選挙実施による親米傀儡政権の樹立にあることは、すでに世界中から見透かされている。
 昨年3月に開始されたイラク戦争には、いくつかの重要な動機がある。
 第一は世界第2位の埋蔵量を誇るイラクの石油資源を支配することによって世界の石油市場を自らのコントロール下に置くことだ。このことは、米国の経済力の維持にとって死活的である安い石油をもたらし続けてくれると期待されている。
 第二の動機は、中東の石油の支配を通して、中東の石油に依存せざるを得ない諸大国を牽制することだ。経済統合とユーロ誕生で米国の地位を脅かしつつある欧州連合、そして今後膨大な石油資源を飲み込むことが確実と見込られている中国がその念頭に置かれている。欧州連合は今後10年〜20年の世界において米国の最大のライバルとなるのは確実であり、中国は21世紀に半ばには米国の覇権への最大の挑戦者となるだろうと見なされている。
 第三は、中東における米国の最強の戦友であり、米国の国内政治ともロビー活動や集票力を通して密接な関係のあるイスラエルへの脅威をフセイン打倒によって取り除き、あわよくば中東全体を新たな親米地域につくりかえようというものだ。
 もちろん、米国支配階級のこうした野望は、その実現の条件を欠いた観念的で空想的な願望に過ぎない。欧州諸国は米国が誇るハイテクやサービス産業の分野で著しい進歩を遂げつつあり、欧州共通通貨ユーロは世界の基軸通貨の地位をうかがっている。中国は米国が完全に競争力を失った製造業でさらに力を増しつつあり、いずれは欧州や米国が得意とする先端産業でもあなどれない存在となってくるに違いない。確かにいまこの時をとれば米国は世界経済の頂点に君臨しているが、しかしこうした時代は永遠に続くものではない。米国の時代は次第に過去のものとならざるを得ず、この流れは誰も止めることはできない。
 この10年間の米国の振る舞いを、ソ連無きあと唯一の超大国となった国による妨げられることのない専横と捉える見方もあるが、それは皮相だ。米国の一連の横暴な行動、好戦的な姿勢は、むしろ自らの時代の陰りを予感し始めた超大国の焦りの現れ以外の何ものでもない。
 超大国米国の専横に対する闘いは、欧州や中国などの「反米」姿勢に頼るわけにはいかない。欧州や中国は、彼ら自身の独自の権益と覇権を求めて米国としのぎを削っているに過ぎない。この10年の世界の情勢が明らかにしたものがもう一つある。それは、世界の労働者・民衆の連帯した闘いの力である。この力が真に世界を動かす力へと成長していくために必要な綱領と戦略を、全力をあげて創り上げていこう!
        (阿部治正)



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ブッシュはファルージャ攻撃=国家テロをやめろ!
  自衛隊はイラクから直ちに撤退せよ!


 またしても多くのイラク人が殺されている。
 この8日から、再びファルージャで米軍による武装抵抗勢力の掃討作戦が強行された。米軍は直ちにファルージャでの殺戮を止めよ。ブッシュはイラクから手を引け。
 日本では12月14日にイラク特措法に基づく派遣期限が切れる。イラク攻撃の大儀が崩壊しイラク全土に非常事態宣言が出されるなど、イラク派遣法の枠組みという政府自身が決めた派遣の前提そのものが崩れたいま、自衛隊は直ちにイラクから撤退せよ(11月10日)。

■米軍は皆殺し作戦を止めよ!

 フセイン体制の崩壊から一年以上たったイラクは、治安が回復するどころか米軍や政府機関への武装勢力による攻撃がますます激化し、米軍による掃討攻撃との悪循環が続いている。米国は“イラク戦争の大儀”が完全に崩壊したにもかかわらず、あるいはそうだからこそ来年一月に予定されている暫定国民議会選挙までになんとしても武力抵抗を封殺しようと、ベトナム戦争以来という大規模な市街戦を強行した。11月10日の時点で、すでに10名の米兵が死亡し、武装勢力やファルージャ市民の死傷者は数え切れないという。またしても4月の「ファルージャの虐殺」が繰り返されているのだ。
 この掃討作戦の目的として米軍は、多くのテロや人質事件の首謀者とされるザルカウィの捕縛・殺害を強調してきた。形だけでもイラクに政府が出来たいま、米軍がイラクの都市を攻撃したのでは武力介入の性格が露骨にすぎるからだ。だから米軍は外国人であるテロ首謀者の捕縛をイラク軍と共同で実施するという外観を取り繕ったわけだ。
 しかしすでに知られているように、武装勢力は何も外国から入ってきたテロ組織ばかりではない。フセイン残党やイスラム原理主義勢力、それに加わっている現地の住人など多様な勢力だ。根拠なき戦争による占領統治やイラク人を虫けら扱いする米軍の掃討行為や残虐行為自体が、様々な勢力が武装抵抗に向かわせている、というのが実態だ。あの「ファルージャの虐殺」後の停戦で、治安部隊をイラク警察に引き継いだはずのファルージャが、米軍の地上部隊が踏み込めないような抵抗勢力の拠点と化したのも、一面では市民が武装抵抗勢力を受け入れた結果でもある。米軍はそうした抵抗勢力を根絶やしにしたいからこそ、彼らの拠点となっていたファルージャを制圧したいのだ。

■ますます泥沼へ

 ファルージャ掃討作戦の様相はといえば、テロリストの捕縛・殺害が目的などという代物ではない。明らかな都市の殲滅攻撃だ。武装勢力はモスクや診療所などを拠点とし、米軍も施設の如何にかまわず戦闘機や戦車を動員した焦土作戦を展開しているからだ。すでに建物の9割が壊され、あちこちに死体が散乱しているという情報もある。
 米国をして圧倒的に優位な武力を振りかざして市街戦に突入せざるを得なくさせたのも、イラクで強引に合法性を装った傀儡政権をつくり、イラクからの米軍撤退に道筋を付けたいからだ。そのためには何がなんでも来年1月の選挙を実施し、12月の国民議会選挙と“正統政権”の樹立につなげたいからである。
 ブッシュ政権にとって、ファルージャ掃討作戦、ひいては武装抵抗勢力の根絶やしと“正統政権”づくりは、イラク戦争を正当化するためにもなんとしても実現しなければならないハードルだ。あまりに一方的かつ独断的な論理ではあるが、そうであるだけむしろ米国はますます泥沼にはまらざるを得ない。「彼を知り己を知れば百戦危うからず」とはまさに逆に、最初のボタンを掛け違ったおかげでブッシュ政権は正面突破の道を突き進む以外にない。結果はといえば、道路や橋を封鎖し、電気や水道を止めて、モスクや病院まで破壊し尽く、多くの市民を虐殺することでイラク人の不信と反発を拡げるばかりだ。
 実際、掃討作戦が始まったばかりの9日には、捕縛・殺害の対象として大上段に振りかざしたザルカウィはすでにファルージャから逃亡したとの情報が、当の米軍から出される始末だ。もぬけの殻の都市での焦土作戦に、ファルージャ市民も怒りを通り越してあきれかえっているという。仮に、たとえ今回の掃討作戦が戦術的に成功しても、それは一時のことで、再びファルージャの街でも他の場所でも抵抗闘争は続いていくだろう。その種を日々米軍が蒔いているからだ。その一端はイラク・イスラム党の暫定政府からの離脱表明、イスラム宗教者委員会による暫定議会選挙ボイコットの呼びかけなど、すでにあちこちに現れている。

■既成事実に左右される選挙

 すでに触れたように、米軍のファルージャ掃討作戦の目的は1月の暫定国民議会をなんとしても予定どうり実施したいということだった。選挙で暫定議会の議員が選出されれば、いわゆる民意に基づく政権づくりの道筋が固まるからだ。だから武装勢力もそうした占領軍による政権づくりに抵抗し、また選挙の実施を妨害することになる。いわば選挙が当面の焦点になっているわけだ。
 この選挙が“正統政権”づくりの一里塚になるという点については、現時点では誰も問題視していないようだ。果たしてそうした選挙が本当に民意を反映したものだと言い切れるのだろうか。
 今まさに目の前で展開されているわけだが、その選挙は武装抵抗勢力の鎮圧を前提として考えられている。仮に彼らが一掃されたとすれば、眼前に残るのは米国傀儡の暫定政府とイラクの穏健諸勢力の寄せ集めの国民会議、それに実質的にイラクを占領統治している米軍である。イラク国民はそうした既成事実を前にして選挙を行うしかないのだ。その結果を推し量るのは難しいことではない。
 こうしたことはすでにアフガンで実証済みだ。この10月に行われた大統領選挙で米国傀儡のカルザイが大統領に選出された。このときも存在するのは実質的にアフガンを支配する米軍とカルザイ暫定政府、それに地方に割拠する軍閥だった。こうした枠組みの中で誰に投票するかは自ずと限られる。米軍や他の軍閥の動向を考えれば、特定の軍閥候補が大統領になって政権運営をやっていけるわけがない。そうであれば多くのアフガン国民が消去法的発想から、米国の後押しで3年間も暫定政府の議長(首相)をやったカルザイしかないと考えるのも当然と言えば当然だろう。仮に米英軍がアフガン攻撃を始める前にアフガン大統領選挙を実施させたらどうだったか、と想像すればたぶん、タリバンのオマル師以外になかったろう。それだけに今回の大統領選挙の性格がはっきりする。
 要は“既成事実ありき”なのだ。既成事実を作り上げてそれを国民に突きつけ、その受容を迫る。正面から対抗する勢力はない。結局、既成事実を受け入れるかどうかの選択しかない。受け入れたくない場合でも現実性のある対抗策などあるはずもない。ふつうはさほど違いはない候補など選択肢が用意されているだけこうした様相は薄められる。政権を選ぶ選挙とは多くの場合「民主国家」での選挙を含めて、こうした既成事実を許容させるための通過儀礼として行われてきたのだ。
 手段としての選挙は普遍性があるにしても、政権づくりの選挙の本質とはいつでもそういうことでしかないのだ。それがアフガンやイラクではむき出しの形で、しかも現在進行形の形で眼前に起こっている。要はどういう勢力が統治の既成事実をつくることが出来るのか、それを巡って激烈な闘いが行われる、ということだ。ファルージャなどで現に生起していることを直視した対応も重要だ。が、誰もが当然視する選挙の性格や政治システムについて、長期的にはこうした視点から考えていくことも重要なのではないだろうか。

■自衛隊は撤退せよ

 小泉首相は米軍によるファルージャ掃討作戦が始まるや、それを「成功してもらいたい」と、掃討作戦支持の姿勢を明確にした。
 「毒を食らわば皿まで」。アフガン攻撃やイラク戦争を支持してきた過去を正当化するためにも、いままた米国追従しかないということだろう。それにしてもこの4月のファルージャ侵攻作戦での「虐殺」に世界から避難が集中したことさえ一顧だにしない姿勢にはただあきれ、怒りがつのるばかりである。ついこの間の日本人人質殺害事件でも、たった1人の無惨な殺され方に多くの人が胸を痛めた。それが外国の何十人、何百人の殺害となると、数字だけが踊ってともすれば実感が伴わなくなる。しかし空爆や砲撃・銃撃で殺されようと、あるいは負傷して治療も受けられずに死んでも、一人の人間の死であることに変わりはない。そうした想像力など我関せず、ともかく自分が肩入れした米国の思いどうりに事が展開することしか考えない首相をもっていることを恥じる以外にない。
 ともかく、12月14日に迫った自衛隊の派遣期限がまもなくやってくる。小泉内閣はぎりぎりまで派遣延長の閣議決定を引き延ばしている。それだけ世論の批判を恐れているのだ。その恐れを現実にものにしていかなければならない。自衛隊撤退の声を拡げていきたい。
        (廣)



あまりにも愚かな決定

 原子力委員会・新計画策定会議は11月1日、原発の使用済み核燃料を再処理する現行政策を維持する方針を決めた。同会議は原子力政策の基本方針となる原子力長期計画の改定作業を行っていたが、予想通りというか、予定調和的な結果に終わった。これによって、青森県六ヶ所村の核燃料再処理工場の稼動にも、事実上ゴーサインが出されたことになる。
 策定会議がこうした結論を出したのは、そもそも委員の人選から必然≠ナあったが、対外的な説得力を持たせるために今回、4つのシナリオが提示された。それは、@全量再処理、A部分再処理、B全量直接処分、C当面貯蔵、というもの。しかし、どのようなシナリオを描こうと、全量再処理路線の破綻を覆い隠すことはできない。
 再処理とは使用済み核燃料からプルトニウムを抽出することだが、その受け皿となるべき高速増殖炉が近い将来だけではなく、遠い未来においても実用化の目途が立たないなかで、いたずらにプルトニウムを溜め込むことになる。そこで考え出されたのが(現在の原発で消費する)プルサーマルだが、こんなものにはどんな経済合理性もない。核のない未来を実現するためのキャンペーンを展開しているグリーンピースは次のように指摘している。
「核の再処理工場は、全国の原子力発電所から出る核のごみ(使用済み核燃料)を集め、これに含まれるわずか1%のプルトニウムを取り出す施設です。残りの99%は、使用価値のない核のごみとなります。しかも、ここで取り出されるプルトニウムが使用される目途は立っていません。再処理工場からは原発1年分の放射能が、1日で放出されます。排水管から海へ、排気塔から大気へ放出されます。フランスのラアーグ、英国のセラフィールドの核再処理工場では、さまざまな被害が発生しています」
 国策推進派は再処理をあたかもリサイクル≠ナあるかに見せかけているが、核汚染を撒き散らし、未来に取り返しのつかない負の遺産を残すことになるだろう。今回、部分再処理のシナリオが登場したのは、全量再処理が困難になった、当面貯蔵したくともその立地の目途がない、こうした困難を先送りするために中途半端な部分再処理に逃げ込もうとしているのかもしれない。
 しかし、最も現実的な選択肢は直接処分であり、原発からの撤退と自然エネルギーへの方向転換である。策定会議は直接処分への政策変更について、その場合すでに建設してしまった再処理工場の解体費用まで押し付け、再処理よりも割高になるという試算も行っている。こうした理屈が通用するなら、どんな政策も始めてしまったらやめられなくなってしまう。まるで泥棒の理屈だ。
 原子力委員会が高速増殖炉による核燃料サイクル推進を決定したのが1967年だが、95年に「もんじゅ」がナトリウム火災を起こして高速増殖炉開発が頓挫した時点で撤退すべきであった。つまり、決断すべき時に決断をせず、再処理工場を完成させてしまったことも含め、総ては原子力委員会の責任に帰すべきものである。それら総てを糊塗するためには既定方針を維持するしかない、というのが今回の決定である。
 結局、どこまで行っても同じところを堂々巡りするだけで、状況はどんどん悪くなるばかり。官僚や御用学者にもっと違った対応を求めるのは、無いものねだりなのだろう。それでもこの最悪のシナリオを何とかしないと、本当に取り返しのつかないことになる。さしあたっての緊急課題は、三村申悟青森県知事に再処理工場稼動の了解を出させないことだ。ウランを使った試験が行われたら、再処理工場は核汚染されてしまう。いま、グリーンピース・ジャパンが知事宛のはがきキャンペーンを展開している。インターネットから簡単に参加できるので、ぜひアクセスして頂きたい。
       (折口晴夫)


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<投稿>  沖縄の旅で学んだこと

 ふるさと≠フ味、におい、を覚えている人はええなあ、ということ。私にはふるさと≠ヘどこかわからないし、大阪の大衆食堂の24時間営業の事務的のようだけど、それに盛り込まれたサービスが、それこそたすこともしない、ひくこともしない≠ニいうこと。どっかの湯のCMみたいに、ゆきずりの止まり木みたいだが、舟のもやう母港のような気分にしてくれるところ。逆に言えば、どこもかもふるさと≠ナありうる。
 ここ沖縄は日本列島のタヒチともいっていい、風土はわれ≠忘れさせるものがあるし、まだこういうところが残っていたかという驚き。これは移動する放牧の民族の民のような者でしかない。しかも山之口バクさんのようにザブトンの上にいると居心地悪い≠ニいう貧乏性のしみついたというか、貧乏の方が落ち着くのである。
 文明のおかげは洋式(腰掛け)トイレとラジオかテレビで結構満足している。好きで貧乏しているのかも知れない。最近、堺の人で、吹田のメインシアターで見せてくれた貧乏神≠ニいうのは面白くて元気の出る一人芝居。リストラされて一人残されたオッチャンのところに、オバQみたいな貧乏神、(姿、顔はオバQ、頭の上に神様のしるしの輪になった電灯みたいなのが乗っかってるので、一応神様とわかる)が転がり込む、何でもするから、教えて下さい≠ニ頼む。
 まあ入れや、ということで、リストラされたオッチャンは昼は仕事を探しに出かけ、留守番の貧乏神は掃除、洗濯、食事の用意、内職という過労でついにぶっ倒れてしまう。オッチャンの一生懸命の手当で生き返るが、頭に乗っかっている光の輪が無くなってしまって、天へ戻れなくなる。この同居人のオッチャンは金≠燒ウいけど、変てこなオバQみたいな面白に神?≠ニ一緒に苦労するのが結構楽しくてオモロイから二人三脚で生きていくことになる。
 これは底辺(都市の殆どがそうだけど)の生活者を元気づけるもの。私は最近、思うのだが大体、東洋の人というのは苦しみを共にすることが出来るが、楽しみを共にすることには下手なように思う。私自身もそう、面白がることは積極的な生き方≠ノつながると説教して、博覧強記の桂枝雀さんは狂ったか、神様も居なくなったか、死んでしまった。私がふさぎの虫で、外の世界へ出られるようになったのは、枝雀さんのお説のおかげとも言えよう。貧乏≠楽しむ極意を会得する前に、変てこになったり、どうにかなってしまうみたいだ。
 ―省略―
 沖縄へやって来たとき、空の窓から許可を得てカメラを向けた。下には地図のような土地、ここに住む人々は虫の眼のように細やかに、人と人との間をどういう具合か繋がりを持って生活している。二人三脚の貧乏神≠フ生活者の世界。次に地上から離れ雲の群を写す。これは、コンニャク問答の習得者であろう。むつかしくはヌエ的な人のことをいうらしい。さらに昇ってギラギラの太陽。
 この太陽は目には見えても、何も見えないのでは? という変な問いが頭をかすめる。地上、雲という中間、太陽という三つを一枚の写真として撮りたかったが、500円の使い捨てカメラでは不可能。つきものがついたように孤りで、太陽をめざすのがコンニャク問答のアイマイさを突きでようとする人々の群かも知れない。こういう手合いが詩人≠ニいうけったいな人々なのだろう。  (以下略)
   (2004・11・5  宮森常子)


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日本郵政公社の職場実態  大赤字の元凶! 配達記録

 私は郵便局で本務者として働いていますが、ひどい職場の状況の一端をお話します。現在、郵便事業は赤字になっていますが、その原因は何なのか?
 私は、格安料金の配達記録(290円)や、ふるさと小包(売れれば郵政の管理者らが天下りする団体に手数料が入る)にあると考えます。
 配達記録については、かつてヤマトが310円でクレジットカードを配達するとしたのに対抗して旧郵政省が290円の配達記録をつくったのです。ヤマトは、クレジットカード配達を断念しました。つまり旧郵政省は、赤字を承知で290円という超格安設定をしたのです。
 しかし郵政公社当局側は、赤字の原因は人件費にあるとして、本務者を大幅に減らしその代わりにユウメイトと言われるパート労働者を入れています。パートの方は、ほぼ本務者と同じ仕事をしています。時給は、だいたい800円から900円ぐらいが平均です。これでは、なかなか生活していくには厳しいです。
 郵便小包を配達するのは、郵便局から委託された民間会社の人達です。彼らは、1個配達完了して100何十円しかもらえません。勤務時間は、朝7時30ぐらいから夜の10時から11時ぐらいまでです。おそらく、決まった勤務時間というのはないと思います。とにかく、配達完了しないとお金になりませんから大変です。配達の人に聞くと、1日50から80個ぐらい配達するそうです。
 10月1日から郵便小包は、重量制からサイズ制に変わりました。基準をヤマトと同じにして、かつ料金設定をヤマトより少し安くしました。これから、郵政公社と民間会社との本格的な値下げ合戦が始まっていくのでしょう。そのヤマトの職場実態ですが、しんぶん赤旗によると1月の残業時間は150時間を超え、かつ残業代はその半分(75時間分)しかついていなかったり、早朝から夜までの長い勤務時間だったりでひどいものです。
 ヤマト・郵政公社ともに、労働者の待遇は悪いです。特に、長時間労働でやっとある程度の賃金がもらえる、しかしその先には過労死が待っているのではないでしょうか?また、賃金も生活できないところまで下げられてくるのではないでしょうか

■民間・小包委託・パート労働者との連帯が必要

 労働者にとって重要なことは、他企業で働く者達との連帯であることはわかっています。しかし、それは今非常に困難です。同じ企業で働く人達との連帯も出来ていないのが現状です。
 まずは、郵政公社当局の無理難題な施策には異議を唱えるなど、自分自身ができることはしていこうと思います。
        (河野)



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教育基本法を変える?  なんでだろう〜 Q&A

 Q3 「たくましい日本人」ってどういうこと?

 答申は「たくましい日本人」の育成を教育の目標にかかげ、それを教育基本法「改正」の中心にすえています。
 21世紀は、異なった文化をもつ世界の人々と共に生きることが求められる時代ですが、答申は、21世紀の特徴を国際化の中での「大競争時代」ととらえ、日本がこの競争に勝ち抜いて生きることを求めています。それが、国益につながると考えているのです。「心豊かでたくましい日本人」の育成とは、まさにこの競争に勝ちぬき、すすんで国益に奉仕する人材づくりをめざすということです。またそれは、いざとなれば競争に喜んで参加していく国民の育成をねらっているともいえるでしょう。
 日本に住む人はみんな「たくましい日本人」でなければいけないのでしょうか。たくましくないといわれる人や障害者、在日外国人は、差別されることにならないでしょうか。戦時中も、障害者はお国の役に立たない人として差別されました。そんなことをふたたび繰り返してはなりません。(「子どもと教科書全国ネット21」発行のパンフより)

 お国のために自分の命をも捧げる、まさに徴兵制のもとで海外へ派兵される若者が作られていくのでしょう。徴兵制という義務的なイメージではなく、国際貢献に志願すると言う風に。「たくましさ」の本当の意味は、勉強が出来なくても国家の命令に従えば、生きていける。それは、今の自衛隊が就職口として存在し、各種の免許が取れる手厚い保護があることの延長線上ではないかと思います。     
         (恵)


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厚労省主導から当事者主権
  痴呆症になっても地域で暮らし続けるために

●厚生労働省の動き

 厚生労働省は急増する痴呆性高齢者のさまざまな問題に対応するために、厚生労働科学研究事業において、痴呆に関する予防、治療等に関する研究の推進を行ない、以下に示すゴールドプラン21でも痴呆性高齢者支援対策を重要な柱の一つとして位置づけ、施策の総合的な推進に取り組んでいる。
 我が国の高齢者福祉政策として1989年にゴールドプラン(高齢者保健福祉推進10ヵ年戦略)が制定され、1994年には新ゴールドプラン(高齢者保健福祉計画)2000年にはゴールドプラン21が策定された。これは2000年から2005年までの5ヵ年における高齢者保健福祉施策のいっそうの充実を図るためのものである。
 ゴールドプラン21は@活力ある高齢者像の構築、A高齢者の尊厳の確保と自立支援、B支え合う地域社会の形成、C利用者から信頼される介護サービスの確立という4つの柱を目標にすえている。具体的な取り組みとして以下の6項目をあげている。@介護サービス基盤の整備(いつでもどこでも介護サービス)、A痴呆性高齢者支援対策の推進(「高齢者が尊厳を保ちながら暮らせる社会づくり」)、B元気高齢者づくり対策の推進(「ヤング・オールド作戦」の推進)、C地域生活支援体制の整備(「支え合うあたたかな地域づくり」)、D利用者保護と信頼できる介護サービスの育成(「安心して選べるサービスづくり」)、E高齢者の保健福祉を支える社会的基礎の確立(「保健福祉を支える基礎づくり」)
 これらの具体的な施策のうちで、痴呆高性齢者に関連するものについて見てみる。まず、介護サービスの基盤整備として、ホームヘルパー等の人材確保と研修強化や介護関連施設の整備、施設処遇の質的改善、生活支援のための施設の整備をあげている。
 痴呆性高齢者の支援対策の推進としては、痴呆に関する医学的研究の推進やグループホームなどの整備や介護サービスの充実、痴呆介護の質的向上、早期相談・診断体制の充実、権利擁護体制の充実などをあげている。
 施設運営の適正化を評価する目的で、社会福祉施設第三者評価事業も行なっている。グループホームについてはすでに第三者評価を行なうことが義務付けられ、特別養護老人ホームをはじめとする社会福祉施設でも第三者評価を行なうことが推奨されている。
 施設の整備については特別養護老人ホームの主体となっている4人部屋を改善し、個室でユニットケアを特徴とする「住居福祉型の介護施設」としての特別養護老人ホーム(以下「新型特養」という)の積極的な整備を進めている。従来型の特養に比べ介護報酬額が高めに設定されているために、新設の施設はもちろん既存の特養も改修がすすんでいる。「特養ホームを良くする市民の会」の調べによると新型特養は2003年9月には100施設であったが、2005年3月には400を超える見込みである。個室にするのが難しい既存の施設でも施設の改修によりユニットケアのための環境整備を図っている施設が増大している。平成10年には31ヶ所しかなかったグループホームだが、平成16年10月現在では5500ヶ所以上存在し、ゴールドプラン21の見込み量である3200ヶ所を大幅に上回っている。 
 
●大切な問題を積み残したまま
 
 厚労省主導の高齢者対策によって大きく進んでいるように見える制度であるが、肝心な問題は解決されていないままである。
 痴呆性高齢者は記憶力や認知能力が低下していく一方で、感情を始めとするその他の能力は存在している。そのために自らに起こっている痴呆の症状に対し、強い不安や混乱を起こしやすく、周囲の不適切な対応により喪失感や怒り、焦燥感を感じるのである。混乱や不安、怒り等が行動障害(「問題行動」と一般的に言われている)を引き起こす要因であるから、ケアの姿勢としては、不安を与えないことや取り除くこと、高齢者のいままでの生活を尊重し、高齢者のペースを乱さないこと、彼らのもてる力を最大限に引き出すことなどが必要になってくる。そしてその人らしい生活を支援することである。
 しかし、高齢者を尊重した施設ケアが行なわれているとは言いがたい状況にある。「介護が必要になっても、地域で普通の生活をおくる」、これがユニットケアの原点であるが、ユニットケアに取り組んでいる施設でも、ハード面だけがユニットケア仕様という施設も多い。施設を小さく仕切り、利用者を小グループに分けただけで、実際のケアは従来の集団的・画一的なケアが行なわれているケースも多くみられるのである。
 グループホームやユニットケアが急増しているが、厚労省がいうような「普通の生活が継続できるケアの提供」には到底至っていない。
 これは、介護職の質が低さだけから生じている問題ではない。個別ケアや段三者評価など高齢者ケアの改善のための対策を積極的に打ち出している厚労省が介護労働者の給与を始めとする労働条件の改善に向けての対策を打ち出してはいないことに大きな問題があると考えられる。
 施設職員の人員配置基準は未だに措置時代のままである(従来型の特養の場合)。集団処遇・劣等処遇といわれた介護保険前の制度から抜け出すために様々な取り組みがなされているが、少ない職員配置と低い賃金体制のままに、「質の高いケア」、「個別ケア」を実現することには無理があることは誰が見ても明らかである。
 表面上だけをつくろっている厚労省の対策を批判し、介護労働者が安心して働ける職場整備のための対策を要求する必要性を痛感している。
         (Y)


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ブッシュの勝利と大統領選相場

■ブッシュはなぜ勝利したか

 アメリカ大統領選は、アメリカマスコミの連日の報道の通り、大激戦の末、共和党現職のブッシュが再選を勝ち取り勝利した。一時は、テレビ公開討論で優勢であった民主党候補のケリー上院議員の当選も伝えられていた選挙戦は、投票直前に米中枢テロの首謀者、ラディンのビデオがテレビ放映されたことで、対米テロの脅威が再燃したことも影響したと伝えられている。
 結果としては、アメリカ国民は対イラク戦争を指揮している「戦時大統領」を選択した。ケリーもまた対イラク戦を継続するというのなら、政治的空白が生じかねない職務引き継ぎというリスクを冒してまで交代させることもないと人々が考えるのは明白ではないか。 また暴力的に世界を席巻したグローバリゼーションは、アメリカの国内ではどうしょうもないほどに貧富の差・階級格差を法外に拡大してしまった。現実に二つのアメリカが存在する。病気になっても保険証がないため病院にも行けない何百万人にも達する労働者の人々が存在することは国民皆保険の日本では想像もつかないが本当のことなのである。
 今回のアメリカ大統領選挙でブッシュが勝った州とケリーが勝った州が、前回の二〇〇年の大統領選挙の時のブッシュが勝った州とゴアが勝った州とほぼ同じであったことに私たちは注目しておかなければならない。得票数の差は、三百五十万票であったことから、またしても数々の投票に関する憶測といくつかの事件が、もっともらしく報道され始めている。国外にいる私たちは全くもって確かめようもなく、その分一方的な話なのである。
 この選挙についての選挙戦の舞台構造を理解する上で参考になる比較的纏まった論評として、太田述正氏のホームページから、大統領選挙関連の第一コラムを引用してみる。

 「米国の共和、民主両党は支持層を全く異にするに至り、米国は文字通り両極に分解してしま<っています。・・・共和党支持者は保守的な人、すなわち高齢、低学歴で、配偶者を有し、非組合員であってせっせと教会に通い、田舎に住む人をコアメンバーとするのに対して、民主党支持者はリベラルな人、すなわち若年、高学歴で独身であるか離婚していて組合員であって教会に行かない、都市に住む人をコアメンバーとする、といった具合です」(コラム#三三一。四月二六日)。共和党支持者の多くはキリスト教原理主義者であることも合わせ考えると共和党支持者は基本的に「感情面が未発達でカルト的末世観を抱いている人々」(コラム#四五六。八月二九日)であると言えそうです。
 「マイナスの材料にことかかないというのに、今回の大統領選挙でブッシュがほぼ一貫してケリーと互角以上の勝負を続けている」のは、両「大統領候補者が甲乙つけがたいからでは<なく(注一)、米国民が保守派とリベラルにきれいにほぼ一対一に両極分解しており、候補者がどんな人物であろうと、保守派は共和党の候補者を、リベラルは民主党の候補者を無条件に支持するから」です(コラム#四五八。八月三一日)。
 (注一)そもそもブッシュは、「構想力・実施能力・予見能力<が欠如<しており、 米大統領として不適格だと言わざるをえない(コラム#五〇九。一〇月二一日)。
 「前回の二〇〇〇年の大統領選挙の結果を見ると、共和党支持>者は南部及び中西部を拠点としており、民主党支持者はニューヨーク州、ニューイングランド地方、それにカリフォルニア州を拠点として」おり、両者の住んでいる地域も別れています。 「そして、この・・選挙<の・・結果が如実に示したように、・・両者の勢力は・・ ほぼ拮抗しています」(コラム#三三一。)
 しかし、「保守派ないしキリスト教原理主義者の人々」、すなわち共和党支持者、「の 出生率の方がリベラルの人々の出生率より高い<ことから>早晩<共和党支持者>が多 数を占めるようになるのは必至です。」(コラム#四七〇。九月一二日)

 こうした理由から、太田氏は、ブッシュに比べてケリーを高く評価しつつもブッシュ再選の可能性が高いと見てきた。確かにブッシュは勝利したのたが、ここで解明すべき難問は、ブッシュの支持基盤とされるキリスト教原理主義者が、四年間の自然増分を超えて投票所におもむき、ブッシュに自らの票を入れたのか、ということである。
 ニューヨークタイムスにせよワシントンポストにせよ、英国のガーディアンにせよ、それぞれの国を代表する高級紙はリベラル系であり、いずれもケリーを支持し、三回にわたった候補者討論を機にケリーの支持率が上向いてから以降は、ケリーが当選をにおわせる希望的観測記事を掲載してきたことから、ブッシュ当選が決まって茫然自失してしまった感があり、ケリーの敗因分析について、読むに耐える論説はこれまでのところ全く登場しておらず、この難問に答えようとしていないと太田氏は語るのである。
 太田氏自身は、その疑問に答えたアジアタイムスの匿名論考を秀逸とした。その要旨はというと、得票差の三百五十万票は、前回の大統領選挙の時には投票せず、今回投票したキリスト教原理主義者の数とほぼ一致しているというものである。
 アジアタイムズによると、「本来キリスト教原理主義者は家族や内面志向であり政治好きではない。だから投票率も高くない。その彼らをして政治に強い関心を持たしめ、投票所におもむかせたものは一体何か。二〇〇一年の九・一一同時多発テロだ。日本による一九四一年の真珠湾攻撃は、米国がやったこと・・米国の経済制裁で日本が資源へのアクセスを絶たれたこと・・に対する攻撃だった。しかし、九・一一同時多発テロは、米国が何であるか、に対する攻撃であり、ジェリーファルウェル師らのキリスト教原理主義者は、米国の犯してきた罪に対して神が与えた懲罰ととらえたのだ。その罪とは、自由ならぬ放縦であり、米国における家族の崩壊であり、暴力的映画やポルノの氾濫等であり、要するに
キリスト教的価値からの逸脱だ。そこで彼らは、この罪を購うためには、政治を通じて米国社会にキリスト教的価値を再確立しなければならないと考え、今回投票所に足を運び、ブッシュに投票した」というのである。
 もちろんそうした面も否定はできない。しかし、そもそもこんな事は、ほとんど検証できないことなのである。したがって、私は前号の「ワーカーズ」にもはっきり書いたように、ケリー敗北の最大の原因は、今回はブッシュに勝てないとの判断からとブッシュと勝負するのを避けた民主党の姿勢にこそある。別の言い方をするのなら、次回の大統領選挙のためのヒラリーの温存政策にこそ問題があるのである。
 もっと詳しく言うなら、民主党が、今回の大統領選挙の勝負を投げて必死になっていなかったこと、対イラク戦争を支持しただけでも問題なのにいつの段階で撤退するかという出口戦略がなかったこと、クリントンが指名したケリー候補にベトナム戦争の英雄を装うための軍歴詐称の問題があったこと、失言癖がある妻との不仲も大統領資格としては問題とはなっていたこと等が、ケリーに追い風が起こらなかった決定的な原因なのであると私は判断している。

■今回も出来した大統領選挙相場

 今回の大統領選挙に関するする舞台構造は、先に述べた通りであるが、この舞台を盛り上げたバックグランド・ミュージックとでも呼ぶべき大統領選挙相場についても、ここでの総括のために、一言しておくべきだと私は考える。
 一〇月一五日の「ワーカーズ」に 、私は以下のように問題提起をかねてかなり大胆に記述しておいたのである。

 「前々号の『ワーカーズ』で述べたように、ニューヨーク・マーカンタイル取引所(NYMEX)の原油先物相場のこうした暴騰相場は、需要逼迫に起因するものではない。このことは何回も強調しておかなければならない。ニューヨーク商品取引所で成立する原油の先物相場は、世界全体の共通した原油取引価格の基準ではない。現実に原油取引価格はニューヨーク商品取引所の先物相場と大きく乖離している。例えば、日本が最も大量に輸入している「中東原油」の一種、ドバイ原油の輸入価格は九月末現在でバレル三七ドル、ニューヨークWTI先物相場の約五〇ドルとは一三ドルと言う大幅な開きになる。同じく大手産油地帯である北海油田産のブレンド原油の取引価格もバレル四〇ドルに達していない。ニューヨーク相場は業界では思惑の価格変動や市場操作が強く作用している市場として知られているのである。
 常識的にいっても、バレル五〇ドルと言う史上最高の相場は、現実の原油取引価格とは大きく遊離しているだけでなく、他のエネルギー商品との価格バランスを無視した水準であり、長期的な視野から見ても、全く経済的な合理性を欠く水準として、短期的な投機としてはともかく、長期にわたる経済運営の基準には利用すべくもないことから、投機は必ず一時的な現象に終るしかないのである。

■ニューヨーク商品取引所の独自性

 では一体なぜなのであろうか。一言で言えば、投機と投資が関連しているからだ。今暴騰中の原油先物相場の舞台になっているニューヨーク商品取引所では、日本では一般に知られて居ないが、証券業者と商品取引業者とが兼業している。したがって、一定の資金を株式投資か商品取引かのいずれにしても投機で利益を挙げたいと望む資産家は、一定の資金を大手証券業者に預託しておく。そうすれば、信託された業者は、株式投資に有利な状況ならその資金を株式投資の担保にし逆に商品取引が有利と判断すれば、株式投資を手仕舞って浮いた担保の資金を商品取引の担保として利用する。こういう担保の流動性、つまり株式投資から商品取引へ簡単に移動させる柔軟な対応がニューヨーク市場では可能なのである。したがって、「原油が値上がりすれば株が値下がり」という反比例の関係が、ここでは成立するのである。
 このように柔軟な資金の移動が可能な市場はニューヨークにしか存在しない。東京では株式投資を扱う証券業者は商品取引を兼業できない。両者の間に絶対には越えられない行政指導という名の官僚統制が行われているのである。
 現在、ニューヨークの原油の先物取引に参加している投機筋が、積極的に「買い」の材料としているのが、原油供給の先行きに強い不安が山積している点である。具体的には、中東情勢がある。イラクの治安不安定が長期化すれば、この地域二番目の大手産油国、イラクからの原油供給が安定する見通しが成立しない。その他の大手産油国、例えばロシアでも民営化されたこの国の石油情勢は決して安定していない。民営化された大手石油会社とプーチン政権との間には、絶えず紛争が繰り返され、大規模な新規油田の開発、原油輸送のパイプ・ライン敷設と言った大規模投資を推進する努力の主役が一向に出現しない。外資か国内企業かも決定していない。多くの構想は姿を見せても、その実現性は極めて多くの不安材料に含まれている。こういう不安定性が投機筋の買い材料に利用されているのである。したがって投機筋の買い材料は無限に存在している。今回の高騰も九月通過した大型ハリケーンの影響で、メキシコ湾岸の石油関連施設の稼動率が約七割にとどまっているとアメリカ政府が発表したことによる買い注文に端を発していることはよく知られていることである。このように投機買いは当分の間終了する事はないだろう。ましてやブッシュとケリーの熾烈な大統領選挙の最中なのである。山が高ければ谷は深くなる。株式相場を暴騰させるには、株価を一段と下げておくしかないのである。

■株式相場の下落について

 為替相場に関していえば、九月の米雇用統計は、非農業部門雇用者数の伸びが事前予想を下回る九万六千人となったことや米労働省が発表した雇用統計によると九月の失業率は五・四%と、前月から変わらなかったことから、ドルは主要通貨に対して全面安となった。ドル・円は米投資銀行などのドル売りで一一〇円五〇銭処から一〇九円三〇銭まで一円以上下落し、ユーロ・ドルは一・二三二〇ドルから一・二四三五ドルまで、ポンド・ドルは一・七八七〇ドルから一・七九六三ドルまで上昇した。その後、米連邦準備基金幹部らから米連邦準備基金の利上げペースは雇用統計結果の影響をあまり受けないことを示唆するコメントが相次いだことで、ドル・円は日本輸入筋からと思しきドル買いで一〇九円五〇銭前後まで反発した。ユーロ・ドルは一・二四一〇ドルまで、ポンド・ドルは一・七九二〇ドルまでやや軟化して取引を終えた。
 こうしたドル相場の下落を受けて金価格は堅調に推移し、金先物(一二月限)価格は一時前日比六・五ドル高(+一・五%)の四二六・〇ドルまで上昇したのである。
 一〇月八日、ニューヨーク株式市場は、続落した。原油価格が一バレル=五三ドル超まで上昇して過去最高を更新したことや、九月の雇用統計が予想を下回った内容になったことで、大統領選挙を目前に控えた状況の中、米国経済に対する懸念が広がったためである。
 とくに半導体や薬品セクターが大きく下げた。インテルなど半導体セクターは、プルーデンシャルがセクター投資判断を『ニュートラル』としてカバーを開始したことが嫌気された模様だとのこと。ダウ工業株三〇種やS&P総合五〇〇種の下げを主導した。
 ダウ工業株三〇種は七〇・二〇ドル安の一万〇〇五五・二〇ドルで、ナスダック総合指数は二八・五五ポイント安の一九一九・九七、S&P総合五〇〇種指数は八・五一ポイント安の一一二二・一四となる。この展開に関しては思惑がはずれたと見方もある。
 九月末に近づいてきたので、ヘッジファンドは『原油価格六〇ドルあり』という風評をまいて原油価格の無理な急騰を誘い、その後の下げにより株価上昇をはかった。これは『クレージーな予想が出始めたらバブル終焉の前兆』という常識に従ったものだ。ところがマーケットは過剰に反応し、原油価格はついに五三ドルをも突破してしまったとする。今さら原油の需給は実際は逼迫していないと本当の情報を発表しても、また逆効果になるだけだといい、要するに完全に打つ手がなくなってしまった。予想外であったするのだ。
 私は、テレビ公開討論において言論で敗北したブッシュ陣営が、ケリー陣営に振り切らされそうになったため、株式相場が一層劇的な展開となるように仕組まれたものだと解説してはばからない。
 すべては後二週間で明らかになる。是非とも注目しておいていただきたい」

 全くもって、プロの相場師も驚くほどの大胆不敵な予想を、私は書いておいたたものである。そう考えるのが普通ではないだうか。
 さて、相場のプロが、石油原油相場が暴走して、自分の思うようにならなくなったと解説している中での大胆な私の「予言」は、その後一体どうなったであろうか。事実を列挙しておくことにしよう。
 一〇月二九日、一時期六〇ドルにも達した狂乱の米原油先物は、三週間半ぶりの安値となる五〇・四七ドル付近まで下落した。この原因としては、米原油在庫の増加で、冬期の供給懸念が後退したことが背景にあるとは、相場筋の解説である。この動きに対応して、同日の米国株式では、NYダウは四日小幅で続伸して、二二・九三ドル高で終値一〇〇二七・四七ドルとなった。週明け一日午前のニューヨーク商業取引所(NYMEX)の原油先物相場は急反落し、米国産標準油種WTI一二月きりは一時、当ぎりとして約一カ月ぶりに一バレル=五〇ドルを割り込んだのである。
 取引開始直後は、米大統領選を前にした政治情勢の先行き不透明感などから持ち高調整の買いが先行して、一時は五二ドル台に乗せたもののその後、技術的要因による売りが急速に強まり、相場は大幅に下げた。午前一一時二七分現在、前週末終値比一・九一ドル安の四九・八五ドルとなった。同取引所で、中心的に取引される原油先物相場が五〇ドルを割り込んだのは、実に一〇月上旬以来約一カ月ぶりであった。
 米石油在庫の積み増しや、ハリケーン被害を受けたメキシコ湾岸での石油関連施設の復旧などを受け、利益確定売りの動きが強り、原油相場は九月末に五〇ドルを突破後、六〇ドルをめざす暴走相場と呼ばれていたのは周知の通りであった強い基調で推移していた。
 一一月二日のニューヨーク・マーカンタイル取引所(NYMEX)でも原油先物相場は続落した。WTI(ウェスト・テキサス・インターミディエート)で、期近の一二月物は前日比〇・五一ドル安の一バレル四九・六二ドルで取引を終了した。一時は四九・五五ドルまで売られた。私が指摘してきたように、このように山が高ければ谷も深いのである。
 しかし、一一月三日のニューヨーク商業取引所の原油先物相場は、ブッシュ再選を受け、三日ぶりに大幅反発して、再び一バレル=五〇ドル台に乗せた。私は、全くようやるもんだなとは考えている。
 こうした原油相場の動きを受けて、一一月一日午前の米株式相場は、軟調に始まった後、原油相場の下落を眺めてから上昇に転じている。優良株で構成するダウ工業株三〇種平均は午前一一時半現在、前週末終値比三八・六四ドル高の一〇〇六六・一一ドルと続伸している。ハイテク株中心のナスダック総合指数も小反発し、六・九六ポイント高の一九八一・九五となる。大統領選の開票作業が進んだ二日夜(日本時間三日午前)の米国市場では、時間外取引で株価指数先物が堅調な展開になった。シカゴ・マーカンタイル取引所の電子取引システム(GLOBEX)市場のS&P500種株価指数の期近物は、午後四時の終値に比べて八・八〇ポイント高い一一九〇・三〇まで上げる場面があったのである。
 開票開始は午後七時。当初はブッシュ、ケリー両陣営の大接戦が伝わり、売られる場面があったが、主要州でブッシュ候補が得票を伸ばすにつれ、買いが増えた。高額所得者への減税打ち切りなど、ケリー候補の一部の政策は株価にマイナスと見られていた。開票が難航し、勝利者が決まらない事態を危ぐする向きもあっただけに、順調に開票作業が進んだことが安心感につながったと相場筋では解説している。
 ブッシュの当選が確定的になるとニューヨーク株式市場のダウ工業株三〇種平均は、三日間続伸して、前日終値比七二・七八ドル高の一〇三八七・五四ドルと、六月末以来、約四カ月ぶりの高値をつけて取引を終えた。ハイテク株主体のナスダック総合指数は一五・三一ポイント高の二〇三八・九四にまでなってしまった。
 このような現実の展開を前にしても、なおかつ大統領得選挙相場などないと今でもあなたたちは本心から言うのであろうか。是非とも私は聞いてみたいところではある。
         (直)


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象徴天皇制に突きつけられた危機
  米長発言の持つ意味


●象徴天皇制下の天皇

 一〇月二八日、東京赤坂で開催された秋の園遊会で、石原都知事により取り立てられ、今年の卒・入学式での「日の丸・君が代」大量処分、次いで「つくる会」教科書採択に豪腕を振いセクハラ発言でも周知の米長東京都教育委員会委員は、「日本中の学校に国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と得意然として天皇に発言したところ、何と天皇は「強制になるということでないことが望ましいですね」と応じた。この天皇の予想外の反応に対し、米長委員は、周章狼狽して、「もちろんそうです。本当に素晴らしいお言葉をいただき、ありがとうございました」と頓珍漢な応対をする他なかった。
 天皇発言について、最近反小泉を明確にした前レバノン特命大使の天木直人氏は、ホームページ上の「マスメディアの裏を読む」において、この事実を大手新聞でまともに報道したのは朝日・毎日と赤旗だと紹介し、その記事の量もわずか二段ほどの記事だと紹介してから、本来なら第一面トップで大きく報じられるべきほどの出来事だと解説した。
 彼の問題意識からすれば、日の丸掲揚・君が代斉唱の強制と式場での教職員と保護者に対する起立強要は、指示に従わないものは処分するという行政側の強硬姿勢とこれに反発する国民との間で全国的な問題になっており、そのような国民的問題について、明確な意見を表された天皇の発言の重みをどう考えるのか、それは天皇制そのものを問う問題でもあるからだ。彼は、先の記述に続けて、次のように書いている。

  国民の統合の象徴としての天皇の言葉の重みをどう考えるかは、今日において極めて重要である。かつて一九九〇年に天皇が即位後初めて外国訪問されマレーシアを訪れられたことがあった。そのときマレーシアの国王から天皇に直接懇願された外交案件を、外務官僚は米国の恫喝の前に一蹴し天皇の面目をつぶしたことがあった。
 今度の米国のイラク攻撃について、かつて皇后は「心が痛む」と反対された。それを一顧だにせずに小泉首相はブッシュ大統領の戦争を正しいと世界に公言して支持し続けている。一体皇室の役割、影響力はどこにあるのか。今度の天皇の発言を石原慎太郎知事はどういう思いで聞くのか。愚かで軽率な発言をした米長氏は「もうもちろんそう、本当に素晴らしいお言葉をいただきありがとうございました」と返答している。九九年に都の教育委員に任命されてから一貫して推進発言を繰り返してきた米長氏は今後どのような態度を見せるのであろうか。
 皇室をないがしろにする発言をすると我々一般市民は右翼団体にたちどころに命を狙われる。天皇や皇后の思いをここまで軽視無視するこの国の首相や官僚を、右翼や国粋主義者はどんな思いで見ているというのか。

 ここで確認できるように、天木氏はこの天皇の政治的発言を、憲法違反という観点から問題にはしていない。彼はこの発言を自分の立場に引きつけて容認してしまっている。まさにこの記事の指摘するとおり、象徴天皇制下の天皇の戦後政治体制に関する意思は固いものがある。ここに現天皇と反動諸氏との間の鋭い矛盾が露呈しているのである。
 即位の時、日本国憲法を守ると宣言し、靖国神社に一度も参詣していない現天皇が、戦後民主政体を支持していることは明々白々な現実である。現天皇にとり、現憲法の改正や天皇の元首化や靖国神社の国家護持など、自分の意思を超えた論外のことである。現天皇は、戦後民主政体を完全に認知しており、象徴天皇制下の天皇で満足しているのである。
 そうだとすれば、反動諸氏が取るべき選択肢は五つだ。その中で自分が天皇の臣下である自覚するなら取るべきまともな選択肢は三つしかない。残った後の二つは、臣下としてしてはならない外道の選択肢なのである。
 天皇の考え違いを指摘し、その誤りを諫めて正す、これが正道である第一の選択肢である。天皇の考えを糺すことができない反動諸氏は、自らの不敬を恥じて、潔く政治の世界から降板する、これが第二の選択肢である。天皇の意思を深く反省して自分の考えを改め天皇の意思に従う、これが第三の選択肢である。問題はこのように実に明快なのである。
 しかし、自ら招いた全くの準備不足から彼らが現実に選択できたのは、外道である第四の選択肢の天皇無視、つまりは臣下として取りうる最も破廉恥で不敬な行為だけだった。

●無反省で不敬の情けない反動諸氏の面々

 天皇発言の予想を超えた反響の大きさから、羽毛田宮内庁長官は、「行政施策の当否を述べたものではない」から政治的発言ではないとした。「陛下の趣旨は、自発的に掲げる、あるいは歌うということが好ましいといわれた」と説明してから、「国旗・国歌法制定時の強制しようとするものではないとの首相答弁に沿っており、政策や政治に踏み込んだものではない」と、長官は場を取り繕う弁明を試みる。しかし、この天皇発言が、東京都における教職員の大量処分を伴って断行されている東京都の教育行政のこの間の強制を明確に意識し批判した「政治的発言」であることは、誰が聞いても明らかだ。それ故、自ら直接のお褒めに預かりたいとばかりに仕掛けながらも、天皇の予想外の「批判的発言」に直面した米長委員は、大変な衝撃を受けた。彼は、自らの言葉を失って、ただちに何らの反論や再提起もできなかった。したがって彼は頓珍漢な答えをするしかできなかったのだ。このように真実は、誰の目にもあまりにも明らかなのである。
 翌日の一〇月二九日の記者会見においても、石原都知事は、「都教委のやっていることは強制ではない。国が決めたことを公務員として、義務として行うか否かの問題で、一般的に強制か否かの問題とは違う」と開き直ってみたものの自らの動揺は隠せなかった。
 小泉首相もまた動揺する。全国の学校での日の丸掲揚と君が代斉唱について「強制でないことが望ましい」と天皇が発言したことに対する総理の認識を記者団から問われて、「ごく自然に受け止められたのでは。私もそう思う。あまり政治的に取り上げない方がいいんじゃないですか」と述べながら、東京都の公立学校で日の丸掲揚の際に起立しなかった教職員が処分されたことについては「それは都が決めたことですから」と言葉を濁し一切の言及を避けた。この問題を支配者自身自らが鋭く政治化しておきながら、南野法相も「都知事がなされることだが、一人ひとりの価値観だろうから自主性にお任せしてもいい」と述べる他なかった。これらの反動諸氏は天皇発言による打撃を隠せないでいるのである。
 もちろん一番打撃を受けたのは、他ならぬ石原慎太郎その人である。彼が一貫して進めて来た東京都教育行政の目玉である「日の丸・君が代・愛国心教育」を、「よくやった」と一番褒めてもらいたかった天皇から、全否定されたからだ。しかし、彼らは、信念に基づく筈の自分の行動を、天皇に向かって、「自分は正しい」とも反論できていない。それでいながら自らの行動は改めない。なんという無反省で不敬の情けない面々であろうか。
 そもそも昭和天皇は中曽根康弘が大嫌いであった。彼こそは、敗戦後直ちに天皇退位論を国会で仕掛けた保守政治家だっただけでなく、靖国神社公式参拝を開始した張本人であり、女帝論の仕掛け人であったからである。彼こそは不忠の臣の生きた見本である。当然にも現天皇も同じ思いであることは想像に難くない。したがって、今回の天皇発言は思わず不用意な発言をしたと言うよりも常日頃の思いを語った確信的なものだったのである。
 本来なら、この発言は、天皇の政治的な中立を犯したもので明確に憲法違反である。しかし赤旗での天皇発言報道はこうした立場からのものではなかった。いつもなら天皇の政治的発言に対して大騒ぎをする共産党は事実を報道しただけだった。何というご都合主義ではないか。ここで明らかなように物事を正確に把握している人々はそんなに多くはない。共産党やほとんどの人は、この事を痛快な発言と受け止めているようではある。私たちは、この天皇発言がとんでもない憲法違反の発言であると大いに注意を喚起しておきたい。
 この天皇発言を大々的に報道したのは、韓国のマスコミである。政治的秩序を重んじる儒教のお国柄から、彼らは、この間の東京都教育委員会による「日の丸・君が代」の強制と教職員の大量処分と父母の抵抗を伝えて、「極めて異例な」天皇発言が「日本社会の右傾化にとってブレーキとなる」との報道や「日本の象徴的代表であり、多くの人の尊敬を受けている天皇がこのような見解を明らかにしたことにより、保守右翼勢力の『教育右傾化』の動きにも歯止めを期待されている」と報道している。しかし、天皇に対する日本支配者階級の破廉恥な内実を知らない彼らの期待は、残念ながら早晩破られるに違いない。

●今後焦点となる天皇のコントロール

 天皇発言で分かったように、日本を戦争をする国家にするための最大の問題は、既成事実が先行することに対する無力感や日々の生活に追われていることで、反対運動を低迷させつつある労働者民衆の完全粉砕にあるではなく、戦後民主政体の中で現実に生きてきた天皇その人だとの認識が、支配者間での公然たる議論となることは必至の状勢である。
 着々と進められている戦後日本国家の反動的再編成に向けて、国民統合の象徴である天皇を、どのようにコントロールしいかに利用していくかが今後の彼らの関心事となっていくだろう。この選択は、戦前の基準からすれば、全く不敬であり、戦後日本国家の「氏より育ち」を重視してきた支配者階級にとっても全く破天荒な第五の選択肢となるのである。
 それは、敗戦したためにアメリカの強制で創造されたとはいえ、しっかりと自らが利用してきた戦後の象徴天皇制を、自らの手で突き崩すに等しい政治的冒険となるからだ。果たして、彼らに全くの禁じ手である「主君殺し」「主君押し込め」を断固として実行できる確信と決意はあるのだろうか。まさにここが正念場である。この点が彼らにとっても今後の政治を展開していく上で最大の弱点となることは明らかなのである。
 それにしても、今回の園遊会の場において、天皇に政治的な発言をさせるようにし向けた米長東京都教育委員会委員のあまりに見事なまでの想像力の欠如に、私たちは驚かされた。何と奢りたかぶり破廉恥であることか。まさに米長委員のような常日頃から「日の丸・君が代に対する忠誠」「愛国心の涵養」「伝統を守れ」と豪語する人々が、戦後日本国家体制の現実に生きてきた天皇の意思を踏みにじって全く恥じないできたのである。
 私たちは、今回東京都教育行政の支配の「成功」による奢りから、はからずも明らかになった天皇発言を、象徴天皇制下における天皇と日本ブルジョワジーとの間の支配の危機と一大矛盾の発覚として明確に認識する。そして象徴天皇制と「日の丸・君が代」攻撃に対して、彼らの強権的支配に反対する行動に断固撃って出てなくてはならない。
         (猪)


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第11回全国市民オンブズマン函館大会  (5 最終回)
  函館山に登って考えたこと


 オンブズの全国大会に参加するようになって、思いがけなくひとりで観光地を巡る機会を得た。今年は函館ということで、ロープウェイを利用するのはありきたりなので、函館山に歩いて登ってみた。標高334メートルというのはわがまちのシンボル甲山に近いが、登るのに予想以上に骨が折れ、頂上に着いたときには全身汗びっしょりになっていた。
 ところで、函館山は市街の夜景を観るために登るものなので、観光客は日が暮れてから直行バスに乗ってどんどん到着する。私はといえば、市街とは反対側の海の向こうの山並みに沈む夕日に見とれていた。しかし、どんどん増える観光客に圧倒されて、すっかり日が暮れ鮮やかな夜景が現れるのを(汗をかいて寒かったこともあり)待ちきれなくなり、路線バスで降りてしまった。
 函館は路面電車が健在で、宿泊したビジネスホテルと会場の往復に利用した。昔、わがまちでも国道2号線を路面電車が走っていたが、車の洪水に駆逐されてしまって姿を消して久しい。そんなこともあって、実に懐かしく路面電車に乗った。今また路面電車が見直されているのは、単なる懐古趣味ではなく、都市を車の洪水から救わなければならないからだ。
 昨年全国大会が開催された仙台では、地下鉄建設をめぐって市当局とオンブズが鋭く対立していた。おさだまりの過大な需要予測やケヤキ並木の伐採も問題だが、それ以上に地下にもぐらなければ乗れない地下鉄は弱者≠ノは利用しづらい乗り物である。地上は車が占領し、交通弱者を地下に追いやるような転倒は、もう終わりにすべきだ。
 さて、函館のオンブズは何と闘っているのか。道南市民オンブズマンの活動報告をみると、ゴミ問題や政務調査費訴訟などがあげられている。そのゴミ問題とは産業廃棄物の不法投棄で、これも多くの自治体が直面している問題だ。内容は少しねじれていてわかりづらいが、次のようなもの。
「函館市の産業廃棄物不法投棄問題で、倒産した三和廃棄物処理産業に代わり、原状回復作業をしている業者の埋め立て処分料を市が軽減するのは違法とし、道南オンブズマンの大河内憲司代表らは18日、軽減分3700万円の支払いを求めて、住民監査請求した」(03年11月19日付「読売新聞」)
 処分料の軽減というのは、函館市が産廃を処理費が半値の一般廃棄物扱いしたもの。函館市監査委員は1月16日、一般廃棄物扱いは可能とした市の主張を退け、「市の解釈は廃棄物処理法の趣旨から逸脱する」と指摘し、差額の徴収など「適切な措置」を求めた。しかし、市監査事務局長が「産廃扱いに改めた上で、手数料を減免することも選択肢として考えられる」(1月17日付「北海道新聞」)なんて言うのだから、酷いもんだ。
 さらに酷いのは、不法投棄のなかに函館市発注の公共工事の廃材が混入している点だ。市は2000年4月以降、三和に再三行政指導を行っているのにそれは続いていたというのだから、もうどうしようもない。実態は不法投棄の放置、黙認と言うほかない。こうした成り行きから、オンブズの闘いは井上博司市長らに約9500万円の侵害賠償を求める住民訴訟に移行している。
「提訴を前に同日、市役所で記者会見した大河内代表は『市は行政としての原則を踏み外してきた。9500万円が回収不能になった結果責任の追及を通じて、(回収不能の事態をもたらした)原因を追及する』と強調した」
  (3月10日付「北海道新聞」)

 ここに紹介したような闘いは全国で展開されている。そして、どの自治体も函館市のようにデタラメな対応をしている。そのデタラメさは、単にデタラメなのではなく、企業などに寄り添うもので、必然的に市民に敵対するものとなっている。観光地の裏は書き割りだった、というのでは情けない。オンブズの闘いは内実のあるわがまちをめざさなければならない。
 さあ、来年の全国大会(9月10・11日)の舞台は別府だ。再会の日に向けて、わがまちでの闘いを続けよう。
          (折口晴夫)

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