政府、不法占拠を強行   基地も安保も必要なし
    ――沖縄の現実を変える歴史的闘いを!



七五%という
現実

 七五%という数字は沖縄を語るときに用いられる数字です。沖縄が占める国土は一%未満の〇・六%であるのに対し、その〇・六%の中に日本の米軍専用施設の七五%が集中しているという現実=「基地の島」がそこにあります。七二年五月一五日に本土復帰してから二四年が経過しようとしていますが、二四年間沖縄に米軍施設が集中するという現実に対し日本政府は手を付けず放置したままでした。
 復帰前、沖縄本島に米軍が上陸してから八年後の五三年四月三日に沖縄統治機構の米民政府は米軍が告知書を提出すれば三〇日後には一方的に土地を使用できることを定めた「土地収用令」を施行しました。この布令第一〇九号「土地収用令」に対して地主の人たちは強く反発しましたが強引な接収が繰り広げられました。いわゆる「銃剣とブルドーザー」による接収です。五三年の強制接収から数えると四三年間、沖縄の人々は基地があるがゆえの米兵の犯罪、騒音などの被害にあい続けました。
 復帰前の沖縄における米軍の犯罪はほとんど泣き寝入りして闇にほうむられたといっても過言ではありません。復帰後も米兵による殺人や婦女暴行、強盗などの犯罪は四、七一六件を数えますが基地内に逃げた犯人に対して沖縄の警察は手を出すこともできない現実を考えると実際の犯罪件数は四、七一六件をはるかに越えていることは明かです。一九九〇年から九四年の五年間に全国で摘発された米兵による刑事犯罪は七四〇件で、そのうち四割にあたる三〇二件が沖縄県で起きており、基地の集中がのまま米兵の犯罪の集中となっています。
 昨年の九月四日に発生した米兵による少女暴行事件は長い間耐えてきた沖縄の人々の怒りを一気に爆発させました。変わらない現実に対して沖縄の太田知事がとった手段は強制収用の土地に対する「代理署名拒否」でした。国を相手にしたこの闘いは沖縄の人々の圧倒的な支持を受け、本土でも沖縄の闘いを支持する輪が大きく広がっています。
 沖縄の現実を目で見える形で変える事。基地を撤去する事。少なくとも基地の整理、縮小が沖縄の人々の訴えです。沖縄の闘いが歴史的な闘いになるにつれて日米関係の根幹ともいうべき安保体制を揺るがしています。基地の存続か撤去かの問題は日米安保条約の存続か解消かの問題にもつながっています。この問題を考える大前提として沖縄の現実こそ安保体制の現実であることをはっきりと知っておく必要があります。

不法占拠

 知事の「代理署名拒否」に対して国が知事を訴えた前代未聞の裁判において、国は日米安保条約に基ずく米軍軍用地提供の「公益性」を主張する一方、沖縄県側は基地があることによって憲法に保障された平和的生存権、平等原則、財産権などの「県民の公益」が侵害されていると知事自ら三時間にわたって具体的に主張しました。県は国が主張する「公益性」の中味は何かと問いかけたのに対し、国は何の説明もすることなく、裁判所も反戦地主などの証人申請を却下し国の意向に沿うように早期に結審しました。三月二五日には「県民の公益性」を否定してまでも守ろうとする「国の公益性」を説明しないまま国側勝訴の不当な判決が言い渡されました。
 裁判所が国を後押しして国勝訴の判決を言い渡したにもかかわらず、通称「象のオリ」と呼ばれる場所にある米軍の楚辺通信所の知花昌一さんの土地は三月三一日で期限切れとなり国の「不法占拠状態」に突入しました。
 この不法占拠に対して梶山官房長官は「ただちに違法な状態とはいえない」とし、安保条約に基ずく米軍の管理権を盾にフェンスを張り巡らし不法占拠を続け、知花さんたちの立ち入りまでも拒否しています。要は法律が有ろうが無かろうが関係なく不法占拠すると居直っているのです。条約が憲法や国内法に優先するという論理がまかりとおれば、国家権力は条約を口実に基本的人権の制限など好き勝手なことができるというものです。法治国家を標榜しつつ、不都合な事態になると平気で自ら作った法律を破り、違法ではないと主張する政府、これこそが欺瞞に満ちたブルジョア国家の本質であると言えます。
 沖縄の米軍基地の総面積は約二万四千三百五十八f、民有地と県・市町村有地、国有地がそれぞれ三分の一を占めています。民有地には約三万二千人の地主がいますが基地撤去を求める反戦地主とそれを支える一粒反戦地主の人々は約二千九百人、面積で三十七f(約〇.五%)にしかすぎません。しかしこのわずかな土地を巡る闘いが沖縄の現実が変わるか否か焦点にもなっています。このうち知花さん以外の土地は来年の五月に一斉に国の使用期限が切れ、那覇、沖縄、読谷の三首長は太田知事同様に代理署名を拒否(三五人分、三万五千二百平方b)しているので、国が特別立法を作らない限り(立法は批判を浴び容易ではないと思われる)代理署名拒否の闘いは続き、来年五月以降には大量の不法占拠の土地が出現します。  (次号に続く)
(伊藤俊康)

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読書室  核エネルギー神話からの解放を
      『脱原発のエネルギー計画』   藤田祐幸著  高文研発行
      
 

 まえおき

 日本のエネルギー政策は核開発一辺倒で、「もんじゅ」があれだけの事故を起こしても、見直しは進んでいません。そこにあるのは資源小国日本の原発神話と、核エネルギーサイクル確立への渇望です。しかし、先進諸国にあっては原子力発電からの撤退がすでに始まっている中で、高速増殖炉の開発を含め更に原発建設を推進しようとしている日本の姿勢は突出しています。
 日本の原子力発電は一九六五年に始まり、七三年のオイルショック以降急激に拡大してきました。当時通産省が編集した「日本のエネルギー問題」という冊子には「石油をエネルギー源とする時代の後は、従来型原子炉に加え、高速増殖炉さらには核融合、太陽エネルギーなどに変ってくるものと思われるが、この未来のエネルギー開発のため、われわれは、今からその技術開発に取り組まなければならない。この技術開発は、われわれの子孫に対する最大のおくりものとなるであろう」と述べられています。ちなみに時の通産大臣は中曽根康弘氏でしたが、それから二〇数年、私たちは 「もんじゅ」という困った贈り物に苦しむ羽目になったのです。

四つの迷信

 前置きはこれくらいにして、藤田氏のお話を紹介することにしましょう。まず「原子力をめぐる四つの迷信」からです。第一・原子力は経済的に有利である、第二・原子力は石油代替エネルギーである、第三・日本の電力の三分の一は原子力である、第四・炭酸ガスを出さない原子力は地球を救う。これらは六〇年代から順次原発推進派によって唱えられたものですが、今となってはすべて破綻してしまっています。
 これに対し藤田氏は「原子力をめぐる三つの困難」として、第一に事故による放射能漏れの危険性、第二に労働者被曝の問題、第三に放射性廃棄物の処理・処分の問題を上げ、「原子力の問題は、基本的にはエネルギー問題ではなく放射能問題であると私が考えているのは、この三つの解決不能な問題を抱えているからである」と述べています。
 さて、石油枯渇問題を具体的に見てみると、ローマクラブが一九七二年に「このままでは石油はあと三一年、天然ガスも三八年、銅などの金属資源も数十年で枯渇する」と警告を発しました。しかし採掘はコストの問題であり、技術革新や価格の上昇等で採算さえ合えば可採年数は増えます。また確認埋蔵量というのも恣意的な数字で、「石油会社が自分の保有する油田の埋蔵量を申告したものを足しあわせた量であり、あくまでも石油会社が確保したと称する石油の量でしかない」。
 とはいえ「石油は有限であり、このまま使い続ければ必ず枯渇する。枯渇することを知りながら、石油に全面的に依存する社会システムを作りつづけ、なおかつ枯渇問題に恐怖しつづける、この自己撞着的な石油文明というのは一体何なのだろう」。「現在われわれが直面しているのは石油枯渇問題ではなく、石油大量消費によって引き起こされた、地球環境問題である」と、藤田氏は資本主義的無政府的生産を告発しています。
 次に原子力産業の現状はどうか。新たな原発立地が困難となり、「原子力部門を会社の中に維持する必要は失われ、予算がつかなくなり、技術者が分散し、結局原子力部門は消滅してしまう。産業側はそれを最も恐れている」。プルトニウム利用の見通しがなくなった今、皮肉にも原子力産業はウラン資源の枯渇問題にも直面することになりました。ここで藤田氏が下す処方箋は、ずばり「瀕死の原子力産業に安楽死を」というものです。

新しいシステム

 それでは原発に代わるエネルギーは存在するのか、藤田氏がまず第一に上げるのは節電・省エネルギーです。発電所というのは新しいエネルギーを生み出さない、単なる「エネルギー転換工場にすぎない。氏かもその転換効率は三五%程度である。したがって発電所が消費したエネルギーのおよそ三分の二は発電所からの温排水や、送電線からの送電ロス(廃熱)という形で、直接環境に捨てられて」います。だから、「この電力を再び熱に戻して使うことは愚かな使い方」だそうです。
 この廃熱を捨てずに利用しようというのがコージェネレーション・システムです。オフィスビルや病院、ホテルやレジャー施設など熱需要が安定しているところで、小型自家発電装置を取り付け、発電しながら廃熱で冷暖房や給湯を行なおうというものです。これによって熱効率は七〇%から八〇%にまで達し、大きな省エネ効果が期待できます。
 新たなクリーンなエネルギーとしては、太陽光発電がようやく家庭にも普及し出しています。一九九五年段階で「普通の家庭の消費電力をほぼ自給できる規模として、三Kwの発電システムがおよそ五〇〇万円程度で販売されていたが、これが一気に三〇〇万円台に値下げされた。需要が増えれば価格は安くなる可能性が高い。それにしても、電気料金で元をとろうとすると一〇年以上の歳月が必要になる」ということで、今一歩か。
 だがしかし、「もんじゅ」に注ぎ込まれた六〇〇〇億円余の国家資金を太陽光発電の普及に回せば、「三Kwの太陽光発電セットを二〇万戸の家庭の屋根に設置できる。これで、最大六〇万Kwの発電が可能になる」という計算が成り立ちます。「原発を直ちに止めた場合、電力の安定供給に支障が生ずるのは夏のピーク時のみであり」、現在実用化されている技術を用いて十分代替できる、というのが藤田氏の主張です。
 その他のエネルギーとしてはウンコパワー発電(牛や豚の排泄物を利用したメタンガス発電)や木質ガス発電(戦時中走っていた木炭バスと同じ原理)、さらに小水力発電や風力発電等があるとのことです。これらはすべて地域密着の小規模発電ですが、藤田氏は 「暴走する石油文明」に対抗するものとしてこうしたシステムを提案しています。

 つけたし

 火力であれ水力であれ巨大な電源立地は地域に大きな犠牲を押しつけ、さらに資源を浪費し公害問題をまき散らしてきました。こうしたことが開発は善、生産力の拡大はバラ色の未来を約束すると肯定されてきました。確かに量的拡大がやがては質的飛躍をもたらすという限りで、その主張は一定の正当性があったかもしれません。しかし核エネルギー開発が頓挫した今、当面の技術的可能性の見極めもなく言い続けることは、それはもはや一つの信仰に過ぎません。
 藤田氏はいみじくも「通産省や電力会社のいうように、原発もやります、太陽光発電もコージェネレーションもやります、といった 『あれもこれも主義』では、問題の解決の糸口さえ見えてこない。『原発抜き』のベストミックスこそが最善の選択である」と言っています。「もんじゅ」にしがみつく動燃や、原発で甘い汁を吸う資本にこれ以上核遊びをさせておくのは自殺行為です。
 日本においても、原発からの撤退、代替エネルギーの開発への道を、今こそ確立しなければなりません。もちろん、そうした可能性を汲み尽くした後に、再び核エネルギーへと回帰する可能性を全く否定することはできませんが、それを決めるのは私たちの世代でないことだけは確かです。
(折口晴夫)

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読書室  国家資本主義論の現状伝える
      「ソ連の『社会主義』とは何だったのか」  大谷偵之介著   大月書店発行



「市民権」得つつある国家資本主義論

 この数年、旧ソ連や東欧、中国などのいわゆる「社会主義国」を、社会主義でないばかりかむしろ一種の資本主義だったのだと主張する国家資本主義論の立場からの書物が書店でも目につくようになりました。例えば、山口正之氏の『社会主義の崩壊と資本主義の行方』や『資本主義はどこまできたか』、山本二三丸氏の『』『』等々といった具合です。
 しかし今回紹介する書物はそれらともいささかおもむきが異なり、まさに『ソ連の「社会主義」とは何だったのか』という問いを真正面から掲げ、ソ連社会が一種の資本主義以外の何物でもなかったことを明らかにしようとしています。あるいはまた「ソ連=国家資本主義」という主張を共通項としながら、この国家資本主義が生み出され、発展を遂げ、そして崩壊していった具体的な過程やその必然性を明らかにすることを、主題的に追求しようとしています。執筆者ならびに論文の中で紹介されている国家資本主義論者も玉石混淆とはいえそれなりに多彩で、主だった国家資本主義論者が一応そろい踏みしています。今日の時点での国家資本主義論の一応の集大成でもあり、その現状を伝えています。
 しかし、こうした書物が大月書店という大手出版社から発行され、大手書店の目立つところに積み上げられている様を見ると、隔世の思いにとらわれます。思えば、国家資本主義論は社会主義運動の中では異端中の異端であり、スターリン主義者からはもちろんのことニューレフトからさえ非理論的、理論外的な非難や黙殺でむかえられてきました。しかし、ソ連・東欧の崩壊や中国などのあからさまな資本主義的現実の顕現を前にして、国家資本主義論を既成のスターリン主義および反スターリン主義左翼ももはや無視し続けることが出来なくなったということでしょうか。もちろん、同じく私たちも国家資本主義論者だとはいっても、内容的にはとても与し得ない論文も多数収められているのですが。

興味深い大谷論文

 本書に収められた幾つかの論文のうち、興味をひかれたのは、編者のひとりである大谷偵之介氏の「『現存社会主義』は社会主義か」です。長くなりますが、引用しつつ紹介しましょう。
 氏は、まず「『社会主義』とはなにかが明確になっていて、はじめて、ソ連の社会はそうした「社会主義」だったのだろうか、と問うことができる」として、社会主義とはどの様な社会であるか、あるいはどの様な社会であり得ないかについて述べます。
 氏は、社会主義の積極的な規定として、その特質を七点にわたって述べていますが、いずれも「アソシエーション」という概念を機軸においています。いわく「各人の自由な発展が万人の自由な発展にとっての条件であるようなアソシエーション」、いわく「アソシエイトした自由な諸個人の労働は私的労働ではなく、直接に社会的な労働であり、したがって、それの生産物も私的に取得されることはなく、直接に社会的な生産物である」、いわく「社会化された人間、アソシエイトした生産者たちが、自分たちと自然との物質代謝を、盲目的な力としてのそれによって支配されることをやめて、合理的に規制し自分たちの協同的統御のもとにおく」等々…。
 共産主義社会がどの様なものであり得ないかについては、次のように言います。「商品生産とは正反対の生産形態」、「物神崇拝も完全に消滅している」、「一切の労働市場も労賃も消滅している」、「労働の疎外の解消」、「分業が、固定制、属人性をなくして…とりわけ肉体労働と精神労働との対立の意識も消滅している」、個性を全面的に発揮する自由時間を拡大していくためには、労働時間を大幅に短縮していけるだけの生産諸力の発展が必要であるが、…同時に、公害や環境破壊をもたらすような自然との対立を廃棄したものでなければならない」、「どのような階級的区別も民族的対立も、社会的差別・抑圧も消滅している」、「諸個人に対する外的な強制の機構としての国家は死滅している」。
 以上を前提にして、ではソ連社会は何だったのかが明らかにされます。
 まず、一九三〇年代のスターリン主義体制の成立に至るまでの過程が次のように述べられます。
 「そこで社会主義への前進が始まったと言いうるとすれば、それはただ、労働者・農民の権力のもとで社会主義への移行のための物質的前提をつくり出す努力が開始された、という意味においてでしかなかった。むしろレーニンにとって、社会主義に進む歴史的過程の中でロシア革命が持つ決定的意義は、それが、既に高い生産諸力を持っていたヨーロッパの先進資本主義諸国での革命の、つまりは世界革命の口火となることであった」、「ところがヨーロッパ革命は挫折して、世界革命への発展の展望は閉ざされた。ここで、後進的農業国で誕生した労働者・農民国家は、帝国主義諸国の政治的・軍事的・経済的包囲の中で生き延びるために、生産諸力を急速に発展させて、それらの国々に対抗できるだけの経済力および軍事力を備えることを迫られた。そのためには、なによりも、国民的資本を大工業の形態で急速に蓄積していかなければならなかった。…蓄積のためのファンドは、労働する個人の圧倒的な部分を占めていた農民の労働に求める他はなかった。…このような過程は、それがどれほど野蛮で殺戮的なものであったにせよ、歴史的に必然的なものであった」、「レーニンにあっては、社会主義への移行の物質的前提の創出のために利用すべき一つのウクラードであった国家資本主義は、いまや、ソ連の社会システムを基本的に規定する支配的生産様式に転化した」等々。
 次に、こうして確立されたソ連国家資本主義の内的な矛盾や、その独特の正確が指摘されます。
 「このように、ソヴィエト国家資本主義は資本主義であったが、しかしながらそれは他方で、独自の国家資本主義であった。このシステムの形成・発展の時期には、国家は、各企業で生産された剰余価値を自己のもとに集中し、効率的に配分するために、それらの個別資本としての本性の発揮を抑圧した。そこでは、商品生産・商品流通が行われているにも関わらず、『国民経済計画』という国家による社会的生産の規制によって、『交換価値による総生産の規制』(…)は機能不全の状態におかれていた」、「国家資本とは、実はもともと、資本でありながら同時に自己の資本としての本性を抑制しなければならないという、そのような内的な矛盾をもった資本なのである。…範疇的な資本主義から見るならば、それに先行する資本主義、いわば資本主義を準備する資本主義、という性格をもつものであり、この意味でも、まさに独自な型の国家資本主義であった」
 そしてさらに続いて、このソ連国家資本主義がその内的な矛盾のゆえに、やがて一九五〇年代の「自由化」の波に洗われるようになり、そしてついには「ペレストロイカ」の帰結としてソ連の崩壊に至る過程が次のように論じられます。
 「二つの五カ年計画を経た一九五〇年代初頭、ソヴィエト国家資本主義はようやく新たな段階に到達した。すなわち、資本の『効率的運用』が主要な課題となるような段階に到達したのである。国家資本の量的拡大が最大の課題であった段階では、国家資本が持つ資本としての本性はまだ全面的には現れようがなかった。けれども、国家の強力による資本形成が一段落するならば、それまでに形成された資本は、資本としての運動の全面的な展開を要求する。すなわち、それは、相対的剰余価値の生産のための生産方法の変革を、社会的生産力の発展を要求した。ところがこれは、個別資本としての各企業がその自立性を発揮し、相互の間で競争することを通じて、はじめて実現することが出来るものである」、「…ペレストロイカの客観的な歴史的課題は、国家資本主義の内的矛盾を公然と承認して、一九三〇年代に確立した国家資本主義システムを根本的に変革するところにあったのであり、それは結局、国家資本主義システムそのものの解体に、脱国家資本主義化による資本主義の本性の全面的解放に行き着くほかはないものであった…。国家資本主義自身の内的矛盾が、国家資本主義そのものの解体を、言い換えれば私的資本への分解を、それに内在していた資本としての本性の全面的な承認を、もたらさざるをえなかったのである。ソ連共産党の解体とソ連邦の解体を政治的表現とするロシアにおける国家資本主義のこの解体の過程は、それの成立がそうであったのと同様に、歴史的に必然的であったといわなければならない」
 大谷氏の論文は、本書の田口論文でも紹介されている林紘義氏の国家資本主義論に、近年畑田稔氏らが主張しているアソシエーション論を継ぎ足したような感じも否めませんが、今後の議論の具体化や深化を期待したいと思います。

いただけない大西論文

 最初に「玉石混淆」と述べましたが、その「石」の方の代表が大西氏の手になる「開発独裁の必要と史的唯物論」です。
 せめて「開発独裁の必然…」とでもすればまだしも、あえて「開発独裁の必要…」と記したタイトルが、大西氏の立場を端的に物語っています。本文の中でも明確に語られているように、氏はスターリン主義体制の歴史的な必然性を語るだけでなく、この体制が必要であり正当でありそして多くの民衆にも支持されていたのだとして次のように主張するのです。
 「燈小平によるあの弾圧(天安門の弾圧)がなければ現在の中国の経済発展はない」、「…あのときの燈小平の決断は『冷酷』ではあっても正しいものであった」、「当時の学生・インテリゲンチャたちは一二億人の国民からすればやはりほんの一握りの人間にすぎなかった。そして、他方の圧倒的多数の国民の気持ちは彼らとはまったく別のところにあり、…豊かさを与えてくれる現在の政治には特段の不満を持っていたわけではなかった。これが真実である。政治は『豊かな生活』のための手段ではあっても、決して目的ではない」、「天安門の政治勢力が政権や政治制度の転覆にいたる力を持ちえなかったのは、政権と政治制度の正当性がまだ失われていなかったからであって、そうした歴史的=生産力的正当性の問題を離れては、天安門事件への支持も不支持もない。天安門事件以降の中国の経済的発展を見て、われわれが思い出さねばならなかったのは、こうした史的唯物論の基本的考え方である」
 氏はさらに、「燈小平以上に独裁的であったスターリンやブレジネフ」についても、これを支持すべきであったし事実支持されていたとして次のように主張します。
 「旧スターリン体制の場合には、やはりそれが重化学工業を中心とした未曾有の工業発展を可能にし、したがって国民の生活水準を飛躍的に引き上げることに成功した、要するに生産力の飛躍的な発展を可能にしたことが注目されることになろう」、「旧スターリン体制のような暴政に『支持』というのはいかにも不自然に聞こえるが、単に恐怖のみによって支配し続けようとする政治は通常そう長期には持続できない。何らかの国民の(消極的ないし積極的)『支持』なしには長期には持続できないものであり…」云々。
 こうした体制弁護論じたいは別にめずらしいものではありませんが、氏の場合は自らをマルクス主義や史的唯物論の最も合理的な理解者の一人だと言いつつこうしたことを主張するのだからいっそう問題です。氏によると、労働価値説と並ぶマルクス主義の基本理論である史的唯物論の基本的な考え方は、「@政治(制度)の転換は経済(生産力)発展の課題に相応すること、A従って時代時代によって採られるべき政策が異なるということ」だそうです。また、この史的唯物論によると「機械制大工業の上には資本主義だけが存在しえ、他の社会システムは存在しえない」のであり、社会主義は機械制大工業を越えた新たな生産力の下でのみ可能となるのだそうです。極めて単純化された、機械的な「唯物史観」ですが、これは氏のソ連論の体制弁護論的性格と決して無縁ではありません。
 氏に言われるまでもなく、ソ連の国家資本主義に対する情緒的、道徳的批判は限界があり、「ものごとを客観的かつ法則的に論ずることが不可欠となる科学では、こうした独裁、人権侵害を嘆く前に、まずそれが『説明』されなければならない」というのは本当でしょう。しかし物事を科学的に説明する立場は、必然的にスターリンやブレジネフや燈小平らの行動を支持することにつながるわけではありません。ソ連社会に対する深い科学的な理解は、スターリン体制の歴史的必然性の承認とともに、この体制自身の中からこの体制を克服する条件が成長し発展してこざるを得ないことをも知るのであり、スターリン主義者を徹底的に告発するばかりでなく自由主義者の限界をも暴きつつ、独自の階級的立場、労働者の立場に立った革命的闘いを貫徹していくための足場をも提供するのです。
 氏は従来のマルクス主義者を「弱者救済主義」や「左翼的心情」にとらわれていると批判し、必要なのは「事柄の主要な側面と副次的な側面を正しく見分ける」こと、「否定面を見るだけではなく積極面をもトータルに評価する視点」だと言います。氏の言う「積極面」の中には賃労働と資本との階級関係の発生と発展、労働者の階級闘争の登場と成長という事実は含まれていないかのごとくです。しかし私たちは、ソ連の国家資本主義の必然性を理解しつつも、それと同時に、またそれと何ら矛盾することなく、この社会に対して徹底して批判的に立ち向かう労働者の革命的な立場をとりうるのだと主張します。
 紹介したもの以外にも興味深い論文、問題のある論文がいくつか収められています。是非ご一読下さい。
(阿部治正)

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連載 ヘーゲル論 B
    プレハノフ著



 折衷と徹底

 前回の最後に、ヘーゲルの思想を観念論だとして一笑に付す人について、だいたいそういう人たちというのは物事を自分自身ではつきつめて考えたことのない人が多いということを指摘した。
 こういう人たちは、「私は観念論者が嫌いだ」といい、なぜかと問うと「観念論者だからだ」と答える。同様に、別の人は「私は唯物論者が嫌いだ」「なぜか」「唯物論者だからだ」という。じゃあ、彼ら自身の世界観はというと、自分では「私はあらゆる偏向から解放されている」といって本人はとんでもなくご満悦の体(てい)であるが、実は、要するに観念論と唯物論との消化不良の混ぜ合わせを吐き出しているだけなのだ。
 これに対しヘーゲルはというと、それがともかくも秀でて見えるのは、少なくともそれが何ら折衷の痕跡を含んでいないということである。
 ところで、それが折衷でなく、ある意味で徹底しているからこそ、その観念論としての誤りがやがてあまりにも目立ってきて、この基礎がヘーゲルという偉人の天才的な思想の運動に狭い制限を加えてしまっていることが明らかとなる。つまり、ヘーゲルの観念論哲学は、皮肉なことに観念論の無根拠に対し最も良い証拠を提供するのである。ここに、われわれがヘーゲル哲学に最大の注意をそそぐべき理由の一つがある。またさらに、こうしてそれはわれわれに、物事を徹底してつきつめることの大切さを教える。かくして、ヘーゲル哲学研究の困難な課業をていねいに注意深くやり通したものは、折衷的混ぜ合わせというものに対し永久に嘔吐をもよおすことだろう。
 われわれは前回、ヘーゲルが世界史というものを「普遍精神の実現」であるとしていることを見た。われわれはもちろん、世界史がそんなものでないことを知っている。が、そのことからは、一国民の政体が人倫に影響し、また後者は後者で政体の方に影響するといった、あのありふれた理屈で満足できるということは出てこないのである。反対にわれわれは、人倫も政体もともに唯一の共通源泉から発生するものだという点においては、ヘーゲルと一致する。ただし、この源泉が何かということをわれわれに教えるのは、ヘーゲルの観念論ではなく、またついでにいっておけばあの折衷論でもない。それは近代唯物論である。

 概念と現実

 さて、ヘーゲルの歴史哲学に具体的に入っていこう。
 ヘーゲルは、ある大きな歴史的民族を特徴づけようとするところに来ると、つねに非常に広範な知識と非常に明哲な眼光とをあらわす。彼は、まことに光彩ある、教えるところ多い特徴づけを提供する。彼はその民族の歴史の実に種々なる方面に通じ、きわめて多くの、きわめて価値ある注釈をふんだんにふりまいていく。
 そこで、読者は恍惚となり、自分が相手にしているのが観念論者だということを忘れてしまう。読者は、ヘーゲルが歴史をあるがままに受け取っているのだと、ヘーゲルは事物を歴史的に経験的に取り扱うという準則を厳密にまもっているのだと決めてかかってしまう。
 だがしかし、ヘーゲルはこの歴史的、経験的方法をいったい何のために用いているか。ほかでもない、「民族精神」なるものの本性を探し出さんがためにである。
 ところで、民族精神とは何か。それは、すでに前回見たように、「普遍精神」の発展における一段階にほかならぬものである。そして普遍精神の本性とは何か。それは、世界史の具体的材料から決定されるものではなく、ある固定した、すでに出来あがっている、完全に自分だけにおさまっているところの概念として、世界史の中に外から持ち込まれたものである。
 かくしていま、以上から次のことが導き出される。すなわち、ヘーゲルにあっては、現実の歴史が普遍精神の概念およびこの精神の発展法則に矛盾しない限りは、歴史は確かにあるがままに受け取られる。けれども、歴史がこの普遍精神の発展の軌道を見捨てて、ヘーゲルの論理学からは予見できないようなものとなってくるとき、そのときには現実の歴史の方がヘーゲルによって見捨てられるのである。

 ヘーゲルのこじつけ

 例えば、インド人、ペルシャ人、エジプト人のそれぞれの宗教的表象をヘーゲルがどう取り扱っているかを見てみよう。
 まずインド人のそれについて、ヘーゲルは言う。「一方において、愛とか天国とかともかくすべて精神的なものを、インド人はその空想的な力によってイメージする。が、他方、思考の産物が感覚的なものとして目の前にあると感じられて、彼らは失神するようにしてその自然物に入りこむ。そこで、彼らの宗教的対象は、人工によって作られた醜悪な姿をしたものか、ないしは自然物である。鳥でも、猿でも、みな生きた神であり、まったく普遍的な存在である。つまりインド人は、対象を知的に明確な形で提示することができない。それができるには、ものごとを反省する力が必要だからである」(『歴史哲学』第一部「東洋世界」)。
 そしてヘーゲルによれば、インドの動物崇拝はインドの民族精神が普遍精神の発展における低い段階を表しているということで説明される。
 では、ペルシャはどうか。そこでは「太陽や、月や、惑星とおぼしき五つの星」」光を発射または反射するこの七つの天体」」が、第一に崇拝される対象だった」(同)。ゆえにヘーゲルにあってはペルシャ人はインド人より高い等級を受け取るのである。
 ではエジプトはどうか。エジプトの「祭式では動物崇拝が主となっている」(同)。つまりインドと同じである。そして「われわれにとっては動物崇拝は嫌なことである。われわれは天体の崇拝には慣れることができるが、動物崇拝はわれわれには異様である」(同)。
 ところが、こういっておきながらヘーゲルは次のように続ける。「しかし、太陽や星を崇拝する民族の方が動物を崇拝する民族より必ず高いというわけではない。いやむしろ逆に考えるべきだ。というのは、動物崇拝といってもエジプト人は、動物世界の中に内面的なものを、不可解なものを直覚するのだからである」(同)。
 なぜか。なぜヘーゲルは、こんなふうに、同じ動物崇拝をインドの場合とエジプトの場合とで区別せねばならなかったか。事実において、インド人が動物を崇拝したやり方とエジプト人のそれとは違っていたのか。
 そうではない。この事情は、簡単に次のことから説明される。すなわち、われわれは前回、ヘーゲルが「世界史とは、精神がみずからを自由だと意識する、その自由の意識の発展過程である。発展はいくつかの段階を踏んでおこなわれ、事柄の概念に即して、自由がこまかく区分される」としているのを見た。そしてこの発展、この区分であるが、ヘーゲルによればそれは、中国、インド、ペルシャ、エジプト、ギリシャ、ローマ、ゲルマンの順で進んで行くとされる。つまり、ヘーゲルにあっはエジプトの精神はギリシャの精神へ到る過渡段階をなしており、つまりヘーゲルの等級分けのなかでエジプトの精神は比較的高い地位が与えられており、したがって彼はどうしても、それを、インドの精神と同じとするわけには、またペルシャの精神より低いとするわけには、いかなかったのである。
 以下でわれわれはもうしばらく、ヘーゲルのこうした苦しいこじつけを見ていこう。
(編集・小川 紀)

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連載 北朝鮮の歴史
    独裁の成立、展開、そして崩壊 @



はじめに

  新聞作りの難しさの一つに、読者からの要求が多様であること、のみならずしばしば相反する要求が寄せられることがあります。
北朝鮮についてもそうで、一方で「『Workers』は北朝鮮を(正確には北朝鮮の独裁者を、独裁体制を)批判する記事をよく載せているが、感心しない。北朝鮮への批判は、韓国や日本やアメリカを利するだけだ。もっと資本主義を批判する記事をそこに載せよ」という声と、他方、「他の左翼の新聞がどれも北朝鮮の現実に口をつぐんでいる中で、『Workers』の告発は貴重だ。頑張れ」という声の両方が寄せられます。
 前者はたいてい「活動家」と呼ばれる人たちのもので、後者はたいてい普通の働く仲間たちのものです。前者の人々からすると、後者の「一般大衆」が上記のようにいうのは誤った「ブルジョア・イデオロギー」に染まっているからで、左翼の新聞はむしろそれに警鐘を鳴らさねばならないのに、『Workers』が逆にこれに迎合しているのはけしからんということになるようです。しかし僕は、すでに本紙で何度も述べてきましたように、むしろこうした古くからの左翼の活動家たちこそ、北朝鮮の体制や現代資本主義に対する誤った認識から出発しており、これが彼らをして北の独裁に対する批判をひかえさせているのだと見ます。つまり、「前衛」だったはずの人たちの方こそ、いまでは「一般大衆」の遥か後方に取り残されているのではないか、と。ゆえに今後も、僕は前者でなく後者の人々の注文と期待にこそ応えるべく努力していきたいと思います。
 ところで、これまで北朝鮮について、『Workers』は主としてその独裁体制の現実を告発してきましたが、ここでさかのぼって、その歴史を振り返ってみるというのはどうでしょうか。またそのなかで、北朝鮮の歴史だけでなく、人間の歴史一般や、社会主義や、国家資本主義やなどなどの諸問題にも寄り道をしていけたらと思います。ただし、初めにお断りしておきますが、調べものをしつつ文章を綴るという自転車操業ですので、毎号連載というわけには行かず、飛び石連載になるかもしれません。ご了承を。

1、ソ連による腎臓国家

左翼の常識

 まず、「朝鮮民主主義人民共和国」というこの国家の成立から。
 周知のように、左翼の常識的な見解では、第二次大戦後朝鮮半島が分断され、二つの国家が成立し、この分断が固定化されていったのはアメリカのせいでした。
 僕も、長年この常識にどっぷりとつかってきました。かえりみて、ソ連というものに何の幻想ももたなくなって以降も、この点では変化がなかったように思います。
 だがそれは、考えてみれば当然といえば当然でした。というのはこの観念は、元々歴史を自分で具体的に調べ、その上で自分なりに下した結論というのではなく、「アメリカ帝国主義」に対する一般的なイメージであって、そこから導いた結論に過ぎなかったからです。したがってソ連に対する理解が変わっても、「アメリカ帝国主義」のイメージはそれとは別ですから、ここから導かれた結論は何の影響も受けなかったというわけです。

 ともあれ、常識的な見解というのはだいたいこんなものでした。
 「アメリカ帝国主義は、一九四五年九月八日、南朝鮮占領と同時に、日本の植民地統治機構をそのまま受け継ぎ、ただちに軍政例を布いた。そればかりか、三八度線を固定化し、南朝鮮各地で侵略的な軍事基地を大々的に建設しはじめた。米軍は、もとより『解放軍』としてではなく、占領するために、朝鮮人が降伏条件に服従するかどうかを監視するために、上陸第一日から朝鮮人の敵として行動したのである」(高昇孝(コ・スンヒョ)『現代朝鮮経済入門』、新泉社、二五頁)。

アメリカとソ連

 しかし第一に、確かに米軍が朝鮮・仁川港に上陸したのは高氏のいうとおり九月八日でした。が、高氏は、ソ連軍が朝鮮に入ったのがそれに先だっ一月も前である八月九日であったことについて口をつぐんでいます。これはおかしい。
 事実は、こうでした。
 「チッソの興南工場本部が、ソ連軍侵入第一報を知ったのは、八月九日未明、阿吾地人造石油工場からの電話連絡によった。成鏡北道、永安工場の芦村工場長の日記によると、『八月九日午後一時ごろ、小型機が永安上空に飛来、照明弾を投下した。十日空襲警報は七回に及び、十一日、清津がソ連軍艦の艦砲射撃を受けた』。阿吾地人石工場の全従業員は、徒歩で南下を開始したが、このときソ連軍はすでに羅津に上陸していた」(大森実『朝鮮の戦火』、講談社文庫、四十五頁)。
 アメリカは後手後手に回りました。
 「四十五年八月八日、ソ連が第二次大戦に参戦してきたとき、アメリカは沖縄に一個師団をもっていただけだった。ソ連軍が朝鮮半島を一気に南下して朝鮮全土を占領しようとした態勢に対して、アメリカは、どこかで一戦を引き、南下をくい止めねばならなかった。兵力を結集し、海、空から朝鮮に投入せねばならなかった。だが、対日戦争の結集がアメリカの予想以上に早すぎたため、アメリカは完全に虚を衝かれた」(ジョン・ガンサー『マッカーサーの謎』、同前より重引、四五頁)。
 第二に、もう一点
 上記のように高氏は「アメリカ帝国主義は、日本の植民地統治機構をそのまま受け継ぎ…」としているのですが、確かにこれは事実でした。すなわち、「ホッジ中尉は、南朝鮮に進駐すると、ソウルで記者会見をおこなったが、ここでまことに愚かな発言をした。阿部信行総督以下、朝鮮総督府の日本人官吏の留任を発表したのだ。ホッジの頭の回転は、おそらく、マッカーサーが日本でやったことを真似さえすればよいと思って、間接占領方式をとろうとしたのであろうが、これは朝鮮人民の民族意識を逆なでする行為であった」(同前、四九頁)。
 しかし高氏は、次の点に口をつぐんでいます。これまた、公平ではなく、歴史に対する僕らの理解をさまたげるものではないのでしょうか。すなわち、「ホッジは、阿部留任発表の三日後(九月一二日)には、発表を取り消して、阿部総督らを解任せねばならなかった」(同)。
 ともあれ、以上から明らかなように、ヘゲモニーを握ったのはアメリカではなくソ連でした。

「ソ連=解放軍」?

 ソ連の意図はどこにあったのでしょう。
 自分の衛生国家、かいらい国家づくりでした。
 先の高氏の叙述を読むと、その底にあるのは「アメリカ=悪」「ソ連=善」という図式で、これまた氏に限ったことではなく、かって多くの左翼に共通した捉え方でしたが、しかしいまでは、旧ソ連が野蛮な帝国主義国家であったことはもはやあきらかではないでしょうか。詳細は省きます。
 したがって、高氏は「米軍は解放軍ではない」と言い、あたかもソ連軍が解放軍であったかのように言うのですが、僕らは言わなければならないのでは。「米軍もソ連軍も解放軍ではなかった。両軍とも、朝鮮に自分の都合のよい、自分に従順な国家をつくるために進駐し行動したのだ」と。
 具体的に見てみましょう。
 まず、兵士たちの振る舞いからしてソ連軍はおよそ解放軍とは似ても似つかないものでした。
 「占領軍として北朝鮮に乗りこんできたソ連の評判はかんばしくなかった。かれらは、みさかいない略奪や強姦をほしいままにした。旧日本軍が朝鮮のいたるところにつくった防空壕の中から女の悲鳴が聞こえ、朝鮮人たちは『ああ、またか』と耳をおおってその場を足早に立ち去るというのが日常茶飯事であった。助けに駆けつけて射殺された者もいた」(萩原『朝鮮戦争――金日成とマッカーサーの謀略』、文芸春秋社、五九頁)。
 また、ソ連は旧日本工場の機械類などを大量にソ連に運び去りました。
 「清津では、日本製鉄所その他の工場の設備機械等の一部を運び去り、日本高周波城津工場では、工場運営に必要な程度を残して、工作機械や部分品、製品を運び、佐川日鉄鉱業所から倉庫にあった機械器具、事業用品を運んだ。日本高周波城津工場で撤去をおこなうとき、気概のある工場長(双浦人民委員会長・金采俊氏)は、『これ以上運ぶなら私を殺してからやってくれ』とソ連兵の前に立ちふさがり、その搬出をくいとめたと伝えられている」(森田芳夫『朝鮮終戦の記録』、同前より重引、六一頁)、等々。
 しかし何より深刻な結果をもたらしたのは、ソ連軍による二十万トンのコメの供出命令でした。二十万トンというのは、当時の北朝鮮の年間産米高の四分の一に相当する莫大な量です。
 しかも、「当時ソ連軍が何人駐留していたか、公式の統計はない。十三万人という説も二十万人という説もある。しかし仮に最大二十万人いたとしても、一人一日七百グラム(当時の朝鮮人の配給量、三合)食うとして、二十万人ではせいぜい年間五万一千トンの消費である。その四倍もの二十万トンも取り上げた目的は明白である。本国への搬出である。ソ連国民に食わせるために朝鮮人を犠牲にしたのである。ソ連軍は解放の恩人どころか、ただの略奪者にすぎなかった」(同前、六四頁)。

かいらい金日成

 当然、ソ連に対する朝鮮人民の反発は日に日に高まっていきました。
 ソ連はもちろんそれを察知します。
 かくして、ソ連が思いついたのが、巧妙にも、直接自らを前面に現すのではなく、朝鮮人を、しかも朝鮮人民の伝説的英雄、「金日成(キム・イルソン)将軍」を押し出すことでした。
(小川 紀)

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連載 ビルマの人権侵害 K


世銀とアジア開発銀行の動き

 前号ではIMFと世界銀行がすでにビルマ軍事政権SLORC(国家法秩序回復評議会)への融資の準備をしていることを述べた。 世界銀行はすでに全面的な構造調整プログラム(SAP)を完成させており、SLORCとの取り引きの準備を行っている。さて世界銀行は、IMFが当該国と経済改革について討議・調整をしたあとで入るという基本的ルールを持っている。一九九五年十月にSAPを提出した世界銀行は、今回はそのルールを無視したわけである。
 他の例外としては一九七〇年代にブラジルに対して行ったものがあるだけである。その結果は惨澹たるものであった。幸いなことにその時のプロポーザルは外部に知られることになり、世界銀行はIMFの動きを待たざるを得なかったという経緯がある。
 いったんIMFスタッフ・モニタリング・ミッションがSLORCの経済改革を承認すれば、世界銀行は何百万ドルものプロジェクトを立ち上げることになるのである。
 さてアジアの地域銀行として日本が主導するアジア開発銀行(本部マニラ、総裁佐藤光夫)がある。
 一九六三年に設立されたこの銀行はアジアの開発を主目的としたものであり、世界銀行のシステムを真似しているが、IMFのような機関は併設していない。 総裁は歴代日本人が勤め、日本の発言権が最も強いのだが、日本には支社がないのでその実態を調べるのに困難が伴う。
 同銀行は一九八八年の民主化弾圧以前から、ビルマでインフラ整備を行っており、国際社会の融資撤退を尻目に残りの作業の完成作業を今でも続けている。
 最近では一九九五年十一月にビルマにミッションを送り、海外投資担当の大臣であるデイビッド・エーベルおよび他のSLORCの将軍たちと、新しいSLORC政府と合同のインフラ整備計画について討議したと言われている。
 一九九六年三月にはアジア開発銀行ミッションが公式にビルマを訪問し、視察およびリコメンデーション作成を行うことになっている。
 一九九六年四月にはアジア開発銀行理事会が開催される。そこにプロジェクト推進案を提出するためのスケジュール調整と考えていいだろう。つまりミッションは単なる見せかけの調査であり、アジア開発銀行スタッフによる提案はすでに作成されていることを示している。アジア開発銀行がSLORC政府と取り引きする舞台は整ったといえる。

どうやって阻止するか

 国際開発金融機関がSLORCを支持していることは明確である。さらに日本の外務省職員も口ではビルマの民主主義不在を語るものの、心の中では、SLORCを支持している。
 かつてビルマ担当の外務省職員が私にこう語ったことがある。
「国民の大部分がアウンサンスーチーさんを支持していたのは一九九〇年の時の話です。ビルマを訪ねてみればわかることですが、支持者はごく一部です」
 つまり、この職員はSLORC訪問を重ねるうちに将軍たちに洗脳されてしまっているのである。もちろんヤンゴン訪問で外務省の職員を迎えるのは、庶民には手の届かない高級車と立派なホテルであり、忙しくて庶民と口を聞く暇などないだろうし、将軍たちもそういった機会を作ることはしないであろう。世間知らずの若い職員が洗脳されたとしてもいたしかたがない。しかし外務省職員はわれわれの非雇用者である。SLORCのいうことではなく、われわれの言うことを聞いて欲しいものだ。
 もちろんビルマを不法占拠しているSLORCには国民から税金を徴収する権利がない。さらに膨大な金を軍備に消費している。これらの事実を国際金融機関や日本外務省に納得させねばならないのだが、経済開発にばかり目が向いている彼らは聞く耳を持たないようだ。
 しかし時間的には猶予がない。もし納得させられないとしたら、政治的な圧力を行使するしかない。
 まず、IMFが国際開発金融機関の鍵を握っている以上、われわれはIMFに注目しなければならない。すくなくともG7諸国のうち二ないし三カ国をアメリカと共にIMF理事会で反対票を投じるために確保しなければならない。さらに考えられる方法はアメリカ議会内の議論を白熱化させることである。つまりアメリカが国際開発金融機関への重要な貢献国であることを強調し、根無し草の国に企業が投資することよりも、アメリカの財政支持のほうが重要であることを国際開発金融機関に理解させることである。
 そのためにもG7諸国の中で、国際開発金融機関は民主的ではなく官僚的である、市民のことなど考えていない、という議論が持ちあがるようにしていかねばばならない。国際開発金融機関は西側政府の言う事しか聞かないからである。
 アメリカのIMFウォッチャー、フィリップ・ロバートソン氏は、ビルマへの融資にストップをかける作戦として次のものを提起している。
@アメリカ政府へその政策を支持することを伝え、同時にビルマへの国際開発金融機関の関与を拒否する政策を維持するよう働きかける。
Aアメリカの下院金融委員会および上院財務委員会の重要人物と接触し、彼らを励まし、さらにG7諸国のワシントン駐在大使たちに事情を説明する。そのためにはSLORCによる人権侵害と強制労働の情報を詳しく伝える必要がある。
Bヨーロッパおよび日本の活動家は国会議員および政府関係者と面談し、IMFスタッフ・モニタリングが阻止されなかった経緯を説明する。アウンサンスーチーさんが今はビルマへ経済投資する時期ではないと何度も明言していること、一九九〇年の選挙によって選ばれた当然の代表であり、ビルマの人々が彼女を支持し続けていることを尊重すべきであることも説明する。 ヨーロッパおよび日本はその政策を変更すべきであり、どのような行動でもこの際有効であろう。まずヨーロッパがIMFと世界銀行を意識することに集中し、日本の活動家はアジア開発銀行がビルマへの投資を拡大しないようにモニターすべきである。日本はアジア開発銀行の株の大部分を保有しているのでこれは重要 事項である。さらに日本の活動家はIMFともコンタクトすべきである。日本は大きな投票権を持っているからである。 CSLORC政府がその予算の大部分を消費している軍事費に関する情報を増やす。
 一九九五年十月にSLORCがIMFに提出したデータによれば、おおざっぱに見て軍事費支出は総予算の五〇%を越えていると思われる。世界銀行は開発を趣旨とする銀行であるが、この数字をどう考えるのだろうか。SLORCが中国、ロシア、シンガポールなどから武器を購入するために、人々の健康や子どもの教育を犠牲にしていることは明白ではないか。これが開発なのだろうか。 
DIMF、世界銀行、アジア開発銀行のビルマに対するプロジェクトをできるだけ多く大衆に伝える。まず一九九五年十月二十日のIMF理事会の声明についての情報を探す必要がある。その他の報告書や情報も見つけ出して公開する必要がある。ビルマ問題がドアの向こうで論議されているとしたら、われわれのハンディーは大きい。したがって、それらの文書に掲載されていることを公開させる努力をしなければならない。
 たとえばSLORCの恐るべき人々の扱いの様子などが掲載されているかも知れないからだ。
(つづく)

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コラム 色鉛筆   娘のアルバイト

 希望する大学に合格し、娘は今始めてのアルバイトに通っています。二四時間営業の牛丼の「○○○屋」と言えば皆さんもご存じでしょう。駅前の店舗とあって朝と夜は、通勤客で流行ってるそうです。
 採用時、娘はまだ一七才なので親の承諾が必要と、わざわざ店長が電話をしてきました。結局何かあれば親の責任と言うことなのでしょうが、なかなかきっちりしているんだなと感心していました。
 ところが、しばらく通っているといきなり、朝八時から夕方五時までという長時間になったり、夕方五時から夜一〇時という遅い時間になってきました。そして、なんと夜一一時までと時間を伸ばしてきたのです。
 未成年でしかも女性であると分かっていて、何の配慮もない。夜一一時となると夜間労働になるはず、女性の夜間労働も規制はなくなったけれど、未成年は禁止されてはなかったか? 私は腹立たしさを感じながら、あれこれ考えていました。私「お母さんから店長に言ってみようか?そんな遅い時間やったら辞めさせますって。」娘「でも他の人もその時間で働いているからなあ。他の人にしわ寄せが行くのは悪いけど、一一時は無理なこと店長に言ってみるわ。」そんな話をしながら、私は自分自身のアルバイトの経験を振り返っていました。私は高校の時、朝の早い市場、昼間の食堂、電機関係の工場など色んなところでバイトをしました。しかし、私たちの頃は幸いに二四時間営業なんて無かったから、そんな心配はしなくて良かったのです。「教育と労働の結合」というほど大層なものではないけれど、私は以前から娘にバイトは勧めていました。けれど、こんな問題にぶつかるとは予想もしていなかったのです。
 バイトの入れ代わりの激しい 「○○○屋」で夜一〇時までという約束で続けることになった娘の初バイト。いつまで続けるか分からないけど、労働力の売手としての権利を持ち続けてほしい、そして労働条件が合わなければ辞められるだけのクールさも。私自身も考えさせられた我が家の出来事でした。
 二四時間営業は便利だけど、そこでは働き手が、体の無理が効く若者に集中していること。ここには低賃金で使い捨てが、堂々と通用するのでしょう。夜間労働もやはり、社会的な問題として捉える必要があるようです。
(恵)

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冗談瓦版


冗句

         ウメ星

啓蟄
腹の虫がおさまらん!
     ――怒れる国民


薬害
ハナグスリ漬けになっているな
        ――国民


川柳

         乱鬼流

虚偽報告ミドリ十字が青くなる


対決という八百長の落ちどころ


責任はどこにもないがツケはあり


官僚の舌血税の血で赤い


世直しへ一揆一気に野火となれ

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連載 老人福祉の現場から F
    お寒いヘルバー派遣時業


 地域福祉政策の中で要援護老人対策の中でいわゆる「在宅三本柱」としてホームヘルパー派遣事業、ショートステイ事業、デイサービス事業を位置づけ積極的に導入を図っています。今回と次回はこのホームヘルプサービスについて書いてみたいと思います。
ホームヘルパー派遣事業の先駆は一九五六年に家庭養護婦派遣事業で、在宅福祉サービスの中では最も古いものの一つです。しかし当初は「要保護老人世帯」を対象にして行われ、六五年に「低所得の家庭」に広げられられたに過ぎませんでした。八二年になり従来の所得要件を無くし、派遣の必要な全ての世帯を対象にしました。またそれと同時に負担能力に応じた費用負担制度を導入しました。
 この施策は原則的には、心身に障害があるために日常生活を営むのに支障がある六五歳以上の老人を対象とし、老人本人または家族が介護サービスを必要とする場合にホームヘルパーを派遣して日常生活の世話を行い、老人が健全で安らかな居宅生活を営むことができるようにするためにのものです。
 具体的な仕事内容は、調理、選択、掃除、買い物などの家事援助と食事、着替え、排泄、通院等の介護等の身体介護と相談援助等があります。サービスを提供する運営形態としては市町村の他に社会福祉協議会や福祉法人、シルバーマークの交付を受けている企業等があります。
 サービスの量としては一日四時間、一週六日、一週あたり延べ一八時間を上限とされています。しかしこれは法的な規制ではなくあくまでも目安です。一般的には週に二回というのが一番多いのではないでしようか。
 九十四年にだされた新ゴールドプランでは九十九年までに十七万人の整備目標を上げています。しかし九十五年の全国雇用者は七万一七八三人にしか過ぎませんこれは前年度に比べ一万三千人増加はしていますが目標値に比べはるかに低くなっています。
 また利用状況を調査でも利用要望者と実際の利用者数を比較してみると利用倍率は一二・一%となっています(「健康・福祉関連サービス需要実態調査」(九一年十月))。つまり十二・一人が必要としているのにその内の一人にしかサービスが提供されていないことを示しています。現状ではサービスの絶対数が全く不足していることを現しています。
 しかしこれは、仕事に就きたがっている人が少ないための結果ではありません。各都道府県にある福祉人材センターでは、求職者が求人数をはるかに上回っている状態が続いています。私たちのまわりでも、ヘルパーになりたいがなかなか仕事がない。又仮にあっても給料があまりにも安すぎて生活ができない。等の話をよく聞きます。
 厚生白書には「新ゴールドプランにおいては、全ての高齢者が心身の障害を持つ場合でも尊厳を保ち、自立して高齢期を過ごすことのできる社会を実現していくため、高齢期最大の不安である介護問題について、介護を必要とするだれもが、自立の必要なサービスを身近に手に入れることのできる体制を構築することを目標にして@利用者本位・自立支援A普遍主義B総合的サービスの向上C地域主義の基本理念を揚げている。」この言葉を現実のものにするために私たちの厳しい行政に対する監視が必要であると痛感しています。
(Y)

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「丸木位里 俊とニューヨークの中国人画家が描いた南京1937展」

 一九八二年、日本の教科書検定で「侵略」が「進出」に書き換えられました。このとき、これがきっかけとなって、ニューヨークに住む中国人画家たちは日本の中国侵略の象徴的事件としての南京大虐殺をテーマにした絵を描きはじめたといいます。それが今回、神戸にやって来ます。
 同時に、日本人画家、丸木位里・俊夫妻の「南京大虐殺の図」も展示されます。夫妻はかつて「人として忘れてはならない歴史がある」としてこう語りました。
 「一九七○年に原爆の図を持ってアメリカに渡りました。ロサンゼルスの近くのカリフォルニア州立工科大学に行ったときのことです。『例えば中国人の画家が、日本がおこなった南京大虐殺という絵を描いて日本へ持って行ったら、あなたはどうなさいます』とある大学教授は言いました。ちょうどその頃はベトナム爆撃が盛んにおこなわれていました。ソンミの虐殺もその頃でした。私たちはアメリカで南京大虐殺のことを聞こうとは夢にも思いませんでした。一九三七年、日本侵略軍に虐殺された人々は、南京だけで、広島・長崎の犠牲者に匹敵する大虐殺であります。放火、強姦、最後にはすべて殺害して捨てたのです。ありとあらゆる惨劇がくりひろげられたのであります」。
 関西の皆さん、ぜひ足を運んでください。
 また、朝日新聞によれば、昨年、この中国人画家の一人、郭培育さんによって東京都内に「南京大虐殺美術館」というのがつくられたそうです。首都圏の皆さん、ぜひ調べて、訪ね、本紙に報告をお寄せください。お待ちしています。
(きくえ)
日 時 4月24日〜5月5日
場 所 神戸・王子市民ギャラリー(王子動物園西隣、県立美術館向かい) 
連絡先 078・851・2760(神戸学生青年センター)

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地声人歌

学びたることのおほかたは忘れつつ
貝の如くに過ごす勤めか
            布川 淑子

 正月に「男はつらいよ」を観ました。寅の甥の満男は、大学を出て、靴の卸会社で働いています。山田洋二はその満男にカメラを向け、何分間かずっと彼の姿を追いました。小売店を訪ね店の人に頭を下げ箱から靴を出して並べていく満男。雑踏の中で黙々と続けられる作業。一軒が終わればまた次の店へ……。さて四月、新しい満男たちはこの現実に放り込まれ、どんな眼をこの社会に向けてくれているか。


須山公美子 反戦歌ライブ ご案内A

 須山さんの5・19反戦歌ライブの選曲が進んでいます。前回紹介の「原子爆弾のジャヴァ」、「赤いメロディー」に加えて死んだ男の残したものは」と「イマジン」が歌われることになりました。
 「死んだ男の残したものは」の作詞は谷川俊太郎さん、作曲は先日亡くなった武満徹さんです。武満さんが亡くなるすこし前に石川セリさんが武満さんの曲を歌った。『翼 武満徹ポップ・ソングズ』というCDアルバムを出しましたが、その中にもこの歌が入っていました。高石ともや、森山良子、倍賞智恵子、岸洋子…ホントに色々な人がこの歌を歌っています。『Workers』読者には高石ともやさんの歌に思い入れのある方が多いかも知れませんが、「オレは高石ともやのしか聴かん」なんて言わないで、須山公美子さんの「死んだ男の残したものは」をぜひ聴いてみてください。ライブのあとは「須山公美子の『死んだ男の…』じゃなきゃヤダ!」に変わってしまってるかも知れませんよ。

   ◆ ◆ ◆

 そしてジョン・レノンの「イマジン」です。学校現場ではちょうどこの時期は卒業式、入学式での「日の丸・君が代」の掲揚・斉唱をめぐって教育労働者の様々な闘いが展開されました。僕の職場でも議論があったんですが、「イマジン」のことを話せばよかったと後で思いました。だって、こんなふうに歌われているんですから。

 国なんかない世界を思い浮かべてごらん
 むずかしいことじゃないさ
 何のために殺したり 死んだりすることがなく
 宗教もなく
 平和に人生を生きてる人々を
 思い浮かべてごらん

 国家意識を何とかして刷り込もうというのが「日の丸・君が代」教育なら、「イマジン」はその対極。そこでは〈国なんかない世界を〉と歌われているのです。歌のうたえる方は職員会議で歌ってみてはいかが? グンと効果的だと思いますよ。
 で、職員会議で歌うためにも、五月一九日は反戦歌ライブへ行きましょう。須山さんの「イマジン」を聴いて歌い方を研究しましょう。
(椎原一夫)

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