雲行き怪しい「介護保険制度」
あまりに貧弱な厚生省案
介護の社会化の要求を突きつけよう



 政府は来年度をメドに「公的介護保険制度」の導入をめざし、老人保険審議会の作業を進めてきたが、財政負担や責任のあり方をめぐって、経済団体や市町村等の対立が激化し、来年度の導入は事実上困難になってきた。

敵を見誤っている共産党

 共産党系の医労連等は「介護保険は危険」というキャンペーンを張り、あたかも介護保険制度を葬ることが国民の利益を守るかのような宣伝をしているが、事態を完全に見誤っている。
 なるほど厚生省の介護保険制度の案は、あまりに貧弱なものであり、その背景には社会保障費の抑制圧力があるのは事実だが、財界や市町村の各論反対の圧力は、その貧弱な厚生省案さえ押し潰し、介護の重圧にあえぐ多くの人々を放置するものであるということこそが問題とされなければならないのだ。労働者が糾弾すべきは、介護保険制度潰しに出ている大資本であって、介護保険制度創設の動きそのものではない。
 「介護保険反対」の急先鋒に立つ医労連に対して、「本家」の共産党は沈黙して様子見をしているように見えるが、そうした態度自体、介護保険に賛成・反対「どちらの政策の方が国民受けするか」を天秤にかける政治主義的な体質の現れではないか。

「介護保険」潰しの策動と闘おう

 労働者は、厚生省の貧弱な「介護保険」プランを厳しく批判しつつも、しかし介護保険そのものを潰してしまおうとする財界・独占資本や財政当局の策動に対して、より厳しく闘いの矛先を向けていかなければならない。
 介護を要する高齢者の数は年々増加し、「介護のために仕事を辞めなければならない」「老夫婦がお互いに介護しなければならない」事態が広がり、介護疲れによる自殺、心中、果ては「親殺し」といった悲惨な事件が後をたたない。
 介護を家族の負担から社会の分業に移すことは緊急の課題であり、介護保険制度が介護の社会化への一歩前進である以上、(あるいは「半歩」でしかないとしても)、経済団体等の抵抗で制度が遅れていることは許されないことである。

あまりに貧弱な厚生省案

 もちろん、厚生省の案(老人保険審議会の案)は、「介護の社会化」というには、あまりにも不十分で貧弱である。しかし、労働者は「だから介護保険を導入するな」と反対するのではなく(それは事実上は、もっと貧弱な現在の「福祉」制度の現状を温存することになる)、もっと有利な制度に近づけるため労働者の具体的な要求を強く突きつけて闘うことである。
 第一に、資本に保険料を負担させる事である。厚生省案は遠慮がちに「労使折半」を主張し、日経連はそれすら「負担する理由がない」と認めない姿勢だ。資本の保険料逃れを断じて許さない闘いをストライキも含めて組むべきだ。
 第二に、介護の対象を「六十五才以上」に限定する事に反対する。高齢者であろうと若い人であろうと、障害を持つ人はすべて対象とするよう要求する。
 第三に、「家族手当」の支給には反対する。これは、家族による介護を固定化することにつながる。また「家族手当」は介護の負担軽減にはならず、かえって家庭内の老人を「家族の収入の手段」と見る非人間的関係すら生み出す心配がある。(現在でも老人をホームにあずけっぱなしで、ろくに世話もせず、そのくせ年金は引き取りにくる、というのが今の「家族」の実情なのだ。)
 第四に、介護保険と連動して、医療機関を介護施設に転換する動きがあるが、これはクセモノだ。現在のような「寝たきり」温存の老人病院の現状をそのままにして、介護施設と名を変えても何の解決にもならない。(この点に限って言うなら、医労連等が介護保険制度に危機感をもつのは現実的な理由があるのは事実なのだ。)介護施設にしろ医療機関にしろ、介護も医療も十分保障させるよう闘う必要がある。
 いずれにせよ介護保険の問題で、労働者はもっと議論すべきだ。医労連の言うように「介護保険を阻止する」のが正しいのか? それとも「介護保険は断固実施させる」のが正しいのか?現実的にどちらが「公的介護システムの前進」になるのか? について。
(社会保障を問い直す会・S)

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「住専問題」の意味するもの


 なぜ「住専問題」で労働者人民が怒るのか。それは単に「税金で損失を穴埋めするのが筋違い」というだけではない。もっと怒りの根は深い。
 何度となく訪れた「高度成長」の時代、労働者は「会社のため」というお題目で、長時間労働、過密労働、休日出勤等、まさに「働き蜂」になって身を粉にして働いてきた。おかげで企業は国際競争力をつけ、アジアにヨーロッパにアメリカに商品を洪水のように輸出し、莫大な利益を上げることができた。
 しかし、資本の法則とは皮肉なもの。輸出の増大は「輸出国通貨の需要」を呼び、円高が進んだ(これだけが原因ではないが)。その結果は、資金の急激な集中により土地や証券の高騰をもたらし、資産家は「物作りより投機」に走り、バブル経済を引き起こした。一方、産業資本は「安い労働力」を求めて、工場をアジアに移転し、国内では「産業空洞化」がおき、労働者は「リストラ」の嵐にさらされることになった。
 一生懸命働いても、労働者はちっとも報われないのがこの社会であること、労働が生み出した価値は、すべて資本家の手でもてあそばれ、バブルとなってどこかへいってしまうのがこの社会であることを、我々は今回の騒動で身にしみて知らされた。
 「バブルの崩壊」と共に、資本主義社会の矛盾は「金融システムの危機」となって爆発した。「住専問題」に象徴される「巨大な貸し倒れ」の処理をめぐって、大蔵官僚、政治家、大銀行、農協、果ては暴力団までがからんで、責任のなすりつけ合い、負担の押しつけ合いで、醜い争いを繰り広げている。
 あらゆる人々が腐敗堕落している情況、その根源は「実態経済と虚の経済の矛盾」であり「価値と労働との矛盾」である。私たちは、この矛盾を、社会の生産関係を根本から変革することによってしか解決することはできない。労働者による共同生産の社会、働く者が搾取されない社会を実現するまで、労働者の怒りはおさまることはないだろう。     (M)

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長時間労働と人員削減もたらす「看護二交代制」の導入反対


 看護労働者、医療労働者の皆さん。五月十一日の「看護の日」にちなんで、「看護婦の地位向上」や「労働条件の改善」を求める集会や催しが行われています。医療労働者の闘いで、「看護婦確保法」や「基本指針」が制定されましたが、未だに「ニッパチ(複数夜勤・月八回以内)すら守られない」職場が大半という情況です。その上、厚生省は人員抑制を目的に「二交替制」や「夜勤専従制度」を導入しようとしています。また「療養型病床」への転換を機に、看護婦を削減し「介護職員」(看護補助者)に切り替えようとしています。看護の合理化に反対し、大幅な増員を要求して、すべての職場で闘いを前進させましょう。

■深夜の長時間労働は健康破壊の原因だ

「二交代制で楽になる」って本当?
 「準夜と深夜をまとめてすれば夜勤回数が半分になる」「慢性期の病棟なら無理なくできる」等の理由で、一部の病院で十六時間勤務の「二交代制」(注1)が導入されています。しかし、職場からは「慢性期の病棟でも深夜の容体急変が多く、少しでも楽ではない」「長時間勤務で疲れが取れない」との訴えが出ています。

次は「夜勤専従者制度」も

 また「病棟全体の夜勤回数を八回に抑えるため」という理由で、特定の看護婦に夜勤ばかりさせる「夜勤専従者制度(注2)」も一部で導入されています。一年交替のローテーションで一人が夜勤専門になるとか、昼間看護学校に通う准看護婦を嘱託で雇うとか、いろいろですが、いづれにせよ健康に悪影響が出ています。

「当直制よりはまし」と言うが

 他方、小規模病院や有床診療所で「当直制(注3)」が行われている場合は、二交替制にすれば「少しは前進」といえなくもありませんが、勤務の実態は殆ど変わらず、呼び名が変わっただけです。二交替制を固定化せず、早急に増員させ、八時間三交替制にもってゆくべきです。

「三交替がベストじゃない」というなら

 「二交替制は長時間労働で悪いというが、八時間三交替だって夜勤回数が多くて、生活のリズムが狂う」という声もあります。しかしそれは「三交替で準夜と深夜を分けるから」ではなく「ニッパチも守れないギリギリの人員」で回しているからです。夜勤回数をもっと減らし、なおかつ週の労働時間を減らし、もっと余裕のある勤務形態にするべきなのです。「人員を増やして六時間四交替制にすべき」という意見もあります。深夜の長時間労働は健康破壊の原因です。「二交替制」の導入には断固反対しましょう。

夜勤は月六回以内に、週労働時間は三十五時間以内に

 健康に負担をかける夜勤は、より多くの人員が担い、一人当たりの回数をできるだけ少なくすることが必要です。今のような「ギリギリの八時間三交替制」は見直し、夜勤は「月六回以内」に減らし、週労働時間も一般の労働者が「週四十時間以内」なら、夜勤に従事する交替勤務者はさらに「週三十五時間以内」に減らすべきです。もちろん、「ニッパチ」や「週四十時間」すら守れていない職場では、早急に人員増を行ってこれを守るよう要求するのは当然の事です。

■より多くの人員でより少ない夜勤回数を

「妊産婦の夜勤免除」と「中高年者の夜勤軽減」を

 一部の病院では「看護料の加算を取るため(注4)」に妊産婦んお夜勤免除を認めないとか、「夜勤ができない人は辞めてもらう」と外来に回したり、退職に追い込んだりしています。女性が病棟に勤務しながら長く働き続けられるよう、妊産婦の夜勤免除を徹底させ、また年令や体力に応じて夜勤回数を軽減するしくみを認めさせましょう。

救急病棟は四人夜勤を

 救急病棟やICU(集中治療室)では、三人夜勤、四人夜勤が必要ですが、経営者は「看護料は2対1までしか取れない(注5)」「夜勤のために増員すれば日勤がダブつく」等と、夜勤を月九回にしたり、夜勤専従者を入れたり、「夜勤の人員を厚めに配置した分で外来を応援する(助勤)」等しています。しかし、夜勤が忙しいという事は、手のかかる患者が多いからであり、それだけ日勤にも人手がいるという事で増員をしない理由にはなりません。

「療養型」での人員削減反対

 高齢患者の多い病院では、「療養型病床(注6)」への転換を理由に、看護婦の削減と「介護職員」(看護補助者)の導入が行われています。しかし、療養型であっても看護婦が複数で夜勤に従事する事は必要であり、むやみに人員を削減することには反対しなけらばなりません。

訪問看護にも十分な人員を、「付添い廃止」は増員で

 訪問看護を始めたものの「外来の看護婦が、手のすいた午後に行ってもらう」と増員しない病院。「付添い看護を廃止した(注7)」が看護婦をまともに増員せず、かえって労働強化を招いている病院・・。人件費抑制の論理に負けず、増員を要求しましょう。
 高齢社会に看護労働者の数はまだまだ不足です。あらゆる部門・領域で、看護労働者・医療労働者の団結を強め、増員・時短・夜勤の軽減めざして闘いましょう。
    (医療労働者 S)

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ナースの闘いに共感
福祉職場の夜勤のひどい実態



 今年も日比谷で開催されているナースラリーにビラ撒きに行ってきました。昨年はこの時撒いたビラを読んで新たに『Workers』の読者になってくれた労働者もいました。
 午前中は大雨で、今年はこんな天候のなかデモ行進をするのかなと、心配していましたが夕方には晴れました。私たちが配るビラを皆快く受け取ってくれ、「頑張って下さい」、「ご苦労様です」とか声を掛けてくれます。渡したビラもその場で熱心に読んでくれています。
 このビラは『Workers』の会員で医療労働者である、S氏が書いたものです。私自身は特別養護老人ホームに勤めていますのでこのビラで訴えている「「看護二交代制」の導入反対」の内容には強く共感しています。
 私の職場では夜勤業務は午後五時から次の日の午前九時までの十六時間勤務です。この時間帯は看護婦もいません。五十人のお年寄りを二人で介護します。途中仮眠時間が一時間半ありますが、特別に仮眠室を設置している訳ではありません。ナースコールが響きわたるなかで身体を横に出来る時間でしかありません。
 このビラで書かれているように、深夜の長時間労働は健康破壊を確実にもたらします。毎日早出、遅出、日勤と勤務時間が違う上に、毎週回ってくる夜勤で生活のリズムが狂ってしまい「ボーとした状態」が慢性化してしまっています。また「十六勤は嫌だけれども二日分の勤務になるから」と肯定的な意見を言う同僚もいますが、これも日中の業務が余りにもハード過ぎるということを証明しているに過ぎません。如何に二日分の勤務だと言っても十六時間の夜勤の緊張は言葉には表せません。
 前回の夜勤でも急にお年寄りの状態が悪くなり、一緒に勤務している同僚は私がたまたま仮眠休憩中で横になっているので、自分一人でぎりぎり迄対応してみようと思い、必死で検温、血圧測定、マッサージ、酸素ボンベ使用等々、の対応をしました。休憩時間を終わり勤務に就いた私を見て、彼女は半べそ状態になってしまいました。彼女にとって一人で対応するしかなかったこの一時間半がどれほど長く感じられてことか、緊張と不安感で何度泣き出しそうになったことか。そのお年寄りはどうにか朝方まで状態を維持させ、夜勤終了とほぼ同時に緊急入院となりました。このようなことは特にめずらしいことではありません。
 十六勤の緊張が拷問のようにのしかかって、仕事を辞めてしまった同僚や、夜勤の入りになると心臓がドキドキして、不整脈が出てきたりする人もいます。深夜の長時間労働は健康破壊をもたらすだけでなく、精神的にも労働者を追い込んで行ってます。
 また十六勤が当たり前の職場では、経営者側に好都合の夜勤が出来ないものはこの職に就くのが間違っていると言う雰囲気を作り出します。先日も母子家庭でまだ子どもが保育園児なので夜勤が出来ないと言った同僚が非常勤にさせられてしまいました。
 ビラを配りながらこのような現場の労働問題を共に話し合い、共闘していきたいと強く思いました。

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安保・沖縄問題
「極東の要石」の枠越え,自由に使える基地も停める米国



フィリピンでの基地撤去

 沖縄の基地問題は日米安保の問題であり、日米安保は日米のブルジョアジーの軍事同盟です。この同盟は双方のブルジョアジーの利害と思惑の上に成り立っています。米国は日本の他に世界の四〇ヶ国と軍事同盟関係を結んでいます。北大西洋条約機構(NATO)の加盟国を加えると五二ヶ国に達します。
 同盟関係と言っても日本のブルジョアジーが考える重要さと米国のブルジョアジーが考えている重要さとは根本的に異なっており、区別して考える必要があります。ですから米国にとって日米安保はどれだけの重要さがあるのかが基地問題を考える上で重要なポイントになっています。
米国にとって日米安保が五二分の一の重みでないことは明かです。五二分の一の重みであれば基地問題はとうの昔に解決していたと考えられます。
 米軍基地の無いフィリピンの場合は米比相互防衛条約は存続しているものの九一年六月にはビナトゥボ火山の噴火によりクラーク空軍基地からの撤退が開始され、九二年一一月のスービック海軍基地からの撤退が最後で米軍の基地は無くなっています。
 フィリピンの基地撤去の背景にはマルコス政権崩壊の過程で高揚した民族主義が背景にあったといわれています。「基地は独立後も続く『占領状態』の象徴とみる民族主義のうねりがあった」(九六年三月一七日朝日新聞)そのためヒィリピン上院は九一年九月に新基地条約の批准を否決せざるをえませんでした。
 米国内での国防費削減の方針も基地撤去に拍車をかけました。日本では「思いやり予算」を始め在日米軍が必要とする経費の七〇%(6、257億円)を負担しているのにフィリピンでは基地を置く見返りとして年間二億ドルの軍事援助をしていたことも見逃せません。
 「極東の安全」大儀名分の観点からはフィリピンからの基地撤去は考えられません。しかし現実に基地が撤去され沖縄の全米軍基地と同じ広さの約二万四千fの土地が「工業や観光の拠点としてかわりつつある」(同朝日新聞)ことを考えると、「極東の安全」は御都合主義でいい加減なものでしかないことが分かります。

沖縄は極東の要石か?

フィリピンのクラーク空軍基地から撤退した特殊作戦航空団は輸送機と共に沖縄の嘉手納基地に移転してきています(移転当初は一時的と言う理由で)。このことからも米国にとって日本の基地その中でも沖縄の基地は「極東の安全の要石」とい地域的重要性よりも米国本土の基地と同様に自由で勝手気ままに使える基地としての重要性の方がはるかに勝っている気がします。
 昨年の九月四日米兵による少女暴行事件は米国をあわてさせまました。政治問題化しつつある九月一一日に米国防省のジアラ本部長は「これは危ないことになると直感した」(四月一七日朝日新聞)と述懐しています。つまり沖縄人々の闘い如何によってはフィリピンと同様、沖縄からの基地の全面撤去もありうると判断したのです。
 そして一〇月ペリー国防長官に意見を求められたアーミテージ元国防次官補は「アジア・太平洋地域における前方展開兵力の中核は第七艦隊。そのまた中核の空母の修理ドックがある横須賀海軍基地だけは手放せない。ほかの在日基地も維持は必要だが、しかし日米安保関係を良好に保つという大きな目的のためなら柔軟に対応していい」「普天間を返還して海兵隊の機能を嘉手納に統合してはどうか」(同朝日新聞)と言っています。
 要は横須賀基地以外は移転も可能で融通がきくということです。沖縄からの基地撤去も可能ということです。ということは米国の「極東の安全」にとって沖縄の基地は絶対に必要なものでない極東の要石でないということになります。
米国にとって自由気ままに使える日本の基地を手放すのはもったいない、米国は普天間飛行場の返還を切り札に四月十七日の「日米安保共同宣言」では在日米軍四万七千人の兵力維持(東北アジアで十万人)、物品役務相互提供協定(ACSA)の締結、極東有事の研究開始の要求を通すことに成功しています。
日米安保は米国のブルジョアジーの側から見るとより事の本質が見える気がします。     (次号に続く)
  (伊藤俊康)

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パート・フォーラム96
闘うことで退職金制度を手に入れた!



 少し前に、神戸でパートフォーラムがありました。参加者のほとんどが各地のパートユニオンに所属している中で、私は個人で参加しました。
 このフォーラムを主催したのは兵庫県パート・ユニオンネットワークで、一二団体によって構成され五年前に結成されたものです。
 職場報告では、自治労臨時・非常勤職員評議会の退職金制度獲得などの紹介がありました。加古川、三木、明石、佐用町、姫路、宝塚、尼崎、高砂の順に獲得。やはり、バックに大きな組織があれば違うなあ。思わず、郵便局での非常勤である自分の立場に、置き換えてしまいました。私たちもやればできるのではと思ってしまいました。まだまだ正規職員との格差は大きいとはいえ、仕事内容では正規職員と同等であることが、制度化せざるを得ない状況に来ているのではないかと思います。
 また、被災労働者ユニオンの仮設労働調査には、四〇、五〇代男性の四分の一が失業中(九六年一月現在)という厳しい実態が浮き彫りにされました。「住」と「職」の問題が重なり、仮設住居被災者の多くが生活再建に向かうスタートラインにさえ立てないでいると分析。行政への働きかけの必要性を、改めて実感しました。
 フリートーキングでは、私と同じように一般参加した方からの切実な訴えがありました。神戸市民病院にパートで勤務していた彼女は、震災で病院が閉鎖、そのため再開時の復職について病院へ連絡を取りました。職員もリストラ、パートのことなんか考えられないというひどい返答。果たして復職できるのだろうか、というのが彼女の質問でした。この場合、雇用契約の期間が継続されているかどうかがポイントです。すでに契約期間が切れてしまっている彼女には、病院への粘り強い交渉がまず必要になってきます。こんなときにこそパートユニオンが心強いですね。
 パートタイマーたちが同一労働同一賃金を要求し、それが実現できたなら、男女差別も無くなっていく…そんな空想を描いたりしながらのフォーラムでした。神戸に拠点をおいている神戸ワーカーズユニオン、時々私たちの新聞Workersとなんか関係あるの?と知人から聞かれます。早く、そう関係あるのと言えるように輪を広げていきたいのです。きっと出来るはず、同じワーカーズなのですから。 (兵庫 折口恵子)

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老人福祉の現場から H
母子衰弱死が語るもの



 日本中がゴールデンウィークで賑わうなか、池袋のアパートで七十七歳の母親と四十四歳の寝たっきりの息子が栄養失調で衰弱死するという事件があった。
 彼女は日記をつけていたがその最後のページには「明日からは何ひとつ口にするものがない。子どもが先に死ぬのではないかと心配である。一緒に死なせていただきたい。後に残ったものだ不幸だから」とあった。三月十一日の日付である。そして、発見されたのが五月三日、玄関には四月五日からの新聞が溜まっていたという。何も食べるものがなくなってから、どのようにして過ごしたのか、どちらかが先に息絶えたのか、そして後に残った方は、冷たくなった遺体の隣でどんな思いで日を過ごしたのか。こんな悲惨な状況を生みだしている社会に、こらえられない憤りが沸き上がってくる。
 七十七歳の母親が十年以上の長い間、寝たっきりの息子を介護をしていた。七十七歳の女性の手による大人の男の介護がどんなに重労働であった事か。排泄、食事、入浴、体位交換等々の介護はどのようにしていたのだろうか。高齢の介護者だけでは十分には出来るはずのないことである。高齢者と寝たきりの人との生活は、たとえ経済的に問題がなかったとしても、その困難さには想像を絶するものがあるだろう。だが、この母子は経済的にも非常に苦しい生活を強いられていた。
 この母子に提供されるべき福祉サービスは、老人福祉の分野だけでも、ホームヘルプサービス、ショートステイ、デイサービス、在宅支援センターを始めとし、配色サービス、訪問入浴サービスなどの在宅高齢者等日常生活支援事業や、日常生活用具給付事業等々いくらでもある。しかしこれらは行政サイドから「こんなサービスがありますが利用しませんか」等と言ってくれることはないのである。困りに困って、自分で福祉課などに出向き、そこで数々の侮辱的な扱いを受け、多くの書類を提出し、調査され、膨大な時間を費やして、どうにかそのおこぼれにあずかることが出来るのが現実なのである。
 彼女は月十万ほどの老齢年金が生活費の全てだったという。しかも家賃が八万五千円、残り一万五千円でどのような生活が出来るというのだろう。テレビなどのでは、毎日お菓子で飢えをしのいでいたように放送をしていた。生活保護は受けていなかったという。
 国民の貧困や生活の困難は社会制度に原因がある。この分かり切ったことを見えなくし、貧困や生活の諸問題が社会の責任ではなく個人の責任であるかのように見る見方を、私たちは知らず知らずの家に植え付けられている。
  (Y)

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「看護制度一本化」の要求の陰で……
新たな「安上がり労働力」導入の動きが



れている差別的な資格制度の「一本化」は、看護協会や医療関係の労働組合の長年の要求だ。しかし、医師会等は今なお「准看護婦制度の廃止は時期尚早」と譲らない。
 そもそも准看護婦制度ができたのは、戦後、病院が急速に増える中で、「安上がりな看護婦養成」が必要とされたからだ。低い賃金で「看護婦の指示に下に」という建て前とは裏腹に、実際は看護婦と何ら変わらない仕事をしてきたのだ。
 だから、差別的な准看護婦

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 公務員採用の国籍条項撤廃を!


またも見送り

 職員採用にあたって、国籍の制限を設ける「国籍条項」の廃止方針を出していた高知県と大阪市、川崎市の結論が出されました。とりわけ、在日韓国・朝鮮人の多くが居住する大阪市の判断は他自治体と国への影響が大きく注目していました。しかし結果は、川崎市が都道府県と政令指定都市で初めて撤廃(不完全ながら)に踏み切りましたが、大阪市と高知県は見送りました。

国籍条項に法的根拠なし

 いかにも役所らしいと思える「国籍条項」問題、この条項は国家公務員法と地方公務員法に規定はありません。採用にあたって、国家公務員の人事院規則や自治体によって募集要綱に、日本国籍を持つことの「受験資格」があるにすぎません。
 それがこんなにも難航しているのは、一九五三年の「公務員に関する当然の法理として、公権力の行使または国家意思の形成への参画に携わる公務員となるには日本国籍が必要」の内閣法制局見解を根拠とし自治省が条項撤廃に抵抗しているからです。五月二日の自治大臣の記者会見も、自治省の立場と同じでした。
 つまり、公務員は「公権力の行使とか公の意思の形成に参画」するから日本国籍に限られる、法律はないが、「当然の法理」は「法規範」である。この論理を変更するには特別立法などの措置が必要で、現状で条項撤廃するのは「法規範」に違反し、任用しても無効となるというものです。
 でも、法律にないものの変更に新たな法律が必要となる、司法関係に無知な私には理解できません。一方で、「罰則がないから止めようがないが、こちらとしては違反と言い続けるしかない」とも言っているのですから、「やってもいい」ともとれます。

本気でやるつもり?

 高知県にしても、大阪市にしても真剣に取り組んでいるか疑問です。見送りの理由を「もう少し時間をかけて、十分に検討したうえで決めたい」としか言えないのですから、情けないかぎりです。
 この「国籍条項」は必要でもなく、現実に撤廃されているのです。七十年代に入って在日韓国・朝鮮人を先頭にした闘いがあり、阪神間の都市をはじめ撤廃されてきました。
 参考として、朝日新聞の四月二二日の記事から数を拾います。自治労が九二年に調査した結果、回答のあった千百九五自治体のうち全職種で「国籍条項」があるのは約四六%で、ないとの回答は約三十%の三百五四自治体、一部の職種にあるが二百九四自治体です。 つまり、これまでは黙認してきたが、国からの機関委任事務の多い都道府県と政令都市には圧力をかけているということです。国に自治体が反抗して、駆け引きが続いている形です。
 大阪府には約二一万人、そのうち大阪市に約十二万人の在日外国人が居住しています。客観的に見れば、県と市の行政レベルの違いはありますが影響力、実質的成果からも大阪市には大きい期待があります。
 今回の見送り方は、一見しただけでは慎重で前向きに思えます。が、先の一般自治体の例だけでなく、この数年にしても在日韓国人の若者たちが、あえて出願して条項撤廃を訴えたり、民族団体からの問題提起も十数年以上前におこなわれています。近隣の市町村の撤廃状況を知らないはずはありません、それなのに、時間や議論の不足を理由にするのはごまかしです。

これで、国際化?  

 この問題は、単なる就職差別に留まりません。橋本知事は「きっかけは在日の人権問題だった」と言っていました。マスコミ報道ぐらいの知識しかありませんが、在日外国人の諸権利の問題に関連しています。これまで在日の人達を先頭に闘いが続けられてきましたが、無視や渋々の対応であまり進展していません。国や自治体は、最近の「国際化」や粘り強い闘いに回答を迫られています。
 多くの課題があります。たとえば、民族学校をめぐる問題一つでも、学校の位置づけや大学受験資格、通学定期、スポーツ大会への参加資格など。また、今回の条項撤廃の「慎重論」の背景には参政権問題へ波及することの恐れがあると言われています。その、参政権にしても、地方レベルのみの意見もありますが、あえて国政選挙に挑戦して問題提起されています。
 本来は議会の同意の必要はないのに、議会内保守派に配慮しているのですが、参政権が認められれば、その影響力が大きく、議員も官僚も今から怯えている?これでは、「国際化」や定住外国人との「共生社会」を掲げても、底の浅いものです。

すべての制限撤廃を  

 今回の川崎市やこれまで撤廃した自治体も、完全とはいえません。一方、今回は見送った大阪市でも一部の職種での撤廃や採用職種の新設などは行われています。当面の問題として、採用枠の制限撤廃がありますが、採用しても昇任や職種への公然、非公然の制限は、「公権力の行使」と「公の意思形成への参画」の問題で残りそうです。
 自治省は「他の国の主権の影響を受けている」から「不適切」の見解です。たとえば、大阪市は「国籍条項」を撤廃しても職種と昇任で制限を設けるとしています、川崎市も同様です。高知県は、公権力の行使でも法律や条例、通達の枠内に縛られ、職員相互のチェックがあるから「外国人だからといって特別の裁量が働く余地はない」と言いつつ「一部のポストを除く」の条件が付いています。採用されても、国籍で制限が残るということでは自治省と自治体に大きな相違はありません。
 外国でも、国家公務員の一部を除いたり地方に限定する、ほとんど認めないとバラツキがあり、完全に制限撤廃はなされていないようです。(新聞記事を見るかぎり)
 しかし、高知県の見解を貫けば、制限など必要ありません。まさに、法律や条例、規則だ慣例だと縛られているのです。これらに、違反して悪事を働いているのは高級官僚や政治家のほうです。早急に「国籍条項」の完全撤廃、採用後の制限撤廃を勝ち取りましょう。                 (折田) 

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ビルマの人権侵害 M


 今年一月のビルマの民主化のための国際議員派遣団(ノルウェー主導)報告書を前回から連載している。今回はその二回目。派遣団はビルマ国内の動きを詳細に報告している。

国際議員派遣団報告 その二

国民会議
 一九九〇年の選挙ののちに、ただちに国会を開催すべきだというNLDの要請を無視し、SLORCは一九九三年一月まで国民会議の開催をしなかった。国民会議の目的は、ビルマの将来の憲法の基本草案を作成するものである。しかし実際は、七〇二人の代表のうち五九六人をSLORC自身が選び出し、代表者を厳しい制限と規則でしばっている。この会議の公式な目的のひとつは、治安軍を将来の憲法のもとで政治的に重要な役割に位置づけようとするものである。
 一九九五年十一月二十八日、NLDは国民会議議事運営委員会に対して繰り返し対話を求ても実現しないので、代表団を国民会議から撤退することを表明した。SLORCは八十六人のNLD代表団欠席のまま国民会議を続行している。
 派遣団はNLDの行動は、ビルマ連邦国民評議会(NCUB)内の少数民族代表を含むビルマ内外の人々から支持されていることを認識している。アメリカ、EUおよびオーストラリアもNLDの国民会議からの撤退を支持している。
 日本は国民会議に対しては別な見方をすべきだと語った。バンコクでの日本大使館との会談で担当者は、十一月のNLDの国民会議からの撤退は、日本がビルマに対する追加融資延期の理由のひとつであると語った。
 タイ外務省との会談で担当者は、国民会議のプロセスが成功するとは思えないと語った。国民会議は異なった見解を取り入れないしくみになっていることを例にあげた。
 派遣団は国民会議の構成とその限界により、この会議が将来のビルマ憲法草案を作ることは受入れがたいものであると考える。一九九〇年選挙で勝利したNLDが主としてこの作成プロセスにかかわるべきであると考える。
 派遣団はNLDの国民会議からの撤退を支持する。たとえこの撤退によってNLDとSLORCとの対話の機会が減少したとしても、ビルマの将来にとって軍が政権を握ることを合法化するのを阻止する意味で、撤退のアクションは必要なものであった。

アウンサンスーチーの対話要求

 一九八八年にSLORCが権力を掌握して以来、アウンサンスーチーはいく度にもわたって対話を要求してきた。一九八九年、アウンサンスーチーは少数民族各派を含むすべての反政府グループからSLORCとの対話の代表者に指名された。一九九四年の二回にわたる彼女との会談を除いて、SLORCは全く対話を求めていないと思われる。最近SLORCは彼女を帝国主義者であり自分の党派の独裁者であると非難している。
 最近の国連総会は、SLORCはアウンサンスーチーおよび少数民族各派との三者会談をすべきであるという強い勧告を出している。
 ビルマ連邦国民評議会(NCUB)はアウンサンスーチーがSLORCへ対話を呼び掛けていることを支持している。バンコクでの各国大使館との会談の過程で、派遣団はアウンサンスーチーとSLORCが対話をしなければならないというコンセンサスがあることを認識した。しかしながら、あるアジアの大使館はアウンサンスーチーを除いて、SLORCと民主勢力との対話を勧めるほうが容易であるとの見解をしめした。
 派遣団は国連総会のSLORCは三者会談を行うべきであるとの見解を支持する。さらに事務総長がその促進のために行動することを要請する。さらに派遣団は日本およびASEAN諸国が、そのSLORCと接触しやすい立場を利用して、SLORCと反政府勢力との対話の促進に力を貸すことを要請する。

少数民族との停戦協定

 ビルマの内戦は一九四八年に始まった。同じ年にビルマは大英帝国からの独立を果たしたが、それ以来、ビルマ政府と少数民族との政治対話はとぎれたままである。
 一九四八年以来始めて、SLORCは武装解除なしの停戦協定を結ぶことを少数民族各派に提案した。一九八九年以降、SLORCによれば十六の武装少数民族集団のうち十五が停戦に合意した。最後に残ったカレン国民連合(KNU)は現在SLORCと停戦の可能性を協議している段階である。一九九五年七月、カレニー国民進歩党(KNPP)は3カ月の停戦ののち、SLORCが協定を破ったために、ふたたび戦闘を開始した。
 すべての停戦協定はSLORCと各少数民族との間の二者で行われている。協定のもとでは戦闘の中止と政治的問題を語らない条件で、各民族の支配地域の軍事、交易を認められている。
 ビルマ連邦国民評議会(NCUB)との会談では、カレン族代表のアーサー・シュエ氏が、なぜKNUがSLORCとの停戦に合意しないかを語った。
「われわれはSLORCと停戦合意をしない唯一のグループである。平和をもたらすとは思えないからである。政治的対話が伴わなければならない。われわれは個々に対話をするのではなく、国民民主戦線として全体で対話をしたい。しかしSLORCはそれを拒否している」
 しかしながら、シュエ氏によればカレン人民はKNUがSLORCと対話をすることを望んでいると語った。SLORCによる人権侵害が続いているからである。氏によれば、SLORCは村人に圧力をかけてKNUを支配することを狙っているとのことである。
 同じ会談で、国民民主戦線代表のクン・オッカー氏は、停戦のいくつかは外部からの圧力によるものであると語った。例えばカチン族は中国政府から、モン族はタイ政府からの圧力によりSLORCとの停戦に合意している。
 NCUBによれば少数民族各派はSLORCからの停戦の提案に対して、停戦により懸案の政治問題が解決するのではないかとの希望を持っている。しかしNCUBによれば、SLORCは政治的対話をすることを拒んでいるという。
 ビルマ国境コンソーティアム(BBC)との会談では、代表のジャック・ダンフォード氏が停戦協定はSLORCが戦わずして勝利できる仕掛けであると語った。SLORCの目的は少数民族の情熱と可能性をそぎとることであるとの見方を示した。
 もちろんSLORCと少数民族各派との停戦は積極的なステップといえるのであるが、国境周辺に住む少数民族の人権侵害の減少には役立っていない。そのことはさまざまな人権団体が系統立てた報告を行っている。派遣団は、バンコクでの聞き取り調査で、ビルマ人難民および反政府活動家の証言を確認している。
 停戦協定は今のところ長期的に見てビルマの平和と安定には寄与していない。例えばSLORCと少数民族各派との間に政治対話がなされていない状況は、内戦を生み出す可能性を秘めている。しかしながら、派遣団は停戦協定の締結は政治対話を開始する前提条件であると考えている。派遣団は停戦協定が少数民族間および民主化勢力との統合・協調作業を弱める可能性があることを憂慮している。したがって派遣団はビルマ連邦国民連立政府(NCGUB)による少数民族各派の協力の維持を強く支持し、国民民主基金の資金調達によりNCUBチームが、ビルマ国内、国境地帯、インド、中国およびバングラデッシュの少数民族各派の代表を訪問することを歓迎する。

要約および勧告

 SLORCがビルマ民衆の支持を受けていないことは明白である。さらに一九九〇年選挙の結果および、ビルマの内外の国際組織がアウンサンスーチーとNLDが圧倒的多数の支持を得ていることを確認している。
 世界人権宣言に基づき、派遣団はNLDが国を統治することを支持する。現在の国民会議の形態がビルマに民主化をもたらすとは思えない。
 派遣団はさらにSLORCは少数民族各派との対話を行おうとしないことから、短期的な安定を求めているだけであると判断する。
 派遣団は国連加盟諸国が、事務総長に一九九五年の総会勧告に基づく三者対話の推進をさせるよう、強く要請する。さらに国連とSLORCはビルマ民主政権への権力委譲のタイムテーブルについて討議すべきである。このタイムテーブルの設定にはもちろん国際社会からの段階的な経済支援の約束も含まれなければならない。
 ビルマのジャーナリストおよび現地の国際機関の人々によれば、SLORC内部には非公式にビルマの民主化を望むと発言するキーパーソンが何人かいる。しかしながら今のところSLORC内部での民主化推進の可能性を示す確実な情報はない。従って反政府活動家がSLORCに圧力をかける活動を重視しなければならない。
 (つづく)

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ヘーゲル論 D   プレハーノフ著


 われわれはこれまでに、ヘーゲルが世界史を「精神の自覚の歩み」だとして、この観念論的な規定に現実の歴史を合致させるために種々のこじつけをしているのを見た。しかし興味深いのは、ヘーゲル自身、随所で「うーん、苦しいなあ。こじつけだなあ」という気がしたらしいことである。

 唯物論へ

 例えば、ギリシャ解体の原因をヘーゲルは、精神は「美しい精神の統一という立場に長くは立ち止まれなかったからだ」ということに求め、しかし「これでは答えになってないなあ」と思ったらしい。すぐ後にあわてて付け加えた。
 「凋落の原理は、まず政治上の対立のなかに現れた。すなわち、ギリシャ諸国家間の戦争に、同じくまた都市の内部における諸党派間の闘争に」(『歴史哲学』第二部「ギリシャ世界」)と。
 だが、こうして、われわれはついに具体的な歴史というものの中に身を置くことになる。しかも単に具体的、というだけではない。いまあげられたギリシャの都市内部における諸党派の闘争というのは──ヘーゲル自身に従っても──ギリシャ社会の経済的発展の産物であった。すなわち、ギリシャの都市内部に起こった経済的対立の表現にほかならなかった。また、ギリシャ諸国家間の戦争も──ツキディデスに従えば──全ギリシャに及ぶ階級闘争以外のなにものでもなかった。となれば、いまやわれわれは、ギリシャ凋落の原因はその経済の歴史のなかに求められるべきだという結論に苦もなく達することになる。
 そして、だとすれば、なるほどヘーゲル自身にとってはギリシャにおける戦争や階級闘争は、上記のようにただ凋落の原理を啓示するものに過ぎないものであるかもしれないが、そういいながら彼は事実として、われわれに、歴史の唯物論的な捕捉を示唆するわけである。
 そうだ、ヘーゲルの歴史哲学は、しょっちゅうこうした不意打ちで読者を待ち受けている。
 まるで、すべての観念論者のうち最も偉大な観念論者が、唯物論のために進み、道を切り拓く使命を帯びていたかのようである。

 他の例(一)

 中世の都市を取り扱っている章においても、そうである。ヘーゲルは、まずお決まりの観念論的な説明を並べる。しかしその後、彼はその都市の歴史を、市民階級と僧侶および貴族との闘争とし、さらに、市民階級内部の相異なる諸層の闘争──富裕な市民と賤民との闘争──としている。
 例えば、「一方で、都市の内部が不安定で党派闘争がたえないのに、他方で工業や海陸の交易が隆盛をきわめるさまは、目をみはらせるものがある。しかし、両者はどちらも同じ生活力のあらわれなのである」(『歴史哲学』第四部「ゲルマン世界」)。

 他の例(二)

 宗教改革に関する章も、そうである。彼はまず読者を例によっていったん「普遍精神」の神秘に引きずりこむ。しかしその後、新教義の伝播について、観念論者の口調としてはまことに妙に響く次のような言葉をつづける。
 すなわち、「宗教改革はドイツに起こり、純粋なゲルマン民族にしか受け入れられなかった。それは、オーストリア、バイエルン、ベーメンでは大きな進展をみせた。これに対し、スラヴ諸国ではそれは受け入れられなかった。なぜか。スラヴ諸国は農業国である。農業には主人と奴隷の関係がつきまとう。農業は自然の条件に左右されるところが大きく、人間の勤勉さや主体的な活動は、全体としてそれほど大きな位置を占めない。だからスラヴ人は、主体的自己という基本感情に到達するのが緩慢で、困難で、こうして彼らは、登場しつつあった自由に参与するすることができなかったのである」(同)。
 見られるように、ヘーゲルはわれわれにあからさまに語っている。一国民の宗教的観念やいっさいの自由解放の国民運動を解く秘密は、その時々の経済的関係に求められるべきだ、と。

 他の例(三)

 国家についても、そうである。
 ヘーゲルの観念論的な捕捉にしたがえば、国家とは、「人倫的理念の、人倫的精神の実現」にほかならぬものであり、「自らを現わし、自らを実体化する啓示された意志」であり、「自らを考え、自らを知り、その知ったところを、かつその知れる限りを成就する意志」である(『法の哲学』第二五七節)。
 ところがその国家も、別のところではヘーゲルは経済的発展の産物であることを示す。すなわち、「現実の国家、現実の政府は、ただ階層の区別がすでに存在するとき、富裕と貧困との差がきわめて大きくなり、大多数の住民がその欲求をもはやこれまで通りのやり方では満足させることができないと感じるとき、そのような関係が現われるとき、そのときにのみ成立する」(『歴史哲学』序論)。

 他の例(四)

 同様に、ヘーゲルにおいては、婚姻というものの起源も人類の経済的な歴史と密接な関係にあるとされる。
 すなわち、「婚姻の起源は、農業の始まりにもとづく。というのは、農業の原理はおのずから土地の区画をともない、したがってまた排他的な私有財産を導き、こうしてあてどなく移動しながら生きる糧を追う原始人の流浪生活を、私権の平静に、欲望充足の確かさに帰着させ、かくして性愛を制限して婚姻を生むのである。そうして、この結合は強化され、持続的で普遍的な絆(きずな)を生み、個人の欲求は家族に対する配慮へ、個人の所有は家族の財産へと拡大される」(『法の哲学』第二○三節)。

 他の例(五)

 まだまだいくらでも同様の例をわれわれは引くことができるが、しかし紙面が許さないので最後に一つ。
 すなわち、人類の歴史的発展に対する地理的環境の重要さについては、ヘーゲル以後にも以前にも多くの人が語っている。が、研究者はたいてい、人間に及ぼす四囲の自然の心理的あるいは生理的な影響だけを見ていた。
 だが次に見るように、ヘーゲルはここでも明確に違っていた。
     (編集・小川 紀)

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酒井氏(グループ95)のデマを悲しむ


 先日、ある読者の方(Aさんとしておきます)からお手紙をいただいたのですが、その中に、「酒井雅己氏があなた方のことを、『彼らは分裂のとき組織の機材を持ち去った。ソ連が北朝鮮から機材を持ち去ったのと同じだ』と書いてきています。本当ですか」とあり、びっくりしました。
 Aさんと酒井氏とは特に個人的な知り合いというわけではなく、そのAさんにそんなことを書き送っているということは、酒井氏、かつての『ワーカーズ』の読者名簿をもとに相当多くの人に同様のことを書き送っているのかもしれません。
 そこで、「こういう話はうんざり」といわれる方も多いと思いますが、そして僕もうんざりなのですが、事実を説明させていただきます。

   ● ● ●

 社労党で林紘義氏の横暴に対する批判が高まり、党内闘争が激化していったとき、批判派の声をパンフにして出そうということになりました。しかし印刷機がない。
 そのとき、東京のYさんが個人的に百何十万円も出して印刷機を買いました。こうして、彼女の家で、それを使って、当時、批判派のパンフや通信が印刷され発行されました。
 やがて、ご存じのように、党内闘争は行くところまで行き着いて、社労党は分裂。社労党を出た僕らは、新組織ワーカーズを結成しましたが、そのとき東京に事務所を開設しました。その際、 1みんなでお金を出し合って備品をそろえましたが、お金が足りず、 2それでYさんの印刷機を彼女の家から事務所に持ち込み、以降、使わせてもらっていました。また後に、同じくYさんが個人的に買った、何十万円もする、パソコンの高性能レーザープリンターも事務所に持ち込み、使わせてもらっていました。
 しかし、残念なことにやがてワーカーズは分裂。その際、旧ワーカーズに残ることになった人たちと、僕ら出ていくことになった者たちとは、話し合って、旧ワーカーズの財産を分け合うことにしました(夫婦の場合の協議離婚みたいなものです)。すなわち、まず元々個人のものだった上記 2は持ち主に返すが、お金と上記 1は、双方が代表を出し合って協議し、分割する、と。
 こうして、Yさんの印刷機とレーザープリンターはYさんが自宅に持ち帰りました。そして後日、残存組(カタカナのワーカーズ)からはWさん、離脱組(僕ら、アルファベットのWorkers)からはIさんが代表として出て、二人が話し合い、お金と上記 1の備品を等分しました。

   ● ● ●

 以上が経過です。
 酒井氏が「Workersの連中が機材を持ち去った。ソ連と同じだ。けしからん」と言っているのは、Yさんの印刷機とレーザープリンターのことです。
 しかし第一に、元々Yさんのものであるこれらを、Yさんが持ち返って、なぜ「ソ連と同じだ。けしからん」などと非難されねばならないのでしょうか。そんな非難をする権利が、どうして酒井氏にあるでしょう。いや、むしろ、「元々はYさんのものであっても、いちど事務所に持ち込めば組織のものだ。Yは勝手に組織を出ていくのであるから、印刷機とレーザープリンターは置いていけ。例え合計二百万円近くする高価なものであっても」などと言う方が、あまりに理不尽で横暴なことではないでしょうか。
 第二に、それに上記のように、旧ワーカーズの財産分割は旧ワーカーズ残存組と離脱組とが話し合って行なったことです。しかも特に、Yさんの印刷機とレーザープリンターについては、離脱組が離脱を表明した旧ワーカーズの最後の大会で、Yさん本人が「申し訳ありませんが、引き揚げ、新しい組織で使わせていただきます」と残存組の人たちを前に直接表明し、確認されていることです。だから、「ソ連と同じだ。けしからん」などと言いがかりをつけているのは酒井氏だけです。旧ワーカーズ残存組の人たち、いまのカタカナのワーカーズの人たちに聞いてみてください。

   ● ● ●

 それにしても、僕は酒井さんに言いたいです。
 事情を知らない人たちにこんなデマをふりまいて、そんなかたちでしか僕らと闘えないなんて、酒井さん、あまりに情けないじゃないですか、と。
 そもそも社労党で党内闘争が起こり、激化していったのは、酒井氏に対する林氏の、あまりに汚ないデマ攻撃がきっかけでした。後に林氏は、それではさすがにみっともないということで、この党内闘争を、党外の事情を知らない人たちには何か民族問題等をめぐる意見の対立であったかのように示しましたが、そんなご立派な対立、意見の違いでは断じてなかった! 自分のお粗末きわまる民族問題の文章の矛盾をつかれて腹を立てた林氏が、この矛盾をついた酒井氏に、スターリンや宮本・不破顔負けの、ちょっと異常なまでのデマ攻撃をおこなったというのが事の始まりでした。つまりこうして、酒井氏の民族問題での意見を支持するかどうかは別にして、そんなこと以前の問題として、いくら何でも林氏はあまりに汚ない、これは革命家として、いや人間として失格である、こんなことを許していたら社労党は組織全体として腐ってしまう、これは絶対に黙っているわけにはいかないということで、反対派の結集が進んでいったのでした。
 だから、酒井さん。あのとき林氏の、デマという最も卑しむべきやり口に自らさらされ、これに怒り、これに対し僕らとともに闘ったあなたが、その後、この最も恥ずべき手段に自ら手を染めるなんて……僕らはほんとに情けないです。

   ● ● ●

 この数年、僕らは、林氏や酒井氏という僕らよりずっと年上の人たち(林氏など、もう孫もいるのでは)の恥ずかしい姿を、これでもかこれでもかと見せつけられ続けてきました。
 それで僕らが話し合ったのは、確かに僕らは多数派をめざす、けれどかといって僕らは絶対にあんなふうにはなりたくない、ということでした。多数派をめざす、あるいは組織を維持するというためにあんなことまでするくらいなら、僕らはあえて少数派たることを選ぼう、と。
 しかしまた、組織の伸長というのは、おのずから、結果として、出てくるものです。もし僕らWorkersが何らかの真理を体現しているなら、やがておのずと、メンバーも増え、支持も広がっていくでしょう。しかし真理を体現していないなら、じり貧しかないし、ウソや策略で何とかしようとしても、あるいは一時的に何とかできたとしても、そんな維持や伸長は結局一時的なものに終わり、結局──林氏や酒井氏がそうであったように──凋落という末路しかないのです。
 以上を再度、自らにも言い聞かせて、僕らは僕らの道を進んでいきたいと思います。
 もし将来、僕らがこの道を踏み外すことがありましたら、読者の皆さん、そのときは僕らを腹の底から嗤ってください。
       (小川 紀)

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「南京1937」絵画展を観る
断じて過去の問題ではない!



 四月一五日付本紙で紹介していた「丸木位里・俊とニューヨークの中国人が描いた南京一九三七」展を、連休最中の五月三日に観に行きました。会場が神戸・王子動物園のとなりということで、先に絵を観てそれから動物園に行くというスケジュールを組み、家族で出かけたのです。
 動物園前の信号のところまで行くと、会場方面から何か演説が聞こえてきます。宣伝カーまで出して頑張っているのかと思いつつ近ずくと、機動隊が出ていて何か険悪な空気が漂っているのです。それでよく見ると宣伝カーは右翼のもので、地方参政権を与えたりしたら国政にまで口出しするようになる、等とがなりたてているのです。
 天気もよく久しぶりに家族で出かけてきたのに、これでいっぺんに気分が暗くなってしまいました。「警戒せよ」という絵は日本軍による斬首の模様とゴルフをしているところが並んで描かれています。かつての軍事侵略から経済侵略へという、分かり易い絵です。
 日本軍が乳飲み子を銃剣で串刺しにしている模様を描いた絵には「獣行」という題が付けられています。日本軍人の足下にうずくまっている母親は、命乞いをしています。その傍らには笑いながら眺めている軍人がいます。筆致は淡々としていて、それがなおさら惨憺たるその光景を引き立たせているようです。何か込み上げてくるものがあり、いっそう暗く沈む思いです。
 丸木夫妻の絵は、初めて実物を見て、とにかくその大きさに圧倒されました。こんなに暗く大きな絵を描くにはすごいエネルギーが必要だったろうなと、ため息が出ました。会場ではビデオの上映や書籍の紹介も行なわれていましたが、一番下の子が「早く動物園に行こう」とぐずり出したので、早々に会場を後にしました。
 ところで、私は四月にこの絵画展に関わっている中国人留学生Gさんの話を聞く機会がありました。留学生といっても私と同年代の四〇代で、親の世代は直接日本軍の侵略を経験しています。それで、親族を日本軍に殺された、自らも被害を受けたという人が今でも健在である、ということです。戦後五〇年とはいえ、日本軍による暴虐は過去のものにはなり切っていないと言うのです。
 翻って、加害の側はその事実を語り出した一部の人を除いて、圧倒的に過去のものとなり、あまつさえ懐かしい思い出に「昇華」させてしまっている人々さえいます。歴史認識の重要性とは、内輪の甘えあいではなく、あらゆる批判に耐えうるだけの事実の積み重ねの上に確立されるものであると、改めて痛感した次第です。
 (晴)

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須山公美子反戦歌ライブ ご案内C
主役登場! 須山さんにインタビュー



 反戦歌ライブも目前となりました。今回はそのライブの主役、須山公美子さんとはどんな人なのかご紹介しようと、インタビューを試みました。五月二日の須山さんのライブの終了後に時間をとっていただきました。でも、でも…、なんと情けないことでしょう。憧れの人と話すのだと思うと、とたんに僕の頭の中はマッシロになり、言葉が何にも浮かんできません。メモも満足にとれていないし、結果はご覧のとおりです。もうちょっとなんとかならなかったものかと思うのですが…。

   ◆ ◆ ◆

 ●ライブハウスでデビューされたのはお幾つのときですか?
 「一八才です。〈変身キリン〉というロック・バンドでした。でも、並行してソロでも歌い始めました。やはり当時から、楽器より、歌の面白いもの、力のある歌というんでしょうか、そちらに関心がありましたね」。

 ●次はレコード・デビューの方なんですが、以前、「少女歌手」とか四曲が入ったドーナツ盤のレコードが出てましたよね。たしか大阪のアメリカ村のレコード屋で見つけて、大事に持ってますが、あれが最初のレコードなんですか?
 「ええ、たしか二一才のときです。レコードのレーベルの絵も私が描きました」。

 ●そして、シャンソンなんですが、シャンソンを歌いだしたきっかけは?
 「Workersの皆さんはダミアって歌手をご存じでしょうか? 彼女の『暗い日曜日』を聴いたのがきっかけです。それから深緑夏代さんの所に一年半通ってシャンソンを習いました」。
 (本来なら、ここで「『暗い日曜日』のどういう所に惹かれたのですか」とか、質問を続けるべきなのに、これだけで切って、すぐに別の質問に移ってしまいました。あ〜あ、インタビュアー失格。
 ダミア(一八九二〜一九七八)については『巴里のシャンソン』という本にこういう記述があります。
 「ダミアはシャントゥズ・レアリストという、肩書を持っています。(中略)場末や裏町の貧乏人や、不幸な人たちの悲惨な生活を歌います。飢え、失恋、絶望、別離、狂気等を主題とした唄を、訴えるが如く、泣くが如く、叫ぶが如く歌います」(蘆原英了著『巴里のシャンソン』)
 「ダミアは有閑階級を楽しませる歌い手ではありません。貧しい人や、虐げられた人たちと、魂をすりつけて語り合う歌い手であります。華のパリにも、裏枯れた暗い陰鬱な世界がある。一方が華やかで明るければこそ、こうした世界はいっそうもの悲しく、やる瀬ないのです。ダミアはもし花にたとえるならば、そういう暗黒の世界に咲く花です。そして貧しく惨めな人たちの友であります」(同)
 安易な重ね合わせは歌い手にとっても迷惑で、やめといた方がいいんでしょうが、こういうのを読むとどうしても須山さんに重ね合わせたくなってしまいます。「ダミアはダミア、私は私」とおっしゃると思うんですが。でも、たしかに重なる部分はあると思っているのです)。
 ●こんな生活が毎日続くのが戦争なんだと、阪神大震災の経験後、戦争について色々思いめぐらすようになったとお聞きしたんですが、須山さんとWorkersとの出会いのきっかけとなったシャンソン「脱走兵」を歌い出したのもやはり今度の震災がきっかけなんですか?
 「『脱走兵』を歌い出したのは震災の経験ということもあるかも知れませんが、やはりフランスの核実験がきっかけです。私はどんな歌でもメッセージがあり、政治的概念と無関係で歌はできないと思っています。すべての歌のバックボーンには政治的・思想的なのがあると。だから私はこれまでは意識的に具体的なものを歌うのを避けてきました。あえてそういう歌をうたう必要はないと思っていたのです。でも最近はそうも言っていられない、怒りは怒りとして出さなくてはと、思い始めたんです」。
 ●ありがとうございました。最後に『Workers』の印象をお伺いしたいのですが。
 「この新聞は労働組合の機関紙というわけでなく、私のような一般の人間も対象にしているとお聞きしました。でも、全体にちょっとむずかしいんじゃないでしょうか。基礎知識がないと読めない、一巻目を飛ばして、いきなり小説の二巻目、三巻目から読み出したような感じというのがありますね。
 興味深く読ませてもらったのもあります。〈オウム事件=権力の陰謀説〉への反論なんかそうでした。大切な視点プラス分かりやすい文章で」。

   ◆ ◆ ◆

 須山さん、お時間を取ってもらってホントにありがとうございました。最初に書いたとおりシドロモドロの状態だったので、意味を取り違えていないかどうかが心配です。もし間違いがありましたら次号で訂正しますのでご了承ください。
 ライブ案内もこれが最終回。曲目も全曲決まっています。一九七三年のチリのクーデターで虐殺されたビクトル・ハラの歌がうたわれます。ベトナム反戦運動の中で生まれたアメリカのフォークソングも。そして、そして、有名な歌も…。え、何かって? ごめんなさい、それは当日のお楽しみということで。だって、みんな明らかにしてしまうと楽しみがなくなる(紅白歌合戦も新聞に全曲紹介されるようになって面白くなくなった)とWorkers大阪の仲間に言われて、それもそうだと思ったんです。「あれを歌うんとちゃうやろか」と胸をドキドキさせながら当日を待つというのもなかなかいいものですよ。
 (椎原一夫)

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「チェルノブイリから10周年」に参加して
「もんじゅとめよう」と熱心な討論



 世界を死の灰の恐怖に陥れたチェルノブイリ原発事故から一○年目に当たる今年四月二七日、大阪において、とめよう「もんじゅ」関西連絡会主催、「チェルノブイリから一○年──子どもたちの未来のために」と題されたイベントが催されました。
 オープニングでは、高校生たちのグループによる和太鼓の演奏や詩の朗読がありました。また、これに併せて映画上映、チェルノブイリ写真展、チャリティバザー、朴保(パポウ)&切狂言によるライブ等も催され、とても盛り上がっていました。
 この盛り上がりは、実行委員会が何もかも運営していくというものではなく、参加者がそれぞれ創意工夫をこらしているからではないかと思います。特に、高校生のグループは自主的に実行委員会に参加を申し込んできたとのことで、運動の幅の広さ、懐(ふところ)の深さを感じました。
 続いて、「もんじゅとめるためには」と題したトークがあり、昨年一二月に起きた「もんじゅ」ナトリウム火災事故のとらえ方や廃炉へ向けた運動の進め方について熱心な討論がされました。なかでも印象に残ったのは、原発が集中している福島、新潟、福井の各県が連名で、「今後の原子力政策の進め方についての提言」を総理大臣宛てに出したことです。
 「もんじゅ」の事故が直接のきっかけとなったとは思いますが、地道ではあるが真摯な反対運動を継続してきた結果として地方行政庁を動かしめたと言えるでしょう。
 この提言では、まず、もんじゅのナトリウム火災事故に係わる情報公開の方法や動燃(動力炉・核燃料開発事業団)の一連の対応のまずさについて、国民に大きな不安と不信を与えているとして批判したうえで、「原子力・エネルギー政策について、国民各界各層の幅広い議論、対話を行わなければ住民の理解を得ることができない。このために、原子力委員会に国民や地域の意見を十分反映させることのできる権威ある体制を整備すること、また、検討の段階から十分な情報公開を行うこと」等、原子力行政を一手に牛耳っている中央官庁に対して、地方行政としては異例の提言を行っています。
 これまで秘密裏に中央官僚の手に握られ、運営されていた国の重要政策を国民の手に戻すべきだと行政庁自ら言わしめたことは、中央の統制がもはや限界に来ている証拠ではないでしょうか。
 一○年前のチェルノブイリと昨年の「もんじゅ」、二つの事故は、規模こそ異なるものの、原子力開発が機密のベールに包まれている点や事故を過小に取り扱おうとした点できわめて同質だと思います。一方は、中央統制社会で秘密主義の一九八六年のソ連で、もう一方は、「我が国の技術水準ならば事故はあり得ない」と豪語し、「自主・民主・公開」が原子力三原則であるはずの九五年の日本で起こったことです。つまり、日本の中央官僚は一○年前のソ連の官僚と同じ過ちを犯していると言わざるを得ません。日本の官僚は硬直した国家運動ではやって行けない時代が来ていることを早く認識すべきです。
    (大阪・TN)

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薬害エイズを絶対に許すな
製薬資本と厚生省の「犯罪」を徹底的に裁け



 薬害エイズ裁判で「和解」が成立した直後から、これまで「見つからない」とされてきた厚生省のファイルが、次々と見つかり、恐るべき事実が明らかになってきた。
 血友病の治療薬である「非加熱製剤」の危険性について、厚生省や製薬企業の幹部は早くから気がついていたのに、それを防ぐ手立てを取らなかったばかりか、ミドリ十字をはじめとした製薬資本の利益を温存するために、迅速な対策を妨害する圧力があったことが明らかになったのだ。
 まず、第一に「血友病患者」にエイズが見つかったのに、それを「第一号患者」として認定することを妨害した。これは、非加熱製剤を製造した製薬企業が自らの責任を認めるのを少しでも遅らし時間稼ぎするためとしか思えない。
 第二に、安全な加熱製剤を海外から緊急輸入することが厚生省で検討されたにもかかわらず、それによる「損失」を恐れた製薬企業の圧力で、加熱製剤の承認がズルズルと遅れた。
 第三に、日赤に委託して安全な血液を用いた「クリオ製剤」を開発することも検討されたのに、それによってシェアを奪われるのを恐れた製薬資本の圧力で、断念された。
 第四に、非加熱製剤の回収が指示されたのに、「自主回収]と称して、ノラリクラリしながら、在庫を売りさばき、被害を拡大した。
 製薬資本や、これと癒着した厚生省官僚のやったことは、まぎれもない「犯罪」であり徹底的に裁かれ、断罪されなければならない。一刻も早く、患者・被害者の治療体制を確立しなければならないが、そのためにも、今回の事態を引き起こした責任者は全員、医療行政と製薬業界から追放しなければならない。
(S)

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色鉛筆   最先端


 「おめえ、インターネットって知ってるか」「ええ、知ってますよ」「だったら教えてくれよ」「…………」「へへ! 知らねえで言ってやがんの」。
 Workersもついにインターネットのホーム・ページを開設した事が報じられていました(本紙四月一五日号)。
 時代が大きく転換していることを感じさせてくれる記事でした。しかし、僕といったら、あの酒場でビールをかたむけている愛すべき二人と同様の人間です。
 先日、友人のパソコンの修理のために、生まれて初めて日本橋(にっぽんばし。東京でいったら秋葉原)に出かけました。道路の両側にはビッシリと電気製品店のビルが立ち並んでいる街です。おそらく、ここに来れば、世界の情報通信機器の最先端技術の粋を集めたあらゆる物を手に入れることができるのだろうと思います。しかし、僕にとっては、ブラックボックスの中に放り込まれたようなもので、全く理解できない広告チラシや箱のかたまりが所狭しと並べられている店頭は、自分の居場所を迷わせてしまうばかりのところでした。
 「分かる人達にとっては、こんなに楽しい所はないのだろうなあ」と思ったりしながら早々に車に戻った僕は、道行く人達の様子をぼんやりと眺めていました。
 「男ばっかりやな」。次から次へと溢れかえるような人波の中に、女の人の姿はほとんどありませんでした。
 「やっぱりそうなんだ!」。多くの女性たちは、端末機を叩き、それはあたかもかつてのベルトコンベヤーによる流れ作業のように行われ、産業構造の末端を支えています。しかし大多数の彼女達は、結婚をして、ある者は職を追われ、また他の者は家に帰れば家事や育児に追われ、パソコンをさわる暇さえなくなってしまう現実が横たわっています。
 先日テレビで、ゲームソフトの開発に凌ぎを削る人達の様子が報道されていましたが、やはりそこでも男達が主役でした。
 日本橋や秋葉原に女性の姿がドンドン増えていき、最先端の産業構造の中での主役として姿を現してくるような時代が、必ず訪れてくるでしょうが、それはまた、大きな歴史の転換点を指し示してくれることでしょう。
 そんな新しい時代のことを頭の中に想像しながら、ブラックボックスから抜け出してきた僕でした。
 酒場でビールを呑んでいる愛すべき人。「インターネットのこと、教えてくれよ」。ホームページを開けば、様々な情報を瞬時にして手に入れたり、見知らぬ人々の闘いに触れたり、多くの人々との連帯や共感を作り出していくことだってできるのです。
 パソコンなんてもう無理だ! と言わずに、そろそろ重い腰を上げては、どうでしょうか。
 こうして薦めている僕の腰もなかなか上がりそうにありませんが、「LIBERATION」(Workersの登場するホームページです)、見てみたいなあ! と思うのです
(寿)

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地声人歌


終刊号の血色の活字にふるいつく
幾十万の悲憤の視線
             南 正胤

 短歌というのは色々なものを歌ってきたなあと感心します。多分これは『新ライン新聞』のこと。一九世紀ドイツの革命派の新聞ですが、政府の弾圧によって廃刊を余儀なくされ、一八四九年五月一九日、赤刷りの最終号が出されました。六千部の発行を誇ったといい、何人もが回し読みしたでしょうから「幾十万」も大げさでない? それにしても我が『Workers』もいつかこういう数字に近づけるか。

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各地のメーデー集会
闘いの火は燃え続けている



京都  Workersに関心
 いつもは大阪のメーデーに参加するのですが、今回初めて京都のメーデーに二人で参加しました。というのは、京都はまだまだ労働運動がしっかりしている(少なくとも大阪よりは)と思ったからです。
 まず最初に、京都総評(全労連・全労協)が主催する第六七回全京都統一メーデーに行きました。場所は、二条城前広場でした。
 さっそく私達がビラまきをしようとしたら、いきなり主催者らしき人が来て、「ここではまくな。城(二条城)から言われている」と言いました。最初は嫌がらせかとも思いましたが、違いました。その証拠に、ちょっとだけビラをまいていたら、すぐに二条城の警備らしき人が飛んで来て、ビラまきの位置を変えるように言ってきたからです。
 ビラをまいていたのは、党派としては共産党、社労党、人民の星、そして我が協議会でした。後は労働組合等の団体が十幾つかありました。
 ビラをまいての反応で特徴的だったのは、何人もが向こうからわざわざビラを取りに来たことです。これは我が協議会がどういうことを言っているかに興味があったからだと思います。そして参加者が当初予想していたより多く(主催者発表二万五千人)、また連合
のお祭りメーデーと違って住専やら労働争議のプラカード等が目立ち、京都に来た甲斐があったと思いました。
 そして、小組合が中心の第六回京都地域メーデーにも参加しました。会場が京都駅近くの戒光寺児童公園というところで、移動するのに手間取りましたが、何とかたどりつきました。参加人数は一五○人ほどでしたが、ビラは全員が受け取ってくれました。人数は少ないが、連合メーデー等の、動員でしぶしぶ来ている人達とは違い、やる気が感じられました。
 そしてデモにも参加をしました。私自身メーデーでは本当に久しぶりのデモ参加で、小雨は降っていましたが、なぜか心地良かったです。
 そしてデモ終了後、国労筑豊闘争団のアピールの中で、国鉄を解雇になって裁判をしている一○四七人の中から、中労委より七人をJRに採用せよという緊急命令があったという報告がありました。
 最後に、京都のメーデーに参加を呼びかけてくれた労働者の方に、この場を借りてお礼を申し上げたいと思います。これからもよろしくお願いします。
(河野守)


兵庫  闘う労働者の姿も
 大震災から一年三カ月余のメーデーですが、被災地ではまず会場確保からというのが実態です。私たちが宣伝を行なった尼崎会場は例年通りの会場でしたが、神戸や西宮では今年も会場変更になっています。
 今年も予報では雨。朝は降ってませんでしたが、途中からやっぱり降りだしてしまい、おかげで用意していたビラ二〇〇〇枚を撒き切ることができませんでした。参加者は約八〇〇〇名ということですが、とてもそんなに結集している感じではありませんでした。以前のようにあとからあとから隊列が会場に到着するということもなく、もう一つ活気がありません。今年から尼崎労連(共産党系)は別会場での開催となり、こちらは六〇〇名の参加ということですが、デモもあり連合系よりは元気なようです。
 さて、連合尼崎の会場に宣伝に来ていたのは社民党や共産党以外で目立ったのは神鋼の闘うグループでした。出向や賃金差別と闘っているグループですが、平均年齢が五〇代に達しているようです。このグループの集会には何度か参加したことがありますが、際立った特徴はその年齢の高さです。鉄鋼労働者の闘いは私の知る限り、こうした年代の労働者によって支えられているようです。今の若い世代にどうして闘いが広がらないのか(このことは鉄鋼に限らず多くの運動体に共通の悩みではありますが)、このままではあと一〇年もすれば闘いそのものが消滅してしまうのでは、と思ったりしてしまいます。
 他の会場の様子を新聞から拾ってみると、西宮では土井たか子衆院議長が被災地への公的助成の実現に意欲を示す挨拶をしたとのことです。今の社民党にそんなことができるのか、できるならやってもらおうじゃないかという感じです。それから、伊丹ではゴミを集めながら会場まで行進し、なんと二トン以上ものゴミが集まったとのこと。
 新聞のメーデー記事を切り抜きながらあれこれ考えてみるに、メーデーも曲り角というより、もう曲がってしまってこれからどこへ行くか分からない感じです。労働者の闘いらしい闘いがほとんどなくなってしまった現状では、それも仕方がないのかもしれません。しかし、闘いがまったくなくなったわけではなく、小さな闘い、細々とした闘いではあれ引き継がれており、火種は間違いなく燃え続けています。
(晴)


東京  元気あふれる日比谷メーデー
 東京では今年も連合、全労連、全労協に分かれてのメーデーとなりましたが、私たちは全労協メーデーに参加しました。
会場となった日比谷野外音楽堂には開会前から多くの労働者が集まり始め、開会時には通路までびっしりと人で埋まり身動きをとるのも困難なほどでした。ビラも受け取りも非常に良好でした。参加者の数をみても、ビラに対する反応をみても、昨年のメーデーと比べ労働者の意気が上がってきていることを実感しました。
 その背景には、リストラ攻撃の激化、住専や沖縄や薬害エイズ問題などへの労働者の憤りや不信感があると思います。参加者のゼッケンに書かれたスローガンにも、これらの問題への労働者の怒りや抗議が表明されていました。
 私たちは入り口でのビラ撒きに専念していたので、集会での様々な発言を聞くことは出来ませんでした。しかし予想以上にビラの受け取りが良く、残念ながら途中でビラがなくなり、幸か不幸かプログラムの終わりの方になって集会に参加することが出来ました。
 会場に入ってまず気づいたのは、最初に書いたように昨年より参加者が多いのではないかということです。次に、ステージの上で労働歌謡を歌う韓国からきた青年達のはつらつとした力強い姿が印象的でした。彼らの歌のいくつかは、数年前に韓国スミダの若い労働者達がよく来日していた頃一緒に歌ったこともこともあるのでなつかしさがこみ上げてきました。
 また昨年と同様、外国人労働者の参加者が目立ちました。今年は全員で七〇人くらいはいたでしょうか。その多くはスリランカの人達で、自国の政治問題の訴えたスローガンを大書したプラカードや横断幕や赤旗を掲げ、ステージの韓国の青年達の歌に合わせて力強くこぶしを突き上げていました。
(A)


大阪  強まる「お祭り」ムード
 大阪府下のメーデーは三十一か所、市内は連合系と全労連系、全労協系に分かれて開催され、「Workers」とビラを連合系と全労協系に配付しました。 全労協系の会場へは、五月十九日に予定の「反戦歌ライブ」のチラシも同時に配布しょうと勇んで出かけたSさん、ガックリ。二百名位の参加者しかなく、発足当時のメーデーと同じ様な状況、あまり組織拡大は出来ていないようです。
 連合系の大阪城公園は、主催者発表で十五万人の参加。年々、ビラの受取も悪くなっている感じです。ときおりの小雨の為ではありませんが、誰が演壇に立っても、何を話しても(震災や沖縄問題の重要な話題でも)会場はシラケていました。唯一みんなが集中したのは、一等乗用車に二等二十五万円の旅行券、買い物券などの「震災支援くじ」の抽選の時だけでした。
 旧総評系は、会場周辺の散策のようなデモもありましたが、全体的に「お祭り」ムードが強まっています。大阪でも「五月一日開催見直し」が議論されているそうで、ますます形骸化が心配されます。
 個人的には、メーデーは他職場の人達に会えたり、終了後は職場の仲間たちと食べたり飲んだり出来る少ない機会でもあり、今のような規模で残してほしいものです。 
(O)

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