天皇制賛美の植樹祭に抗議行動
差別と特権と民族主義のテコである天皇制賛美を許さない
規制はねのけ抗議行動
「国土緑化」をうたい文句にする「第四十七回全国植樹祭」が、天皇、皇后参加の下、五月一九日東京で強行されました。東京都と国土緑化推進機構主催のこの植樹祭の会場となったのは、辰巳の森海浜公園と東京湾の中央防波堤内側処分場(共に江東区)と多摩地区の桧原村「都民の森」の三カ所です。当日は会場周辺の道路は、午前七時から午後三時まで完全封鎖されるという生活妨害が横行し、三会場では一般住民や子供達が動員されました。
この日江東区の植樹祭会場のすぐ近くでは、地域の住民や労働者、学生など三百人以上が結集し東京植樹祭抗議集会が行われました。集会会場である東陽町公園の入り口には、私服や公安が百人近く陣取り、参加者をチェックしたり威圧したりしていました。
最初に主催者側の九六東京植樹祭を問う共同行動と植樹祭問題を考える江東連絡会の代表者からアピールがあり、続いて部落解放同盟東京都連、東水労青年女性部、地域共闘交流会、東京植樹祭に反対する学生の会等の力強い決意表明が行われました。その後「天皇賛美の植樹祭はいらない」、「警察の過剰警備を許さない」、「十八億円もかけて植樹祭をやるな」などのシュプレヒコールで沿道や地域の住民の人たちに訴えながら抗議のデモを行いました。
緑化推進? 天皇制賛美が本当の目的だ!
「全国植樹祭」は「戦災にあって疲弊した日本国土に緑を回復しよう」という名目の下に一九五〇年から始められ、毎年春に国土緑化推進機構と都道府県の共催で開催されてきました。
しかし、その本来の目的は、「自然保護」、「国土緑化の推進」、「森林資源の保全」等々と語り誰もが反対できないテーマに天皇を参加させることで、天皇制を強化し、天皇賛美のイデオロギーを植え付けていくことにあります。
これまでも、各地の植樹祭では、会場をつくるために多くの木が切り倒され、自然がないがしろにされてきました。今回の東京植樹祭の会場となった「都民の森」は、東京都が行ったブナの木を切ってコンクリートで固めるという全く自然の摂理を無視した造成工事が原因になって、九一年の台風被害で崩壊が起こったいわくつきの場所です。また、辰巳の森海浜公園と中央防波堤内側処分場は、いずれも臨海副都心に隣接し、この副都心開発のなかで七万八千本もの木を伐採されて整地された場所です。植樹祭のテーマに「森がささえる暮らし、都市をはぐくむ緑−東京森隣生活」などと掲げていますが、臨海副都心開発などで取り返しのつかない環境破壊を引き起こしてきた東京都が、本気で自然保護を考えているはずがないのです。
また警察は十二日より会場付近を中心に通行人チェックや、車両検問の人権侵害を行い、最大で一万三千人の警察官を動員するという過剰警備体制に入りました。「辰巳の森海浜公園」は約四千個一万数千人が暮らす住宅街のど真ん中にあり、「開催場所や隣接地域などで、野宿者の追い出しや精神障害者の強制入院の要請があったり、自治会などを通じて「二階の窓を閉めろ、顔を出すな、洗濯物をほすな」などの指示が警察や役所から出されたりした」(4・13朝日新聞)等とあるように、警察の過剰警備や人権侵害が横行してきました。
九六年度の東京都の予算では全国植樹祭の開催に六五億六千万円もの膨大な額が割り当てられています。全く意味がないどころか、戦争と暗黒政治の共犯者、特権と差別の象徴である天皇制を維持し強化するために、血税を用いてこんな無駄遣いをしていることを、私たち労働者は決して許すわけにはいきません。
九七年は宮城の蔵王で植樹祭が行われようとしています。今回の東京植樹祭は残念ながら国や反動勢力によって強行されてしまいました。この東京の植樹祭を最後の植樹祭にすべく、来年の宮城植樹祭の阻止のために、共に闘っていきましよう。
(横尾)
●『WORKERS』の目次 へかえる
●ホーム・ページ へかえる
Workers全体会議開かれる
結集軸や規約、活動のあり方めぐり活発な討論
組織名変更を決定
5月25日と26日の両日にわたって、WOERKERSの全体会議が開かれました。
今回の全体会議では、WORKERSの結集軸の明確化や規約の改正、組織名称の変更、新聞の性格や内容、日常活動のあり方などが議題となり、活発な討論が行われました。
結集軸と規約については二つの対立する案が出され議論となりましたが、時間の制約もあり採決までいたらず、次回の全体会議まで持ち越しとなりました。組織名称は、新しい労働者党をめざす全国協議会(東京・埼玉・大阪・兵庫・岡山・福岡)からワーカーズ ネットワークへと改められました。
全体会議の議論は次号で紹介させていただくこととし、今号では会議に向けて提出された会員の文書を掲載しました。読者の皆さんのご検討をお願いしたいと思います。
(A)
●『WORKERS』の目次 へかえる
●ホーム・ページ へかえる
当局を圧倒し氏名札裁判いよいよ結審(郵政近畿)
五月二二日、午前一○時より大阪地裁において第二三回氏名札裁判がありました。九一年五月に二六名から始まった裁判は現在六七名にもふくれあがりました。これだけ多くの原告が出るとは近畿郵政当局もよもや考えていなかったと思います。
■ ■ ■
今回も傍聴席は原告や支援の人でいっぱいでした。そしてこれでいよいよ結審です。
まず、原告側永嶋弁護士より氏名権について、氏名は人格権の一部であり、プライバシーであるとの説明がありました。
次に中北弁護士より、氏名札がサービスの向上や自己規律、職責の自覚、職員間の連帯にまったく役立たないことを明らかにしました。近郵当局は、この裁判を通じてなぜ氏名札がサービスの向上等につながるのか、とうとう明らかにできませんでした。あたりまえです。そんなものは最初からないのですから。
それから永嶋弁護士より、例えば加古川局で同じように氏名札不着用者がいるのに、年間十数回の訓告処分が出る人とまったく出ない人がいるという当局のいい加減さを明らかにしました。
そして最後に、原告を代表して北川さんより最終陳述がありました。その中で、九三年四月三○日に氏名札強制に反対しかつ公正な裁判を求める署名一一九二名分を裁判所に提出したこと、また本人の承諾なしに人格権の象徴である氏名を明らかにすることはできないこと等を明らかにしました。そして様々な企業の横暴に目をつぶってきた裁判所も、「企業の番人」だと痛烈に批判しました。
■ ■ ■
これで後は判決を待つだけとなりました。この時期に、氏名札不着用闘争を私なりに振り返ってみたいと思います。
まず、九○年五月に近郵当局より氏名札着用を指導する「達」が出されました。そして各局で処分が出され、それを不服として九一年五月に二六名が裁判を始めました。
このとき私の職場では、定期昇給をカットされるほどの処分はまだ出ていませんでした。そして私自身、このときは、定期昇給をカットされる前に氏名札を着用しようと思っていました。賃金を減らされてまで不着用を続ける勇気はありませんでした。
しかし、氏名札強制が郵政省による労働者への攻撃の一環であるのは理解していたので、すんなりと着用するのをためらっていました。
そうこうするうちに、訓告処分がかさみ、九二年四月の定期昇給を一号俸カットされました。これで初めてふっきれました。それからずっと現在まで、氏名札を着用していません。
その結果、五年連続定昇一号俸カットされて、私より勤続年数の新しい人にどんどん賃金を抜かれています。全逓(連合)の人にも郵自労(全労協)の人にも抜かれています(私は全逓)。このことからも、所属組合は関係なく、当局に従わない者は徹底的に叩きつぶすという当局の考えがわかります。
■ ■ ■
氏名札不着用を続けているのでよかったことは、この問題に理解をしてくれる人が増えてきたことです。継続は力だと思いました。
今後も郵政当局のさまざまな攻撃はつづきますが、労働者一人ひとりの闘いによって反撃が可能だと思います。
なお、次回裁判は判決です。七月一七日、午後一時一五分、大阪地裁八○九号法廷です。ぜひ参加してください。
(大阪・河野守)
●『WORKERS』の目次 へかえる
●ホーム・ページ へか
全国各地で看護労働者の集会
五月一一日の「看護の日」にちなんで、全国各地で看護労働者の集会やデモが行われた。
今年は、東京で三月の春闘時に医労連のナース・ウェイブが、五月九日には全国医療のナース・アクションが開かれ、看護労働者のデモが行われた。これらに合わせて、各地でも集会が開かれた。福岡では、五月一日のメーデー集会で、福岡医療(連合)のナース・アクションが行われ、看護労働者がメーデー参加者の検診を通してアピールをした。五月一一日には、福医労(全労連)の看護婦集会とデモ行進が行われた。
医療労働者の組織は、現在、連合系の全国医療(自治体病院や日赤病院等の労組が参加)と全労連系の医労連(国立病院や民医連病院等の労組が参加)が、それぞれ約一五〜二〇万人を組織しているが、両方合わせても医療労働者全体の三割に満たない。とはいえ、両組織が競い合うように、看護労働者の集会を企画していることは、大いにいいことだ。
(医療労働者・S)
●『WORKERS』の目次 へかえる
●ホーム・ページ へかえる
第五回神坂国賠訴訟開かる!
思想差別の任官拒否を許すな!
この種の裁判の困難は、まさに相手が国だということです。彼らは裁判所も身内という態度で、訴状にすらまともに答えようとしません。適当にあしらっておけば、裁判所が門前払いしてくれる、余程のことがない限り実質真理にはならない、と高を括っているのです。
神坂直樹氏の裁判官任官拒否に対する国家賠償請求訴訟も数えて五回目、そろそろ争点が明確になって、証人調べへと進む時期です。
神坂さんが第一に問題にしているのは、修習所教官による「いじめ」、任官撤回の強要の事実です。国側はこの点について、教官の発言を確認して法廷で明らかにすることを怠っています。勿論原告側の主張を認めているわけでもなく、結果的に任官希望は撤回しなかったんだから、問題なかったというわけです。
しかしこのことはよく考えてみると、修習所ではこうした教官によるふるい分けが日常的に行なわれていることを明らかにしているのではないでしょうか。つまり、神坂さんは頑固だったのでいびっても落ちなかったから表面化したが、大方はこの手でうまくいってきたのでしょう。
どっちにしても、事実関係を明らかにしようと思えは、教官を証人として法廷に呼ぶ以外にありません。しかし、裁判官が裁判官を証人として採用するなんてことがあるでしょうか。そんなことがかつてあっただろうかと考えつつも、普通の常識ではこの裁判は教官抜きでは考えられません。常識が通用するところではありませんが、ぜひとも証人として呼ばなければならない人物です。
次に問題なのが、任官にあたっての思想差別です。
国側の主張は「任官請求権」というようなものはない、教官が行なったのは「修習を終えたものに対する進路指導」にすぎない。差別的取り扱いを受けたというが、それによって何が侵害されたのか(任官は権利ではない)、任官は「能力、人格、識見等を総合的続き判断」して行なっている、というものです。
しかし原告が主張しているのは、「判事補指名について不合理な差別的取り扱いを受けない利益」が侵害されたということ、つまり思想差別を受けたことそのものを問題にしているのであって、「任官請求権」を主張しているのではありません。それは国側による論理のすりかえです。言うまでもなく、憲法一四条には「法の下の平等」が明記されていますが、その憲法を守るべき裁判官が思想差別を当然のことのように行なうのだから、全く困ったことです。
大阪地裁民事第九部(佐藤嘉彦裁判長)はどうかというと、事実整理を行なって審理を促進しようとしています。それ自体は必ずしも悪いことのようには思えませんが、裁判所主導で争点を絞り、絞り切った問題だけ検討しようというもので、早期結審の可能性もあり警戒が必要です。
この日、神坂氏は生まれたばかりのあかちゃんを抱いた奥さんとともに裁判に望み、「お宮参りはしないが、裁判所参りはする」とこの裁判にかけた決意を明らかにしました。裁判官の寺西和史氏も「人格、識見の評価は主観的になりやすく、採否の要件にすること自体余程慎重でなければならないと思うが、神坂さんに直接会ってもいない最高裁の裁判官が、神坂さんの人格、識見が問題だなどと評価して任官拒否したとするなら、とんでもないことだと思う。連中がどう評価したか知らないが、私は、神坂さんが人格的に極めて優れた人物であると断言できる。逆に、日本の(とくに最高裁の)裁判官連中に、あなたは神坂さんの人格、識見を云々できるほどの人物かと問いたいくらいである」(「週刊金曜日」一二二号)と述べています。
このままでは、どこから切っても同じ金太郎飴の、とんでもない裁判官ばかりになってしまいます。この裁判はこうした問題を明らかにし、裁判の何たるかを問うものです。ぜひ傍聴席に座ってみてください。な
お次回裁判は、七月二六日午後二時から、大阪地裁八一〇号法廷です。
折口晴夫
●『WORKERS』の目次 へかえる
●ホーム・ページ へかえる
新宿野宿労働者支援への弾圧を許さない!
第一回公判闘争に参加して
麻原昇光の破防法団体規制の第2回弁明手続きと同日の5月15日(水)、笠井(山崎)和明さんと本田庄次さんの初公判(刑事裁判)が東京地裁429号法廷において開かれた。
今年1月24日、新宿西口での「動く歩道」建設を名目にした東京都・警察によるダンボールハウスの撤去とホームレスの強制排除に対し、自分達の危機に晒されている生命や生存権を訴える野宿労働者や支援者の激しい攻防戦が繰り広げられ、この闘いの中で彼ら2名は全く不当にも「威力業務妨害」の罪で逮捕された。彼らは「新宿野宿労働者の生活・就労保障を求める連絡会議」のメンバーで、2月14日「共同共犯」の「被告」とされ、起訴された。
二人の公訴事実には「道路環境整備工事を実力で阻止しようと企て、これに同調する多数の者らと共謀」とあるように、強制排除された野宿労働者問題とは無関係に都の工事を妨害したかのように描かれており、こうした都側の主張を、如何に公判の中で切り崩し本質を明確化できるかが焦点となる。又逮捕されて以来「証拠隠滅の恐れあり」という理由で弁護人以外の接見禁止となっており、この処分に彼らは準抗告の申立てを行ったが、裁判所はこれを却下している。今回の裁判闘争にはもう1人同じ「新宿野宿労働者の生活・就労保障を求める連絡会議」のメンバーの吉村理人さんの件があり、彼は1月24日に先立つ1月13日着工と排除を正当化するためにもくろまれた「告知」に抗議して不当逮捕され、「公務執行妨害」で起訴されている。この3人の併行の裁判闘争がようやく始まったのである。
◆ ◆ ◆
この日の裁判には50人以上の山谷、寿町、地元新宿等から共に闘っている野宿労働者や支援者が集まり、傍聴席も抽選で32名しか入れない状況であった。残りの者は終了まで2時間にも及ぶ長い時間廊下等に座り込んで、監視している警察へ抗議の声を上げながら公判の行方をを見守っていたが、その周りでは異様に思えるほどの体制で警察が厳重に法廷の入口を固め、廊下にいる者の言動を監視していた。
公判の途中で傍聴していた支援者が3名、言動が注意され退場を命ぜられて出てきた。1月24日の強制排除に対するマスコミによる警察・都側への批判的な報道や、不況による就職難、リストラ等社会的不安が高まる現状を反映し、権力側が今回の裁判に如何にピリピリしているかが量り知れる。
公判終了後、場所を日比谷公園に移して報告集会が開かれた。公園入口では破防法反対を掲げる弁護士組合の決起集会も開かれていた。3人の弁護士より初公判の感想と今後の方向が次のように話された。2人の意見陳述は今回の不当逮捕の本質を明らかにしたものですばらしかった。検察が主張する道路環境整備とはどういうことなのか。排除が目的であること、座り込みで抗議した支援者への圧力として「威力業務妨害罪」という不適格な罪状を持ち出してきたこと等、公判の中で裁判所に認識させる。2人の主張は公訴される事事態に問題があり「公訴棄却」を一貫として闘っていく方向である。
駆けつけた多くの野宿労働者から、裁判を傍聴していて、自分たちの人権や、生命を全く無視し、我々の質問にも耳をかさない態度に怒り心頭である。外から自分たちの闘いのさらなる団結をしていきたいとの怒りの声が聞かれた。
ご家族より、「2人は大変元気で頑張っている。この闘いは皆の闘いである。これからも団結して頑張っていきましょう」との接見禁止が解かれていない不安な状況下で力強い話があった。
そして最後に本田さんから、徹底交戦の構えで都側の不当性を追求し、法廷の場で全面的に明らかにしていきたい、そのためには我々2人の闘いではなく、外の闘いと相互に支え合い沖縄の闘いと連帯して野宿労働者と共に団結して闘っていきたい等の、さらなる団結を呼びかけた力強いアピールが読まれ、野宿労働者や支援者等は本田さんのアピールに賛同し、裁判闘争の意義を再確認した。
彼らは職を奪われ、社会から隔離され、生命さえも危機的状況に置かれている野宿労働者の社会的存在を問い、地道な支援活動を通じて信頼関係を築き、新宿コミュニティの形成等総体的運動を定着化し共に広げてきたが、それを恐れた警察権力は、強制排除を目的とした一連の施策を遂行するために予め逮捕メンバーを特定し、野宿労働者と共に現場で闘い、先頭を担ってきたメンバーを狙い打ち的に逮捕し、市民運動の弾圧と運動つぶしを狙ったことは明らかであり、彼らは無抵抗であったにもかかわらず、不当に逮捕され罪状をこじつけられたのである。
◆ ◆ ◆
運動の高揚を抑圧しようとする卑劣な弾圧に屈せず、彼らの無実=無罪を勝ち取るとともに、野宿労働者が増大している現状を切実に受け止め、社会から切り捨てられ、人知れず死んでいく野宿労働者のあまりにも酷い実態を無策に等しいまま放置している場当たり的な行政の責任を追求していく必要がある。
強制排除後港区の臨時保護施設へ入れられたが、この施設も期間限定で個人のニーズ、人権を無視し、収容しただけで、都内で3300人いるといわれる野宿労働者にとって全体化、総体化されていない。又都のこの臨時保護施設での就労斡旋の実態報告も都は業者を紹介し7割が就職できたと話すが、生の野宿労働者の声を聞いたり、「新宿野宿労働者の生活・就労保障を求める連絡会議」の調査結果と食い違い、建設関係の求人の多くは雇用、健康保険等に入らず退職金の保障もない、職安で紹介されたのと実際の待遇が違っている等、労働者にとって最低限の権利も保障されておらず、野宿労働者の高齢化の問題や政策の谷間の人達の問題等一旦就職しても新宿に戻ってきて有職に結びつかない現状がある。
社会生産システムから除外された者は生きる権利が余りにもなさずぎる今の現状を、同じ社会に生きる者として共に保障、権利を実現していくことが重要なのではなかろうか。
次回第2回本田さん・笠井さん公判は5月28日(火)です。多くの皆さんのご支援よろしくお願いします。
(T)
●『WORKERS』の目次 へかえる
●ホーム・ページ へかえる
スリランカ大使館へ抗議行動
民族の平等を! 非常事態宣言の解除を!
スリランカのチャンドリカ大統領が来日中の5月15日、スリランカ人民解放戦線(JVP)日本支部の代表とスリランカの民主化を支援する会の17名が、同国大使館を訪れ抗議行動を行いました。以下は「支援する会」が大使館側に手渡した抗議文です。
スリランカ政府ならびにチャンドリカ大統領 殿
チャンドリカ大統領、あなたは一昨年の大統領選挙と総選挙に臨んで、自分たちが選挙で勝利したなら必ず実行すると言ってスリランカの労働者・勤労者に対していくつもの約束をしました。タミール・ゲリラとの間での和平の追求、大統領に極端な権力集中を保障している執政大統領制の廃止、政治犯の釈放、虐殺者の処罰、民衆の生活を破壊している開発政策の中止等々の約束でした。もちろんこれらの約束は、単にスリランカの勤労者に対するものというだけでなく、同時にスリランカの圧制を憂えている全世界の人々に向けての約束でもありました。
ところがあなたは、政権の座に座ったとたん、これらの約束を公然と踏みにじりはじめました。タミール・ゲリラへの挑発を繰り返し、執政大統領制を逆に自らを守る手段とし、政治犯の釈放を制限し、虐殺者は政府の高官に登用し、死刑制度や検閲制度を復活させたり非常事態方を発動したりというのが、この一年数ヶ月間あなたが実際に行ってきた政治だったのです。
私たちは、あらためて、あなたとあなたの政府がスリランカの労働者・勤労者への公約を守るよう、強く要求します。こうした約束を実行しない限り、スリランカ国民だけでなく日本の労働者・市民、そして世界中の労働者・市民は、スリランカ政府を自由と民主主義と進歩に敵対する政府、抑圧者の政府と見なして厳しく批判し続けることを止めないでしょう。
■平等の原則に基づいて民族問題を解決せよ!
■非常事態宣言を直ちに解除せよ!
■執政大統領制を廃止せよ!
■民主主義を復活させよ!
■すべての政治犯を釈放せよ!
スリランカの民主化を支援する会
●『WORKERS』の目次 へかえる
●ホーム・ページ へかえる
移住(外国人)労働者問題全国フォーラムに参加して
「受け入れ」と「閉め出し」の狭間で
@「受け入れ国」日本の抱える矛盾は何か?
第一日目の全体会には、全国から約三五〇名が参加した。翌日を含めると約四〇〇名である。これは予想を上回る人数で、移住労働者の問題に対する関心がいかに高く、また各地の運動がいかに広がっているかを表している。しかも、問題に直面する当事者自身である、アジアやラテン・アメリカ等からの移住労働者・外国籍市民が数十名参加し、積極的に発言したことが注目される。
国境を越える労働者、しかし権利は国境を越えられない・・・
アジアや中南米諸国からの出稼ぎ労働者が、日本へやってきて、中小企業や飲食店等で働くようになったのは、八〇年代からで、現在二〇〇万人を越えると言われている。
バブル経済の絶頂期、日本の資本は「人手不足」を補うために、法的整備も不十分なままに、こうした外国籍労働者を受け入れ始めた。単純労働への就労を一般的に禁止しつつ、八九年に「日系人に限って単純労働への就労を認める」という「出入国管理及び難民認定法」改正が行われた。そのもとで、実際は日系人であるか否かを問わず、多くが半ば非合法のまま事実上は就労を容認されていた。ところが、バブルが崩壊すると、今度は彼らを「不法滞在者」として閉め出しにかかった。人間を単なる「労働力」としか見ない資本にとっては「当然」であっても、生身の人間である労働者にしてみれば、本当に身勝手な話である。
今起きている様々な問題は、つまるところ、今日、資本も労働者も国境を越える時代になったのに、労働者の権利の方は国境でシャットアウトされてしまう、という理不尽に起因していると言える。しかし労働者は、国境のこちら側で働こうが、向こう側で働こうが、働く以上は、賃金を払ってもらう権利、労災にあったらその補償を要求する権利、滞在し続け生活するための権利を獲得するために、闘わざるを得ないのだ。
法務省も認識していた「単なる労働力では済まない」と
基調報告「日本の出入国管理行政を問う、青柳行信氏の裁判を通して見えてくるもの」で弁護団の矢野正剛氏は、法務省当局者が次のように述べていることを指摘した。(以下、『季刊労働法』一六四号、一九九二年八月、法務省入国管理局政策課「出入国管理及び難民認定法改正後の動向と今後の政策」より)
まず法務省は「外国人労働者の導入をする場合、受け入れ人数の上限を策定することは容易ではなく、日本が不況となって帰国させても本国も不況であるため(中略)失業の輸出となること、従って(中略)受け入れた外国人らは、失業者として日本国内に停留して
、(中略)その滞在期間は長期化しやすい。」と、単に日本の雇用変動による一時的導入ではすまないことを正しくも指摘している。
そして「外国人労働者の導入が、当然に、家族の呼び寄せなどの人道的配慮も要請され、実際に定着化・定住化は避けられず、単純労働者の受け入れは単なる労働力の導入ではなく、『生活や文化を背負って生きている人間の受け入れ』として、経済原則のみでは到底律し切れないこと、経済や個別の産業の労働需給のみによって判断すべき問題ではなく、我が国の産業、労働、国際協力、教育、福祉、保健衛生、治安などの(中略)問題でもある。」と、社会政策上の対策が必要であることを認めている。
その上で「日本は外国人労働者を受け入れる以上は、外国人労働者及びその家族の経済的・社会的諸権利の保証及び環境整備が受け入れ国の当然の責務として求められ、それには社会的保険制度その他の公的制度」が必要でありその「コストは最終的には全国民が負担しなければならない」と述べている。
二転三転、矛盾に満ちた入管当局の対応
矢野氏は、法務省当局がこのような認識を持ちながらも、実際には何らそれに相応しい対策を講じず、ただ不況に伴い「定住資格」の取り消しによって、帰国させようとしたこと、しかもそうしながらも「一概に、不許可、即不法残留というのも酷でありますので、一定の猶予期間を与えて、出国準備のため、不法残留の手続きはされず、日本におられる」(入管当局の審査官の証言)という対応を取って、事実上は就労を容認していたことを指摘した。
従って、今回の裁判でも、青柳さんがペルー人に仕事を紹介したことは「人道主義に根ざしたもので、入国管理行政を補完する意味合いがあったことは否定できない」と言わざるを得なくなっている一方で、青柳さんにペルー人の世話を暗黙のうちにたのんでいた入管は裁かれず、青柳さんだけは「有罪」とするための苦しい論理展開で判決を出すという矛盾を露呈しているのだ。
つまり、法務省当局自身が、「資本の必要とするだけは外国人労働力を確保しなければならない」、「そのためには社会生活に必要な諸権利も認めざるを得ない」、しかし「資本が必要とする以上の労働力は閉め出さなければならない」、「そのためには強制退去という権力的手法を取らざるを得ない」といった矛盾の中で右往左往しているのである。
これは、資本主義経済が、一方では必然的に国境を越えて発展し、資本も労働者も国際的に移動するが、他方ではそれぞれの国家に総括されて相互に利害を対立させている、という矛盾を背景としていると言える。そして、その矛盾は、国境を越えて働く労働者に対しては、入管当局の権力的な対応として、耐え難い抑圧をもたらすのである。(続く)
●『WORKERS』の目次 へかえる
●ホーム・ページ へかえる
ヘーゲル論E
前回、最後に見たように、人類の歴史的発展に対する地理的環境の重要さについては、ヘーゲル以後にも以前にも多くの人が語っていた。が、研究者はたいてい、人間に及ぼす四囲の自然の心理的あるいは生理的な影響だけを見て、それが生産力の状態に及ぼす影響については見過ごしていた。だがヘーゲルは、個々の場合はともかくとして、問題の一般的取り扱いにおいては、この致命的な欠陥を免れていた。
地理的環境
すなわち、まずヘーゲルにあっては、地理的環境には三つの部類がある。「一、広大な草原や平原をもつ水の無い高地。二、大河が横断し、またその灌漑を受けている交通地、つまり平地。三、海洋と直接の関係にある沿岸地方」(『歴史哲学』序論)。
そして、高地においては牧畜が、平地には農業が、沿岸地方には商工業が優勢を占めるという。
そしてこの根本的な区別に応じて、当該地方に居住している民族の社会的関係もまた種々の形態を示す。すなわち、まず高地の居住者、例えばモンゴル人などは、家父長制的な遊牧生活をいとなみ、言葉の本来の意味における歴史というものを持たない。ただときどき集まっては大群をなし、その過ぎゆくところ後に破壊と荒涼とを残しつつ、雪崩をうって文明国に襲いかかる。
文化生活は平地にはじまる。その繁栄は河川に負う。「そのような平地としては、中国やインドやバビロニアやエジプトがある。こうした国々には大きな主権が発生し、大規模な国家の建設がはじまる。というのも、個人の生存の第一原理をなす農業は、四季の規則性に、そしてそれに応じて組織立てられた規則正しい仕事に依拠するからである。こうしてここに土地所有がはじまり、これにもとづく権利関係が初めて現われる」(同)。
しかし、ヘーゲルによれば平地に住んでいる農業の民は、怠惰、不活発、人嫌いをもって特質とする。彼らは大洋を利用することを知らない。大洋は商業を通じてさまざまな民族を接近させ、かくして知識と教養の発展を促進する。大洋は、社会関係のなかに流動性という要素をもちこんでくる。だから、沿岸地方こそ自由の誕生地なのである。
ヘーゲルと経済
さて、われわれはこれまでに、まずヘーゲルが世界史をどのように捉えているかを見、次にそのヘーゲルの観念論的な公式から現実の世界史がずれを生じる場合、ヘーゲルが後者を前者に合わせるため無理に行なうこじつけを見、つづいて、ところがそうした観念論的な公式、および苦しいこじつけに混じって、そこを突き抜けて、ヘーゲルがしばしば歴史の唯物論的な捕捉に踏み込むのを見た。
ところで、今日われわれは、歴史の唯物論的な理解といえばすぐ経済を思い浮かべるが、私(プレハーノフ)の見るところ、ヘーゲルは経済学というものを勉強したことはほとんどなかったようである。しかし彼の天才的な頭脳は、多くの他の領域におけると同様に、ここでも彼を助けて現象の特徴的ならびに本質的な側面をみごとに把握せしめたのだった。
例えば、ヘーゲルは、私有財産を基礎とする社会においては、一方における富の成長が、他方における貧困の増大をいやおうなく伴うということを、その時代のすべての経済学者──リカードも含めて──よりもはっきりと見ていた。
すなわち、ヘーゲルはまずこの対立を示す。「社会の成員に必要な生計の規模はおのずから決まってくるが、この一定の生計規模の水準以下に大衆が零落すること」と「少数者の手中に法外な富が集中すること」との対立を(『法の哲学』第二四四節)。「市民社会は、富の過剰にもかかわらず十分に富んではいない。つまり、貧困の過剰や賤民の発生を防止するに足るほど持ち前の資産をそなえてはいないのである」(同、第二四五節)。
そして、ヘーゲルによればこれは必然的に一つの状態を導かざるをえない。すなわち、この結果、市民社会は「それ自身の弁証法によって駆り立てられ、おのれ自身を越えて外へと進出していき、かくてそれは新たな市場をさがし求めねばならない。すなわち世界貿易と植民とに向かわねばならない」(同、第二四六節、第二四八節)。
ヘーゲルと時代をともにしたすべての人々のうちで、彼のようにブルジョア的諸関係をはっきりと洞察していた人は、フーリエをおいて他にはなかった。
プロレタリアート
しかし、このように鋭いブルジョア社会の観察にもかかわらず、他方、見られるようにヘーゲルにとってはプロレタリアートは「賤民」以上の何ものでもなかった。それは、市民社会の精神的利益を享受することのできないものであった。つまり、近代プロレタリアートが古代のプロレタリアート──われわれはローマのそれについて言っているのであるが──とどんなに著しく違っているかということは、ヘーゲルには思いもよらぬことだった。近代の社会においては労働者階級に負わせられている圧迫が必然的にその反抗を呼び起こさずにはいないということ、精神的見地においても、プロレタリアートこそがブルジョアジーを凌駕する運命にあるのだということ、それはヘーゲルの知らないところであった。
だが、上でフーリエについてふれたが、このフーリエら空想的社会主義者にあっても、これらのことは見抜かれないままであった。彼らにあっても、プロレタリアートは、あらゆる憐憫と同情には値するが、しかし自立した行動の絶対にできないところの「賤民」にほかならなかったのである。
科学的社会主義に至って、はじめて、近代プロレタリアートの大きな歴史的意義を認識することが可能となったのだった。
前世紀への回帰?
しかしともあれ、以上のように、観念論者ヘーゲルによって、社会の、歴史の、唯物論的な捕捉の道が指し示された。
だが唯物論といえば、われわれにはすぐ前世紀(一八世紀)フランスの唯物論のことが頭に浮かぶ。
ではヘーゲルの道は、前世紀への回帰だったのだろうか。
次にわれわれはこれを見ていこう。
(編集・小川 紀)
●『WORKERS』の目次 へかえる
●ホーム・ページ へかえる
ビルマの人権N (ジャーナリスト 菅原秀)
軍事政権による弾圧の強化にもかかわらず、アウンサンスーチーはNLD(国民民主連盟)のメンバーに対して冷静に対応するように呼び掛けている。
アジアの平和のためにはこの軍事政権の権力を取り上げなければならない。
しかし豊富な自然資源が近隣各国や、今だ貪欲な先進国を魅了し、この政権への資金の流入を許している。 利権につられるのは危険だ。とくに日本とASEANは歩調を会わせて、この軍事政権を経済協力の相手として対応している。
日本は軍事政権の側にではなく国際社会の民主化要求の流れに合流すべきだ。
国際議員派遣団報告 その四
国際社会の対応
一九六二年から一九八八年にかけてビルマ軍事政権はみずから鎖国政策をとった。この間、軍事政権は「ビルマ式社会主義」の道を歩んだ。一九八八年にSLORCが民主活動家を弾圧して以来、国際社会はビルマに対するすべての援助を凍結した。これが主な理由となりSLORCは一九八八年に鎖国政策を放棄した。
過去八年間、海外からの投資は飛躍的に拡大し、東南アジア諸国連合(ASEAN)との関係が拡大した。昨年SLORCはASEANへのオブザーバーとしての参加を申請した。
ビルマに対する政策には、鎖国政策の維持を奨励するものから政治経済関係の推進まで多様である。しかしながら、すべての国が経済的な理由であれ、人道的な理由であれ、その目的はビルマの民主化の支援であるとしている。
タ イ
タイは一九八八年、ビルマに対する経済的関与政策を導入した。この政策はのちにASEAN全加盟国で採用されることになる。タイ外務省によればSLORCに対する経済的関与政策は経済発展を促し、ビルマに少しずつ民主化をもたらすという。昨年SLORCはASEANへのオブザーバー資格を申請した。
タイはビルマのオブザーバー資格申請を支持している。タイ外務省との面談では、担当者はその理由について次のように語った。
「ビルマは永久に鎖国のままでいることができる。しかしメンになることは不可避ではないか。彼らは加盟しなくてもやっていけると考えている。問題は加盟が不可避であるということを彼らに理解させることである。民主化は経済、社会の発展の結果やってくるものである。別な道は流血をもたらす。現在のような行政は続かないので、彼らは民政移管をするであろう」
ビルマ軍は歴史上初めて、タイとビルマの国境二、四〇〇キロの大部分に駐留している。
以前、この地域は少数民族各派によってコントロールされていたのだが、現在はタイ軍とビルマ軍の緩衝地帯となった。
しかし今日のビルマ軍の国境地帯での展開は、タイの自衛にとって脅威となっている。
派遣団は、タイおよび他のASEAN諸国に条件づけを行うように要請する。つまり、SLORCとの経済的関与政策を履行するにあたって、人権状況の改善、民主化の推進などを付け加えることである。これらの条件を満たさない限りSLORCにオブザーバーの資格が与えられるべきではない。
派遣団はアウンサンスーチーの意見を採用する。つまり、ASEANはSLORCとの間に経済的関与政策を履行するのではなく、ビルマの民衆との間に履行すべきであるということである。
派遣団はタイ政府がタイ在住のビルマ人に対して安全および人道的配慮をするよう要請する。
派遣団はさらに、ビルマに民主化改革のきざしが見られない現状のもとで、ビルマ人難民の強制送還を行わないよう要請する。
日 本
日本はASEANの建設的関与政策を支持している。 一九八八年以前の日本のビルマに対する援助は全世界の約八〇%にも達していた。従って、一九八八年にSLORCが権力を掌握して以来、日本からの援助カットによって軍事政権の経済状態は悪化した。
一九九五年一月、日本はビルマへの海外投資保険を再開、さらに五月には輸出保険の引き受けを再開した。それ以来、日本の民間企業のビルマへの投資は増大している。アウンサンスーチーの解放後、日本は政府開発援助(ODA)の一部を再開した。
バンコクでの日本大使館との会談では、担当者は派遣団に対してアウンサンスーチーは解放されたものの、ビルマの改革が進んでいないのでODAの全面再開をさまたげていると語った。 在ビルマ日本大使館はSLORCおよびNLDの双方との対話を行っており、双方が控え目な態度で国の民主主義発展のために協力することが大事だと強調した。日本は両者の対決が国の発展に否定的側面をもたらすことを心配している。 日本はビルマの安定と民主化が東南アジアの発展に不可欠であると信じている。 日本の外務大臣の声明では、国民会議ではさまざまな意見を採用することが重要であると強調している。 日本はASEANのビルマに対する建設的関与政策は、SLORCの国際経験の醸成につながるとして歓迎している。SLORCだけを批判するのは建設的でなないとしている。
担当者は、ビルマへの日本企業の投資の奨励はしていない。他の五カ国のほうが日本以上にビルマに投資している。日本企業はむしろ、ビルマの長期的経済政策の欠如、技術者不足、短期的な投資が多いことなどにより、この国への投資に対しては慎重である。と言明した。
派遣団はビルマの日本大使がSLORCとNLDの対話を進めて民主化を促進する方策をとることを歓迎する。
派遣団はSLORCが民主化に向けての次のステップを踏み出さない限り、日本のODAを拡大しないことを歓迎する。
派遣団は日本の担当者が、SLORCによる民主化への政治改革が行われない限り、日本企業の投資を奨励しないと言明したことを歓迎する。しかしながら派遣団は昨年以来、ビルマへの日本企業の投資が増大していることを憂慮する。
ヨーロッパ連合
一九九四年、ヨーロッパ連合(EU)はビルマに対する政策を孤立化政策から批判的対話に変化させた。 しかしながらEUはSLORCとの会談の設定に成功していない。一九九五年五月、ドイツの外務政務次官ヘルムット・シャファーはビルマを訪問した。ドイツ外務省によればこの訪問は失望に値するものだった。一九九六年、ドイツ開発大臣のカール・ディエター・シュプランゲルはアウンサンスーチーとの面談が許可されなかったので、ビルマ訪問をキャンセルした。
一九九五年十二月、EUはビルマで強制労働が行われている実態の調査を始めた。もし強制労働の証拠が見付かれば、ビルマはEUの特別貿易優先リストからはずされることとなる。
バンコク駐在のEUの担当者は、一九九一年、EU委員会がビルマへの軍事物資販売を停止し、国際社会が同一歩調をとるよう警告したことを説明した。
派遣団はEUがビルマで強制労働の可能性の実態調査を行うことを歓迎する。 派遣団はEUがSLORCに対する圧力を強め、民政移管を推進することを要請する。
(つづく)
●『WORKERS』の目次 へかえる
●ホーム・ページ へかえる
Workers大会報告(上) 会員の意見など
結集軸について (5月2日 小川紀)
二月に大阪で「規約改正」をテーマに検討会をもったとき、「規約は結集軸を前提とする」ということで話がまず結集軸の方に行ったことはすでに報告しましたが、そのときの話の内容を報告します。当日いろいろ出た意見、プラス小川の感想です。
●見解の多様化
まず出たのは、社労党と別れ、旧ワーカーズ、そして現Workersへと至り、現Workersで一年半を経たこの間のわれわれを振り返って目につくのは、第一に内部での見解の多様化が進んできたこと、第二にこうした多様化を必ずしも否定的に見ず、むしろ積極的に容認する組織思想がほぼ全体に共通してきたことやなあ、ということ。
社労党は、一枚岩の組織だった。林氏と違った考えが発生すると、やがてその人は組織を去ることになった。しかしこれは社労党に限ったことではなく、党派というのはだいたいそういうものだった。
例えば社労党から出た歴研なども、彼らは彼らで一枚岩である。
われわれも、社労党から出たときには、それなりに一枚岩だった。綱領では社労党と同じで、彼らとの違いは実践で、社労党が経済闘争や改良闘争を軽視している、また共産党批判をマンガチックに誇大化している、ここを改める、という程度だった。組織論にしても、レーニンの民主集中制論を信奉する点では社労党とまったく同じで、ただ彼らがそれを踏みにじっている、これを改める、というだけだった。そしてそこが(それぐらいが)社労党と違う、ということでわれわれは一致し、そういう意味でわれわれはほぼ均質な集団だった。
しかし、いちど動きだすと、動きはどんどん大きくなっていった。つまり、社労党に対し「ここもおかしい」「ここもおかしい」と疑問が次々に出てきて、それが広がっていった。するとやがて社労党に対する疑問がレーニン主義の相対化にまで及ぶ、そういう傾向さえ出てきた。
この過程は、旧ワーカーズを揺り動かした。ある人たちにとっては、ある人たちは、「あまりに行き過ぎ」「レーニン主義からの逸脱」「個人主義、自由主義」等と見えた。彼らは後者に眉をひそめ、「このまま行ったら大変なことになる」と危機感を抱いた。後者は後者で、前者が「あまりに古過ぎる」「丸暗記した公式を振り回しているだけ」「自分の頭で考えようとしていない」と見えた。
旧ワーカーズの分解は、根底にあったのはこういうことではなかったか。もちろん、現実の過程はこれに酒井氏の個人的な野心や横暴という契機が加わり、またこの契機によって過程は促進されたのだけれど。
ともあれ、こうして旧ワーカーズは分裂した。すなわち、どちらかといえば社労党から一番遠ざかった人たちがWorkersに、一番近い人たちがグループ95に結集し、中間の人たちがカタカナのワーカーズとして残った。
で、われわれWorkersであるが、一方ではいま見たような共通項をもっている。他方、しかしその中にも多様な傾向がある。というか、この組織内の見解の多様性というものについても、多様性を一番否定的に見るのがグループ95で、一番否定的に見ないのがわれわれWorkersだった(ここでも中間がワーカーズだったのではないか)。そういう意味でも、われわれWorkersは最初から多様だった。そしてこの多様さはその後も、いまも広がっている。
●多様性の容認
というわけで、普通の党派のように厳格な基準を設けようとしたらわれわれはさらにこまかく分解してしまう、というのが二月の大阪の検討会でのみんなの一致した認識でした。
で、第一に分解を避けるという意味でも、しかし第二に、そういう消極的な意味ではなく、まさに多様なものがぶつかり合うなかでこそ真なるものが探っていけるのではないかという意味でも、第三に、しかもそれは一般にいつの時代でもいえるが、特にいまは、かつて真であったものが時代の移行、変化とともに有効性を失ってきた時代であり、つまりこの時代に合致した新たな真なるものを探り当てることが求められている時代である、われわれの任務はまさにそこにある、という意味でも、われわれの組織は多様性の容認を出発点とすべきではないか。
●多様さは「無い」の表現、それを認め
ることが特徴、また出発点
というよりも、メーデー・ビラの原稿への意見を求めたときちょっと書きましたが、ここにわれわれWorkersというグループの特徴があるのではないか。
つまり、普通の党派なら「われわれはこれだ!」という確たるものがある。本当にいまでも本人たちが心底から確信をもっているのかどうか、あるいは本人たちが確信をもっていても客観的に正しいかどうか、それは別にして、ともかくそういうものがある。あるいはいいかえれば、それが党派というものである。これに対し、われわれには「われわれはこれだ!」という確たるものが無い。そしてわれわれの多様さとは実はこの「無い」ということの表現ではないか。そしてこの無いということを公然と、率直に認める、それがわれわれである。
当然のことながら、確たるものがすでにあれば、それを模索することなど課題として出てこない。すでにある確たるものを世間に広めること、これがその組織の仕事である。そして実際、共産党にしても社労党にしても新左翼の諸党派にしても、そういう活動を十年一日のごとく続けている。これに対し、確たるものが無ければ、それを真剣に模索すること、これがその組織の第一の仕事となる。これがWorkersである、と確認したらいいのではないか。
●共通項
しかしそれにしても、「確たるもの」(われわれの現在のメンバーの共通の確認事項)はゼロなのではない。
ここまでは共通していると確認できること、それはどういうものがあるかと、二月の大阪の検討会ではみんなで列挙してみた。
第一に、現在の資本主義社会をもって「これで良し」としない。
第二に、しかしかといって、エコロジストのように過去への回帰をもって理想としない。
第三に、「人間の歴史は生産力の発展にともなって必然的に新しい、より高度な社会に移行、転化していく、その連続である」というマルクスの展望を確認する。
この点で思うのは、例えば原発の評価であるが、生産力の逆行に反対するということなら社労党のいうように原発に反対できないということになるかというと、そんなことはない。原発推進のゴリ押しが大変な事態を招く、生産力の破壊を結果する、という認識に立てば当然われわれはそれに反対するということになるであろう。
第四に、しかしでは、現代資本主義がそこに移行、転化する「新しい、より高度な社会」とはどんな社会か。この点で、以前ならわれわれはためらうことなく「社会主義」(生産手段の国有化→計画生産の組織化)と答えたのであるが、すでに別の機会に報告してきたように、大阪ではこうした自明の答えまで検討の俎上に乗せられている。つまりいったん白紙にもどされている。もちろん、「大阪」といっても一律ではない。というか、全員ニュアンスが違う。また誰も「こうだ!」という答えをもっていない。とにかく全員が「こうだ!」と自信をもっていえなくなった、という点が共通している。例えば東京の阿部さんが「機械制大工業があれば計画生産は可能だ」とするのに対し、小川は「コンピューターや高度な通信機器をぬきに計画なんてありえない」としたのであるが、大阪のある同志は「いや、たとえコンピューターや高度な通信機器を前提しても、生産手段はともかく消費手段は、計画で生産するなんてそもそも原理的にいって不可能ではないか」と言い出している。するとこれに対しては「だとしたら、消費手段と生産手段を分けることは無理ではないか。前者が不可能だということであれば後者も不可能ではないか」、等々。ともかく、社労党の時代ならそんなこと口にすることさえ考えられなかったようなことがポンポン飛び出している。そしてこれらに対し「いや、可能では」という同志も、確たるものではない。
ともあれ、現代資本主義が「新しい、より高度な社会」に移行、転化していくと見る点では共通しているが、それがどんな社会なのかということになると、誰も確信をもって答えられなくなっている。
第五に、「新しい、より高度な社会」はどんな社会か、というだけでなく、それはいつ、どんなかたちでもたらされるか、という点でも、この三年間の大阪の議論では「分からんなあ」ということになってきている。いや、分からんというだけでなく、消去法で、少なくとも従来のマルクス主義の常識であった、資本主義経済が行き詰まり、不況、過剰生産、恐慌、失業、戦争等から革命へ、という過去の革命をわれわれの未来の革命に当てはめるのはかなり疑わしいなあ、ということに。
この点は、去年のサマースクールのとき少し議論になった。伊藤さんや阿部さんが不況、失業等も「新しい、より高度な社会」への移行、転化の契機となりうるとしたのに対し、大阪は疑問を提出した。ではアンチテーゼは、といわれて答えに窮したのだけれど。なにせ、上記のように、消去法に過ぎない話で。
●結集軸まとめ
ともあれ、以上のように、われわれの現在のメンバーに共通する確認事項、ということになるとかなり大きな、ゆるやかな枠組みということになる。
そして繰り返すが、それでいいというのが大阪の共通意見です。
もういちどまとめれば、現代資本主義の「新しい、より高度な社会」への移行、転化をめざす立場、というのが第一。
しかしこの「新しい、より高度な社会」がどんな社会か、これへの移行、転化がいつ、どんなかたちで実現されていくかについてはよく分からないとする。これを率直に認めるというのが第二。
それを研究し、問題提起し、討論を巻き起こしていくことを組織としての大きな課題として確認する、Workersというのはそういうグループである、というのが第三。
●研究と実践
では、単なる研究組織かというとそうではない。未来について答えが出るまでいま何も実践できないかというと、そんなことはない。いろいろな具体的諸問題に直面しつつ、そのつど、「新しい、より高度な社会」に進む方向は何か、それを阻む態度や勢力は何か、阻むどころか歴史の進展に逆行する態度や勢力は何か、われわれは誰と闘い何をなすべきか、ということをみんなで討論し、見極め、実践していく、これがWorkersとしての第四の確認、結集軸。
例えば、上で見た原発。
あるいは、現行の「国家」といった仕切りがなくなっていくことが「新しい、より高度な社会」の方向への歴史の進展であるとわれわれが見るなら、「日の丸」「君が代」の押しつけと断固闘うという実践が確認されるだろう。
しかしでは、かつて日本の従軍慰安婦とされたアジアの人々が日本政府に謝罪と賠償を求めているが、これに対してわれわれはどう臨むか。こうした「過去」や「被抑圧民族」
へのこだわりは歴史の進展をはばみ、逆行させるものではないのか。いや、そうして、過去に日本によって蹂躪された人々の要求を冷淡に切り捨てる日本政府(や社労党など)の態度こそ、諸民族の接近と融和に水を差し、民族主義を誘発するもだとわれわれが見るなら、われわれの闘いもおのずと決まってくるだろう。
規制緩和はどうか。これは、大阪の学習会では小川は主張してきたのですが、難しい問題だと思う。少なくとも、共産党や新左翼の各党派がいっているほど簡単な問題ではないと思う。「規制緩和は労働者に犠牲を結果する。ゆえに規制緩和を許すな」といっているだけでは、われわれは、かつてロシアのミールが崩壊過程に入ったときの貧農たちと同じことになる。もちろん、「ではお前は、労働者がどうなってもいいというのか。甘んじて犠牲を受け入れろというのか」なんて言わないでください。上記の革命の契機の問題と同じで、僕がいっているのはただ消去法で、共産党や新左翼各派のような態度ではどうしようもないといっているだけなのです。どうしたらいいのか、よく分からない。でも、少なくとも、規制緩和にしても、賃金制度や雇用制度の転換の問題にしても、難しいからといってわれわれは無難な、安易な、従来通りの決まり文句で済ませるのでなく、もっともっと真剣に、必死に問題を突き詰めていく必要があるのではないか。その点でわれわれは、あまりに努力が足りないのではないか、ということなのです、等々。
とにかく、われわれは研究し、発言するだけでなく、行動する組織である。
●規約
これは当日、折田君から出された意見ですが、例えば全国社研の規約のような、ほんの数項目のきわめて簡単な規約にしたらどうか(もちろん内容は違ってくるが)。
どう定式化するかは別にして、これに対してはみんなも、そうやなあ、ということに。
──二月の検討会を思い返して思い浮かぶのは、だいだい以上のようなところです。また思い出したら、追加します。
(5月2日、小川)
●『WORKERS』の目次 へかえる
●ホーム・ページ へかえる
名称の変更について (5月6日 小川紀)
大阪東部支部より、Workersとして新たに結集軸を確認し、Workersの組織論と組織実態に合ったものに規約を改正するのにともない、この機会に組織の名称も変更しようという提案が出て(「Workers同人」等々、しかしこれにこだわらない、ともかくあっさりしたものに)、大阪ではすでに賛成、反対両意見が出されています。
変更しよう、との立場にたって、再度意見を述べます。
1
すでに述べましたように、理由はまず、そもそも実態に合っていない。そして、実態に合っていないから規約を変えようというのなら、実態に合っていないから名称も変えようという方が自然であり当然ではないか。「規約は変えるべきだが名称は変えるべきでない」という同志は、「規約は実態に合わせるべきだが、名称は実態に合っていなくてもいい」と考えるということだろうか。それとも、「いまの名称はいまの実態に合っている」と考えるということだろうか。
東部支部が考えるのは、第一に、社労党と別れワーカーズを結成したとき、人数も都府県の数もいまの倍以上あって、確かに「新しい労働者党をめざす全国協議会」という感じだった。違和感なかった。しかしその後、旧ワーカーズが分裂し、人数も都府県の数も半分以下になり、現状で「新しい労働者党をめざす全国協議会」などというのは、どう考えても、おこがましい。旧来の左翼に伝統的な悪しき大言壮語である。
2
しかし第二に、実態に合っていないというのはさらにもう一つ、中身においても。
すでに小川「結集軸について」(5月2日)で書きましたが、社労党と別れワーカーズを結成したときには、われわれは「われわれはこれだ!」という内容を持っていた(少なくとも主観的に)。そういう意味で、われわれは普通の党派だった。だから当時、「これだ!」はもうある、あとは「党建設だ」、そのための「協議会」だ、と考えたのは自然だった。「新しい労働者党をめざす全国協議会」というのは、そういう、当時のわれわれの認識、問題意識、立場を表わす名称だった。
ところが、現在のWorkersとは何か。そういう「これだ!」に疑問を呈し、「これだ!」が無いことを認め、だからこそそれを懸命に模索していく──それを探り、問題提起し、討論を組織していく、そういうグループである。それを大きな課題と考える者の集まりである。これは、「『これだ!』はもうある、あとは党だ、そのための協議だ」という組織より、もう一つ手前の段階の組織ではないか。
現行の名称はそれを表現しない。
いや、それを表現しないというだけでなく、それを(われわれの位置を、課題を、問題意識を、組織の性格を)曖昧にしてしまう。
いや、それを曖昧にするというだけでなく、別のことを表現してしまう。つまり、われわれはもう「これだ!」を持っているんだ。普通の党派だ。もうそこまで来ている組織なんだ。だから、後はそれにもとづき党をつくることだ、必要なのはそのための協議だ、それだけだ、と。
3
ちなみに付け加えれば、いま振り返って、酒井さんが、われわれが社労党と別れワーカーズをスタートさせた直後の九三年五月の大会で、もう綱領を定式化しようといいだしたことは、ある意味では自然だったのだと思う。
繰り返すが、社労党は「これだ!」というものを持っている(主観的に持っていると思っている)組織だった。そして、社労党と別れた直後の時点では、酒井さんのみならずわれわれ全体が、社労党とは根本的に違っているわけではなく、違いはただ実践活動の進め方(経済闘争や改良闘争、また党派闘争の比重の置き方、また民主集中制の実行の仕方)、ぐらいと思っていた。つまり、「これだ!」では基本的に社労党と変わらない、つまりわれわれも「これだ!」を持っている、と。
だから、酒井さんとしては、われわれの仕事はいまから「これだ!」を模索していくことだなんて露だに思わず、すでにある「これだ!」を定式化することだ(せいぜい、社労党のそれを手直しする程度だ)と思ったのだ。だから、とりあえず暫定的にであれ、スタート直後の大会でまずはそれをやっておこうと思ったのだ。
しかし、当時大阪でも、また全国でも、こういう酒井さんに強い違和感が表明された。それはたぶん、当時ははっきり分かっていなかったが、でもあの時点でもすでにわれわれが従来の「これだ!」に疑問をもちはじめており、あるいはそこまで深いものでなくても、少なくとも、ただ従来の「これだ!」を定式化すればいいということに疑問をもちはじめており、われわれの仕事はむしろ、本当の「これだ!」をこれから時間をかけて探っていくことではないかということをわれわれが、われわれは、感じはじめていた、ということではないだろうか。
いまになってみれば、「新しい労働者党をめざす──」という名称は、あの酒井さん的理解に照応した名称だったのだ。
4
もう一つ、これは東部支部で話し合ったわけではなく、小川の個人的な思いなのですが、僕がいま名称を変えたいと思うのは、実態に合わない名前が嫌だ、恥ずかしい、変えるべきだというだけではないのです。名称の問題だけではないのです。
僕はここで、現行の大言壮語的な名称と訣別するだけでなく、それと同時に、あるいはそれによって、Workersという組織が、大言壮語を当たり前とする左翼の悪しき伝統、悪しき体質そのものと最終的に訣別するそうい機会にしたいのです。そういうわれわれの決意、姿勢、方向性を示す一つにしたいのです。
例えば、たった数十人の集団が「社会主義労働者党」なんて名乗り、「中央委員会」「中央執行委員会」「中央執行委員長」なんていうのを置いている。そのもとに各「都道府県委員会」があり「都道府県委員長」なんてのが居る。マンガだ。
ところが、先日河野君が折口さんからもらってきた酒井さんたちの組織の規約を見ると、たった数名しかメンバーがいないのに、社労党の中央委員会、中央執行委員会に当たる
「何とか委員会」「何とか委員会」という機関を設けている。そして「すべての決定は多数決をもってする」なんて大まじめに書いている。
しかし党派だけではない。……(略)……
しかし、いま挙げた人たちが特別なのではない。スターリン以来の悪しき伝統で、こういう大言壮語が、左翼ではずっと当たり前だったのだ。
「これだ!」の懸命な模索、探究と並び、こういう左翼の悪しき伝統、悪しき体質と訣別しこれを洗い流していくこと、これも、われわれの大きな課題ではないか。
いや、さらにいえばこの二者は別々のものではないかもしれない。「『これだ!』はすでに持っている。後はそれを労働者に指し示すだけだ。これに基づいて労働者党を建設することだ」と左翼諸党派がいうのも、もしかしたら彼らの大言壮語の一つかもしれない。
5
最後に一点。
河野君が名称変更に難色を示し、これを先送りするというかたちで避けようとしたことについて長岡さんは、ある想像を提出した。「旧ワーカーズと新Workersが、分裂してしまったとはいえ、同じ名前を名乗ってきた。それがいま、私たちが名前まで変えてしまったら、さらに別々の組織という感じになってしまう。で、統一がさらに遠のく。で、それを避けたい、何とか名前だけでも同じままとどめておきたい、というのが河野君の
本音とちゃうかしら」と。
うーん、なるほど、それはありうるなあと思ったが、第一に、もしそうだとしたら、河野君(および同じ考えをもつ同志たち)は正面切ってそれを理由に挙げ、そう論じてください。それはそれで議論に値することだと思う。
第二に、しかし小川、長岡の意見としては「同じ名前を名乗っていれば統一は遠のかない、われわれが名前を変えてしまうと統一は遠のく」というのは、そういうことはまったくない、皆無だとはいいませんが、要素としては極めて小さいもの、ではないでしょうか。
第三に、これが極めて小さいのに対して、変えるべきだとする上で挙げた理由は極めて大きい、と思います。
──とりあえず、以上です。
繰り返しますが、この問題に限らず、大会に向け、個人で、グループで、支部で、どんどん意見を出して行きましょう。
(5月6日、小川)
●『WORKERS』の目次 へかえる
●ホーム・ページ へかえる
「新しい労働者党をめざす全国協議会」の名称変更の提案について
(1996、5、7 福岡支部準備会)
1、基本的に賛成します。
2、「組織的に何をめざすか」ではなく、「社会的に何をめざすか」がはっきりわかる名称にすべきと思います。
我々がめざす社会的内容は、例えば次のように簡潔に示すことができると思います。
1、資本主義社会の根本的な変革
2、働く者(及びすべての抑圧された者)の解放
3、共に働き、共に生きる社会の実現
3、では、そうした社会的な変革の課題を実現するための運動が発展する条件は?
次の3つの点で「条件はよりいっそう整いつつある」ともいえるが、また、「まだまだ十分に整うには至っていない」とも言えると思います。
(1)先進国(欧米・日本) 資本主義の生産力は十分に発展し(工業生産力も情報システムも)、労働者階級はかつてなく増大し(工業労働者もサービス労働者も)、物質的な条件は成熟しつつある。しかし、国内で利潤率の低下に直面する資本は、海外に工場を移転し、あるいは外国人労働者を雇用する等し、利潤率の確保を行い延命しており、その意味では資本主義はまだ続いてゆく。
(2)後進国(アジア・中南米・アフリカ) アジアの急速な発展に見られるように、資本主義の発展が広い地域で起きており、その意味では、社会主義の物質的基礎は形成されつつあるが、まだ資本主義の発展は、その初期の段階にある地域が大半である。
(3)旧「社会主義」国(旧ソ連・東欧・中国) スターリン主義の支配する国家資本主義の体制が解体し、資本主義の本性が全面開花しつつある。その意味では、後進国と同様な意義がある。しかし、イデオロギー的には「社会主義の崩壊」と捉えられ、いわゆる「社会主義運動」にはマイナスの作用をおよぼしている。
しかし、いずれにせよ、我々は、世界的規模での資本主義の発展、したがってその矛盾の世界的規模での激化、その変革へむけた世界的に連動した闘いの発展の時代に直面していると言えます。
4、ではその闘いは「組織的には」どのような形をとるのか?
それを予め決めることは現時点では困難だし、図式的には考えない方がいいと思います
。その理由は、
1、我々が小さい集団であること。この段階で、何か架空の「組織」を描いても、机上の空論でしかない。
2、今の課題は、「資本主義の変革をめざそう」「労働者の解放をめざそう」という、同じ思いの仲間のつながりを広げることであって、当面は、サークル的な組織形態でも十分対応できる。
3、これまでの「党」のイメージは、実際は資本主義の改良のための利害集団でしかなかった。(資本家と農業経営者の党、労働組合を代表する党、都市市民の党等)。他方、「革命的」と名のついたとたん、それはセクトと化し、労働者が忌み嫌う「党派闘争」や、大衆運動の「囲い込み」に終始するのが常だった。そうでない「革命的」党というのがどこかに存在したろうか?
4、資本主義の様々な矛盾に対して、労働運動、市民運動などが個々に起きている我々のめざす組織は、この個々の運動に関わりそれらを発展させてゆく役割と共に、「個々の運動」とは区別された「一般的運動」を担う役割がある。「産業労働者の利益、パート労働者の利益、外国人労働者の利益」といった個々の利益を守る運動に参加しながらも、「一般労働者の利益」を守る運動を担う。「原発の問題を闘う、基地に反対する、薬害問題を追求する」といった資本主義の個々の矛盾に対する闘いを通じながらも、「資本主義一般の変革」を追求する、そのような「一般社会運動」に相応しい組織であればいいのであり、それがどのような組織形態かは、運動の発展段階に即してそのつど検討されるべきである。
5、だいたい以上のことを考慮して、規約、名称を検討するのがよいと思います。
●『WORKERS』の目次 へかえる
●ホーム・ページ へかえる
結集軸について (5月24日 伊藤)
4月29日の東京東部・埼玉の支部会議で一度は提案したのですが納得がいくものでなかったので延び延びになっていました。その後の支部会議の議論、会員の意見も取り入れ再考したものを提案します。
結集軸といっても私たちの組織の現状をどうとらえるか、目指すべき組織形態は何かがはっきりしないと出てきません。以下は要約です。
(1)私たちの組織の現状をどうとらえるか
@2度の分裂を経験してその結果得たものは過去のしがらみ(=常識)からの開放でした。若い世代の人にはしがらみがほとんど無いのですが、年を経た人ほどしがらみが強くなっています。しがらみから断ち切れない人が過去の組織に残ったと言えます。
A分裂で残ったものは幾つかの地方に散在する人の他には新聞(『Workers』)でした。その他は全て白紙に戻された状態といえます。
(2)目指すべき組織形態は何か
@しがらみからの開放が前提であれば全てにわたって自由な発想と自主的な行動が会員の権利であるべきです。
A組織的統一は外的には新聞(『Workers』)と大会ということになりますが、内的には会員間の絶え間の無い情報ネットです。
B内的な情報ネットが基本であれば、活動単位はより行動しやすく柔軟であるべきです(支部も便宜的なもの)。
C組織の拡大は情報ネットの拡大ということになります。こうした組織形態からすると組織の名称は福岡提案の「Workers network」はピッタリの名称といえます。
(3)目指すべき方向は何か=結集軸
@資本主義の政治、経済、社会から発生する不平等、抑圧、差別、腐敗などの政治的、経済的、社会的矛盾に対し根本的解決の道を皆で模索し、矛盾と闘うこと。
A資本主義の次社会と言われた社会主義、この社会主義の理論的支柱となってきたマルクス・レーニン主義等旧来の社会主義理論の徹底的検証。
B情報ネットの外的なものとしての新聞(『Workers』)の発
以上
●『WORKERS』の目次 へかえる
●ホーム・ページ へかえる
結集軸、規約、新聞、活動のあり方などについて (5月23日 阿部治正)
T 我々の結集軸について
@私たちの共通の課題と任務は何なのか
私たちがひとつの同じ組織に結集して活動しているということは、共通の課題、力を合わせて共同で取り組むべき課題があると考えているからである。このことは、今後も同じ組織に結集して活動していく以上不可欠の前提である。
しかし、この間多くの会員が指摘してきているように、私たちにとっての共通の確認事項、共通の課題は必ずしも明確ではない。現代資本主義をどうとらえるかについても、資本主義の変革の契機や条件についても、実現されるべき新しい社会のイメージについても、確固たる一致があるわけではない。
もちろんこうした意見の相違や多様性は、各会員の関心や問題意識の所在が少しづつ異なっていること、そのことと関連した理論的、実践的取り組みの進捗のギャップという面も大きく、必ずしも積極的に議論を闘わせあった上でなおかつ埋められなかった見解の相違というものではない。また、現実に生じてきている見解の相違についても、これを必ずしも否定的にみる必要はない。こうした見解の相違が生じてくる背景には、資本主義のいっそうの発展と新しい現象の発生、既成の社会主義理論や社会主義運動の有効性の喪失という事態がある。このことを理解して問題の解明にあたろうとする努力のなかから多様な意見が生じ、それら相互の間で討論が行われていくことには、むしろ積極的な意義がある。
この点で私たちに問題があるとすれば、それは相互の議論が不活発であることである。誰かが何かのテーマで問題を提起しても、多くの場合一方通行、言いっぱなしに終わって、議論が発展していっているとは言いがたい。
もちろん、先にも述べたように、私たちは各自がそれぞれ手を抜くことができない課題や強く関心をひかれている問題を抱えており、誰かに何かを提起されてもそれに応えるだけの十分な余裕を持っていない。また、提起されている問題が他の会員には応えるに値するほど重要とは思われない場合もある。
しかし意見の多様性や隔たりにも意義が有ると言うならば、もう少し、会員が提起している問題については関心を持ち、積極的に意見を返していく努力が必要である。そうでないと、“意見の多様性や隔たりは新しい未知の問題に挑戦していることの証し”などとも言っていられなくなるだろう。
そして、私たちに共通の課題があるとすれば、その重要なひとつが以上述べた点であると思う。資本主義の新しい発展や新しい現象を前にして、その意義や労働者の闘いの条件や内容や方向を明らかにしていく作業を、私たちの共通の大切な課題、共同して取り組む重要な任務としてしっかりと確認していく必要があるのではないか。そしてその際重要なことは、客観的な現実を具体的に研究していくこと、客観的な現実はどうなのかを明らかにしていくことに努めることではないだろうか。意見の多様性や独創性が、客観的な現実をそっちのけにしためいめいの勝手なドグマを作り上げることであるならば、何の意味もないばかりかむしろ私たちの事業にとってはマイナスでしかない。私たちの間の見解の相違や相互の討論は、客観的な現実の正しい認識に到達するための不可欠の過程であり、そうでないと意味はないだろう。
もちろん、私たちは単なる研究、討論団体ではありえない。私たちの最重要の任務は、労働者の現実の闘いを発展させることである。資本主義の克服、新しい社会への移行は、単なる自然過程とは少し異なり労働者の闘いによってその帰趨が決せられる過程である。前述の理論的作業や実践的試行錯誤も、この労働者の闘いの条件や内容や方向をより正しく明らかにしていくという目標に従属させられ、そこに向かって収れんさせられていかなければ意味はない。
私たちが共有すべき最重要の課題は、実はこの労働者の現実の闘いを発展させること、労働者がその経済的社会的地位ゆえに必然的に望み、また現に開始している様々な闘いを、いっそう首尾一貫した、より確固たるものへと発展させていくためにともに闘うことではないだろうか。
もちろん、この「労働者の闘い」をあまりに狭く解釈することは危険だろう。例えば、政治闘争、経済闘争、理論(思想)闘争は確かに決定的に重要だが、この場合文化的活動はどうなってしまうのだろうか。新しい社会を目指し、あるいはそれをはらんでもいる活動は、演劇や音楽や絵画や文学やそれらでもくくることが難しい新しいアートの実践としても存在していること理解する必要があるだろう。
以上のことから私は、私たちの結集軸は、労働者の闘いをいっそう発展させていくうえで意義を持つ諸要求や、労働者の闘いが目指すべき目標などに置かれれば良いと考える。
A松本案、小川案について
結集軸について、松本さんと小川さんがまとまった形で見解を表明しているので、それらについて意見を述べさせていただく。
まず松本さんの見解について。
松本さんは私たちの結集軸を以下の4点として文章化している。
1、働く者を搾取・抑圧する資本主義社会の根本的変革を目指すこと。
2、働く者(及び抑圧された全ての人々)の社会的・経済的解放を目指すこと。
3、働く者自身により管理運営する共同生産の社会、全ての人々が社会的生産に参加する社会、男女が平等であり、障害者や高齢者が排除されない、「ともに働きともに生きる」社会をめざすこと。また、人々が民族や国家に分けられ、戦争などで殺しあい、憎みあうことのない世界を目指すこと。
4、その為に必要なあらゆる活動に取り組むこと。
私としては、内容的には基本的に支持できるものである。しかし形式には少し異論がある。
たとえば、1と2はそれぞれ「対象」(資本主義の変革)と「主体」(労働者の解放)を示していると説明されているが、3で語られていることと区別してこれら1と2を述べる必要が良く分からない。1と2は、むしろ私たちの思想的立場や理論上の見解が述べられている印象を受ける。しかもそれがかなり生(ナマ)なかたち、裸の状態で語られているように見える。果たしてこうしたことを「結集軸」のなかで語る必要があるのだろうか。
私が考える「結集軸」は@で述べたとおりであるが、その発想からするとむしろ3と4だけが明記されれば良いと思う。思想的な立場や理論上の見解、あるいはそこからあまり隔たっていない主張は、結集軸として掲げるにはあまりふさわしくないと思う。結集軸というのは、むしろ3の部分のように、労働者が目指すべき目標(あるいは諸要求や諸課題)として具体化して提起した方が良いのではないだろうか。
松本さんが提起している3と4の部分は、私たちの結集軸としてかなり生かせるのではないだろうか。3の部分の内容や表現などについていろいろ議論を闘わせると面白いと思う。
次に小川さんの提案について。
小川さんは、次の4点の立場を結集軸として提起している。
1、現代資本主義の「新しい、より高度な社会」への移行、転化を目指す。
2、この「新しい、より高度な社会」がどんな社会化、これへの移行、転化が何時、どんな形で実現されていくかについては良く分からないとし、これを率直に認める。
3、それを研究し、問題提起し、討論を巻き起こしていくことを組織としての大きな課題として確認する。
4、色々な具体的な諸問題に直面しつつ、その都度、「新しい、より高度な社会」にすすむ方向は何か、それを阻む態度や勢力は何か、阻むどころか歴史の進展に逆行する態度や勢力は何か、我々は誰と闘い何をなすべきか、ということをみんなで討論し、見極め、実践していく。
いずれの点も、私たちの現状を述べたものとしては大きな異論はない。しかし結集軸として掲げるに適当なものかどうかとなると、若干の異論がある。
たとえば2の点について言えば、現在のWorkersの会員にとっては真実かもしれないが、世の中にはもっと先を行っている労働者がいるかもしれない。そうした労働者に向かって「『よくわからない』ということを君の立場とせよ」と言うわけにはいかず、また「よくわからない」者しか入れないというわけにはいかない。この場合私たちが要求できるのは、Workers全体としての共通の見解は未だないのだということと、見解の一致を追求することだけでなくそこにいたる研究と討論の中身を重視してほしい等々ということではないだろうか。
また、@と松本案への意見のなかでも述べたことであるが、私としては結集軸と言った場合やはり労働者の闘いの目標や諸要求を掲げた方がよいと思う。労働者の解放のために闘う組織というのは、本来そういうレベルで結集し団結していくのだと思う。もちろん事の性格上それは事細かなものである必要はなく、むしろ基本的なことを簡潔に表したものの方がよい。また、私たちの間にこの点で共通の見解と言えるものが少ない以上、かなり限られた内容にならざるを得ないだろう。そういう意味でも、松本さんの案の3の部分は検討に値すると思う。
U 名称について
@組織名について
現在、Workers同人、グループ・ワーカーズ、ワーカーズ・ネットワーク等の新名称の提案が出されている。これらの提案の趣旨として言われているのは、「新しい労働者党をめざす全国協議会」という名称が小サークルとしての私たちの現状にマッチしていないということのようである。
だが、本当にそうした理由だけからの提案であろうか。私は、これらの提案の背後には、私たちがめざすとされている組織が如何なる組織であるのかが、実は明らかにされていないという事情があると思う。めざすべき労働者党とはどういう組織なのか、あるいはめざすべきものは本当に労働者党でなければならないのかどうか等々が十分に明らかになっていないことが、この問題の根っこにあるのではないか。
だとするなら、単に現状にあわせた名称というだけでなく、これらの根本的な問題についても意識的に議論を行っていく必要がある。労働者の解放をめざす闘いに今どういう組織が求められているのか、それは旧来のスターリン主義的組織やその他の組織とはどうちがうのか等々、すぐには答えが出ない問題ではあるが討論を組織していく必要があると思う。
これらの問題が根っこにあることをきちんと表明しながらであるならば、取りあえずの措置として名称変更を考えることには反対しない。
その場合、Workers同人、グループ・ワーカーズよりもワーカーズ・ネットワークがよりふさわしいと思う。前の二つの名称はいくらか閉じた組織の印象を受けるが、ワーカーズ・ネットは広がりを感じる。
ワーカーズ・ネットの網の目の結び目は一人一人の自立した労働者あるいは労働者グループであり、こうした結び目がいくつもの方向に双方向で繋がり、この結びつきが四方にどんどん広がっていく。ひとつひとつの結び目がそれぞれ自立した単位であり、中心はどこにもないけれども、何か事があったときにはこのネット全体がひとつの生き物のように一体となって働く。こういうイメージが伝わってきて、ワーカーズ・ネットワークという名称はなかなか良いと思う。
A社名について
小川さんが提起している「ワーカーズ社」の名称を使う意義如何の問題については、同様のことを私も90年頃に社労党の中央委で提起したことがあるが、完全に無視された経験がある。
もちろん、組織名と○○社を使いわける習慣が生まれた背景には様々な事情があると思う。機関紙・誌の発行主体を法人化する必要、法人化まで行かなくても事務所を借りたり印刷屋を手当したりする必要等々もあったと思う。しかし今ではそうした現実的な事情から少し離れて、政治組織名をぼかすために使われているようなところもあり、あまりよい印象を受けない。このことは、新左翼などの場合その活動の内容が、はっきりと組織名を名乗りにくいものとなっていることと関連しているのだろう。もちろん、カモフラージュ的な要素はすでになくなり、惰性や習慣で○○社を使っているグループもある。
逆に、共産党などが組織名一本で通しているのは、自分たちが発行している新聞・雑誌を党の厳格な統制の下の機関紙・誌と位置づけていることとも関連しており、私は別の意味でこれにもあまりよい印象を持たない。
しかし私たちの場合は新左翼急進派とも共産党とも違う。私たちは新左翼のように組織名をカモフラージュする必要はない。スターリン主義の共産党のような党の統制の下にある機関紙・誌という位置づけとは違った意味で、組織名と別に○○社を使うことはやめても良いのではないだろうか。
V 規約について
@
私たちの規約は、上で述べた二つの点、第一に労働者の闘いをその中にあってともに前進させ発展させていくことを任務とする組織であること、第二に自立した労働者や労働者グループが労働者の闘いを発展させる目的のために結びついたネットワーク状の組織であることが明らかになるものがよいと思う。
A
規約の形式については、単に組織運営上の手続きを規定したものではなく、結集軸にあたるものを前文のような形で簡潔に述べて置いた方がよいと思う。何のために組織を作りそこに結集しているのかという問題は、組織の手続き問題の大前提であり、手続き問題のなかにも反映されざるを得ないからである。
B
5月9日の東京・埼玉の支部会議における私の提起のなかに「職場支部を基本とする」という文言があり、他の会員から異論が出された。その際私が言いたかったことの核心は、労働者の闘いを自ら担いそれを発展させていくための組織であること、労働者の闘いの根っこと源は職場・生産点にあるのだということであった。もちろんこのことは、実際の労働者の闘いは他のきっかけからも発生し発展することを否定するものではない。
このときの議論を踏まえてあらためて提起するとすれば、組織の基本単位は自立した個人としての労働者であり、この労働者が労働者全体の闘いの発展のために組織を作りそこに結集しているというイメージに沿ったものが良いと思う。組織の基本単位はあくまでもひとりひとりの労働者個人であり、そしてこの労働者は他の労働者とともに必要に応じて職場支部や産別支部をつくり、また反戦闘争組織や反原発組織や障害者解放組織や薬害と闘う組織等々のなかでグループをつくり、ソ連や中国の体制を研究するためのチームや最新のハイテクが労働生産過程や流通や企業経営や労働者の闘いに及ぼしている影響を研究するチーム等々をつくり、そして一人の労働者がこれらの支部やグループやチーム等々に並行して参加できる、そしてそれらの支部やグループやチームのひとつひとつが我が組織の網の目の結節点となり、双方向の関係を持ったネットワークとしてひろがっている、そういう組織がもっとも機能的で現実的なのではないだろうか。
つけ加えれば、私自身は、私たちの組織が労働者に支持されて拡がっていくとき、ということは同時に労働者の闘いが前進し発展していくときということであるが、その場合大きな役割を果たすのはやはり職場支部や産別支部など労働者の職場生産点に根を置いた組織であると考えている。現在の資本主義は、これらの組織の意義を決定的に低めるほどにはまだ変貌を遂げきってはいないと思うからである。
もう一つつけ加えれば、各支部やチーム等々への同時並行の参加は当然に自由なのであるが、私はWorkers以外の他組織への二重加盟も許されると思う。もちろんこの場合、相手の組織がそれを認めればのことであるが。
C
以上のような認識を踏まえて、別紙の規約案を提案する。
W 『Workers』の性格と役割などについて
@性格
『Workers』の基本的性格は、大衆的な労働者新聞である。
「大衆的」ということは、活動家や意識的な労働者ではなく私たちの身近にいる普通の労働者を対象にするということである。もちろんこれは基本的性格ということであって、活動家やインテリ向けの記事があっていけないということではない。しかし最近では、政治・経済・社会についての教養という点では普通の労働者と活動家やインテリとの間の隔たりは縮小してきており、特に意識的な区別をする必要は小さくなって行くだろう。
また「労働者新聞」であるということは、単に普通の人々を対象とするというだけでなく、普通の労働者なら誰でもがもっている階級的存在ゆえの関心や問題意識に訴え、また労働者の要求や闘い等々をとりあげるということである。例えば超階級的な関心事となっている住専や沖縄や薬害エイズ問題に対する反応でも、労働者のそれとブルジョアやプチブルのそれとは自ずと違うのはないか。住専問題などで、佐高信氏や市民運動家などは簡単に銀行もリストラせよなどと言うが、労働者はもっと違った感じ方をしているとはずであり、私たちはその違いの意味をより掘り下げ、より意識的に取り扱っていく必要がある。
A役割
『Workers』は労働者が自らの力で階級的意識や階級的闘いを発展させていくことを、労働者の中にあって労働者自身とともに追求する新聞である。
多くの普通の労働者の意識、あるいは労働者の意識的な闘いでさえ、しばしば一面的であったり、狭かったり、浅かったり、あるいはブルジョア的意識の影響を濃厚に受けていたりする。が、しかしその中にも労働者であるがゆえの階級的意識のひらめきや、問題の根源に迫りその根本的な解決を求めようとする志向が宿っている。私たちの新聞の役割は、こうしたひらめきや志向を、労働者自身が自らの力でより意識的で明確で一貫したものへと発展させていくことを、労働者自身とともに追求することにある。
新聞の役割を、階級意識や階級的闘いの発展を「導く」とか「援助する」とか言ってひどくまずいというわけではない。しかし私はむしろ、労働者の意識や闘いが発展していく際の現実の契機や原動力は労働者自身による自己教育、自己訓練が決定的であるし本質的であると考えるのもであり、したがって「導く」云々よりも、労働者の中にあって労働者とともに階級的意識や階級闘争の発展を追求するのだと言ったほうがよりふさわしいと思う。「外部注入」云々は、現在の日本ではもちろんあまりに時代錯誤である。
B内容
これまでの反省を踏まえて言うならば、世間で耳目を集めている時事的な問題、世間で問題にされてなくても私たちの日々の労働や生活の中にある大切な問題、理論的・思想的な問題、文化的な問題などを、偏りを排してバランス良くとりあげていく必要があるだろう。
現在の『Workers』はこのバランスが欠けているだけでなく、それぞれの内容の点でも十分なレベルには達してはいない。この問題と関連して、この間幾人もの会員から指摘されてきている時事的な記事が少なすぎるという問題について考えてみたい。
指摘されているのは、労働者が関心を持っており、また階級的な意識の発展の重要な契機になりうるはずの時事的な問題が十分にとりあげられていないのは良くないということである。私自身もそう思う。
これに対して、時事的問題は重要だが内からわきあがる意欲がともなわないで義務的に書いても良いものは出来ない、十分な力量がないまま書いても説得力のあるものにはならない、時事的な問題は既成のメディアが豊富や資料を駆使して詳しく報道している等々の意見も返されている。
だが、みんながそれぞれ内からわきあがる意欲に沿って自発的に記事を書き、その結果が偏った紙面になってしまっているなら、はやりそうした自発性や意欲や関心のあり方自体が反省されなければならないのではないか。各自が自分なりに良く勉強している分野、強い関心を持っている分野をもっているのは非常によいことなのだが、それ以外の分野に関しての不勉強や無関心がよしとされて良いわけではないと思う。自分の得意分野でさらに精進しつつも、やはりいろいろな問題に対してバランス良く関心を持ち、書くことも出来るよう努力する必要があると思う。
マスコミが時事的な問題について確かに豊富な資料に基づく具体的な報道を行っている。彼らの取材力や要領の良い説明の仕方を見ると、一見私たちには出る幕がないかにもみえる。しかし彼らによる非常に具体的な暴露や報道も、それが資本主義への批判や暴露と結びつけられていないため、悪い場合には詮索・暴露趣味になったり、「何を言っても社会は変わらぬ」というニヒリズムに道を開いたり、良い場合でも改良主義的な結論を導いて満足しているのが実態である。かなり具体的な情報に基づく暴露をやっていながら単なる暴露趣味に陥っている左翼新聞として、『人民新聞』などというのもある。だとするなら、この分野でも私たちには大きな仕事、私たちにしかやれない仕事があるわけである。
X 『Workers』発行体制について
現状の『Workers』の体裁は、素人のミニコミ紙の域を大きくは出ていない。レイアウト、見出しの字体、網、罫線、校正ミス等々改善しなければならない点が多々ある。しかし現在の体制では、決定的な限界がある。『Workers』の体裁の点を改善するためだけでも、発行体制をもっとしっかりとしたものとする必要がある。
現在は、各自が名乗りを上げてそれぞれのテーマで原稿を書き、フロッピーやパソ通で版下係に送り、版下係は三日(仕事があるので丸々というわけではない)かけて版下をつくっている。原稿執筆の苦労を除けば、負担が過重になっているのは原稿入力係と版下係である。原稿入力係の会員は、おそらくその分自分の原稿執筆のエネルギーをそがれていると思う。また版下係は、もともと時間が限られているために、またそれに加えて締め切りをすぎて送られてくる原稿が結構多いために、かなり手抜きの作業を余儀なくされている。
執筆者が一度ワープロやパソコンで書いた原稿を、他の会員がもう一度入力し直しているというのはあまりに不合理であり、この点の改善が追求されなければならない。そのためにはパソ通をやっていない会員も、そろそろはじめる必要があるのではないか。もちろん経済的事情等々があるので押しつけるのは良くないが、パソ通開始を積極的に奨励したい。
版下作成も、かなりぎりぎりのところでやっている。見出しを白抜きにしたい、紙面に変化を持たせるために横罫を入れたい、飾り罫をたくさんつかってみたい、レイアウトが気に入らないのでやり直したい、写真にはせめて絵ときを入れたい等々と思っていても、残念ながらそれをやる時間がない。ひどいときには、校正ミスが何カ所もあることがわかっていながら、時間切れで印刷屋に持ち込まなければならないこともある。
(中略)
こうした現状を改善するためには、締め切りを守るよう努力するとともに、版下作成係を増員するしかないだろう。特に版下係の増員は、簡単ではないが、再度真剣に考えてみなければならない。
(中略)
Y 我々の活動のあり方について
折口さんや和田さんなどから出されている、我々の活動のあり方はどうあるべきかという問題提起について考えてみたい。
私たちの活動は、一言で言えば、労働者が実際の生活や労働や闘いのなかで感じたり意識したりしている今日の社会の矛盾やそれへの批判を重視し、それを労働者自身の思索や闘いの経験を通してより純化させ、根本的で革命的なものへと発展させていくことを、労働者とともに追求することであると思う。前にも書いたように、私たちの活動は、労働者が自らを根本的な社会変革の主体、新しい社会の担い手へと形成していくためのいわば自己教育、自己訓練の一環なのである。
この点で、社労党のような、極めて抽象的でその上に極端に一面化された主張を労働者の生活や闘いの具体性と何ら切り結ぶことがないまま外から説教するというやり方がまったくお話にならないということは、いわずもがなである。
例えば社労党は最近も沖縄問題を取り上げて次のように言っている。
「自由主義的世論は、問題が何か沖縄と本土の『格差』であるかに、したがってこの『格差』をなくすことが問題の解決であるかにわめき、本質的なこと――独占資本と帝国主義の支配――をぼかし、脇に追いやっている」(576号)、「プチブル勢力が要求してきた『基地の返還』は“逆手”にとられ、帝国主義的同盟の強化のために利用されたに過ぎなかった。プチブルたちの『安保条約はともかく、基地返還を』という要求は完全に破産したのだ」、「安保条約を前提にし、『県民の声を何よりも大事にする』とか言ってきた太田知事もまた、完璧に挫折した」、「県民主義は民族主義と同様に、その反動性を暴露した」、「我々は『安保条約反対を労働者の階級的立場と結合せよ』というスローガンを掲げたが、これこそが唯一の正しい労働者の立場であり、闘争の道である」(578号)。
要するに、沖縄と本土の格差や差別を問題にすることは資本の体制下での労働者人民一般の苦悩を曖昧にする、県民の声を大事にするなどというのは県民エゴであり反動的である等々というのである。
しかし、格差や差別があるというのは、本土に比しての低い経済的発展の程度、高い失業率、広大な基地の存在、中央政府が本土の県に対してとる態度と沖縄県に対してとる態度のあからさまな違い等々を見ても厳然たる事実であり、沖縄の人々がこの格差や差別を問題にすることは当然であるばかりか正当である。社労党は、差別を問題にすることは労働者の階級的な団結や闘いを台無しにする事だというのであるが、しかしそれは逆に労働者の階級的意識や闘いの発展の契機をも含んでいる。
そもそも今回の沖縄の闘いは、米兵による幼女暴行に対する怒りにしろ、狭い沖縄に米軍基地のほとんどが押しつけられ、そのことが様々な基地禍をもたらし、経済的発展を阻害していることへの不満にしろ、反戦や平和への要求からする基地批判にしろ、独占資本の体制が必然的にもたらす矛盾への告発や闘いでもある。これらの抗議や要求は、性暴力や女性差別を問い、軍隊という暴力装置を問い、基地の依存した寄生的な経済のあり方を問い、人々の生活よりも戦争政策が優先される体制を問うものでもあり、またそうした矛盾や災厄に苦しまなくてすむ新しい社会への模索として発展していく可能性を宿している。現実の沖縄闘争のなかでは、保守的でブルジョア的な要求ばかりでなくそれに対抗する労働者的な立場や社会変革に結びつきうる要求が豊かにはらまれ、保守的な要素やそれを越えようとする革命的な要素が相互にぶつかり合い日々様々な議論や挑戦が試みられているのである。しかし社労党にあってはこうした積極的な契機は一切見過ごされ、県民エゴやプチブル平和主義一色に染まったものとして一面化され、抽象化され、そして断罪されるのである。
社労党の沖縄闘争への批判は、一見するとラジカルで革命的であるかに見えるが、しかしそれは完全なまやかしである。彼らが階級的立場や階級的闘いを強調するとき、それは現実の沖縄闘争の中で具体的な契機をとらえて具体的な形で示すのでは決してなく、ただ新聞やビラで、しかも沖縄闘争を批判した冗長な記事のなかのほんの2〜3行で、「安保条約反対を階級闘争と結合せよ」といったことが書かれるだけなのである。社労党のこうした活動は、むしろ階級的な闘い、革命的な闘いを実際に作り上げていく上での完全な無能力、それへの無関心をこそ示しているのである。
社労党は、沖縄の人々の格差や差別への抗議、県民の声を聞けとの要求を県民エゴで反動的だと断じて、これに日本の労働者人民一般の立場や階級的立場なるものを対置する。しかし社労党がその階級的立場を本当に大切に思い、理解しているなどと勘違いする人は、健全な労働者のなかには一人もいないだろう。沖縄の声をまったく理解できなかった彼らは、それと同じように労働者の階級的な要求や叫びも何一つ理解することは出来ないのであり、労働者の階級的闘いが大きく発展していくときその中で彼らがわずかなりとも前向きの役割を果たすなどということも絶対にないのである。
最近では、協議会運動から拒否された酒井氏が社労党と同じ方向へ急速に回帰しつつある。ただ酒井氏の場合は、社労党に見られるような極端な一面化や抽象化と引き替えのある意味での「鋭さ」もなく、ただレーニンの言葉だけの受け売りや自分なりの凡庸な状況評価などを、さも高度で優れた主張であるかに思いこんで振りかざし押しつけている。当然にこうした振る舞いは拒絶されたり敬遠されたりするのであるが、そうすると酒井氏はますます独善的となり、セクト主義的となり、またデマや陰謀に訴えてまで自分の地歩を防衛しようとやっきとなるのである。酒井氏の場合特に問題なのは、客観的な現実の具体的な分析を多少なりとも前進させ、そこから具体的な闘いの方向を導くということが出来ないという点にあると思われる。酒井氏の独善的態度やセクト主義や陰謀等々は、彼が現実の正しい評価に裏打ちされた本当の意味での確信や自信を何一つ持っていないことの現れなのである。
長々と社労党や社労党的立場に先祖帰りしつつある人の姿を見てきたが、それは私たちの活動はどうあるべきかを考えるためである。私たちは、労働者の日常の生活や闘いのなかにある階級的意識のひらめきや階級的闘いの萌芽の具体的な現れに注意を払い、それを発展させていくための具体的な方法を知らなければならない。またブルジョアイデオロギーや後ろ向きの意識との闘いにおいても、階級的な立場なるものを抽象的に対置したり説教したりするのではなく、労働者がそれを実際に克服していけるような働きかけでなければ意味がない。
これは口で言うほどに簡単なことではないし、実際私たちもこの点ではさしたる能力を持っているわけではない。日常の活動のなかでは、このことへのはっきりとした問題意識を持たず、習慣的なやり方や事務的なやり方で間に合わせていることのほうが多いかもしれない。しかしこうした欠陥は改められなければならないし、克服されなければならない。これまで以上に強い問題意識をもって、系統的な努力を払って、私たちの活動のあり方を改善していかなければならないと思うのであるが、どうだろうか。
●『WORKERS』の目次 へかえる
●ホーム・ページ へかえる
新規約案
5・24 長岡・椎原・小川・持田
一、私たちは、人による人の搾取や差別、支配のない社会を、また戦争のない世界を、さらには人が国家といったものに仕切られることのない世界をめざし活動します。
二、その活動を、私たちは義務の押しつけではなく、もっぱら会員個々人の自主性に依拠して進めます。
三、また私たちは、特定の指導機関を置かず、会員全員の、相互の、不断の意見のやり取りのなかで会としての進路を見いだします。
新規約案
5・23 阿部治正
1、会は、働く者自身が管理運営する共同生産の社会、全ての人々が社会的生産に参加できる社会、男女が平等で障害者や高齢者が排除されず「ともに働きともに生きる」社会、また人々が民族や国家に分けられ戦争などで殺しあい憎みあうことのない世界をめざし、その為に必要なあらゆる活動に取り組む。
2、上の目的を支持し、会の活動を自ら担う者は、会員になることが出来る。
3、会員は必要に応じて支部やグループをつくることができる。
4、3分の1以上の会員から要求があるとき総会が開かれ、会の活動に関する議論や決定が行われる。
5、会の活動に著しい損害を与えた者へは、十分な審議と3分の2以上の賛成を前提に退会を勧告することができる。
6、会の財政は、会費、寄付、事業収入によってまかなわれる。
7、組織運営に関わるその他の問題は、1項の精神に則って解決する。
●『WORKERS』の目次 へかえる
●ホーム・ページ へかえる
抵抗の画家 須山計一
@ゴヤ(1749〜1828)
フランス革命
近代美術が美術家の自主性によって創造の場を与えられるようになったのは、一七八九年のフランス大革命以後のことで、さらに厳密にいうと、ナポレオンの失脚後であった。この頃になって初めて美術家の社会的地位が解放されて、各自の芸術的信条に従って自由に創作する条件が生まれた。それまでの美術は、宗教的権威に奉仕させられたり、宮廷や貴族の指令のままに動かされた状態だったのを、ようやく脱却する時代が来たのである。
一七八九年の革命の精神を学んだ美術家はフランスのダヴィッド、スペインのゴヤなどであった。しかしダヴィッドはそのブルジョア的限界のために、フランスの人民大衆を見ることができず、成り上がり者のナポレオン崇拝という逸脱をやって、たぐいまれな画技を持ちながら、真の大画家になりえなかった。これに反してゴヤは、その芸術のなかで、スペインの国民生活のすべてを描き表わした。
対ナポレオン戦争
ゴヤは、「クラシックの最後の画家で、近代の最初の画家」といわれる。という意味は、彼の作品の中には古典的キリスト教的な説教図や、ロココ的な宮廷趣味のものがあるが、同時に「一八○八年五月三日」では近代リアリズムのパイオニアにもなっているからだ。リアリスト・ゴヤは、さらにエッチング集「戦争の惨禍」なども残した。これらの作品は、戦争という人間の抜きがたい不幸な行為に対して、芸術家としての最大の抗議をしており、それから一世紀以上を経てピカソの作品「ゲルニカ」と彼とを結びつけるのである。
ゴヤの生まれ住んでいたスペインは、一八○五年のトラファルガーの海戦の敗北の後、フランス軍の駐留を認め、強大なナポレオンの軍事力の前に屈しようとした。一八○八年、ナポレオンはさらにスペインの王権をフランスに渡すことを強要した。このニュースにスペイン国民は激昂し、首都マドリードの暴動となり、以後六年間におよぶ対ナポレオン、スペイン独立戦争の幕が切って下ろされた。
「一八○八年五月二日」は、素手のまま蜂起したマドリードの民衆が、旧市街の中心部でナポレオン側の傭兵モロッコ兵との間に激烈な戦闘を繰り返している場面で、そこには主役的人物はおらず、皆が同じ比重で描かれている。勇敢な市街戦のゲリラ部隊は、闘牛士が荒れくるう猛牛に迫るように、フランス将校とその傭兵に立ち向かっていく。壮大だが、あくまでリアルなゴヤの眼がそこにあった。
対置
しかしこの自然発生的な一揆は結局敗北し、「一八○八年五月三日」で見られるように、レジスタンストたちはマドリードの大学都市モンクロアの丘にひきずり出されて、フランス兵たちによって次々に銃殺された。死の恐怖に直面しての人間の恐れ、嘆き、苦しみ、祈り──それらすべてと、無慈悲に銃口をつきつけるロボットのようなフランス兵との対置は、非常に厳粛で、人間ドラマの決定的瞬間として活写されている。これまでのヨーロッパ美術史にはたくさんの戦争画があったが、これほど戦争を、その呪うべき現実として描いた作品は他に見当たらない。暗夜の丘で、提灯の明かりを頼りに、銃口をつきつける不気味な集団は、パルチザンたちの身辺に迫り、白シャツのホールドアップの男を中心にいっせいに弾丸が放たれようとしている。周囲にはすでに無惨な姿で息たえた市民たちが横たわっている。
ゴヤは後に、同じテーマを版画集「戦争の惨禍」八二葉にまとめた。これは一八○八年から一八一四年のあいだ、イベリア半島をまきこんだ反ナポレオン・ゲリラ闘争のなまなましい光景を作品にしたものである。すなわち、殺戮、放火、暴行、略奪、強姦など、侵略戦争に当然の悪魔性があばかれ、それに対する民衆の自衛的抵抗の姿が、女性、子どもまで交えて勇敢に戦われる。
しかしこの版画集でもゴヤは、必ずしも味方である自国民を美化するようなことはしていない。目には目、牙には牙で、フランス兵もまたスペイン側の残虐な暴行を受ける場合もあった。ゴヤはそれをもちゃんと記録にとどめている。
ゴヤのこの画集は一八一○年〜二○年にわたってつくられたものであるが、彼の生前、発表することはできなかったもので、後に一八六三年になって、サン・フェルナンド美術学校で出版され、反戦平和の画集としてその名を高からしめたものである。
リアリストの眼
フランシスコ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテスは、一七四六年三月三○日、スペイン北東部のサラゴサという都市に近いある村で生まれた。父はすでに四人の子をもった牧羊者であった。
一二才頃、彼はサラゴサの町へ行き、画塾に入って、初歩の学問とデッサンを習った。そして二十歳に至らずして首都マドリードへ出て、後に宮廷画家の一人になった郷里の先輩の門下となり、サン・フェルナンド美術学校へ入って基礎勉強を終えて後、ローマへ遊学した。青年時代には女性問題で決闘をし宗教裁判に問われたという伝説もある。実際に彼は独立不羈(ふき)の性格で、また多血質でもあった。
イタリアから帰って、郷里サラゴサにある僧院に「聖母の一生」の油絵壁画を描いたが、これなどは多分にイタリア的だった。しかし初期の作品を見ると、リアルな群衆描写にこの画家の眼が向けられてきたことが分かる。
彼は一七七六年から一五年間にわたって王立工場の下絵を描く仕事を引き受けた。
やがて彼は、肖像画、人物画の面で卓越した創造性を発揮し、「着衣のマハ」(一七九八−九九年)、「裸体のマハ」(一七九八−九九年)などが有名だが、また群像では「カルロス四世の家族」(一八○○年)が代表的傑作である。この画は宮廷の注文であるが、リアリストとしてのゴヤの現実を見る眼がのぞいていて、決して高貴の人々だからといって対象を不当に美化したりしてはいない。ゴヤは「わが師は自然とベラスケスとレンブラントである」といっていたと伝えられるが、この作品など、ベラスケス的構成とレンブラント的明暗とが巧みに統一されているのが見られる。
脱出
一八一四年、スペインの王制が再建され、フェルディナンド七世時代になったが、この王は愚者で、暴君だったので、当時宮廷画家になっていたゴヤは、何とかそこを脱出したい気持でいた。一八二四年に、治療のためプロンピエールの温泉に行くという口実で、ゴヤは賜暇を願い出て、まもなくフランスのボルドーへ脱出した。
ゴヤはもう八○才に近く、老衰が目立ち、おまけに以前から耳が聞こえなくなっていたが、ここで、亡命者たちの像などを描いた。また石版画のいくつかを試作した。
そして四年の後、一八二八年四月一六日、一代の巨匠は長い八一年の生涯の幕を閉じた。
(次回はドーミエ)
●『WORKERS』の目次 へかえる
●ホーム・ページ へかえる
色鉛筆
はしかと三日ばしか
私たちが子供の頃は誰もが患らったはしか。今では予防接種のおかげで患う子供は、ほんの一部分のようです。その一部分に、我が家の娘たちがそろって患ってしまいました。
「四〇度を越す熱が三日から四日続くよ。だけど、熱は無理に下げない方が良い」と知り合いから聞かされていました。しかし最初に具合の悪くなった娘が、聞いていたより軽い症状だったので、てっきり三日ばしかだと思い込んでいたのです。はしかの感染力は非常に強く、生活を共にする兄弟姉妹には、感染の確率も高いようです。
そして心配していた通り、三姉妹は次々と症状が出てきました。四〇度近くまで熱が出て一晩うなされている五歳の娘を見て、不安になりました。ひよっとしたらはしかかも? 二〜三日して近所の子供のお母さんから、「K君がはしかやって。折口さんとこもはしかと違う?」この決定的な情報を聞いて、私は慌てて育児書を開けていました。
咳がひどい、頭が痛い、耳が痛む、そして高熱の後に全身に広がる赤い湿疹。脳炎を併発することがあり、出来る限り安静が必要。私は子供たちの症状を思い浮かべながら、ふんふんとうなづいていました。同時に、この後まだ高熱が出るであろう一八歳の娘のことを案じながら、頭は不安でいっぱいでした。
予防接種をなぜ受けなかったのか。ここで読者の皆さんも疑問を持たれたのではないでしょうか。子供が生まれれば、一年半ぐらいで役所から通知が来ます。確かポリオのワクチンが、最初の接種になると思います。予防接種で確かに危険な病気が減少してきました。しかし一方で接種を受けたが為に、副作用で亡くなってしまう子供たちが後を絶ちません。以前読んだ本には、外国と比べると日本の場合は、集団的予防が最優先され個人的予防が軽視される、とあったことを覚えています。つまり社会全体の防衛のためなら個人の犠牲は仕方ない、ということでしょう。こんな考え方の予防接種に、ハイハイと従うことが出来るでしょうか。
今回のはしか看病を体験して、はしかの予防接種は必要だという結果になりました。これは何よりも、個人的防衛の立場からの必要性を訴えているのです。私たち、はしかを患った子供を持つ母親たちの、全員一致した意見であることを付け加えておきます。ここには、経験からでしか接種を判断することが出来ない不幸な現実があります。接種の一つ一つ必要性の是非を巡る正しい情報こそ、公開されるべきではないでしょうか。
(恵)
●『WORKERS』の目次 へかえる
●ホーム・ページ へかえる
読者からの投稿
竹島(独島)共同管理案について
この原稿は、今年の初めに起こった竹島問題について書いたものです。なお、皆さんが分裂した組織なので、これはワーカーズ、Workersの両グループに送ります。内容は、『週刊金曜日』に掲載された投書を取り上げて書いています。
今年に入り、日本と韓国の間で、竹島(韓国名独島)の領有権をめぐっての対立が再燃した。韓国民は、かつて日本帝国主義からの侵略を受けたこと、その後も日本の支配層からの挑発的な暴言を受けたことなどにより、他国よりも強い反日感情を持っている。この問題をめぐっては、この反日感情、そして朝鮮民族のもつ強い民族意識(当然、侵略されたということが背景にある)といったいわば国民的感情に加えて、竹島周辺の水域が絶好の漁場であり、なおかつ海域に豊富な地下資源が眠っている可能性があるという国家的利害もからみ、対立が激化した場合には、不測の事態が起こっても不思議はない。この問題に関しては、当面、現実的、過渡的な解決策が必要とされるのは当然のことである(「労働者にとって領土問題は反動的である」というような考え方は、間違っていなくとも、実際には問題を放棄しているに等しい)。
この問題に関して、『週刊金曜日』では、いくつかの考え方が掲載された。一つは村岡到氏の「日韓両国が共同管理をして、二○○カイリの線引きはこの島のまんなかにする」(三月一五日号)という考え方で、またもう一つは、渡辺一徳氏らの「竹島は、韓国に領有権があり、韓国のものである」(四月一二日号)という主張である(また、JRCL=旧第四インター世界革命派や日本共産党ML派など一部左翼も同様の考え方だし、日本共産党は北方領土問題で民族主義的傾向を示したが今回はこの問題を回避している)。
一見、村岡案には、渡辺氏の言うとおり、植民地時代の認識が不足しているようにも感じる。とはいえ、はたして韓国こそが、いま領有権を持っているといえるのだろうか。たしかに、竹島が昔は韓国領であったことは、周知の事実である。とはいっても、これは、もともと無人島であった島を当時の朝鮮が日本よりも先に占有して、これは自国の領土である、というだけのことにしかすぎない訳で、領有の正当性はたかだか早いもの勝ちと言うだけでしかない。むろん日本が竹島の領有を宣言した頃は、朝鮮に対する侵略をおこなっていた最中であった。だから帝国主義的な侵略そのものは大いに問われるべきだが、そのことをもってして、竹島が現在韓国領である、との主張は正当とはいえないだろう。
いや、そもそも我々が、どちらかの国が竹島を占有することを前提として話をすすめるべきなのだろうか。私は、そうは思わない。もともとは人類共有だった土地を、それがどの国家のものであるか、などという水準での議論をするべきではなく、その水準をこえることが必要ではないか。そういった水準から生じる視野の狭さは、村岡案の「共同管理」論は日本政府(=支配層)を利するものだ、という短絡的な主張からもわかる。この主張は、「共同管理」がなぜ日本政府を利するかが明らかにされていないし、また韓国においては支配層(=政府)が民衆に対し、この問題をもってして民族主義を煽動していることを無視している。韓国政府は、自国内で抱えている矛盾、例えば民主労総の結成などといった労働者の闘い、そういう国内で抱える問題から民衆の目をそらすために、竹島問題では民族主義を煽動しているのであり、結果として渡辺氏の案のとおりに竹島が韓国領となったとき、民衆の評価を得るのは韓国政府であり、渡辺氏の意図はともかくとして、韓国の支配層には願ってもない利益となるのである。日本の支配層のことしか頭にないからこそ、このような見落としが起こるのである。
以上のことを考えた上で、村岡氏の案は現実的に可能であり、かつ竹島がどちらかの領土であるという水準の、狭い議論をこえたものとして、また両国支配層のどちらかを特に利することもないので、有効なものとして考えてもよいだろう。私としては、村岡氏の案は完全なものだと言えない、そう考えるが、とはいっても空論にふける訳にもいくまい。よって、村岡氏の案は問題の根本的な解決への、さらには両国民衆の相互理解への一歩目のきっかけを与えるものとしては十分に評価できるものだといえよう。
(名古屋・H)
●『WORKERS』の目次 へかえる
●ホーム・ページ へかえる
読者からの投稿
或る知人の理論について
(一)資本主義的生産様式にかなった通貨制度は管理通貨制度である。
一九二九年の世界経済大恐慌後、管理通貨制度が採用されて、資本主義経済は本格的な発展をする事になる。管理通貨制度が採用される以前の経済恐慌は、資本主義的生産様式と金本位制との矛盾の結果であり、資本主義的生産様式と生産力との矛盾の結果ではない。
(二)生産的労働とは、使用価値を生産する労働のことである。
生産力が発展するにしたがって、社会の生産物のうち商品になる割合が大きくなるのであるが、それでも資本主義以前の時代には、社会の生産物の大部分が商品にならずに消費され、社会の生産物の一部だけが商品になった。
機械が発明されて生産力が飛躍的に増大し、資本主義の時代になると、社会の生産物の大部分が商品として生産されるようになり、そして資本主義のもとで生産力が発展すればするほど、社会の生産物のますます多くの割合が商品として生産されるようになる。
(三)国家資本主義は、国家が商品生産を管理する体制であり、ソ連がそうであった。
国家資本主義のもとでは、資本主義は十分な発展を遂げることができない。生産力がある発展段階に達すると、国家資本主義体制は生産力発展の障害となり、自由な資本主義へと移行する。そして、自由な資本主義のもとで、資本主義は十分な発展を遂げることになる。したがって、国家資本主義から社会主義へ移行することはない。
(四)賃上げ、労働時間短縮、その他の労働条件改善のための労働者の闘いを過小評価してはいけない。
資本主義が十分な発展を遂げていない段階ですぐに社会主義を実現しようとすれば、運動は急進的となり、挫折せざるを得ない。
資本主義の発展法則には、労働者にとっては、労働条件の改善のための闘いはたいへん重要なことであり、これを経済主義として過小評価してはいけない。改良の積み重ねが社会主義を準備する。
(福岡・N)
●『WORKERS』の目次 へかえる
●ホーム・ページ へかえる
皆さん、須山さん、ありがとう ――主催者の一人として
大成功でした! たくさんの人が来てくれた(48人)ことも僕らの催しとしては画期的でしたが、何より内容的にです。来てくれた方のアンケートを読ませていただきますと「感激した」「魅了された」「感動した」といった言葉が出てきますが、まさに「感激」、「魅了」、「感動」のライブとなりました。アンケート回収14人中、「とてもよかった」が10人、「よかった」が2人、「まあまあ」が2人、「よくなかった」はゼロという具合。
アンケートの主な回答を紹介しましょう。
「久しぶりに歌らしい(心から同意できる)歌を聞くことができました。とても感激しました」(Aさん)、「とても心が豊かになりました。澄んだきれいな声がいつまでも残っています」(Bさん)、「戦争について自分の中にはいろいろ矛盾した気持ちがありますが、いろいろ考えさせられました」(Cさん)。
こぶしを振り上げての決起集会的なライブというよりも、Cさんの回答にあるような、参加者に「戦争についていろいろ考え」てもらうきっかけとなるようなライブをやりたいと思っていました。こうした回答をもらえてとても嬉しく思いました。だって、それは今度のライブが成功したということですから。
今回の成功はもちろん須山さんの力によるものでした。構成、歌唱、トークとほとんど理想的な展開だったと思います。そう、須山さんの歌とともにトークもとても好評でした。それは戦争をめぐる最近の様々な問題(沖縄の基地の問題、核兵器や地雷といった兵器の問題、軍隊の本性について等々)を語ることによって、この1996年の日本や世界の現実と反戦歌とを結びつけて、反戦歌を現代の歌としてよみがえらせたのだと思います。
もう一度アンケートの紹介を。
「とても心にしみました。前に須山さんは歌に心を込めて唄っているというのを聞いて、それが伝わってきました。感動をどうもありがとう」(Dさん)、「やはりボリス・ヴィアンの世界は毎回感動します。それとリリー・マルレーンもいい! そしてドイツ曲、日本曲、アメリカ曲…つまり全てです」(Eさん)、「心底から感動いたしました。近くでコンサートのあるときは是非、参加させていただきます。魅了されました」(Fさん)、「須山さんの澄んだ声が心に伝わってきた。あの小さな体で、あの澄んだ声が出ることに驚いた」(Gさん)。
皆さん、ありがとうございました。こんな感想を聞かせてもらえるなんて…、本当にやってよかったと思います。来てもらたった人にこんなに喜んでもらえたこと、今までなかったですもんね。
そして、須山さん、ありがとうございました。曲目の大半がこのライブのために用意され、今回初めて披露される歌でした。しかも、全16曲の半分程の訳詞は須山さん自身によるもの。今回のライブのためにこんなにやってもらって、すごく嬉しかったです。ライブ案内の連載で「画期的なライブになるだろう」なんてことを書きましたが、本当にそうなったと思います。で、ライブの日の夜遅く、家に帰って祝杯を上げました。この原稿を書いているとまたまたあのときの気分がよみがえります。冷蔵庫からビールを出して、Workersの仲間たち、乾杯!
(椎原一夫)
須山公美子反戦歌
ライブ
「平和への祈りの歌コンサート」曲目
@人生よありがとう
A雨を汚したのは誰
B原子爆弾のジャヴァ
C腰まで泥まみれ
D仕事場への道すがら
E君死にたまふことなかれ
F涯なき泥濘(ぬかるみ)
G赤いメロディー
H塹壕
I蘇州夜曲
Jリリー・マルレーン
Kイマジン
L脱走兵
Mウイ・シャル・オーバー・カム
N死んだ男の残したものは
O(アンコール)花
●『WORKERS』の目次 へかえる
●ホーム・ページ へかえる
「平和への祈りの歌」ライブを終えて (須山公美子)
親愛なるWorkersの皆様。おかげさまで無事、この意義あるライブを終わらせて頂く事で出来ました。どうも有難うございました。おだてられて引き受けたものの、内容の詰めが進むにつれ、余りに重い、命と引換えの様な歌が並び、一体自分はこの様な歌を歌うのにふさわしいだけの人生を送ってきたのかと心もとなく、いや、それでも歌は歌、時代や人と共に消えて行くのではなく、歌い継がれてこそ歌なのだ、こうなった以上走り続けるしかない、と自らを奮い立たせての準備が続きました。幸い今回の企画スタッフの方々の熱心な協力により、資料なども豊富に用意して頂き、プログラムの相談にも幾度となく乗ってもらい、当日を迎える事が出来ました。
それぞれの曲に対する思いを連らねれば、『Workers』の紙面を丸々頂かなければならなくなるのでパスしますが、特に印象深く取り組ませてもらった、ジョン・レノンの「IMAGINE」の拙訳詞を紹介したいと思います。
思い浮かべてごらん 何もない青空
揺るぎない大きな大地 空と大地は一つ
空の下 大地を踏みしめて 今を大切に生きて行く
思い浮かべてごらん 戦争のない世界
恐ろしい核兵器もなく 地雷に怯える事もない
沖縄では 基地のフェンスが外され
兵士たちは家へと帰って行く
*馬鹿馬鹿しいと思うかい いつの日かこの世界が
平和の下に一つになる そんな日を夢見よう
人殺しをさせるような 国や宗教もなく
ミサイルや地雷を売ってまで 金儲けをする大人もいない
この世界も あなたも 私も かけがえのないものだから
*繰り返し
一九九六年、日本で歌われるイマジンです。ジョンが「イマジン」と誘いかけるままに今一番こうなって欲しい、という事を託しました。
あの日に歌われた歌を「過去の歌」とするのではなく、生きた「想い」を伝える歌として心に響かせながら、これからも頑張ります! まだまだ未熟さを思い知らされた事でもありました。精進、精進。またどこかでお会いしましょう。有難うございました。
●『WORKERS』の目次 へかえる
●ホーム・ページ へかえる
須山公美子ライブ 行ってきました!
ライブが終わって、久しぶりと職場の仲間三人で飲みに行きました。勿論、最初の話題はライブ、他の人にも声をかけようと思ったが心配でかけられなかったけれども「いける」、次はもっと大きな会場で、会場が取れなかったら職場の大会議室を絶対確保する、いや音響効果が悪いから無理か、等々と話はエスカレートして大好評でした。
私は、歌は好きでもライブハウスなんてほとんど行ったこともなく、反戦歌ライブを自分たちがやるなんて考えもしなかった、当初はそれが実現するとも思えませんでした。それから、二月の須山さんのライブに初めて行って「うまい、いい声してる」と思いつつもまだ不安。それが、椎原さんの強力なイニシアチブと行動力で実現してしまいました。須山さんも、準備の多忙さやプレッシャーを乗り越えて心地よくライブを終わってくれたのではないでしょうか。
ライブについて感想を一言で言えば「よかった。よかった。」です。須山さんのライブで今回が一番よかった、と思うのは自分自身が係わり思い入れが大きかったからでしょうが。ライブの内容で言えば、構成も良かった、みんなが知っている曲から隠れた?名曲まで、歌の順番は須山さんの曲紹介が軍歌も「反戦歌ライブ」に違和感なく組み込まれていて「いい流れ」だったと思います。
歌について言えば、十六曲のなかで知っている歌も新鮮だったし、ドイツやフランスの知らなかった歌も「いい詩」が多かった、作詩された時代や現在の時事問題に触れながらの曲紹介も歌を盛り上げていたと思います。
一番印象に残ったと言うか、後でビデオ(須山さんの了解をもらって、個人的に撮影)を見ていたら涙が出そうになった歌がありました。それは、反戦歌ではなく軍歌として紹介された「涯なき泥濘(ぬかるみ)」です。少し抜粋して紹介します。
/行けども、行けども、はてしなく続くぬかるみぞ/声なき愛馬は、いたわしや//昨日もぬかるみ、今日もまた、ぬかるみひざつく戦線よ/
/ぬかるみあれども、水はなく、せつなやタバコは箱ばかり/
/想は故郷の夢ならべ、ぬかるみはてなき明日の道/ どうでしょう。須山さんも、戦争の翼賛や美化が強い歌ではないというような事を言っていたと思います。戦争を歌っていても、全体的に歌詞をとらえれば、当時の制約もあるだろうし、戦争の悲惨さを歌う「反戦歌」とも言えなくもありません。いいとこ取りです。 もう一つこの歌がいいと思ったのは、アコーディオンです、須山さんのライブでファンになり、楽しみにしていました。当日は三曲ぐらいに使われていましたが、この曲では最高に良かった。最後に、こんな「反 戦歌ライブ」を今回だけでなく続けていければいいと思います。 ( (折田)
●『WORKERS』の目次 へかえる
●ホーム・ページ へかえる
よかった よかった
「須山公美子ってどんな人?」と聞かれて、「ふん、私もあんまり知らんねん」と答えていました。しかしこの反戦ライブを聴いて、私は自信を持ってピーアール出来そうです。
ライブなんて何十年ぶりだろう? そんなことを考えながら会場に向かいました。ちょっと早く着きすぎたかなと思っていたら、すでに入り口付近に三人の若者が待っていました。これはひよっとしたら、と嬉しい予感を持ちながら会場に入りました。
須山公美子さんの第一印象は、小柄で声量のある人で、思っていたよりは庶民的な女性という感じです。私の知らない反戦歌がほとんどですが、その詩の内容から訴えていることの重みが伝わってきます。椎原さんお勧めの「脱走兵」には、兵士に駆り出される男達のやり場のない気持ち。そして「君しにたもうことなかれ」では愛する新妻との別れの切なさが、しんみりとしたメロディーと共に押し寄せてきます。
ライブの良さは、歌い手の表情、気持ちがそのまま聞き手に伝わって来ることにあるのでしょう。そしてそのことを共感しあえる、きっとここから何か生まれてくる、そんなことを感じさせてくれたライブでした。最後に、須山さんがWorkers主催とあって、色々気遣ってくれているのが印象的でした。曲の合間の地雷の数のクイズなんて、とても工夫されてるなあと感心してしまいました。今度はどんな企画にする? と椎原さんの声が聞こえてきそうです。
(兵庫 折口恵子)
●『WORKERS』の目次 へかえる
●ホーム・ページ へかえる