- 母子餓死事件 相次ぐ高齢者の悲惨な死
- 責任は高齢者排除の社会と欺瞞的な福祉政策にある
- 行政は母子の窮状を知っていた
- 東京豊島区のアパートで5月に餓死した母子について、豊島区福祉事務所は一貫して「全く知らなかった」とこの親子との接触を否定してきました。しかし同区は事前に彼らの悲惨な状態を知っていたこと、それにも関わらず何の対応もしなかったこと、このような酷い福祉行政が母子を見殺しにした事件であることが、残された日記から判明しました。
- 母親は95年の3月に、長男の国民年金保険料免除の手続きをしに区役所に行きました。その過程で親子のあまりにも悲惨な生活ぶりが明らかになり、年金課から福祉事務所に連絡が行き、福祉事務所ではこの母子の実態を年金課の書類を元に作成しました。しかし、その後は何の対応もしていないのです。今にも死にそうな母子の状態を知っていながら放置したこの事実は、どの様に言い逃れをしようと容認されるものではありません。
- 区が隠していた日記帳
- 区はこの事が明らかになるのを恐れ、都議の問い合わせに対し、保管している日記を破棄したと虚偽の回答をしていました。しかしあまりの反響の大きさのために、やむなく公開に踏み切らざるを得なくなりました。ところが、高橋計之・福祉部長は自らの非を認めるどころか、「母親がもっていた世界観で、自ら死を選んだ」との暴言を吐いています。
- この日記はA6判のノート10冊で、亡くなる前の2年間の生活苦などを書き記したものです。母親が区役所に行った直後の3月29日付の日記では、「年金係の人からの手紙が入っていました。相談するようにと区役所と西福祉事務所など教えてかいてある。…悪い人にあたったら大変と聞いているので、今は最後までガマンする」と記されています。
- これ以降、何度も役所や、区役所という言葉が日記のなかに出てきます。「…役所などにたのむ様にとおしえられましたが、…私共は…一般の人、同様にはしてもらえないでせう」(九十五年十一月三十一日付け)。「…区役所に頼んでも私と子供は生活できませんでしよう…」(九十六年一月二十八日)。「…区役所等に頼んでも、私共は、まともには世話をしてもらえないし…」等々。
- 行政の窓口を訪ねようと「自分たちの事は分かってもらえないであろう」、また仮に分かってもらえても「自分たちが望んでいるような対応はしてもらえないであろう」等々の福祉への不信、または屈辱的な対応を予測してのあきらめ等々が、この日記には克明にしるされています。決して「独自の世界観」から死を選んだ事ではないことは誰の目にも明らかです。
- 豊島区の餓死事件は氷山の一角
- 不審死などの解剖などの当たっている東京都監察医務院の資料によると、「行き倒れ死」は94年には都内だけで480件もありました。89年の231人に比べ倍増しています。また同じく餓死者はこの八年間で122人もいます(東京都内)。これらは共に行政発表の数であり、また東京都内に限られています。最近は野宿者が目立ってみられる地域が埼玉や千葉や神奈川など東京の周辺部にも広がっていることを考えると、実態がこれを超えていることは容易に想像がつきます。都の資料によると餓死者の85%が40歳以上で、ほとんどの人が生活保護を受けていないことも明らかになっています。ここにも、苦しいときに全く役に立たない今の福祉行政の姿が如実に現れています。
- 豊島区の母子餓死事件と同じ頃、都内で老夫婦と年老いた母子の餓死事件が相次いで起こっています。64歳と68歳の老夫婦は、4年前に公営住宅を家賃滞納で強制退去させられ、その後、廃車を住みかとして雨露をしのいでいました。死後二週間ほど経って発見された彼らの側には、食料携帯用ガスコンロとナベ、現金数十円が残されているだけでした。この老夫婦は福祉事務所に援助を求めましたが、親族を頼るようにと促され、以後申請を諦めなければなりませんでした。
- 北区での母子焼死事件では、81歳の母親は餓死後一週間以上経っていました。この火災は、五十七歳の長男が餓死した母親の後を追って自殺を図り、室内に放火したものでした。
- 何が福祉のための消費税だ!
- このように福祉の切りすて政策によって死に追いやられる人たちが相次いでいます。8年前、福祉充実もひとつの大きな口実にして消費税が導入されました。しかし政府・厚生省が実際にやってきたことは、生活保護行政を見ても「申請者の収入や資産の的確な把握」をうたい文句にした生活保護の切り捨て以外のなにものでもありませんでした。後を絶たぬ餓死や行き倒れ事件の発生が、こうした生活保護行政をはじめとする福祉行政の後退、切り縮めの結果であることはあまりに明らかです。
- 今またこの大衆収奪の消費税の税率が3%から5%にアップされようとしています。そしてまたその口実のひとつとして福祉充実が持ち出されています。しかし政府がどんなに福祉政策の充実をうたっても、現実にこの餓死事件のような悲惨な実態が存在することは隠すことは出来ません。
- 貧しいものがより貧しく、弱いものが更に弱い立場に追い込まれていくような理不尽な社会を厳しく告発していかなければなりません。
- (横尾)
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- 消費税アップを許すな!
- 果てしなき収奪の突破口
- 5%は更なる引き上げの突破口
- 政府・与党は消費税の税率を5%へ引き上げようとしています(本紙が読者のもとに届けられる頃には既に閣議決定されているかも知れません)。88年の12月に法案が成立、89年4月から実施された消費税は、94年秋の5%への増税法案の成立を経て、いよいよ歯止めのない増税レールに乗せられようとしています。
- 政府・与党の5%への税率アップが実施されるなら、現在7兆4千億円の消費税収は5兆円も増大し、一挙に12兆4千億円にまでふくれあがります。これは法人税収とほぼ同じ規模の莫大な税収です。
- しかも消費税の増税は、ここでとどまりそうにはありません。新進党党首の小沢は政府・与党の向こうを張って10%への引き上げを主張しており、そして与党内のさきがけはさらに大幅な12%へのアップを叫んでいるのです。
- 89年に消費税が最初に導入されたとき、将来の税率の上昇が必然であることは多くの論者がすでに指摘し警鐘を鳴らしていたことですが、その予想通り歯止めなき増税の突破口が切り開かれようとしているのです。
- なりふり構わぬ公約違反
- それにしても、各党の露骨な公約違反、なりふり構わぬ開き直りの姿勢はどうでしょう。労働者・庶民の声などどこ吹く風とばかりに、逆にそれに挑戦するかのようにやりたい放題をやっています。
- とりわけひどいのは、社民党です。彼らは消費税導入のときには大声で「絶対反対」を叫びました。導入直後の衆院選では「消費税廃止」を訴えて大量当選を果たしてさえいます。ところがそのわずか数年後の94年には、党首村山を首相にいただきつつ、逆に税率引き上げ法案を提出し、これを成立させるために奔走したのです。しかもこの180度の翻心に対する、どんなまともな説明も明らかにはされませんでした。
- 今度の税率アップの動きも、94年に成立した増税法案では今年の9月までに見直すこととされていましたが、選挙の直前に引き上げたのでは票にひびく、かといって国会開催中では議論と批判が巻き起こるのは必至だと判断し、国会閉会直後を狙っているのです。なんと卑劣な、姑息なやり方でしょうか。
- 大企業への大盤振舞のツケを労働者にまわすな
- 政府・与党は、そして与党に負けず劣らず増税に熱心な野党も、消費税率の引き上げは福祉の充実のためだ、国家財政の危機を回避するためだとのたまいます。
- しかし消費税が導入されてこのかた、いったい福祉がどれだけ改善され、財政危機がどれだけ緩和されたというのでしょうか。福祉充実、財政危機回避どころか、福祉は容赦なく切り捨てられ、それにもかかわらず財界大企業への気前の良い大盤振舞いが続けられたために国家財政は国債残高241兆円という危機的な状況に陥っているのです。
- この数年の実地の経験をありのままに眺めれば、福祉のための消費税などというのがまったくのペテンでしかなかったこと、行財政改革などというのもまったくの空約束かでなければ労働者・庶民への犠牲転化でしかなかったことはもはやまったく明らかです。消費税はそもそも逆進性の税、貧しいものにより大きな割合の負担を押しつける大衆収奪の税に他なりません。5%へのアップを手始めとする果てしない増税に向けた策動を許さず闘いましょう。消費税をはじめとする資本家・富裕者優遇の税制、それを必然化している資本の支配にたいする労働者の闘い力強くを発展させていきましょう。
- (阿部治正)
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- 情報を制するのは誰か
- 6月19日、第136通常国会が閉幕した。政府提出の全法案が成立し、「日米物品・役務相互提供協定(ACSA)」等の8件の条約・協定も承認された。しかも住専処理法が無修正で通過する等、今や国会は見せかけのチェック機能もなくし、ただあれこれの法案を押し出すだけの機関であることを示した。
- 今国会を通過した99の法律の中には、新民事訴訟法がある。「国民に利用しやすく、分かりやすい民事裁判」を実現するためにということだが、官僚たちには違った思惑があった。そのとげは抜かれてことなきを得たが、まずは仕切り直しといったところだ。
- 与党によって修正されたのは裁判所への文書提出命令に関わる部分で、情報隠しの意図が余りに露骨だったため押し通すことが出来なかったようだ。「公務員の職務上の秘密に関する文書で、その提出について当該監督官庁が承認しないもの」に該当しないときには、「文書の所持者は、その提出を拒むことができないものとする」。全くすごい、官僚はすごいことを考える。
- これとは別に4月24日には、「情報公開法要綱案」の中間報告が発表された。そこには「行政機関の長は不開示情報が記録されているときを除き、開示請求者に文書を開示しなければならない」とある。勿論これは情報をどんどん公開しようというものではなく、あらゆる情報に不開示のハンコを押そうというものだ。
- 更には「開示請求された文書が存在しているか否かを答えるだけで、保護される利益が不開示情報を開示した場合と同様に害されるときは、文書の存否を明らかにしないことができる」という規定まである。これじゃ薬害エイズの郡司ファイルの世界だ。なるほど官僚は、あるかないかも秘密にしておきたいようだ。
- さて、民事訴訟法の「改正」といい、情報公開法の制定といい、その核心は官僚が握っている情報をどう料理するかにある。とりあえずは仕切り直しとなったが、官僚の握っている情報をあらゆる手段を用いて暴き出し、彼らの情報隠しに応えなければならない。 (晴)
- 国の言い分
- 戦後補償を巡って、今ようやく日本はそのスタートラインについたところです。従って誰もが、この問題にどう対するのか問われています。戦後世代にはもちろん直接加害責任はありませんが、日本社会に巣くうこの病根に目を向けずに済ますことは出来ません。
- ところで、この50年ひたすら責任回避に明け暮れてきた日本国家はどうでしょうか。全国いたるところで被告席に立たされ、責任を問われています。それでも国家は「責任なし」というのですから、その一貫性には脱帽です。
- その一貫性を支えている論理とは何か、一例を上げるとこうです。明治憲法27条により適法な公権力の行使によって生じた戝産上の特別な犠牲に対しては損失補償を行なう。しかし、原告は「強制連行は犯罪行為であった」と述べている。違法行為については損害補償をしない。
- 原告は「強制連行」だったと主張する。だとすれば「雇用契約」ではなく、国家の権力的な作用によるものである。そのような場合、国家は何の責任も問われない。どうです、実に見事な論理ではあります。これだと、加害者だって被害者に成り済ますのもたやすいでしょう。
- 明治憲法の下では、国家の行為によって国民が損害をこうむっても、国民は国家に損害賠償を請求できないとする説(国家無答責論)があります。そういった主張が現在の裁判に姿を現すのは、何か昔の亡霊を見るようです。しかしこうした主張を実際にしているのは、現在の国家官僚です。
- 国家というのはそれ自体人格はありませんが、人格を持った人間が具体的な決定を行ない、具体的な行為を行なうことによって、国家の行為は成り立っています。戦後補償問題の根の深さはここにあります。それは過去の問題ではなく、まさに現在の問題だと言わざるを得ません。
- 国会議員が「従軍慰安婦は公娼だった」と公言してはばからない、こんなことをいつまで許しておくのか、私たちは問われています。
- (晴)
- 大日本帝国憲法第27条 日本臣民ハソノ所有権ヲ侵サルルコトナシ
- 公益ノ為必要ナル処分ハ法律ノ定ムル所ニ依る
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- ロシア大統領選
- 不毛の選択迫られる労働者
- 渦巻く改革路線への不満、しかし共産党も信頼できず
- 共産主義か民主主義か?
- 6月16日に投票が行われたロシア大統領選は、いずれの候補者も過半数を制するにいたらず、7月3日の決選投票に決着が持ち越されました。各候補の得票は、現職のエリツィンが35%、「共産党」のジュガノフ32%、退役中将で「ロシア共同体会議」のレベジが15%、「ヤブリンスキー連合」のヤブリンスキー下院議員が7%、「自民党」のジリノフスキーが6%、投票率は約70%でした。
- この選挙は、かつて「急進改革」の旗を振ったエリツィンと、いまだにスターリンを崇拝してやまぬというジュガノフの一騎打ちとなり、「共産主義への復帰か安定・改革の継続か」という「体制選択論」が叫ばれました。
- しかし両候補の違いは、彼ら自身が言うほどには鮮明ではありませんでした。むしろ一方のエリツィンは、議会解散と最高会議ビル砲撃、軍や旧KGBへの依存の深まり、新憲法制定による大統領権力の強化、チェチェンへの軍事侵攻、国有財産を私物化して肥え太ったにわか資本家連中との癒着等々に現れているように、今ではれっきとした専制政治家に変貌を遂げました。他方のジュガノフは、ソ連邦崩壊と共産党非合法化をかいくぐって共産党を温存させて来た手腕を買われて党首に祭り上げられた、まごうことなき保守派のチャンピオンの一人です。要するにこの選挙は、少し毛色の違った同じ穴のムジナ同士の闘いとなったのです。
- 民族主義や人気取り政策を競う両候補
- エリツィンとジュガノフがその根本的な立場において深刻な違いのない政治家であることは、最近の彼らの言動を見ればいっそう明らかです。
- エリツィンは、ソ連邦解体決議無効、ソ連邦復活を叫ぶジュガノフに対して一部のCIS諸国(ベラルーシ、カザフスタン)との関係強化で応えるなど大ロシア主義、大国主義を競う姿勢を見せました。また共産党のチェチェン戦争非難に対しては、独立派との電撃的な停戦合意や徴兵制廃止でこれをかわしました。さらに共産党が強く押し出した経済の停滞や混乱や生活悪化への非難、労働者や高齢者などへの人気取りの宣伝に対しては、未払い賃金の早期支払い命令、年金増額やインフレで目減りした預貯金の補償などで応えたのです。
- 他方共産党のジュガノフは、改革路線に幻滅した労働者や年金生活者に加え「古き良きロシア」「大国ロシア」を懐かしむあらゆる反動的な要素、国家主義、愛国主義の勢力に呼びかけ、極右のジリノフスキーさえ取り込もうとしました。またエリツィンによる「共産主義の恐怖」の宣伝に対しては、「ソ連共産党は政党ではなく、支配機構そのものだった。……ロシア共産党は官僚主義や独裁を排し、複数政党制の下で他党と論争したり、共闘したり、合法的に闘っていく。……我々は多様な経済形態、所有形態も認めている」(『世界週報』10・25)と応えました。もちろん大量の共産党幹部をアメリカに送り込んで、共産党が政権をとってもロシアの基本政策はこれまで通りだから何ら心配には及ばない、エリツィンではなく自分を支持せよと訴えることも忘れませんでした。
- こうしたジュガノフ陣営の弁明が効を奏してか、それともエリツィンの改革路線の行き詰まりとその保守化という現実に教えられてか、欧米や日本の支配階級もジュガノフ勝利の可能性に対して決定的な危機感を抱いているという風でもありませんでした。クリントン米大統領は「ロシア国民が自らの指導者を選ぶ権利を支持し、どのような決定を下そうとも、米国はこれに対処し、関係を続ける」と言い、また日本の政府高官も「ジュガノフ氏が大統領になっても、ソ連時代に戻ることはない。国際社会の警戒心を考えれば、短期的には内外政策とも大きな変化はないのではないか」と比較的冷静な態度を示しているのです。
- エリツィンになびくヤブリンスキーとレベジ
- この選挙では、こうしたふたりの「愛国主義者」の争いに対して、強力な第三勢力が登場することはありませんでした。
- 保守化し専制化するエリツィンに不満を持ってこれから分かれたヤブリンスキーやガイダルら改革派は、さっぱり振るいませんでした。何故なら彼らの掲げる改革路線の行き着いた先、その成れの果てがエリツィンの政治だったのあり、そして彼らはそれとは決定的に異なった展望を労働者大衆に示すことが出来なかったのです。彼らは今後もエリツィンとは一定の距離を保っていくでしょうが、しかし来る決選投票では共産党・ジュガノフにくみするわけにもいかず、結局はエリツィン支持で動く以外ないという情けない状況です。
- みじめな闘いに終わった改革派に対し、一躍急浮上したのが軍産複合体に支えられた退役中将のレベジでした。
- 彼は91年の保守派クーデターに反対してエリツィン側につき、モルドバにおける軍務で少数派ロシア人の利害をごり押しして評価を高めましたが、チェチェン戦争に反対したために解任されました。しかしおりからの軍人人気にのって政治家に転身しました。「腐敗一掃」「犯罪撲滅」を掲げた彼が3位の座を射止めたことは現在のロシア社会がいかに腐敗し荒廃しているかを物語っていますが、しかし彼が労働者民衆が本当に支持できる人物ではないこともまた明らかです。彼は、「私の支持者は、ジュガノフ共産党委員長、極右のジリノフスキー自民党党首らと重な」ると公言して恥じず、さらには第一回投票のあとすぐさまエリツィンの誘いにのって安全保障会議書記に就任し、エリツィンから政権ナンバー2だ、後継者だと持ち上げられているのです。
- しかもレベジが政権入りの条件として解任を要求したエリツィンの側近コルジャコフ大統領警護局長やグラチョフ国防相らは、チェチェン戦争への対応の違いはあるものの、レベジと同様治安・軍部畑であり、彼の闘いは権力闘争の性格が色濃いものでした。
- 経済は破綻、貧富の格差拡大
- ロシアにおけるこの権力闘争を規定しているのはいったいなんでしょうか。それは91年以来の改革路線の行き詰まり、つまりますます深刻化する生産の停滞と労働者民衆の生活の悪化、その一方で公の財産を簒奪して富を成した一握りのにわかブルジョアの登場、拡大する貧富の格差や賄賂や犯罪の横行等々の中で混乱を深めるロシアの経済と社会の現実です。
- この半年近くの間ロシア経済の「復調」や「安定化」などということも言われましたが、しかしそれは皮相な見方に過ぎませんでした。
- 確かに94年には12・6%を記録した生産低下率は95年には4%、工業生産ベースでは同じく20・9%から3%に鈍化し、95年12月の月間インフレ率は改革開始以来最低の3・2%、財政赤字も当初目標の国民総生産比7・9%が約5%にとどまりました。ところが「安定」が言われ始めたその矢先に再び生産は低下、96年の第一四半期の工業生産低下率は前年同月比で4%へ上昇、なかでも軽工業、機械工業、建設資材工業はそれぞれ30%、17%、25%というありさまです。
- 生産の低下は90年と比較するといっそう明らかで、消費財や食品工業はそれぞれ20%、50%を割り込み、また石油とガスに至っては60%と95%まで低下しています。
- またインフレ率の低下はIMF(国際通貨基金)の指導に基づく緊縮政策や、高利回り(4月末では171%)の短期国債の発行、「コリドール」(目標相場圏制の導入によるルーブルの実質切り上げなどによるものでしたが、それは同時に国民の実質可処分所得の大幅な減少(95年度は前年度比で13%減)、市場における深刻な資金不足によるバーター取引や税金滞納や賃金未払いの急増、輸出の伸び率の大幅な低下などを生み出さずにはいませんでした。賃金未払いは95年中に3・5倍にも増え、その3分の1は2ヶ月以上に及ぶものとなっています。
- もちろん改革路線は、他方では一握りの新しい成りあがり者を生み出しました。旧ソ連においても特権を享受していた彼らは、その力を利用して抜け目なく国有財産を簒奪、それを食いものにすることによって再び富と権力を手中にしたのです。かくして最近の調査では、裕福な上位10%と貧しい下位10%の所得格差は20倍にも達していることが明らかなっています。
- 展望はどこに
- 経済の深刻な停滞と混乱、その犠牲を集中的にしわ寄せされ生活を破壊される圧倒的多数の労働者人民、それらをしり目に特権と富を手中にする一握りの新ブルジョア階級、これが現在のロシアの政治闘争を規定している経済的、物質的条件です。
- 共産党・ジュガノフはこの現状をエリツィンらの改革路線の責に帰してこれを攻撃、「生産力の向上」「社会保障の強化」「弱者救済の税制改革」「旧ソ連諸国との関係強化」などを叫んでいます。対するエリツィンらは「共産主義の恐怖」の煙幕で防戦しつつ、その裏でジュガノフらの主張をちゃっかりと拝借し、改革路線の骨抜きを自ら買って出ています。そしてこれら両陣営以外で勢力を伸張させているのは、改革継続派のヤブリンスキーらではなく大国主義、愛国主義、軍産複合体の利益代表者であるレベジら軍出身の政治家だけという有様です。
- こうした現状を見て、欧米や日本の支配層のなかには、政府介入の強化や保護主義への復帰も一定の範囲ではやむを得ない等々の議論が出てきています。要するに、ジュガノフが唱えエリツィンが後を追っている改革路線の修正の動きの消極的な追認です。
- しかし、ロシアが進むべき道は本当にそれ以外にはないのでしょうか。私たちはこの問いに、否と答えます。私たちがめざす道は、改革路線でも過去への回帰でもなく、労働者の団結と労働者のイニシアチブによるロシアの変革です。エリツィンやジュガノフらの道が不可避にもたらす労働者人民への犠牲の押しつけと断固として闘い、労働者の団結とイニシアチブに基づいた生産の再建といっそうの発展をめざし、同時に搾取や抑圧や階級支配の克服に向けて今日の経済的物質的条件が許す限りの最大限の前進を追求していく、私たち労働者が考えるロシアの進むべき道はこれ以外にありません。
- (阿部治正)
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- 急増する世界の貧困人口
- 途上国だけでなく先進国でも
- 「貧困戦争」の再開呼びかけるか世界のブルジョアジー
- 貧困論じる四つの報告
- 最近相次いで、国連機関などから、世界の貧困人口についての報告が出されました。期せずして、広がる貧困地域、増大する貧困人口に警鐘を鳴らすものとなっています。
- 5月末に国連人間居住委員会が明らかにした報告によると、世界のホームレス人口は1億人にのぼり、6億人が健康や生命にまで危険が及ぶような劣悪な居住環境の中で暮らしてと言います。またそのすぐ後に国連人口基金が出した報告では、現在の世界の都市人口26億人が10年後には33億人に増え、新たな都市人口の中でとりわけ女性と子どもたちが「世界で最も貧しいそうを形成していくだろう」と予測しています。同じ日に発表された国際労働機関(ILO)の世界の都市貧困層についての報告によると、90年代始めの4億人が2000年には10億人にまで増大するそうですが、その大きな原因は先進国、途上国を問わず深刻な失業にあるそうです。そしてこれら国連機関に先だって明らかにされた経済協力開発機構(OECD)の開発援助委員会が採択した「新開発戦略」によると、現在世界には13億人の「絶対貧困人口」(年間所得370ドル=約4万円)が存在するそうです。
- 現在の世界人口は58億人といわれますが、そのうち1億人が雨露をしのぐだけの粗末な小屋さえ持てず、6億人が健康や生命に危機にさらされ、また13億人が1日1ドルの所得しか得られない「絶対的な貧困」の境遇に置かれているのです。現代の資本主義はすでに貧困の問題を解決したと言われて久しい時がたちましたが、しかしその資本主義が先進国で目を見張る爛熟を果たし、また多くの途上国でも急速な発展を遂げつつある今日においても、貧困は決して過去のものではなく、それどころか新たに再生産されつつあるのです。
- 「豊か」なアメリカの貧困
- 貧困人口の増大が単に途上国に固有の現象でないことは、資本主義のリーダー、富とパワーの国アメリカの現状を見れば明らかです。
- 6年前の少し古い資料ですが、アメリカ政府自身に語ってもらえば、貧困世帯(4人家族で年収13359ドル=当時で約190万円)は3360万人、実にアメリカ国民の7人に1人に達しています。しかもアメリカでは貧富の格差の拡大も著しく、「予算優先センター」の調査によると、人口の1%の富裕者の収入が80年代の10年間で13万ドル増えているのに対し、人口の90%は賃金を3・5%減らしています。
- こうした趨勢は、もちろん90年代に入ってからも持続、それどころかいっそうあからさまになっていることは言うまでもありません。リストラ先進国のアメリカでは、ブルーカラーはもちろんの事ホワイトカラーに対しても激しい人べらしが続いています。リストラで解雇された労働者たちのうち新たな職にありつけた者も、その多くは以前の賃金の3分の2、ひどいときには半分以下という低賃金も珍しくなく、長期失業に陥った者はさらに悲惨です。アメリカの労働者は、産業構造の転換、ハイテク化に生き残った者と、それからはじき出された者とに大きく分かれ、後者の人々には劣悪な労働環境、不安定な雇用、低賃金が押しつけられているのです。かつて世紀の変わり目の頃、比較的安定した地位を得られる熟練労働者と劣悪な労働条件下に追いやれらる不熟練労働者との間の格差が広がっていきましたが、それにも比すべき労働者の2極分解が新たな形で生じてきているのです。
- 「貧困戦争」の再開
- 先に紹介したOECDの「新開発戦略」は、現在13億人の「絶対貧困人口」を2015年までに半減させるという目標を掲げました。また近く予定されているリヨン・サミットでも、貧困と失業が大きなテーマになろうとしており、そこでは途上国ばかりではく先進国もまた俎上にのせられようとしています。まさに貧困は、今日のブルジョアジーにとって自らの体制の正当性を疑わしめる問題、体制の安定を脅かす問題としてとらえられているのであり、その対策に躍起とならざるを得なくなっているのです。
- 思えば、ガルブレイスという経済学者が豊かな社会の到来によって貧困はすでに少数者の問題になったと誇らしげに語ったのが1958年ですが、まさにその直後にアメリカは自身の中の深刻な貧困問題に突き当たったのでした。
- まず最初にガルブレイスの誤りを突いたのは、ランプマンが連邦議会に提出した報告であり、そこでは57年時点での全人口19%、3220万人が最低所得水準以下の貧困状態にあることが示されていました。
- さらに63年にはハリントンの著書『もう一つのアメリカ』が出され、59年時点での全人口の20%〜25%、およそ4000〜5000万人が貧困状態にあることを明らかにしました。しかもハリントンによると、この膨大な貧困層は表面では繁栄を謳歌しているかのアメリカ社会の背後で、閉ざされた世界をつくって世代的に再生産されているというのです。
- こうした相次ぐ報告に追いつめられて、最後には政府自身もアメリカ社会に根ざす深刻な貧困の実態を認めざるを得なくなりました。64年の「大統領経済報告」において、62年時点での貧困者数が全人口の5分の1にあたる3500万人に達することを明らかにしたのです。そしてアメリカ政府は、当時ますます激化していったベトナム戦争と並んでこの貧困対策を「貧困戦争」と呼び、ケネディの後を継いだジョンソンによって戦争宣言が発せられたのでした。
- 資本主義は貧困を解決できない
- かつて、マルクスは、19世紀後半のイギリス資本主義を観察して次のように述べました。「……資本が蓄積されるにつれて、労働者の状態は、彼の受け取る支払いがどうであろうと、高かろうと安かろうと、悪化せざるを得ないとういことになるのである。……相対的過剰人口または産業予備軍をいつでも蓄積の規模及びエネルギーと均衡を保たせておくという法則は、ヘファイストスのくさびがプロメテウスを岩に釘付けにしたよりももっと固く労働者を資本に釘付けにする。それは、資本の蓄積に対応する貧困の蓄積を必然的にする。だから、一方の側での富と蓄積は、同時に反対の極での、すなわち自分の生産物を資本として生産する階級の側での、貧困、労働苦、奴隷状態、無知、粗暴、道徳的堕落の蓄積なのである」(『資本論』第1巻第7篇第23章)。
- もちろん資本主義は、その後も100年以上にわたって、幾度もの危機を乗り越え生産力を発展させながら生きながらえてきました。先進国では、労働者の闘いに譲歩し労働者の一部を体制内に取り込むだけの力も獲得してきました。しかしこのことは資本主義が貧困を克服したという事ではまったくなく、マルクスの指摘は今も当を得ています。
- 資本主義の下での労働の社会的生産力の発展は同時に労働者に対する資本の支配力の発展を意味しています。資本の蓄積の進展は総資本をますます増大させていきますが、その中で進む機械や装置の発展は同時に労働力に対する需要を相対的に減少させていきます。富を力を巨大化していく資本に対して、労働者の側では不安定就業や失業が拡大し、それが重石となって労働者の生活向上を妨げ、極度の貧困に追いやられる労働者も出てきます。このことは好況期にはいくらか隠されていますが、しかし不況ともなれば一目瞭然となります。
- 急速な発展を遂げつつある一部のアジア諸国ではこうした現象がますます明らかとなっていくでしょう。また資本主義の未発展故に苦しんでいる諸国でも、その大きな原因が農村から吐き出された労働力を吸収できない近代化された雇用吸収力の弱い工業にあることに明らかなように、この資本主義の一般的法則と無縁ではありません。もちろん、先進国で今日大きな問題となっている失業や貧困は、この法則の典型的な例証であり、長引く不況と世界的な「大競争」のなかでますます深刻化しつつあります。
- 資本主義の発展はもちろん労働者に様々な新しい能力を要求し、それにつれて労働者の消費水準を高め、またそれを土台にさらに新たな豊かな諸要求を生み出してきています。資本主義の克服の契機のひとつがこの諸要求の発展の中から生じてくるだろうと言うことは可能ですが、しかしこのことは資本主義がその内在的な必然として深刻な失業や貧困を生み出さざるを得ないことを否定するものでは決してありません。
- ブルジョアジー自身が失業や貧困の克服を自らの大きな課題として取り上げざるを得ないことを見ても明らかなように、資本主義が労働者に押しつける失業や貧困や退廃や道徳的堕落等々との闘いは、労働者にとって依然として重要な課題です。そしてこの課題は、今日の貧困が資本のグローバリゼーションの進展と無関係でない以上、労働者の側でも世界的な変革の展望が求められています。
- (阿部治正)
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- 差別と選別のトリプルマーカーテスト
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- トリプルマーカーテスト
- 「トリプルマーカーテスト」という言葉を最近NHKのテレビから知りましたが新聞でも取り上げられてきてます。
- このテストは「出生前スクリーニング」と呼ばれ妊婦検診として導入され始めています。妊婦の血液から胎児由来の物質を検出し、主に胎児がダウン症候群(染色体異常の一つで、知的な発達が遅れる原因になる)をもつ可能性を推定する検査法です。検査の結果ある一定数値以上の値が出るとダウン症候群の可能性が高いということになります。
- この検査は簡便さが利点な半面、精度が必ずしも高くないという欠点があります。つまり低い数値であってもダウン症候群を持って出産する例があり、三割はこのテストでは発見できていません。確定診断にはわずかとはいえ胎児への影響や流産の危険があり、手間のかかる羊水検査を受けなければなりません。羊水検査は羊水や絨毛(じゅうもう)に浮かぶ胎児の細胞をもとに染色体の異常を調べる検査です。
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- 検査の線引き
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- ダウン症候群は人間にある二三対の染色体のうち、二十一番目が一本多い三本(トリソミー)になっているケースが九割以上を占めており、知的な発達の遅れだけでなく心臓や消化器に奇形がある合併症も比較的多く見られるということです。
- 出産時の母親の年齢が高いほど発生する確率は高くなり、二十九歳以下では千人以上に一人のところが四十歳を越えると百人に一人以上の割合になるといわれています。そのため今までは三十五歳を線引きにそれ以上の歳の妊婦への羊水試験が出生前診断として一般的に行われてきました。
- トリプルマーカーテストでは三十五歳未満の妊婦でも受けられ、ダウン症候群の可能性が高い場合には羊水検査を受けるということが可能となります。逆に高齢妊婦でもトリプルマーカーテストで正常範囲ならば羊水試験を受けなくて済むこともできます。
- 日本では四月から実施
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- トリプルマーカーテストはすでに米国で実施されており、テストで正常範囲なのにダウン症候群の子を出産した例が三割あり、精度が七割であることが社会問題にもなっています。インフォード・コンセント(患者への納得のいく説明)の思想がいきわたり、遺伝相談が整備されている米国でさえ問題を抱えています。
- 日本ではこの四月から国内大手の検査会社が実施に踏み切り、妊婦向けパンフレットを作ったり、産科医師を対象に説明会を開いたりしています。又マタニティー雑誌でも取り上げられて妊婦の間では話題になっています。
- このトリプルマーカーテストに対して五月二一日の朝日新聞の「論壇」で北里大助手の高田史男氏は不安を抱き次の様に述べています。
- 「この検査が安全で簡便であるが故に、ともすれば『見つかってよかった』という程度の認識で中絶が行われることになり、生まれてこようとする命を軽視する優生思想の発露にも直結しかねない点である。しかもダウン症に的をしぼったような検査であればその導入はなおさら慎重を期し、生命倫理に関する開かれた論議が十分になされるべきであろう。
- 専門家の間でも、厚生省のみならず遺伝医学、産科、小児科などの関連団体からの公式見解すら出ていない前に、中絶につながる検査が個人ではなく、スクリーニングという集団を相手にする形で、しかも企業主導で急速に普及が図られている状況を問題視する声も少なくはない」
- テストによる差別選別
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- このトリプルマーカーテストに対してダウン症の子を持つ親から「ダウン症の子を将来差別し、排除することにつながる」と批判の声が出ています。
- 出生前診断で「異常なら中絶という」ことが安易に行われるならば障害児に対する差別的意識がそこにはあると言えます。
- 本来の出生前診断は障害が予想される子に対し出生後どういった治療をしたらいいかを前もって検討するためのものであるべきです。ダウン症の子も社会の一員として生存する権利を持っているのです。それを中絶という形で胎児の生命を断ち、排除することは高田氏が指摘しているように優生思想の発露であり、差別といえます。
- かつてハンセン氏病の人は最近になってやっと廃棄された「らい予防法」の中の優生保護の規定のために子供を生むことすらできませんでしたが、これと共通のものを感じます。
- 資本主義は利潤追求のため男女差別、弱者や障害者、高齢者等への差別と選別を絶えず生みだし広げていますが、トリプルマーカーテストを見るとついに胎児にまで、胎児の段階から集団的に差別し選別するのが及んできたと考えざるをえません。
- 出生時異常の減少
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- 羊水試験の出生前診断ではダウン症の他にデュシャンヌ型筋ジストロフィーなど約百種類の病気が見分けられるといいます。出生前診断がどの程度行われその結果どういう状況になったのかを神奈川県について調査したデーターが五月三十一日の朝日新聞に掲載されていました。
- 神奈川県立こども医療センターの調査では「同県内で生まれた約五十万人(出産数のほぼ半数、死産も含む)を調べたら、十数年前に比べ、手足の奇形やダウン症などが四割以上少なかった。胎児の遺伝子などを調べる出生前診断が広がり、異常が見つかると多くの場合、人工妊娠中絶されているのが原因とみられる。出生前診断は全国で年間数千件は実施されているが、その影響についてはよく分かっていなかった」
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- 二百億円の市場
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- 健康に子を生みたいという親の願望を逆手にとってトリプルマーカーテストは急速に広がろうとしています。「わが国の年間出産数約百三十万人のうち、仮に八割の妊婦がこの検査を受け、料金を一件二万円とすると二百億円にも達し、この分野では巨大な『市場』となりえる」と高田氏は指摘しています。病院もテストをPRの材料にしています。資本の論理がまかりとおっており厚生省が何の歯止め何の対策もしていないのが現実です。
- 今の世の中は最重度の知的障害の場合「多くの施設が重度、特に最重度の障害者を入れるのに消極的である。また長期間入所待ちをしたという事情は考慮されていない。………『中度障害者は施設で、重度、特に最重度障害者は在宅で』というのが多くの現場に見られる扱いだ。そして、最重度障害者を抱えた家族は一日二十四時間、年間三百六十五日の介護労働を強いられ、先の見えない、暗く、つらい、トンネルに放置されたような日々を送っている」(三月十四日朝日新聞「論壇」阿部泰隆神戸大教授)ことを考えると中絶を全否定することもできません。
- もしその立場に立ったらどうするか、良心的な人は悩み続けなければなりません。
- (伊藤俊康)
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- 老人福祉の現場からI
- 老人保健施設
- 諸外国に類をみない急速な高齢化社会が進む中、増加し続ける要介護老人のほとんどは在宅で生活しており、その他病院、特別養護老人ホーム等施設で生活している。老人疾病が長期化・慢性化・併発しやすい特性を有しているため会的入院の増大により病院はそのニーズに対応できず、財政的圧迫を強いられ、施設においても多様化しているニーズに対応するためには財政的に困難であるとする見方から中間施設構想への直接的要因となった。そして1986年12月数々の問題を含んだ老人保健法改正案に盛り込むこととなった。
- 中間施設(老人保健施設;以下老健施設)の背景には医療と福祉の統合、医療機関・福祉施設と在宅ケアをつなぐ総合的なケアシステムの構想へと進む方向が打ち出される一方で、低成長経済下における臨調行革路線の下で特別養護老人ホームの増設・充実を抑制し、病院病床の3分の1近くを老健施設への病床転換で安くあげ、特別養護老人ホームのような措置体系では公費負担がかさみ需要を施設には限界があることを根拠に施設の転換が図られた。そして老人医療費の増加による医療保険財政への圧迫と医療供給体制の過剰からくる医療費の増大のため自己負担を増強させ、医療供給体制の再編を進めることで医療費の総抑制を図ろうとしていた。このような背景からその目的は老人福祉への病院転用と中間施設として一元化を図り、また措置制度を廃する方向と権限を国から市町村へと委譲し、受益者負担の原則を明確にし、保険財源の導入を図るとともに民間活力の導入により要介護老人へのサービスの量的拡大を図ることである。ここに一貫した公的責任の回避と医療費抑制が明確に打ち出されていた。
- 老健施設は病院と特別養護老人ホームの中間とされ、老人の自立支援と家庭復帰を目標としており、地域家庭との結びつきを重視した運営がなされなければならない。そのと特性から医師が原則的に管理し、施設の65%は医療法人によって開設されている。整備費は基本的に全額開設者負担で、運営費は老人医療費と同様国・自治体で30%、70%は保険者負担となる。特別養護老人ホームに比べて自治体の負担が大幅に軽減され、自治体は行政・財務・義務の軽減がなされた。よって 老健施設への転身は自治体の責任回避が二重、三重にできる可能性があるということになる。又 老健施設の療養費は人頭割個定報酬の支払い方式が用いられるためサービスをいくら供給してもそれに見合った報酬が期待できないため、手抜きの促進等経営者によっては悪用するケースも現れている。老健施設の1病床は一般病院の0、5床として換算されるため病床の長期入院の是正が図られ病床を減少させるにその代替を老健施設に求める結果となる。
- 老健施設の問題点をまとめると1つは効率的医療と入院期間の短縮化や社会的入院を排除し、行き場のない老人の吹き溜まりに老健施設が位置づけられてしまうことである。2つめに病院経営への資本の参入で低賃金労働者、派遣労働の導入、業務の外注化があり、開設許可にあたり協力病院の確保が強く指導されていることなど老健施設を拠点として病院経営の効率化を図り、病院を直接傘下に収めることで利潤追求する恐れがある。3つめに医療と福祉の中間と意味する老健施設が、実質は医療に比重が偏っているため、介護職員と看護職員とのトラブルは福祉施設以上だと言われる。その理由の1つにはどこまでが看護か介護かといった線が引けないため、介護職でありながら医療的処置も業務に入っているという最低限の線引きさえなされていないぞっとする話もある。介護・看護職は入所者100人につき看護婦8名、介護職員20名を標準とするだけで義務づけまではされておらず、特別養護老人ホームの介護機能まで達していない現状である。 これらみるだけでも如何に低医療・低福祉政策であったかが測りしれる。次に利用料について見てみると、月5万円程度とされているが、施設ごとに設定額が異なり、療養費の額や各施設の経営状態によって利用料に大きな施設間格差が生じている。この金額を払えない老人は利用することができず在宅での生活を余儀なくされている。老人及び家族が安心して生活できる場の確保と将来的な保障まで考えた総合的・継続的なケアの在り方を模索するとき大切な選択する幅が、まだまだ狭い現実を痛感する。医療と福祉の連携が叫ばれ大きく施設の役割が見直されている今、老健施設が病院の下請け的な役割や単なる通過施設に終始しないためには、今の医療体制の矛盾を追求し、それを保護する行政の欺瞞を見過ごしてはならない。
- (田中)
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- アメリカの経済学者による
- ソ連国家資本主義論の最新論文
- ソ連の教訓
- ──マルクス理論をより高めるために
- スティーヴン・レズニック、リチャード・ウォルフ/共著
- 叶秋男/訳
- 目次
- 資本主義とマルクス主義
- 別種のマルクス的理論
- 私的資本主義と国家資本主義
- 国家資本主義と私的資本主義との間の変動
- ソヴェト社会の資本主義的階級構造
- ソヴェト国家資本主義の階級概略史
- ソヴェト国家資本主義の最近の危機
- 私たちは最近、北陸大学助教授・叶秋男氏が翻訳された、現代アメリカの経済学者によるソ連国家資本主義に関する最新論文を手にしました(『北陸法学』第三巻第四号、九六年三月、所収)。へえー、アメリカの現役の学者にこんな人たちがいたのかと驚きました。内容をどう評価するかはともかく、非常に興味深いものですので、以下、何度かに分けて転載させていただきます。なお、これは私たちの無断転載で、この転載については叶氏は何ら関知されておりません。また編集の都合上、私たちの責任で原文を一部割愛させていただきます。ご了承ください(小川 紀)。
- 叶氏による解題
- ……(略)……
- ソ連崩壊後、好ましいことに、ソ連を国家資本主義と規定する立場からの論稿が、日本も含め世界の学界の中から次々と現れつつある。ただ残念なことに、依然としてその数は少数派の域を出ず、さまざまな学会でも活発に議論されるまでには至っていない。わが国でもその存在さえもさほど知られていないのが現状である。
- こうした状況に一石を投じるべく、わが国の「ソヴェト国家資本主義」論者──筆者も含む──が最近共同の論集(大谷禎之介、大西広、山口正之共編著『ソ連の「社会主義」とは何であったか』、大月書店、一九九六年)を出版した意義は大きいが、それは各執筆者の独自な見解からなり、見解の調整も統一も図られてはいない。その意味では今後の論議の深化が期待されるところであり、筆者は、それを広範なものにしていく上で、これまで「ソヴェト国家資本主義」論に触れる機会のなかった人々のためにできる限り多くの海外の論稿も紹介しておくことが論議深化の一助になるものと考える。
- こうした意図のもとでまず訳出したのが、スティーヴン・レズニックとリチャード・ウォルフの論文「ソ連の教訓──マルクス理論をより高めるために」(一九九五年)である。
- 二人の著者は、ともに現在マサチューセッツ大学経済学部に所属し、マルクス経済学と「ラディカル・エコノミクス」の発展に努めている。わが国では、『二つの経済学──マルクス主義対新古典派』(青木書店、一九九一年)の邦訳書が出ており、「米国Rethinking派」の指導者たちとして知られている。彼らはすでに一九九三年に「ソ連における国家資本主義」という論文を出しているが、このたびは翻訳許可を得てソ連国家資本主義に関する彼らの最新論稿を訳出した。
- この簡単な解題では著者たちの見解について検討する余裕はないが、最後に、ソヴェト社会に対する彼らの分析アプローチとそれに基づいて彼らが解明に取り組んだ問題について付言しておきたい。
- 従来マルクス主義を標榜しながらも、ほとんどの論者は、まず所有の法的側面からソヴェト社会を分析し、「国家所有」という権力関係の変化をもってこの社会を社会主義社会と規定してきた。このようなアプローチはマルクスの方法とは相入れないものであることは、マルクスの次のような指摘から明らかである。「この(現行の近代的=ブルジョア的)所有は何か、という問題は、『経済学』の批判的分析によってのみ答えることができるものでした。『経済学』は、右の所有関係の総体を、意志関係としてのそれの法律的表現においてではなく、それの実在的な形態において、すなわち生産関係として、包括しているのです」(「プルードンについて」、全集第一六巻、二五頁)。いいかえれば、ある経済社会における所有の実相は生産関係の分析を通して真に解明されるということである。この点で著者たちは、正当にもこのマルクスの方法に立脚して、彼らの表現を用いれば剰余労働の社会編成の見地からソヴェト社会の階級構造を明らかにしようとしている。
- 著者たちはまた、この見地から二つの重要な問題に答えようとしている。第一は、ソヴェト国家資本主義における支配的資本家階級の位置づけとその再生産機構とはどのようなものであったかについてである。第二は、それが結局のところ危機におちいり、変質せざるをえなかった内因はその階級構造のどこに求められるかについてである。著者たちの見解についての批評はあらためて行うとして、レズニックとウォルフがこれまでのソヴェト国家資本主義に関する議論の中で不十分であった点に取り組んだ意義は指摘しておきたい。
- 今後学界でソヴェト国家資本主義論についての議論が活発化することを願ってやまない。
- (次号より、本文掲載)
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- ヘーゲル論G プレハーノフ
- 前回見たように、ヘーゲルの観念論は、人間の意志で世界はどうにでもなるといった素朴な観念論とは違っていた。
- 素朴な観念論とヘーゲルの観念論
- すなわち、ヘーゲルにあっては、人間の行為はいやがおうでも人間の頭脳に投映されはするが、しかしこの反映を通じて歴史的運動が拘束されるものではない。事物の進行は観念の進行によって規定されるのではなく、何かまったく違ったものによって、人間の意志には依存しないものによって、人間の意識の前では隠されるているものによって決定される。人間的な恣意や、判断の偶然性は、法則性に、従ってまた必然性にとって代わられるのである。ここに、フランス啓蒙論者などの素朴な観念論に対するヘーゲルの観念論の明白な特徴がある。
- いわば、後者の前者に対する関係は、一神教の、魔法や偶像崇拝といったものに対する関係のようなものである。
- すなわち、魔法は、自然から合法則性をすっかり閉め出してしまう。つまりそれは、事物の進行がいかなる瞬間においても魔法使いの干渉のもとに破られるものだということを想定している。これに反し、自然法則は神が設定したものだと見る一神教にあっては、事物の進行は神が一回限りお定めになったこの法則によって規定されるものだということを承認する。
- ここから、一神教は、科学に向かって広い活動の余地を与えた。そして、この科学は、やがて現象の説明にあたって神の仮定をまったく必要としないところへまで到達するのであるが、これと同様に、ヘーゲルの観念論も、歴史の運動を人間の恣意に依存しないものとして説明しようとし、こうして科学に、歴史的現象を合法則的に説明せんとする課題を課したのである。
- 哲学の役割
- ところで、前世紀のフランス啓蒙論者、素朴な観念論者らのように、人間の意志や考えが歴史を支配すると見るなら、未来は、次のように言い表わされることになるであろう。すなわち、これから以後、いっさいのものは明哲な思考によって、哲学によって支配され秩序づけられる、と。
- これに反し、ヘーゲルはというと、彼は哲学に対し遙かに控え目な役割しか認めなかった。
- 彼は言った、「世界はいかにあるべきか、ということを教えることについてなお一言つけ加えるなら、そもそも哲学は、そのためにはやって来るのがいつも遅すぎるのである。すなわち、現実がその創造過程を完了し、すっかり仕事を仕上げた後ではじめて、哲学は、思想として時間のなかに現われる。『すべて理論は灰色で、緑なすは生命の樹だ』と言ったのはゲーテだが、その灰色の理論に哲学がさらに灰色を重ねて描くとき、そのときにはもう、命の姿は老いているのだ。そうして、その灰色ずくめの装いでは、命の姿は若返らされるのではなく、ただ認識されるのみである。ミネルヴァ(ギリシャ神話の知恵の神)の梟(ふくろう)は、黄昏(たそがれ)のとばりが落ちてはじめて飛びはじめる」(『法の哲学』序文)。
- プレハーノフの反論
- しかし、私(プレハーノフ)はこれは言い過ぎだと思う。なるほど哲学が、年老いて死に瀕している社会組織を新たによみがえらせることはできない、というのは事実だろう。だが他方、哲学は、旧いものに代わって出てくる新しい社会組織の性質を──むろん大体の輪郭においてであるが──われわれに示すことはできないだろうか。
- 哲学は、現象を「生成」の過程において見る。では生成の過程とは何か。それは二つの契機を、すなわち「成立」と「崩壊」とを表示している。そしてこの二つは、時間の中にあって見たところ離れ離れになっているが、しかし実は、与えられたどの瞬間にも、生成の過程というものは、自然にもおいても、また歴史においても、二者闘争的な過程として現われる。すなわち、老いたるものは凋落し、しかしそれと同時に、つまり老いたるものの凋落していくのと同じ度合いで、その廃墟から新しいものが生起してくるのである。
- だとすれば、哲学にとって、新しいものの成立過程はいつまでも近づきがたい領域となっていなければならないだろうか。
- 確かに哲学は、「現に在る」ところのものを認識する。それは、哲学者AやBやの考えに従って「こう在るべきだ」というものを認識するのではない。それはそうだ。しかしでは、与えられたいかなるときにも「現に在る」というものは何か。それはまさしく、老いたるものの死滅と新しいものの萌芽とである。
- だとすれば、哲学がもし老いたるものの死滅だけを認識するとしたら、その認識は一面的な認識だということになる。またそれでは、哲学は、「現に在る」ところのものを認識するということを任務とするにはふさわしくないということになる。そしてそれは、認識理性の万能をうたったヘーゲルの確信とは矛盾することになるであろう。
- 総括
- 繰り返すが、一八世紀の唯物論者たち、実は歴史の領域では素朴な観念論者であった人たち、啓蒙思想家たちは、「こう在るべきだ」という哲学によって人間は自由に現実を規定することができると考えた。これに対しヘーゲルは、現実は哲学からは、つまり人間の意志や願望からは独立に存在していると見た。その限りではヘーゲルが正しかったであろう。しかし私が言いたいのは、「こう在るべきだ」からは独立した「現にこう在る」という現実は、あるものが死滅しつつある過程であると同時に、それだけではなく、あるものが生まれつつある過程でもあるということである。したがって哲学は、旧いものの認識だけでなく、旧いものに代わって出てくる新しいものの性質をも──むろん大体の輪郭においてであるが──われわれに示すことかできるであろうということである。
- (編集・小川 紀)
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- 北朝鮮の歴史C
- 独裁の成立、展開,そして崩壊
- 2,国有化・集団化
- 四六年二月の意味
- 前回見たように、ソ連が金日成を使って、北部単独の「ミニ・ソ連国家」「ミニ・ソ連社会」の建設に踏み切らせたのは一九四六年二月でした。
- そしてその後の事態を見るなら、この四六年二月こそ決定的であり、後の「朝鮮民主主義人民共和国政府」の樹立など、あくまでこの四六年二月以降に生じたことの結果であり、その追認に過ぎなかったことが浮き彫りになります。
- すなわち、二月に事実上の単独政権、「北朝鮮臨時人民委員会」を樹立するや、早くも翌月の三月にはソ連(と金日成の一派)は北部単独で土地改革に踏み切ります。この改革自体の評価は別にして、少なくとも、そんなことをすれば北と南が別社会となり、分断の決定的な第一歩となることは目に見えていました。しかし、建前上は、南北の諸勢力、左右の諸勢力、第二次大戦の戦勝諸国などなどによる話し合いと妥協のなかでとにもかくにも朝鮮に単一の民主主義国家を樹立するということを掲げていたとはいえ、すでにそうした目標に見切りをつけ、南北がだめならせめて北だけでも自分の意のままになる国家をつくろうと決断したソ連にとって、朝鮮人民が北と南に引き裂かれようがそんなことはおかまいなし、でした。
- こうして、八月には北部単独で主要産業の国有化を強行、一○月には独自の中央銀行を創設、一一月には単独選挙を実施、一二月には立法議院を開設、さらに同月、独自の通貨を発行、そして翌四七年二月には独自の軍隊(朝鮮人民軍)まで創設……。
- 繰り返しますが、四八年八月、九月の「大韓民国政府」「朝鮮民主主義人民共和国政府」の樹立に南北分断の出発点を見るこれまでの左翼の常識的な見解はまったく皮相であり、分断の出発点、そのテコとなったのは四六年二月でした。
- 四つの別問題
- さて、そこで土地改革と産業の国有化について見ましょう。
- しかしその際、あらかじめ次の四点に注意をお願いしたいと思います。すなわち、結論から先に述べますと僕にはこの四六年三月の土地改革(いわゆる「集団化」ではなく、農民への土地分与でした)と八月の産業国有化とは、とりあえずは合理的で、歴史的に進歩的なものだったと考えられるのですが、しかし第一に、それがそうだったということと、それが南北分断の既成事実化に決定的な役割を果たしたという問題とはまた別の問題です。これを混同しないようにしましょう。
- しかも第二に、この二つの改革が進歩的であったということと、ソ連の思惑が何だったかということとは別問題です。つまり、ソ連はべつに北朝鮮人民に進歩を与えようとしてこの改革をおこなったわけではありません。ソ連の目的はあくまで自分に有利な傀儡(かいらい)国家、衛星国家の創設であり、土地改革や国有化はそのための手段でした。
- 第三に、この二つの改革が進歩的であったということから、ではこの二つを含む、当時ソ連が北朝鮮でおこなった政策の全体が北朝鮮に進歩をもたらしたかというと、それはまた別問題です。
- 部分と全体とのこの区別は、例えばかつての列強の植民地政策について見る際に必要な視点と同じだと思います。
- すなわち、A国がB国を植民地化すると、A国はB国に工場を建て、鉄道を敷設し、道路や港湾を整備します。こうしてB国では、伝統的な自給自足経済が崩れ、商品生産が発展し、古風な農民が近代的な労働者に生まれ変わっていきます、等々。この面だけ見ていると、植民地化はB国に進歩をもたらしたという評価が出てきます。が、これは一面であり、この同じ過程で、B国の資源はごっそり持ち去られ、労働者の過酷な、無制限の搾取が一国の労働力総体の疲弊、先細りをもたらし、さらに、A国の支配に都合がよければ、後れた、中世的諸関係が意図的に温存され、また、有無をいわせぬ抑圧政治が人々の精神的萎縮をもたらし、その意欲や創造性を奪っていきます、等々。こうして、植民地化は一般に、全体としてみればB国に後退や停滞、あるいは結果として成長があった場合でも緩慢なそれ、A国の収奪、抑圧がなければ達成されたであろう成長にくらべると緩慢でしかない成長をもたらしたのでした。
- 世代、時代
- ちなみに、それはまたあの「スターリン体制」について見る際にも必要となる視点だと思います。
- 例えば、僕らWorkersがそこから出てきた社労党は、林紘義氏の見解に従って、スターリンによるソ連の重工業化を非常に高く評価し、その進歩的意義を異様なほど強調しました。
- が、いま見たように問題は、全体としてどうだったかです。確かにインフラの整備とかいう面に目をやれば、スターリン体制のもとで大きな成長が認められるとはいえ、しかしそれは過程の一面であり、他方で、全体として、この体制は何をもたらしたか。スターリンは、労働力を単に疲弊させたとかいうところにとどまりませんでした。数百万人とも、一千万人、二千万人ともいわれる労働者、農民、知識人が文字どおり抹殺されました。これが生産力のどんなに大きな破壊であったか。またさらに、あの恐怖政治が人間精神をどれほど萎縮させ、それが生産力の足をどれほど引っ張ったか、等々。
- こうして全体として見れば、スターリンの政策、支配が林氏が持ち上げるほどには前進的でなかったことは、いまではまったく明らかではないでしょうか。
- しかしでは、なぜ林氏はスターリン体制をあれほどまでに持ち上げたのか。
- 話が横道にそれたついでにここでさらにそれますと、僕は思うのですが、これは林氏の個人的な誤り、限界というだけでなく、たぶんこれには世代というもの、時代というものが大きく関係しているのではないでしょうか。といいますのは、例えば槍ガ岳という山は非常に顕著な形をした山で、北アルプスのどこから眺めても、この山だけは誰にでも簡単に「あっ、槍……」と認められます。が、それは離れた位置から眺めた場合のことで、自ら槍ガ岳に登り、特にその最後の、穂先の岩場に取りついていると、もうその顕著な形は認められません。時代というものも同じで、くっつき過ぎていると見えるものも見えず、ある程度離れたときその真の姿が理解できる、ということがいえるのではないでしょうか。
- そして振り返ってみるに、僕ら一九五○年代生まれの者がものごころついて政治というものに目を向けるようになったとき、それは一九六○年代後半とか七○年代前半とかいう時代でしたが、そのときはもう「ソ連」と聞けば、僕らにはイコール「停滞」とか「暗黒」とかいうイメージしか浮かびませんでした。僕ら以降の世代となればなおさらでしょう。ところがこれに対し、林氏は一九三○年代の生まれだと思いますが、この世代の人たちがものごころついた一九五○年代には、たぶん、「ソ連」というのはまだまだ輝いて見えたのではないでしょうか。
- 結局、このときの印象に、林氏はずっと引きずられたのでしょう。こうしてあのスターリン体制の進歩性の、僕らからすると異様なまでの強調の見解が生まれてきたのだと思います。
- そしてそれは、こうした見解が林氏だけのものでなく、この時代の「公式的見解」であったことを思えば頷けます。すなわち、「スターリンおよびその時代の否定的側面は、スターリン死後フルシチョフによって不十分ながらも暴露され批判されたが、しかし農業集団化と急速な工業化の方は肯定的に評価するのが従来の公式見解だった」(塩川伸明『終焉の中のソ連史』、朝日新聞社、二二七頁)。
- 鋭い視線
- とはいえ、時代、世代ということだけでもちろん林氏らを免罪するわけにはいきません。この世代の人でも、さらにはそれより前の世代の人でも、鋭い視線をもった人たちは、やがてスターリン体制の進歩性に対して疑義の目を向けていったのですから。
- しかしともあれ、多かれ少なかれ誰もが時代の制約の中にいることは事実で、それは北朝鮮の問題でも同じだと思います。この考察で僕らはしばしば左翼の常識というものを取り上げてきましたが、これにしても単に個々人の誤った観念というよりも、確かにソ連と同じく北朝鮮がまだメッキを剥がされる前の時代、それが実際以上に輝いて見えた時代というのがあったわけで、おそらくここに源を発しているのでしょう。
- そしてそれを確認すれば、これは他人事ではないということです。時代の制約ということからは誰も絶対に自由でありえないわけで、そのことを僕らもこの先、常にしっかりと肝に銘じながら進んでいかなければと思います。
- さて、大きく話がそれましたが、元にもどります。
- 一九四六年の北朝鮮の土地改革と産業国有化ですが、上記の第一、第二、第三につづき、第四に、四六年の時点で、当時の北朝鮮の発展段階に照らし、この二つの改革が進歩的だったとしても、そのことはこれがいつまでも進歩的意義を持ったということは意味しません。が、これはまた後に触れたいと思います。
- ──前置きが長くなってしまいましたが、以上を踏まえ、次回以降、土地改革と産業国有化の過程に具体的に入っていきます。
- (小川 紀)
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- Workers大会報告(下)
- 総括と方針、新聞の制作体制について
- 大会の二日目は、午前八時三○分から昼食の休憩を挟んで午後三時頃まで話し合いを行いましたので、報告します。なお、話し合いについては、録音や速記を行っていないため、メモと記憶に基づいているため正確でないところがあるかもしれませんので、あらかじめお断りしておきます。
- 新聞(Woerkers)内容について
- ・現状は集まってきた原稿を編集している。時事的な記事で内容的にすごいものを書く必要があるが、書けない。また、時事的なものをバランス良く書く必要がある。
- ・「海つばめ(社会主義労働者党の機関紙)」だと、どこに何が載っているか分かるが、「Woerkers」は雑多になっているので、どの面にどういう記事を載せるか、ある程度決めとく方が良いのではないか。そうすると、記事の執筆を順番制にしないとできないのではないか。また、社説的なものも必要であろう。
- 以上のような問題提起があり、時事的な記事の執筆についてと社説の掲載についての協議を行いました。
- @時事的な記事の執筆について
- ・分裂時の五支部合同会議で、自主的に記事を書くこととした。その時、将来的に人数が増えると書き手も増えるのでバランスもとれるだろうということになった。
- 最初の東京、埼玉、大阪のときに比べると、その後、兵庫、福岡が結集してきて記事内容としては広がりをもってきた。
- ・義務的に記事を書くことには反対である。記事内容が偏っているのであればもっと会員が関心をもつ分野を広げるべきである。
- ・時事的な記事がもっとほしいので、割り当て制は良いとは思わないが、現状からするとやむ得ない。
- ・時事的といっても一般商業新聞を超えるものが書けるであろうか。
- ・現状で良いと思う。会の原則は、自主性である。あまり偏ったものが続くと問題であろうが、会員としてどこまで許せるのか。時事的なものは一般紙やテレビを見れば良いと思う。一人が特定のテーマを決めて取り組めば内容的にも深くなる。
- ・個々の会員の関心によっては、広く浅くの方が良い場合もある。
- ・例えば、住専問題だと、「住専問題」という題名の記事があれば安心するというのもあるが、どのような内容の記事かが重要ではないか。
- ・時事的といっても、その一部に焦点を当てた記事でも良いのではないか。
- ・課題でも意見が一致しているものは少ないと思う。
- ・読み手、書き手、編集の都合があるが、現状は読み手の都合を無視している。書き手を重視していくというのが大前提であるが、危機意識の違いがかなりある。 ・新聞の位置づけが会員によって少しずつ違うので、現状では、時事的な記事が少ないことはやむ得ない。
- 以上の討論の後、M氏が三つの問題点として整理したのは、一つ目は会員の関心の分野が狭いこと、二つ目は一つの課題で二つ以上の意見があるのにWoerkersに掲載されているのは一つとなっていること、三つ目は「ミール(歴史的課題としての例示)」でも現在とどう結びつくのかが明確でないこと、というものでした。
- また、時事的な記事の執筆を順番制にすべきであるということについては、順番制を支持する会員によりプロジェクトチームのようなものを作って相談するということになりました。
- A社説の掲載について
- ・もし社説を掲載すれば、会全体の考えだと受け取られてしまう。Woerkersは個々の会員の考えで掲載しているので、今後そのような断りを入れる必要がある。
- ということで、断り書きは大阪のS氏が書くこととなりました。
- Bその他
- 文字のポイントを少し大きくしてほしいという要望が出され、編集担当が努力することとなりました。また、書評を常設してほしいということに対しては、自由に書いていこうということとなり、常設にはこだわらないといことになりました。
- 読者からの投稿の取り扱いについて
- @
- 読者のBさんからの投稿記事を掲載するかどうかを巡り、会員により意見が異なったため、大会で協議することとなったものです。
- ・自分で発表する場がある(Bさんが所属する団体においても機関紙を発行している)のにWoerkersに掲載するのは問題である。
- ・本来、掲載してほしいというのならば、新聞(Woerkers)の性格とかを考えて記事を書くべきである。
- ・読者からの投稿は、原則として掲載すべきである。あとは記事の内容の問題である。
- ・(Bさんからの投稿記事はかなりの長文であったので)内容を要約して掲載してはどうか。
- ・組織に入ってくるのはイヤだけれども、投稿は認めるというのもおかしいのではないか。一般的な投稿であれば掲載すべきであるが、今回のケースは、一般的な投稿とは違う。
- ・もし掲載した場合Bさんの所属する団体との関係はどうなるのであろうか。このような協議を踏まえた結論的な意見としては、
- ・今後も具体的なケースについて判断すれば良い。
- ・これからは、(投稿者の)過去から現在の態度を見て私生活とかも考えていかなくてはならないのであろう。
- A
- 読者Yさんからのホームレスについての投稿記事及び会員A氏のYさんへの反論記事について
- この問題は、三月一日発行のWoerkersNO七七号に掲載された記事について読者のYさんから会員A氏の反論記事について抗議の意思表明があったものです。なお、Yさんからの抗議は他の会員へ口頭で伝えられたものですので正確ではないかもしれませんので、了承の程をお願いいたします。
- Yさんの主張は、反論するにしても人格まで踏み込まれる必要はないということと、この投稿は他の会員からの要請(ただし、課題や内容は執筆者に任せている)により執筆したものであるということです。このことについての会員の意見としては、
- ・反論を掲載しないとWoerkersの考えだと誤解されてしまう。
- ・投稿記事の内容から反論記事はやはり掲載すべきであるが、Yさんのような考え方は特に特殊ではなく世間ではまだまだ一般的ではなかろうか。
- ・別の読者からこの反論記事は感情的であるという指摘を受けた。
- このように、反論記事の内容については、感情的であり少し配慮に欠けていたのではないかという意見がだされましたが、A氏はYさんに対しては、これぐらいの内容で良いと考えている、ということになり、M氏が両者に対する批判記事を執筆するということになりました。
- 新聞(Woerkers)の制作等について
- ○Nさんが夏にパソコン教室に通い、S氏はパソコンを買いに行くという決意表明がありました。
- ○校正については、原稿を書く段階で行えばかなり良くなるので、記事を執筆するときは、校正もきっちりおこなっていきましょうということとなりました。
- また、数字表記については、縦書きでもアラビア数字を使用してもかまわないのではないかという意見がだされ、最近は一般的にもアラビア数字の縦書きがあるので特にこだわらないということになりました。
- ○Woerkersを置いて貰える書店の開拓については、広島はなく、京都は雑誌ならばということですが、旅行に出かけたときも利用して探してはどうかということになりました。
-
- その他
- ○メーデーのビラについては、紙質やレイアウトをもっと良くすることと、担当者を替えて発想を変えてみてはどうかという意見が出されました。
- ○大衆研究会については、私達は一般の参加者と共に研究していくという姿勢であるが、組織に囲い込むためにやっているところもある。
- ○今年のサマースクールは、レポートを二本と規約について行う。レポートの一本は「マルクスとアソシエーション理論」についてをやることとなりました。 ○広島・長崎については、今年も取り組むこととなりました。
- ○会の昨年度会計についての報告があり、今後は三ヶ月毎に報告することとなりました。
- 以上で大会二日目の主な協議事項についての報告を終わります。
- (TK)
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- 大会意見書 会費について 4・29 東京 NT
- 現行の規約によると、会費については、次のようになっている。
- 新しい労働者党をめざす全国協議会規約 五、会の財政 会員は原則として、月収入の三パーセントを会費として納入する。会の財政は、この会費およびカンパ、出版物収入等でまかなわれる。
- 支部は、会費のうちの七割を中央に納入し、残りを支部費にあてる。
- (注)「七割を中央に納入」は、昨年のサマースクールにおいて、「八割を共通 会計に納入」と、実質的に改正されている。
- 疑問点
- 1 規約上の「月収入」とは、ボーナス等の臨時収入を含む税込みの全ての所得 から、税金、社会保険料や組合費などを差し引いた実際の所得であると解する が、会員により、その解釈が一致していない。
- 2 現行の会費は、定率制であり、定額制となっていない。このことは、会員の 負担能力に応じて会費を支払うこととなるが、厳密にすると、会員個々人の生 活費、例えば、扶養家族の人数や職場内でのつき合いなどにより異なってくる はずであるが、これらは考慮されていない。また、病気などで臨時的に支出が 増加した場合についても、原則として、収入の三パーセントを納入することと なっている。
- 3 会費額については、自主申告であるため、事実上、三パーセントというのは 単なる目安となっている。もちろん、目安以上に納入している会員もいる。
- また、会費を納入していない場合、その会員を除籍するのか。
- 4 個々の会員は、会費を納入するだけで、財政状況について把握しにくい状況 となっているため、三パーセントが適正かどうか分かりにくい。
- 改正案
- 1 会費については、納入することとし、会費額については、会員の自主申告と する。
- 2 会計は、少なくとも四半期ごとに明らかにし、財政上の責任を全会員で負う こととし、会計が赤字となった場合は、個々の会員の判断で自主的に会費を臨 時的に増額して納入することとする。
- 3 予算については、必要経費を基に、収入を確保できることを前提とする。
- 目的
- 1 協議会を真に、自発的、自主的な会とする。これは、来るべき社会における 税制(社会的な経費負担のあり方)を念頭に置いているものである。
- 2 個々の会員が、自主的に会費額を考えることにより、現在の大蔵官僚に見ら れるような納税者との遊離をあらかじめ防止することとなる。
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-
読書室 「うつくしい物線のために」−クラス担任から若きともへ
教育の原点を問う実践 寺岡良信著 かわもと出版 低下1300円
以前、Workersで
紹介した新屋英子さんの 「一人芝居」の記事、覚えていますか?その「一人芝居」が行なわれた高校の会場に、同和研修担当の教師として参加されていたのが著者の寺岡先生です。当日の先生の発言内容に共感を覚え、私自身、一度話をしてみたいなあと思っていたのでした。
それが、ある会の講師捜しを引き受けることで実現し、これから紹介する本を頂くということになりました。本の紹介は勿論のことですが、寺岡先生との話の中で伝わってくる優しさ、それは生徒たちを大切にする生き方につながっているのですが、このことにも触れてみたいと思います。
「さてこの本は、私が週二度の頻度でクラスの生徒に発行していた学級通信から何篇かを選んだものである。言うまでも無いことだが、私は教師である前に、喜怒哀楽を備えた一人の人間である。その人間が日常生活の中でどんなことを感じ、どんなことを考えているのか。そのことをエッセイ風の文章にして届けることは、若者たちとコミュニケーションをはかるうえでの薬味ぐらいになるだろう」学級通信を手にした生徒が家族に見せる、そして共鳴した母親達の側から出版の要望が上がったそうです。
生徒たちに反応が高かった、性といじめの文章を紹介しましょう。「ぼくは保守的な人間ではないから、思春期や青年期の性について人々が自由に語ることをはしたないとは思わない。また、ぼくは、未成年者が性的交渉を持つことをすべていけないとは思わない。しかし性が、まるで排泄行為のように、その場その場の欲情の処理の手段となることには反対する。カネ余りの日本人が東南アジアで行なう『売春』ツアーなどは最も醜悪な行為ではないか」。
「いじめは昔からあった。しかし不思議なことに、何やかやと賢(さか)しらな理屈を言いたがる人の中に、自分自身の体験を語る人はいない。加害者としてであれ、被害者としてであれ、近き傍観者としてであれ、遠き傍観者としてであれ、なぜ自分の体験から始めることをしないのか。テレビに出てしたり顔でしゃべっている人のうち皆が皆、いじめとは無縁なところで少年期を過ごして来たわけではなかろう」とマスコミの報道が批判され、ためらいながらも著者の加害者の体験が綴られています。
下町にある神戸長田高校出身の寺岡先生は、当時を振り返り思い出を語ってくれました。自身も含めガラの悪い生徒たちに、紳士的に対応してくれた教師との出会いのこと。決して生徒を呼び捨てにしないで、穏やかな対応で接してもらったことが、今の自身の生き方に繋がっている。自習時間に麻雀もやっていたぐらい自由な高校生活だが、非行に走る者は誰もいなかったこと等ですが、聞いてる私は、校則で縛られてしまっている今の子供たちは、どう成長していくのか心配になってきました。
長田区は今回の震災で大きな被害があったところですが、人口の六割が在日韓国・朝鮮人で占めていたそうです。そのような環境の中で生まれ育った寺岡先生は、ライフワークとして韓国・朝鮮人問題に取り組んでいます。子供の頃、差別をした罪悪感からということですが、正しい歴史観と現社会への厳しい批判を持ち合わせいるからこそ出来ることだと思います。
ウィルス性のB型肝炎を患い、毎日の通院が欠かせない生活と教師の両立。ガンの発症率も五〇%と淡々と語られ、私は少し戸惑ってしまいました。こんな大変な重荷を抱えての生活だからこそ、一日一日が真剣そのものなのか、と考えてみたりしました。「教室で今日はどんな話をしてくれるかと、期待する生徒の目を見るのが一番楽しい」と笑顔の先生を見て、恵まれ続き た生徒たちが羨ましくなりました。
実は冒頭で、ある会の講師捜しとありましたが、講師になって頂くのは寺岡先生です。私は今まで色んな教師と出会い、私たちの活動のことも紹介してきました。しかし、こんな開放的で、誠実な教師に出会ったのは初めてです。この出会いを大切にしていきたいと思います。詩集も出版され、感情豊かな教師からの若き友へのメッセージで締め括りたいと思います。
「人はなぜ生きるのか。人は何のために生きるのか。このことを、真摯に真剣に考え抜く時間を、ぼくらは青春のうちにどれほど持てるかー美しい生の抛物線は、全身全霊をこめたこうした自己への命懸けの、問いかけから放たれるのだ」。
(兵庫 折口恵子)
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- ビルマの人権侵害 17
- ジャーナリスト 菅原 秀
- 六月七日、ビルマ軍事政権SLORC(国家法秩序回復評議会)は「安定し、平穏かつ規律ある上京のもとでの国権の委譲、および成功しつつある国民会議の活動を妨害から守る法律」という長い名前の法律を施行した。全部で九条からなるこの法律は、今日本で話題の破壊活動防止法をもっとひどくした内容になっている。この法律は反政府団体の会員を懲役五年から二十年に処することを可能にしており、団体の非合法化、財産の没収を可能にするものである。
- さて国際議員団の報告は各国の対ビルマ政策の分析にはいってきた。
- 国 際 議 員 団 報 告 そ の 五
- 三ー四 ビルマ連邦国民評議会
- ビルマ連邦国民評議会(NCUB)は一九九二年八月に結成された。ビルマ人亡命政治家全体を統括する組織である。傘下にはNCGUB、NLDーLA、DAB、NDFがある。
- NCUBは、亡命政治家たちの政治戦略の調整が必要だったので設立された。 NCUBの重要目的のひとつにビルマ憲法草案を作成する作業がある。憲法草案作成作業はそれが必要であるだけでなく、NCUB傘下団体の理解と協調をはかる目的も含まれる。憲法草案の基本重要事項は連邦制である。ドイツのNGOノイマン・シュチフトゥングが憲法草案作成に長年にわたって協力してきた。
- NCUBから、派遣団は次のことを要請された。
- 国連の勧告に基づきSLORCに圧力をかける施策を採ること、ビルマのための国際会議を開催すること、停戦地域住民の人権侵害調査のために独立した国際調査団を設立すること、である。
- 派遣団は少数民族各派とSLORCとの停戦合意が、NCUBの傘下団体同士にある種の緊張をあたえているという印象を得た。会談の中でDAB副会長のティンマウンウィンは、SLORCと交渉をしている少数民族のいくつかの団体はNCUBとの協力関係を求めている。しかしSLORCとの停戦合意に、停戦しない団体と協調しないことという条項が含まれているため、そうできないでいる。また、タイ政府がNCGUBと少数民族の国内移動を制約しているので、NCGUBと少数民族との合意作業がさまたげられていると語った。
- 反政府活動家の勢力強化のためには、少数民族各派と国内の民主化勢力との協調が最重要課題である。派遣団は協調調関係が存在していることを確認できた。 しかしながら上記理由によりその維持は難しい。NCUB内部の協調の努力が将来最も重要であると思われる。
- 反政府派は現在の軍事政権に代わる代表である。一九九〇年の選挙で、ビルマ民衆は明白にNLDとアウンサンスーチーの支持を打ち出した。一九九二年のNCUBの設立および一九九五年のNCGUBの再結成によって、反政府グループ各派は活動へ参加できるようになった。
- ビルマの政権が変化する徴候は、今のところまったくない。少数民族各派との停戦協定および国際社会との政治的、経済的協力関係によりSLORCの国内での地位が強くなってきている。そのため反政府活動家の活動も強化されている。アウンサンスーチーの解放は内外の民主化グループに新たなチャンスを与えた。 派遣団は政治、社会、行政のネットワークを国内に設立し、さらにできればSLORCとの対決をさけたいとするNLDの戦略を強く支持する。また派遣団はビルマの将来のために少数民族同士の結束を堅め、特にアジアを中心とする国際関係を推進しオルタナティブな政策を提言するNCUBとNCGUBの活動を強く支持する。しかしながら派遣団は反政府派が目的遂行のための十分な資金を保有していないことを憂慮する。
- 反政府派は昨年、SLORCが対話の提案を受け入れるように圧力をかけ、オルタナティブな政策を提案する努力を拡大した。しかし反政府派は、国際社会からの経済的政治的支持を得ることができない限り、その任務を遂行することは困難である。
- W 国 際 社 会
- 一九六二年から一九八八年にかけてビルマ軍事政権はみずから鎖国政策をとった。この間、軍事政権は「ビルマ式社会主義」の道を歩んだ。一九八八年にSLORCが民主活動家を弾圧して以来、国際社会はビルマに対するすべての援助を凍結した。これが主な理由となりSLORCは一九八八年に鎖国政策を放棄した。過去八年間、海外からの投資は飛躍的に拡大し、東南アジア諸国連合(ASEAN)との関係が拡大した。昨年SLORCはASEANへのオブザーバーとしての参加を申請した。
- ビルマに対する政策には、鎖国政策の維持を奨励するものから政治経済関係の推進まで多様である。しかしながら、すべての国が経済的な理由であれ、人道的な理由であれ、その目的はビルマの民主化の支援であるとしている。
- 四ー二 タイ
- タイは一九八八年、ビルマに対する経済的関与政策を導入した。この政策はのちにASEAN全加盟国で採用されることになる。タイ外務省によればSLORCに対する経済的関与政策は経済発展を促し、ビルマに少しずつ民主化をもたらすという。昨年SLORCはASEANへのオブザーバー資格を申請した。
- タイはビルマのオブザーバー資格申請を支持している。タイ外務省との面談では、担当者はその理由について次のように語った。
- 「ビルマは永久に鎖国のままでいることができる。しかしメンバーになることは不可避ではないか。彼らは加盟しなくてもやっていけると考えている。問題は加盟が不可避であるということを彼らに理解させることである。民主化は経済、社会の発展の結果やってくるものである。別な道は流血をもたらす。現在のような行政は続かないので、彼らは民政移管をするであろう」 ビルマ軍は歴史上初めて、タイとビルマの国境二、四〇〇キロの大部分に駐留している。以前、この地域は少数民族各派によってコントロールされていたのだが、現在はタイ軍とビルマ軍の緩衝地帯となった。しかし今日のビルマ軍の国境地帯での展開は、タイの自衛にとって脅威となっている。 派遣団は、タイおよび他のASEAN諸国に、SLORCとの経済的関与政策を履行するにあたって、人権状況の改善、民主化の推進などを付け加えることである。これらの条件を満たさない限りSLORCにオブザーバーの資格が与えられるべきではない。派遣団はアウンサンスーチーの意見を採用する。つまり、ASEANはSLORCとの間に経済的関与政策を履行するのではなく、ビルマの民衆との間に履行すべきであるということである。
- 派遣団はタイ政府がタイ在住のビルマ人に対して安全および人道的配慮をするよう要請する。
- 派遣団はさらに、ビルマに民主化改革のきざしが見られない現状のもとで、ビルマ人難民の強制送還を行わないよう要請する。
- (つづく)
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- 抵抗の画家 須山計一
- Bドーミエ(1808〜1879)
- 生いたち
- オノレ・ドーミエは一八○八年、南フランスの港都マルセーユに、ガラス大工を父として生まれた。母は情熱的なマルセーユ女であった。父は感じやすい瞑想派で、仕事の合間には詩作もした。一八一四年に、父母はドーミエをともなってパリへ出た。パリへ来てから父は二冊の詩集を自費で出したが、その一冊は、いくらかその方面で認められ、パリの文学者・詩人に知己を得た。
- 子ども時代のドーミエは一○才ぐらいから画の才能を現わしたが、一五才で公証人役場の給仕になった。だがその仕事も興味がなく、のち書店の店員に転職した。その頃、たまたまドーミエの画才を見た王立美術館長ルノアールは、彼の父とも知り合いだったので、ドーミエを彼の画塾へ入れることを勧めた。しかし入ってみるとそのアカデミックな指導にドーミエは不満で、けっきょく研究所をさぼって、公園、盛り場、場末などをふらついた。何とか生計を立てねばならないと考えている矢先、友人から石版画をやることを勧められて、習った。かたわら、ある研究所へ入って熱心に人体デッサンの勉強をやった。これが後年の石版漫画の巨匠になる基礎修業だった。
- 七月革命
- 青年画家ドーミエのフランス・ジャーナリズムへの登場は一八三○年で、前年六月に創刊された漫画新聞への漫画寄稿が最初であった。この年はいわゆる七月革命が起き、蜂起した民衆はチェイルリー宮殿を占領し、作曲家のベルリオーズや、画家のドラクロアも参加した。しかし革命でブルボン王家の政府は倒れたが、代わってオルレアン王家のルイ・フィリップが王位につき、金融ブルジョアジーの支配がはじまった。ドーミエの最初の風刺画は「革命の犠牲者」「憐れな羊どもよ、万事休す、お前らはたえずむしり取られる」というのであった。
- それを見て有名な出版社オーベル社がドーミエの石版を売ることになり、また戦闘的な漫画家でジャーナリストのシャルル・フィリポンがドーミエに眼をつけ、三○年一一月彼が創刊した政治諷刺新聞『カリカチュール』にドーミエを起用した。ドーミエの『カリカチュール』での漫画活動は一八三一年からで、当時の代表作には「貞操を売らない国会議員」「一八三一年の仮面」などがある。
- 入獄
- 一八三○年代の『カリカチュール』を評判にさせたのは、フィリポンの考案でドーミエが描いた、ルイ・フィリップ王の西洋梨型化のアイデアだった。これにはパリの市民は抱腹絶倒して喝采を送った。
- やがて三二年夏のこと、ドーミエは一枚ものの反フィリップ漫画「ガルガンチュア」をオーベル社から出版した。ガルガンチュアというのはある諷刺作家の創作した人物で、大食で貧欲な人間のことである。この漫画はルイ・フィリップの大衆収奪をそれに見立てて描いたものだが、すぐ発売禁止、押収となり、ドーミエは起訴され、六ヵ月の禁固と三百フランの罰金刑をいいわたされた。しかし彼はひるまず、その控訴期間中も、ペンネームを使って検事総長、陸軍大臣、ルイ・フィリップ、パリ警視総監をやっつけた三点の漫画を発表した。時に彼、二四才だった。
- 一八三二年八月の末、ドーミエは刑務所に入れられ、翌三三年一月末、刑期を終えて出所した。不屈の彼は獄中から、友人に手紙を書き、「ジスケー(パリ警視総監の名)の寄宿舎に十分満足している、……しかし、インク瓶にインクのないのが最大の不自由だ」と述べている。
- 精神と技法
- ドーミエの入獄中の一八三二年一二月、フィリポンは新たに日刊紙『シャリヴァリ』を創刊した。この名は悪魔追放の大騒ぎのことである。創刊早々の『シャリヴァリ』は、その鋭鋒を政府、王室攻撃に向け、しばしば弾圧、起訴された。創刊一年のあいだに起訴五回をくらい、編集責任者の投獄は一八○日に及んだ。
- さて、ドーミエの青年時代を代表する石版漫画の傑作は四点で、ドーミエのいちばんシャープな攻撃的精神と、芸術的技法とが統一された諷刺画であるが、いずれも一八三四年の作である。
- まず「法律をつくる腹」はブルジョアジ議会の尊大な人間像をえぐり、次に「出版の自由」では不屈の共和主義の犠牲者をえがき、さらに「見捨てられたラファイエット」では、ルイ・フィリップ王の、権力抗争の相手であるラファイエット将軍の死を内心よろこびつつ悲しいふりをしている姿を暴露した。また「トランスノナン街の虐殺」は、一八三四年、リヨン暴動のパリ波及で、トランスノナン街に住む罪のない人々が、残酷な憲兵の銃火で惨殺された光景を、鬼気せまるリアリズムで表現した。これらの大版石版画は、いずれも発売を禁止され、押収されたりした。
- 一八三五年になると、いわゆる「九月法律」といわれる、言論弾圧法が発布された。そのため『カルカチュール』はついに発行禁止の止むなきにいたり、『シャリヴァリ』だけ編集方針を変えて、やっとつづけられた。ドーミエも政治漫画の事実上の禁止の状態にあい、以後はもっぱら風俗漫画のシリーズなどを描きつづけた。
- 一八四六年、三七才のドーミエは、セーヌ河畔に移り、四月に裁縫女マリーと結婚した。
- 二月革命
- 一八四八年、二月革命の結果、短い期間ではあったが共和政権が樹立され、人民派の美術家ミレー、クールベ、ドーミエなどがサロンへ進出した。このときサロンも民主化され、自由出品制(アンデパンダン)になったのである。また政府は、美術家全体に呼びかけ、「共和」のテーマによる作品コンクールをおこなったが、ドーミエも「共和女神像」を出品した。この作品は、現在パリの装飾美術館にあるもので、たくましい母が胸をはだけて二人の子どもに乳をふくませている図である。『シャリヴァリ』に共和制擁護の漫画を再び描いたのもこの頃だ。四八年にはまた「蜂起」「バリケードの上の家族」のような、直接に革命を主題としたものを描いている。
- 二月革命の前夜からドーミエはドラクロアとも親しく接し、自然主義者のコロー、ミレーなどいわゆる「バルビゾン派」の画家たちと親しくなった。詩人のボードレールも彼と交遊し、その稀有(けう)な諷刺画の才能を認めた。小説家のビクトル・ユーゴーなどもその一人である。当時の有力な画家・文学者などとの交友で、彼は油絵、水彩などに打ち込むようになった。
- また、ドーミエには彫刻でも幾点かのすぐれたものがある。「ラタポアル」(一八五○年)などが名高いが、これは市民の動静を探る政府の私服のスパイをつくったもので、ドーミエ夫人が最後まで隠しつづけたというエピソードがある。
- パリ・コンミューン
- 一八七○年、七一年の普仏戦争のときは三たび政治漫画の筆をとり、死屍るいるいのヨーロッパの広野に死の女神が立っている作品に「ボナパルティズムの遺産」と題した。青年時代の充実した肉づけはないが、ドーミエらしい一徹さが示されている。
- 一八七一年三月には名高いパリ・コンミューンが勃発して、コンミューン議会の議員の一人に画家のクールベが当選し、彼のもとで新しい美術家連盟が発足したが、その委員の一人にドーミエも名を連らねた。この頃は彼はパリ近郊のヴァルモンドワの寒村に隠棲中だったが。
- それからまもなく、一八七九年二月一一日、ドーミエは死んだ。この貧困の老廃画家の遺骸に対し、その日パリから駆けつけた画壇や文壇の旧友が続々到着して、ヴァルモンドワの寒駅は時ならぬ困難を呈したといわれる。
- (次回はクールベ)
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- 色鉛筆
- 悲しみの中の子ども達の告発
- いじめで死んでいく子ども達が後を絶ちません。登校拒否で学校へ行けない子ども達が、母親に取りすがり泣き叫びながら、小さな家の片隅で息を押し殺しながら生活しています。子どもを養育できない親達と切り離されて、少なくない子ども達が、施設に預けられそこで生活しています。
- 子ども達にとって言い知れないほどの悲しみの現実が幾つもあります。
- ある中学校教師は、こんな事を言っていました。「夜眠るときに考えるんだ。明日学校へ行ったとき皆揃っているだろうか。もしかしたら自殺してしまった子がいるんじゃないかと。そしてまた次の日もそう思いながら眠るんだ」と。
- 悲しみを背負った子ども達の現実を、新聞やテレビニュース、あるいは近所での噂話で知ったとき、誰もが深い悲しみに捕らわれるのは、幼さゆえに耐え切れないほどの社会の矛盾があまりにも非情な形でストレートに現れてくるからかも知れません。
- 町を歩き、公衆電話ボックスに入ると、テレホンクラブの貼り紙が所狭しと貼られています。少女達が遊ぶ金欲しさに男達を相手に身を切り売りしてなにがしかの金を獲ています……。
- 戦後五十一年が経過していても、こんな「子ども達の人権」さえ守ることの出来ないあまりにも低い段階の人権意識しか持ち合わせていないような社会です。
- 「いじめによる自殺」「テレクラによる身の切り売り」「学校に行けない」等々の子ども達がますま低年齢化して来ている現実があります。
- 「小学生までが自殺!」。かつて考えさえしなかったような事態が始まり、そしてそれが広がりを見せていくような状況があります。
- 本気で子ども達の置かれている状況を見つめ直し、それを解決していくための努力を、大人達は真剣に始めなければなりません。
- 資本の支配の下では「大人も子どもも関係なく、金のために食い物にされ、利用価値のある人間とそうでない人間とに振るいに掛けられ、価値のない人間達は見捨てられていくんだ。だから資本の支配を一掃しなければ根本的な解決はないんだ」などと幾ら説教を垂
- れて、「社会の責任だ!」などと嘆いていても全く意味を持ちません。
- 実際に、そこで苦悩している子ども達に、しっかり目を向けて、困難な状況から解き放っていくために何をしなければならないのかを大人達もまた苦悩しながら見つけ出していく努力をしなければならないでしょう。
- どんな問題でも、決まり文句の公式的な答えからは、どんな解決の糸口も出てこないどころか、現実に対してのあまりに無責任な態度以外の何物でもないからです。
- 「大人は、何も分かってくれない!」と告発している子ども達の叫びは、まさにここにあるのではないかと思うのです。
- より高い、人権意識を持った社会を実現していくために、僕たちもまたもっともっと苦悩しながら鋭く現実を直視していかなければならないでしょう。
- 苦悩する子ども達が、大人達に心を開いてくれるためにも。
- (寿)
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- 「受入れ」と「閉出し」の狭間で
- 移住(外国人)労働者問題全国フォーラムに参加して
- B賃金未払い、人身売買、医療費問題…
- 移住労働者の直面する問題と闘い
- フォーラムの2日目は、各分科会に分かれて、移住労働者の直面する様々な困難と、それに対する闘いの現状について、報告と意見交換が行われた。分科会は、@国際結婚と国際児、A入国管理政策と外国人に対する人権侵害、B労働問題と労働相談、C人身売買と外国人女性、D人種差別撤廃条約の完全実施と外国人の人権、E移住労働者による移住労働者のための分科会、F医療問題を考える、G移住労働者支援活動に対する弾圧と青柳裁判、H、INIGOON JITTHAI氏を囲んで、J朴 錫運氏を囲んで、の11であった。分科会の数の多さを見ても移住労働者の直面する問題が、多岐に渡っており、また各地の支援運動も活発であることが伺える。私は、その中の「医療問題を考える」分科会に出席した。以下、分科会の様子を、主に「パンフレット」の内容にもとづいて紹介したい。
- 入管制度のひずみと人権侵害
- 「はじめての人たちのための移住労働者問題入門」分科会では、移住労働者の問題の基本的認識を得る場となった。
- 日本に滞在する「外国人」は、一般的に戦前からの在日韓国・朝鮮人を中心として「オールドカマー」70万人と、80年代になって外国から出稼ぎに訪れている「ニューカマー」100万人とに分けられる。そして、ニューカマー100万人の内訳は、非公認労働者(オーバーステイ労働者)約30万人、半非公認労働者(資格外活動労働者)約13万人、日系人労働者約18万人、結婚約9万人、その他(技術・技能・人文知識等)約30万人となっている。
- これらの人々の多くは、在留資格が安定していないために、労働トラブル(賃金不払い、労災隠し、不当解雇)、人身売買、強制売春、医療(健康保険・生活保護からの締め出し)、結婚をめぐる様々なトラブル(特に女性が暴力にさらされたり忍従を強いられる)、子供へのしわ寄せ等、様々な権利侵害にあっている。
- 分科会では、こうした問題が起きる背景として、何故来ざるをえないのか、先進国による開発途上国の富の収奪が原因にあることが指摘され、その根本的解決と同時に、今起きている問題に対する対策を立てることの重要性が確認された。
- 移住労働者の組合組織化の課題
- 「労働問題と労働相談」分科会では、移住労働者の多くが無権利状態で搾取されており、こうした労働者の闘いと支援の実例が報告された。とりわけ、労災問題についての裁判とその勝利的和解、労災後遺症の等級認定をめぐる異議申し立てと勝利、工場の賃金未払い問題について元請責任を追求する闘いなどの報告を通じて、支援者と移住労働者自身が、日本の労働法を学習し、具体的な記録に基づいて労働基準監督局に訴えること、労災の申告は摘発につながるのではないかとの不安を克服すること、さらに移住労働者の労働組合への組織化等の課題が確認された。
- 国際結婚と国際児
- 移住労働者が、日本で働き生活すれば、おのずと人と人との出会いがあり、日本人と外国人との結婚も増えているが、ここにも国境の壁が立ちふさがる。「国際結婚と国際児」分科会では、様々な事例が報告された。
- まず、国際結婚で生じるのはビザ取得の問題である。海外で結婚した場合、外国人の配偶者が入国できない問題がある。また国内で結婚した場合でも配偶者ビザが取れず、日本に滞在し続けられない問題がある。同様の問題は、離婚についてもあり、外国人配偶者は離婚によって配偶者ビザを失うことを恐れ、二人の関係が破綻しているにも関わらず、ケ結婚生活を続けざるをえず、夫からの暴力を受けるといった悲惨な問題も起きている。
- とりわけ、多く見られるのは、フィリピン人女性と日本人男性との間での問題である。第一のケースは、エンターテイナーとして来日したフィリピン人女性が、店で知り合った日本人男性と結婚の約束をしたが、短期ビザのため結婚できない問題だ。第二のケースはフィリピンに出張などで出かけた男性が、滞在中に女性と知り合い、現地で結婚したが、日本では婚姻登録をしていないため、日本人男性がそれを悪用し、日本で重婚するという不誠実な行為が横行している問題だ。
- その結果、フィリピンで生まれた子供を、帰国した夫が自分の子供と認知ぜず、養育費も払わないといった問題、また認知はされたが、その時期が遅れたため日本国籍を取れないといった問題が起きている。
- 性産業と人身売買
- 「人身売買と外国人女性 法律の検討を中心に」分科会では、80年代から増えている日本の性産業への外国人女性の就業と、それを巡る問題が焦点になった。
- 外国人女性の多くは、最初から性産業への就業を目的としているわけではなく、「知り合いから良い仕事があるからと誘われた」「ウエイトレスの仕事がある」「民族ダンスの踊り手になる」等と言われてきたのである。これらの人々は、国際的なリクルーター組織によって見つけられ、移送され、転売され、最後にたどりついた店で働かされる。架空の借金を負わされ、仕事を辞められないケースが多い。これは、れっきとした人身売買ではないだろうか?
- 分科会では、刑法、労働基準法、売春防止法等の法律を検討し、こうした性産業と人身売買による女性への屈辱的な人権侵害を一掃する闘いが模索された。
- このように、移住労働者の問題は、単に労働者としての無権利状態に留まらず、結婚や子供の問題、とく性産業に象徴される女性差別の問題を際立たせており、それだけに、ひとりひとりの生き方を問う、多面的な闘いが求められていることが、よくわかる。(続く)
- (外国人労働者を考える医療従事者の会 M)
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- 地声人歌
- 降りしぶく雷雨の窓に胸おしつけ
- 生きて甲斐ある時代と思う
- 南 龍夫
- 一九三七年刊の歌集より。作者は雷雨に時代を重ねていました。時は流れて今、平和と民主主義の時代。しかしというか、故にというか、激動のない時代。ああ、生のぶつけ甲斐のない時代、と僕はずっと思ってきたのですが、最近は、待てよ、この中から「新しい、より高度な社会」が生まれてくる、そのメカニズムの解明という誰もやったことのない課題に挑む時代、これぞ甲斐ある時代、と思えてきました。
- あの歌 この歌 ライブハウスに行こう編
- 森本理子コンサートの巻
- 僕の大好きな歌手で、シャンソンを歌っている森本理子さんという人がいます。その人の歌をこれまで『Workers』で紹介したことがありました。「地下鉄の切符売り」という歌と反戦歌の「さあ、続け!」という歌でした。ともにシャンソンですが、テレビやラジオではまずやってなくて、ライブでも森本理子さん以外に歌っている人は少ないと思います。聴きたいと思っていたら、うれしいことに、その理子さんのコンサートが6月21日に大阪の江坂ブーミンホールでありました。ひさかたぶりの森本理子コンサート! 仕事が終わってすっ飛んで行きました。
- しかも、今回はWorkers大阪の仲間2人も一緒に聴きに行ってくれました。もう5〜6年前になりますが、兵庫県の芦屋にあるライブハウスで初めて理子さんの歌を聴きました。この(今はたぶんなくなってしまった)ライブハウスは地下にあって、狭〜い階段を降りていくのですが、非常口があるのかどうかもよくわからない、まるで穴倉のようなライブハウスでした。そこで出会った森本理子さんの歌、とりわけ反戦歌「さあ、続け!」は衝撃的でした。「求めていた歌、求めていた人がここにいる」と思いました。そんな言葉があるのかどうかよくわかりませんが、以来、僕はこの人の歌を穴倉シャンソン、闇シャンソンと勝手に名づけてみんなに宣伝してきました。それが今回、その理子さんの歌をとうとうWorkersの仲間に聴いてもらえることになったのでした(う、うれしい)。
- ※ ※ ※
- 森本理子さんの衣裳や化粧は独特です。黒の帽子に顔は白塗り、黒いセーター、黒いズボンに黒のブーツという姿。まるでパントマイムの芸人さんのようですが、実は歌唱スタイルもそうなのです。「見る」という観点で言えば、通常のシャンソンの表現というのは手ぶりと顔の表情によっていると思うのですが、理子さんの場合は全身によるパントマイムです。この日の曲目でも「待っていた男」では年をとって腰の曲がった男をパントマイムの表現で演じていたし、「地下鉄の切符売り」でもピストルで頭を撃ち抜く様子を演じていました。実はパントマイム芸は好きで、昔、マルセル・マルソーを見に行ったり、ヨネヤマ・ママコの本を読んだりしたのを思い出しました。そのパントマイムとシャンソンとが結びついているというのがとても新鮮で、初めて見る人は強烈な印象を受けると思います。
- そして理子さんの歌、それは同じくシャンソンとは言いながら、宝塚調のシャンソンとは全く別の歌の世界です。例えば、「さあ、続け!」はジャック・ブレルという人の作ったシャンソンなのですが、まるで日本の従軍慰安婦の問題をうたった歌のようにも聞こえてきます。また、国民を戦争に駆り立てるものが何かを考えさせもします。前者が甘い砂糖をまぶして現実を覆い隠してしまうのに対して、理子さんのシャンソンはその現実を暴き出しているのだと思います。「くたばれ“おシャンソン”、働く者の歌=シャンソンの復権を!」──僕の思い入れを勝手に重ねているので、少し違うかも知れませんが、理子さんの歌手としての活動にはこうした姿勢が貫かれているように思っています。注目すべき歌手の一人。今後、『Workers』紙上でも彼女のライブ案内を載せていこうと思っています。機会があったら、ぜひ、理子さんのライブに出かけてみてください。
- ※ ※ ※
- さて、6・21コンサートです。先輩歌手お二人とのジョイント・コンサートということで曲数が少なく、また、残念ながらこの日は事情があって、「さあ、続け!」は歌われなかったのですが、それでも「地下鉄の切符売り」を聴くことができたし、他の歌も理子さんらしい歌でとてもよかったです。例えば「待っていた男」という歌は40年間ずっと一人の娘を思い続けていた男の歌で、年とって腰の曲がった男の愛の告白をパントマイムを交えて歌うシャンソンでした。見ていて(聴いていて)涙が出てきました。
- そして、そして、「ゲッティンゲン」という歌。バルバラという有名なシャンソン歌手がいますが、これは彼女が作った歌。「バルバラ、本名モニック・セールは1930年、パリに生まれた。10才の時にパリがナチの侵攻にあい、ユダヤ人である一家は転々と住居を変える生活を強いられた」(藪内久著『シャンソンのアーティストたち』)と本に書かれていますが、実はそれだけでなく、家族(理子さんにせっかく教えてもらったのに忘れてしまったのですが、たしか姉さんと弟か妹)がナチに殺されているそうです。「ゲッティンゲン」はこのバルバラが戦後にドイツのゲッティンゲン市を訪れたときのことを歌ったもの。数あるバルバラの歌からわざわざこの歌を選んで歌っているところに理子さんの歌への姿勢がよく現れていると思いました。
- (椎原一夫)
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- フォークなんて古い? 中川五郎
- 2,自分でつくるということ
- 数年前ピーター・ポール・アンド・マリー、キングストン・トリオ、ブラザース・フォーなどとともにフォークソング・ブームが押し寄せてきた。そして良家のお坊ちゃんお嬢ちゃんを中心にカッコいいフォークソングがはやり、マイク真木や荒木一郎というケッタイなフォークソング・スターを生み出すまでにいたった。しかし、すべて風俗的に決めつけ、アメリカのフォークソング、その偉大なバックグラウンドを理解することができなかった当時のファンたちは、その後に入ってきた、よりカッコいい音楽にその耳を奪われ、その新しい音楽へと走っていき、かくてこのにせものフォークソングのブームはその終焉を迎えたのであった。
- しかし、このフォークソングのブームは、ひとつの良い結果を生み出した。それは、いわゆる当時「オリジナル」というカッコいい言葉で語られていた「自分で歌をつくる」ということであった。
- ブームによって無数に生まれたモダンフォークソング・グループは、マイク真木らの歌を聞き、その悪いところ、すわなちその幼稚さ、「同情」という立場に立脚した安易な社会的言葉を見習ってオリジナルをつくりはじめた。
- いままで、歌というものは一方的にそのプロフェッショナルがつくり、マスコミを通じてそれを受けてばかりいたものだが、それが変わってきた。でも、そのフォーク・ブームの間につくられたオリジナル・フォークソングは、自分でつくりながら自分の言葉を使わず、マスコミ御用作詞家の言葉を使い、幼稚なのがフォークだといわんばかりに簡単で、これが大学生がつくったものかと驚くようなものばかりだった。
- どうして自分の言葉を使ってつくらないのだろうか。フォークの意味を誤解したものたちには、盗むことさえできなかった。
- 原因のひとつに、最初から詞も書き、曲もつくろうというピュア・オリジナルのことばかり考えすぎたいうことがあげられるかもしれない。そんなに欲張らなくても、最初はいろいろなものから盗んだらいいのだ。
- 例えば、僕のつくった歌の中で、レコードにもなり、テレビ、ラジオでも流れていわゆるヒット・ソングになった唯ひとつの曲「受験生ブルース」も、元をただせば替え歌なのだ。
- 僕が高校三年生のときの夏の補習授業中、アメリカのボブ・ディランがつくった「炭坑街のブルース(ノース・カントリー・ブルース)」というメロディに乗って流れ出たものを、プリントの裏に書き留めたというのがこの歌の生まれてきたかたちだ。
- また、同様に「主婦のブルース」というのも、前々からマイホーム主義に埋没してしまって自己を見失っている主婦をテーマに歌をつくろうと思っていたのだが、台所で母親と話をしているとき、来日したピート・シーガーがテレビに出たとき歌っていた「主婦の嘆きうた」という、アイルランドの昔の歌に乗せて「みなさん わたしの うたをきいてよ……」とつくって行った。
- メロディを借りて詩をつくるというのは、つくり易いという条件とともに、詩と曲と別にではなく、一時に歌としてつくり出されるという素晴らしさがある。
- アメリカのブルースやアイルランドの古謡にその借り手を求めなくても、もっと身近なもの、つまり僕たちが毎日ほど接している流行歌、それに日本民謡や童謡を使って、自分の思っていることを歌にできる。
- ニクソン ニクソン
- おめめ が 赤いのね
- そうだ ぼくのめは
- 血ばしってる
- (「ぞうさん、ぞうさん」)
- ニクソンは白いな 大きいな
- 愛は 沈むし 血はのぼる
- (「海」)
- ニクソンとサトウさんは
- 仲良し こよし
- いつでも いっしょに
- ボッカン ボッカン こわす
- (「おうまの親子は」)
- このように、身近なメロディで僕たちの思っていることを、しかも元唄の言葉を少しパロディ化することによってズバッといえる。
- 一時はやった、そして今なおカレッジ・ポップスやキャンパス・サウンドなどといわれてその馬鹿らしさの伝統を受け継いでつくられているインチキ・オリジナル・ソング(つまり詩も曲も自分でつくったもの)より、曲は盗み、詞さえ少しお借りしているこの歌のほうが、僕たちの歌だと言えるのではないだろうか。
- 替え歌についてピート・シーガーが、『アメリカの民謡復興』という文の中で、たいへん巧みな例えでこういうふうに書いている。
- 「……よい古い旋律は、しっかりした壁や屋根をそなえた建物のようなものです。それは何年にもわたって、いろいろな目的に応じて何回でも使えます。はじめは村の集会所としてつくられるかもしれません。次いで、教会に使われます。それから図書館、学校、あるいは病院にもなるでしょう。それと似たようなもので、アメリカの民俗音楽の古い曲のなかには、民謡にも、賛美歌にも、ユーモラスな歌にも、あるいは労働組合の歌や平和の歌にも使われてきたものがあるのです」。
- このピート・シーガーが言っている、古い曲に新しい詞をつける替え歌(例えば、僕の歌でいったら「受験生ブルース」や「主婦のブルース」)と、先にあげたような、いわゆるもじりの替え歌と二種類の手法が替え歌にはあるが、この民衆の心と生活が反映して、古い歌が新しいひびきと意味をもって生まれ変わってくる替え歌というのは、僕たちが僕たち自身の歌をつくるときの大きな武器になるものだと僕は思う。 (つづく)
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